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みんみん



 「外」ごはん

今日から山王祭り。日枝神社のお祭り。正しくは今日が前夜祭らしい。
日頃は閑散としている市街地に、どこから降って湧いてきたのかと思わせるほどの人が押し寄せる。祭になるとわさわさやってくるというのは、いかにもハレとケが生きているようでもある。

夕方図書館へ行った後、久しぶりにりー氏と千石町の「cafe&」でお茶しようと思っていたところに、Fさんから電話があり、急遽待ち合わせのような形になる。
そこへK嬢から電話。いったん帰宅し、4人で、昨日の約束どおり、ネパールカレーを食べに行く。
「&」では、カプチーノスクーロを頼む。りー氏はオレンジジュース、Fさんはマンゴージュース。今日は暑かった。

ネパールカレーは、チキンとダル(ひよこ豆らしい)のミックス。あまり辛みは強くなく、うまみがあってとてもおいしかった。
お店に入るなり声をかけられ、ちょっと恥ずかしくなる。でもうれしい。

カレーを持ってうろうろしていると、これまた知り合いのブータン人留学生にバッタリ。Fさんやりー氏とも知り合い。K嬢を紹介し、久しぶりに話す。
野外で食べるごはんはとても楽しい。

今日で5月も終り。

2002年05月31日(金)



 たべものいろいろ

昨日、ふと思い立って、Get Well SoonのYさんにひしきりこ(小豆の粉で出来ている、すはまみたいな半生菓子)と加賀棒茶を送った。そしたら、今日のお昼に早速、届きましたよ、とメールをいただいた。
昨日の日記で、「ちょっと離れたところのお菓子屋さんまで足を延ばしてお使い物を買い」というのは、具体的には、「八尾の林盛堂へひしきりこを買い」ということである。その前に車で5分のとやま駅特選館林盛堂コーナーにも行ったのだが、ひしきりこ1本しかなかったのだ。どうしても昨日のうちに送りたくて、実家へ行きがてら足をのばした。八尾は実家のとなり町である。だから別に遠くはない。
Yさんのつくるパンやお菓子は、いろいろなideaをいっぱいためしてみたいという気持にみちみちている。ある種のお菓子は、自分のかわりに作ってもらっているという気さえする。そういうところが好きで、時々福島から送ってもらっている。
ひしきりこはたぶん好きなタイプのお菓子だろうと思って「ねらった」のだが、そのねらいは当たり、とても喜ばれた。よかった。

おやつにいちごをむしゃむしゃ食べる。いちごはむしゃむしゃ食べるものではなく、もっと品良く食べるものなのかもしれないが、贅沢なことに実家の畑からもらってきているので、へたをほとんど食べながら引きちぎるようなかんじで、むしゃむしゃ食べる。
ああいった作物は、シーズンになるとえんえん実り続けるので、実家にいた頃などは、毎日いちごを市販の1パック分くらいはかるく食べていた気がする。というのも他の家族は私ほどには食べなかったのだ(今もそうですが)。それに何より、いちごは好きだから。
あまくておいしいものは虫さんや鳥さんも大好きだ。だから市販のいちごというのは、何回も農薬を散布してある。しかも直接口にするものだから、ちょっと心おだやかではない。
でもこのいちごなら大丈夫むしゃむしゃ。

夕方、友人と近所の大学の大学祭に行く。
バンド演奏をえんえんやっているその音があまりに大きすぎて、思考回路がストップしてしまう。久しぶりにお酒を飲む。ほんとに久しぶりだ。
一昨年くらいから毎年行っているが、留学生の出す各国料理が目当てである。チヂミ・キムチを食べたところでりー氏を呼び出し、水餃子2種・チャーハン・スパイスのきいた煮卵、カレー、再びチヂミを食べる。
チヂミは、2回目の方がうまく焼けていたが、1回目より味が濃かった。
知り合いのネパール人留学生に偶然会う。明日カレーのお店を出すというので、行く約束をする。
女子高校生の姿をちらほら見かける。なぜか、男子高校生は見かけない。友人いわく「声くらいかけてやれー(笑)」。だけどこういう場で声をかけている人がいたらちょっと恥ずかしいかもしれない、とも思う。別に悪いことでもないだろうけれども。
かつて私が高校生の時、ここの大学祭にP-MODELというバンドが来るときいて、放課後に行こうかどうしようか迷ったことを思い出す。結局、制服で大学に入る勇気が出なかったのと、同じような音楽の趣味を持った友人が(当時は)いなかったので行かなかったのだが、それとは大違いである。

帰宅。
もうひとくち食べたりないというりー氏。崎陽軒のシウマイ(真空パック)があったので、あたためて出す。
なぜ崎陽軒のシウマイを買ったかといえば、付属のしょうゆさしが欲しかったかららしい。集めている人がいて、その人にあげるためらしい。でも真空パックバージョンにはしょうゆさしはついていなかった。ショックを受けるりー氏。

先日、生協で冷凍肉うどんというのを頼んだ。帰りがちょっと遅くなった時とか、小腹がすいたときなんかに便利かなと思い、試しに買ってみたのだが、これが案外おいしく(冷凍うどんがなかなかおいしいのは定評あるところですが)、りー氏の気に入ったらしい。夕食を軽めにしたけどやっぱりおなかがすいた、とかいうような時に、りー氏は自分で作って食べていたりした。食べるので当然5個入りのうどんがなくなる時が来る。
「また買っといて」
うん。あでもいつ注文票に出るかわからんよ。こういうのは卵や牛乳や野菜なんかと違って不定期だから。
「がーん・・・もっと大事に食べればよかった!」
大事に、というのはりー氏の常なのだが、この人はたいへんに忘れっぽい人なので、勢い(ってなに?笑)があるうちに食べないとあったことさえ忘れてしまうのだ。ハーゲンダッツのメイプルウォールナッツアイスクリームだって、せっかく金沢店で買って帰ってきても、あまりに大事にしすぎて忘れてしまい、そのうちにねずみに食べられてしまうのだ。あれも一種の生モノなんだからねえ早く食べないと(ねずみの弁)。

2002年05月30日(木)



 今日の買い物

1日お休み。
駅前のファッションビル(というのだろうなあ)で期限切れが間近になったポイントカードの交換をし(商品券に変えてもらう)、旅行代理店に行き、ガソリンを入れ、ちょっと離れたところのお菓子屋さんまで足を延ばしてお使い物を買い、実家に立ち寄り、それから郊外の大きな本屋さんへ行った。
仕事関係の本のフェアをやっていた。1冊買う。

その他、新書・文庫ばかり数冊購入。
・陶智子「不美人論」(平凡社新書)
・飯倉照平「中国の花物語」(集英社新書)
・加地伸行「儒教とは何か」(中公新書)
・「古典落語 志ん生集」(ちくま文庫)
・麻生芳伸編「古典落語百選 夏」(同上)
陶さんはかつて仕事でお世話になった人(高校の先輩でもある)。今朝の新聞で取り上げられていたので、買ってみる。
飯倉先生とはいちどだけ酒宴でご一緒したことがある。飯倉先生が大学を去られる年の卒業式の日、飲み屋でご一緒した。知り合いに紹介してもらったのだがなぜだか気に入られたらしく、「同業者と結婚するな!」という一言を頂いた(笑)。先生は病院勤務・編集者を経て研究者になった。大学しか知らない人ではないということだ。
それはほんの数時間のことだったけれど、「短い時間ながらお話できてとても嬉しかった人」のひとりだ。酒好きのオヤジ(しかもたぶんスケベオヤジ。笑)だが、若者をひきつける魅力を持った人だった。
買ってきた本の奥付によれば、りー氏の母校に勤めていらしたこともあるらしい。勝手なこじつけだけれど、また何か縁を感じる。結局同業者ではありませんでしたよ、とお伝えしたい気がする。
加地氏の本は参考書として。
落語本は、最近やや興味を持ち始めているため。一種の気持盛り上げグッズである。

来週末東京に行くのだが、エアチケットとホテルの宿泊券がセットになったパックを購入してみた。特割で往復するよりも安いし、マイレージもつく。しかも帰りの便は最大14日後まで延長可能である。
1泊目はホテルに泊まり、2〜4泊目は友人宅にてお世話になる予定。

明日は午前中お休みになった。うっかり忘れそう。

2002年05月29日(水)



 得意技

ふとんを敷くのとあげるのとではどちらがいいか。
私にとっては「あげる」方がいい。なぜかといえば、敷こうと思う前にたいてい、すでに眠くて眠くて眠くなってしまっているからだ。
寝起きはいいが、寝入りばなに起こされるとかなり機嫌がわるいと思う。眠くてぐずる、というのは、子供と同じである。
トイレに行ったり顔を洗ったりすると眠気が少しとれて、機嫌もなおる。

りー氏はうたた寝をするととてもいやがる。だらしないと言う。風邪ひくからとかそういう思いやりじゃないんだな(こういう発想は甘えだけど)。
という話を実家の母にしたら、でも眠いよね疲れてるんだから女の人はー、と妙に同意される。
母も私と同じくうたた寝が得意なのだ。

2002年05月28日(火)



 かかわり

仕事帰りに友人と晩ご飯。
いろいろなアンティパスト、生ハムの軽くてぱりぱりしたピザ、それからトリッパのパスタを頂きながら、いろいろな話をした。食後にはデザートと飲み物。
こういう時間はすごくうれしい。

なかよくなる人とは、なかよくなる何かの理由があるのだろう。
趣味とかそういうのはどうでもいいし、年齢や仕事、交友関係なども決定的ではない。場合によっては価値観だって違っていてもいい。違っているということにお互い納得が出来れば。価値の押しつけをしなければ。無関心不干渉というのではなく、思うことは言う、それを許容できるような関係に安心する。

東京にいた頃は、自分の友人関係をどこかで区分けしていた気がする(人にはそう見えていなかったかも知れない)。だから、違う場にいる友人どうしを引き合わせるということもあまりしなかった(あまり出来ていなかった。したくないわけではなかった)。個人的に付き合いをしている人は別として。ってその「個人的」というのがなかなか難しいのだった。
今思えば、公的な場でのつながりは、想像以上に私を規定していたのだなと思う。趣味で東京にいたわけではなくて、目的があったのだから当然といえば当然だ。
すごく勤勉なわけではなかったが、公的な場を離れた時に、あっぷあっぷとやっていたことも確かだ。緊張していたのだろう。今なんの緊張もないかといえばそんなことはないし、説明の言葉は足りないのだけれど。

今の人間関係はかなりゆるい。
基本的に、自分の中の何かをもったいつけて取っておくというのが出来ないほうなので(無意味に秘密めくのも嫌)、いま、人間関係にあまり区切りがないのはうれしい。いろいろなことを適当にかわし、切り替える余裕も出来てきたのかもしれない。
だからこそ人と会うのが本当に楽しい。会ってその人の顔を見て声を言葉を聞いて、そしてこっちも話さなくては、なーんにもわからんのだね。
人を通して、知らない世界を経験している気がする。

2002年05月27日(月)



 ある日曜日

お昼過ぎに実家から帰ってくる。
地味に明日や明後日の準備をする。

りー氏がいないので、いつもにもまして、いろいろな時間にいろいろなものを食べる。

23時過ぎ、りー氏帰宅。
かなりごきげんうるわしいご様子。
おなかすいた、と言うので、崎陽軒のシウマイを1箱あたためる。
私も1個食べる。
崎陽軒のはちょっと肉々しくてどことなくスパイシーな風味がありますね。
シュウマイという食べ物はわりと好き。

ところでどうでもいいけど、最初の方の日記って、なんだか緊張している。こっ恥ずかしい。

2002年05月26日(日)



 ある土曜日

午前中、家庭教師。
たいていは土曜日の午前中(ときどき月曜日の夜)に2時間、中3の女の子に英語と数学を教えている。
今やっているのは、英語では「It is・・・for 人 to 不定詞〜」という文型。それから、1つの文章の中に接続詞(that,becauseなど)が入る文章。
私自身は3年の最初に現在完了を教わった覚えがあるが、女の子の教科書には2年の終わりに出てきた。
数学では無理数(ルート)の計算。それが終われば乗法公式→因数分解へとすすむ。今のところはいい感じで来ているので、なんとかうまくいってくれればいいのだけど。
今年から中間試験がなくなったとのこと。それだけ期末試験の範囲が増えるということだから、ちょっと心配でもある。

私自身は数学が得意ではなかったけれど(中学までならまだしも)、今教科書を見るとおもしろい。英語よりもずっと。

家庭教師終了後、金沢へ。月1の研究会。

研究会終了後、自宅へ。母と待ち合わせて買い物に出かける。
お昼ご飯をたべていなかった母がたこ焼きを買ってきた。冷蔵庫からお茶を出す。たこ焼きを2つ(=2個)もらう。
母の車で街へ。買い物をしてかなりごきげんになる(調子がいい)。

再び自宅へ。
それぞれの車でショッピングセンター(ファボーレ)に行く。
無印で父のTシャツを買い、夕飯の買い物をする。
ショッピングセンターにて中学2年の時の担任のS先生(男性)にバッタリ。1、2年の時に数学を教わっていた。
中2の頃というのはなにかと難しい年頃だというけれど、個人的に振り返っても確かにそうだった。S先生はまあちょっとクサいところがあるのだが(笑)、逃げないで生徒と向き合っている感じがした。押しつけがましくもなく。中2の私は、ちょっと救われることがあった。
先生というのは、卒業してこちらが大人になってから会うとしばしばガッカリさせられたりもする存在だが(笑)、S先生はちっとも変わっていなかった。そういう人は珍しい。
たぶん、かつて私は、大人にとても期待していた子供だったのだ。
本屋に立ち寄り、地元情報誌と「クロワッサン」ときもの雑誌(夏のきもの特集)
を買う。レジできもの雑誌の値段を確認し、ギョッとする(高い)。

母とそれぞれの車で実家へ。
その後は掲示板日記にかいたとおり。

2002年05月25日(土)



 週末

にわかひとりぐらしを楽しむべく。

▼シーツやパジャマ類を洗濯。これで夜はぐっすり(うたた寝さえしなければ)。
▼図書館からCDをたくさん借りてきてみる。
CDを借りるのは久しぶりだが、けっこうマニアックなものもあって驚く。
今日借りたもの(いかにも日記風に)
・ペンギンカフェオーケストラ:SIGNS OF LIFE
・リスト:巡礼の年 第2年「イタリア」/ホルヘ・ボレット(ピアノ)
・武満徹:ピアノ作品集/ピーター・ゼルキン(ピアノ)
・古今亭志ん生:お直し・そば清・羽衣の夏
・三遊亭圓生:唐茄子屋・豊竹屋・夏の医者
・春風亭柳朝:つき馬・佃祭
留守だからというわけではないけれど、りー氏が聞かなさそうなジャンルばかりになってしまった。まあペンギンカフェはそうでもないか(家にあるかも)。落語は、ぜんぜんわからないのだけど(それでいいのか)、(いまさらながら)ちょっと最近聞いてみたい気持になっているため(周りに好きだったり詳しかったりな人はいるが、こちらの知識と経験が乏しすぎるため恥ずかしくて話が聞けない(苦笑))。
しかし落語はともかく、どれもドライビングミュージックとしてはあまり向いていないラインナップ。家でゆっくり聴きたい音楽。
▼といいつつあえて音のない空間を楽しんでもみる。音がするのはもったいない気がして。

完全にひとりでいるのはとても久しぶりだ。

今日の日記は居間のPCから書いているが(昨日までの分は自分用にあてがわれたPCから)画面の色が少し違って見える。なんかえらく青々というか、水色だけを強く感じる。グレーが殆ど出ていない。

枠に沿った人生と枠からはみ出る人生と、どっちがいいとかどっちが悪いとかではないだろう。だから、自分のいる場所だけしか知らずに、自分の場所だけを正当化したくはない。似たような人たちとだけつきあっていれば、自分もそんな人になってしまいそうな気がするし、かといってあちらこちらを適当に浮遊しているのもなんだか都合がよすぎる気がする。いろんなことをうまく割り切って泳いでいける人もあれば、ごとごと音を立てながら煩悶しつづける人もいる。
何が大切なのか。1つしかないわけではないが、1つが人を大きく規定することはある。物事は一面ではない、と思いつつも。
自分を肯定し続けられるように。

2002年05月24日(金)



 いまさらながら

インターネットバンキングのほんのさわりを体験。
先日開いた東京三○銀行の「スーパー普通預金」口座の手続きが済み、カード類もろもろが届いたので、実際にログインしてみる。
まだお金を動かしてはいないが、かなりいろいろなことが無料で出来るとわかる。いや便利だわ。地元に支店が無くても(笑)十分に使える。
インターネットバンキングは、普段使っている北○銀行でも行っているけれど、こちらは取引残高に関係なく毎月一定の手数料がかかるらしい(りー氏談)。時間外出金や振込の機会が多いとか、数百円のお金を払うメリットはある、というほどには利用していないから、こっちの方ははまあいいかな、と思う。
でもひと月に2回は時間外に出金すればペイできるのか。いやに細かい話だ(笑)。

たとえば、外でお茶を飲みながら誰かについての話をしていたとして、そばにその人の知り合い(の知り合い)がいたりなんかしてその人に間接的に伝わるなんてこともあるのかしら。ここ(=富山)ならありうるな。
と言うとりー氏に「聞かれたらまずいというようなことを言わなければいいのだ」と言われる。そのとーり。
そしてここにいると、間接的にいろいろな情報がぽつりぽつりと入ってくることがある。便利だといえなくもないが、当事者でもないのにそんなの、と思う。少しヘキエキ気味なのだ。
直接伝え聞いた言葉でないと自分のところに届いた気がしない。
まわりくどいことをとても厭っていた友人がいた。その言葉の意味も今はわかる気がする。

最近手紙を書いていない(でも手紙もまわりくどいものなのだけれど)。

親きょうだいにもらったものをどうしても捨てることができない。もうたぶん一緒に住むこともないからか。宛名を書いた紙の切れ端も、携帯の留守電に吹き込まれたメッセージさえも消すことが出来ない(でも消去せずにいたところで、どうやって聞くのだろう?)。文字や声はちょっとつらい。いつかもう聞けなくても聞けない、見たくても見られないんじゃないかと思ってしまう。いい年をしてあほかと思う。でもいい年だからのような気もする。

2002年05月23日(木)



 ガイドブック

知らない土地へ行くときには、たいていガイドブックを買います。
たいていは、昭文社の「まっぷる情報版」シリーズを買っています。大判のガイドブックとして他にまず思い浮かぶのは「る○ぶ」ですが、私はまっぷるの方が好きです。理由として考えられるのは、

▼地図が正確
昭文社は地図類を多く出版している会社なので、都道府県地図などでなじみのある図(見慣れた表現のしかたとでもいいましょうか)が巻末あるいは所々に挿入されている。
▼全都道府県をまんべんなくフォローしている
しかも区各市町村をフォローしているような気がする。旅先が観光地であるとは必ずしも限らないので。どんな目的もある程度フォローできるというだけでなく、どんな小さなまちでも興味深いところがあるんだなー、と見ているだけでたのしい。
▼微妙に渋い
最近は今風な記事も多いようですが。史跡類などもカバーしていたりする。掲載してあるお店も、わりと好きな感じのところが多い、かも。
▼広告が少ない
る○ぶが多すぎるともいう。

といったところでしょうか。
もちろん、る○ぶでも扱われているような場所であれば両者を比較検討するのですが、やっぱり何といっても地図が正確だというのは大きな魅力です。だいたいのまちのつくりさえわかれば、あとは自分で移動しながら発見することも出来ますからね。
先日妻有へ行った時にも、新潟版まっぷるを買いました。毎年必ずといっていいほど、それまでに行ったことのない土地へ行くので(でも海外旅行はしたことないよ)、その都度1冊ずつまっぷるが増えていきます。

ガイドブック頼りに歩くのはかっこ悪いのかも知れません。そして実際の役にどれだけ立っているのか、私の旅が観光名所をどのくらいフォロー出来ているのか(そもそも純粋な観光旅行の機会はあまりなく、何か用事があると、ついでに観光モードにしてしまうパターンが多い)それはかなりあやしい。それでもガイドブックを買うのは、地図を見てこれから行く土地のイメージをふくらませ、記事を読んでにわか土地の人となるためなのかも。やーねー(笑)。

ちなみに私は地図を見るのも好きですが、時刻表を見るのも好きです。そしてたぶん旅でいちばん好きなのは、よく知らない場所でふつーにお茶を飲んだり、ふつーに手紙を書いてそのまちのポストから投函したり、本屋さんに行って雑誌や本を買ったりすることです。それって・・・とりー氏には言われます。

2002年05月22日(水)



 オチのない

その時々に、ふと思いついたことを、突然、りー氏に話してみる。
こんなことがあって。
「で、オチは?」
描写だよ描写! と私は言う。見たもの・聞いたもののそのまま。
物事に全てオチがあると思ったら大まちがいだ! とも言う。

それはともかくとして、意味づけ・位置づけることは、現実生活のうえでしばしば要求されるし、また大事なことでもあるが、本当はあまり健康的でない作業のような気もする。
自然に位置づけられたというのなら別だけど。

これといった用件のない手紙、
これといった用件のないメール、
これといった用件のない電話、
これといった用件のないふらふら歩き、
これといった用件のないだらだら、
これといった用件のない・・・
好きなものごとばかりだ。以前に比べて、費やせる時間はかなり減ったけれど。

十日町(妻有)で買ってきた蕎麦のポン菓子、袋を開けると蕎麦茶の香りがして(そりゃそうだ)、食べると頼りない麦のポン菓子みたいでありながら蕎麦粥に通じる独特のねっとりさ加減があって、面白い。

ところでこの「エンピツ」という日記システム、編集がとても容易だ。
ゆえに、過去分までどんどんいじりたくなるのが、いいんだかわるいんだか。たぶん公開したらあきらめもつくのだろう。

2002年05月21日(火)



 修学旅行

家庭教師先の子供が修学旅行から帰ってきた。
行先は北海道。メインは牧場での体験学習とのことだったので、「牛さわったりした?」と聞いたら、「飼いたくなった」と言う。あまりに牛がかわいくて、飼いたくなったのだと言う。へええ。身近で飼うには突拍子もない動物だけど、ちょっとその子がかわいらしく思えた。
でもやっぱりペットというよりは家畜だな。大きすぎる。
実はその子のお母さんもかつて同じようなことを思ったらしい。高校時代の体験学習で牛に触れる機会があり、やはりあまりのかわいさに牛が飼いたくなり、「北海道の人と結婚したい!(北海道イコール牧場なのだろう)と思ったけど、母に反対されてやめたんですよー」ということだった。そして結局近場の人と結婚しているわけだ。
牛は無理かもしれないけど、ヤギを飼っていた友達ならいる。しかも2人。今度会ったら、ヤギなら飼おうと思ったら飼えるかもよ、という話をしようか。


2002年05月20日(月)



 しいたけと

確か昨年、ホームセンターでりー氏が買ってきたしいたけの原木3本。この春になって連続的に生えてきた。
家の裏の方に置いてあったので、知らないうちに大きくなりすぎていた。たぶんそのままでは大味なのを、チンジャオロースーに入れてごまかしてみたのだった。
その後のしいたけ話。
1つ、小さいのが生えてきていたが、大きくなることなく、むしろどんどん小さくなってきていた。とほぼ同時になめくじシーズンの到来。そうだこの家は、なめくじの出る家なのだ。去年もそうだった。いったいどこから入ってくるのだろう彼らは。とても不思議な場所にいたりする。既に屋内で4匹、玄関先で1匹見かけた。子供ではないので、もう塩はかけない。
そのように冷静に書いてはいるが、なめくじは好きではない。たぶん今まで生きてきた中でいちばんなめくじと接する(接したくはないが)機会が多いこの頃。かなり嫌だ。嫌なんだけど、定点観測的には見事に小さくなっていくしいたけの、そのかじった痕を見ると、ちゃんと食べて、生きているんだなと思いもするのだった。かじった、って歯はあるのかなとか。これだけ書いてもでも嫌だけど。なめくじ。

久しぶりに憂鬱な日曜の夜。
りー氏を相手に自分の問題をいろいろとぶつける。りー氏は決して耳に心地よいフォローはせず、消耗気味だったとしても基本的に容赦はない。本当のことしか言わない。言い訳はあくまでも言い訳にしか聞こえず、私にとっては耳が痛い。
グチをこぼすのは楽、悪口を言うのも楽、だけどやっぱりあんまり言ってて楽しいものでもないねえ。聞くのもね。会話がそこから先に続かないことがあるから。
どうせ言うなら建設的なワルクチ(そんなものがあるのか)だな。でどうにかするのは自分。


2002年05月19日(日)



 チューリップ

妻有(つまり)に行った。
たくさんのチューリップの花びらが空から降ってきた。信濃川河川敷上空、ヘリコプターから、たぶん15分くらいは落下し続けたと思う。滞空しつつ狭いサークルの中に命中させるのは、すごい技術なんじゃないかという気がする(よくわからないけど)。たくさんの花びらがむしり取られたということでもある。
本当にたくさん降ってきたのだ。へらのような形をした花弁が、1枚1枚、くるくると回りながら落ちる。中川幸夫(チューリップを降らせた人)がすぐ隣りの方にいたのでそちらを見ると、雨天に手をかざしながら、とっても嬉しそうな表情で空を見上げていた。ヘリコプターが遠ざかっていき、地面の上はにわか花畑になった。
残りの茎と葉のついた球根は皆に配られた。チューリップの球根もらい放題。
準備された球根付きのチューリップは膨大な量だったようだ。花びらを取った残り部分は段ボール箱何箱にもなっていた。何箱くらいあるのだろう。大きなトラックの中から次から次へと箱が出てくる様子を見た。大きなゴミ袋にたくさん入れて持って帰る人もいた。さらに残った球根は、ボランティアによって畑に植えられるらしい。
少し心動かされたが、やっぱり、最初に手渡された1つ×2だけにした。少ないぶん、よく見ることができるだろう。

ファンがたくさん来ていた。たぶん東京など中心に、それぞれに遠くから。
私たちもその中に入るのだけれど、なぜだかはらはらしながらいろいろなファンの人たちを眺めていた。りー氏もそうだったようだが。

もらってきたチューリップの球根(茎ならびに葉っぱ付き・花なし)はアサガオの隣りに植えた。植えたのは私ではなくりー氏。
来年の春にはいったい何色の花が咲くのか。

2002年05月18日(土)
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