風紋
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| 2004年09月17日(金) |
いましばらくお待ちくださいませ、でも必ず。 |
前々回(9月7日)、前回(9月11日)の日記を受けて、その続き。
「ご無沙汰して失礼をしておりますのは十分に承知のうえですがいましばらくお待ちくださいませ」という感じである。
と言っても、毎日アクセスしてくださっている方にそう思う気持ちがあるのはもちろんのこと、私自身に対してもそう思う気持ちがある。「いましばらくお待ちくださいませ」というのは、私が私自身に対しても言っていることだ。
…うまく表現できないけれど、私が私自身に対して「今は不可能だけれど、近いうちに必ず必ず書くから、書けるまで待とう」という感じでいる。逆に、いつになっても必ず書かなければならないとも思っている…そのように硬く考えるとかえってのびやかに書けなくなるかもしれないので、あくまでのびやかにと考えているけれど。
前回9月11日にこの場所を更新してから約1週間が経つけれど、とりあえず、元気にしてはいる…ちょっと待て、本当に元気だったのか? 体調を崩して帰るなりばたりと寝たこともあったような気がする…あった…。
そして、なんだか忙しい日々だった…ちょっと待てほんとに忙しかったのか? Webを読みふけっていたり、「トリビアの泉」を見て笑い転げたり(「『幸せ』を早く言うと『いらっしゃいませ』になる」というのは、何だか希望が持てるトリビアであった)、海を見に行ったりもしていた。そう、以前に書いた「今夏は海を見に行く」という夢、少し遅くなって「秋」になったけれど、昨日実現してきたのだ。あくまで海を「見る」ことが目的だったので…。やっと海を見に行けた。波打ち際を鳩が歩いていた。また行くぞ。
…で、何の話だったっけ。…という感じの1週間であった、とも言える?
今日になって、やっと、休養するための休養期間が終わったというか、充電するための充電期間が終わったというか、そんな気がする。2段階に分けないと休養も充電もできないのか?という感じではあるけれど、実感としてそんな感じがする。ようやっと安心してぶっ倒れることができる環境になったというか…。
さっき、机の上をばたばたと片付けて、ということは仕事も頭の中も整理して、ようやくこれからすべきことが少し見えてきた気がする。少しずつ、時には思い切って大胆に、時には繊細に落ち着いて進んでいくこと(あるいは、止まること)、と、私自身に言い聞かせる。
○ 暑い暑いと思っていたけれど、ふと風に秋の気配を感じる。秋の気配というか秋の匂いというか、確実に8月とは違う空気を感じる。これがあともう1ヶ月経てばこんな感じになって、2ヶ月経てばこんな感じになって…ということに思いを馳せる。
1ヶ月先、2ヶ月先…私は私が思った通りに生きているかどうかわからないけれど、一瞬一瞬を大切に、私なりに生きようと思う。「明日ももう少し生きよう」その繰り返しでもいい。
今はいろいろな意味で転換点にあるようなので、そのことも意識しながら、なおさら一瞬一瞬を大切に。
○ いろいろ考えねばならない問題、しなければならないことはありますが、今日は、ひゅっと書いてみました。というか、「風向計」(この場所)に書くつもりだったのがいつの間にかこちらに書こうという姿勢になっていた感じ。
日常の細々したことは「風向計」の方に書いていることも多いです。一言気がついたことなどは「そよ風」に。
○ メモ:月末までに美容院に行くこと。
今日の日記は、9月7日の日記の続きである。上の表示の「この前」のリンクをクリックして、あるいはこの場所をクリックして、2004年9月7日の日記をご一読いただいてから、今日の日記を読んでいただければ幸いに思う。
9月7日の日記には「棒が降ってきているけれど、これは私自身にとってひとつのチャンスかもしれない」と書いた(これだけだと内容をまとめすぎなので、9月7日の日記を読んでいただいた方が幸いである)。今日は、チャンスをつくる=私が新たな棒に出会い、一方で私の棒を他の人とふれあわせてみる(←比喩的な表現です)機会のひとつであった。
出かける前に、私なりの気合いを入れようと、珍しくSOMETIMES in the morning(この場所などに掲載?)で、薄く香りをつけた…が、勢いあまって瓶を落としているあたり、ちょっと危ない。
チャンスを生かすか、どのようにつなげていくか、今も試行錯誤しながらなのであるが、私自身の望む方向に大きく進む一歩につながる出逢いを、今日、さまざまな形でさまざまな人やものと実現した。
いろいろな人に会った。いろいろな人と話をした。いろいろな人の話を聞いた。その中で、改めて私自身を振り返った。私は何? 今までどう生きてきた? これからどうすればいい? これからどう生きればいい?
…答えなどないのかもしれない。むしろ答えを探そうとする過程にこそ意味があるのかもしれない(探すのに疲れて、落ち込んでも、苦しんでも、ぼけーっとしても、それはそれでひとつのあり方)。
だったら、今の私にできる範囲で、答えを探そうとし続けよう。あきらめないでおこう。そして、“途中経過である”ということを恐れずに、どんどんと外に開いていこう。私が話をしたいことを話していこう。そして、五官・五感をフル活用して、周りからいろいろなものを得よう。
…と思いながらいたら、一気にいろいろなものと出逢ったせいか、やや疲れた。気を抜いてもよくなった時に、一気に疲れがどっと来て、一瞬がくっと疲労して、結局、ぼーっとして周りがよく見えない状態のまま帰宅した(←危ない)。
明日はまた新たな出逢いのきっかけがある。得たものを今は断片の形ででも残しつつ、振り返り、考え続けていきたい。…というわけで、休みます。
またゆっくりと考えて、そして、書きます。
○ 「今日であれから〜年経った」と振り返る(あるいは振り返りたい・振り返らざるを得ない)日があるとしたら、それは何かの意味で大切な日なのだろう。
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