| 2006年09月16日(土) |
Y野さんに愚痴を聞いてもらいました 2 |
(つづき)
この女のほかにランチのウェイトレスを しているY田さんがいました。 この人は非常に美人で、早*田大学を出た 才女です。 娘も早*田の法学部を出てますが、 司法試験に3度失敗し、就職したが このたび結婚するらしい。 的を得たことを言うが、かなりキツイ事を 言う人で、ママを馬鹿にした言い方をする。 (誰に対してもそうだけどね) 娘が感じるのだから相当だと思っていい。 元々生意気な話し方をする人で、 Kさんからも“クソ生意気”と呼ばれて いるけどホントそう。 ママは馬鹿を装って接している。 でも実際は馬鹿じゃない。 馬鹿な人間だったら中卒で製薬会社の 研究部でアシスタントとして 働いてなんていないさ。 リーダーはドクターの資格を持つ人達で そのアシスタントとしての仕事だから 自分から薬品を持ってどうこうという 仕事ではない。 ただし、仕事内容はワンツーマンだ。 ママは会社の後輩達や同僚や 先輩達からも慕われて、ママが定年で 辞める時には若い、それこそぱんちゃんと そう年が変わらないお姉さん達が 泣いて泣いて、ママにお花をたくさん 下さって、プレゼントをたくさん下さって、 更にママを良く知らない人にまで 声を掛けて金のネックレスを下さった。 ママの前後に定年で辞めた2人の方には お花ひとつ無く、返って辞める側が お世話になりましたと品を配って 辞めたという。 だからママは決して馬鹿ではない。 ヒマな主婦であるH沼とは違って、 (主婦は決してヒマなんかじゃない。 でもこの女はヒマな主婦だ) 仕事が忙しい上に、子育てもあいまって 美味しい物をあちこち食べに行くことは 出来なかったから、そりゃぁ美味しい 食べ物なんかそう知らないだろう。 Kさんとお付き合いするようになって うちのエンゲル係数は跳ね上がっている。 それでも付き合いだし、またぱんちゃんの お友達にも美味しい物を分けて上げられる、 送ってあげられるという楽しみも出来たから 凄く良かったと思う。 けど、美味しいお店、食べ物を知らないから と言って馬鹿にされる謂れは無い。 更に、ママは定年になってから料理に目覚めた。 これも恥ずかしいことじゃない。 目覚めない事の方が恥ずかしいのであって、 ママはそれまで子育てよりも仕事を優先 させてきたくらいの人だった。 ワンツーマンでの仕事だから、 子どもを優先してしまえばリーダーに 迷惑がかかり、その日の実験が出来ない なんてこともあるからだ。 余談だけれど、ママは私の父兄参観日や 父兄会に来たことが殆ど無い。 運動会すら、来るのはマレだった。 運動会は小学校3年生からは親のところで お昼を食べることがなかったから、 別に困らなかったし、応援が居ないから といって困ったり寂しい思いをしたことは 正直無かった。 そのくらい、ママはがむしゃらに働いた。 それにもまた理由があった。
ママの最初の夫(私の父親)がギャンブルに のめり込んで、ママの預金通帳から お金を引き出そうとした。 ママの口座は当時、銀行員だった叔父 (ママの弟)の銀行に作ってたので、 大金を下ろしに来たのを不信に思って ママに電話し、下ろさせなかった。 それでもギャンブルで借金を作り、 (競輪・競馬・パチンコをやってたようだ) 家財道具を質に入れ、家に帰って来ず、 仕事も辞め、ほっつき歩いていた。 ママはその頃から膠原病になり、 非常に珍しく、長い病名がついた。 危うく東*病院に送り込まれそうになった。 ママは製薬会社に居たから実験材料だろうと 即座に判り断ったが。 そしてその病気が発病した時は、 身体中に紫の大きな痣のような斑点が 出来、それが痛くてたまらないそうで、 そのうち40度の熱を出し、 起き上がることすら出来なかったという。 当時借りていたアパートの大家さん (お婆さん)が食事の面倒を看て くれたりしたけれど、やっぱり他人だから、 おばあちゃん(ママのお母さん)に 電報を打ってくれた。 そこから離婚に向けておばあちゃんが 娘(ママ)を守った。 家財道具は、預金は借金の穴埋めで 無くなった程。 だからママは当時、「出戻り」というと 世間から馬鹿にされる道を選んだ。 話が逸れるが、ママがパパ(養父)と 再婚したのも、愛情抜きだった。 条件はただ1つ。 「娘を食べさせてあげられる環境を作ること」 ただそれだった。 自分の幸せ(愛情)は二の次だった。 パパも別れた妻がヒステリー持ちで (そのヒステリーによってボヤを出した) お金使いが荒く、家事・子育てを 一切しない女だったため、別れた。 子ども2人いたが、末の子は母親に 親権を渡した。 上の子も途中から母親の元へ行った。 既に高校3年生になった男の子が 私のママに「お母さん」などと呼べる わけが無い。 私は最低の父親から生まれて来たが、 最高の父(養父)に育てて貰ったと 今では本当に思う。 もちろん嫌なこともあったし、 パパが養父だと言うことは 3才の頃から知っていたので (覚えていた自分が我ながらスゴイ) そりゃぁ、葛藤はあった。 虐めの対象にもなったし差別にも遭った。 でもね、自分はやっぱり幸せな子なんだと 思うんですよ。 だからパパ(養父)をちゃんと看取って あげようと思ったし、後悔も無い。 。。。そんな不幸な結婚をした ママだったからパパと再婚した時から がむしゃらに働いたのは、 今になって思えば良く判る。 蓄えが無いということは、なんだかんだ 言っても惨めだ。 その分、私は寂しい思いもした。 電気を点けずに真冬の夜8時まで 自宅の階段でうずくまってママの帰りを 待っていたこともしばしばあった。 それでもママはガムシャラだった。 H沼みたいに、美味いもんを食いに あっちだこっちだと行ってるヒマなんて 無かった。 そういう環境で育ち、ママの苦労も 今になって良く理解できる私は、 こいつらの態度には到底納得が行く ものではない。 言わせて貰えばパスタだって、 Kさんの売上になれば、あるいはKさんが 処理に困って電話が来れば周りに声を掛けて 私が窓口になって引き取った。 毎週土曜日にはワインとビールと焼酎を 必ず持って行き、何かあればワインの 本数を多く持って行く。 それでいて、どうしてママにはこんななの?
この時、ウェイトレスY田とH沼は コロッケを食べていた。 別に私達はお腹いっぱいだから良いけどさ、 っつーか、イモはボソボソしてるから 大して好きじゃないんでいいけどね。 食う前にバイクどけるか、 メットを片付けるかしてくれよ! そして、散々食い終わってから Kさんから買い物袋いっぱいの 有機野菜を2袋も持って、金を払わずに 帰って行った。 しかもママに
「ぱんちゃんちも私が帰った後、 たーくさん頂いて帰るんでしょ?」
だと。
貰ってねぇよ。(¯皿¯)凸
それはKさんの好意であって催促する ことではないし、だいいち、
てめぇが全てかっさらって 持って帰るんだからくれたくたって ねぇだろうよ!
KさんもKさんで、1つしかないものを どうして他人が居るところで平気でクソ女に あげるんだろう? 手ぶらで来て、騒いで帰って、 来ればキッチン覗いてつまみ食いして 作った物を半分もって帰るクソ女。 こうなると今まであった事全てが 悔しさと一緒にこみあげてくるぜ。
つづく
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