愚痴日記

2005年05月29日(日)


テレビのドキュメントでも
スーパーでの万引きをよく特集している
万引きGメンとかが 万引きの現行犯を見つけるようなことだけれどたいていは食料品の売場を写している
が 現実としては衣料品売場やおもちゃ・ゲーム売場、家電・パソコン用品の万引きもとても多い
うちのスーパーでは 他店だけれど靴の万引きが多い
それも古い靴を履いてきて、新しいものに履き変えるといったようなこともあるが目に付くのは数十足もとっていく
あと化粧品と婦人肌着やハンカチ
化粧品や婦人肌着は一回の被害額が100万くらいにもなる
先日 うちの店で婦人ハンカチが100枚近く万引きされた
担当のパートが数量の多さに泣いていた
そして きょう 私が売場の商品整理をしていて何か変・・?と感じたパジャマ、ズボンがない!
パジャマはトップといわれる上着とズボンの下着とでなりたっているのに、そのズボンだけが何処を捜してもない
それも4点
全部同じ色・・ブルーのFILAのブランドパジャマ
どのようにしてズボンばかり持っていったのか
一点くらい無くなることはよくあるが 四点も・・
婦人肌着の売場には監視カメラが取り付けられたけれど、パジャマ売場まではねぇ・・

デフレに象徴されるように商品が多過ぎることがいけないのか、店員の目が届かないことがいけないのか、そんな商品を買い取るところのあるのがいけないのか



2005年05月27日(金)

フィリピンのミンダナオ島で 旧日本軍の兵士が生存か? というニュースには驚いた
中国や韓国が日本の戦争責任を声高に言うけれど、この報道が事実なら国内においてもまだ戦争は終わっていないのだ
岸壁の母ではないが、中国や朝鮮にも一般人で引き上げというか帰国しなかった、出来なかったひとがまだまだ多くおられるのではないか
私の母は満州から引き上げて来た
きのう逢ったMちゃんのお母さんも台湾から引き上げてこられた
あの戦争で私の母も Mちゃんのお母さんも若い日々を犠牲にした
戦争に負けないでいたら(それは無理な話だったけれど・・)、それ以前にもし戦争がなかったら、あの頃の結婚観からみて、私の母もMちゃんのお母さんも最初の連れ合いと添い遂げて、私もMちゃんも生まれてこなかったのではないか・・と思う

旧日本軍の兵士だったひとも 戦争で人生を狂わされて60年も経ってからこんな形で有名になってしまうなんて・・
悠久の歴史の流れから見たら、人間のたかだか100年に満たないくらいの時間の間にもこんなにも様々なことがあるんだ



2005年05月26日(木)

1ヶ月ぶりにMちゃんと会う

Kホテルのカフェレストランで
90分食べ放題のランチバイキングにいく
あちこち旅行に行ってバイキングには慣れているはずなのに、思ったほどは食べられず食後のコーヒーがお腹いっぱいになってしまって飲めなかった
デザートもゼリーだけで和風のものとフルーツは食べれなかった
Mちゃんと
ダイエットは明日から・・と言い合っていたけれど
こんなにお腹一杯になってしまって
お気楽なおばちゃん二人です
前回と同じように
過ぎ去ったこと、これからのこと、ほんとうにいろいろ話した
小学生のころに確かに見聞きしたことだと思っていたことで、少々の勘違いがあったこともわかって笑いあった

Mちゃんに限らず
私らの年代のおばちゃんの話のテーマは親の介護、自分たちの健康と老後など以前は考えもしなかった話題が必ず出る
しわ、しみ、くすみ、たるみ全てを取り込んでしまったおばちゃんだけれど、大きな声でわははと笑いながら話しているととても楽しい
夕食の準備で家路につかなくてはならないのが残念だ・・
男同士ならそんなに帰宅の時間を気にすることもないだろうになぁ



2005年05月24日(火)


 パートに行けば 暑くて気分が悪いほどなのに
家に帰れば 特に足元が寒くて時にヒーターを入れる
ソックスが手放せない
それでも 時おり窓を開けて入ってくる風は心地よい
胸から上は別の身体のようでのぼせている
10年以上も前に50代の先輩パートさんが いつも髪の生え際の汗を拭いていて「何でそんなに暑がるんだろう」と思っていたが、いざわが身となると不快なものだ
前触れもなくカーッと暑くなる・・

何かでもらった花の種のうち
ポピーは美しい花を咲かせたが
矢車草は芽も出さなかった
アジサイが葉の間に青い花を見せだした
どくだみも もうじき白い花をつけるだろう
捨てた種から50センチくらいに伸びたみかんの木には、今年も青虫が張り付いてせっせと葉を食べている
もう 毎日 水やりをしないとね・・


最近 コーヒーを飲む回数が増えたような・・



2005年05月23日(月)

芸能人の結婚、離婚にあまり関心はない
が・・森 進一と森 昌子の離婚は・・?・・という気持ち
男の子が3人もいての離婚
普通はこれから教育費のかかる子供をつれての離婚はしんどい
森 進一にしても 自身の生い立ちを思うと
やはり家族運がないとしか言いようはないのだろうか
大の男が人前で涙する・・
どこかで ボタンの掛け違いをしたのだろうが
私も常々、人の気持ちほど難しいものはないと実感している

私の周りでも離婚した人が多い
両親
上の弟
家が近所だったMちゃん
高校のときの友達のチビとIさん
パート仲間のKさん
みんな それぞれの事情でそれぞれの思いで・・















2005年05月21日(土)


 きょうも

書いては消し

書いては消しで

結局はこのざまです・・

ウェブ日記でさえ

人目を気にしています・・



2005年05月20日(金)


この頃 何故か人の目線が気になって仕方がない

人とすれ違ったときに
チラッと目があって
それが何気にふつうより長いと感じる・・
私に何か変なところがあるのだろうか
どこかで会ったことがあるとか
誰かに似ている・・と思ったのだろうか
私もすれ違った人と目があってるわけだから
だからといって
私がその人のことで別に何も感じていないのだから
相手も何も感じていない・・だろうと思うのだけれど
やけに 目線が気になって仕方がない
何故だろう・・

体つきとは違って
何気に弱気になってる・・



2005年05月18日(水)

 北海道立羽幌病院の女性医師(33)が昨年2月、入院していた患者=当時(90)=の人工呼吸器のスイッチを切り、死亡させた問題で、道警は18日午後、殺人の疑いで女性医師を書類送検した。

 道警などによると、筋弛緩(しかん)剤の投与など「積極的安楽死」ではなく、延命治療中止だけの行為で、殺人容疑で書類送検するのは全国初。今後、検察が捜査して起訴相当かどうか処分を決める。

 調べでは、女性医師は、食事をのどに詰まらせ心肺停止の状態で昨年2月14日に道立羽幌病院に搬送され入院した男性患者に対し、翌15日午前10時40分ごろ、人工呼吸器のスイッチを切り、死亡させた疑い。

 医師は患者が死亡後、自ら警察に「変死」事案として届け出た。




この記事を目にして 私は憂慮している
90歳の患者の人工呼吸器のスイッチを切ったとして医師が書類送検されたら、今後 消極的安楽死も望めなくなる
確かに世の中には説明のつかない奇跡も起こるだろうが、回復したとしても高齢者ならなお更、脳に何かの障害が残れば以前の生活レベルは望めない

私は・・私なら・・速やかに・・逝きたい・・
この場合は患者の意志が不明なのと、この医師が独断で決めたことが書類送検になったと思われる
だから 元気なうちにしっかり考えていざと言う時、自分はどんな医療を望むのか考えておかなくてはならない
自分の意思表明を書面にして、できたら家族にもふだんから希望を言っておいたほうがいいだろう
それでも 尊厳死を否定する医師も多いと聞く
早く 尊厳死が自然なこととして本人の意思のもと叶えられるようになってほしい
人は必ず死ぬ・・のだから・・
 



2005年05月16日(月)

4月に個人情報保護法案が施行されてから
パート先でいろいろなことでうるさくなっている。
先日の母の日に催事場に置いていた地方送りの商品の送り先が見えたとか、客注品をレジでお取り置きしているのにお客さんの名前と電話番号が併記しているとか(これは見えないようにしまっている)今まで何も言われなかったのにだ。
取引先の住所録や客注ノートや配達伝票やサイズ直しの伝票も閉店時に施錠される事務所に預けて、開店時に事務所から社員が取り出して各売場に配布している。
とにかく面倒くさい作業になっている。が 法律で決められたことだから順守している。
でも 市町村の役所に行けば簡単に個人の住民基本台帳の閲覧ができるそうだ。住民基本台帳一覧票閲覧請求書という用紙に閲覧理由を書けば、住所・氏名・性別・生年月日の4項目の閲覧がOKらしい。
閲覧理由にDMを送りたいというような商業目的でもOKとか。ただコピーはダメで書き写しはいいそうな。閲覧者の70%が商業目的だそうだ。
私らがうるさいことを言われて、お客さんの個人情報を大切にしてメモさえも落としたら必死で捜しているのに、役所でOKなんて何かしら割り切れない思いでいる。



2005年05月12日(木)


母の日が終わって 
売れ残った鉢植えがバックルームの片隅に放置されてる
ランファレ、ミニバラ、アジサイ、ラベンダー、アレンジフラワーそして主役のカーネーション
売れ残っているのだから何気にくたびれて見えるのは仕方がないとしても、あじさいとカーネーションは枯れてきている
それでも9,10,11日と半額札をつけて売場に並べられていたようだが、さすがに今日はバックルームに引いたようだ
特にカーネーションのくたびれ方は、わが身が母であるゆえに哀れでならない・・
咲けば美しい花々も枯れたときの姿は悲しい・・
そんな様子は人間の姿と何気に似ていて、老いは残酷だと思う
特養へ義母の面会に行ったダンナが
「おばんの顔が変わってきた・・」 と言う
90歳という年のわりにはハリのある顔だったけれど最近は完全に年寄りの顔になった・・と言う
私には返す言葉がないが、いつも思うことだけれど我が行く道、であることは間違いがない





2005年05月11日(水)

ふだん 目ざめているときの人間には、とかく、自分につごうの悪いことは認めようとしない心理があります。そのため、自分について、ほんとうに正確な知識を持つことができません。しかし、眠っているときの人間は、そんな心理を、かなぐり捨てています。そのため、夢の中には、嘘いつわりのない自分の姿が現れてくるのです。
ところが、その現れ方には、夢の世界独自の法則があります。そのため、あなたもしばしば経験するように、たんに夢を思い出しただけでは、夢はなにを意味しているのか、さっぱりわからないのです。
そこで、夢の意味を理解するためには、夢を翻訳しなければなりません。その翻訳の方法は、いまから、約70年まえ、オーストリアの精神医学者・フロイトによって、はじめて科学的に研究されました。その後、多くの学者が研究を積み重ねてきましたが、とくに、最近の研究で、飛躍的な進歩をとげています。この本は、その成果を十分にとり入れた、夢の翻訳のための「辞典」です。
この辞典で、あなたの見た夢を調べてください。そうすれば、どんなにチンプンカンプンの夢でも、たちどころに、その意味が明らかになります。おそらく、あなたは、あなたの見た夢が、まったく想像もつかないような、べつのことを表現しているのに驚くでしょう。
こうして、自分がいま、ほんとうは、なにを欲し、なにを悩んでいるのか、あるいは、どんな体調にあるのかがはっきりわかれば、おのずから、それを解決する方法もはっきりするはずです。

             夢判断     外林 大作



あまりにも いろんな夢を見るし、夢に振り回されているような気がするので古本屋さんで見つけたこの本を買った。
私が見た夢は本の内容と全く同じではないけれど、本に書いてある内容は私の全く予想外のことだった。
とてもここに書ける内容ではない。
この本を読んだことで かえって・・・?・・という気分
私にどんな深層心理があるとしても、もう夢に振り回されることなく朝、起きたらすぐに忘れることにしよう・・



2005年05月08日(日)

ふるさとには 

               中島 和子


ふるさとには
なんにも ない
山と
川と
空のほかには
 だけど
 母さんが いる

ふるさとには
なんでも ある
夢と
友と
思い出がある
 だけど
 母さんが いない





2005年05月07日(土)


 一日早く息子から母の日のプレゼントが届く
自分では絶対に買わない、買えないだろう・・高級和菓子
よく味わって食べようと思うが ふいに涙が出た
同じように育てたつもりなのに 
娘との余りの差に つい感傷的になってしまった
プレゼントを貰うことが目的ではない
無事を知りたいのだ・・
もうじき泣きながら大阪の町をさ迷って一年になる・・
それ以前の誤解も混じった一人暮らしを始めるいきさつもある
自立とか
試練とか
そっとしておくとか
私にはどの言葉も救いにはならない
ボタンの掛け違いをどこで修正すればいいのか・・

そして 今日も思う

あ〜ぁ 今日も終わった・・
何もなかった・・と・・



2005年05月06日(金)

息子が帰ってしまったら 私の連休も終わった
次の帰還はお盆だろうか・・
息子にしても
娘のことをうだうだ言う母親はうっとおしいだろうなぁ
それでも
旅行にも行ったし
柏餅も食べたし
しょうぶ湯にも入ったし
また パートのおばちゃんに戻るしか・・


1年半くらい前に辞めたパートの訃報を聞く
心臓発作というけれど まだ52歳
どうしたんだろう・・
一緒に仕事をしていたし
何より顔を知ってる人の突然の死は衝撃的だ


重い足を引きずって帰るけれど
毎日 しみじみと あ〜ぁ今日も終わった・・と思う
大阪との境にある山にはまだ雲がかかっている
雨はまだ止まないようだ・・








2005年05月04日(水)


私たちが旅行から帰るのに合わせたように
息子が前触れもなく帰ってきた
あわてて 2階に布団を用意する

今日は3人で外食して
ここに娘がいれば家族団らんなのに・・と毎度のように思う
世間にはほんとうに家族思いの子供も多いが
私は正直うらやましいとは思うけれど
亡くなった両親から私が娘という立場からみた場合を思うと
今の娘に対して言葉を出せないのです・・
弟が二人いても
たいした協力を得ることができなかったので
違う病院での父と母の同時入院や
まして父の願いどうりに私の家で密葬したことや
散骨のこととか 私の力限りでしたことはあるけれど
それでも 満足感はないし
何より熟年離婚した両親の寂しさを心の底から理解してあげなかったことを5年が過ぎた今も悔やまれてならない
そういう見方をした場合
今の娘の状況はお互いに損(・・?)だとは思うけれど
生き方が下手・・ということだと思うのです・・
子育てについても
2年前に定年退職したパート仲間だったYさんに
私は子供のほうではなくてダンナのほうを向いて子育てしていた、といわれました
確かに・・ダンナとダンナの親の意向ばっかり気にしていた
私は親として力が足りなかったようです・・
今更ですが・・



2005年05月02日(月) 宇奈月温泉にて


ぢぢいと ばばあが

だまって湯にはいっている

山の湯の くずの花

山の湯の くずの花


            田中 冬二


 < 過去  INDEX  未来 >


孫二人 [MAIL]

My追加