風紋
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「風向計」とほぼ同一内容になるけれど。
ここしばらくずっと落ち込んでいて、もうわけがわからないくらい落ち込んでいた。助けてほしいのに助けてもらう方法もわからずに「助けて」と口に出す気力も持てずにいた。泣きたいのに泣き方もわからずにいた。そんな私を私は悲しすぎると思った。ちなみに過去形で書いているけれど、脱出しきったわけではないので、これは現在形でもある。
でも、今日、泣けた。泣こうと思っていなかったのに、話をしているうちに自然に泣けた。
泣かせてくれて、“あぁ、やられたなぁ…。ここで泣かすか私を…”とちょっと心地よい敗北感を感じると同時に、やっぱり素直に泣けてよかったと思った。嬉しかった。同時に覚悟もした。ここまできたんだから、これからが勝負だよと。でも、それは気合いを入れて頑張ろうというのでなく、自然に背筋がすっとのびるような。
考えなければいけないことがたくさんある。どうすればいいのかわからなくて迷う。正念場だと思う。でも、きっと明日を泣きながら笑顔で迎えられると思った。
悲しすぎても、それはそれでね、生きていけるんだよ。
○ 書くべきこと、書かなければならないこと、書きたいことがたくさんあるけれど、ひとまずこのあたりで。
これはまた後日に書くことになるかと思うけれど、私は「眼」でありたいと思う。比喩的な意味でよく見てよく聴いて、触れて、嗅いで。感覚器官をベストの状態に保つためにも、休む必要があるから。
自分自身を大切に。周りの人のことも大切に。それを実際にしていくこと。
| 2004年10月30日(土) |
書いてみようと思った / 慌てていると足元のことを忘れるかもしれない |
前回、10月24日の日記を書いて以来(上の表示の「この前」、あるいはこの場所)、なかなか日記が書けない状況が続いていた。
日記が書けないというよりも、何も言葉が出ない。言葉にしようとすると、かえって言葉にならなくなる。
ただ、今日、ふと「とりあえず何か形にして残しておこうかな。その方がいいのかもしれない」と思った。それは、昼間に大切な人々とお会いしてお話をする中で、自然とそうしようと思ったということが大きい。それに、渡瀬変様の日記(こちら)を読ませていただいてということもある(詳細は「風向計」(この場所)に記述)。
「とりあえず何か形にして残しておこうかな」の中で、この場所に書くことがあるかもしれないし、この場所でないところに書くことがあるかもしれない。書かずにずっと心の中にしまっておくままのこともあるかもしれない。
ただ、今の私は、私が未来のいつかもどこかで何かを書いているだろうということを思う。その時に、この場所に私自身が書いたことの何かが、何らかのかたちで「未来のいつか」に届くかもしれないということを思う(届かないかもしれない)。もちろん、別の場所に書いたことの何かもそうなるかもしれない。
そう考えると、そんなに肩肘張らずに、ふらっと気ままに書いてもよいという気がした(トップページに「あまり肩肘張らずに書いています」と書いたのは私自身だけれど)。
今は、私の知らないところでも、いろいろな人がいろいろな思いを抱きながら生きているということを私なりの方法で大切にしたいと思う。その「私なりの方法」を考えて、実行していきたいと思う。
私は「誰かのように」はなれないけれど、私にはなれる。
○ 最近は、よく笑い、よく泣き、よく後悔し、よく焦り、よくはしゃぎ、よく食べ、よく悩み、よく苦しみ、よく楽しみ、という日々です。
どういう順序で書こうか迷ったのですが、こう書いてみました。
○ 慌てていると、ものすごく基本的なことを忘れたりするよね…とは、今日していた話。
例えば「テレビがつかない!」と焦ると、実はプラグがコンセントに差し込まれていなかったとか、「パソコンの調子がおかしい!」と焦ると、やっぱりプラグがコンセントから抜けかかっていたとか、「文書をプリントアウトできない!」と焦ると、プリンターのケーブルとパソコンをつなぐのを忘れていたとか。
慌てていると、案外基本的なことを忘れたり、一時的に見えなくなったりする。
とりあえず、引けば開くドアを一生懸命押して押して「開かない!」と焦り、「この部屋閉まってるんですけど!」と係の人に知らせてしまったことがある私は、「押してもだめなら引く、引いてもだめなら押す、押しても引いてもだめなら待ってみる」くらいの余裕があればいいなと思う。
ついでに、以前、演奏会の開演直前に「楽器が鳴らない!壊れた!」と大騒ぎしたこともある。こちらは、ベルに高さ調節用の枕(?)を突っ込んでいただけだった。
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