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■ 残された者
坂を登りきると、小さな門があった。つる草が覆われた丈夫そうな石柱に、真新しい木の扉がついている。黒い蝶番には錆ひとつない。 几帳面な友人の性分を思って、自然と口が曲がる。 「ご苦労さまです、新家主殿」 左の柱の前に座る人物に声をかける。 「遅い」 赤い工具箱にはネジ回しなら金槌やらがしまわれている。たった今彼がこの門を完成させたのだ。 「時間通りだろ」 銀の懐中時計を首元から引っ張り出して、しゃがんでいる彼の眼前に垂らす。少しも変わらない蜜色の髪をした友人は時計を払いのける。 「時間のことじゃないよ」 「はて」 「お前、僕がここに来てから何ヶ月経ったと思ってるんだ」 「三ヶ月、ちょい?」 「正解」 長いローブを引きずり上げて、二人は肩を並べる。 「新しい仕事に就いたなら手伝いに行くって言ったのはそっちだろ」 確かに、友人の就職を祝う席でそんなことは言った。もちろん心もその通りのつもりだった。ただ、赴任地と気候が悪かった。 「まぁ、確かにオレが悪いんだけどさ、一応言い訳聞いてくれる?」 「あぁ」 修行時代と変わらないやりとりに、一瞬変な気分になる。目の前にはいつも困ったような怒ったような顔をしていた男の、少し成長した姿がある。 「北の山ってどういうことだよ」 「何が」 「遠いし、怪しいし、冬は雪で閉ざされてるし」 「そうらしいな」 「人間が来るとこじゃねーよ。住むとこではもっとない」 きれいに整備された庭を抜けて、小さいが整った小屋に着いた。冬の様子の恐ろしさを盾に言い訳しようにも、今の風景では説得力がなさすぎる。 「みんなそういうけどな。僕はずっと住んでたんだ。来てみれば大したことないよ」 「行く気がしねー」 「結局、来る気がないんじゃないか」 招き入れられた室内には暖炉があって、側には古い安楽椅子が揺れていた。 「ったくよ、どういうつもりだね」 安楽椅子に腰を下ろそうとして、すぐに思い留まる。指一本触れただけで不気味な軋み音が立つ。 「それ、座れないよ」 「今わかったよ」 ミルクも砂糖も入ってない紅茶を渡された。 「お前や俺や、他の同じ研究室の奴らでこんな辺鄙な場所に勤めてる奴なんていないぜ」 数年間過ごした、古い本の臭いに満ちた部屋を思い出す。 「お前は、どこにいるんだったっけ」 手紙も数回やりとりして。でも住所を暗記する程ではなかった。 「協会の資料部」 「へぇー、合ってない」 「うるせぇ。言われなくてもわかってる。どっちかってぇとああいうのはお前向きだよ。なんなら、代わろうか」 元々はそれを言いに来た。手伝いなんて、引っ越して三ヶ月も経てば何もないのはわかっている。なのにこんな秘境を訪ねたのは、戻したかったから。 「イヤだ。お前にここを任すなんて、とんでもない」 「でもなぁ、不便だし何かあったら誰も助けに来れない」 「こんなとこ、何も起きないよ」 「そんなはずはないだろ。北の魔女が残した呪いが……」 暖炉から炎の爆ぜる音がする。 安楽椅子がそっと揺れた。彼は綿のようにそこに乗っていた。 「留守を預かってるんだ」 北の魔女は呪いを解いた。今では教科書の一番新しい歴史の教科書に載っている、暗記事項。果たしてそれが本当か否かは、確認されていない。一人の青年が、後に協会の研究室に入り、呪いについての事細かな論文を提出した。 それだけが魔女の不在を示す証拠である。
2003年12月12日(金)
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