風紋
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| 2004年08月06日(金) |
「なつやすみっ♪」で疲れているようなので音楽を聴いて寝よう / プチ発見 / 改造計画? / 今日という日は |
どうやら、少し疲れているらしい。あまり自覚していないが、疲れているらしい。ある人と電話をしていると「いつもより声が単調でかくかくとして聴こえる」と言われた。ここ数日、動き回っていたのは事実。でも、私が出来る範囲で動き回っていたし、何よりも私自身がそうしたいと思ったから、出かけ、人と会い、美味しいものを食べ…という日々を過ごしていたのだ。まさに「なつやすみっ♪」という日々を過ごしていた。楽しかった。
こういう時は少し気をつけねばならないな。というわけで、今日は好きな音楽でも聴いて早めにゆっくりと休もうと思う。明日も少し外出しようと考えているので。
BGM:交響詩「魔法使いの弟子」(デュカス)(L'apprenti Sorcier / Paul Dukas) 上に挙げたのはフランス語で、英語では「The Sorcerer's Apprentice」なのだろう(フランス語を学んだことがないので、かなりあやしい)。高校時代に、1度選曲会議であがったことがある。場面転換が鮮やかで割と好きな曲だ。ちなみに、いろいろと検索していると、この曲の作曲者は「ペリのファンファーレ」(バレエ音楽「ラ・ペリ」より)の作曲者と同じだったのだなぁ。ペリのファンファーレも好きだ。
余談だが、yahooで「ガランタ舞曲」で検索をかけると、割とこの日記が上位であがってくることに気がついた。もしも「ガランタ舞曲」の情報をお求めの方がいらっしゃったらごめんなさい。単純に好きな曲であると述べただけです…。
○ 鞄を整理していると、普段あまり使わないポケットから、紛失したと思っていたシャープペンシルが出てきた。嬉しかった。たった100円のものではあるけれど。
○ 水面下で、浜梨さん改造計画進行中(←自分自身に「さん」をつけているのは単なるお茶目心)。日記を書くことででも、少しずつでも、きっかけをつかみたいと思う。
○ いくら夏バテによる体調不良の日が続いていたとはいえ、いくら夏で日付の感覚がゆるんでいたとはいえ、今日という日が何の日なのか、過去に何が起こった日なのか、今年は直前まで考えに浮かばなかった。なんてことを、私…と、思う。ごめんなさい、と思う。
忘れられないし忘れてはならないのだろう。もちろん、8月だけ考えればよいというものではないのだけれど。せめて8月くらいは。できれば、いつも、あるいは、時々でも。
| 2004年08月02日(月) |
1年前に訪れた地を再び訪れる / 伝えたいと思うこと / 祈り / 再宣伝 |
ちょうど1年前のこの日に訪れ、歩いた街を、再び訪れ、再び歩いた。今日はひとりで。ちなみに1年前のこの日の日記はこれ。
1年経った今日も、なぜその場所を訪れたいと思ったのかわからないまま、ただ、今日は行かなければならないという強い思いだけを抱えて行った。
無理をしない程度に少し歩いた…つもりだったけれど、ひとりだったのでうまく調整ができずに少し歩きすぎたかもしれない。1年前のことを思い出しながら、記憶を辿りながら1年前とできるだけ同じ道を、“今”の私の体の全部を使って、その場所の姿を感じようとしながら歩いた。“今”のことを、私の身体の全部を使って、ずっとずっと覚えておこうと思ったというのも、1年前と同じだ。目で見る、耳で聞く、鼻で匂いを感じる、手で触れる、肌で感じる。精一杯に全身を使う。日傘も使わず(ちょっと無茶をしたかも)。
電柱に触り、木の葉を触り、木の幹を触り、橋の欄干を触る。空気を鼻から思い切り吸い込む。セミの声を聴く(セミは1匹でもあんなに一生懸命鳴くということを今回はじめて知った)。
この場所には、この1年の間に時々訪れ、あてもなく歩くという経験を数回していた。改めて、初めて訪れた季節と同じ季節の同じ日付に歩いてみて、痛感したことは、「1年経っても、私はこれだけのもの、これだけのことしか感じることができないのか」「しかも、感じたことをうまく言葉にすることができないんだ」というもどかしさだった。それでも、“今日”感じたことが全てであろうし、他の誰でもない私は、これ以上のこともこれ以下のことも感じ得ない。私は私の方法でこの場所と向き合うだけ。それが全てで、そこから勝負するしかない。
1年前の日記に、「仮に未来のある時に来ることができたとしても、この場所は変わっているかもしれないし、私も変わってしまっているだろうから」と書いた。
場所は変わったかどうかよくわからなかった…つまり、私が見て“変わったかどうかよくわからない”という程度には大きな変化はなかったということだ。
私の方は、…この1年で大きく変わったと思う。どこがどう、というのはうまく言葉にできない。ただ、1年前のこの日を境にして、私は私についてより深く考えるようになり、そして時々私自身に目が向きすぎて、はまって抜けられなくなり、そしていろいろな人といろいろなお話をするようになった。1年前のこの日から今日までの間に、「はじめまして」として出逢った人はたくさんいる(この日記を通じても、随分たくさんの方とお会いした)。そして、そのお一人お一人が私にとって大切な人だ。一つ一つの出逢いを通じて、また新たな人やものと出逢い、私自身のあり方を考えさせられた1年だった。
これから私はどこへ行こう。他の誰でもない私として、私は何かを成し遂げたい。それがたとえ小さいものであったとしても。何か誰かの力になりたい。そして私自身が力強く生きたい。
そう。生命の大切さや、生きていること、この世からいなくなること、残ること、残すこと、なくなることについても、考え続けた1年だった。
いいお天気だったのも1年前と同じ。空は青く、雲はゆっくりと動いていた。台風の影響で、風はかなり強く吹いていた午後だった。
ある通りに、芙蓉の花が咲いていた。花びらに触れながら、この場所に来ることのできなくなった人のことを想った。生きていても、この場所に訪れることができない人もいるのかもしれない。芙蓉がきれいだったよ、と伝えてもいいのだろうか。
少し疲れたので、近くの喫茶店でひとりでお茶をして、帰途についた。
○ 誰かに何かを伝えたい、という想いは、なぜどこから生まれるのだろうと考えていた。
嬉しかった気持ち、悲しかった気持ち、つらい気持ち。ひとりで抱えていてもいいのに、伝えたい、という想いがある。
心を動かされたこと、素直に素朴に「見て,見て〜」「来て,来て〜」と伝えたいこと。
○ 今日出逢った言葉。
「人は皆、自分の力で何もできない時は祈るしかないのだ」
この言葉を支持するかどうかはおいておいても、私が「苦しかったし、今でも苦しい」と打ち明けた時に「何を誰に祈るのかわからないけれど、祈りに似た思いを抱いている」と伝えてくれた人を思い出した。そして、その後、その人にも、他の人にも、祈っていただいていたことを思い出した。そういう人が生きていてくださるだけで、ありがたいと思った。
私も祈る。どうすればわからないけれど、ただひたすらに、私は生きる。
○ 再宣伝。はてなダイアリーで「風向計」この場所)という日記をはじめることにしました。今は趣味であり私の生きる支えである吹奏楽の話が多くなっていますが…(そして相変わらず「はてなダイアリー」の使い方をあまり理解していないのでありました)。
あ、でも、ここから「風向計」へのリンクをどう貼ればいいかわからないな(研究します…)。
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