池ポエム
ハンス



 am 00:05


彼女の悲しみは彼女だけのものだけど 彼女のすべては私のものだ


 日付が今日から明日に変わった。廊下を進むと、突き当たりの部屋から人の気配がする。人の気配がするのは当然。そこはこの屋敷の主の部屋なのだから。
 そうではなくて、中で起きている気配がする。
 あれほど、明日に備えて早く休むと言っていたのに。いや、もう今日か。そう、今日なのだから。天地の頂点を決める、仕合い当日。いつの間にか迎えていた大事な日に、静久はそっと廊下を進んで、その部屋の前に立った。
 「ひつぎさん?」
 起きているかどうかなんて扉一枚隔ててわかるとは、あまり人に言ったことはないけれど。大抵のことは気配でわかる。もっとも彼女のことならば特別で。
 たった一度だけコツリと拳で戸を叩いた。どうぞ、と小さく返事がした。
 「まだ起きてらしたんですか」
 窓。主の部屋は、屋敷で一番見晴らしのよい場所にあった。薄暗い夜の庭園が窓から一望できる。彼女は夜の風景を背後にして立っていた。見下ろすでもなく、見上げるでもなく。静久が目をやると、今日は星がいくつか瞬いている。曇り空。
 「アナタもね、静久」
 「あ」
 言われてみればその通り。どちらも早く休むと口では言いながら、ここでこうして顔を突き合わせている。市原さんは気合を入れて夕食にカツを作ってくれた。受験生みたいなゲン担ぎに、それでも二人を心配してくれているのだと思うと、嬉しかった。
 挑戦してくる剣待生と仕合うのはそれほど特別なことではない。星奪り制度も年を重ねて、何組かの挑戦者も現れた。幸い、いや不幸にしてと言うべきか。まだ頂点の星は二人の下にある。学園外の人間から見ると、奇妙で危険なことをしているように見えるのだろう。
 昼間に鐘を撞いている時に、玲に言った言葉は本当だ。仕合いにおいても、普段の星奪りの運営においても、不安に思ったことはない。時々困惑したりペースを乱されたりすることはあるけど、何があっても変わらないのだという確信が静久の中にはあった。
 たった一人の、かけがえのない人の傍にいるから。

何も変わらないの 何も変わらない明日を貴女のために

 彼女は黙って窓の外を見ている。その背からは不安は微塵も感じられない。あるはずもない。静久が傍で感じている揺るぎない気持ちは、また彼女もそうであるという自負がある。それが刃友。
 もう休みなさいとも言われなかったから、そのまま部屋の中へ踏み入れる。何を思うのか、言わずとも伝わる。なのに、今だけはわからない。仕合いの前の彼女からは、通じている箇所がどこか混線しているようで、背を眺めても心は映らない。
 たったそれだけのことが、静久の胸を掻きたてた。
 窓の外には変わらぬ風景。
 彼女の肩越しに見ても、変わらない。
 「どうしたの」
 こちらも変わらぬ調子で、突然肩から背にかけて感じた重みに特に驚きもせずに、澄んだ声で応えた。腕を回して抱きしめた体は温かい。生きている温度。静久の片手を彼女の指が包んだ。
 「静久」
 暗い部屋に囁くように自分の名前が溶けていく。大きな声だけじゃない、別段彼女にもボリューム調節はできる。
 「楽しみだわ」
 「はい」
 それは、二人の揃いの気持ち。なのに、もっと他の何かが掴まえられない気がして、彼女を抱きしめる手に力がこもってしまう。ただ温かい体がそこにあるだけ。
 「……生きてる気がするって、こんな気分かしらね」
 心臓が熱くなった。同じような熱が彼女の内にも芽生えている。
 少しだけ強引に、彼女の体をこちらに向けて。窓際でこんなことをしても、向こうには空がただ広がるだけ。だれも見てやしない。学園ではないのだから。ここは。
 抵抗されなかったことが意外だった。


 急に後ろから抱きしめてきたかと思ったら、口づけしてきて。
 真面目なのに暴走するとおもしろい刃友の今夜の行動に、ひつぎは内心首をひねりっぱなしだった。更に傑作なのが、その後のことで。
 突然、力強く体を離される。さすがにポーカーフェイスと言われるひつぎの顔にも、何らかの表情が出ていたのだろう。が、それ以上に目の前の刃友の顔が雄弁過ぎて、自分が今どんな顔をしているかなんて吹っ飛んでしまった。
 ついでに、吹き出した。
 「わ、笑わないでください」
 至近距離で笑い出されて、ますます恥ずかしくなったのか次第に闇でもわかるほど刃友の顔が染まっていく。こういう時どんな状態がスタンダードなのか、ひつぎにはいまいちわからないが、多分二人の取るべき態度は逆なのではないかな、と思う。
 「す、すみません、ひつぎさん」
 どうどうどう、といなしてあげたいぐらいに刃友は肩で息をして呼吸を整えている。大切な日の前に、こんなに興奮して大丈夫なのだろうか。エネルギーが有り余っているのなら頼もしい限り。
 落ち着くと、刃友は俯き加減の目線を少し上げて、ひつぎにすまなさそうに言った。
 「明日に差し障るので今日は……」
 ひつぎがあまりに盛大に爆笑したせいで、夜だから静かにしてくださいと市原さんに叱られてしまった。
 特別でないことの意味を、最も体言しているのは他ならぬ彼女。
 変わらない昨日。
 変わらない今日。
 変わらない明日。
 不変を目指すことはできないけれど、共に歩む者がいるならそれは恐るるに足らない。

2006年02月25日(土)



 This is a love song.

 選択肢が5つ。どれを選んだらベストエンドへたどり着けるのか。しばらくの思案。昨日、後ろで見ていた順がいともあっさり「それそれ」と言ったのを選んだら見事正解だったのが癪に障る。こういうゲームをしないくせに、なぜか順の選ぶ答えは大抵正しい。こればっかりは本能だろうか。
 ギャルゲーの才能。順の肩を叩いて、真摯な表情で綾那は言った。
 「アンタには、才能がある」
 なぜか微妙に嫌そうな顔をされた。一応、珍しく褒めたつもりだったのに。
 長思案に陥った時は、大抵もう正しい答えなんかわかりっこない。今は的確な助言をしてくれる順もいないから、綾那はあてずっぽうで2番目を選ぶ。一番下の選択肢がチラッと目に入ったが、まだ中学生の身の上としては、人目のある明るいうちはリスクが大きい。
 「いや、でもな」
 どうせどれを選んでも正しい気がしないのなら、いっそ。これは勘だが、順はすぐに戻っては来ない気がする。十字キーを3回下に押して、ソレにカーソルを当てた。
 コンコン。
 危うく指が滑って決定しそうになる。
 「順?」
 自分の部屋に入るのに、今更ノックなんてしない。ドアの外には、誰か別の訪問者がいる。綾那はコントローラーを置いて、ドアの向こうに視線を移した。
 「どうぞ。誰か知らないけど」
 一見妙な言い回しだが、寮内をウロウロしている人間なんて剣待生以外にいないし、もっと言えば綾那のとこにわざわざ訪ねて来る酔狂な人なんて、さらに限られる。綾那は天地の怒れる虎という二つ名が物語っているし、ルームメイトは顔が広い割には、あまり部屋に人を呼ばない。訪問者は少ない部屋なのだった。
 「綾那?」
 酔狂といえば、八割方エロで構成されている女の刃友を務めるという、これ以上ない酔狂な人。スッとドアが開いて、夕歩がそこに立っていた。もちろん、刃友を訪ねて来たらしい。綾那はコントローラーを置いた。
 「まだ戻ってないわよ」
 あのバカ、と付け加えると、夕歩は少し笑った。手には数冊の雑誌やら本やら。
 「順に渡しといて」
 受け取る方も受け渡す方も、無言で一番上になった本の表紙を見つめてしまった。表紙にいる水着の女性と目が合う。どこの誰だか知らないが、別段嬉しくはない。夕歩は困り顔で、でも口元は少し微笑んでいる。
 「罰ゲームのつもりだったんだけど」
 綾那相手なら意味ないね、と呟く。バカの恥ずかしい忘れ物を敢えて剥きだしで持ち歩いて、目の前で剥きだしで手渡すという高度なプレイ。さすが、エロい幼なじみを持って早十五年。負けてない。
 「多分、もうすぐ帰ってくると思うけど」
 隅によけてあった机を真ん中まで引っ張り出して、どうぞと座布団を勧めた。さりげなく、ゲーム画面は切った。順でもイヤだが、夕歩の前で微妙な選択肢を選んで突入するのはさすがに気が引ける。いかがわしい物はそのまま机のど真ん中に置かれた。まだプレイ続行中らしい。淫魔に対抗するにはこのくらいの度胸が必要だ。
 ゲームを切って向き直る。やっぱり間にはいかがわしい本を挟んだまま。何となく、その水着女性がさっきから視線をアピールしてくる雑誌をめくってみた。
 「こういうの買うテンションて想像つかないわ」
 中身は最初の数ページがカラー写真で、後は意外なことに全部文字。それにしてもところどころに淫な感じの単語が出てきて、やっぱり淫魔好みの内容らしかった。
 「順の本の買い方は、ちょっと変だよ」
 アレにはついていけない、と夕歩は淡々と話す。即断即決。適当にちらっと見て、よさそうだと思ったらポイっと買う。
 「どうりで、やけに多いと思ったら」
 綾那はよく順がいらない雑誌を括っているのを見かける。随分古紙回収に熱心な中学生だと思ったら、元手が豊富にありすぎるのだ。それで夕歩の部屋にまで持っていく。夕歩に止まらず、寮内には順の蔵書があっちこっちに出回っているらしい。寮は好奇心旺盛な年頃の少女たちの集まりだから、それなりに歓迎されているようで。
 「淫魔菌か……」
 早いとこ病原体を絶った方が後の世のため。今宵は釘バットが唸る夜の予感。
 上から三冊目の小説を手に取ったら、夕歩は眉をしかめた。
 「それ、すごくつまんないよ」
 「え?」
 更に聞くと、あまりにもノリで買い過ぎるせいで、時々とんでもなくダメダメな本を買ってくるのだと言う。どのくらいダメかというと、読ませた人全てが最初の一ページで投げ出すぐらい。
 「タガメとオクラの」
 「身分を越えた愛」
 身分ていうか種族が違う。
 もうアイツの愛は信じないようにしよう。二人の間に今、そんな意思疎通が行われた。
 「綾那は、ゲーム?」
 切ったまま、暗く沈黙した黒い箱。夕歩は見慣れた変な書物群からはとうに興味が移って、綾那の愛機を指さす。
 「あ、あぁ」
 カセット型じゃなくてよかった、とこういう時思う。ロムなら、中に完全に入ってしまっているから何のソフトやってるか見た目じゃわからない。ギャルゲーやってることを隠すつもりはないけど、おおっぴらにアピールするつもりもなかった。もっとも、夕歩は綾那の趣味なんてとうに承知だろうけど。それはそれ、思春期の心は複雑なのだ。
 そう思うと、夕歩の部屋に平気で変な本忘れていける順の神経は、少し不思議だった。それだけこの二人は、家族なのだ。家族。昨日の体育中の告白が脳裏を掠める。家族だという気持ちと、もっと別の気持ちと。同時に持ち得る奇妙な関係。
 「綾那からも言っといて。あんまり変なもの忘れていくなって」
 始めの頃は、同室の子に誤解されて、解くのに苦労したそうだ。もちろん、諸悪の根源にはきついお仕置きが執行された。
 「あの、ま、ま、増岡さんだっけ」
 「それはサザエさんのマスオさん役の人。あと少しお笑いも入ってる」
 生まれてこの方ツッコミ続けているせいか、的確で無駄のないツッコミ。増田。どうも覚えられないし、これだけ間違うのは神の意志のようなものを感じる綾那だった。
 「わかった。言っとく」
 淫魔でも覗きが趣味っぽくてもセクハラな手つきの持ち主でも。順は順。揺るぎない気持ち。穏やかな夕歩の中に、根を張るよりも確かな一つの礎。
 (ひるむことないんじゃないのか、アイツ)
 バトミントンをする気力を失うほど考え込まなくても、事態はもっときっと易しく進むはず。愛されているヤツは強い。
 「ただいま〜」
 愛され淫魔がご帰宅の合図を告げる。
 「おっ、なに二人して楽しそうにお話してんの。あたしも混ぜて」
 カバン置く間も惜しい様子で、そのまま夕歩の隣にぴったり座り込む。夕歩はそんな順の頭をぐいっと向こうに押した。
 「残念だったな。これは女子限定の集まりなんだ」
 「いやいや、あたしも女だってば」
 「……」
 「なんでそんな怪訝そうな目で見るのかな、姫」
 「言動が危ないヤツは却下」
 バシッと正面に夕歩の持ってきた高度なプレイ用品を投げつけてやった。プレイ続行中。
 「あーっ!コレ、どこいったかなーと思ってたんだよね。そっか、夕歩の部屋に忘れてきたんだ」
 プレイ、効果なし。まったく臆することなく、手に取ってソウソウソウと一人頷く。プレイを仕掛ける方も方なら、受けて立つ方も手強い。
 「ありがと、夕歩」
 「どういたしまして」
 声は限りなく冷たい。ついでに視線も冷たいが、順は満面の笑みで夕歩に礼を言っている。綾那は二人を見ていて、小さな変化に気づいた。順の向けられる笑顔を一身に受ける夕歩は、決して目を見ようとしない。夕歩の顔を覗き込む順から、わざと逸らすようにしている。
 綾那の位置からは、ほんのり赤くなった頬が見えた。
 (こっちも)
 愛されているのだから。まったく、本当に。人騒がせな相談に乗ってる身にもなってほしい。不器用な二人に、少しでも進展を。
 いちゃいちゃし始めた二人を前に、綾那は黙ってゲーム機に手を伸ばした。

2006年02月19日(日)
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