池ポエム
ハンス



 Light

 太陽の光に目をしかめる動物。
 途端にまぶしそうな表情をする炎雪を見て、その場にいた全員はそう思った。続いて、視線が何となくその隣に集まる。誰も口に出しては言わないが、説明しろと言っている。普段なら、他人の視線一つで期待に応えたりしない瞑子も、思わず眼鏡を抑えた。
 「……太陽の光は好きじゃない、と言ってるわ」
 瞑子の通訳に、獣が不機嫌そうに呻く。3つの視線が今度は一斉に窓の外へ向かった。
 「今日、曇りですよ」
 今朝から一度たりとも顔を出さない、頑なな太陽。光など一分たりとも逃がす隙のないぶ厚い雲が空を覆っている。静久の言葉に、玲と紗枝も頷く。大体、今の話題に上っていたのはお天気ではない。お天気ではなくて、お天気屋な学園の頂点のあの人の話。強大な太陽の光のごとき、あの人。
 静久は単純な連想だと思った。太陽のような、静久の刃友。ただ、それは静久一人が感じているイメージであって、全員の共通見解だとまでは自惚れていない。ましてや、生徒会の仲間でありながらいまいち掴めない炎雪のこと。
 少々、意外だった。
 人より動物に近しい戦闘狂にも、光を感じ取る力はあるらしい。
 「まぁあいつは無駄にペカペカしてるからな」
 まぶしいって気持ちはわからんでもない、と玲が足を投げ出す。
 「神門さん、無駄にペカペカって何ですか!」
 「無駄じゃねーか。突っ立ってるだけで目立つんだよ、あいつは」
 「無駄じゃありません! あれこそが、会長を会長たらしめている内側からの崇高なオーラと言うものです!!」
 玲に反論しながらも、静久はひつぎにはミラーボールが似合いそうだ、などと自分もふとどきな想像を思い巡らすのだった。
 「獣は夜活動するものですよ」
 玲と静久の口ゲンカに隠れて、まだ会話は続いていた。紗枝が瞑子に視線を送る。
 「祈さんは……どちらが好きかしら」
 「どちら、とは?」
 夜の闇の中でだけ、本性の血が騒ぐ獣。昼の光の中では、牙も引っ込んでしまうのか、退屈そうにぼんやりと虚ろな目をしている。誰よりも獣の側にいる人間であるはずの瞑子のレンズの奥の瞳。日の光を覆い隠すような、暗い影が差して見える。
 「さぁ。どうでしょう」
 炎雪がつまらなそうにそっぽを向いた。まるで、食欲を失って急に走るのをやめたチーターのようだった。


 『わたくしも闇は嫌いじゃないわ』
 求めるもののために、いつかはこの人の前に立つ。その少し前。護衛にしておけば心強い刃友から離れた隙に、彼女と遭遇した。廊下を一人で歩く。向こうから、彼女もたった一人で歩いてくる。
 目に刺さるような直線的な光が、冷えた廊下を刺し貫いた。暗闇を切り分ける、明確な光。有無をいわさぬ力強い刃物のよう。
 『頂点に立つ人のセリフとは思えないわね』
 いつまでも、光をまとって立ち続けるのだと思っていた虚像は、予想外に迷いなく言い放つ。
 『……氷室さんは、ご存知だと思っていたわ』
 『何?』
 太陽に祝福される者は、全ての原理を知っている。


 その日は、夜が更けても曇りのままだった。暗くなってしまえば、ぶ厚い雲も存在を隠す。廊下を歩く。先行く炎雪は、真っ直ぐに自室へと向かっている。
 「あなたは、闇が好きなのね」
 だから、自分を選んだ。光を嫌い、闇を好むなら、それ相応の人物が必要だ。炎雪は振り返らない。聞いているのか、いないのか。日本語をどこまで解するようになってしまったのか、時々こうしてテストしては、一人可笑しくなる。
 「メイ」
 早足を少しも緩めず、ここでは他に聞くことの出来ない発音が耳に届く。
 「知っているか」

 『光は闇、闇は光だ』

 肩を掴もうと手を伸ばしたら、突然駆け足になる。空振りした瞑子の手を、炎雪の熱い手が掴む。
 「……違うわ、炎雪」
 貴女の国ではそうだとしても、ここでは、この世界では違う。
 「光は、光よ」
 なぜかあの人を前にした時と同じように。
 炎雪は眉をしかめた。

2007年05月08日(火)



 押しても引いても

 ケーキが全部で7つあった。そして今、ここにいる人間は6人。
 準備万端で皿に受けに分けられたケーキと、ちょうど飲み頃の紅茶を前に、その6人は全員待ての体勢に入っていた。今手をつけなきゃいつ食べるんだ!!ぐらいの、絶好の食べ時なのは、ここでケーキを囲んで輪になっている全員がわかっている。わかっているけど……。
 ぐー、とお腹を鳴らしてみのりが机に突っ伏した。
 「……食いてー」
 お菓子のお預けがこの中で最も堪えるであろう人物。先ほどから、隙あらばケーキを食べてしまおうと鋭く狙っていたのだが。その“隙”が欠片も感じられず、ついに音を上げた。
 「我慢よ、みのり。今、本気でぶつかっても勝てないから、多分」
 紅愛が、ケーキの番人に聞かれないように、潰れたみのりの耳元でこそっと囁く。みすみす番人と戦って刃友が散っていくところを見たくない。みのりが理性を失ってケーキに飛びつかないように、紅愛はさりげなく制服の襟を掴んだ。
 番人が、ちらっと紅愛の方を見た。
 「月島さん、食べたらダメですよ」
 「う〜……静久のケチ」
 ケーキの番人こと、鬼神・宮本静久。天地で最も速く、最も負けず嫌いで、最も刃友思いの彼女。その情熱が、食べごろのケーキに手をつけることを堅く禁じているのだ。生徒会に所属する、いずれもそれなりの腕の持ち主である4人も、静久の迫力に驚いて(もしくは引いて)、誰もケーキを食べようとは言い出せずにいた。
 「なぁ、宮本。いいじゃねーか、何もあいつの分まで食べちまおうってんじゃねーんだから」
 みのり程ではないが、待たされるのはあまり好きじゃない玲が不機嫌そうに言う。待っているのが、玲が何かと突っかかりがちなあの人であることも、余計気に食わないらしい。
 「ダメです! ちゃんと全員揃ったところで食べないと」
 「どっちみち食うことには変わりねーんだろ? 何でわざわざあの大将待ってなきゃなんねー……」
 「いいんですか?」
 突然、静久の声のトーンが変わった。
 何か黒いオーラを背後から出して、どんよりした目つきで静久がゆっくりと振り返る。いざ食べようというまさにその時、急な電話が入って出て行ってしまったひつぎ。そのひつぎを待って、決してケーキに手をつけてはいけないと、突然静久が立ち上がったのだ。
 「会長がいない間に、先に皆さんで食べてしまうなんて……そんな恐ろしいこと、私にはできませんし、お薦めもしません」
 「?」
 遠い目をして、何かを思い出している静久の表情は、疲れを通り越して諦めが混じっていた。若いのに大変なことだ。
 「たとえ後から会長に全く同じ物を用意したとしても、それではもう遅いんです」
 静久が熱弁を奮っている間に、わずかに“隙”が生じていた。それを逃すような白装束ではない。熱くなった静久は一瞬反応が遅れ……みのりの人差し指は見事ケーキに突き刺さってしまった。


 その日の夜。天地邸にて。
 廊下の先を行くひつぎの後を、静久はしつこく追い回していた。ここで諦めたら、余計尾を引いて厄介なことになる。経験上、よくわかっている。フォローは時機を逃してはいけない。
 「ひつぎさん! 待ってください」
 パタパタと駆ける音。ひつぎは呼びかけに全く応じず、ずんずん先へ進む。
 「もう……いつまでスネてるんですか。子供みたいに」
 “子供みたいに”の部分にひつぎの耳が反応する。ピタッと歩みが止まった。喜怒哀楽のどれも表現していない、不思議な無表情のひつぎが振り返る。考えが顔に出やすい人なのに、本当に思うところがある時は妙に掴みづらい表情をする。
 非常に聡明でスマートな容姿であり、学園の代表という大人としての立場も持ちながらこの人は。
 ケーキを食べる人の輪に加われなかったことをスネていた。もう半端なく、本気で。しかも昼間の出来事なのに、夜になった現在も機嫌は一向に直らない。
 「皆さん、別に悪気があったわけじゃないんですよ」
 「……」
 返事がない。悪気のあるなしの問題じゃないと言いたいらしい。
 みのりが指についたクリームを舐めて満足げに「ぬはー」と言った瞬間、一番来てはならない人物が、来てはならないタイミングで部屋に戻ってきてしまった。あれからずっと。そう、ずっと。静久にしかわからないような、微妙な機嫌の損ね方をしっぱなし。基本子供なこの人の、子供な部分を誰よりも察してしまえる静久は、毎度解決するのに手を焼いている。
 (だから、食べないでくださいって言ったのに……)
 食欲魔人みのりを前には、どれだけ強烈な制止も意味をなさない。まだまだ修行が足りないと思う。
 「今度、また皆さんでお茶をしましょう」
 無難な提案をしてみる。
 「それだけでは足りないわ」
 やっと返答があった。静久の表情を窺うように、蒼い瞳がこちらをじっと見つめる。意図が分からなくて、静久はぽかんとした。
 「では何を……」
 「静久がわたくしのことをいやという程構ってくれないと、機嫌が直りそうもないわね」
 少しだけ口元が笑っている。静久も、合わせて微笑む。
 「もう……」
 誰よりも大人にならざるをえなかった貴女。誰よりも子供な貴女。
 「私はもう8年前から、ずっと貴女を他の誰よりも構ってきたつもりですよ?」
 「わたくしが欲張りなのを、静久はよく知ってるでしょう?」
 差し出された手を取って、その夜はいやという程、本当にいやという程、構って構って構い倒すはめになった。ケーキを食べてしまった4人を恨みつつ、感謝しながら。

2007年04月21日(土)
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