にっき。
 しゅ



  熱は続くが攻める時は攻める

今日の熱=37.5℃
相変わらず熱は続く。
明らかにおかしいが、熱があるので病院まで行く体力がない。
矛盾。

-----------------------------------------

ふふん。

今まで父親が「ガキや。ほっとけ」と言うので、言う事を聞いて隣の馬鹿一族にムカつきながらも黙っていたが、今日、とうとうキレた。

詳細を書くと長くなるので省略するが、口調は下手気味に社交辞令調、しかし内容はチクリチクリと毒入りで言ってきた。言い足りない部分もあるが、まあ手始めはこんなもんだろう。

向こうも社交辞令的にウソを混ぜている。
表面上は互いに「おほほほほ」、内心は腹の探り合い。
そんな感じ。

それでも言いたい事を言った分、ムカツキ度はマシになった。
今後の展開がどうなるか。
薄ら笑いを浮かべながら、眺めるつもり。
目には目を、歯には歯を。ってな。
ふふ。キッチーが怒るとコワイね。

2004年05月31日(月)



  どうして

どうしてこうなるんだろう。

ごく普通に、守るべき事は守り、もちろん犯罪になるような事もせず、これまで生きてきた。

生活できるだけのお金と、穏やかに暮らしていける環境があればそれでいい。

そんなに贅沢な望みじゃないと思うんだけど、
今の私には手に入れる事はとても難しい。

自ら呼び込んだ物ではなく、勝手に向こうからやってきた色々な「悪」が私の生活に侵入してくる。私の身体を蝕んでいく。

私が気が狂うかどうか、試されているんだろうか。

このまま続くならもうすぐ気が狂いますよ。

今の試練は過酷です。とっくに許容量を超えています。

2004年05月30日(日)



  また弟に救われる

少し前に自ら自分の命を賭けたヤツが、
不整脈だのなんだの言われて、健康になろうとしている。

微熱も含めるともう一週間以上、熱が続いている。
時折、胸がチクッと痛み、呼吸がしづらくなる。

これは「命がどれだけ大切か思い出せ」というメッセージだな。

タバコも一応やめた。
食が細いので、とりあえずはサプリメントでもいいから体にいい物をと思って色々調べた。私の症状にはマグネシウムが一番いいみたい。

早速買いに行ったけど、マグネシウムだけのサプリってなかなかない。カルシウムと混ざった物ばかり。・・・と、昨日弟にちらっと話したら、今日、弟が仕事帰りにマグネシウムのサプリを買ってきてくれた。

今回ばかりは弟は本当に心配してくれている。
少しぶっきらぼうだけど、優しい。
仕事帰りで疲れているだろうに、マグネシウムのサプリをわざわざ買いに行ってくれた。すぐにみつかったんだろうか。

今日も隣の家にかっなーりムカつく出来事があったけど、
弟の思いやりに救われた。

心を静めて。
少しづつでも健康を取り戻そう。

2004年05月29日(土)



  診断を信じていいのか?>医者

今日も熱が37.6℃ほど。
何度か、胸にチクッと針が刺さるような痛みが走った。
明らかにおかしい。
何か重要な部分を見逃してないか?>内科医

-----------------------------------------

部屋を閉め切るには少々暑い気温だったが、
馬鹿一家がうるさいので、仕方なく閉め切って横になる。
それでも馬鹿の声は結構聞こえてくるんでたまらん。

いつもの薬のみを飲んで、熱冷ましの薬は飲まなかった。
飲み合わせがわからんし、風邪での発熱とは違うと思うし。

仕事から帰ってきた弟に、ちゃんと栄養のある、まともな物をたくさん食べるように言われた。

栄養のバランスは一応考えているけど、結局は値引きシールを貼ってある安い物しか買ってなかったからな。自分の好物を買う訳でもないので、余計に食欲が湧かないし。

熱でふらふらしながら、栄養があって好きな物を買うぞ!とスーパーへ。

思考回路が鈍っているので、「栄養がある=肉」としか思い浮かばず、タレ漬けでネギがのった肉を買って帰った。

焼いて食べる。うまかった。

2004年05月28日(金)



  体調記録など

体温=37.7℃

数回軽めの動悸有り。

寝ようにも隣が午前中から大騒ぎでうるさくて眠れず。

ただでさえ肺が弱いのに、それに加えて不整脈、今日は熱まで出て、いい加減自分の運勢とやらがイヤになっているところへ、デジカメ不調でスマートメディア内に入っている、これまでに撮り溜めた写真が全てパーになるという事態が発生。

全てが悪い方へ働いていると、かなり鬱になる。

体調が落ち着いたら厄払いへ行こうと思った。

2004年05月27日(木)



  報告

無事ではありませんが、入院はせずに済みました。
とりあえず、ご報告まで。

2004年05月26日(水)



  入院になりそうです。

今日の夕方、急に動悸が激しくなり、胸が苦しくて、弟の車で救急病院へ連れて行ってもらいました。

数日前の深夜にも同じ事があったので、その旨を告げ、心電図やらなにやらいろんな検査をしました。

ちょうど当直の先生が循環器の専門医だったんですが、先生曰く、「こんなケースは初めてみた」と。心電図がおかしかったらしいです。

一応書いておきますが、ODとか酒飲んでたって事はないですよ。
ごく普通の状態で、こうなりました。

即入院を勧められたけど、絶対にイヤだったので、月曜午前に院長の診察を受ける事になりました。が、今日の先生は「院長やからすぐに入院て言うやろなあ」とか言ってるし。

ダダをこねて、入院になってもなるべく早く脱出するつもり。
しばらく日記の更新がなかったら、「あ、病院脱出に失敗したな」と思ってください。

明日は日記を書く余裕がなさそう。
長くても、庭の紫陽花が咲くまでには帰ってきてやる!

2004年05月22日(土)



  

体調が少し悪い。
気分は相変わらず鬱。

隣の奴を本当に刺してしまいそう。

母が好きだった紫陽花の花が咲き終わったら、
隣側の塀に2m位の板を張り巡らそう。

うちが窓を開けたら脊髄反射的に出てくる馬鹿。
覗いてるのは完全にてめーらの方じゃん。
覗けないようにしてやるよ。
その前に天罰くらえ。

2004年05月20日(木)



  今日は泣かなかった

いい年してここんとこ毎日泣いていたけど、
今日は泣かなかった。

鬱な事には変わりはないけど。

昨日も今日も、なるべくなんにもしないでいた。
暗い台所から随分と長い時間、庭の花を眺めながら
ただぼーっとしていた。

ぼーっとしている事が一番ラク。
何かを考えると、どうしようもなくなるから。

以前は暗い部屋は苦手だったのに、
今はPCに向かう時も、寝る時も、暗くしている。
豆球だけをつけた位の暗さが一番落ち着く。

先の事はわからない。
でも生きていかなくては。

2004年05月19日(水)



  「がんばった」

今日、最低限やらねばいけない事。

・今日が締め切りの振込みを払う
・食料がないので食料調達へ

本当は何にもしたくないし何にも考えたくない。
ずっと部屋でくたばってたけど、
午後3時を過ぎ、振込み時間の締め切りが近づいてきて、気分が落ち着かなくなったので、「がんばって」振込みと買い物に行ってきた。

がんばらないと、これだけの事なのに、できない。


あとの時間はがんばらなかったので
ただぼーっと過ごした。

もう疲れたんだよ。

2004年05月17日(月)



  二度とかけない

どうしようもなくなって、
泣きながら初めて「いのちの電話」に電話した。

酷い対応だった。1分程で切った。

出たのが口調のきついおばさんで、「自殺は絶対しちゃダメだってわかってるんですけど…」とやっとの思いで話し出すと「そうよっ!」と馬鹿にしたニュアンスできつく言われ、相槌も面倒くさそうで、話をする気がすぐに失せた。

こちらから「もういいです」と言うと、間の抜けた言い方で「あら、そうお?」と、まるでその後に"じゃ、またねー。バイバーイ!"と明るいセリフが続いて出てきそうな調子で言われた。

どこが「いのちの電話」だ。
「気分を害させる電話」「失望させる電話」の間違いだろ。
あんな対応しかできないなら、すぐに閉鎖するべきだ。
助けるどころか逆に追い込んでる。酷すぎる。

2004年05月16日(日)



  鬱だけど、ちょっと元気。

隣の家が今日は昼間から夜まで
窓を開け放して大騒ぎをしている。
おかげで今日も鬱鬱鬱。
うちの窓や雨戸を閉めきっても、まだ大騒ぎが聞こえてくる。

でも、鬱の具合は昨日までよりはマシ。
弟と、話を聞いてくれる知人に助けられてる。

今日は根性悪い事をした。
うちにすんごい量の煙が出る中国製のお香があるので、それを昼間、換気扇の真下で焚いた。

うちと隣の位置関係で、うちの換気扇から出た煙は、隣の洗濯物と騒いでいる部屋の窓を直撃する。風向きによっては変わるが、通常はこうなる。

今日は風が強かったので効果があったかどうかは疑問だが、とりあえず仕返しをしたという事で、少しは気分もマシになるってなもんさ。


私はまだまだ死なない。
隣とのバトルを楽しめる位に、
心の状態を保っていくように努力する。
絶対に負けない。

2004年05月15日(土)



  胃が痛い。

最近ずっと続いている事だが、胃が痛い。
心の許容量越えで爆発したり押し潰されたり、
心の中が大忙しになっているので、
またポリープが増えたかな。

でも内科なんかに行ってる暇はない。
んな所に行く気力があったら神経科に行ってるよ。


今日は買い置きの食材のおかげで外出せずに済んだ。
なるべく心に波風が立たないよう、
家に篭って静かに地味に過ごした。

2004年05月14日(金)



  弟に、たくさんの感謝。

昨日の晩、夜11時半位だっただろうか。
どうしようもなく悲しくて破裂しそうで、
酒を飲みながら、豆球だけをつけた薄暗い台所で
窓の外を眺めているうちに、突っ伏してしまった。

それをトイレに行くためにやってきた弟に見られてしまった。

弟は私を一瞥すると、「チッ」と舌打ちをして、
また部屋に戻って行った。

私はその事に全く腹が立たなかった。
こんなうっとうしい奴が同じ家にいて嫌だろうなと思った。


その後、12時過ぎだったか。
「半無意識」のような感じで、私は玄関のドアを開けた。
そして気がつくと、近所のマンションの屋上を、じーっとみつめていた。

自殺をしようと思って見ていたのではなく、「あそこから飛び降りたら死ぬんだろうか」とぼんやりと考えていたのだ。


私は普段、夜中にドアを開けるような事は絶対にしないので、
ドアを開ける音に気付いた弟が、すぐに様子を見にやってきた。

尋常じゃない私の雰囲気に、弟は落ち着いた口調で
「どうしてん?」と訊いてくれた。

私は全部正直に話した。
先日、自分の命を賭けてみた事も、全て。

そして弟に「うちの事嫌いなん?」とも訊いてみた。
私と弟は普段全く会話がなく、弟はしょちゅう私に八つ当たりのような事を一方的に言ったり、そういう態度を示しているから。

仕事の都合で普段は11時には寝る弟が、1時前まで私の話を聞いてくれた。「明日も仕事やねんから早よ寝てや」と言っても、それでもじっくりと話を聞き続けてくれた。

弟は、とても正直に、そして私を傷つけないように、
自分の考えを話してくれた。

弟は、家族として、私の事を大切に思ってくれていた。

私が高校時代の病気が元で肺が弱く、虚弱体質気味な事を唯一知っていた母が若年性のアルツハイマーになり(高校時代の父は家族の事には無関心で、この事も知らなかった)、私の体について証明してくれる人がいなくなった事も、私の中でずっと負担だったけど、弟に話すと全く疑う事なく信じて理解してくれた。
数年前、父に話した時にはただの言い訳としか受け取って貰えず、今でも信じてくれていないのに。

その他色々、弟は理解してくれ、そして心配もしてくれた。

-----------------------------------------

今朝、弟が出勤後、居間に行くと、
テーブルの上に1冊の本が置いてあった。

「考え方を変えれば、やる気もでるよ」みたいな内容をコラムのように読みやすく書いた本だったが、黙ってこの本を置いて出勤した弟の思いやりに涙が流れた。

-----------------------------------------

結局、今日も気分は晴れず、泣いて一日のほとんどを過ごしたけれど、弟のさりげない優しさと気遣いのおかげで、昨日よりはちょっと強くなれた。

今までで一番、弟に感謝をした。
弟が私の事を嫌っていない事がわかって、本当に嬉しかった。
気遣いや理解や優しさや、その他たくさんの事にありがとう。
あなたが私の弟で、本当に良かった。感謝しています。

2004年05月13日(木)



  ダメだダメだ

できれば明るい話題の日記を書きたい。
でも… ダメだ。

私が馬鹿な事をしでかしてしまったきっかけは隣の家だが、うちにいる限り、雨戸まで閉め切っていても隣の声(元々馬鹿でかい声な上に、隣は壁がすげー薄い作り)や、やたらと頻繁に出入りする車の音で、勝手に聞きたくもない声や音が飛び込んでくる。

そして窓を開けているだけで「覗くんじゃねーよ」「また聞いてる」と勝手な被害妄想な声がほぼ連日聞こえてくる。

毎日だとさすがにこっちもムカついてくるので「すんげー被害妄想だな!」と聞こえるように言う時もあるのだが、それを言うと相手は急に黙り込むだけ。

直接言いに来い!と思うが言いに来る気配は全くなく、こっちは悔しいけど酒量が増すばかり。
処方されてる薬だけでは対処しきれないからね。

-----------------------------------------

さっき、いつものように窓を開けて、一ヶ月後には綺麗な花を咲かしているであろう、紫陽花の木を眺めていた。

この紫陽花は母が好きだった。

白い花を咲かす珍しい紫陽花で。

何本めかわからない缶チューハイを飲みながら、「もうすぐ綺麗な花が咲くなあ…」と思っていると、心がどうしようもなくせつなくなって。

すぐに打ち消したけど、「あの世」の事を考えてしまった。

ダメだダメだ。

私は自分に与えられた命の期間をきちんと生きなければならない。

一度死の誘惑に捕らわれると、打ち消してもすぐに浮かんでくる。

でも、私はまだまだ死なない。

生きる。

そんな誘惑には捕らわれない!

2004年05月10日(月)



  電気を消して寝る

高校生の頃からずっと、電気をつけたままで寝ていた。

理由は高校生の頃、何度か金縛りに遭って、霊が体の上にのっかっているという事があったから。

何かで電気をつけた明るい状態だと金縛りに遭わないと聞いたので、試しにやってみたら、本当に金縛りに遭う事はなくなった。

そんな訳で、今までずっと電気をつけたままで寝てきたんだけど。

昨日から、豆球だけをつけた薄暗い部屋で寝る事にした。

理由は上に書いた事の反対。

霊、というか、ご先祖様やおじいちゃん、おばあちゃんが来てくれないかなあと思ったから。

他の人からしたら馬鹿げた事かもしれないね。

でも会いたいから。

今日も暗い部屋で寝るよ。

2004年05月07日(金)



  ありがとう

あなたがいてくれて、本当に良かった。

何本飲んだかわからない位、
次から次へと缶チューハイを空けた。

さすがに今日は酔っ払ってる。

街灯に照らされた外の景色は、部屋を暗くした方がよく見える。
だから、豆球だけをつけて、外を見ながら飲んでた。

同居している弟には「気持ち悪いな!」と言われた。
確かに豆球だけの暗い部屋で飲んでるのは気持ち悪いかもね。

でも、いいんだ。

口を開けば文句、罵倒がほとんどの弟は、
今は気にならない。

今大事なのは、酒に頼ってでも自分の心を守る事なんだ。

生きていくために。

大切な、あなた。

もう少しだけ待って。

もう少しすれば、元の元気な私に戻れると思うから。

ごめんなさい。

そして、こんな私を心配してくれて、本当にありがとう。

2004年05月05日(水)



  ごめんなさいごめんなさい

昨日、決してやってはいけない事をやってしまいました。

激鬱の、本当に一番鬱が酷い時期でも
これだけは絶対にやらないと固い信念を持っていた事なのに。

色々な事が積み重なって、心の許容量を超えていて、
ある些細な事がきっかけとなって、パンッと私の頭の中で何かがはじけました。

そして、こともあろうに私は私の命を「賭け」に賭けたのです。

その後、無意識のうちに、肉親以外では唯一100%信頼できる大切な人に電話をかけていました。

そして、泣きながら、ただただ「ごめんなさい」と。


本当にごめんなさい。
その人や家族や神様、ご先祖様、その他いろんな方々に。


電話を切ってから、母がいつか私が結婚する時の為にと買ってくれていた真珠のネックレスとイヤリングを探しました。

イヤリングはみつからなかったけど、
ネックレスはみつける事ができました。

保証書付きの、とてもとても綺麗なネックレス。

母の思いがいっぱいつまったネックレス。

涙が止まらなくなりました。

このネックレスをつけて、幸せな結婚をして欲しいと願って買ってくれた物なのに、結婚もしないうちにこの世から去るようなまねをしてしまった。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

私は、生きます。

生きていきます。

本当にごめんなさい。

2004年05月04日(火)



  今日のいろいろ

マシになってきたけど、まだ体の疲労感が取れない。

朝顔の種を蒔き、カラーの花を一輪、花瓶に活けた。

天気予報では晴れと言っていたけど、曇ってる。

お仕事を少々。

隣の馬鹿一家が昨日の晩から出かけたので、つかの間の雑音無しの生活。以前はこれが日常だったのに、今じゃ天国に感じる。

しばらく帰ってくんな!と思っていたけど、一泊だけで帰ってきやがった。夜11時過ぎだっつーのに、早速大騒ぎ。

さっくり刺してやりたいけど、そうすると捕まって余計に不自由になるので、セパゾンを多めに飲んだ。

2004年05月02日(日)



  まだ疲れてるけど飲酒中

だいぶ飲んでるけど、なかなか酔わないよー。


さて、体の疲労は今日もまだ残ってる。

昨日山登りでもしたっけ?というような疲労感。

ほんの30分ほどだけ仕事をして、夕方からは飲酒。

また隣の家にかなりムカついたので、酒をガバガバと。

でも酔えない。

-----------------------------------------

ユニクロのTシャツで欲しかったやつが今なら\790。

明日買いに行こうと思ってたんだが、今日スーパーでユニのTシャツを着ている人を発見。わかる人には一目でユニとわかるんだな、と思うとちょっと買う気が失せた。

でもいいや、どうせ普段着だし。
明日体力があったらユニにTシャツ買いに行きまーす。

2004年05月01日(土)
初日 最新 目次 HOME