池ポエム
ハンス



 保健室の用途を考える

 「静華さーん」
 玄はいつものように、斜め前に住む伊藤家に入り浸っている。今朝は10時からスタンバイ済みだ。週休二日も普及した土曜の午前中だというのに、伊藤家は玄の来訪を迷惑がる様子などまるでない。むしろ、朝ご飯を伊藤家父と一緒にご馳走になってしまった。伊藤家母が作る、どこかの喫茶店から分けてもらっているアイスコーヒーの原液で作ったカフェオレを飲んでいると、Tシャツに短パンの静華がぼーっと姿を現した。
 そして第一声。の、前に開けた戸をいったん閉めた。朝起きて来た娘の様子に何の関心も見せず、伊藤家父が新聞をめくる。スポーツ新聞を片手に野球ニュースを見ながら、今会社で賭けをしてるんだ、と玄に話しかけた。
 「で、静華さん?」
 渋々といった感じに、伊藤家長女がそっと部屋に入ってきた。
 「玄」
 「はいはい。おはよう、静華」
 「休みの日に人んちで何してるの」
 至極もっともな質問を繰り出す間にも、伊藤家母がさくらんぼを山盛りにして机に置いてくれる。
 「あぁ、百合姫買った?」
 「今起きてきたところなのに買ったも何も……」
 「そっかー。じゃあ後で本屋行こう」
 「わかった」
 テレビは、スポーツニュースの後の芸能コーナーを映している。
 「わかったじゃない」
 喉をカフェオレが通っていく。通りきってからの、時間差ツッコミ。
 「何か今普通に世間話しちゃったけど、何でここにいるのかって聞いてるの」
 「大丈夫大丈夫」
 何が大丈夫なのか知らないが、玄はさくらんぼの茎を並べている。
 「ちゃんと用事があって来たんだよ」
 結ばった茎は10本だった。伊藤家母は、うちさくらんぼ食べる人いないから後で持ってって円ちゃん、と台所から声をかけた。
 そして玄は、静華の部屋でフリップを掲げたのである。フリップというか、玄の家にあったいらない自由帳に黒マジックで書いただけの、紙一枚。午後になると日差しが激しくて、クーラーをつけないとやってられない静華の部屋。まだ涼しい午前の間なら、静華と玄も言語コミュニケーションだけでやり取りできるかもしれない。
 「保健室の、用途」
 声に出して読んでしまってから、静華は少し後悔した。そんなにはっきり発声するような内容じゃないのは、この時点で何となくわかる。明らかに警戒の色を見せる静華に、玄は頭をかきながら言った。
 「この前、保健室ってよく出てくるねーって話しててさ」
 いつもながらの唐突な出だし。何に出てくるのか、そもそも誰とそんな話をさも日常茶飯事みたいな調子で話していたのか、考えたくないのにツッコミどころが浮かぶ。さぁ打ってこい、みたいな打ち込み稽古なのかこれは。
 「保健室なんて、学園モノなら別に不自然じゃないし」
 「そう!昼寝したり昼寝したり昼寝したり」
 「それはアンタだけ」
 「まぁ、確かに昼寝だけじゃない。そこで、保健室ですることを考えてみようじゃないかってことになって」
 保健室ですること、と言われて改めて玄の手書きの字を見る。用途、と書いたのはそういうことだった。意味はわかってもくだらなさは一向に変わらないけど。
 「じゃあまずは静華さん」
 古今東西風味になっていたらしく、玄はさぁどうぞと手を差し出していた。
 「え、えっと、ケガの手当て」
 「そうそう。まずはそんなとこ」
 玄と静華、梅雨明け間近の七月。保健室をめぐる冒険が今、始まった。

2005年07月16日(土)



 始まる週末の前の金曜日

 舞い落ちる葉を払いのけて、上を見上げる。この葉の飛び散り方は、彼女が飛んでいるに違いない。山火事起こされたり、地形を変えられるよりは実害はない。しかしいかんせん、目にゴミが入りやすい高橋にとって、細かい枝や葉の欠片が空気中に舞うのは迷惑極まりない。
 何しろ、敵はどこかから確実に狙っているのだから。
 昨日の夕方。帰り際に、下駄箱で呼び止められた。相手は、普段はめったに話しかけてこない。話しかけてくる時は、決まってあの用だ。ろくなことじゃないから、ついつい顔に出ていたらしい。
 「そんなイヤそうな顔するなら、私がもらうよ」
 帰宅する生徒たちが脇を通り過ぎる。金曜の夕方、部活動がない生徒は来るべき週末に向けて足取りが軽い。
 「好きにしろよ」
 本心か嘘か、自分でもわからなくなる。目の前の相手は、一瞬ムッとした顔をして、またすぐに好奇心を湛えたいつもの表情に戻った。何がおもしろくていつもいつも微笑んでいるのか、高橋には皆目見当がつかない。
 「嘘だね。あんたは嘘が下手だ」
 この平和な金曜の夕方が永遠に続けばいい。週末、あの山に集まる変な高校生たちのやり取りなんか忘れてしまいたい。
 「陣内」
 二年空組の陣内。部活が同じ、ただそれだけの他に特別な接点はないはずの、同級生。二人がいつまでも睨み合っているのを、下駄箱に一番近い水組の居残り連中が珍しそうに見物していた。
 「お前が何て思ってようが、構わないけど」
 それも嘘かもしれない。そんなことも悟られているかもしれない。後ろからバタバタという賑やかな足音が近づいてきて、高橋と陣内のど真ん中に入ってきた。
 「よう。何してんの、二人で。今日は部活ないんだろ」
 「ないよ。でも誰かしら、残ってる奴はいるかもね」
 さすが副部長というべきか。部の状態は常に把握しているらしく、先程の妙な雰囲気はさらりとかき消して、陣内が答えた。真ん中で何も把握せずに堂々としている友人は、陣内にも気安く声をかける。
 「えー。お前ら変に緊迫してんだもん。居づらいよ」
 「先週は締め切り前だったからだって。今ならパックのジュースでも買って柴田が無駄話してるよ」
 部の状態はおろか、部員の行動まで想像がつくようだ。と、いっても柴田という部員は特に行動パターンが決まっているところがあるから、一番わかりやすいといえばわかりやすい。
 「でもまぁいいや。総一は帰んだろ?」
 急にこちらを向いて、手を振った。
 「あぁ」
 「なら本屋でも行こうぜ」
 言うなり、友人は古いスニーカーを引っ張り出して、さっさと表に出る。ちょうどいいきっかけだ。高橋も何も言わずに後に続いた。後ろは振り返らないでおいた。
 「行くんだろ。土曜と日曜」
 右手に宅地造成中の野原がやたらと広がる。数年後には、この学校も住宅地の真っ只中だろう。いかにも軽そうな鞄を肩にかけて、友人はさくさく歩く。
 「いや、俺は」
 「なぁんだよ。取られちまうぞ、従姉妹」
 話したとこはあっただろうか。高橋の中に、最近引っかかり続けている何か。なぜかいとも簡単に知られている。
 「女に好きな女奪られるって、変わったシチュエーションだよなー」
 「別にそういうわけじゃ」
 「だってそうじゃん。ゲームでも珍しいぜ、多分」
 友人の部屋に山積みのゲームソフト。あれを全部漁っても、あるはずはない。世界中のどこを探しても、参考になるものなんかない気がした。
 いつの間にか目を瞑っていた。葉音は止んで、背後に人がいる。高橋は諦めてため息を吐いた。

2005年07月08日(金)
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