池ポエム
ハンス



 手が出せないお題・02「その時、君は」

 1000文字越えてしまって、ヤフーの裏日記で弾かれてしまったので、突発的にここに置きます。
 (今回の更新はナイショにしてください)




 ゆっくりと伸ばした腕の先に、少し口付けをした。彼女が少しだけ反応を見せたのが、意外だった。今日は湿気も少なく、ほどよい乾燥が心地よい。気候がいいと、体の調子も良いのだろうか。雨の夜は古傷が傷む、なんてハードボイルド物の主人公が口にしていたのを思い出した。古傷というなら、彼女の全身は古傷そのもの。それが傷むだなんて、一体どれほどの痛みなのか、味わったことがない者には一生想像もつかない。
 指先の、わずかな感触さえ感じ取ることができる。嬉しくなって、二度三度と繰り返した。その度に、微かに手が震えていた。些細なことは押し隠すのが上手い彼女のこと。素直な反応は珍しい。それだけ久々の身体感覚に戸惑っているらしい。決して性急でなく、ゆっくりと、指一本一本を愛撫するように口に含んだ。
 全ての指に愛を告げ終わると、甲に再びキスをする。
 目線を上げると、闇の中でも純度の高い輝きを秘めた瞳がこちらを見ていた。彼女の目は、それでいいと言っているようで。貴方の体調が良いことが、私は嬉しい。目だけでそれを感じ取ってくれたのか、潤いを帯びた瞳が柔らかく降り注ぐ。
 襟を大きく広げた。
 彼女の体を暴く。その下を、白日の下に曝す権限は誰にもない。だからこうして、真夜中の、権限などという堅い言葉が効力を無くした隙を狙って、手を掛ける。狼藉者。世界に一人、許された狼藉者。
 衣類の下を知ることは誰にもできない。してはいけない。常に側にいて、彼女を守る。その秘密から。その特殊性から。その過去から。
 その、悲しみから。
 拭い去るなら、涙まで。
 白い肌を侵す恐ろしい傷跡に、頬を寄せる。その時、彼女の瞳は凍る。完治はしている。だが傷跡は永遠に残る。傷も、何もない肌も、丁寧に手で触れていく。分け隔てはない。それが彼女なら、全ては愛する対象でしかない。
 きれいごとだと人は言えばいい。
 決意を知らぬ者は、軽く見ればいい。
 傷が、紅潮している。根本に大きく植わる、諸悪の根源のように、紅黒く。彼女の手が、それを覆い隠した。昂ぶっている時にのみ、蠢くその部分を。何年経っても、その様相には慣れない。たとえ自分の体の一部でも。消え去らぬ悪夢を思い起こさせる。抱き合うこの瞬間に。
 無理して手をどかしたりはしなかった。代わりに、きつく目を閉じた彼女の背を、ゆっくりとさすった。


 そうして陽が昇ると、全ては隠されて、一日が始まる。

2006年07月28日(金)



 その日、世界を見下ろして

 先日、自室の机の引き出しを整理していたら懐かしいものを発見した。
 「これ……」
 日に当たらないように、引き出しの奥深くにしまいこんでいたから、封筒は白いままだった。中には、やはりあまり経年変化が見られない便箋が一枚。丁寧に折りたたんで、わざわざ蝋で封がされている。形だけ見ると、完璧な大人の手紙以外何物でもない。が、裏返して見ると。
 自然、笑みがこぼれる。
 「私の名前、ひらがなだ……」
 9つの子供にしては達筆だけど、全てひらがな。宮本静久、は画数も多いし、特に静の字が複雑。友達からもらう手紙の宛名が、全て漢字になったのはいくつの頃だったか。封筒には、みやもとしずくさまへ、と黒インクで書かれていた。エンピツにしなかったのは、格好にこだわったからだろう。形にこだわるところは、今も昔も変わらない。
 「あまちひつぎより、か」
 今から8年前。


 朝目覚めたら、枕元にこの手紙が置かれていた。その日も、いつもみたいに天地邸に泊まっていたから、静久が起きる前にこっそり置いたに違いない。宛名を見て静久はワクワクした。こんな手のこんだ手紙だから、中身はきっと楽しいことだ。手紙を読んで、顔を洗って、早速当の本人を探し回る。手紙をいつ頃置いて行ったかわからないけど、急げばまだ屋敷内にいると思ったからだ。
 ところが。市原さんに聞いても、朝から一度も姿を見かけないと言う。もちろん自室にはいない。手紙の指定の場所に、すでに向かっているのだろう。一応行き先を告げて屋敷を出たら、後ろからどうかお嬢様を連れ帰ってください、とお願いが飛んできた。
 おかげで、朝から晩まである場所を目指して登山するはめになった。その頃はまだ子供だったから、その山は散歩感覚で気軽に登れるようなものじゃなくて。何度か休憩しながら、てっぺんについた頃には夕方になっていた。
 地平線の向こうに、真っ赤な太陽が沈んでいくのが見えた。
 「ひつぎさーん!」
 時間はかかったけど、ここが約束の場所。夕方までに、来てほしい。ただそれだけが書かれていた。ギリギリ間に合ったのか、遅かったのか。息を切らしつつ、ひつぎの名を呼んだ。見渡す限りには、人影は見えない。入れ違いで山を下りてしまったのかもしれない。静久は息を吐いた。折角の、ひつぎの誘いにうまく乗れなくて、悔しい。今日の太陽は、とびきり赤く大きい。目に染みて、オレンジの涙がこぼれそうになった。
 「静久っ!」
 「えっ」
 山の頂上の……一番大きな木の上で。
 「こっちだよ」
 太くて大きな幹が、空に向かって伸びていた。限りなく木の頭に近い場所で、誰かが手を振っている。その辺りの土地で、多分一番天に近い場所で。静久はすぐさま幹に飛びついた。そんな大きな木に登ったことはなかったけど、先日崖だって上れたから。その先にあの人が待っているなら、どこだって行けると思った。今も、それは変わらない。
 「ちょうどピッタリだよ」
 ひつぎの座っている枝にようやく手が届いて、腕を引っ張り上げてくれた。上半身だけ枝にたどり着く。
 枝の上でひつぎは真っ直ぐ前を指さした。
 「ちょうど?」
 一面が、夕焼けのオレンジ色に覆われていた。
 雲が空を薄く張っていて、裂け目から徐々に陽の光があふれてくる。次第に広がって、雲を破り、空は太陽に染まる。
 ひつぎは天に近い場所で、太陽の色に包まれていた。
 「すごい……」
 静久のつぶやきが聞こえたのか、振り返ったひつぎは満面の笑み。その後、慌てて山を下りた。すぐに訪れる薄宵闇の中、手を引かれながら。


 あれは、出会って最初の誕生日だった。
 その日見た景色と、その景色を見ていたひつぎの姿は今でも忘れられない。
 「ひつぎさんの見てたものは」
 目に映るのは、一面の空だったろうけど、その先には。同じものを見たいと思った。同じものを見ていれば、近づけると思った。
 静久は丁寧に手紙を畳んで、再び引き出しの奥にしまう。
 彼女の見ているものは、そんなちっぽけなものじゃないんだろう。
 家に着いた時にはすっかり暗くなっていて、案の定二人そろって叱られた。お説教の間に、ちらっと静久を見ていたずらっぽく笑う瞳があった。

2006年07月26日(水)
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