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■ 仮想記憶
記憶について。 新しいことを覚えたら、古いことは忘れていく。そういうものだ。自分の物覚えの悪さは自覚している。そう言ったら、伊織さんが何か思い出したらしい。 「そういえば祀、小学生の時に一週間連続で募金忘れてたよね」 伊織さんの記憶の方がどうなってるんだか。確かに、五年生の時、募金の金を持ってくる持ってくると言いながら、朝になるとすっかり忘れて、忘れに忘れて一週間経ってしまって、ついに募金しなかった。払いたくなかった訳じゃない。本気で忘れていた。なぜああも見事に毎日忘れられるのか、と当時も伊織さんは笑っていた気がする。 「募金は忘れたけどさ、忘れたことは今覚えてるんだよなぁ」 伊織さんは、そうね、と少し目を伏せた。 「大事なことはいつまでも覚えてるものじゃない?」 「その、私の募金忘れ事件が大事なの?」 「そうじゃないけど、インパクトがあって忘れられないことってあるでしょ」 大事なこと。どうでもいいことばっかり覚えてるような人もいるけど。例えば赤峰のノリピーとか。彼女は週末のロンドンの天気を覚えて、明日の集合場所を忘れるような人だ。 優先順位だけは当人にしかわからない。 「大事件が起こると、それまで自分が何考えてたか忘れちゃうよね」 今朝は、台所にゴキブリが出たって妹が騒ぐもんだから、英語の辞書をカバンに入れるのを忘れてしまった。ゴキブリはインパクトが大きい。そのことを言ったら、眉毛が下がり気味になった。 「祀の人生って楽しそう」 そうでもないよ。言いたかったけどやめた。大事件といえば、アレだ。アレしかないよね、伊織さん。私の周りで、何もかも忘れてしまうぐらいの事件といえば一つしかない。伊織さんが言いたかったことは正しい。 「伊織さん、私より私のこと覚えてそうだなぁ」 静かに笑って、麦茶に口をつける。 「ちゃんと覚えててね、色々と」 「祀のことをそんなに記憶したら、自分のことが覚えられないよ」 彼女なら二人分は軽いだろう。それでなくても、何十人分の、忘れてしまいそうな小さなことを感じ取る人だから。でも私のことは事実で覚えていてほしい。なんとなくでなく。 「伊織さんのことなら、私が覚える」 忘れっぽいのに、と笑って空のコップを置いた。
2004年06月13日(日)
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