池ポエム
ハンス



 翳り

 襖を開けると、背筋を伸ばして正座している男がいた。
 「何してんだ、あんた」
 暗闇の中、微動だにしない影に思わず声をかける。普段山南が書き物に使う部屋は、他の隊士たちの居所から少し離れた場所にある。先程隊士たちが寝ている大部屋を覗いた時は、山南がいないことに気づかなかった。
 今夜は月ひとつ出ていない。
 影が微かに動いた。
 「土方さんこそ、こんな時間にここへ何をしに」
 黒い塊から発せられた声を聞き、なぜか安堵する。少なくとも、生きている。
 「あんたこそ灯りもつけないで」
 書を読むにしても、暗すぎる。別段、山南の視力まで心配してやる義理はどこにもないが、なぜだかそんなことを考えた。
 「灯りは結構です。何も見ていませんから」
 じゃあ何してるんだ、と即座に口をついて出そうになる。これが明るい陽の下だったら躊躇することなくぶつけていたに違いない。
 つい黙ってしまったのは、いつもの薄い笑みが見えなかったからか。いや、真剣な表情だろうと、強張った顔だろうと、今は見ることができない。この目の前の影のようなものが何を思っているのか、わからない。
 「俺も眠れないよ」
 代わりに、絶対言わないようなことを言っていた。
 「山南さん」
 影は沈黙する。開け放たれている襖から、風が入る。月の出を望んでいた。雲に隠れた月が姿を現し、黒いものを照らしてくれたら。
 「貴方は強い」
 唐突に低い声で言う。
 「あんたも強ぇよ。それか、俺も強くねぇ」
 かすれた声しか出なかったのはなぜだろう。体を部屋の中に完全に押し入れて、後ろ手で襖を閉めた。影にそっと近づく。
 光が一粒もない部屋で、暗闇の中、二人で黙って座っている。
 連れ出して光に照らしてやりたいと思ったのに、今はこうしているのもいいと思った。その方が自分たちに似合う。どこかから、血が押し寄せてきてそれにすぐ触れられる場所。そういうところでなければいけないはずだ。
 山南の右手に触れた。震えている。
 これはどちらの気持ちだろうか。


2004年06月22日(火)



 夏の日

 よーし、三十分休憩。
 カチン、と鈍い木の音が鳴り、汗を拭きながら各々解散していく。三階特別活動室は窓を閉め切っていて、空気がこもっていた。
 全員が外に出てジュースを買いに行ったり、意味なく走り回ったりしているのを見届けて、秋月も外に出る。
 「水瀬ェ」
 窓の外をぼーっと見ていた水瀬を呼ぶ。先程預けたお手製のカチンコをぶら下げたまま、小走りで寄ってきて後に続く。
 「撮るよ」
 左手の薬指にかけた鍵をちらつかせた。


 カメラを向けると入道雲が、これでもかというほど白く空に浮かぶ。何度もカメラを構え、シャッターを押そうとして、下ろす。また構える。
 何度か繰り返しているうちに、水瀬が聞いてきた。
 「青空を撮るんじゃなかったんですか」
 屋上の真ん中で、空を向いて手を挙げたり、おーっと力なく叫んだり。誘ったはいいが、撮影をちっとも手伝う気がないらしい。カメラを水瀬に向けてみた。
 「撮るつもりだったんだけど。なんか、ねぇ」
 水瀬は両手でピースを作ってイエーイと言った。
 「もういっそのこと、お前撮ってポスターにしちゃうか」
 「いいっすねぇ。モデルがイイからいいのができますよ」
 腕をいっぱいに伸ばして、満面の笑みで振っている。カメラにはその姿がちょうどよく収まっていた。
 「バカ。モデルなんて関係ないんだよ」
 そもそも人間を入れた絵を作るつもりは最初からない。後輩もよくわかっているのか、冗談です、と返ってくる。
 水瀬は写真だと言ってるのに、ビデオカメラを向けられたみたいにジタバタしている。空の入道雲が背景になって、真っ白だ。白い夏服のカッターシャツが雲と同じ色をしていた。青はどこにもなかった。
 「最高の出来に決まってるだろ。私が撮るんだから」
 秋月は青空を諦めた。


2004年06月20日(日)
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