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2003年07月19日(土) 同人バカにスンナ。

プロだからってなんなんだよ。
同人をナメんな。同人を素人呼ばわりすんな。

ヘタならプロでも認めない。
どういう基準かは私が決めさせてもらう。
商業誌に載ってるのは、うまい人もいるが、運がよくて
編集者の人間とコネがつながったからだろう、そんな人が
うようよいる。

 いや、そんな人はいていい。ていうか、この業界、それがないとまともに世に出れないところがある。いや、全般にそれだ。

 プロとアマの違いは、プロになるってことは、甘さが消えることだ、と菅野先生が言ってた。技術的にはなんら差はない、むしろ、アマでうまい人はいくらでもいるってことだ。

同人やってて甘さ…ってなんだろうか。

 好きなこと描いて、好きな時に描いて…しかし、別に仕事を持ってて、その合間に描いてる。締め切りは印刷屋のがある。まあ、それだって誰に迷惑かけるわけじゃない。でも。好きなことには命削ってやってるそういう思いがある。仕事だって休めない。生活があるから。自慢にもならないが、そういう生活の中で描いてる人間だっているんだってこと。

 プロはプロでやってりゃいい。しかし、だからって、何を自分はプロだからと、プロ風吹かすか。私だって自分の仕事の業界じゃプロだ、しかし、自分からプロだプロだと風を吹かすことはしない。どんな業界でもプロだという誇りを持っていいと思うが、そういうことをいう気はない。煙たがれるのがオチだし、愚かしいではないか。

 そういうプロが集まるところに出る気はない。大体どうして同人のお祭りであるコミケにプロが出てくるのか、って言うことも私は反対だ。まあ、だので、お断りしたわけだ。あの空気が我慢ならんかった。

 商業誌掲載は誰でもプロを目指すものは目標であるだろう。しかし商業誌に掲載されていることで同人をナメて掛かってくる奴らには我慢がならない。
と言っても、私だって同人を心底愛してるとかそういう発想はないんだけどね。私にとっては絵とか文章なんてのはプロもアマも関係ないので。アマでも好きな人は好き、プロでも嫌いな人はきらいだ。

 そういう愚かしい判断、これって画家だけに許されるものだと思うね。さあどうだろうか。









2003年07月15日(火) 炎多留マガジン「ほたまが」夏コミ発売。

制作側にインタビューと、コミック・小説がメインの雑誌。
その原稿中です。

今回勇の処女喪失を描きます(てか描いてます)。

(…まにあうんかい)


2003年07月05日(土) 炎多留マガジン発行します

ひさびさでげす。ななみです。
や、ちょっと忙しい身でありながら。
漫画も描いてますー。

炎多留マガジンのことは、
ゆうきさんとこでも宣伝して頂いてるので、
こちらでも何か書いたほうがいいかにゃーと。
私はもうコミック描かなくてもよいかなとおもてるんですが。
編集だけで十分ですです。その編集だって大したことは
しないんだけど。

まあ私の炎多留活動の根幹つうか、
とにかく根の部分は、ゲームの漫画化、ですね。
二次創作ていうのかな、炎多留のキャラでそれをやるつもりは
ないですね。みんなの想像を膨らませたり、ネタとネタの
ギャップを自分の想像で埋めたりね、そういうことをやりたい。

今回は太陽×入江?入江×太陽で、前に描いた
ものの続きを描こうと思います…入江と太陽がスタジオで
練習してるとこ…一日目のシーンです。

私は…えらそうなことを書くが…
パロディやってるからには、そこからオリジナルに
帰っていってもらえるようなものを描きたいと考えている。
すごくおこがましいけれども…これはまあ、『南総里見八犬伝』の
江戸時代のパロ艶本を読んで、自分がそう感じたからなんだけども。

里見八犬伝を読みたいと思ったのはパロディ本を読んだからで、
良質のパロディっていうものにはそういう力があると思う。
原作へと読者を導く力、これである。

…わかりやすい例で言えばさ…美川憲一が大復帰を遂げられたのも、
結局はコロッケの物まねがあったおかげってことで。

(あ、わかりやすいけど、ちょっと失礼な例えだったかな…)

私自身もパロをやっていて、非常にありがたいことに、
私ごときのサイトや本から『封神演義』を知り、藤崎先生の
原作を読んだ、といってもらえることがある。
自分のパロディ作品が良質であるかどうかはともかく、
確かにパロディ作家たる部分では、冥利に尽きると言える。

まあ、パロディの基本はオリジナル作品への憧れと愛情、
これしかないです。


まあね…この夏。
自分に何ができるかわかんないんですが、犬飼先生と炎多留への
情熱だけは誰にも負けるつもりはないんです、私は。


(あ、勇本また延期…)




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