池ポエム
ハンス



 コールマイネーム

 気づいたら朝になっていた。
 ラムレスはカウンターにもたれかかって、どう見ても昨夜の続きのままの格好で起き上がった。
 「あれ」
 話し相手はとうにいない。代わりにあったのは、毛布。
 「昨日は……」
 少しずつ記憶をたどる。確か、金目の子供みたいな人から占い士について色々聞いていたはず。頭がはっきりしなくてそのまま毛布にくるまって座っていると、横から紺の装束を着た相棒が顔を出した。
 「風邪をひきますよ」
 トットニールは朝の五時だというのに、いつもと変わりなくすっきりしている。
 「これ、トットニール?」
 「マントで顔を覆った小柄な人に、呼ばれたんです」
 「その人、まだここにいる?」
 彼女は振り返って正面玄関を指した。
 「どなたなんですか」
 「占い士のこと、知ってるみたいでさ」
  ラムレスが素早く立ち上がって駆け出す。実に控えめな溜息が聞こえた。
 「あ、ごめんね。昨日戻れなくて」
 「私は、別にそのことを怒っているわけでは」
 「じゃあ何」
 顔を隠した怪しい人物と一晩話し込むなんて、無防備にも程がある。と、頭の中には思い浮かんだ。ただし、口には出さない。
 「いいえ。なんでもありません」
 「そう?」
 戸口で手招きをする方へ走っていくラムレスの背を見ながら、代わりに独り言を言うことにした。
 「貴方のとんでもなく広い交友関係にはもう慣れてるつもりです」

 それまでと変わって、今度は三人で野原を行く。
 「あー、あのさ」
 先頭はトットニールではなく、昨夜の金目。
 「貴方の名前、聞いてもいいかな。呼び名がないってのも、不便だし」
 街を出た時から、一度も地図らしきものを見ないで、それでいて迷いなく真っ直ぐにどこかを目指して突き進む。
 「お前さんたちの方こそ、名乗ってないだろう」
 呼ぶ機会はないだろうけどね、と付け加える。
 「そうだっけ。じゃあ私はラムレスで、彼女はトットニール」
 最後尾でトットニールが黙って頷く。
 空を見るように視線を宙に向けて、金目はやっと応えた。
「スティッテンだよ。ここ数十年使われてない、カビの生えた名でよけりゃ勝手に呼んどくれ」
 「使われてなくても、今作った名前でも、なんだって構わないよ」

 「師匠」
 午後二時の昼寝の時間に、そっと近づくことが許されているのは弟子だけだ。少年はなるべく慎重に、足音と呼吸を鎮めてゆらゆら揺れるソファの横に立った。
 「お手紙です、けど」
 「けど?」
 どんなに熟睡していても人が自分の部屋に踏み入れれば目が覚める。千年も寝ていると、眠ることに飽きてくるのか、起きるのが苦痛ではなくなった。時間になっても毎朝がらくたと本に囲まれて眠っていられる若い弟子の気持ちがわからない。
 「この宛名の人、ご存知ですか」
 左手だけ動かして手紙を掴む。薄汚れた古い封筒には、癖のある字で親愛なるスティと書かれていた。
 「スティって、女の人の名前ですよね。昔、ここにいた方ですか」
 現在、少年の知る限り、老魔女の他に誰も居住者はいない。老魔女が人間でないとするなら、人間は少年ただ一人である。
 「馬鹿」
 黙って手紙は少年の手に戻される。
 「やっぱり間違いですか。変だな、こんな山奥の住所と似たところ、あるはずないのに」
 「アホ」
 「え?」
 「お前は、今目の前にいる師匠の名前も知らんのか」

 形だけの名前だと言いながら、知っていてほしい時もあるもんだ。
 「スティッテン」
 昨夜知り合ったばかりの人間に呼ばれる度に、時々は一番最後に名前を呼んでくれた人間の顔を思い出す。

2003年11月01日(土)



 魔女の家の夜中の三人

 占い士の村では、長い間行方不明になっていた高名な男が帰って来たと、年に一度の祭りのような騒ぎになっていた。
 当時の村長はその男の父親で、高い能力を持ちながらも雲のように消えてしまった息子をとっくに諦めていたところだった。息子が戻って来たと知らせを受けて、急いで駆けつけた父親は思わず立ち尽くした。
 息子の特徴的な赤毛は見事な白色に変わっていたのだ。

 「オレには息子が二人できるんだ」
 「妻もいないうちからもう子供の話かい。気の早い奴だね」
 「馬鹿言いなさんな。これはこれから先の事実だよ」
 魔女の不思議な水は、この夜ばかりはなぜか効き目が薄かったらしい。気づいたら男の他愛無い話は自分の未来の話に移っていた。
 「お前さん、それを街頭に立ってやったらいい儲けになるよ。結婚できるかできないか、知りたい人間は大勢おるだろうに」
 占い士は自分の未来を知っているものだろうか。
 他人の未来を読む者が自分の未来を知らないはずがない。しかし老魔女は今まで考えてみたこともなかった。いつ結婚するのか、なんて他愛無い話ならまだしも、いつ死ぬのかまですでに知っているとしたら。
 占い士は魔法使いなんかよりよっぽど厳しい職業である。
 「で、その息子はアンタに似てろくでなしなのかい」
 「ひでぇな。オレに似て、かっこよくて優しい、百発百中の占い士なんだよ」
 「へぇ」
 「何それ薄いリアクション」
 多分、もう長いこと故郷などに戻ってはいないに違いない。フラフラ定まらない、馬鹿な占い士が故郷に帰ってやがて結婚して子持ちになることまですでに確定しているのだ。老魔女は、さっきとは違って、先のわかっている占い士の方が魔法使いより楽な気がしてきた。
 「師匠」
 夜中の二時を告げる鐘がなる。
 「ボクはそろそろ休みます」
 赤毛の占い士の頭上から、愛弟子の少年が顔を覗かせた。吹き抜けなので、二階の少年の部屋からこの赤毛の一人舞台は十分見渡せる。
 「あぁ。お休み。多少このバカがうるさいけど、気にならんだろう、お前は」
 「もう慣れてますから大丈夫です」
 「待て待て。今日は特別に弟子も聞いてきな」
 珍しく赤毛は少年を誘った。
 「いいんですか?」
 二階から老魔女に向けて視線が送られる。
 「何、ばあさんのことは気にするな。お前も男なら、いちいち許可なんか取らずにお兄さんのためになる話を聞いていきなさい」
 「何がためになる、だ。ならなかったら私の大切な弟子にお前の赤頭を丸刈りにさせるからね」
 「……ボクがするんですか」
 「いいだろう。降りておいで、クリス」
 少年は一度奥の階段まで引っ込み、やがて老魔女の横にあるドアから出てきて、少し離れた椅子に座った。


2003年10月25日(土)
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