やさぐれ日記・跡地
アルティーナ



 不健康ライフ


ここ2,3日、非通知着信があったので誰かなーと思っていたんですが。
心当たりに電話をしても全部ハズレ。

ハズレた中で、三女姉にも電話。
あ、三女姉じゃないんだー、ごめんねーとすぐ切るのもアレだったので、近況を伺ってみました。

「最近どーっスか恋人とは」
「ん?んー、普通に仲良くしてるよ」

「ほほー」
「この前は彼が『料理対決しよ〜』って意気揚々と言ってきたんだけど・・・(以下割愛)」

などとお話をして。
三女姉は恋バナを面白おかしく話すのが上手いと思う(笑
楽しそうだから微笑ましい。

あと何故か「○○ちゃん(私)はお料理が出来るから羨ましい」とよく言われます。
三女姉も料理をしないワケではないそうですが、姉妹の中ではどうやら1番苦手っぽい。
かと言って、私も特別上手なわけではないし、やはり主婦には敵いません。

都内の大学病院に勤める三女姉は、当然1人暮らしなんですが、「食事はどうしているのか」と聞いたら、
「作る気になった時だけ、必要な食器を洗って作って食べる」そうな。


(´▽`) ・・・HAHAHA?

まぁ私も今月はほとんどジャンクフードに頼ってしまったので、偉そうに言えないorz
どうしても料理をするスイッチが入らなくて、ダメダメでした。

普段なら昼を除いて2食分は自炊するのに。


あ、そうそうそれで思い出したけれど、10日ほど前だったか「痩せたね」と言われて。
そうかなぁと思って、恥ずかしながらお風呂上りに下着だけ着けた状態で、廊下にある全身サイズの鏡の前に立ってみました。

Σ(・△・) んごー


ホントだ、痩せた。
腕の太さは変わってないと思うけど、ウエスト以下が一回り細くなったような、ならないような。

試しに黒ジーンズを履いてみたら、さもありなん。
太もも回りにチョット余裕が。

原因はわかりきっていて、自炊してないからなんだろうなーと。
ジャンクフードに頼るってことは、私にとっては自炊するよりも「面倒」なことだったりして。
いちいち買うのが億劫だから、必然的に食事の回数が減ったんですね。

明らかに良い痩せ方じゃーないです。
痩せたいわけでもなかったので、素直に喜んで良いものかどうか。

今月は何食たべたっけなー、50食いってないかもなー、とか考えて。
お菓子(間食)もほとんど摂ってないし、水分だけはきちんと摂ってたくらいで。


いやーこれじゃ生活も荒廃します。
お金もかかるし、そろそろきちんとした生活にチャンネルを戻さねば。


※非通知の正体は、就職活動でエントリーした企業からの説明会参加の案内でした。



2005年05月31日(火)



 いやどっちもヤバイから


先日、日記に「祖母が乳癌だった」と書きましたが。

26日の手術は無事に終わったらしく(3時間もかからなかったそうで)
家族専用の掲示板(←作・私。パス付)でも、母がそんな感じで報告してたんですが。

昨日だったか、夜に実家から電話がきたので、掲示板は見ていたものの「おかーさんどう?」と聞いてみたワケです。

「術後も痛がってなかったし、食欲もバリバリよん」
「いつ退院するの?」

「そんなにかからず退院出来ると思うわぁ〜・・・けど」

――――――けど?

「義母さんねぇ、癌が転移してたのよ」

してないッつッたジャン

手術の直前にわかったらしいんですが。
つーかマジでヤブですか?
そこの病院ヤブっすか?

だから○○労災はヤメトケと言っt(ry


「予定通り左側の胸は全部取ったんだけど」
「何処に転移してたのさ」

「脇の下でね〜」
「全部取れたの?」

「5ヶ所あって、3ヶ所しか取れなかったのよ」
ぉぉおおおーーーい

退院しちゃダメだろぉぃ。
うわあああ他の兄姉知らないんだろぉなああぁぁ。
(母が他に漏らしてたとしても、誰に漏らしたか母自身が多分理解してない。子供多すぎるから(ぉ)

「他に転移は?」
「・・・う〜ん」

あるのかよorz

「首の・・・」
「首の?」

「骨だったかリンパだったか」
いやどっちもヤバイから

骨は治療が難しいんじゃなかったっけ?
リンパ節なら全身に転移して(←血が巡るから)アウトだってば。
ぉぃぉぃ。

「あ、でも今はまだ全然元気よ〜。って『今はまだ』なんて失礼ね、おほほほほ」
「(・・・素で笑えないんですがママン)」

で、通話終了。


母は基本的にそういうことを「隠す」人だけど、口を割るのも早い(どん
家族用の掲示板には転移してたことは一切書いてないから、母らしいと言えばそうなんですが。

何だか非常に微妙な気分になってまいりました。
おばーちゃん子ってワケでもないんだけど、チョット考えてみれば祖母との思い出って結構あるワケで。
両親が共働きになってから、そういえば祖母の家によく行ってたよ、とか芋づる式に記憶が。


とにかく、米寿のお祝いに合わせて帰省しようと思います。



2005年05月30日(月)



 日本ダービー

この日は日本ダービーでしたね。
普段競馬は見ないんだけど、今年は例年よりも賑やかなレースになったようで。

ディープインパクトと言う馬が非常に注目されているとかで、えーと、無敗で二冠なるか?って。


実は1997〜98年あたり(私が中学生の頃)、一時期競馬にハマったことがありました。
と言っても、馬券を買ったとか競馬場に行った、ってワケではないんですが。


もともとお馬さんが好きで。
キレイな馬体が素敵、更にほっそい4本足でその体を支えて、且つあれだけの速さで馬場を走る、と。
その辺の魅力にひかれたんだと思う。

当時、土曜と日曜は必ずと言って良いほどテレビの競馬中継を録画して、後で観ていました。

サラブレッドって綺麗で逞しくて、儚いなぁ・・・なんて思いながら。


私が見ていた時期は、武豊さん(有名な騎手だからみんな知ってるよね?)が初めて日本ダービーを制したりしてました。
スペシャルウィークって言う馬で。

他には、最強牝馬と言われるエアグルーヴとか、
海外遠征したタイキシャトルだとか、
皐月賞と菊花賞を制したセイウンスカイとか、そのあたり。
(競馬に興味ない人には申し訳ないネタです、ハイ)


ただし、ある事件をキッカケに、競馬は見なくなってしまったんですが。

98年の秋の天皇賞で、1番人気の馬(武豊さん騎乗)が故障しちゃったんですね。
その馬は98年夏の宝塚記念を制した馬で、天皇賞のトライアルレース(毎日王冠だっけ?)も勝って、文句なしの人気で挑んだレースだったんですが。

第3コーナーのあたりで骨折して、レースは大荒れ。
初めてレース中の故障ってのを見たものだから(生放送で見てた)、私はパニックになって、その日の夜のニュースを出来る限り録画しまくりました。

あの馬はどうなったのかな、助かりますように、とか思いながら。

結局、粉砕骨折で手の施しようがなくて、安楽死処分になっちゃったんですけど。
それがキッカケで、競馬は次第に見なくなりました。

思い返せば、とても好きな馬だったので余程ショックだったんだろうな、と。


馬の名前をサイレンススズカと言います。

尋常じゃない能力(スピード)を持った馬で、余りあるスピードからか、『逃げ馬』でした。
最初から最後まで先頭。

よくある『差し』のレースとは違った凄さがあって、他の追随を許さない勝ち方は爽快そのもの。
(最後の直線で結構追いつかれるんだけど、捕らえきれないのよね)

ただまぁ、書くと長くなるので割愛しますが、馬は非常に繊細な生き物なので。
あの細い足に、尋常じゃないスピードというのはアンバランス過ぎたのだろうなぁ、と思います。
実際、逃げ馬で活躍する馬なんて滅多にいないようですし。

似たような馬で昔、キーストンと言う逃げ馬もいたようですが。
(最期はスズカと同じ結末)


そんなこんなで暫く競馬から離れていたんですが、何だかとっても賑わっていたので。
今年の日本ダービーは見てみることにしました。

結果は1番人気(倍率1.1倍だってよ)のディープインパクトが、ぶっちぎりで快勝してました。

し・び・れ・るぅ〜(*´¬`)(帰れ

あとは菊花賞を勝てば三冠馬かぁ、うーん、勝って欲しい。

そんなこんなで、思わず武豊さんの公式ファンサイトを覗いてしまう私なのでありました。



2005年05月29日(日)



 隠れキリシタン

久しぶりに、夜から新宿で飲んできました。

カリナ姐さんが東京に遊びに来るとゆーことで、お誘いを頂いたので。
いつぶりだろー・・・1年くらい余裕で(?)会ってない気がするんですが。

太白さんもお久しぶりです(*´▽`)ノ


メンツは6人で、オハツな方もいましたが特にどうということもなくフツーにお店に移動。
幹事の太白さんがお店を間違えたのは内緒ですが(バラすな

隠れ家的な居酒屋さんを予約していてくれました。

思い出話に花が咲いたり、フザけて罰ゲーム的なお酒を注文しましたが、まぁよくある話?(ぉ
ちなみに全員回し飲みです(;´Д`)

コーヒー焼酎だとか、本格的ちっくな抹茶だとか(すんげー不味い)、「隠れキリシタン」とゆー見るからに危険なノンアルコールドリンクとか。

飲んだ人のリアクションで盛り上がってました(よくある話です)
私も笑われマシタ。

・・・なんちゃってメニューだろうコレ絶対orz


注文したカシスオレンジが、華麗に宙を舞って床に吸われたりというアクシデントもあり(どーん
氷の襲撃をうけたり。

貿易関係の会社に勤める女性(名前は忘れました(マテ)が、検問通ってない生ライチをくれたり。

あ、でも他の皆さん社会人だったので、就職のことでいろいろお話が聞けたので勉強になりました。
私はつくづく事務職が向いてるんだなぁと再確認。

飲みの後もお茶の予定があったんだけど、私はここでイチ抜け。

カリナ姐さんにお土産を頂いてお別れしました。
ありがとーv
気をつけて帰ってねん。


今年に入ってから、いろいろあってこういう集まりを悉くドタキャンしてきたものだから、正直今回も参加を躊躇してたんですが。

参加して良かったと思うし、良いキッカケにもなったと思います。
今後もぼちぼち、暫く会ってない友人と会う機会を作らなくちゃーな。と。



2005年05月28日(土)



 夏の帰省


バイトが終わってから携帯を見てみると、着信履歴に長女姉の名前が。


――――――ヤな予感。

しかしスルーせず、夏になるとオートマティックに灼熱のオーブンレンジ内と化すビル群の中を歩きつつ折り返しコール。

「ごめん、バイトで出られなかったんだー」
「あぁうん、いいよいいよ」

「何かあったの?」
「○○(私)さー、夏休みは北海道帰るんだよね?」

キター。

「帰る・・・けど」
「いつ帰るか決めた?」

「なるべくおかーさん(祖母のこと)の米寿のお祝いに合わせて帰ろうかと思・・・」
「あ、うちもそうしようと思ってたんだけどさー!」

思ってるけど就職活動の状況次第だから、まだわからない・・・とまで言わせてくれなかったorz
続・ヤな予感。

「○○(長女姉の旦那様)と一緒に帰るなら良いんだけどさ、仕事で無理かも知れないんだよね」
「忙しいもんねー」←すごーくヤな予感

「でさ、無理なら私1人で子供2人連れて帰らなくちゃならないし、○○(私)一緒に帰らない?」


キター
これか。
やっぱこれですか奥さん。

的中すんなよ私の予感。

「あー・・・時期が合えば、良いけど」

って答えるなよ私。

そこから具体的な日程決めに迫られ、(飛行機の)超割チケットは2ヶ月前からだからそろそろ取れるし、早めに取って教えてねー!とか言われるし。

・・・いや全て私自身が招いた結果なんですが!!

ちゃんと「就職活動の状況次第で〜」と伝えたのにもうダメっすよ奥さん(誰


通話が終わって、携帯閉じながらぐったりと溜息1つ、ビル群の隙間で。
(そして1人お茶して帰った私)


2,3日後、実家からフォロー(?)の電話が。

「○○(長女姉)がまた何か言ってたみたいだけど、無理に合わせて帰ってこなくても良いんだからね。
就職活動がどうなるかわからないんだろうし、帰ってくる日にちとかは直前に決めて良いからね〜」

とのお言葉を頂きました。
ぃゃぃゃ母も大変だ。私も大変だ。長女姉も(ry

まぁ祖母の米寿のお祝いには、何としても合わせて帰ろうとは決めつつあるんですが。
ちなみに次女姉や三女姉も、お祝いに合わせて帰省するそうな。

今年は4姉妹が勢揃いしそうです(いろんな意味でトンデモナイことになる→120%確定)

兄さま方はまだどうなるのか未定のようですが。


2005年05月27日(金)



 ぱんちゃん

突然ですが、私はぬいぐるみが好きです(ぇ

初対面、外見、雰囲気、ちょっと話した感じだと絶対にわからない&想像出来ないとは思いますが。

好きなんです(何だよ


特にパンダはフォーリンラブです(落ちるな
前世はきっとパンダに襲われて死んだ中国人なんだ、とか考えてしまうくらい好きです。

アフォ言うなそこ。

幼稚園の時、長女姉にもらったパンダのぬいぐるみは今でも持っています。
上京する時も、このぬいぐるみだけは引越し荷物に入れました。

高さ25cmくらいのミニサイズで、今じゃ抱きしめて一緒に寝るってことはしませんが。
小さい頃は、それはもう溺愛しまくりーの。

母なんかには「あんたの嫁入り道具かい?」とまで言われ、もちろん満面の笑みで頷きましたが(´¬`)

パンダ以外にも好きなぬいぐるみはあって、トトロにも一時期ラブでした。
(や、今も好きだけど)
まだ自分が実家に居た頃(中学生あたりまで)、たまに実家に帰ってくる姉とか兄にお願いするお土産は、いつもいつもぬいぐるみ。

溢れんばかりのぬいぐるみを手に入れても、いつまでもトップの座を誇ったのはこのパンダ、通称ぱんちゃんでありました。


17年ほど一緒にいるのに未だに名前がないんですが。


小学生時、ままごと遊びを友人としていても、私が使うのは必ずぱんちゃん。(時にはちっこい灰色トトロ)
しかも扱いがチョー上手い(自他ともに賞賛(スンナ
声も変えてぱんちゃん声で喋ってました。

お前ヤバイとか言わないそこ。


どうしてかわからないけど、本当にどうしようもなく好きで好きで。
上野動物園で生まれて初めて生パンダを見た時も、狂喜乱舞していたし(迷惑

宝モノは何?って聞かれたら、フルートだとかピアノだとか、もらったアクセサリ等をあげるかも知れないんだけど。
ぱんちゃんも宝モノ。

変な話、火事だとか大地震が起こった時、何を持って逃げるかって聞かれたら、フルートとかよりもぱんちゃん持ってくと思う(笑
逃げれなければぱんちゃん抱えてそうだし。

でもひょんなことから私が死んじゃったりしても、棺にこの子は入れないで欲しいと思う。
人形に魂が宿るなんてアレな話だけど、宿るとしたら私の場合は絶対ぱんちゃんなんだな。
一緒に連れていきたい、って気持ちよりも、私を1番理解してくれている人の元で、ずっと大事にされて欲しい。

ただ、飾っておいてくれるだけで良い。

抱きしめながら1人コッソリ泣いた夜とか、横に飾りながらいろんなことを考えて一喜一憂したことだとか。
それは誰も知らないことで、ぱんちゃんしか知らないことなのだ。

手術の後もあるし(母に縫ってもらった)、何度か洗ったせいでところどころハゲてるし、とっくに毛玉になっちゃって薄汚れてるぬいぐるみなんだけど。
(でもねー尻尾の裏だけはチョットだけキレイなんだよー(笑)

きっともう同じモノは何処にも売ってないし、類似品だろうと同じモノだろうと、他のだとダメなのよね。
ぱんちゃんだけが知っていることが多すぎるのだ。


私の場合は「ぬいぐるみ」なんだけど、読者の皆さんはそういうモノありますか?
人間じゃなくて、モノ、で。

人間に対してこういう気持ちを抱くのはとても大事なことだけれど、モノに対して抱いても良いと思います。

思い出の品を大事にする人は、思い出自体を大事にしているのだろうし。
どんなモノでも、馬鹿にしちゃイケナイなどと思うわけです。


そんなわけで将来私と結婚する人は、ぱんちゃん付きです(照


2005年05月26日(木)



 選考会


選考会当日です。

ドキドキです。
バクバクです。(しつこい


都営新宿線で神保町まで行き、三田線に乗り換えて内幸町まで。
キッカリ集合時間の30分前に駅に着いたんですが、一旦トイレに篭もって化粧直し&気合い入れ(ぉ
電車内では志望動機とか、エントリーシートに書いた内容だとかを頭の中で反芻してますた。

駅からは徒歩2分ほどの距離だったので迷うことなく会場に着きまして(むしろ運良く着いた、みたいな(ダメ)
入り口で、どうやら同志(?)らしき女性がウロウロしてたので、声をかけて一緒にエレベーターで15階まで上がって控え室へ。

静か過ぎて居心地悪かったヨ( ´Д`)

集合時間を少し過ぎたところで、出席(?)確認の後にいざ本番・・・なんだけど来てから知ったのが。
グループ面接でしたよぃぇぁ。

最大5人までのグループで、私のグループは4人。
対して面接官は2人(男性1女性1)
ルシから「おそらくグループ面接」と聞いていたものの、ちょっと何だか微妙な気分であります。


質問数は少なく、一応あげてみますとー

その1
簡単な自己紹介(自分の『強み』は何か、を含む。1分程度で簡潔にまとめる)

その2
学生時代、困難に陥りつつも努力をし解決に導いたことは何か(これはエントリーシートの質問と同じ感じ)

その3
その2の話を聞いて、前向きかつ建設的な感想(自分の前に発言した人に対して感想を述べる)

・その他、自己アピール(1分程度で簡潔に)

とまぁこんな感じでありました。

何が困ったか、って前の人の話を聞いてる余裕がありませんですた(どーん
頭の中で必死に話す内容を構成・反芻してる時に、前の人(私の場合は男性だった)が一生懸命話しているワケですが。

野球の話をしてるなー、人間関係大変だったんだなー、くらいは耳に残ったものの。
単なる感想じゃダメだろぉぃ、と心の中で非常に焦りました。

ちーん。←合掌?

私に対する感想として
「とても落ち着いていて見習いたいと思いました。
音楽に大変興味があるようで、素敵だと思います」

みたいな感じの、建設的なんだかよくわからないお褒めの言葉を頂きました(ぉ

つか、その場において
外見とか雰囲気落ち着いてみえたかもしれませんが。

実は全然落ち着いてねええぇ
とか思わず頭の中でツッコミ。

突っ込んでる場合じゃないよ自分。

面接後、同じグループの人たちとエレベーターを降りながら。
皆一様に(精神面で)憔悴した感じで、揃って溜息。

しかしアレだ、コレが就職活動生特有(?)の「何だか親近感」ですか?(どどーん
学校も学部も全然違うけど、何となく意気投合してしまえる、この微妙な和んだ雰囲気。

うーむ。
不思議です。
悪いもんじゃないな、とは思うけれどね。

ちなみに結果は2週間ほど経たないとわからないそうで。
連絡がなければ「ご縁がなかった」と言うことに。

感触的に、なさそーでした(´¬`)ぶぁー

まだ1社目なので、ちまちま頑張りまつ。


帰り、とんでもなく甘いモノが食べたくなって、寄り道してミスタードーナツ買って帰りましたっと。

あ、あと嬉しいご褒美があったなーv


2005年05月25日(水)



 真っ黒ヘア

美容院に行って、カットがてら黒染め。
黒くしたら重たくなるってわかってるくせに、あんまスいてくれなかったorz

なんか重たい気がするよー(;´Д`)

それにしても染めるとイメージ変わるものだねー。
やっぱりと言うべきか。
ちょっと昔の自分に戻った気分。

その後、バイトに行って。
更にその後、エステに行って。

・・・寝てるうちに終わってたよエステ(ちーん

次で終わりっぽいけども。
ラストエステ。

さて明日は初の面接ですぜ。


2005年05月24日(火)



 ぬいぐるみ

ガッコ終わった後、船橋へお直しの済んだスーツを取りに行ってきました。
ついでに靴も買い。

よしよしあとは明日のスケジュールを完璧にこなせば。

むん(、、


さておき。
飛鏡ちゃんはっぴーばすでーぃ22歳v(ぉ

私も再来月には22になるのかー・・・早いナァ。
19とか20になる時って結構ワクワク感があったんだけど、ナンダロウこの微妙な気持ちワ( ´_ゝ`)

私の(物凄く個人的な価値観の)区切りとして、6とか8の倍数歳って大事でサ。
次は24歳なんだけど。
それまでに何とか、こぅ、ねー。
自分自身の(主に精神部分の)建設と言うか、構築と言うか、きちんと地盤を固めて良き大人になりたいものです。

就職して社会に出るとまたいろいろあるのだろうし、就職するまでにやれることもまだまだあるし。
22歳になるまでに出来ることも、まぁアルと思う。

結構節目を大事にしたい人間だったりするので。


あ、でも30歳になるまでは飛鏡ちゃんにぬいぐるみプレゼントしてそーだな私(ヤメレ
もち私も贈ってくれたら嬉しいサ!ぬいぐるみ!(黙れ


豆を贈った、と書いて誤解されそうなので弁解しますが。
カワイイ豆ですよ?(ぃゃ弁解なってネェ)
笑えますよ?(ダメ

4つ買ったんだけど、形は全部同じでさー。
でも色と、表情がチョットずつ違うの。

白は白いんげんでしょー♪

黄色は大豆で黒は黒豆でそ?(´ー`)

でねー、でねー、緑はもちろん枝豆よv


・・・欲しいよね?(* ̄m ̄)プッ

吊ってこいとか言わない、そこ。


2005年05月23日(月)



 まめまめまーめ


おぉっといけねぇ、と思い雑貨屋さんへ行ってきました。
先日行ったお店と同じところ。

23日は飛鏡ちゃんの22歳の誕生日。

プレゼント買って送らねばーってことで買いに。
とりあえず「ぬいぐるみ」にすることだけは決まってるんだよね(マテ

私も飛鏡ちゃんも好きよのぉ・・・ぬいぐるみ(*´ー`)


4つほどシリーズものを買いましたよ。えぇ。
爆笑しそうになりながら買いましたとも。

つーわけで届いたら笑って下さい(ぉ


何を贈ったかって。
ねぇ。

ねぇ?(ナニ


何を隠そうです。


あーおっかしー♪(笑うな
つーか買うな自分。


2005年05月22日(日)



 距離感の狂い


かなり前になると思いますが(短大時代だと思う)距離感について日記に書いたことがあったと思います。
ヒトとヒトとの距離について。

(探し中)


・・・あー、あった。
2002年09月10日(火)の「一定の距離」で書いてたね。

当時の私はどうやら(ネットゲーム内限定のキャラとして)恋人との距離関係に悩んでいたようですが。
この『距離』に関しては、現実世界の私にとっても常々悩みの種です。


中学時代、同級生との距離感、両親との距離感に悩んでいた時期が確かありました。
思春期で、反抗期だった所為もあるんだろうけども。
両親はさておき、その頃の私にとって、同級生(の一部)の言動がどうしても幼く見えてしまうことがありました。

特に女子。
陰湿で、くだらないことで悪口を言ったり衝突したり、誰かを仲間はずれにしたり、筋の通っていない勝手な理論を構築したり、とにかく下品な振る舞いをする。
そういう生徒は凄く嫌で、私は(飛鏡ちゃんやアベを含めた)ごく少数の人とだけ親しくしていました。

1,2度そういう人と衝突したことはあるけど、口じゃ負けないから私(ぉ
あの頃は勉強も運動もそれなりに優秀だったから、いじめの対象でもなかったしね。

親しい人の前では本音をズバズバ言うし、ボケるしツッコミもいれる素の自分。
そうでない人の前では、特に当たり障りのない対応をするようになったのも中学時代。

『群れる』ことで偉そうな態度をとる女子群は嫌悪の対象で、だから私は自分1人で考えて、自分のやりたいことをしてました。
当時はまぁ、ちょっぴり周りに迷惑をかけてたかもしれないけど(;´Д`)
ふざけたことする奴には、後でどういう陰口叩かれてもいいから、きっちり言う。

・・・まぁ当たり前か。


話を元に戻して。
対人関係における距離感の話ね。

現在の私にとって、適切な距離を判断する、築く、維持する、ってことは無理なく出来ていると思います。
ある程度は。

両親、兄姉、友人、知人、先輩に後輩に先生ー・・・とか。
特に問題はありません。
バイト先の方々ともうまくやっています。

1つだけ今でも上手く距離が保てない相手は、恋人。
どうしてか、ダメ。
いつもならかかるハズのブレーキだとか、アクセルだとかが上手くかからない。

近づき過ぎてお互い傷付け合ったり、離れ過ぎて寂しい思いをしたり。
他の相手なら距離バランスがとれるのに、恋人とだけは全くもって適切な距離を見出せない。

何と言うか、築くところまではイケルんですが。
維持が出来ないんだ。
グッドな距離感が持続しない。

ある時はワガママ全開で自分のことばかりになってしまったり、ある時は真逆で、相手の為ばかり考えて行動してしまったりする。
(それも自分の為、に繋がることが多いけど無理することも多い)

どうしてか非常に不安定になります。
一晩たつと全然違う気分だったり、考えになったりもして。


恐らくは、恋人に対して(精神的に)無防備過ぎる部分が一因なんでしょうが。
この改善は今後の重要課題であります。

イイ女になるためには、必須だと思うタブン。



2005年05月21日(土)



 祖母

祖母が乳癌らしい。

実家の母から電話があって、初めて知ったんだけど。
26日に手術するんだってさ。

祖父母で生きてるのは、この父方の祖母だけ。
祖父は両方とも私が生まれる前に亡くなり、母方の祖母は先日書いたように私が小さい頃に交通事故で亡くなってるので。


祖母(我が家では祖母のことを「おかーさん」と言う)は私が高校に入学するくらいまで、実家の隣の一軒家に1人で住んでいました。
当時はほとんどボケてなかったし、1人で家事も買い物も仏さま(仏壇)へのお参りとかお供えもキチンとしてる人でした。
家が隣だったから、よく唐突にウチへやってきて、和え物とか果物とかを置いてったりもした。

ある時、そろそろ1人暮らしも危ないから、という話になって。
ケアハウス(老人ホームだね)に入居することになったんだけど、それからと言うもの、ビックリするくらいボケが進んでしまったようです。
曾孫を見ても、名前を思い出せない、誰の子供かわからない。
かろうじて孫の私たちのことはわかるっぽいけど、どこか祖母の中で時間が止まっている感じ。

(もしかしたら祖母の中では、私はまだ高校生あたりかも知れない)

ボケが進んでしまったことで、叔母さん(父の妹)と私の母の間でいろいろと揉めたっぽいんですが(よくある不毛なヤツ)

ともかくも、それまで私の記憶にある限り、病気なんて1つもしたことのなかった祖母が途端に老いてしまったような気がします。

一昨年あたりには大腸にポリープが見つかって手術をしたし、お風呂場で転んで救急車で運ばれたこともあったらしい。
詳しくは知らないけれど、他にもいろいろあったんだと思う。
そんな祖母も、今年で米寿を迎えます。
7月末に米寿のお祝いをする予定なんだけど、どうか無事に迎えることが出来て欲しいです。


癌はまだ転移してないとのことだけど、乳癌・・・だもんねぇ。
左側を全部取っちゃうっぽい。
母は「手術すれば大丈夫」って言ってたものの。

幸いと言うか何と言うか、当の祖母はボケの所為で全くわかっていない様子。
病院に連れて行く時も、「あら買い物にでも行くのかい?」ってな感じなんだそうです。

祖母は祖母で心配だけれど、母も心配です。
電話の声が少し疲れてるように聞こえたので、いろいろ準備や世話があって忙しいんだろうな、と。


とりあえず手術の成功を祈ります。


2005年05月20日(金)



 い・ま・す・ぐ

バイトが終わった後、船橋へ移動してスーツを買いに行ってきました。
フロアの一角にあるリクルートスーツ売り場へ。

もともと持っている1着はスリーシーズン用なので、今回買うのは薄地のモノに。
色はフツーに黒です。
Yシャツは7分丈の開襟タイプのものと、長袖のnot開襟タイプのものを(どちらも勿論白)

スーツとYシャツのサイズは9号&一部11号を試着室へ持ってきてもらい、スカートはウエストサイズが2cmきざみで用意してあったので、・・・あぁサイズは内緒( ´Д`)
3サイズ持ってきてもらいました。


そんなわけで試着スタート。

とっとと脱ぐ→とっとと着る(ぉ
以下繰り返して、サイズの合うものを選択選択。

(’’ ・・・。←鏡の前

(、、 (肩幅があると損だよなぁ)


(、、ヾ ・・・ぬぎぬぎ ←落ち込んでる

仕方ないので11号持ってきてもらおう、と一旦試着室を出たのです、が。

周りに店員が全然いない。
ちなみにさっきもいなかった。
なんで試着してるのわかってんのに、近くにいないんだろー。

いるもんじゃないっけ?
通常、カーテンあけたらいろいろアドバイスとかしてくれるもんじゃないっけ?

(、、 ・・・。


仕方ないので試着したまま売り場に行って(試着室はちょっと離れた場所にある)目的の服を持ってきてもらう、ってのを2度ほど繰り返し。

3度目あたりでイイ加減私もイライラしてきて、さっきの女(店員)はドコやねん、と思い近くの年配の女性店員に呼んできてもらい。
ようやくやってきた店員が私に向かって言った言葉が

「お客様、試着室から離れられては困ります」

(・・・ぶちッ)←あっ


店員はつまるところ。
試着室に貴重品があるなら離れるのは危険だ、ってのを言いたかったらしい。
が。
だったらそもそも離れずに済むように近くに(以下罵詈雑言

ぃゃ貴重品持って離れれば良い話なんですけど。
けーどー。


(・_・) ←無表情でキレている



(#´ー`) ニッコリ。 ←引きつった笑顔


「だったらコレとコレの1サイズ上と、あそこのバッグを持ってきて下さい。
い ま す ぐにお願いしますね」

って言っちゃった。てへ。

・・・あークソ不愉快な買い物だった(ぉぃ
スカートのお直し(裾だし)を頼んで、ついでなので上着も保管してもらって、Yシャツとバッグだけ持って帰りました。

靴は後日。

あの店員には2度と会いたくないワ。


2005年05月19日(木)



 その日までの道のり

さて、某有名企業の面接が25日と決まったので、何となく(精神的に)ザワザワとし始めました。

スーツは1着持ってるんだけど(大学入学時に購入した)
足りないよな、と思ってもう1着買う予定で。
でも体の大きさにサイズを合わせると、袖の長さやスカート丈が短くなり。
逆を合わせるとぶかぶかになってしまう、と言う。
これは服を買う上でいつも悩まされる悩み。

せっかくだからオーダースーツにしようかと思っていろいろ調べてみましたが、ちょっと時間とお金がかかりすぎるかなーと思い改めまして。
フツーにリクルートスーツを買いに行って、必要であれば(必要だろうけど)お直しをしてもらえば良いっかー、と。


次に困ったのが、その企業の攻略デス。
またしてもフツーに調べて対策練れよ、って感じですが。

ここは1つ。奥の手(?)を。
ってなわけでルシに連絡を取りました。
実はこの大手企業、去年までルシの職場だったりしたわけで。

『○○○○(←社名)の攻略方法教えてヨ』
とメールしたところ。

諦めろ

Σ(´□`。 ハァ?!

って感じです。
一言目からアリですか?アリなんですか?

『なんでやねん』
『今時期からだとリクルーターにコネがないと、先ず入れない。短卒だし、今が音楽の専門でしょ。
頑張ってとしか言えないよな』


orz なんて無慈悲なお言葉

しかし確か全国(この会社限定なら首都圏か)一斉にリクナビ(有名な就職活動サイト=リクルートナビのこと)で応募受付だった気がする。
ので、これが正規ルートではないんだろうか。

私の挑戦は無謀なのでつか?(ちーん

『一応、作文の審査は通ったんだけど』
『そこまでいけたら○○ちゃん(私)ならイケるだろ』


つか全然攻略方法になってねえぇ
気休めにもなりません。

その日の夜、電話がきてあれこれ話をしたんだけど何だかピンとこず。

次の日、今度はコンタクトで行くかメガネで行くか悩み。
またルシにメールしました。

『メガネかけたほーがいい?かけないほーがいい?』
『わしは○○ちゃんならメガネが萌えだと』

「わしは」じゃねええぇぇ

『元管理職としての見解でもあるが』

(´□`) それを早く言いたまえよ

『じゃ、休み中にメガネ作ってくる』
『萌え(*´Д`)=3』

orz 萌えんなよ
↑(いつものような)無視する心の余裕がない


とにかくも。
面接の日まではドタバタと忙しくなりそうです。

スーツ買ってバッグ買って靴買って、美容院も行かなくちゃーだしメガネも作らなくちゃーだし。
ついでに病院行かないと。

いろんな意味で大丈夫だろうか、と不安であります。


2005年05月18日(水)



 時間に正確に


お昼でガッコが終わったので、バイトまでの空いた時間、Iっちと近くのトンカツ屋さんに行きました。

「Oさんとは仲良くやってるの?」
「あぁ、えぇ、まぁ」

(´¬`) 左様かー

Oさんと言えば魔性っ子Oさん(誰
入学当初からOさんにホの字だったIっち。
でもいろいろと、ホントいろいろと紆余曲折あって、2人が付き合い始めたのは3ヶ月ほど前から。

大丈夫だろうかと心配しつつも、それなりに上手くやってるらしーです。
聞けば頻繁に喧嘩してるらしいけど(ぅぇー


「あのホンワカ魔性っ子OさんもIっちに怒られて泣いちゃうわけだ」
「毎度泣かせてます」

Iっちが怒るってことはよっぽどなんだろうな(ぉ

「ワガママ言うの?」
「あーそれはたまに。それよりも問題はアレですよ」

「何だ」
「非常に時間にルーズでですね」

「(・・・私と同じじゃん)」←マテ
「2,3度ならまだいいんですけど。毎回やられるとさすがに会う気が、こう、ちょっと」

「そりゃーイクナイね」
「でしょう?」

「うんうん、遅刻はイクナイ」←自分棚上げ

いや、一応弁解しますが。
10分20分なら遅刻常習犯だけど、それ以上はさすがにアレだよ私だってサ!!(何だ


「10分や20分ならいーですよ僕も待ちますよ」
「(ぎっくーーーー)」

・・・ビビるな自分。

と、食事の途中で。
Oさんから電話がきたっぽい。
聞けば、このあとデートの予定だそうな。

一旦席を外したIっちを横目に、トンカツをお箸で突っつきながら私の脳内談義すたーと。


(・・・確かになー友人と遊ぶ時は遅刻するなぁ私も。
でも恋人相手の場合はそんなこと・・・あぁでもでも30分とか遅れたことあったっけ。
東京駅で待たせたことがあったよぉぅぃぇゴメンナサイ。

そういえば大学1年の時に、待ち合わせの時間に目が覚めたことがあったか(マテ
ぃゃあれは物凄く後ろめたかった・・・けど少し後に相手が地雷踏んだこともあってすぐ別れたっけ。

しっかし今まで待たせることはあっても待つことは少なかったんだけど。
あの人に関してはとっても待たされたなぁ。

まず年末に旅行いく約束してた時は、軽く1時間は駅で待ったし、次の日の夜もお風呂上りに家飛びだして外で軽ーく同じくらい待ちぼうけ食ったし。
デートの約束してても2時間とかフツーに待ってたこと結構あるなぁ・・・。


って、それってどーなんだ自分Σ(´□`;

通常(?)待たせる側なのに、あの人に限っては待たされる女と化してるとゆーか、何か自分のペース全壊してるしいやそれってどーなのよマジであsdfghjkl;:(以下略

・・・フー。
いつもは強気な私だから、待ち合わせに相手が遅れたら速攻帰りそーなんだけどなー(ダメ

待たされた理由の多くは仕事の関係なんだけど、そうじゃない理由の時もあったし・・・
なんていうかこう、私ってば非常にバカちっく?

ぃゃぃゃそれにしても。
後にも先にも私をあれだけ待たせるオトコは、あの人だけじゃなかろーか?)


以上、脳内談義おわり。
Iっちが謝りながら戻ってきて。

「もうイヤっすよ」
「何、Oさん寝坊したとか?」←私じゃあるまいし

「13時に会う約束してるんですけど、まだ家出てないみたいなんですよ」
「・・・もう12時50分じゃん」

遅刻キター。

Iっちは17時からバイトで、それまでコルトンプラザあたりに映画でも観に行く予定だったんだそうな。
途端にデートする気を失ってるIっち。

「・・・まぁ何度も遅刻してるようなら、1度ガツンと怒れば?」
「そーですね・・・そーします」

私は怒られたくないケド(聞いてません

食事が終わったところで、Iっちがカバンから
「あ、これどうぞ。静岡(実家)のお土産です」

と言って、みすず飴をくれました。

(、、* ぉー みすず飴って食べたことn・・・


「よければ彼氏さんとどうぞどうぞ」

( ・_・) 



( ・_・) (・w・ )? ←Iっち


(´ー`)=3 ・・・ふー

Σ(・△・; ←Iっち


「すすすすすすスミマセン僕としたことがghjkl;」

「いや、こうやってゆっくり話すの久しぶりだから。Iっちには言ってなかったねウン」

「申し訳なさすぎて自害します本当にすみまs」
「や、自害しなくていーから」

「いやもうこんなところでまさかNGワードが」
「NGワードってウケるんですが」

笑。

そんなこんなで、私はバイトに行かなくちゃならない時間だったのでお別れ。
あの後IっちはOさんとデートしたんだろうか。

謎であります。



2005年05月17日(火)



 どうでしょう

選考会の案内キター。

どうやら先日提出したエントリーシート、選考通ったっぽいです。
アレでいいのかアレで。
しかも16日のうちに案内がくるなんて早すぎるんじゃないかと。

審査早ッ ホントに読んだのかッ

など様々疑惑(?)はあるものの、次は面接らしいです。
選考方法がきちんと公開されていないので、これが最後の面接なのかハタマタ一次面接なのか、そして個人面接なのかグループディスカッションなのかすら謎です。
通らなきゃ次がないのは同じなので、頑張るだけですねハイ。

面接は3日間のうち好きな日時を選べるとのことで、いろいろ考えて中日の25日お昼に予約をとりました。
そんなわけで本社に行ってきマス。


世の学生のように(?)説明会とかいくつも予約しまくったり、何社も掛け持ちで面接とか私には無理っぽいので、1つ1つ頑張ろうと思います。

と言うか第一志望の企業とか決まってないのはどうかと思う自分。



2005年05月16日(月)



 またかよ、てな感じ

トピごとまとめ日記。


○そういえば風邪引きました。
確か火曜日だったので10日からかな。
3月に引いたばっかりじゃんYOとか、自分で思わず突っ込んでしまいました。
喉が痛いし鼻はズルズルだし、味覚は死ぬし。

いやー病は気からッスか?


○贈りものが届いたっぽいです。
良かった良かった。
20歳かぁ、やっとこれで合法的に煙草が吸(ry

・・・ね(ナニ


○家の外壁工事(どうやらペンキ塗り直しだったらしい)は18日頃まで続きました。
なぜかベランダに置いといた物干しが消えてます。
何処いった。

部屋干しはもう勘弁。


○半月遅れでようやくバイト代が出ました。
別に生活に困ってるわけではないので、遅れるのはまぁイイんですが、私のバイト代すら期日に払えない会社ってチョットカナリやばいんじゃないかと常々思っています。

つか思いっきり後回しにされてるとか?(´¬`)


○ある事に関して、ようやくと言うかググって調べてみました。
調べてようやくいろんなことが繋がったと言うか、納得したと言うか。
いや激しく「今更」なんですけどね。
どうしてだろう、って思う気持ちはほとんど消えました。

時間はかかってもまぁ傷は癒えるんだろうな、と。


○5月に入ってから、さっぱり自炊らしい自炊をしていません。
3月4月に作りまくっていた反動ってワケでもないんだろうけど、すっかり健康生活レベルが落ちてしまいました。
母にポロッと伝えたら、心配させてしまって今度何か送ってくれるそうです。

ホルモンがいいですママン。
つか「あら〜いいじゃないの自炊しなくても。コンビニでもファーストフードでも好きなもの食べなさいよ」とか言わないでママン。

心配したのはどうやら食が細くなったことに関して、らしい。


近況はそんな感じかなー。



2005年05月14日(土)



 5年

あれから5年が経ちました。
ベタな言葉ですが、「ホント早いものです」

この日を覚えている高校時代の部員、何人くらい居るんだろうなぁなんて思いながら。
覚えてたって、地元に帰るワケでもない私は思いはせるくらいしか毎年してないんだよね。


ヒトの生き死には本当に突然で、なんで高校生で心臓発作なんだよ、とか、持病もなかったのに、とか考えてもどーしよーもなくて。
自分が16歳だったあの時に初めて、血の通っていないヒトを間近で見ました。

小さい頃に母方の祖母が交通事故で亡くなったけれど、私は全く記憶がなかったし、それから近親者は誰も亡くなってないから。
あぁでも薄っすらと「焼き終わった骨を拾ってる場面」は覚えてるかも知れないなぁ。

それくらいで。


すでに先輩より4つ年上になっちゃったけど、多分来年も再来年も覚えてて、そうやって少しずつ歳が離れていくんだろう。



2005年05月13日(金)



 エントリーシート


ぼちぼちマイペースで就職活動中だったりしますが、とある会社にエントリーシート(応募書類みたいなモノ)を提出しなくちゃいけなくてーですね。

資料請求して、シートが届いたのが10日あたり。
提出期限は13日消印有効(マテ

時間がありませんですた(´¬`)

や、提出しましたよ勿論。
しましたとも。
表がプチ履歴書みたいなモノで、裏が作文(問題2つ)というエントリーシートです。
ちなみに会社によってシート内容は様々ですが。

スーツ姿で写真を撮りに行き、あまりの写りの悪さに泣きそうになりながら(選考落ちたら写真の所為にしそうだ(スンナ)

まぁ写真は仕方ないとして(仕方ないのか?)
問題は作文です。

問題その1
『あなたが学生時代に自ら問題意識を持ち、解決のために考え、チャレンジした事は何ですか。その問題意識を持ったきっかけ、全体を通じて学んだことも含めて具体的に教えて下さい』

〆(’’ ・・・。


問題その2

『あなたが他の人に負けないと考えているものは何ですか。また、それを○○○○(←社名)の中で自らどのように活かしたいと考えていますか。具体的に教えて下さい』

〆(、、 ・・・。


とりあえず、紙いっぱいに書き綴るべきだとゆーことくらいはわかるんですが。
印象も良いんだろうし。
それよりも何よりも当然中身が重要で。

困ったなぁ、と悩む。
時間はないけど悩む。

国内っつか世界トップクラスの規模を誇る会社だったりするので、しかも知らない人は居ないだろうってくらい知名度のある会社なので、多分応募者も半端な数じゃないだろうし、ココは1つ筆の神様(ハ?)の降臨を待つしかないかなーなんて。

なんてね。
や、単に私の「書く気」が起こるの待つだけなんですけど(死ね

その気になればソコソコ良い中身の文章が書けると思う。
思うけどなかなかその気にならないんだよなー。

で、待つことウン時間。
朝まで眠らず待ちましたが降臨せず(やる気あんのか?

無理やり降臨させて、一旦パソのメモ帳に下書きして、字数をチェックして。
さらにエントリーシートに鉛筆で下書きして、黒ペンで清書して完成。

何だかんだ言ってスルスル書けちゃいました。
紙いっぱいにね。

あとはこれが、会社の選考委員の人にとって
説得力があって・共感できて・意欲等がきちんと伝わるかどうか、というところ。

こればっかりはなー(汗
提出する前に誰かにチェックしてもらえば良かった。
と、今更思う。

思うけど時間もなかったし仕方ない。
しかもギリギリ提出ってかなりイメージ悪いんじゃないか、とネガティブになりつつ。

あとは神頼みってな感じです。
16日〜27日の間に、通過した人には面接の案内がメールで届くそうな。

エントリーシートでまず書類審査するって言うのは、
『求人に対して応募がかなり多い場合に、企業側が面接をする負担を軽減するために事前選抜として実施する場合や、安易な応募を牽制するために行う』
らしい。

つまりかなりの人数が漏れちゃうんだよなぁ、って考えると更に(以下略

何だか今から非常にナーバスで御座います。
とは言え、まだ活動始めたばかりだし、もともと一般的な学生よりかなり遅れをとってるワケだし(活動始めるのが)

ついでに気を大きくもって(?)長く日記を書いてきたワケだから、作文では評価高いだろうきっと。
などと物凄く過大かつ希望的観測で結果を待つことにしました(自己防衛です(ナニ


あまり気張らず、無理しすぎず、自分のペースでちまちま活動していこうと思います。



2005年05月12日(木)



 泥んこの話

幼稚園の時だったか、小学校低学年の時だったか・・・
当時私はテレビゲームも好きだったけど、田舎っ子らしく(?)太陽の下で遊びまくってました。
日焼けして色黒だったしね。

三男兄や友達と遊ぶことも多かったし、実家の庭で1人遊びもよくしてた。

トンボや蝶を捕まえたり、洗剤を水で薄めてシャボン玉作ったり。
家の前の歩道が舗装される前とかは、アリの巣の近くでシャボン玉遊びをしたり。
シャボン玉の中にさ、アリを閉じ込めるの。←悪ガキ

・・・死んじゃうんだけどねアリ(;´Д`)

イチョウの葉を延々タテに裂き続けたり。
ツツジの花の蜜を吸ったり。←きちゃない

そんな1人遊びの中でも、ふと思い出したのが泥んこ遊び。

庭のテキトーなところにシャベルで穴を掘って、掘った土に水かけて泥をつくって、また埋め直す。
で、誰かが引っかかるのを待つの。

・・・人んちの庭に誰も来ないのにサ(どーん

ある時は(庭が結構広かったから)物置の影に隠れて待ってみたり、ある時は庭を見渡せる家の中から待ってみたり。
でもただの1度も引っかかる人は居なかった(当然

まずさ、穴が浅いの(笑

30cm×30cmの幅でさ、深さなんてせいぜい10cmくらいでさ。
片足分くらいの大きさなのよ。

しかも泥んこと普通の土って色が違うから、ひと目でわかるじゃん。
たまたま父や母が庭の手入れで外に出ていたって、はまってくれるワケないんだよね。

でも当時の私はずーーーっと待ってた(笑

挙句、夕方になっても誰も踏まないから、泥も乾いてしまうしと思って自分でハマる(マテ
今思い出すと、うわーすげーアフォじゃん私(´¬`)

片方の靴だけ、裏とふちが泥だらけ。
いやーあの頃そんな私を見て、母は何を思ったんだろう(ぉ


それを毎日ではないけれど、何度も何度も繰り返してたことがあるなぁ。
いつだったか忘れたけど一時期ね。

あ、でもね、暫くしてチョットだけ知恵がついてさ。
泥んこの落とし穴の上に、普通の土をまぶすテクニックは覚えたわ(爆

・・・結果はもちろん変わらなかったヨ(´¬`)

ねー、バカだよねー。
一生懸命落とし穴ってわかんないように作ってもさ、
作業してんのバレバレじゃんね(笑


どうしてだろうなぁ、って考えたんだ。
どうしてそれでも毎度毎度作っては自分でハマり、作っては誰かが踏むのを待ってたんだろう。

今思えば、わかっていても誰かに踏んで欲しかったんだ。
落とし穴作ったんだな、って言って欲しかったんだ。

そこに落とし穴が存在するってのを、認識して欲しかったんだ。

落とし穴はまるで「自分」そのもので、きっと誰にも相手にされないのが悲しかったんだろう。
(最終的に自分で踏むあたり、如実に表れてるよね)


もちろん、今はわかっています。
庭に落とし穴があるのを、家族が知っていたことくらいはね(笑
単なる1人遊びだと思って放っておいただけなのだ。

今となっては当時の自分の拙い気持ちも、周りの人の当たり前の反応も、理解できます。


そんなことを不意に思い出して、何となく現在迷走中の自分にとって、何かのヒントになるような気がしました。



2005年05月11日(水)



 眠る花

バイトが終わった後、船橋へ行ってきました。
以前住んでたのが船橋なのと、デパートが多いのとで。
わりとちょくちょく足を運びます。

今回はシュウ・ウエムラの化粧品(下地ベース)を買う用事で。
ついでに住んでた頃によく食べに行ったパスタ屋さんで、夕食をとって帰りました。


・・・んがっ。花を買うの忘れたヨorz


ところで、日曜日は母の日だったわけですが。
皆さんは何をプレゼントしたんでしょーね。

来年の参考にするので教えて下さい(ぉぃ

私はとゆーと、プリザーブドフラワーを贈ってみました。

いま流行りの花なのですよ。
造花でもドライフラワーでもない花で。
生花を「眠らせる」のだそーです、2年くらい保つんだってさー。

吊るされた鳥かごの中に、プリザーブドフラワーのブーケが飾ってあるギフトです。
エレガントな贈りものだろう(*´ー`)

と、自画自賛。
母も大変喜んでくれました。


ちなみにドトールで注文したのは内緒(ぇ
ドトールって、コーヒー豆売ってるだけじゃないんだよね(失礼

来月は父の日だなぁ。
ホント、男性への贈り物って迷うよ。
選ぶ作業は楽しいんだけどね。
喜んでもらえるのか不安で仕方ないってゆーか。

どーしようかと今から考え中。


2005年05月10日(火)



 贈りもの


授業とレッスンの間に時間が出来たので、近くの雑貨屋さんに行ってきました。
ここでは以前、テーブルクロスを買ったことがあったのよねー。

今回の目的は誕生日プレゼント。
今年で20歳とゆー節目を迎える友人の。

特に何を買おうとは決めてなくって・・・男の子って何をもらったら喜ぶんだろーね。
毎度毎度悩む(;´Д`)

母の日よりも父の日の方が悩むしなぁ。
なんでだろー。
こういう時って、同性相手の方が選びやすいものなのかな。


で、案の定今回も悩んで店内をうろつき。

(、、 ・・・んー


ぬいぐるみ?(ヤメレ

それはさすがに引くか。
しかも欲しいのは私だったりね(駄目


(、、 ・・・んー


オモシロイぬいぐるみ?(マテ

これはあまり欲しくないなぁ私も。
いつの間にかワタクシ基準だよ。
ハハハ。←笑い事ではナイ


で、まぁいろいろ悩みましたが選んで。
お店の人に頼んで宅配してもらうことにしました。
送り先は広島なんですケド(遠ッ

何を買ったかは内緒です(言えよ


その友人とは、実はまだ1年弱の付き合いです。
時間の長短はそれほど重要じゃないかも知れないけど、兎に角とても大事な友人です。

私に何かあるたびに迷惑かけ心配かけ、歳は私よりも下だけど凄く頼りになるって言うか。
知り合ってからの、大抵のことは知ってるかもしれないなぁ。
私にあったいろんなことの、ね。

私もそれなりにその友人のことは知っているのかな。
どうなんだろう。
きっと、必要なことは話してくれていると思う。


かつて、私のことを友人以上の存在として見てくれたことがありました。
嘘偽りなく、とても嬉しかった。

嬉しかったけれど、お付き合いはしなかったんだよね。
私がその人を選ばなかったから。

面白くて、素直で、誠実な人で。
恋人としてお付き合いしたら、遠距離だとしても穏やかで楽しい恋愛が出来たと思う。


それなのにどーしてOKしなかったんだよ、ってのは野暮だから聞かないよーにソコ。

ともあれ、今は大事な友人として関係が続いています。
あちらには現在素敵な恋人がいるし(私も知り合いなのだ)、幸せになって欲しいと思う。

心から。

大事な人の幸せを願う気持ちに、嘘はないのだ。


そんなわけで、幸せな誕生日を迎えられますように。
ささやかながらプレゼントを贈ります。



2005年05月09日(月)



 これくらい?

さて、パソ購入の日記で、購入前に実家に連絡を入れた件に関して。
本日のネタはこれです。

5月1日、長女姉宅に泊まりに行きました。
ちょうど実家から母も来ていて(バースデー割引を利用して孫めぐりだそうな)
サンマルクっつーパン屋さん奥のレストランで、非常に美味なフルコースを堪能したりもしたんですが、それは置いといて(ぉ

・・・あ、焼きたてのパンがさー、バスケットに山のように盛られてさー(*´¬`)
好きな種類のパンを好きなだけ、食べられるんだよねーv

焼きたてってこともあって、どれもとっても美味しいのー(悦
コース料理と一緒にいくらでも食べれるんだよー。

ほっぺ落下さー(*´▽`)


・・・それは置いといて。

1日の夜、母と2人で少しだけお話を。
何がキッカケだったか忘れたけれど、パソコンが壊れてしまった話になって。

「どうするの?」
「就職活動もぼちぼち始めるし、なるべく早いうちに買うよ。
今はネット上でしか募集してない会社が多いから」

ネカフェに通うのも面倒だしね、と。
そうしたら。

「あら、じゃあ早く買いなさいよ。
いくらくらいあれば足りるの?」

マッテおかーさまよ。

どうしてそんな簡単に言うんだい。

「え、いや、自分で買うからいいよ」
「何言ってるのお金ないくせに」

「いや、あの、一応パソコン買う程度の貯金は」
「12,3万くらいなら出してあげられるから買いなさい」


話が勝手に進むよママンorz

だからどーしてそんなに簡単にホイホイっと出そうとするかな。
泣きそうになるってばよ。

私にパソコン買ってくれる余裕があるならさ、その分貯金してさ、夫婦で旅行にでも行けば良いのに。
いつか新婚旅行でまわった所をもう一度、って、言ってたじゃんか。

そう言おうとして、でも母や父にとっては
『子供のために使うお金』の方が大事で、優先なんだって思った。
わかっていたことではあるけれど、親の愛の深さがたまらなく有り難くて、同時に切ないよ。


「でも、去年電子ピアノ買ってもらったしさ・・・」
「貯金は他の就職活動に使えばいいでしょ」

って言われて、私も結局甘えることになってしまった。
そうする、って言って、ついでみたいに
「ごめんねお金ないのに」と言うのが精一杯でした。

でも母は、何でもないような顔して
「いいんですよこれくらい〜」なんて言う。


素直に『ありがとう』って言えない分、
なるべく価格を抑えてパソコンを買い、就職活動を頑張るって決めました。

なんかもぅ、スネかじってばかりだよ私。
そう言ったって、「今のうちに出来ることしたいのよ。お金出して済むことなら全然構わないのよ」
とか言うからさ。

もう何年も親の前でなんて泣いてないけど、さすがに泣きそうになっちゃうさ。






とまぁ、そんなことがありまして。
パソを買う時に実家に連絡をいれました。

これから買うから、と。
価格はこれくらいだけど、私が先に払っておくからね、と。

じゃあすぐにお金振り込んでおくね、って言われたけど「いつでもいいし、無理しないで」と言って電話を切りました。
GW中だったのに、数日も経たないうちに全額振り込まれていて、かなり胸がチクリとした。


そういうお話。



2005年05月08日(日)



 唐突に工事が

朝から家の周りが物々しいな、と思っていたら大家さんから電話がきて。

家の外壁の工事(ペンキ塗り直すんだろうか)をするそうな。
同じ敷地内にある私の家もついでに一緒にやるんだそーです。

家の周りに着々と足場が組まれて、緑のシートが被されました。


洗濯物干せないよママン。・゚゚・( ノ□`)・゚゚・。

しかも足場は2階まで組まれているワケで、作業の音とか聞こえると、何だかプライバシーがない感じ・・・チョット落ち着かない。


1週間ほどかかるそうなー・・・
それまでは洗濯物は部屋干しだね。

干す前にファブリーズしよう(、、。



2005年05月07日(土)



 ヤフー

パソ購入してからと言うもの、以前のようにメッセあげっぱだったりするわけですが。
(そしてほぼ退席中だったりネ)←放置

以前と変わったことと言えば、ヤフーの千葉県チャットに出入りするようになったことでしょうか。
あとヤフーメッセも取得してみました。
今更かよ自分。ぃぇぁ。


千葉県チャットに初めて行ったのが、確か5月5日の未明でした。
5,6人の参加者がいて、何故か「海(ディズニーシー)に行くぞ」という話になって(←巻き込まれて?)

「いつ?」
「今日これから」

Σ( ´□`)

ぉぃぉぃマジかよ、とここでまず引いて(ぉ
ヤフ茶って突発オフは普通にあることなのだろうか、と素で疑問に思いました。

勢いに流されて(でもシーは今度という話になって)オフに参加する・・・かなー?って状況だったんだけど。
結局行きませんでした。

(精神的にアレだったので)行けなかった、っていうのが正しいのかな。
それを(チャットで)初対面の人たちに説明することは出来なくて、すっぽかした形になってしまい、とってもゴメンナサイな感じorz

や、そもそも勢いとその場のノリで参加をOKスンナ自分(;´ー`)


思えば、オフはおろか友人と遊ぶことも長いことしてなくて。
原因はハッキリしていて、あの人と付き合い始めた年末から、今までずっと。

3人以上で出かけたことはあるけれど、それも2,3度。
以前はよくクラック君と映画を観に行ったりしたものだけど、全く行ってない。
実は何度か約束してたんだけど、悉く私がドタキャンしたんだよね。

いつもはルーズで気分屋で、断る時は冗談混じりにメールしてたんだけど。
年明けからは、おそらくクラック君も私の精神状態に気付いたのか、或いはメールの内容が真面目(?)だったからなのか。
(ごめん、やっぱり無理だわ。ホントにごめん。
って程度の内容だった。別にフツーっすねハイ)

ドタキャンしても、
「それは構わないからゆっくり休めよ」と、あちらからも真摯(?)な返事が届くようになった。
加えて、ちょくちょく自分の近況を伝えてきたり、伺ってきたりとさり気なく気遣ってるのがわかって、余計に申し訳なかったorz

ルシともラーメン食べに行かなくなったな。
ルシ自身、仕事が猛烈に忙しかったようだけど、それとはまた別の理由で会えなかった。


以前は恋人がいようがいまいが、私は友人(異性も含めて)と2人で遊ぶってことに抵抗がない人間だった。
異性の友人には彼女がいる人もいたし、それでも普通に「友人」として食事をしたり、映画をみたりした。
ある友人に「彼女に誕生日プレゼントを買いたいんだけど」と相談されたので、一緒にデパートに行って、あれこれアドバイス(つか茶々いれ)したこともあった。

今まで私がお付き合いしてきた恋人は、ほぼ皆、私が異性の友人と2人で会うことに対して理解を示していてくれてた。

勿論、私は一切疚しいことはしていないし、されていないし(そんな奴を友人認定シネェ)
友人である以上は大切なことに代わりなくても、恋愛感情は一切ない。
それを信じてくれているから、理解して許してくれていたのだろうと思う。


・・・でも、私の甘えなんだろうけどね。


私はあの人と付き合い始めた当初、今までと同じノリで、クラック君と映画を観に行く約束をしていた。

私のスタンス(?)として、そうやって誰かと遊びに行くことは基本的に恋人に(事前に)言う。
秘密にしてコッソリ遊ぶのは疚しい感じがするからこそ、言うんだけど。

そう思ってあの人にも言った。


言ったら、トンデモナイことになった。

いくら友人だろうと何だろうと、相手は男だからと言うのが、あの人にとって1番引っかかっていることらしかった。

他の男と映画を観に行くのか、と。
俺が仕事をしてる間に、のぅのぅを観に行くのか、と。

あの人と過ごす時間を削るワケではない、それがまた逆に火に油だったんだね。
コソコソ自分の仕事中に会うなんて怪しい、って受け取られちゃったんだ。


だったらそいつと付き合えよ、って言われた。

最初から最後まで「あくまでも友人であって、友人と遊ぶのはそんなにオカシイことなのか」と言っても。
最初から最後まで「そいつと付き合えよ」となって、平行線の口論をしたことがある。


これは「異性間に友情関係が成立するのか」って問いに対する答えが、私とあの人では違っていたこともあるんだろうと思う。

私は自分が恋人に対して甘えてきたのは重々承知していた。
けれど、わかって欲しかった。
ワガママだと思うけど、友人との繋がりも大事にしたかった。

同時に、あの人の独占欲(で語弊はあるのかな)もよくわかった。
例えば恋人が異性と2人で出掛けるとしたら、私だって心中複雑だろうと思う。


それからと言うもの、あの人以外と過ごす時間は少なくなって。
と言うよりは、私も消極的になってしまった。
約束していたのにドタキャンを繰り返したことからもわかるように、悩んだ挙句、友情と恋愛を秤にかけてしまったと言うべきか。

少しずつ、周囲と交わることに対して億劫と言うか臆病になっていったんだ。


いま思えば、「私らしさ」を失う最大の要因になった事件だったような気がする。

私には恋人も勿論大事。
でも、友人も大切。
どちらか選ばなくちゃ維持できない恋愛関係は、この先してはならないと痛感した。

だから私の甘えを許してくれる人ではなくては、きっとダメなんだろうと思う。


・・・ぬぉヤフーネタからこんな重い話になっちまったい(、、;

とりあえずそんな感じです。
ヤフ茶を始めてから、またいろいろと出会いがありましたが、それはまた別の日に。



2005年05月06日(金)



 どうしてだろう


今は特に、あまり考えるべきではない事なのだとわかってはいるんですが。
ほんの少しのキッカケでも、考え至ってしまうわけで。


「どうしてだろう?」
って思い始めたら最後。

堰が切れたように、勝手に涙が出てくる。

自分自身それにビックリして、動揺して、余計涙が出てくる。

困ったことに、場所や時間帯は全くのランダムで。
事務の仕事をしていてもいきなり目に涙がたまるし、電車に乗ってる時とか、本屋さんをうろついている時とか、もちろん学校でも。

とにかく無差別に。


どうしてだろう、どうしてだろう。
あの人に纏(まつ)わる全ての事象が、疑問だ。

始まりは「あれは本当に現実に起こったことなんだろうか?」から。
タチの悪い夢じゃないかとか、そんな次元から。

行き着く先は「どうしてこうなるまで付き合い続けたのか」「私は何がしたかったのか」まで。


どうしてだろう。
どうして4ヶ月の間、何度も何度も別れる機会があったのに別れなかったんだろう。

「尋常」ではない兆候なら、付き合い始めて1週間と経たないうちにあった。
「暗い影」なら2度目に会った時から薄々感じていた。


どうしてだろう。
どうして自分の力だけではどうすることも出来ず、周囲に負担をかけ、挙句警察に駆け込まなくてはならないほど想い詰めてしまったんだろう。

「嫌い」と思えるキッカケなんていくらでもあった。
でも、想いが冷めるスイッチがどうしても発動しなかった。
あの人を想う分だけ、自分らしさが欠落していくのを自覚してたのに、どうして想うことにばかりエネルギーを注いでしまったんだろう。


どうしてだろう。

どうしてだよ。


心を患っていたあの人の、到底理解できない理論を敵わない力と罵詈雑言で押さえ込まれる度に、自分自身のモラルとか当たり前のこと、「一般的」なことすら崩れていく感覚があった。

だんだん私も染まっていって、こう考えるようになる。

「間違って生きてきたのは私なのだろうか?」


100人に聞いたら「それは絶対おかしい」って言われる自信があったことでさえ、私は不安に思うようになった。

「もしかして、おかしくないのか?」

――――――社会から逸脱しているのは、私か?


・・・違うだろう?
まだ社会人として世に出ていない私だからって、
「あんなこと」を言われて仕方がないハズが、ないだろう?

どうしていとも容易く私を破壊してくるんだ。


今もこれからも長い長い時間、きっとこれらの疑問に苛まれる。
常人が「考えられる範囲での悲劇」程度なんかで済むなら、そっちの方がまだ良かったよ。

悔しい。
ここまで悩まなくてはいけない理由なんて、何処かにあるなら誰か教えて欲しい。

同時に、他に悔しいと思っていることがあるんじゃないかって、引っ掛かりを覚えた。
それが自問に答えを与えてくれるような気もする。


いつか、気がつけるだろうか。
気がつけたら、こうやって泣かずに済むだろうか。


2005年05月05日(木)



 パンダらっぶ

ゴールデンな週間とゆーのに、今年は何だかのほほ〜んな感じ。
特に予定もなくて、パソコンを買ったせいもあるけれどまったり部屋で過ごしています。


夜、ベッドの上でうだらうだら〜っと考え事をしていたら、実家から電話がきて。

「HAKUってCM、さっき見たわよー」
「ぉー、そっちでもやってるのね」

と、わざわざ報告してくれました。
つか私は0コンマ1秒だって出演してないのに、何だか可愛いなぁ母とか思った次第。

母、ミーハー?(聞くな

「あ、それとパンダのテレビやってるわよ」
なんですと

感謝感謝と電話を切って、速攻テレビをつけて。
ちょうど番組が始まったところでした。
セーフっ(;´ー`)

日本のカメラマンが、パンダに会うために中国まで行ってきましたーな内容。
パンダはいつ出るんだろう、とじりじりしながら待ってたら。


デター(*´¬`)

パンダ可愛いよパンダ(愛
ちっこいパンダもでっかいパンダも等しく可愛いよアハン(落ち着け

短大生の時、上野動物園にパンダ見に行ったなーまた行きたいなーとか思いながら見てました。


わざわざ教えてくれた母、とってもアリガトウ。
母はパンダネタの他、フィギュアスケートに関しても「テレビでNHK杯やってるよ〜」とか教えてくれるので非常に有り難いです。

フィギュアスケートはきっちり録画して保存します。
それくらいは好き。
一度アイスショーに行ってみたいんだけど、今のところ実現してないナ(、、


そんなこんなで、パンダが見れてウハウハな日。


2005年05月04日(水)



 パソ購入


2日の夜中、ずっと起きてたんだっけな。
朝になって微妙に眠かったけど、出かけるって決めてたので。

シャワー浴びて着替えて化粧して、家を出ました。
それが朝7時ごろ。
この時間帯にブラブラ出歩くのは久しぶりで、なんか清々しかったな。

スケジュール全然決めてなかったから、とりあえず駅横のエクセルシオールカフェでお茶。
2階でロータリーを見渡せる椅子に座って、ボーッと考え事してました。

考えなくて良い事も含めて。

ミルクティーあんま美味しくないなぁ、と思ったらガムシロップ入れるの忘れてたりサ(駄目
入れてもあんま美味しくなかったけど(´□`)

何するでもなく外を眺めていたら、救急車がきて。
暫くして担架に乗せられた50代くらいの女性が運ばれてきたんだけど、突然暴れだして。

よくわからないこと叫んでんの。
カフェ横には交番もあって、警察の人も救急隊員も押さえこんでたんだけど、すっごく激しく抵抗してて。

や、ホントなんであんなに嫌がってんだろ。
とか思いながら眺めてた。

一旦、交番内に連れて行かれて、それからパトカーに乗せられてた。
何が起こったのかよくわからないけど、ミルクティーは半分くらい残してカフェを出ました。


駅前のネカフェに行って、用事を済ませて。

9時半ごろに錦糸町に移動したんだっけな。
最近は専らメガネばかりかけるようになっちゃってネ。

そのメガネの度があまり合ってないので、レンズだけ作り直しに行こうと思ったんだ。
メガネを作ったのと同じお店に行こうと思ったんだけど、どうしても場所が思い出せなくて。

せっかく来たのになー・・・とフテくされつつ、駅直結のヨドバシカメラ内をうろうろ。


新しいパソコンを購入するのはもう決めてて、どれにするかも決めてた。
(あ、ルシに相談したのよ)
ネット上で買おうと思ってたんだけど、どうせだからとヨドバシのパソ売り場に行ってみたのね。

そうしたらサ、あるのよ欲しかったパソコンが(笑

値段見たら、ネットショップのよりはちょっと高かったけど、すぐ手に入るってのがその時の自分にとっては凄く魅力的で。

一旦ヨドバシを出て、実家に電話をして一言断ってから、銀行でお金おろして速攻買った(´¬`)

(実家にわざわざ電話をかけた理由は、後日書きます多分)

一度こーやって「欲しい。絶対欲しい」って思ったら、買っちゃうんだよねー自分。
思い立ったら即行動。
イマノウチ〜イマノウチ〜?(聞くな

浪費癖は全然ないんだけど。
滅多にないことだし。

あ、ノートパソコンです。
でも3kgあったから私にはチョット重かったな。
帰りの電車で何か死守してた(笑


早速家に持って帰って、それからはセットアップとかいろんな設定とかダウンロードとかで、説明書片手にパソコンに貼りつきっぱ(;´ー`)

このパソにはエクセル・ワードが入ってないので。
必要ならソフトがなくちゃいけないんだけど、まぁ誰か知り合いが持ってるよなーと思って。

長女姉とか、地元のアベとかルシにメール。

最初にアベから「あるよ」と返事がきたので、着払いでいーから送って。貸して。とお願い。
したんだけど、東京に住んでる長女姉が持ってることが判明して、やっぱいーわと断る(ぉぃ

断ったものの、仕事が休みだったアベはわざわざソフト送るついでのために、ロイズの生チョコを買ってくれたらしい。

Σ(´□`* まーぢー

「チョコどうするよ?」
「いやいや悪いねーアリガトウ」←ふてぶてしー

「エクセルとワードのソフトは?」
「それはいーや」←最低

とか電話で会話したっけな。
あぁあと、

「ところで付き合いはうまく続いてるのかよ」
「・・・あー。別れたよ」

「まじか」
「まじまじ。なかなか笑えない理由でね」

「急に冷めたのか?」
「ゼンゼンチガウ」

そういえば不意に何かのキッカケで、その恋が冷めてしまうことが昔はよくあったな、って思い出した。
でも今回は違うんだよね。

正直、いつ冷めるのかその時もわからなかったし、ヨリを戻すのは絶対良くないと思っても、だからって嫌いになれるかどうかなんて(以下略

とか考えつつ。

「警察沙汰になるくらい、いろいろ壮絶だったのだよ」
「へー。お前ならそういうの簡単に跳ね返しちゃいそうなのにな」

とか言われた。

ナンダヨソレ。
私ってばそんなに神経太いか?(;´Д`)
と、素でちょっとショック。

ちくせぅアベ、実家帰ったら絶対パシらせる(ぉ
15年も付き合ってんのに、サクッと言いおってええぇぇ。

跳ね返すにも限度があるよベイベー、などと終始冗談まじりで電話終了。


それからも黙々とパソコンと向き合ってたな。
すぐにえっぢで接続して、ウイルス対策もして。

そんな感じでこの日は過ぎていったのでした。

・・・あ、久しぶりに日記らしい日記を書いたカモ。
あまり1日の行動を詳細に綴ること、最近はなかったような気がするナァ。



2005年05月03日(火)



 工事ですよ


タイトルは「ごはんですよ」のノリで(関係ない


かなり前からやりたかったんだけど、日記の一部移転工事を開始することにしました。

つっても、KOCネタとPLネタを分けるだけ。
昔はKOCネタが結構割合を占めていた気がするんだけど、最近は99%プレイヤーである私ネタだしね。

KOC自体、撤退したよーなものだしここらで・・・ってな感じ?
この「やさぐれ日記」のページには、私のことonlyにして。
KOCネタは、HPコンテンツの「処分場」を改装して移していこーと思います。

KOCネタとPLネタが混合してる日記は、まぁテキトーに判断します。
あばうとぃぇぁ。

100Qは今後日記に載せず、HPコンテンツ「100の質問集」に載せて、今までの分(日記に残ってる分)は削除しちゃいます。

そんな感じで整理・・・出来るかなぁ。
なんせ書き続けてる期間が長いから、作業が大変(つか面倒)そーだ。
途中で投げ出すカモ(有り得すぎ

過去の日記って、やたら改行がなかったり、逆にありすぎたりして読みづらい時期もあったと思う。
その辺は、文には一切手をつけずに修正しようかと思うんだけど・・・ますます面倒だ(;´Д`)


或いはヤフーあたりにHPかブログでも作って、丸ごと移転するかもですが。

ひとまずそんな感じです。


2005年05月02日(月)



 一縷(いちる)

5月になりました。
ようやくです。待ちに待ったヨ、という感じ。

4月末の日記は書く気が起こりませんでした。
と言うか、それ以前からもこの場では「書けない」ことが多々あり、でも誰かに伝えたいのに、という思いもあったりで。
ジレンマに陥っていたりもしました。

そんな経験しなきゃ良かったんですけども、経験しちゃったんですよね。
あーぁー。

さて5月。
2月から4月いっぱいまでは、様々なことに耐え忍ぶつもりで座していましたが、5月からはその分精力的に活動しようと思っています。
すでに活動してたりねー。

とは言え、精神的になかなか難しい状態だったりするんだけど・・・
いろいろあって彼と別れたので。
(問題は、その「いろいろ」の部分ね)

どれくらいの時間がかかるかわからなくても、時間薬と自分と周りの人を信じて、早く以前のような健全な生活を取り戻すことが出来れば、と思っています。

今はまだまだ「いろいろ」を書くことは出来ないけれど、1年先か5年先か、或いはもっと長い時間が経ってから書きたいです。
深い理由はないんだけど、書かなくちゃ、って思う。
それまでは蝕みが取れないような気がするのかな。
うん。よくわかんないけど。


心配や迷惑をかけた大切な人たち、ごめんよ。
5月3日の日記に書く予定だけど、新しいパソを買ってさ。
速攻えっぢで接続して、久しぶりに親しい人たちの日記を読んだのね。
そうしたら、名前は直接書かれてなくても私の事(だとすぐわかる)を心配する内容があってさ。
私が不穏なこと書いてた日記と、相手の日記の時制はほぼ一致してたから、間違いない。

それも1人じゃなくて、何人も、私の恋愛についてとても心配してくれてるんだって、ようやくわかったんだ。
恥ずかしいからどんなこと書かれてたかは内緒だけど、正直、有り難くて情けなくて泣いちゃった。

親しい人たちが心配するような恋愛は、もうしない。
安心してもらえるような、手放しで応援してくれるような、そんな良い恋愛をしよう、って。
思ったのだよ。

ありがとうね。
ちゃんと、読んだからね。



5月、です。
私にとっては毎年、出会いと別れが濃縮された月です。
今年もそういう年でいいと思っています。
たくさんの人と出会って、とりあえず7月いっぱいまでは駆け続けるのだ。

(´▽`) ふぁいと自分ッ

p.s 就職活動も開始だよーん。


2005年05月01日(日)
初日 最新 目次 MAIL


My追加