池ポエム
ハンス



 甘い生活

 教室の一番後ろ、窓際の席で。
 窓の外からは、運動に励む生徒たちの姿がちらほら見受けられる。特にこれといった感慨もなく、爪の手入れをする合間にそちらに目をやっては、また手元に戻る。さっきから紅愛の視線はその繰り返し。
 「うちの学校って、ホント一般生まで筋肉バカが多いわよね」
 心底呆れた口調で、ポツリと感想がこぼれた。確かに、窓の外では一般生の部活動というやつが行われている。なぜなら、今は放課後だから。剣待生はそうでなくても普通の高校生より運動量の多い学生生活を送っているから、放課後に運動部に属するような物好きはそういなかった。
 ボールが宙を舞って、無心に追いかけるジャージの女子生徒たち。夕暮れの教室で、同じく学生であるはずの紅愛の瞳は冷めていた。窓の外と、手元と。正面に座っていながら、紅愛の視線からは外れているみのり。机の上に腕を乗せて、何するでもなくニコニコとしている。紅愛がまったくこちらを見ないことも気にしてる様子はなかった。
 これがいつもの二人。それは本人たちが何よりよくわかっているし、周囲の人々だって。
 「あ、星河さん」
 教室の隅にいる紅愛の姿を発見して、一人の生徒が廊下から声をかけた。彼女は刀を差していない。一般生と剣待生は日常では同じ教室にいる。同じ授業を受けている、一応は。だから交流だってそれなりにある。どうしても寮が別だから、絆の深さに差はあるけれど。
 白服を与えられて、剣待生の中でも特別な存在である紅愛に気軽に声をかける者は割に多い。同じ白服連中と比べても、気軽に声をかけられる方なのではないだろうか。理由は、概ね紅愛の醸している雰囲気にある。と、いうか他の面々がストイック過ぎるのだ。特に神のつく人とか。
 剣待生だからって。生徒会のメンバーだからって。何がどうということはない、それらしい顔をする方が恥ずかしいしバカげている。
 そんな風に思っているのが態度に出るのか、廊下の彼女も気軽に窓から声をかけたのだ。
 「これからみんなでカ……」
 「ちょっと」
 一緒にいかない?と当然続くはずだった言葉は、隣のもう一人が袖を引くことで中断された。
 「今、星河さん、誰といるの?」
 廊下から教室の一番奥までは少し距離があって、紅愛の正面に座る人物が誰なのか、パッと見ではわかりにくい。袖を引いた方の生徒は、単純にその色でピンときたらしい。
 「白服……刃友の子じゃないかな」
 たった六名しかいない白い制服を着た剣待生。紅愛の刃友が誰であるか、星奪りに疎い一般生でもわかっている。それを聞いて、一人は半ば強引に腕を引かれて足早に通り過ぎて行った。
 「刃友の子といる時は、絶対来ないって」
 「何それ。邪魔しちゃダメってこと?」
 放課後の教室の片隅で、紅愛とみのりは作戦会議をしている。少し事情を知る者なら、そこに割り込んだりは決してしない。
 といっても、一見有意義な会話は交わされていないように思えた。
 紅愛の注意は周囲の様々に及んでいるし、みのりは逆に何にも気を配っていないように見える。どちらも黙っているタチではないから、何かと会話をしてはいる。が、その中に作戦めいたものはおろか、星奪りの話題すら出てこない。
 みのりの注意は、さっきから目の前でキラキラと輝いて見える紅愛の指先に集中していた。
 荒っぽい剣待生の行動に相応しくない、整った爪を紅愛は維持している。みのりの知る限り、紅愛という人は一事が万事面倒を嫌がる。汗を流すくらいなら知恵を回す。合理的。普段そんな言葉は使わないが、一応みのりの辞書には載っている。みのりも嫌いではない。無駄がないことの、何が悪いのか。
 紅愛は爪をきれいにすることには、面倒も無駄も厭わない。その点も、何だかみのりには好ましい。みのりがお菓子を好きなように、紅愛にも意味を超えて好きなものがある。普段、迷ったり泣き言を言ったりせずにサクサクと生きてる紅愛が、言わずにいる何かのように思えた。
 だからちょっとぐらい舐めたくなっても、悪いのは誰でもない、はず。
 「キャッ!」
 突然ペロッという音ともに指先が湿っぽくなって、素で驚いたらしい。いつもより高い声を上げて、その後目を丸くしてみのりを見た。
 「あまくない……」
 「……当たり前でしょ」
 宝石みたいなドロップみたいに、綺麗な色を放っているのに。それは甘みとは到底かけ離れた、口にするには気が進まない苦み。
 「紅愛みたいだね〜」
 「どういう意味よ」
 口調はどこか拗ねたようで、言いながらみのりの言いたいニュアンスはとっくに伝わっているようだった。それでも特に苦情が出ないのは、言われた方も自覚しているからなのか。
 「甘いと一緒に星奪れないから、紅愛は甘くなくっていいよ」
 「ごめん、全然意味わかんないんだけど」
 みのりの頭の中では、お菓子イコール甘いもの。甘くないお菓子(塩せんべい等)はハナから除外されている。食べたい物、甘い物、お菓子。この三段飛びが成立していた。
 だからもし、紅愛が甘かったりしたら。
 この教室には、今は二人しかいない。どちらかの所属クラスなのかというと、実はそうでもなかったりする。まったく関係ない教室に入って席を占拠。いや、まったく関係なくはない。
 「お前ら、自分のクラスに帰れよ」
 神のつく白服の一人が、二人の前にずうんと立ち塞がった。
 「あら、お邪魔してま〜す」
 「するなっ!なんっでいつもいつも人の席で作戦会議やるんだっ、よそでやれよそで!」
 そもそも暗躍を特技とするペアが、ライバルの席で堂々と毎度作戦会議するってどうなのか。意味不明な生徒会仲間の行動に、玲は頭を抱えている。
 「はいはい、もう放課後なんだから自分のクラスじゃなくって寮に帰るわよ」
 「ばいば〜い」
 能天気なみのりの声を聞くと、玲は頭痛が三倍増しになる気がした。


 夕焼けに照らされて、影が地面に長く長く伸びていた。寮への帰り道は、戦いと生活の合間の、どちらでもない静かな時間。
 「みのり」
 「んぁい?」
 紅愛の視線は、どこでもないものを見ていた。
 「そろそろ、変え時だと思う?」
 問いかけは承諾の許可。いつもと同じ調子で、ただ元気よく答えればいい。
 「紅愛がそー思うんなら、そーなんじゃない?」
 難しいことなんかどうでもいい。ただアナタが言うなら、それが二人の意思になる。どちらに転んでも、後悔なんてするはずがない。少なくとも、みのりは。
 それ以上の紅愛の気持ちは、今はまだわからないまま。

2006年03月17日(金)



 同じ部屋の人は

 最近、ルームメイトの帰宅が遅い。朝も、随分早くに出て行くようだが、教室で姿を見ることは日に日に少なくっている。帰って来る時の様子も、制服を着ていることはほとんどなく、トレーニングでもしてきたかのように息を切らして汗をかいている。
 おかしい。
 今、必死に机にかじりついてノートを写しているピンク頭の様子を、桃香はさりげなく窺った。真面目に机に向かっているところなんかほとんど見たことがないから、貴重といえば貴重な場面。頭を動かしすぎるらしく、てっぺんの髪の毛が頼りなくゆらゆら揺れている。
 (ノート写すのに頭動かす必要はないじゃろ)
 しかしあまりに頑張っているはやてにそう言うのも冷たい気がして、言わないでおく。星奪りではあっという間にランクを昇りつめているはやても、勉強に関しては集中力がないらしく、何だかんだとノートを写すのを後回しにしてきた。そのツケが回って、今夜はマジやばいらしい。さっきそう叫んでいた。
 「う゛あ〜」
 ついに鉛筆が手から離れる。
 「どうした、黒鉄」
 「もかちゃんもうダメ、だずげで……」
 机の上には今日渡したばかりの英語のノートが開かれている。はやては受け取った時失礼にも「もかちゃんのノートきれい、いがい〜」とかぬかすから思わずグーで殴ってしまった。
 「アホウ。元はと言えば最近アンタが授業出とらんからいけんのじゃろ」
 「だって、だって」
 先生方も、剣待生のことは一般生とは別物として見ているらしく、学生らしからぬアクシデントのために授業に出られなかったり出なかったりする個性的な行動を容認する傾向にあった。変な学校だ。
 「だいたい、前から聞いてみたかったんじゃけど」
 机の上で屍っていたはやてが、顔を起こす。桃香の次の言葉を予測したのか、いつもバカ全開な笑顔が少し引き締まった。
 「なんで特訓しとること、秘密なん?」
 そこは生徒たちの人目につきにくい、寮と学校の間に位置する中庭。桃香が目撃したのは、縄に絡まって宙吊りにされているはやての姿だった。はやての刃友殿との新しいプレイなのかと周囲を見回したが、正真正銘、そこにいたのははやて一人。
 「アンタが無道サンに秘密にするなんて、珍しいな」
 「それは」
 縄から下ろすのにも一苦労。何しろ、どうしたらこうなるのか理解不可能なぐらい複雑に絡まり合って、知恵の輪を解くように難しい。桃香は知恵の輪やらルービックキューブやら、仕掛けを考えて全体を調和させる玩具は苦手だ。その縄地獄を解く最中も、真剣持ってきてぶっち切ったらぁ!!と頭に血が昇って大変だった。
 「無道サン呼んでこよか」
 もうこうなったら、誰か縄を解くのがうまい人に救援を頼むしかない。夕日が二人を赤く染める頃、ぶら下がったままのはやてが半泣きになり、いらだった桃香も泣きたくなり。天地の虎に噛み切ってもらうでもしなきゃムリだ、と桃香が提案したのを遮ったのははやての声。
 肌寒くなり始めた空気に、はやての声は強く響いた。
 「体、傷だらけじゃろ」
 はやての小さい体は、縄の跡が赤く残って痛々しい。どれほど前から、ずっとあそこで一人で特訓していたのか、想像がつく。
 「いやだなぁ、もかちゃん。じゅんじゅんみたいに獣の目であたしを見ないで」
 どこかのルームメイトじゃあるまいし。イヤでも同室なら、着替えやらなんやらで視界に入る。特訓を桃香にも黙っていたはやては、うかつだった。さすがかなり早い段階で替え玉入学がバレただけのことはある。基本的に隠し事は不得手なのだ。
 「冗談言うてる場合か」
 「……だ、だって」
 てっぺんの長い毛がしなっと元気なく崩れる。
 「あやなにナイショでやるって決めたんだもん、あたしはあやなの刃友だから」
 「刃友やったら、一緒に特訓したらええじゃろ」
 「ダメだよ」
 元々星奪りは天と地の連携が大事なのだから、二人で一つの形を研究することも勝つには不可欠の訓練である。桃香とその刃友も、近頃はそのことを顔突き合わせては考えている。個人競技ではなく二人一組である意味を、桃香はついこの間思い知った。協力すること。一人じゃないこと。
 不自由なんかではなく、それが勇気を生むということを。
 「あやなは強いから」
 「そりゃあの人は……」
 学年が違う、キャリアが違う、と言いかけて桃香は口を噤んだ。
 「あたしね」
 『負けるのは、イヤじゃなかったんだよ』
 今より少し昔の話。
 はやてに双子の姉がいることは、当初から聞かされていた。その子は、はやてより強くて、はやてとは全然違う剣を遣って、誰にも負けなかったらしい。いつも敵わないその剣を一番近くてずっと見ていても、はやては悔しくなかった。
 「なんでかなあ」
 星奪りに参加するまでは、負けると悔しいって知らなかった。
 「もかちゃん、なんでだと思う?」
 「ん〜、なんとなくわかるわ」
 「わかるの!?」
 桃香の脳裏に、はやての二つ上の刃友の顔が浮かんだ。その隣に、長い髪を二つに縛った少々顔色の悪い自分の刃友の姿を並べる。
 はやてが桃香に飛びついてきた。もう完全に復活したらしい。
 「まぁ、な。ウチも刃友持ちのハシクレじゃ」
 しがみつくはやての瞳がキラキラと見上げてくる。
 「とりあえず離れんかい」
 「えー、なんでなんで!?もかちゃんあたしのこと愛してないの?」
 「誰が愛じゃ、誰が!!」
 ひとしきりくっついてくるはやてを引き剥がす。べちっと音がした。
 「相方の前でカッコつけたい思うんは、自然な気持ちじゃろ」
 「カッコー?」
 相手が素敵な人であればあるほど。桃香は腕を組んで、はやての前に座り込んだ。
 「ウチかてわんこの前やと、気合い入るしな」
 「気合い……」
 はやての視線が何だか顔のセンターに集まっている。格好をつけようとしているわりに結末がいつも鼻血なのはなぜなのだ。そう言いたいのだろう。そんなこと桃香自身にもわからない。
 「ま、まぁ理想と現実ってやっちゃ」
 一人で戦っているよりも、心強いのと同時に、相手が自分をどう思うのか気に掛かる。はやてが悔しいという気持ちを覚えたのも、二人になったから。
 「アンタの場合、相当無道サンに入れ込んどるからな〜」
 何も考えてないように見えて、刃友のことを気にしているはやて。桃香はそのピンク色の頭を乱暴にガシガシ撫ぜ回した。
 「うちのヨメは世界一だからねっ」
 「ふっ、甘いな黒鉄。わんこだって負けとらんぞー」
 嫁トーク。はやての刃友自慢に対抗して、桃香も必殺嫁自慢返しをすることを最近覚えた。はやてが楔束してから少し遅れて刃友を得たから、自慢トークができるようになったのも少し後。遅れを取り戻すかのように、相方のことをしゃべり出すと止まらなくなる。
 こんなこと、当人には言えない。いないからこその、嫁トーク。
 この前の星奪りの時にわんこが、だのこの前昼休みにわんこと、だの。上機嫌に話す桃香を見ているうち、はやてはふわりと自然に微笑んでいた。
 「もかちゃん」
 「なんじゃ?」
 刃友と一緒に強くなる。鼻血を流しながら、この間桃香が言った言葉。
 「あたし、強くなるよ」
 綾那の隣に立つために。
 「今はちょっと言えないけど」
 そのうちに絶対言うから、とはやてはきっぱりと言い切った。その眼は清々しかった。
 「なんや、今日の黒鉄は健気じゃのぅ」
 小さい体に様々な思いを乗せて。桃香は体ごと、はやてを包んだ。ぐぇ、と蛙が潰れたような声がした。
 「もかちゃんくるしいよ〜、もっとソフトに抱いて〜」
 「誤解されるような言い方しぃなや。ウチは頑張っとるアンタに感動して……」
 カシャッ。
 二人に向かって光が浴びせられる。向き直った先には携帯を構えた順が。
 「スックープッ!ルームメイトたちの禁断の愛!!」
 最近の携帯はきれいに撮れるよね、とか言いながら順はさらに2、3枚連写する。ドアが開く音すら気づかなかった。さすが、Bクラスの実力者というべきか。
 「いやぁ、実家からみかんが大量が届いたからお裾分けに来たんだけど」
 微妙な含みのある眼差しが、二人を捉えている。多分、今あの視点に立ったら何か危険なフィルターがかかっているに違いない。
 「まさかはやてちゃんと桃っちがこんなことになってるとはね〜」
 「いや、こんなことっちゅーかどうもなってませんて」
 確かに、扉を開けたら抱き合う二人の生徒がいたら、多少は誤解を招くかもしれない。が、あくまで女子ばかりの寮で、同室の者が。桃色脳髄を持つこの人以外は、そんな風には思うまい。
 「綾那に見せたら何て言うかなー。嫉妬のあまり愛人に決闘を挑むかもね」
 「……この場合、愛人てウチですか?」
 「そうだよ、桃っち。キミは天空の決闘場でバラの花を胸につけて……」
 「おぉぉぉう!ヨメ奪り合戦リターンズだねっ!!」
 なぜかはやてまで興奮し出して、『二人とも、あたしのために争わないで』とか言い出す。
 「というわけで、勝ったほうがバラの花嫁を好きにできる権利を」
 「いや、どこまで続くんですか、このネタ」
 その夜は、順が持ってきた大量のミカンを摂取しながら、綾那に聞かれたら殴られそうなネタで遅くまで盛り上がったのだった。

2006年03月04日(土)
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