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みんみん



 おてつだい/小さいお友達

猫のサーカス
http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/editor/011_2.html(ククラチョフの世界でたったひとつの猫劇場)
というのがあって(いちど見てみたい)、猫たちがいろいろな曲芸を披露してくれるらしい。
曲芸、というと、無理やり動物に芸をしこんで虐待めいたことをしているように見えるがそうではなくて、(上記リンクにも書いてあるように)それぞれの猫の性質や得意なしぐさを生かして、結果的に「芸」として見せてくれるということらしい。

Kの「おてつだい」もそれとおなじ。

引き出しを開けると、とにかく、何でも引っ張り出す。あるいは、何でも入れる。
たいていは、引っ張り出してほしくないときに引っ張り出してほしくないものを引っ張り出し、入れて欲しくないときに入れて欲しくないものを入れてくれる。あるいは、自分で勝手に引っ張り出したものをまた勝手に入れている。

洗濯物を干す。
いそいそと洗濯かごの元へやってくるK。中からいろいろ取り出してくれる。くつしたの片方。小さいズボン。パンツ。順番に、ひとつずつ。
Kちゃんありがとう、おかあさんすっごいたすかるー、えらいわあー。ほめちぎる。
ひとしきり出して、適宜満足したら、おてつだいはおしまい。



年末恒例、れいこなさんとお会いする。

お仲間のところで行われたお餅つきにお誘いいただき、その後れいこなさんの「お里」(第二の)であるところのTさんのお宅でひと休みした。
Tさんの、9ヶ月になるお孫さん(S君・保育園児)の帰りを待っていた。学年でいうとKと同じである。さあどんな顔をするか。
お待ちかねのS君帰宅。しばし見つめ合い、2人はにっこり微笑み合った。S君は集団生活の先輩だ。

這うS君と立つK。
おもむろにKが、さっきまで遊んでいたボール(もちろんS君の)を、S君の方にコロコロところがした。
家族ところがして遊ぶ時みたいに。

あるいは。
近所のカフェ(ニュイカフェ)が移転リニューアルオープンすることになり、昨日が現店舗最後の営業だった。
そして今日の午後、内輪でお茶でもというお誘いを受けて、お客さんのいないお店に行ってきた。お別れとねぎらいと感謝と、新しい出発のお祝いに加えて、お店のスタッフでもあるオーナー夫人&生後1ヶ月になる女の子・Aちゃんに会うのも目的だった。

Kは赤ちゃんを見てどう思うんだろうか。
りー氏も一緒だったからか、私がAちゃんを抱っこしても、泣くことなく、機嫌良くしていた。Aちゃんにとても関心を持っていた。
泣き出したAちゃんの方をしきりに気にしているので、Aちゃん泣いてるね、大丈夫だよって言いに行こうか、とKを抱いてAちゃんの様子を見に行った。

泣いているAちゃんの方に向かい、Kが、両の手のひらを顔の前に当て、ぱっとはずしている。
それは、いない、いない、ばあ、だ。

もしかしてAちゃんをあやしているのか? 自分がみんなからしてもらっているみたいに。
その「お兄ちゃん」ぶりに驚いて、私は思わず声を上げた。

小さい甘えん坊だと思っていたのに。
いろいろな人と関わって、自分より小さい人とも関わって、Kが、2回めの年のおわりにまたぐっと成長したように見えた。

2007年12月30日(日)



 クリスマスとか

干しいもの入った段ボール箱(いっぱいに干しいもが送られてきたのだ)から干しいもを取り出し、食べながら歩いてくるK。



Kはまだ、クリスマスとかサンタクロースというものの存在がよくわかっていない。
なので盛り上がっている(もちろん、きわめて日本的に)のは親だけ、というか私だけである。

クリスマスイブは、さつまいものクッキーを焼き、餃子を作り、小布施のシードルをあけた。
餃子とシードルは全然違う方面だし、さつまいものクッキーにしたってちぐはぐだけれど、それでもテーブルの周りにメンバーが揃っていた(ビールを飲んだり、型を抜いたり、はしゃいだりしながら)のは悪くなかったと思う。少なくとも私は。
さつまいもはAちゃんちのもので、これをオーブンで焼き芋にしてあったものを活用し、地粉と卵とバターで生地を作り、型抜きをして焼いた。
本当はクリスマスっぽい抜き型だとよかったのだけれど、思いつきだったので、いつだったかりー氏が買ってきた動物の抜き型を使った。「ワンワ」とか言って喜んだのでよしとしよう。
来年は一緒に作ったりするのかも知れない、と思う。



朝起きたらKの枕元にはえほんが2冊置いてあった。
緑のクリスマス柄のラッピングペーパーに貼られた赤色のリボンを指さすことや、紙をとめたテープをはがすことが既に遊びである。開いた後にくしゃくしゃ音を立てたっていい。
(とりあえず何でもおもちゃになるからといって、以前ならすぐゴミ箱直行だったものがそのへんに転がっている、転がり続けている状況は、まあ、まずいとは思う。)

−−そろそろ、ストーリー性のある本もわかるようになってきているみたいなんです。『おつきさま こんばんは』(林明子、福音館書店)なども気に入っているようなので。
たとえば、そろそろ、『しろくまちゃんのほっとけーき』(わかやまけん、こぐま社)を読んでもいい頃かなと思っているんです。ホットケーキはKも好きですし。
それから動物も好きなので、写真か、写実的な画風で動物が描いてあるようなものもいいかなと。

と、サンタさんに情報提供しておいたところ、『しろくまちゃんのほっとけーき』と、とだきょうこ あん・さとうあきら しゃしん『こんにちは どうぶつたち』(0.1.2えほん、福音館書店)が届いた。



少し年長のお子さんに、おもちゃを横取りされるとか、嫉妬ゆえ不機嫌になられるとかいうことは今までにもあった。そんなことも越えて成長してゆくのであろう、それも貴重な経験である、とむしろ好意的に見ていた。
某日初めて、Kが肘鉄をくらい、あからさまにドスンと倒されるところを見た。そんなもんだと思ってはいたけれど、初めて見たその場面に、さすがにちょっとひるんでしまった。私がいちばんイヤだと思う感情−−自分の子供*だけ*がかわいい−−がわきあがってくるのを感じた。いちばんイヤだと思うけれど、それがあるからやってゆけるのだという感情。
自分と同じように他者にも感情があることを、これから、発達の過程で「彼」は学んでゆくのだろう。わかっていても、ちょっと、びっくりするもんですな。「彼」にとってKが、意思と人格を持った存在として認識されていない、ということには。

幸い私はKをかわいいと思えているのだが(母性が自明のものであるとは思わない)、しかしすべての人がKのことをかわいいと思っているわけではない、とある時、絶望的に悲しくなってしまったことを思い出した。
いよいよ、ばかである (『富嶽百景』風に)。

2007年12月26日(水)



 もういちどお願いします

小学生の頃、学級会なんかで当てられたのに、声が小さくて聞こえなかったりすと、

よくきこえませんでした もういちどいってください

なんていう発言があったりしたものだ(私の声が小さかったというわけではない)。
意見が思いつかない時とか、あるいは逃げたい時には、「かんがえちゅうです」。


帰宅するなり、Kが子機(電話機の)で遊びはじめた。
まさか発信するまいと思ってそのままにしていたら、何やら男性の話し声が聞こえてきた。珍しく留守電に吹き込まれているようだ。
「……になったようなので、ご連絡をお待ちしております(ツー・ツー・ツー)」
とりあえず再生再生、その前に子機を切ろう。しかし「切」ボタンを押してはいけなかったらしい。親機で確認したら消去されていた。子機でも留守電再生出来るなんて知らなかった(疎すぎ)。
「……になったようなので」って、何をしたんだろう。まず、りー氏宛ての電話か、それとも私宛てか。
どうも私宛てではないかという気がする、気が。では誰だ? 図書館からの電話(=予約した本が入りました)ではないと思うし、「お忘れになったようなので」と聞こえた気もする。うーん、うーん、うーん、何だろう。
忘れてまずいものなら心当たりもありそうなもの。仕事関係の連絡はメールか郵便がほとんどだけど、電話連絡が皆無というわけでもない。

そのようなわけで、すみません、もう一度ご連絡いただけましたら幸いです、とここに書いても、まあ、意味はない。

2007年12月07日(金)



 しはす

今年はつねの年より乾燥しているような気がする。
気がする、だけだろうか。
終日、地下に籠もって(お昼休憩には出たが)外に出たら、指先がぱしっと割れた。また、運転中にも割れた。
子供のいる毎日、手を洗う回数は確かに多い。



11月某日。
グリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタたるパラダイス山元に会いに、フェリオへ行く。
子供の頃、サンタさんは私のところへやってきてくれた。姿を見たことはないけれど、手紙だってもらったことがある。りー氏のところには来たことはないらしい。いや、来たことはあるのかも知れないけれど、まあ、全体としてそういうこと(誕生日とか父の日とか母の日とかいろいろ)でそわそわしたりはしない家だったらしい。
りー母は、記念日などを覚えてくれている方なので、りー家全体として本当にそういった事柄に無関心なのかと言えばそうというわけでもなかったのではないかと思う。想像するにおそらく、そわそわする気持はわからんでもないが、あれこれ考えると面倒になるというか、富山方言で言うところの「うー」(「憂し」ですな)なってしまって、ということだろう。
今日は○○の日であるから××しなければならない!と、強迫観念のように振り回されるのも面白くないと思う。ただ、誰かのことをゆっくり思うということを、頭ではわかっていてもなかなか改まってやらなかったりもするものだから、そのためのいい機会だと思っている。それに、少しだけ心待ちにしたり、期待したりすることだって、あってもいい。期待しすぎるのもどうかと思うが、期待する気持が全くないとか、期待せずにあきらめだけが最初にあるとしたらそれも寂しい。

それはともかくとして。
今回、サンタクロース云々と言い出したのはりー氏だけれど、そもそも上述のようなサンタ観であるからして、「おしりかじり虫」好きなKのために「おしりかじり虫・バラエティショー」を見せてやりたい、と郊外のショッピングセンターに行く、なんていうの(を思いつくのは私)とは動機が違う。あくまでパラダイス山元目当て。マンボたる、(へんな)車マニアたる、餃子王たる、そしてサンタたるパラダイス山元。Kは方便か。
でもまあ、お越しの皆さんはほとんどがフツーにサンタさん目当てであったと思われる(そうじゃない方もお見受けしたが)。
詳しくはりー氏のブログ(ご本人よりコメントあり。まあ!)をご参照下さい。



また某日。
桐朋アカデミーオーケストラの定期演奏会へ。
大学院が富山にある縁で、年に数回、演奏会が行われている。客演の岡田博美目当て(過去にも客演の藤井一興、野島稔目当てで行った)で、ラフマニノフの2番を聴く。
岡田博美は中学生の時に聴いて以来。いま改めて聴くと、暑苦しくなく、でも神経質風でもなく、淡々と、なのに鳴る。弱音に驚く。大きな音もがちゃがちゃしていない。テクニック面を言われることの多い人だけれど、するめいかのようにじわじわと来た。また聴きたい。
ひとまずアルバムを何枚か注文し、車の中や家で聴いている。
それらのアルバムが出ている、カメラータ・トウキョウというマイナーレーベルにまた心ひかれる。



わりと慎重派のK、

歩きたい(たのしい・わくわく)≦こわい(ころぶかも)

という感じだったのが、

おもしろい>こわい

になった。
お誕生前に歩き出したりするお子さんも珍しくはない。そう思えば、ちょっとのんびりだった。慎重なぶん、見切り発車というところか。しゃがんだ体勢からすっくと立ち上がることもできるし、少しく方向転換をしたり、物を持って歩く余裕もある。
最近は「はめる」または「入れる」という動作が気になっているようだ。

・直方体や円柱や三角柱を、それぞれ四角や丸や三角の穴にはめて入れる(そういうおもちゃがある)。
・リグノ(ネフ)の円柱を入れたり出したり。
・レゴブロックを入れ物であるバケツの中に入れる。一見すると片づけているように見えるが、別に片づけようとしているのではなくて、バケツの中に入れてみたいのだと思う。
・キャニスターやびんのふたを合わせたり、ひねってあけたりする。
・飲み物の容器に食べ物を入れる。この場合、水や飲み物といった「液体」というものへの興味もプラスされている。

などなど。
全く異なる状況や場にあってそれぞれ別々に見える動作も、Kにとってはある興味関心で貫かれている、と知るとき、生き物の成長、あるいは人間のあたまのしくみというものの一端に触れたように思えて、私はわくわくする。
そうだな、猫が瞳をきらーんと光らせる、ような。


「おれたちのコトバとKのコトバと、どこからどこまで重なっとんがかのう(重なっているのかなあ)」。
Kとりー氏と私のシニフィアン、とシニフィエ。


夜中に目が覚めてKの寝顔を見る。
あまりにおっさん風味なので(今に始まったことではないが)、

あーおっさん
超おっさん
めちゃおっさん

とつぶやいて再び寝るおっかさんであった。



遅ればせながら私信。K様。
月光荘と聞いて銀座の画材店を思い出すか沖縄の安宿を思い出すか問題、について。
後者の主宰者はたぶん大学の同期です(ちょっと珍しい名前なのと、たぶんニックネームからして間違いないと思う)。見た目繊細な感じでしたが、なるほどー、でもあります。学内でバーというかクラブ(ダウナー系)っぽいこともやってた記憶があるので。
1年生の大学祭の時、Pーター・Bラカン氏(大学の近くにお住まいだったらしい)がふらっと構内に入ってきて、「君よく会うね」と言われた、とちょっと嬉しそうに話していたのが印象的です。

2007年12月05日(水)
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