池ポエム
ハンス



 Is this a love song?

 風の強い日は体育館に限る。
 普段、鐘さえ鳴ればいかなる状況であろうと飛び出して行って戦う剣待生にしては軟弱なことを思いながら、綾那はジャージの首元をできるだけ上まで引き上げた。どうせ空気が冷たいのに変わりないなら、まだ風がない方がマシだ。
 羽根をひっぱたくバシンといういい音があちこちから響く。その音に混じって、いいよいいよー、とか今の反らした胸の角度がナイス、とか女子だらけの体育風景に似つかわしくない掛け声がした。
 綾那もまた、片手に握ったラケットを高々と掲げて、目標めがけて勢いよく振り下ろす。
 パシンではなくバコンといういい音、と順のうめき声。
 「ぃったぁ〜、痛いなぁもう」
 「マジメにやれ。コーチかお前は」
 先ほどから、体育館の壁際にしゃがみこんで、獣の視線で体育をする生徒たちを眺めている。体を動かすのが好きな順が、体育でやる気がないのは珍しい。
 「どうした?」
 羽根の代わりに叩かれて頭を抱える順は、しばらく涙目で抗議してきたが、しばらくするとまた元の体勢に戻ってしまった。
 「なに、綾那」
 「いや、お前が体育さぼるなんて、珍しいなって」
 綾那同様、ジャージの襟を精一杯立てて首元を防寒。ついでに下を引っ張って、体育座りした足を覆っている。もう立ち上がる気が全然ない、という意志が感じ取れた。
 「そっちこそ、綾那にマジメにやれって言われる日がくるとはね」
 「確かに」
 少し前までなら、授業をさぼってゲームする綾那の後ろには、授業に出ろと口うるさい順の姿があった。今ではそんな風景も少なくなって、言われてみれば少しだけ懐かしい。ほんの数ヶ月で、自分がどれだけ変わったのか今更思い知る。その全ては、チビでピンクでバカな、刃友のせい。
 数日前に、たった今真横にいる順と全力でぶつかり合ったのも、ちょっとした変化の一端。はやてがいなければそんな日が来るなんて思いも寄らなかった。
 「で?」
 あれから、順と綾那には取り立てて変わったところはない。医務室で聞いた順と夕歩の生い立ちの話も、その後話題に上ることはなかった。毎日の、同室での生活が再び始まっただけ。仕合いの内容についても、あれほどこだわった眼鏡のことも、特に話さないまま数日が過ぎた。
 順は近々、夕歩と検査のため学園を離れる。
 「今日の綾那はしつこいね」
 羽根が宙を舞っては、一定の軌道を描いてストンと落ちる。そんな様子が館内の至るところで繰り広げられている。テンポのいい動きを目で追う順の瞳は、いつもより幾分覇気がない。
 「たまにはいいだろ」
 おハコの世話焼きを奪ってやる、と綾那が順のつむじを見下ろしてニヤリと笑った。不敵な笑みを作れば学園五指に入りそうだ。なのに、どこか優しげに見えたりもする。
 「アンタがそんなんだと、こっちも調子出ないのよ」
 「あのさぁ、あたしは」
 話したくなさそうにしていたのに、急に順は核心を口にした。ゴム靴が床を擦って、キュッという音を立てた。足音がうるさくて、聞き取りづらい。バトミントンに熱中していて、今なら二人の話を聞いている者は他にいない。とても重要な告白が耳に入ってきた気がして、綾那はしばらく黙った。雑音が邪魔で、はっきりと聞こえたわけではないけど、聞き返すのは悪い気がした。言い終わった順は、膝に顔を埋めている。
 「今、あんまり聞こえなかったんだけど」
 「あ、ならちょうどいいや。忘れて」
 「いや、その、内容がわかる程度には聞こえた」
 「……」
 再び顔を突っ伏してくたばる順。やはり、聞き取れた内容で間違ってないらしい。
 「でもアンタは、それは」
 「あーー!!」
 突如順が立ち上がって、叫びながら明後日の方向に駆け出す。
 「ちょっと待て!!」
 綾那もまた、すぐ後ろから飛びついて、羽交い締めにする。
 「離して綾那、武士の情けじゃっ!」
 「お前は忍者だろ!」
 体育館の隅っこで、羽根が飛び交う中で追いかけっこする二人。微妙に端の方で練習している人たちの間に飛び込んでしまったりして迷惑だったりする。いくら自由練習とはいえ、大声で騒ぐ二人にいい加減体育教師も気づいたようで、「久我と無道、マジメにやれー」と注意が飛ぶ。
 やっと大人しくなった順に体を振りほどかれた。
 「ねぇ、どうしたらいいと思う」
 格好だけ練習してるフリをしようと、ラケットを持って向き直った顔は真っ赤だった。
 「そんなの」
 わかるはずない。そもそも、その手のことで順にわからなくて、綾那にわかるものか。これまでずっと、悔しいけれど敵わないと思ってきたのだから。
 「何でもわかるような顔してるのに」
 「そう見える?」
 一人、ラケットで羽根を上に打ち上げ始めた順は、しれっとした、何を考えているかわからないつもの顔に戻り出していた。打ち上がる羽根。器用に何十回でも、宙に舞い上がる。
 「ちょっと、一人でやるつもり?」
 「だって綾那は答えくれないから」
 打ち合いに参加させてもらえない綾那は手持ち無沙汰。
 「わかるわけないでしょ」
 気持ちの種類に、どんな違いがあるかなんて。ましてや、順と、たった一人の大事なお姫様のことなんて。今この瞬間ほど、順の口から真っ直ぐな言葉出たことは、これまではなかった。寝言を除いては。
 変わり始めているのか、この二人も。罪作りなはやてめ。
 幾度目かの羽根が落下するのに合わせて、綾那は走りこんでラケットで割り込んだ。パンッと羽根が向こうへ飛んでいく。
 「すぐに出さなくてもいいんじゃないか」
 向こうで練習していた罪もないクラスメイトの脳天に落下して、コラーという声が飛ぶ。
 「わからないけど、放っておけない気持ちってあるだろ」
 投げ返された羽根を片手で受け取る。
 「さすが、長年抱えてるだけあるわね」
 「……うるさい」
 ピピーと笛が鳴った。クラスメイトが向こうから、「試合やるってー」と二人を呼んだ。

2006年02月15日(水)



 歯は長〜いお友達

 全体的に薄ピンク色っぽい色調の待合室で、順は膝に手を当てて待ち構えている。
 いつ呼ばれるのか、時折受付に姿を見せる白衣の女性。看護系もいいよね、などと人に聞かれたら問題のある感想を一人で思い浮かべながら、しかしゆっくりと浸ってもいられない。彼女が現れるということは、患者を呼ぶということ。
 治療室のドアが開いて、じーっと涙を湛えた様子の子供が出てきた。大声で泣き出さない辺り、辛抱強い子だ。エライなぁ、と見事治療に耐えた小さな勇者の背中を見送る。自分もアレくらいの時、虫歯になったことがあった。生まれて始めて歯医者に行った、イコール生まれて始めて虫歯ができた。泣いたかどうかは覚えてないけど、とにかくあの時は……逃げた。全力で。

 子供の全力とはいえ、相手は久我の忍術の基礎を徹底的に叩き込んだ愛娘。久我の当主は、二度目のトラップを振り払いながら、少し余計なことまで教え過ぎたか、と己の教育方針を後悔していた。
 この廊下を通るのも三回目。広いといっても、個人の家。それなのに、これだけ長時間逃げ回れるのは忍者としてすでに一人前以上なのかもしれない。親の贔屓目を差し引いても見所があると思っていたが、今回のことがきっかけに確信に変わった。
 予想外に確信が持てたことはさておき、今は娘を捕獲しなくては。
 庭を臨む縁側には、さっきから夕歩がじっと座っている。隣家の親子のドタバタを、まるで動じることなく眺めている。この子もまた、大物だと思う。
 「どうしたの、順」
 目の前を何度も何度も通る親子に飽きてきたのか、夕歩は足をぶらぶらさせた。
 「夕歩、順はここを通ったか」
 夕歩は小さく頷いて、指を三本立てた。三回目。いつもなら夕歩が遊びに来れば、何かしていても放ってすぐに飛んでくるのに、今日はそういうわけにもいかないらしい。アレがあると、遊びには差し障る。そんなに痛くなるまで黙っている方が悪い。よくしゃべる子だが、意外に一人で抱えて隠していることがある。そんな気がした。
 親だからといって子の全てを知ることはできない。
 (だからって、虫歯は別だろう)
 イヤな予感がして、頭を右に傾ける。カカカカッと壁に木のくないが四本当たって床に落ちた。
 「どこだっ」
 飛んできた方向は行き止まり。見回しても誰もいない。仕掛けくないまで仕込むとは。もうこれは子供の逃走ではなくなってきた。

 父親の足音が徐々に遠ざかっていく。辺りをつけて探しているのに、決定的なところで順のいる方向とは逆を選んでいく辺り、勘はあまりよくないらしい。父に本気で探されたらひとたまりもない。まだいくらか手加減しているのか、朝だから鈍いのか。どちらにしても順には幸いだった。
 壁が一枚パラリとめくれて、下から順が姿を現す。壁と同じ色の布を使って隠れる、基本技だ。さっきは少し端がめくれたまま隠れてしまい、父が前を通った時には本気でドキドキした。いつもならもっとうまくやれるのに、右の奥歯が痛くて集中できない。虫歯は痛い痛いと人から聞いていたけど、これほどだとは思わなかった。生まれて初めての虫歯は、どんな稽古のケガより痛く思えた。
 しかも治すには大変な目に遭うらしい。テレビや友達からの情報では、恐ろしい音を立てた機械を口の中に当てて歯を削る。考えただけでも怖い。他に特に怖いもののない順も、さすがにこれは肝が潰れた。
 表に回って、庭に出る。このまま近所の公園にでも逃げてようか。それとも、夕歩のとこに匿ってもらおうか。と、思ったらその夕歩本人は順の家の縁側にゆっくりと腰掛けている。
 「なにしてるの」
 順より少し小さい、同い年の従姉妹。落ち着きがない、とよく大人に叱られる順とは違って、何があっても全然慌てることのない落ち着いた性格。夕歩が顔色を変えることといったら、一つしかない。
 そういえば夕歩は歯医者は平気なんだろうか。
 父がいないか慎重に気配を探りながら、庭を横断して夕歩の隣まで来た。
 「夕歩」
 「うん」
 まだ何も言っていないのに、夕歩は黙って口を指さした。並んで座る順に、口を開けろと言っているようだ。よく見たら虫歯じゃなかったというオチを期待して、順は大人しく口を開けた。
 「ふぉほー?」
 「う〜ん」
 一番奥の歯だから、覗き込んでもよく見えない。やがて中を見るのを諦めて、順の頬を指で突いた。中がダメなら外から。
 「いたっ!」
 外からの攻撃は予想以上に効いた。
 「あ、虫歯だ」
 診断結果、虫歯。夕歩は涙目の順を見て、そっと頭を撫ぜた。歯が痛いのは変わらない。けれど、触れられると不思議と心が落ち着いてきた。
 「歯医者行きなよ、順」
 「夕歩は行ったことあるの?」
 夕歩は小さい頃から、病院にはよく行っている。けれど、歯医者はないと言う。
 「だいじょうぶ」
 順の手を握って、一緒に行こうと言ってくれた。

 (結局父さんに捕まって、家中に仕掛けた罠を片付けさせられたんだっけ)
 天井から網が降ってくる仕掛けは、撤去する時本当に大変だった。紐やら何やら張って、複雑になった屋根裏を見た時は本気で父が頭を抱えたっけ。
 歯医者以前にその片付けだけの思い出が心に残る。
 可愛い受付女性が久我さーんと呼んだ。
 バレンタインに調子に乗って食べ過ぎたツケは、十数年ぶりの虫歯で払うことになった。

2006年02月07日(火)
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