風紋

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2003年06月03日(火) 紫陽花に励まされて / 紅茶飲み比べ(ヌワラエリヤ2種) / 研究の話をした / NHK教育「福祉ネットワーク『喪の悲しみを癒す』」

今日も割合落ち着いた気持ちでいられた。かえって少し不安な気持ちになるのはなぜだろう。そして、6月のカレンダーを見て、ぞっとしている自分がいる。

いつも通る道に、青い紫陽花が咲いている(5月26日の日記に書いたものと同じもの)。何気なく歩いていると見落としてしまいそうな目立たないところにささやかに咲いているのだけれど、とても美しく毅然と咲いている。

最近は、毎日毎日、この紫陽花を見るたびに、何だか励まされているように思う。支えられているように思う。こんなに綺麗な紫陽花を見ることができたのだから、今日も何とかやっていけるだろうと思う。

あまりに思い入れが強いので、この紫陽花の花が最盛期を終えたら(…要するに花が終わってしまったら)、自分はどうなってしまうだろうかと、ふっと不安になる。ちゃんとやっていけるのだろうか、と。しかし、一方では、別に私の中の何がどう変わるわけでもないでしょうと、苦笑している。この紫陽花が咲く前も私は生きていたのだし、紫陽花が花を終わらせても、私は生きているだろう。紫陽花が咲いているか咲いていないかにかかわらず、私は私として生きていくだろうし、そうするしかないのだろうと。

自分でもうまく説明できないし、自分でもよく分からないのだけれど、今は、この紫陽花がやがてしおれてしまうということがとても恐ろしくて不安なのだ。そしてその日は、必ずやってくる。それが不安で。自分でも、莫迦みたいだと思うけれど。

せめて今は、まっすぐにその紫陽花を見つめていたいし、最後まで見届けたいと思う。


大学で、レピシエの378 マハガストット・PEKOEクォリティ(MAHAGASTOTTE, PEKOE1 QUALITY 03-2)(こちら)と、380 ラブーケリー・クオリティ(LABOOKELLIE, FBOP QUALITY 03-4)(こちら)を飲む。どちらもセイロンヌワラエリヤのお茶だということで、飲み比べて日記に書こうと、ラブーケリー・クオリティは1杯、マハガストット・PEKOEクォリティに至っては3杯飲んだのだけれど、「何か違う感じがする」ということしかわからない。…と、私はラブーケリー・クオリティの方がやっぱり好きかな?ということと。

ただ、マハガストット・PEKOEクォリティの方は、レピシエのサイトの説明に書かれているような印象と違う印象を受けるので、私の淹れ方が悪いのかもしれない(何となく「味が薄い」と思う。香りは爽やか…な気がするが)。もう少し修行します。


ラブーケリー・クオリティを飲んでいると、他の大学から、私の研究テーマに関連した研究を今後しようと思っているとおっしゃる方がいらっしゃって(先生を経由して紹介いただき)、しばらくお話をする。自分自身が、迷いながら研究を進めているので(いや、進めているか?止まっているかも…)、「このへんは自分でもわけがわからないし、ちょっとどうだかと思うんです」というところをそのままお話したので、お役に立てたかどうか自信がない(あちらの方が私より長く研究を続けておられる方でもあるし)。しかし、テーマについていろいろとお話ができたのは、私自身は楽しかった。自分自身が「これ、どうなんだろう?」と思っていることについても詳しく御存知で、「どうなんでしょうか」「どうなんでしょうね」「こういうところに問題があるのでしょうね」とお話しているだけで楽しかった。アプローチの仕方は私と少し違っていらっしゃるそうだけれど。私の研究室には私と近いテーマの人が少ない(「いない」という感じが強い)ので、貴重な機会を頂いて嬉しかった。

不完全でも、恥ずかしくても、自信がなくても、できるだけ人と話をするようにしたいと思った。近いテーマの人とも、遠いテーマの人とも、全然研究と関係のない人とも。


夜8時からのテレビ番組を見たかった(さらにビデオ録画もしたかった)ので、急いで帰る。見たかったのは、NHK教育テレビの「福祉ネットワーク こころの相談室 『喪の悲しみを癒す』(1)−書いて受け入れた 妻との死別−」(こちらこちら←いずれリンク先が変わるような気がする)。

家族で晩御飯を食べながら見ていたので(しかも晩御飯のメニューが鉄板焼だったので)、テレビをつけてはいたものの、番組の内容はほとんど把握できなかった。しかも換気扇をつけていたので音も聴きにくかった。後でゆっくりとビデオを見てみようと思う(きちんと録画されていれば)。

現時点ではその程度にしか見ていないので、番組自体については、今は何とも言えないのだけれど、悲しみは乗り越えるものなのかな、というのが少し疑問だった。言葉の問題に引っ掛かっているだけなのかもしれないけれど、自分自身がいつまで経っても「乗り越えて」はいないように思うから。しかし、それは私が悪いのかもしれない。「乗り越え」ないと、やっていけない部分もあるのかもしれない。でも、悲しい気持ちを隠さずにおもてに出すことは大事なことなのだろうと。あと、何の関連もないのだけれど、ふと、前の家の解体の場面や当時の気持ちを久しぶりに思い出して、胸が苦しくなった(←比喩だが)。

あと、来週と再来週に関連したテーマで番組が放送されるそうだ。見てみたいと思う。


2003年06月02日(月) 今は今を生きようと思った / さくらんぼの木の思い出 / 紅茶を飲んだ(レピシエ380 ラブーケリー・クオリティ)

今日は、割と…どころではなく、かなり元気だったような気がする。元気過ぎて、かえって不安になったくらいだった。大切なことを見落としていないかとか、根本的な原因が解決していないのにこの元気がいつまで続くのかとか。身体が動くうちにできるだけのことをしようと、かえって焦っているところもある。

今は、今を生きよう、と、ふと思った。今はただ、今を大切に、精いっぱい生きようと。「長期的な見通しを持たずに生きる」というわけでは決してないのだけれど。うまく言葉にできないのだけれど。今は、今を生きようと思った。


アメリカンチェリーを食べた。堂々とした大きな実と、しっかりとした歯ごたえと甘酸っぱい味が好き。

この日記を書き始めた時に住んでいた家には、アメリカンチェリーの木…は、さすがになかったけれど、さくらんぼの木があった。正式名称は知らないけれど、ちゃんと食べられるさくらんぼが毎年実をつけていた。花が咲き出すのは普通の桜が咲くよりも早くて、5月の初旬、ちょうど小学生の家庭訪問の時期になると、つやつやと光る、赤い(朱色の?)さくらんぼの実をつけていた。一部は鳥に食べられたりもしたが、運良く鳥に食べられる前に収穫したものは、きれいに洗って食べた。甘くて美味しかった。曾祖父が園芸が好きで、曾祖父が植えたそうだ。

あの木も、たぶんこの家には持ってきていない。一緒に切り倒したのかもしれない。好きだったのに。


久しぶりに、紅茶の葉を買いに行くだけの元気とゆとりが、ほんのちょっとだけ出た。というわけで、今日買って飲んだお茶は、レピシエの380 ラブーケリー・クオリティ LABOOKELLIE, FBOP QUALITY 03-4(こちら

店頭で、「何かお探しですか」と尋ねられ、「特に何かを探してというわけでもないのですけれど、新しい紅茶が欲しいなと思って」と答えた時に、薦められたもの。割と飲みやすい。何杯でも飲めそうな気がする。「黒糖のように柔らかい飲み口に、ふくよかで複雑な表情の滋味が響き合います」そうだ。黒糖のようかどうかわからないが飲み口は柔らかく、複雑かどうかはわからないがふくよかな感じがした。よい香りで、美味しい。
ヌワラエリヤがどんな特性を持つ紅茶なのか、いまひとつよくわかっていないのだけれど、先日飲んだ378 マハガストット・PEKOEクォリティ MAHAGASTOTTE, PEKOE1 QUALITY 03-2(こちら)より好きかな?と思った…かな? …同時に飲んでみないとよくわからない…。

ちなみに378 マハガストット・PEKOEクォリティの方は、先日に全部飲み終えたと思い込んでいたのだが、今日見てみると、まだ若干残っていた。びっくりした。後日飲み比べてみようと思う。

紅茶、あまり多くの種類を飲み比べているわけではないし、私は飲んだらどれもそれなりに美味しいと思ってしまうので、…言葉にして記述するのは難しい。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)