興奮して2時間しか寝れなかった。 ・・のに寝違えて肩が痛い(笑)
ていうか、「癒し系」には癒されたくない。
・・と思うのは俺だけ?
人格っていうのは人それぞれで、 育ってきた環境や経験してきたことによって、形作られかたが違う。
人と出会って、その人を理解する過程において、色んなケースでとる相手の出方 、発言や態度からパーソナリティを読み取っている。
「この人って人の言うコト認めたがらないな」とか「この人って強く意見言う人 のいいなりだな」とか「この人面白いこと考えてるのに滅多に言い出さないな」 とか「この人いうこと聞くフリして意外とわがままだな」とか「口先ばっかし調 子いいこと言って意外とルーズだな」とか「この人は優しい人なのに入り込みに くそうにわざとしてるな」とか「この人は一度決め付けたらなかなか意見変えれ ない人だな」とか「この人細かいところに目が行き過ぎて全体見えてないな」と か「この人みんなのためにとか言って結局自分の利益を中心に考えてるな」とか 「この人、人の面倒を見すぎて自分のことおろそかにしてるな」「この人曖昧な 情報を信じ込んじゃってあとで傷ついてるよな」って無意識に感じとっている。
* * * * *
結局、完全な人なんていない。 TAKUはそう思う。
ある人から見たらいい人でも、別の人が見たら大悪人だったり、使える人かと思 ってたら意外と使えない人だったり。それはその瞬間その人のある側面しか見て いないのであって、その人の全てを捉えているわけではないんだろう。
もし一方的に責めることをするならば、それは、ある側面を見ている場合だと 思う。自分にとって都合がいいか?で考えたとき都合が悪い時「怒る」とか 「責める」という行動をとるとして、総括的に、俯瞰で見ることができている とき、演技でもしない限り、「怒る」とか「責める」フェーズに感情をもって いけないというのが頭の中。
俯瞰しても解決不能とわかったとき(普通ならもう一度主観に立ち戻って「怒る」 べき時)は、あっさりと身を引く決断をとってしまう。そこはちょっと残酷すぎ るという自覚があって、最近では、警告を発したりしなきゃ相手に失礼だ、と 反省している(--;
子供のパーソナリティが発展途上なのはわかるとして、 じゃぁ、大人になった人は全員「完全体」になったのかというと、そうではな くて、全員(とTAKUは思う)どこかしら必ず欠落している部分があるんじゃない だろうか。これを読んでる方の中にも、きっと自分で「この部分が抜け落ちてる なー」って自覚してる人も多いんじゃないかな(自虐的にならないでね)。
で、もしかすると自分は、
「厳しく律する、断る、罰する、怒る」 という部分が欠落してるんじゃないだろうか、と。 他人同様、自分を罰する行動がとれない。 だから自分の「インチキ」も許しちゃうんだろう、と。
自分をだまして相手を許しちゃう、かもしくはその害悪に同調して自分も共犯に なってしまって「怒る」こと避ける。それか猛スピードで客観しちゃったりする。 主観的過ぎるのも人間ちいせえと思うけど、後先のことを考えて問題解決すれば 自分も含め全体が解決じゃん!って発想なんだけど(そこが癪に障る人もいるだろうな。)。
でも今では、気に入らないことがあったら、深く考えないで主観のまま「怒る」 ようにしてる。あとはどうにでもなれーーーい。って、放り投げる、責任もたな いのって、意外と楽。あとで仲直りすればいいことだし(ここ大事)。
怒る時大事なのはそこに愛があるかってことなんだろうな。 愛のない「怒り」=「憎しみ」だとしたら。 俺はやっぱり、人を憎んで生きていたくはない。
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ある人(エのつく人)曰く、 「偽善はまだいい。良くないのは偽悪だ」という考え方がある、と。 なるほど、と思ったことを思い出しつつ今日はここまで。
| 2003年01月15日(水) |
いざわひさよさんの死 |
いざわひさよ。 短歌を詠む女流現代歌人。 2003年1月10日早朝、自ら命を絶った。 忘れないように書き留めておく。
彼女との交流は去年の8月、ENでのライブの日以来だった。 ENで、TAKUに声をかけてくれたんだ。
実はTAKUはそのとき既に、いざわさんを知ってた。
一番初めに知ったのは、そう、忘れもしない、2002年1月5日のうすいまさと ワンマンライブ@BELL'S。そのライブの前後半を分ける時間帯に歌を詠んでた。 っていうか突き動かされているかのように叫んでいた。
その内容は衝撃的なものだった。 弟の死。それも自殺、というテーマだった。
いざわさんはその事実から逃げず、真正面から立ち向かっていたんだ。
歌の内容は正直いって、華々しいうすい君のワンマンライブの雰囲気において、 少し違和感を感じるものだったけど、巧みに歌の定型にはめこんでいく技術、 言葉選びのセンス、そして何より、「これを歌う」っていう明確な意味、 そして真髄までつきつめた考え方に圧倒されたのを覚えている。
深く話したい。 そう思った。 いつか機会を得て、生と死について考えているコトを聞きたかった。
これから、という時に お別れとなってしまうなんて。 悔やむという言葉を、形式としてでなく使うよ。 TAKUは悔しい。 もっともっともっと、話したいことがいっぱいあったのに。
弟が亡くなったとき、そして今までずっと、どんなに苦しかったろう。 それをうやむやにすることなく、 形に残すことで救われたいと思ったのではないか、と思う。
もちろん、死だけがテーマというわけではなかった。
「年月でドリップしたら適温の コーヒーみたいな友情になる」
いざわさんの歌。8月、TAKUにメールで送ってくれたものです。 好きな人への想いが、恋から、ゆっくり時間をかけて友情に変わっていく、 そんな心の動きを描いた作品。
なんて感受性の強い、そして優しい気持ちを持った人なんだろう。 そう、素直に感じたんだった。
正直、どうして全部終わりにしたい気持ちになったのか、 それを思いとどまれなかったのか、TAKUには分からない。
でも、きっと救われると思えたんだね。 だって終わっちゃえば、もうどんな悩みや苦しみからも、自由だ。
でもそれに対して、 今TAKUが感じているのは、「怒り」だよ。
親より先に死んではいけないよ、いざわさん。 何があっても。どんなに辛くてもさ。
いざわさんがこの世に生まれた時、 お父さんやお母さんが、どんなに喜んだことか。
話せるようになって、歩けるようになって、 お父さんやお母さんが、どんなに喜んだか。
いろんなことに感動できるようになって、涙できるようになって、 お父さんやお母さんが、どんなに喜んだか。
絶対間違ってるよ。 自分から終わるなんて、ダメだよ。 絶対ダメ。
残された者の苦しみ・・いざわさんはよく知ってるよね。 じゃぁ、どうしていざわさんは苦しませるほうを選んだの?
理由じゃ、ないんだよね。きっと。 理由じゃないから俺達理解できない。 理解したいけど、理解できないんだよ。 だから大本に立ち返って、やっぱしTAKUは「怒る」という表現を選ぶよ。
今ごろ弟と久々に会って仲良くしてんのかな。 でも、いざわさん、TAKUのこの想いは絶対に忘れないでくれよ。 いざわさんが、こんなにも人の心を動かす強烈な人だってことも。
いつか、まとめていざわさんの作品を読みたいです。 どうか安らかに、眠ってね。
人っていうのは、 自分が意識して「こうでありたい」って作り上げていく姿と、 自分の力ではどうしようもない心根(こころね)っていう部分があると思ってて。
その心根っていうのは1年や2年、ましてや1日や2日じゃ到底変えられない、親と 過ごした子供時代とか、一つの青春時代とか、会社でしばらく立場についてる とか、そういうスパンを過ごすことによって形成される「こころの持ちよう」っ ていうか価値観なんじゃないかと思っている。
で、心根って、 自分じゃ分からないんだよ。きっと。 他人から見て、「ああ、この人はやさしい心根を持ってる」って感じたり 「この人はいじわるな心根だ」とか「欲深な心根だ」とか「ずるがしこい心根」 「嘘がつけない心根」って色々あると思う。
まっすぐか、ひん曲がってるかっていう単純なものじゃないけど、 善良か、邪悪かって大別できるとして、
人あたりはいいけど、裏では結構ずるいこと考えてるヤツと 表面恐そうだったりでとっつきにくいけど、実は正直だったり仲間想いなヤツ っていうのがいるだろうと(大きく分けて、だよ)。
で、自分のパーソナリティは後者に憧れる前者であると自覚している。
例えば警察とケンカしても時間の無駄なので、折れたフリをすると。で隠れて 自分の信じるやり方の筋を通す。 でもやっぱし、納得行かないことは警察とケンカしてでも筋を通すってほうが カッコイイし、なんというか正しいとは思う。
それを告白することで、浄化されると信じている。歌にして歌うことで、後者 になれるかもしれないと。歌を書き、歌うことはその挑戦でもあると最近思う。
でも、結局一度死んでから生まれ変わらない限り、育った環境が変わらない限 り、自分はそうなれないんだろう。それはとても悲しいことだ、とここで告白 して、浄化されたつもりでいる。そんな闘い。
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