|
風紋 もくじ / この前 / この後
そして寝坊した朝。 何となく気分が沈みがちな1日。夜、研究室を出てくる時も、あぁもう何もかも嫌だよぉ…とぐだぐだ言っていた。同僚からは「ネガティブなオーラが出てる…」と言われてしまった。 電車に乗る前にどうしようもなく気分が落ち込んでいることが多いけれど、電車の中で眠ると、目的地に着いて目覚めた時は大抵けろっとしているので、あんまり大したことはない。 晴れの日・雨の日両方あることはわかっている。いい日もあれば悪い日もあることもわかっている。けれど、悪い日を過ごすのはやはり少しつらい。せめて笑っていられればと思うけれど、うまく笑えない。 日記でもネガティブなオーラが出ていたら、本当にごめんなさい。 昼過ぎに研究室に姿を見せた後輩が、あっ手帳忘れたぁ…と呟いた。で、しばらく忘れ物の話をしていた。 彼女は手帳に割とまめに予定を書き込むので、手帳を忘れるとけっこう辛いらしいのだけれど、私はあまり手帳を使わないので、手帳は忘れてもあまり困らない。が、忘れると困るものは他にもたくさんあって、例えば財布とか定期券とか携帯電話とか鍵とか。そういう大切なものを忘れると、けっこうブルーになって、何もやる気がなくなりますよね…と後輩が言うのを聞いて、うんうんそうだねぇ…と激しく同意する。 私は、この前携帯電話を忘れて出てきてしまったことがあったのだけれど、定期入れ(その中には定期券だけでなく学生証やコピーカードなども入っているので財布より大切かもしれない)を家に忘れることも時々ある。しかも駅に着いて改札を通る直前に気が付くことが多い。その時はもう本当に落ち込んでしまって、その場に座り込んでしまいたくなる。自己嫌悪に陥ってしまって、もう私など生きていく資格がないのではないかしらとさえ思ったこともある(←大袈裟)。 そういう、大切なものを忘れて気分が落ち込むのは、それがないと支障をきたす場面が多々あるので、そういう局面を今日1日乗り切っていけるのかしら…という不安と、大切なものなのに忘れてきてしまうなんて私は莫迦だな…という自己嫌悪が入りまじっているような気がする。 大切なもので、ないと不便であるとはいえ、忘れても何とかなるはずなのだけれどね。それよりも、財布よりも携帯電話よりも定期券よりも忘れてはいけないことがあるのだとしたら、せめてそれだけは覚えていられればいいとも思うのだった。 最近、日記のタイトルがやたらと長い、と自分で思う。
昨日の日記に「明日は外で作業しよう」とか書いたにもかかわらず、結局今日も外出せず、家でちょこちょこと作業していた。 夕方、思いもかけないところから来年度の仕事の紹介がくる。今年度している仕事を自分で振り返っても、自信があるとは言い難いけれど、少しでも勉強できればよいと思い、引き受ける方向でお返事をし、取り急ぎ略式の履歴書をFAXしたりしていた(まだ引き受けて頂けるかわからないのだけれど)。 思いがけないこととはいえ、これも1つの大切な出会いだと思う。もし受けられるなら、自分にできることを精一杯やろうと思う。 夜、思い出したように、最近ほとんど聴いていなかった音楽を聴いていた。平松愛理さんの曲と、Coccoさんの曲を何曲か。どちらの方の歌も、一時期よく聴いていて、でも最近はほとんど聴かなくなっていた(普段はクラシックを聴くことが多いから)。何だか不思議な感じがした。身体が自然に音楽に反応したという感じ。あるいは、普段自分が忘れていたことを思い出したような感じ。平松愛理さんの曲を聴くと、勝手に肩の力が抜けて笑顔になっていたし、Coccoさんの曲を聴くと、胸の奥深いところが抉られて、自分が普段隠していた想いをおもてに出せるような気がし、でもそれは不快ではなくて懐かしいような気がして、涙が出そうになっていた。 ジャンルによっても違うのかもしれないけれど、音楽を聴いたり、自ら音楽を演奏したりすると、私は“自分に還ることができる”と思う。忘れていた自分を取り戻せるというか。普段は、本業が忙しいし、頭の先から足の先まで仕事に専念しなければならない、そういう自分でなければならないと思っているけれど、音楽に触れると、ふっと忘れていた自己、忘れていた想いを自然に取り戻せる気がする。あぁ、これも私だったと思う。 ただ、時々、忘れたかった部分、おもてに出したくなかった部分まで一緒に引き出されてしまうような時もあるけれど。だからナーバスな時には音楽が全然聴けなかったりするし、絶対に聴けない曲もある。フォーレのレクイエムは、私は今でも、聴くと自分自身が崩れてしまうような気がして聴けない。ごめんなさい。 ちなみに今日聴いていたのは、平松愛理さんの「一夜一代に夢見頃」「世界語のLove Song」(CD「一夜一代に夢見頃」より)、Coccoさんの「星に願いを」「焼け野が原」(CD「サングローズ」より)。あと「オペラ座の怪人」(アンドリュー・ロイド・ウェッバー作曲)を少し聴いていた。 人指し指に塗ったマニキュアが半分近く剥がれているのを見て、哀しくなった。剥がれてしまったというその事実が、あれから時間が経ってしまったことを物語っているようで。時間が止まってくれればいいと思ったけれど、そういうわけにもいかなくて。 …いや、剥がれないのもそれはそれで困ることだし、半分剥がれているのはみっともないので何とかするけれど。 明日からまた戦わねばならない。 どうか明日は良い日でありますように。あなたにとっても、私にとっても。こうやって願うことしかできないけれど、本当にそうであればいいと思う。きっと明日はいい日になると信じていたい。楽観主義なのかもしれないけれど、そう信じていたい。信じていられるだけの強さがほしい。でも、いい日でなかったとしても死なない。生きていられる。命までは取られない。取られてなるものか。 元気でいてね、と、誰に言うわけでもなく呟く夜。 と、終わると見せかけてまた書く(いや、本当は↑ここで終わるつもりだったのだけれど) 「さびしくなかったわたし さびしいあなたに サヤのすぢ とらせてあげた ジャガイモ むかせてあげた ざふきん ぬはせてあげた ぎうにう はこばせてあげた それぐらゐのことしか できなかった いまは サヤのすぢとり あのこにさせる ジャガイモ わたしがむく まどガラス “をばさん”がふく ふつかよひのぎうにう じぶんでのみにおりる ざふきん だれもぬはない わたしも さびしくなっていく」 (混声合唱組曲「How old am I?」より2.「The Order」(順番)/吉原幸子作詩) …何だか、今、この詩を思い出して、どうしてもここに書きたい気分だったもので。 「さびしい」という言葉は3回しか出ていないのに、なんて寂しい風景なのだろうと思う。このさびしい風景が、その後どうなったのだろうかと思ったりする。 もうこんな時間。眠らないといけない。明日はそれなりに早いのに。分析の続きをしていたらこんな時間。気のせいか少しだるいような。でも何だか眠りたくない。眠ったら何か大事なものを失いそうな気がする。何か大事なものから手を離してしまいそうな気がする。今、手を離してしまうともう二度と掴めないような気がする。そんなことが以前あったようななかったような。それが寂しい。それでも、寂しくても、私は死なない。死ねない。そんな夜。 よくわからないことを書いてるな。でも、今書かなければ、明日はもう書けないような気がして。いつもそんな焦りがある。反面、今書くのが怖いという気持ちもあったりする。 追記:で、今朝、見事に寝過ごしたというのが、なんだかなという感じ。起きようと思っていた時間よりも30分も遅く起きて、思わず「わ」と言ってしまった。乗ろうと思っていた電車には間に合ったものの、電車の中でも寝ていて、終着駅で知らない女の方に「着きましたよ」と起こして頂いた。ありがとう…。(12/16,20:45)
もくじ / この前 / この後 |