愚痴日記

2005年04月30日(土)


今日はめちゃめちゃ忙しかった
母の日のラッピングやらレジの応援やら
さすがにGWの売場って感じ
こんなに忙しいのも久しぶりかな
事務所からもレジ応援に入っていたし
それにしても みんな親孝行なのか
母の日 関連の売上がすごい
義理でプレゼントするんだなぁ・・という雰囲気の人もいるが
たいていは心がこもっている風に見える
「お母さん 気に入るかなぁ・・」と呟く人もいる
そんなラッピングをするのは楽しい
中にはメッセージカードに書き込む人もいて
そっと商品にしのばせる
そのプレゼントを開けるお母さんの顔を見てみたい

私の欲しいプレゼントは・・
息子にはご飯を食べに連れていってほしい
娘は・・元気な顔を見せてほしい・・
(ここだけの話ですが・・)


明日はお天気が悪いとか・・
立山・黒部方面へ旅行に行ってきます
娘への思いを背負っての
はたから見れば気楽な旅行です・・



2005年04月29日(金)


母のお墓参りに行く
GWだからなのか、駅はざわついている
家族連れや夫婦連れ、若い人達のグループなど
リュックを肩にかけた人が多い
さくらが散って つつじやさつきが満開
さくらは華やかな美しさだが
つつじやさつきは地についた美しさがあるように思う

お寺も納骨があるようで何気にざわついている
お寺の奥さんがカーラーを巻いた姿で現れる
ちょっと 引いてしまった
今日はいつもの墓花ではなくて、カーネーションにする
母の好きだったちまきも供える

夕ごはんは豆ごはんに肉じゃが、アジの開きを焼いて、酢の物にするが、こういう献立をダンナは喜ばない
ラーメンに餃子、お寿司にうどん、たこ焼きとかお好み焼きを食べていたら機嫌がいい
とても50代のおっさんとは思えない
もうGWに入っているダンナの明日のお昼に、たこ焼きの用意をしておけば私は安心してパートに行ける
やれやれ・・



2005年04月28日(木)

年賀状だけは交換していた小学校時代の友に逢う
小学校5・6年くらいのころに家の近くに越してきたMちゃんとは、中学校一年の時だけクラスが一緒になった
でも 近所だったから かなり仲良しだった
子供を通じてお互いの母同士もずいぶん仲良くしていた
高校も別々だったし
お互いに結婚してからは年賀状だけになった
10年くらい前に私がパートをしているスーパーに買い物に来たことがあったけれど、私は勤務中だったから「元気だった・・?」という簡単な言葉だけで別れてしまった
そして今年の年賀状にメールアドレスが書いてあったので、Mちゃんの誕生日が3月31日だということを思い出して「お誕生日おめでとう」メールを出した
それから 何度かメール交換をして逢おう・・ということになった
心は中学生のままの気持ちで、お互いのいろんなことを報告しあった
ほんとうに ほんとうにいろいろな事があった
Mちゃんは17年前に離婚して 女手で二人の子を育てた
5年前には いろんなことがあって自殺未遂をした実兄の面倒を半年くらい見ていたようだ
そして今は二歳下の男性と暮らしていると言う
でも17年間、女ながらも所帯主として走ってきたので今、一緒に住んでいる男の人を一家の主として見ることに慣れないでいるという
Mちゃんの子供もまだ結婚していないが、Mちゃん自身が離婚も経験して今はいわゆる内縁関係でいるからなのか子供の結婚も特に気にならない・・と言う
私の娘のことも聞いてもらったが「今はそっとしておくのが一番だと思う・・」と言う
ひとりで生活してるんだから立派なもんよ、とも言ってくれた

Mちゃんは人に話せないことを全部聞いてもらって元気になれた、と言ってくれた

お互い 夕食の用意があるので、これからは不定期にでも逢おうよ、と約束して別れた
Mちゃんの家庭のことも、私の家の事情もお互いにそこそこ理解しているだけに鎧もつけずに見栄をはることもなく臆面なく話せて、私もずいぶん胸が軽くなった

そして 明日は母の誕生日(生きていれば84歳か・・)
母の日も近いし お墓参りに行こう、と思う



2005年04月27日(水) とりとめもなく・・


自分の殻に閉じこもっているのではなくて
私の話を聞いてくれてないから
それなら 黙っていてやろう・・と思っただけ
みんな 自分のことは一生懸命に喋るけど
人の話は聞こうとしてない
そうでもないか
自分のことは喋らないが
人のことばかり聞きたがる人もいるなぁ
どうせ 私は耳が悪くて
あんたらの言うことはよく聞こえていないから
「えっ・・」 と聞き返すのも面倒だし
曖昧な返事しか出来ないから
へらへら笑っているのにも疲れたし・・
よく こんなんでパート勤めが出来るなぁ・・と
自分でも感心している
人の目線が正直なところ気になるが
変な人・・と思われているかも・・とは思うけれど
耳鳴りのする日は余計に疲れる 
人生もそこそこ長いんだし・・今さら・・
慣れるしかないだろう

家に帰って
ダンナの言うことには生返事をしながら
本を読んだり ネットをしていたら時間だけは過ぎる

今日が済んだら 明日になる・・



2005年04月26日(火)

大変な列車事故のあった、尼崎は私が生まれたところ・・
上の弟が住んでいるところ・・
街はざわついている・・というメールがあった

亡くなられた方や
怪我をされた方に 
かける言葉もみつからないが
みんな みんな辛いだろうな
徹夜で作業された方々も大勢おられるだろうし

私は・・若い運転手の親の心情を思う・・
(書くまい・・と思ったが 親に思いをはせる書き込みをされておられた人もおられたので・・私と一緒と思った)
運転手の親は自分の子どもの安否は口にし辛いだろうし
23歳という年齢を思うと私らと同年代の親だろうか

それに この運転手の就職の際の身元引受人というか、保証人になった人の立場はどうなるのだろうか・・



それでも 大方の人間には日常がある



2005年04月23日(土)


よく 人間としての資質とか

人としての器量とか言うけれど

今更ながらに それは全部 個人差のあることで

自虐的ではあるけれど

私は平均点以下だと・・思う今日この頃であります




母の日の売場に商品が充実してきて
下見らしいお客さんが増えてきたようだ
各売場で ローテーションを組んで
出勤したら最低でも1時間はラッピングコーナーへ行く
さっそく 地方送りを承る
私にはあんまり縁がなさそうな母の日だけれど
それゆえに なお更 心をこめてラッピングする・・
このプレゼントをもらうお母さんはどんな人だろう・・
私と違って得意の手料理を持っているのだろうなぁ・・きっと・・
私の子育てと何処が違っていたのだろう・・

亡くなった母の笑った顔が想いだされる・・



2005年04月21日(木) いわさき ちひろ展


 梅田のデパートで開催されている『わたしが選んだちひろ展』に行く

私の心の中に『いわさきちひろ』が静かに入ってきたのはいつ頃だったろう
小学生のころ 経済的に本を買ってもらえる環境にはなかったので、学校の図書館で借りる本は私にとってワクワクする別世界のようだった
物語も多く読んだが絵本に描かれていた、いわさきちひろのかわいい女の子の絵にどんなに憧れたことだろう
私も母になって子どもたちによく本を読んで聞かせたけれど、そのときにもいわさきちろの描く絵本がたびたび登場した
パステル調のかわいい子供の絵を見ていると、どうすればこんなにかわいく描けるのだろう、と感心してしまう

去年の夏に 穂高へ行ったときほんとうは安曇野の美術館に行きたかったのだけれど 信州は思いのほか広くて予約していたホテルに夕刻には着けないだろう・・と計画に入れていなかったので諦めた
東京にも黒柳徹子さんが館長をされてる『いわさきちひろ館』があるのだが、私には東京に行く用事はこの先もたぶん無いだろうから、デパートでこういった催しがあるのを利用している
安曇野美術館の館長をされてる長男の方と、女優さんとのトークショーもあったようだが私は絵にふれるだけで充分だ
どの親も自分の子どもが一番かわいい・・と思っているだろうが、私もいわさきちひろの絵に幼かった頃の娘の面影を見つけて心和んでいる
長男の方が書かれた、『ちひろのひきだし』というタイトルの母の絵を語るという本を買って帰ってきた
これで私も何日かは心静かにいられそうだ・・



2005年04月20日(水)


今日は天気予報どおりに 朝から 静かな雨

うれしい・・
下水工事の車も人もこない
静かでいい・・
環境整備の必要な工事だとは思うが
最初は3月31日までの予定だったのに
工事中の看板がいつの間にか5月31日に書き換えられてる
機械で掘れないところがあるらしくて手掘りするため
工事期間が延長されたようだ
でも住民に断りも説明もない
事情を書いた回覧板くらい回せよ!
家の前を2・3人の男の人が常時いるのには堪えれない
さりとて文句のひとつも言えないから
買い物やその他出入りの度に 身を縮めてそっと通る

原因が他にあることは百も承知だが
何気にイライラしてストレスが溜まっている
早く 工事を終わらせて静かな日々にしてくれ!



2005年04月17日(日)


  

夢の中で


夢の中で泣いていたのに なぜ
夢の中の枕を濡らさなかったのだろう
ひとつの眠りの園を造っていた私の顔から
なんという悲嘆の噴水が
ほとばしったことだろう
外部で泣くことのできなかった者が
私の内部でどんなに泣いていたか
それを知っていたのは誰だったろう
ほとんど顔を失ってしまうほど
かなしみの中へ顔を容れて
声もなく − その声に
気付いて眼覚めるまで

                 金井  直







2005年04月15日(金)


最近 
自分でも変なんじゃないかと思うくらい涙脆くなっている。
親子や夫婦の情愛を描いたドラマとか、ドキュメント物とか、何故か胸がキュンとなってうるうるしてる。
原因はわかっている・・娘からの愛に飢えているのだ・・。

きょうはご主人のパジャマを買いにきたお客さんのお話を聞いていて不覚にも涙した。抗がん剤の投与をされるとかで淡々と話されていたけれども。
「私がしっかりしてないと・・」と軽く話されていただけなのに・・。

午後からはこのところ品切れ状態が続いていた給食用の帽子が入荷して、これでお客さんにお詫びしなくてもいいと思っただけでうるうるしてしまった。新1年生の給食は5月の連休が終わってからのはずなのに、今年は何故かお問い合わせが早い。3月の終わり頃から常時、品切れ状態だったからこれで一安心か・・。



電気売場ではこのところの中国事情なのか
「主人が中国製の商品を返してこいと言いましたので・・」
と 中国製のラジカセを返品に来られたようだ。
レシートもあるので特に問題はないのだけれど
これもご時世か。
日本も中国製品の不買運動をしたらどうなるのだろうか。
私は特に野菜など中国産のものは以前から買わないようにしていた。
でも たびたび食べにいくラーメン店などでは
中国産のネギやメンマを使用しているだろうし
衣料にしてもその他いろいろな物が中国製だと思われる。
このまま 日中間がこじれてしまって
日本のメーカーが中国から撤退、なんてことになったら
中国だって困るだろうに・・。




2005年04月12日(火)


私はエスカレーターの夢をよく見る

何列も並んでいるのにエスカレーターに乗っているのは私ひとり・・とか、天まで続くかと思うような長〜いエスカレーターだったり、はたまた足を置くところにでこぼこの突起物があったりする。
ゆうべの夢はエスカレーターに乗るのにお金がいるようで、手が不自由なのか財布からお金を取り出せない。もどかしい気持ちが一杯で泣きたいくらい悲しかった。後から来る人がみんなスイスイとエスカレーターに乗っていくのに私はいつまでたっても乗れないでいた・・。



起きれば またいつものように頭と首が痛い。
たいていはバタバタとダンナと私のお弁当を作っている間に忘れてしまうけれど、きょうはそのエスカレターを待つ人の群れの中に娘がいたのだ・・。娘宛にきた郵便物を新たな封筒に入れて送ったけれど、なしのつぶて、だからそんな取り残されるような夢を見たのだろう、きっと・・。



2005年04月10日(日) さくら、桜

 一昨日のパート仲間との花見に行きそびれた私のために、今日はダンナが近場の花見スポットに連れて行ってくれました。
木曽の御岳を知っている人も多いでしょうが、御岳大和別院というのが近鉄沿線にあります。そこの桜が見事なのです。朱塗りの橋や灯篭があってそれなりの情緒があります。近くの老人保健施設からのお年寄りの連れがおられたり、老いた親に野点をしている人もみえました。
ここには10年近く前にも母と二人で桜を見にきたことがあります。近くには松柏美術館もあって母と二人、とろとろ歩いたことを思い出した。バス亭までの道には土筆もたくさん顔をだしていて、しばしの春を楽しんでいたこともあったのです。
それにしても 車で走っていたら桜の木が案外多いことに気づく。ふだんは目にも止めない木々ですが、ピンク色の花をつけてようやく桜の木だったんだ、と。ひとりで見る桜は私には悲しいものですが、今日はダンナと二人で思い切り春を感じたことです。



2005年04月07日(木)


思いついた時ぐらいは不用品を捨てようと、2階にあがってゴソゴソする。子どもたちはそれぞれ一人暮らしを始める折にあらかた片付けているので、今 残っているものは私の勝手で処分しようかと思うのだが何故か出来ない。結局 ダンナと私の着なくなった(着れなくなったというのが正しい)服をそれぞれゴミ袋に1つづつ。

片付けるつもりが 子どもたちの思い出に浸る。




「レイちゃん。」
朝から 気げんのいい声で私の名前をよぶのはお母さん。お母さんがよんでもおきてこなかったばあい、お母さんは、私のふとんにもぐりこみ、くびをなめたり、耳をなめたりする。こそばくて きもちわるくて、しかたなくおきると、お母さんはごはんやおかずをはこびだす。だいたいがお兄ちゃんより私のほうがテーブルにつくのが早い。私はいつものねむけまなこできらいなやさいをよけながら、気げんわるく食べはじめる。
(注 首をなめたり、耳をなめたりとあるのはチューのこと)

女の子の絵やちょっとした文を書くのが好きだった娘が小学2年のときに書いたものだ。捨てられないでとっている。
思い出に生きる親にはなりたくないけれど、子離れが下手な親のお守りみたいな物か・・。



2005年04月06日(水) 雪柳が香るときは雨になる・・?

親の役目というか 関わりはいつまでを言うのだろう
学校を卒業して就職したら終わり
それとも結婚というか自分の家庭を持ったら・・
でも もしず〜っと結婚しなかったら・・
家庭を持っても、持たなくても子どもはいつまでたっても子ども・・そういう意味だったら親が死んでもず〜っと・・
男親の目線と女親の目線が違うということなのか
これについてはダンナと私とで微妙に意見が違う・・
でも たぶんダンナの考えのほうが正しいような・・
私がいつまでも子どもの足を引っ張っているのだろう・・

新しく就職も進学もする年齢の子どもが居なかったら、春も何も世間の動きとは関係なくきのうの続きの今日があって明日になるだけ・・




毎年 思うことだけれど 桜の花は私にはまぶしい
美しすぎて・・
そして悲しい・・





 ゆきやなぎ 香り放ちて 雨もよう

 白き花 春に向かいて 咲き誇る




2005年04月03日(日)


売り上げがよくないので、パートにもその日の日割りとか今の状態を数字でみたらどうなのかを知ってもらおうということなのだろうが、売上日計表を見ることが義務付けされた。そして掲示板に各自のグループの数字を書き込めという。
日割予算、日割実績、累計予算、累計実績と記入して最後に差違を出す。どのグループもマイナスを表す▲のついた数字になっている。
パートにも数字を知ってほしい、売上低迷の原因を考えてほしいということだろうが、現場を知らなさすぎると私は思う。
今はどこもかしこも供給過剰のわりには欲しい商品がない。価格を安くすればいいと考えているようだがそうではない。現に私の担当している紳士パジャマをみても安いプライスよりちょっと高めのプライスのほうがよく動く。売れない自社ブランドを値下げして売るより、メーカーブランドのほうがはるかに動く。自社ブランドは荒利が高いらしいがそれは定価で販売できての話だ。売れなかったら荒利もへったくれもない。よく机上の空論ということが言われるけれど毎日、売場に立っている者の意見をほんとうに真剣に聞いてほしい・・とつくづく思っている。



2005年04月01日(金) 重い話題

 15年にわたって植物状態にあり、政治と司法を巻き込んだ尊厳死論争が注目を集めていたテリー・シャイボさん(41)が3月31日、米フロリダ州のホスピスで死亡した。18日に栄養と水分の補給を停止され、14日後に衰弱死したとみられる。テリーさんは90年、心臓発作のため植物状態に陥った。「妻は人工的な延命を望んでいなかった」として、命綱である栄養補給の停止を求める夫、マイケルさんと、延命の継続を望む両親が7年に渡り、主にフロリダの法廷で争ってきた。テリーさんの栄養補給管は18日、州裁判所の決定で抜かれた。連邦議会が制定した新法(21日に成立)に基づく両親の申し立てを連邦裁判所がことごとく却下し、栄養補給の再開は認められなかった。テリーさんの亡くなったのを受けて、ブッシュ大統領は同日の記者会見の冒頭で「数百万人の米国民はテリー・シャイボさんの死を悲しんでいる」と追悼文を読み上げた。「文明の本質は、強い者は弱い者を守る義務があるということだ」と持論を述べ「生死に疑問があるならば、生命に味方するよう推定すべきだ」と主張した。

よく言うよ!
アメリカが強い国だと言うのは許そう、ならばイラクで何の罪もない国民を殺戮したことは何と説明するのか。自国民の兵隊もいったいどれくらい死んだのか。実弟がフロリダの州知事だったから話題に乗ったのか。実弟も栄養補給の停止は虐待に当たると述べていた。大統領の言う命の最優先とは何をもって言うのか。大統領がこの話題に口を出してから支持率が落ちたそうな。言葉は悪いがざまぁ、見ろ!


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