池ポエム
ハンス



 ひっそる

 真っ直ぐに突き出した腕の先にある一本のビデオテープ。社長は黙ってそれを受け取る。何コレ、と言いたかったけど、ギリギリ喉で止めた。腕の持ち主があまりに渋い表情をしていたから。
 「何考えてんだ、アンタは」
 いかにも呆れた、という調子を込めて言う。ますますもってわからない。何か機嫌を損ねることをしたらしいが、思い出せない。思い当たらないのではないところが自分の特徴だと思っている。
 「なんだっけ」
 黙って手にしたテープをじっと見る。少し前に、じっと見たら中身が見えたらいいのに、そしたらデッキいらないのに、と言い合ってたことを思い出した。
 「アンタがこないだ、ビデオ繋ぎに来て、そん時結局時間なくて後で見ろって言って無理矢理貸したやつ」
 「あぁ」
 そんなこともあった。一週間前は、時として遥か霧の彼方になる。ついでに霧に霞んでしまって中身は不明。
 「見た?」
 まさか忘れたとは言えなかったので(不機嫌な彼女は結構怖い)、誘導して思い出すことにする。ところが、誘導するとかしないとかそういうレベルでは済まない一歩を踏み出してしまったらしい。
 「あのねぇ」
 目は見えてないからいまいち迫力に欠けるが、とにかく彼女は文句を言った。いい年してこういうの集めてるのは大人げないって。なんだ?幼児番組か?
 「それに、子供に見つかったらどうするんだ。最近千歳もなかなか目ざとくなってきたし」
 我が子に悪い影響がないか心配する親の口調。まだ二十代前半だってのに、彼女は立派な親の顔をしてる。で、そうではなく、中身がなんだったか、ふと思い出せた。子供に見せられないものなら、幼児番組ではない。なら幼児番組の反対ならどうだろう。そっちだったら確かに趣味の範疇だ。
 「そうかっ!湯煙旅情駅前うどん屋生き別れの奥さん殺人事件十和田湖畔で消えた女の妹は男の嫁だった」
 「名前だけ聞いたから、ミステリーかなんかだと思ったんだよ。最初から中身知ってたら借りなかった」
 「でもこれさぁ、私がつけた訳じゃなくて、最初っからそういうタイトルなんだって。ちゃんとうどん屋の奥さんとその妹と義妹と叔母と祖母が出てきたでしょ?」
 彼女はしばらく考えた。
 「……あのうどん屋は、奥さんとどこで出会ったんだっけ。なんかその辺あやふやで」
 「えーっと、十年前お堀に十円落として探してる時に頭をぶつけたんだよ」
 「そうかそうか。アレ、不自然だよね」
 二人はしばし無言で見つめあった。もちろん、無意識のうちに内容が頭の中を流れた。
 「三鞍さぁ」
 「ん?」
 うどん屋の人気メニューはカレーうどんだったかきつねそばだったか、という質問が出た後、社長はしみじみ言った。
 「しっかり見てんじゃん。借りなかったとか散々言ってるけど」
 「そ、それは、一応ほら、もったいないし、ビデオなんてめったに見れないし、一度つけたら消すのもなんだったから……」
 「三鞍!ちょうどいいとこにおった」
 廊下の角からひょっこり白衣が姿を現した。
 「貸しとったヘッドホン、まだ使っとるか?」

 ビデオデッキが大活躍したのは、後にも先にもこのわずかな期間だけだった。しばらくすると、熱しやすく冷めやすく、新しもの好きで使い込みはしない彼女の性分がいかんなく発揮されて、ビデオデッキは生きながら長い眠りについた。


2003年07月30日(水)



 老人と老人

 三鞍のじいさんには愛人がいる、と昔よく噂されていた。三鞍があまりにも家族から飛びぬけてきれいな子供だから、アレはじいさんが若い頃からこっそり付き合っていた美人の子供だろう、なんて夢のある作り話ができあがっていた。もちろんそんな夢は、夢でしかない。
 三鞍は結局、この三鞍のじいさんに似てたんだと思う。何もわざわざ姿すら見られたことがない幻の隠し妻なんか作り出さなくても、それが一番手っ取り早い結論だ。キザなとこも、おしゃべりなとこも、偉そうな物言いも、若い頃は女に不自由しなかったという美貌も、変に紳士的なところも。全部三鞍に通じている。
 それに、山奥で暮らす変わり者医師と長いこと親交を続けているというとこまで全く一緒だ。この、変わり者医師の手によって育てられた人間である自分と、もう何十年も付き合っている。
 三鞍のじいさんは若い頃も、中年になってからも、老年になってからも、たまにうちのじいさんを訪ねては酒を飲んだらしい。ひどく酔っ払うと、必ずこう言った。
 「おい、変わり者」
 「何だ?」
 すでに前後不覚で床にひっくり返ってる三鞍のじいさんは、不機嫌そうに背中を丸めているうちのじいさんに決まって怒鳴るように言う。
 「変わり者の医者、わしが好きか」
 若い頃でも変だが、ヒゲも髪も存分に白く成り果てた二人の男が交わす会話だとすると余計おかしい。うちのじいさんは、このいつものが始まると眉間にもう二度と取れそうもない深いシワを刻んで、
 「ついに気が狂ったか」
 と、吐き捨てる。まだ十代の頃からそうだった。眉間のシワは生まれつきだ。
 「わしは、色んな奴にモテるが、お前のようなのはお前しかおらん」
 「ふぅん」
 実際、三鞍のじいさんは老若男女問わず、時には人間以外からも、ひょっこり好かれてしまう妙な才があった。だからこのじいさんの葬式は壮大だった。村人が思わず怪しんで家に引っ込んでしまうような妙な人間がぞろぞろとこの田舎に集結したもんだ。
 「だから、わしが好きかって聞いとる」
 うちのじいさんは何も答えない。酔っ払いに耳なしというから、酔った人に何を言ってもほとんど意味はないんだそうだ。
 つまり、じいさんは何か言いたかった。相手が酔ってさえいなければ、言いたい言葉は一つ程度、胸に秘めていた。ただ、酔わずにこの問いを仕掛けてくることがなかったから、ついに言わず仕舞。言葉は今も、どっかで生きてるはずのじいさんの胸にしまったまんま。
 「お前はなぁ、あれだあれ、つまり、唯一。唯一の友だ。だから、その唯一の友がわしのこと好いとるかどうか、気になるのは当然だろ。え?聴こえないふりが特技のこの医者野郎。なんとか言いやがれ」
 酔うと必ずこの妙な質問を繰り返した三鞍のじいさんも、きっと答えが聞きたかったに違いない。酔ってない時はとても切り出せない、何だかわからない気分が、酔った勢いで爆発して飛び出してきた問い。子供の頃も青年の頃も、老年になっても。繰り返し繰り返し聞いてまで言ってほしかったこと。それがなんなのか、今となっては三鞍家の墓に眠るじいさんに聞いてみてもわからない。じいさんがふっとこの世からいなくなった瞬間から、どっかに浮かんで消えてしまったのだ。
 花をたくさん摘んできては、無造作に墓石の前に置いた。あの日、最後にじいさんが立ち寄った場所は、三鞍のじいさんの墓だったと、後で住職から伝え聞いた。


2003年07月29日(火)
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