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みんみん



 カイコ/メダカとこども

前にも書いたような記憶がありますが、二題。

旧・F町の街の子(富山方言風にいうと「まちのっさん」)のりー氏ですが、通っていた小学校でカイコを飼っていたそうです。
りー実家の庭は、いろいろな木が手入れされすぎずに植わっていてなかなか面白いのですが、その一隅に桑の木があります。学校からときどきカイコを連れて帰っていたりー君@小学生のために、今は亡きりーじいちゃんがりー氏のために植えてくれたのだとか。
庭にはりー氏が生まれた時に植えた柿の木もあります(柿は6本だか7本だかあったはずなのですが)。
「なんでそんなこと知っとんが(知っているの)」
それはね、りー実家をのっとるために。

母の勤める保育園ではメダカを飼っていたのですが、メダカの数が減っていくのだそうです。
ある日男の子がヤクルト容器を手に持っていました。「どうしたの?」と聞いて、容器を覗いてみると中にはメダカが。
曰く「家から持ってきた」のだそうです。
みえみえだけど、かわいいんだもんね。

2005年05月27日(金)



 蕎麦屋にて

蕎麦が好きだ。

昨日の昼は芦原温泉で越前蕎麦を食べた。
お昼どうする?
「丹生庵(にうあん)にでも行くか」
というわけで、かつて廻船問屋が並んだ街、東岩瀬に行く。
せいろそば、りー氏は細打ち、私は平打ちをたのむ(昨日の蕎麦は細めだったので)。古い蔵を改装した店内の、カウンターに座って茹で上がりを待つ。お店の人たち(ご主人とスタッフの女性2人)のむだのない動線を見る。
庭先に、やまばとやすずめがやってきて、何かをついばんでいる。
「皿、置いてある」
どこどこ? と言っていると、カウンターの中のご主人に、蕎麦を打った時の粉を入れてやっていると教えられた。時々米もまじっている、あと売れ残った時には蕎麦も、と。お休みの日など、その日のぶんがなくなったら、遅くない昼にもう店じまいになることもある。ずいぶん贅沢だ。

F君と3人で来ていらいだけど、ここの蕎麦は、すっきりしていて、美味しくて、食べた後にしゃきっとした気持になって、好きだ。もう心持ちとろりとしていてもいいかも、という蕎麦湯も、さらっと加減が却って作っていない感じで、蕎麦っ切りぽくっていいと思う(なんて、とろっとしたのもそれはそれで好きなんですが)。

2005年05月22日(日)



 いいこともあれば

そうでないこともある。
逆もまた。

そりゃ、お金もらっとるがだから、こっちがぐっと我慢せんならんこともあるよ(訳:それは、お金をもらっているのだから、こっちがぐっと我慢しなくてはならないこともあるよ)、
と母は言った。
あ、りー氏は「せんでもいい(訳:しなくてもよい)」と即答しましたが。ちなみに。

菊地成孔の新譜を(やっと)買って、夜の車の中で聴いた。
バカラック(好きだ)の“The Look of Love”のカバー、改めて聴いたら、やっぱりいい曲で」と言うべきかも知れないが、それだけではなく、そうではなく、また別の良さがあった。
インストゥルメンタルバーションしか聴いたことがなくて、歌が入っていることもまた新鮮だったのだけれど、そういえば訳詞が載っていたなと思って、リーフレットを開いてみた。
そうかこんな歌だったのか。遅いが、初めて知って、本当に打ちのめされた。いやー。
元の歌詞の切り取り方に膝を打っているのに、訳はまた、それだけではなく、そうではなく、別の素晴らしさ(よりねっとり、品がありそうに見えるという意味において下品なのかも)。

映画「恋は五・七・五」、俳句の面白さがよく伝わって面白かった。あるいは高校生モノとしても。
本来遊びであるはずのものなのに、どーして捉える段になるとあんまり楽しくないとか、いやどうかするとちょっとヤな感じにすらなってしまうのか(そんなこと言っていいのか)、などと考える。
いいなあ!松山の人たち、こんな楽しい映画を作ってもらって。郷土が誇るべき強力プロモーション映画だ。見終わって私はまんまと松山に行きたくなってしまった。四国には行ったことがない。
帰宅するなり、松山に行きたいー、と言ったら、
「松山ねえ」(まんざらでもない)
という返事が返ってきた。

2005年05月18日(水)



 喰う読む観そこねる着る

ある日。
ハタハタを買う。
生魚よりも干物の方を好むりー氏のために(と書くと恩着せがましい感じでいいな)、生干し風のものを作ってみることにした。
内臓を取り、海水(って、最近なめていないけど)より薄めの塩水に3時間くらい漬け、水気を取って冷蔵庫に入れる。外に干すのがもちろん本式だけれど、縁側には猫もいるし、冷蔵庫の特質(水分を奪う)を活かしたやり方でお手軽にやってみた。冷蔵庫に入れる前に、エラも取った方が、と思い至り、エラぶたを開いて取った。とたんに干物っぽい見た目になる。
一昼夜入れておくと一夜干しが出来る。しかし思いついて10時間ほど入れておいたくらいだとちょっと足りなかったようだ。干物というには生っぽい。それでも焼いてみたらハタハタ特有のひねた脂の味が落ち着いて、甘みが出ていたように思う。


ある日。
吾妻ひでお『失踪日記』(イーストプレス)が日本漫画家協会賞受賞とのニュース
すごいなあ。作品もちろんすごいけど、それだけじゃなくていろんな意味で。
先回上京した折に、銀座の教文館(で、れいこなさんとtenkoさんと待ち合わせた)で見かけて買おうかどうしようかと思っていたのだけど何となく買わなくて、でも帰宅するとりー氏が「『失踪日記』買っといたよ。(吾妻ひでお特集の)『新現実』3号と一緒に」と言った。べんりだ。


ある日。
映画「真夜中の弥次さん喜多さん」を観に行こうと思い、西の郊外のショッピングセンター(のシネコン)に出かけたが、チケットを買う段になって上映館を間違っていたことに気づいた。同じ市のシネコンでも、もう少し街寄りにある方でやっているのだった。仕事先から車で向かいつつ、近くを通り過ぎていたのに。まーしゃーないな、というわけで延期(あとで、間違えた方のシネコンでも面白そうな映画を上映していなくもなかった、ということを知ったのだけれど、まあ)。
間違えて行った方のシネコンは、書店と隣り合わせである。書店の中にあるカフェには、売り物の(会計を済ませていない)本を3冊まで持ち込んでもよい、という素晴らしい特典がある(雑誌やまんがを除く。メモ取ってはだめ、とも書いてある。当然だろう。必要ならがんばって記憶しよう)。映画観たらパラパラやれるー、という事実を好意的に評価するあまり私は、行くべき先を「行きたい方の先」で認識していたようだ。
もっとも来週「恋は5・7・5」の試写会(「バーバー吉野」の人が監督。当たった)に行くので、今度こそはパラパラやるつもり。

ふらふらしているとローラ・アシュレイのプリントのワンピースが目に入った。私の洋服は、黒・紺・グレー・白(あるいは生なり)が殆ど、これにベージュやカーキなどのアースカラーが若干、といったところで、ローラ・アシュレイは1枚も持っていないのだが、いいなと思った。黒地にショッキングピンクや赤の花々が大きくプリントされているワンピースや、同じく黒地ながら対照的に細かく抽象的な人物柄(こちらはブルーがベース)がプリントされているもの。あるいは、白地に黒の大柄なプリントのV字ネックのワンピースに、黒の麻のジャケット(七分袖のように見えた)の組み合わせ、など。
夏になるとワンピースが気になる。

自分がどう着るか、ということは、どうでもよくて、どうでもよくない問題である(あるいは、どうでもよくなくて、どうでもよい問題でもある)。
着たいということとサイズが合うということと着られる(可能、ら抜き)ということは別である、基本的には。
髪型も同様。
さて、どうしますか。

2005年05月13日(金)



 ねこにキウイ

草むしりの季節です。
玄関脇で草をむしっていると、パトロール中でない限り、絶対に縁側猫がやってきます。
以前はみけことしろがよく私の手元を見ていましたが、ちゃとらも興味があるようです。こちらから近づくと逃げるけれど、自分の関心では近づいてきます。

縁側にキウイの木があります。
ふと見るとちゃとらが目を細めながらその幹やつるに頭や体をこすりつけていました。別のときにはしろもうっとりしていました。
猫にマタタビとは言うけれど、マタタビ科マタタビ属の植物らしいキウイに対しても同様の態度を取るようです。
猫を寄せたければキウイの木を植えるといいかも知れません(いや、違うかも知れません)。


2005年05月01日(日)
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