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普通の日記

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2002年09月30日(月)
契約

7時まで職場への居残りを余儀なくされた私はいつになく急いで帰宅。
8時半には長男の塾のお迎えがあるし9時には来客予定だから。
でも最寄駅到着は8時20分。
一旦帰宅して車で迎えに出るとどう考えても間に合わないからそのまま長男を駅で待ってタクシーで帰宅。
来訪予定の客人と玄関前で遭遇しちゃって一緒に夕食を摂ることになっちゃったけど。
で、今夜の来客は鉄骨メーカーの営業さん。
義父が亡くなって新居構想も行き詰まるかと思っていたけど
過去を引きずっても仕方がないって旦那の意見で深く密かに行動してたんだし。
お葬儀の後の慌しさの中でも数度に渡る打合せ。
とは言っても義父の逝去直後から私の主張した木造は結局不採用。
私が妥協したって言うか鉄骨を受け入れたからなんだけど。
構造体と言う基本部分で平行線って現状に疲れて来たこともあって何とか打破したかったし
私にとって何より大きな妥協点となったのは設計士さんとの相性って言うか。
鉄骨メーカーのお抱え設計士さんじゃなかったら個人的にお願いしたいって思えたんだし。
とにかく私の妥協を受けて鉄骨メーカー1本との打合せ。
義父の存命中にほとんど設計上では家としての形が出来上がってたんだけど
1人減ったんだし生活設計も変わってくるんだから設計変更もあり得るはずって。
でも旦那ったら親父と約束したことだからって感じで3階建て・総タイル・屋上利用ありって基本線を譲らず。
構造体で妥協しちゃった私にはこれ以上の妥協はないんだからこうなったら少しでも予算を減らしたいって。
旦那みたいに理想ばかりじゃ現実的に生活なんかできないって。
何しろ旦那の意見を聞いていたらお金がいくらあっても足りやしない。
1階と2階に「女性なら自分の城を持ちたいはずだから」ってキッチン。
しかも5人家族になったのにどちらにも5人用の食洗器とか浄水機とか。
1階のお風呂場は1.5坪だし2階にもサブの浴室。
全ての階にウォシュレット付きのトイレを設けてって。
それでいて当初案では1階にあった義父母の部屋なのに
義母が淋しいだろうからって理由で2階に部屋を設けることにしたから
1階は8畳の和室とやたらに広いLDKとお風呂と収納だけ。
その和室に仏壇ならぬ信徒壇を飾って義父の遺影なんかを置くんだけど
旦那ったらなるべく義父を家の中心に置きたいってかなり感傷的だったし。
結局これまでの調整で旦那の意見が不採用になった部分もあるんだけど。
それでも建坪70を越す大邸宅。
おそらく仕様は展示場のモデルハウス並かそれ以上。
もちろんこれからも必要かどうかって部分で紆余曲折があるんだろうけど。
でもいつもながら月末に当たる今日の時点でとりあえず契約ってことに。
転職を重ねてる旦那は借金できる身分じゃないから発注者は旦那と私の共同で。
一通り図面と見積書を確認してから契約って段取り。
だけど旦那ったら木造メーカーさんと仮契約を交わしてるくせにお断りの連絡を入れてない。
この期に及んで優柔不断。
私に連絡しておけって言うけど重要案件の処理なんだから旦那の仕事。
双方と契約って偽りを続けることもできないから今夜ついにお知らせをして。
で、いよいよ鉄骨メーカーさんと契約。
義父の死去で予想外の出費があったことを考慮してくれたから内金は100万円だけ。
何枚かの書類に旦那と私の署名捺印をして終了となったけど。
これから借金の段取りとか返済計画なんかも考えなくちゃいけないんだけど
現実を直視しようとしない旦那とはまだまだ色々あるんだろうなぁ。
契約したものの途中で挫折なんてならないように着実に頑張ろうっと。



2002年09月29日(日)
搬入

2週間前に家具屋さんのチャリティーセールで購入した数個の家具。
本来なら来年の新居完成までどこかに保管しておきたかったんだけど。
赤字覚悟のチャリティーってこともあって今月中の搬入が義務付けられてて。
で、我が家が指定したのが最終日曜日に当たる今日。
8時頃配送の人から連絡が入って「9時から11時の便で伺います」
しばらくすると予想通りに場所が分からないって携帯からの電話。
始めに旦那が出たのに自宅さえ説明できないらしく途中から私がご説明して。
「階段を昇るんです」って説明した時には電話の向こうのため息が伝わってきそうだったし。
ようやく玄関のチャイムがなって配送のお兄ちゃん2人が汗だくで登場。
梱包された全ての荷物を自宅傍まで運んできた所らしい。
どんなに購入してもトラック1個分までは配送料が1000円なんだけど
我が家みたいな条件の家だと滅茶苦茶割に合わない仕事だったりして。
義母のセミダブルのベッドと赤いソファと赤いアクセントラグって大荷物。
梱包を解いて自宅に運び入れてそれはそれは大変な作業。
で、購入時にスペースの採寸をしていかなかったから搬入が困難。
家具屋さんではそんなに大きく見えなかったから義母なんて「こんなに大きかったっけ?」
何分割かできるソファの角の部分なんか廊下さえ通らない。
とりあえずソファはそのままにベッドを運んでって旦那が依頼して。
その時点で私と次男はお買い物に出発。
待ちに待ってた洗剤の売り出し目指してディスカウントのお店にまっしぐら。
通常価格で398円とかってア○ックが8箱入って1980円。
限定150個限りってのが心配の種だったんだけど案の定。
せっかく開店の10時に到着したのに整理券が出てたみたいで10時の時点で完売だって。
仕方なく次男と私は別の物を買って帰ったけどレジも凄い行列で。
こんなことなら搬入なんかに関わらずもっと早く買い物に行けばよかったなって。
で、帰宅すると出掛けに滞ってたソファも完璧に収まっていい感じ。
結局廊下でつかえてたソファは掃き出し窓から入れたんだって。
義母のセミダブルのベッドもカバーをかけるとなかなか。
って言うか義母のベッドもソファも信じられないくらいの価格で
わずかに限られた数しか出てなかったんだからそれはそれはお買い得で。
破格値で収納しておけるスペースさえあればもっと買いたかった物もあったんだし。
それにしても朝1番の仕事が我が家だったなんて配送のお兄ちゃんは体力消耗しちゃっただろうな。
今日のでこんなに大変なんじゃ本当のお引越しも大変そうだわ。



2002年09月28日(土)
お詫び

来月の26日に納骨&五十日祭を予定している我が家。
納骨だから石屋さんにお願いして予め石碑を彫るって作業をしてもらうんだけど
仏式と違って戒名と俗名との違いはないから
名前がそのまま入る形で○○大人命(うしのみこと)ってのと死亡年月日と享年ってのを記するだけ。
神式だから神様になっちゃうってこと。
とりあえず依頼したけど値段を確認すると聞き及んでる相場より若干高め。
だからって取り消すことはできないにしてもお葬儀関係の諸費用って全く分からないわ。
それでも着々と一歩ずつ前進。
で、納骨を済ませてから別会場で会食って段取りなんだけど
墓苑が駅から離れてるし会食場所までの交通の便って大きな要素。
とりあえず法事ができる場所ってことで和食と中華のお店を仮予約。
どっちも値段的に代わりがないし送迎バスの手配ができるってことだから。
でも中華のお店の電話対応が滅茶苦茶悪かったのよねぇ。
4週間前になったことだし双方に採用不採用の最終決定の電話をって思ってた。
その矢先に中華のお店から予約確認の電話が。
義母が電話に出たんだけど私とのやり取りを傍で聞いてたし
「お宅の電話対応が悪かったから予約はしないと思いますよ」ってお断り。
ってなことが午前中に。
そして午後になってから突然我が家に来訪者。
初めてお目にかかる中華のお店の総支配人。
午前中の電話で受付担当の女性にお店の対応の悪さを指摘したのが即刻総支配人の耳に届いたってことらしい。
総支配人ったらそれはそれは丁寧な対応でお店の不始末を詫びるばかり。
お客様からの声ってのが1番ありがたいってご丁寧に菓子折り持参で。
総支配人登場で「改めてお店の利用を考えます」ってことにしたんだけど
旦那と相談してもしかしてこれって我が家にとって朗報かもってことに。
当初予定してたどちらのお店もお墓からお店までの送迎はしてくれても
駅からお墓って無理ってことだったから。
これを利用するって言ったら言い方は良くないのかもしれないけど
総支配人経由でお願いしたら駅から送迎してくれるんじゃないかって思ったりして。
しばらくして旦那から総支配人に電話。
交渉の末に駅→墓苑→中華のお店って車の手配が可能になっちゃった。
もちろん今回に限り特別送迎ってことだけど。
法事の出席者には駅に集合してもらう手はずでOkってことだわ。
市内とは言え端だから下手したら駅から墓苑まで車で30分もかかるしこれってラッキー。
タクシーの手配もいらないし無料送迎なんだから。
何が幸いするか分からないってことだけどこのところなんだか恵まれてることばかりだったりして。



2002年09月27日(金)
連絡網

2日間の移動教室を終えた長男は元気に帰宅。
疲れたと見えて帰ってからお昼寝してそれから塾に出かけたけど。
で、今夜は変わった電話連絡あり。
地域の校外委員さんから。
校外さんからの電話連絡なんて滅多にあり得ないんだから何かあったってことなんだろう。
何年かサイクルで近くで女児連れ去り未遂があったり刃物男が現れたりってことで
本来なら活躍しちゃいけないはずの校外委員さんが大忙し。
私が校外委員だった一昨年は何事もなかったから仕事に影響がなくて助かったんだし。
で、今夜は久しぶりに校外委員さんからの電話。
地域によって校外委員の選出方法って違うんだけど町会では3年次の父兄が担当。
我が家の次男も3年だから私も候補の1人として該当してたんだけど一昨日実績があるから免除。
残り2人の3年生ママのうち1人に絞りきれなかったのか今回に限っては2人で分担してるらしい。
町会の中に学年毎の連絡網を作って高学年と低学年って分けて2人で分担。
で、最初は低学年担当の校外さんから。
何かと思って電話に出るとどうやら近くにスズメバチの巣が存在するらしい。
我が家は町会でも学校寄りだから巣の横を通って通学する分けじゃないんだけどやっぱり危険。
旦那も「最近スズメバチを見かけたけど」「どこに巣があるのかと思ってた」って。
家の階段を降りて不燃ゴミの集積所に向かう途中の場所。
もうすでに巣の大きさは直径25cmを越えてるんだって。
存在を知っていた義母に言わせると「ぬいぐるみのドラえもんの頭ぐらい」って。
この時期のスズメバチって強暴だから万が一子供達が刺されたら死に至るかも。
子供達に教えるとかえって騒動になるんじゃないかとかって色々考えちゃったけど
やっぱり正直に場所と危険性を教えたし。
一応校外さんからそのお宅に連絡をしたけど自分に害がないからって理由で動いてくれないらしい。
市役所に連絡したら防護服は貸し出すけど巣の除去作業はしてくれないって。
松戸市のすぐやる課って存在が滅茶苦茶羨ましかったりして。
民間の専門業者さんに除去を発注すると2万円以上の実費がかかるって校外さんも困ってた。
もちろん教頭先生にも連絡はしてるらしいけど下手に触ると危険過ぎるし。
とりあえずそこを通過する学区の児童家庭には連絡を回してるみたいなんだけど。
高尾山でスズメバチなんてニュースを耳にするけどこんな身近って怖いわぁ。
1本目の連絡を終わった直後に高学年担当の校外さんからの連絡網。
当然同じ内容の連絡だったんだけど自然現象だから大変だわ。
今夜各家庭に連絡が回ったってことは子供達も明日から興味本位で近づいちゃうかもしれないし。
蜂の巣って日に日に大きくなるみたいだから何事もなければいいなぁ。
とにかくスズメバチには要注意だわ。



2002年09月26日(木)
移動教室初日

6年生の修学旅行の事前練習って言うか子供達の通う小学校では5年生で移動教室。
市内に50以上ある小学校の中には夏休みを利用して白樺湖までちょっと遠出をした学校とか
2学期に入ってすぐに三浦海岸まで遠征した学校なんかもあるって聞いている。
週休2日制で授業数に影響が出ないようにとか諸々学校独自の色が出てるってことらしい。
でも長男達の学校はお手軽って言うか今日から市内の公営の施設にお泊り。
他の学校は移動交通費に結構な金額がかかってたらしいけど
事前説明によると子供達ったらとにかく破格値で済んじゃうらしい。
それこそ2万円か2千円かって位の違いかもしれない。
学校によって移動教室の位置付けも大きく異なるんだろうけど
共通の行事を通じて仲間意識を持たせるとかって目的の達成には場所は問わないと思うんだけど。
車酔いしがちな子供達には移動距離が短い方がかえっていいかもって思ったり。
で、今日からがその本番。
事前に行動班とか生活班を決めたり自分達でしおりを作ったり
キャンプファイヤー時に出すクラス毎の出し物も練習したし入念な打合せもバッチリ。
当然ながら持ち物準備も当事者である長男1人にさせて。
本人はキャンプに持っていく45Lのリュックで行くつもりだったみたいなんだけど
いくらなんでもそれじゃ大きすぎるだろうってことで適当な大きさのドラムバッグで荷造りして。
いつもの登校時刻より若干早めの集合時間だから今日ばかりは次男とは別。
同じ学年の児童達が続々登校する光景を目にしたけど
ディバッグみたいな小さい物に入れてた子もいてビックリ。
1泊2日の持ち物の中には上履きってのも含まれてるんだけど帰りに荷造りできないんじゃないかって。
今日は集合してからバス移動で現地着。
すぐに昼食準備をしてからカレーを食べてキャンプファイヤーの宵。
ピーラー持参で野菜の皮むきとかって役割分担されてて長男はかまど係りだって。
みんなでワイワイ楽しい時を過ごしたらしい。
あっという間に夜になっちゃってクラス毎の出し物。
バッチリ事前練習した長男達のクラスの踊りはアンコールがかかるほど。
時間の関係でできなかったからブーイングが起こったって。
元気な5年生のイベントを見ようと来てくれた引率じゃない校長先生とか多くの先生方も残念がってたって。
とにかく楽しい時間はあっさり終了。
部屋に戻ってからもワイワイガヤガヤしてたらしいけど。
ってなことで移動教室の1日目は順調に終了となりました。



2002年09月25日(水)
日本語って・・・

貴○花が復活を遂げたらしい。
義父の存命中は我が家でもお相撲中継を見ていたけれど
終わったばかりの今場所についてはニュースで垣間見るだけ。
って言うか場所が始まった頃に義父が急逝してバタバタしてたから
今回に限っては本当に極めて薄い情報で。
元々お相撲に深い関心があったわけじゃないし世間的に会話を交わす為の自分なりの糧なんだし。
広く浅く情報を入手することって社会人には意外に大切な要素かもしれないし。
で、今場所の優勝者は武蔵丸。
先場所まで連続休場だった貴○花も徳俵ギリギリの出場だったみたいだけど
終わってみれば何とか満足のいく白星を重ねたって。
で、終了後に横綱審議員のお偉いさんが貴○花を誉めたらしい。
日頃辛口で知られる某委員長が「歴史に名を残す名横綱になるだろう」とか「カリスマだ」とか絶賛したって。
1年間以上の長い間働かなくて高収入を稼いでた貴○花は直前まで批難されてたから
手のひらを返したような態度。
でも口を開くと賢くないのがばれちゃうからか貴○花はその言葉にコメントしなかったらしい。
で、昨日のスポーツ紙なんかの見出しに「沈黙は金なり」
朝の報道番組で諸々の新聞の内容を伝えたりするんだけど民放の某アナウンサーが「沈黙はかねなり」
一瞬耳を疑って。
朝の番組で視聴率が低いはずだからどのくらいの国民が気がついたかは分からないけど。
でもどう考えても「かね」って言ってたのよね。
「時はかねなり」って言葉があるけど間違いにもほどがあるじゃん。
この程度のことわざだったらかなりの割合で世間に認知されてると思うんだけど。
似てると言えば似てるけどアナウンサークンったら本気で「かね」って思ってたのかな。
確かに貴○花の場合は話さない方が理知的に見えて存在感が増して
お金も稼げるのかもしれないけど沈黙はかねじゃないだろうって感じ。
朝の番組って何度も同じ原稿を読むようになってるんだけど次の時には「きん」って読んでたけど。
事前に原稿チェックはしてるはずだから本人が気がついたのか局の誰かが知恵を授けたのか。
全く日本語って難しいったら。
で、本日その民放の知り合いにその一瞬の事件のことをお知らせ。
同じ局に勤めてる人だから信じたくないんだろうけど唖然って感じ。
言葉を操る職業の人がそんな感覚だもの庶民は推して知るべしって感じかも。
ってもちろん自分を含めて言葉を大切にしなくちゃなぁって実感。
「沈黙は金 雄弁は銀」って改めてアナウンサークンにお知らせしたいわ。



2002年09月24日(火)
祝優勝!

長かった試合中継もついに胴上げ。
巨人ファンの義母も旦那も待ち望んでた瞬間だ。
義父が亡くなってからの義母にとって巨人軍の快進撃は例年以上の存在だったんだろうし。
今年は何度ドームに足を運んだことだろう。
とにもかくにも巨人命って感じの連日。
前みたいに負けたり打たれたりを子供達のせいにしなくなっただけいいんだけど
昨夜だって巨人戦があるからって理由で買い物を早めに切り上げて帰宅したほど。
結局昨夜はヤクルトが頑張っちゃったおかげで優勝はお預けになっちゃったんだけど。
マジック1って優勝目前だからヤクルトが負けるか今日自らが勝利すれば優勝。
優勝慣れしてない球団だと数日間の足踏みなんてのもあり得るんだけど今日の巨人は他力本願。
試合途中でヤクルトの負けってニュースが巨人ファンを喜ばせたんだし。
後は勝って胴上げになるかどうかってことだけが勝負って感じ。
ファンにとってはヒヤヒヤドキドキの長丁場。
結局12回裏でサヨナラ負けを喫しちゃったんだけど。
それにしても今夜の試合放送の長さったら前代未聞って言うかとにかく半端じゃない。
普段なら延長しても30分なのに「このまま延長して野球放送を続けます」って延々。
2−1で勝ちかと思った9回にリリーフの河原が打たれて延長戦に入っちゃったからそれからも延々で。
途中ヤクルトが負けて優勝って分かったのに結局野球中継は終わることなく。
5時間1分って長い試合の全てと優勝インタビューやら胴上げが終わるまで。
六甲おろしが流れた後の原監督の胴上げで勝利の喜びは最高に達して。
義母ったら野球放映はもちろんのこと深夜に及んだビールかけまで見てたらしい。
今夜の義母は超ご機嫌。
原新監督になって初めてのシーズンでの優勝なんて正直思ってなかっただけに嬉しいのかも。
我が家に存在する監督の首降り人形もニッコリ微笑んでるような。
ドームで先着1万名プレゼントされた監督人形が我が家には4体。
優勝したら値段が上がるぞって旦那の予想もかなりいい感じだったりして。
西武との日本シリーズに勝利すればさらに値上がりが期待できちゃう?
松井人形も3体持ってるんだけどこうなったら三冠も目指して欲しかったりして。
何はともあれ原ジャイアンツの優勝おめでとう。
我が家に平和をもたらしてくれる巨人軍に感謝だわ。



2002年09月23日(月)
お買い物

一昨日ボーイ隊への上進を果たした長男。
上進ってことはつまりは制服も変わるってことで。
ビーバー隊の時もカブ隊の時も先輩達のお下がり制服を頂戴。
すぐに大きくなっちゃうし汚しちゃうんだから買わなくてもいいよぉって。
でもボーイ隊ってある程度お兄さんだしお下がりシステムもないらしく自前が要求されて。
とは言っても一昨日の上進式でボーイ隊を卒業した先輩を目ざとく見つけて
「要らないようなら譲ってねっ」ってしっかりお願いして来ちゃったもん。
5年生から数年間同じサイズが着られるとは思えないし上のサイズが貰えるなら
再来年の次男の上進時にも買い換えが必要なくなるんだし。
先輩のズボンサイズは確認できなかったけど上着のサイズは165cm。
で、長男の制服を求めてボーイスカウトグッズ取り扱い店に。
公認のお店って希少価値なんだけど最寄駅のビル内に存在してるからラッキー。
徐々に売り場面積が縮小されて片隅に追いやられてる気がするのは
やっぱり少子化でスカウト人口が減少してるからに他ならないけど。
ここで必要な一式を揃えることに。
上着・ズボン・ベルト・ベレー帽でとりあえず一人前に見えるようになるらしい。
上着もズボンも試着してみないことにはサイズが分からないから長男は試着室に。
でも売り場が片隅で空調が淀んでるせいもあって試着室の暑いこと。
何度か試着を繰り返した長男ったらもう汗だく。
それでも一式着替えてみるとなんだかそれなりに格好良く見えちゃうんだから。
ボーイ隊での必需品コンパスなんかも購入してあっという間に1万円超。
10月1日の赤い羽の共同募金活動で制服着用だから仕方ないけど今日もまた出費だったし。
あとは当日までにズボンの裾上げとか腕章なんて諸々の縫い物をこなさなくちゃ。
で、今日はもう1つ長男にお買い物。
長男って義母のお下がりJを使ってるんだけどJの料金引き落としは義父の口座。
義母がJからド○モに変えてから義母の分も私の口座から引き落としてるから
私の負担の方が大きいんだけど。
でも義父が亡くなってからその口座は使えないし我が家で1人だけのJは解約を逃れられない。
5年生に携帯って早いのかもしれないけど外出時にはやっぱり必要だし。
ってことでちょっと前からド○モ仲間にすることを模索検討してたんだけど適当な機種に当たらず。
子供が持つって前提だからそんなに高い機種は要らないし。
しばらく前から3000円に値下がりした211にも振り向かなかったんだから。
でも今日外出してPの211がなんと1円。
しかも台数限定で黒が1台残るのみ。
事務手数料は別途かと思ってちょっと不安もよぎったけど手数料込みで1円。
長男に現物を確認させると速攻で購入しちゃいましたわ。
これで我が家は4台がファミリー割引ってことに。
しっかりiにも登録した長男の携帯アドレスに興味のある方がありましたら個別対応させていただきます。



2002年09月22日(日)
ハード日程

夕べの上進式から一夜明けて本来の子供達の解散時刻は午前11時。
でも10時半から剣道の稽古だからって9時過ぎにお迎えすることにしてたんだもん。
キャンプ場に到着すると元気いっぱいな子供達の姿。
テントを畳んで撤収準備真っ最中なはずなのに次男なんかは遊んでたけど。
親不在のお泊りがいかに楽しかったかは語るに及ばずって感じ。
朝の解散セレモニーを待って子供達を迎え入れて。
稽古まで若干時間があったからドライブスルーの朝マックで時間調整。
子供達ったら早めに道場に到着したはずなのになかなか着替えなくて先生に叱られたって。
夕べのキャンプの影響で稽古中の子供達はイマイチ精彩を欠いてて。
テント生活が楽しかったらしく深夜の就寝だったって言うからお疲れは当然かも。
終わってから先生に「今日はキャンプのせいでダメだった〜」ってぼやいたら
「いつもだって手抜きしてるだろ」って痛い所をつかれてたけど。
10時半から12時までの稽古予定も結局は大幅にお昼を回っちゃったから子供達は腹ペコ。
お腹が空いてヘロヘロだけど子供達ったら背中に防具を背負って45Lの大きなリュックを前抱っこして。
体力のない子ならスイミングしてキャンプして剣道なんて考えられないんだろうけど。
でも帰宅して入浴して昼食を取ると長男は疲れてお昼寝。
上進してボーイの一員になったものの最末端で雑用要員だから薪運びとか諸々大変だったらしい。
厳しい上下関係って分かってはいたけど身にしみて応えたような。
次男はカブ隊だからさほどの疲れじゃなかったみたいで長男の昼寝中も遊んでたけど。
昼食が終わった頃合に1時半の約束の葬儀社さんが我が家に登場。
これまで応対してた担当者じゃなくて今日は会計の担当者さん。
ってことは当然ながらお葬儀一式の請求書持参。
義父の急逝当日に対面した担当者から見積書を提示されてたけど
我が家の弔問客予想なんかがなかなかイイセンいってたみたいで見積額にかなり近い。
個人負担となる預かってる供花分も併せての見積書で。
会計担当者さんから改めて「互助会なんか入ってなかったですか」って悲しい程の問いかけ。
互助会に入っていれば今回の請求額もかなり減額されたはずなんだって。
とりあえず請求額はお香典で賄うことにしたけど義父母の計画性のなさにはガッカリだわ。
旦那と互助会入会の方向で検討することにしたけど。
週明けには入金する予定だけど自転車操業の我が家には痛い出費だわ。
義母の時には困らないように「入れます」ってCMの生命保険に入れちゃおうかしら。



2002年09月21日(土)
上進式の日

今日からお彼岸の3連休。
墓参の人が多いのか単なる民族移動なのか結構周辺道路が混んでるったら。
今日の子供達は市内のキャンプ場にお泊り予定。
イギリスを発祥地とするスカウト活動は9月が上級の月だから。
そして今夜がその上進式の夜。
1年生の時に1番下のビーバー隊に入隊して以降
カブ隊でも活動を積み重ねてきた長男がいよいよボーイ隊に上進だって。
上進式には基本的には団のメンバーが一同に会することになるんだけど。
いつもながら前日までに準備しないから午前中は身支度に追われちゃって。
で、車に乗り込む際に積み込む荷物の多いったら。
何しろ4時集合の上進式の前の2時半から3時半まではスイミングだし
テントに泊まった翌朝の10時半からは道場で剣道の稽古なんだから。
スイミングとキャンプと剣道の道具一式を持ち込むって半端じゃないし。
もちろんそんな日程をこなしちゃう子供達の資本の身体があってこそ。
スイミングが終わって集合時間に若干遅れそうだったから隊長に電話。
プールから出るなりカブの制服に着替えるんだから滅茶苦茶ハードな移動。
でも道路の混雑のせいで他のカブ隊のメンバーも遅れ気味。
到着後はテントを張ったりしながら時間まで過ごして恒例のカブ鍋で夕食。
みんなが持ち寄った食材を何でも入れちゃう味噌仕立てのお鍋なんだけど今日の食材もなかなか。
お肉、ジャガイモ、里芋、コンニャク、人参、玉葱、長葱、お麩、お餅、大根、ピーマン、油揚げ、ゴボウとかって
ありとあらゆる食材が渾然一体化してるし数えれば切りがないような内容物なんだし。
それぞれの持ち味が微妙に混じってこれがまた美味しい。
もちろんみんなで一緒に空の下で食べるのも美味しく感じる要因なんだけど。
オニギリとカブ鍋だけの夕食だけどこれだけで満足。
7時になるとすっかり周囲は暗くなっていよいよセレモニーの開始。
本当なら満月なんだけど隊に有名な雨男がいるらしく毎年上進式の日って雨なのよねぇ。
とりあえず雨にならないだけマシ。
雨だとカブ隊の次男達は宿泊しないって予定なんだし。
メンバーが輪になって暗闇の中で上進する長男達を待つ。
上進スカウト達が松明を持ってその輪に加わって。
粛々としたセレモニーでの上進だったけど結構感動モノだったし。
長男は今日からボーイ隊の一員。
次男達カブ隊のメンバーはカブの打合せを済ませるとテントに直行。
長男達ボーイ隊も打合せ後に班別に分かれて夜食のカップ麺なんか食べてたみたい。
ボーイ隊って自由が増えるけど自分の責任も増すってことよね。
せっかく続けてる活動だから子供達の身になってくれればいいけど。
2人はテント泊だし義母はお友達とお食事会だし旦那は仕事で帰りが遅いし。
それぞれに忙しい1日でしたわ。



2002年09月20日(金)
下落

朝刊で公表された今年度の地価調査結果。
折り込み別紙には全国の詳細も掲載されていて全国的に軒並みダウン。
これでバブル崩壊後11年連続下落を続けてるってことらしい。
もう土地神話なんて過去の遺物。
私の居住区域も例外じゃなく右肩下がりで地価は下がってるし。
8月に新たな土地を購入した我が家としてはもう少し待てばよかったのかとか
あのタイミングでも値切って買ったんだから妥当な値段だったのかとか考えちゃう。
とは言え新しく購入した土地って下手な建売一戸建てが買えちゃうくらいの値段なんだけど。
建売って土地の値段が大半を締めてるらしいけど改めて実感。
今日の折り込みに一緒に入ってた新築一戸建ての建売の値段より
新居予定地の土地の値段の方が高かったくらいだし。
って比較対照をべら棒に高い都心と比べたら負けちゃうけど。
それにしても地価調査の結果に一喜一憂しても仕方がないことだけどこれ以上下がり続けられるとちと辛い。
何しろ今現在住んでる土地つき一戸建てを売りに出してる最中なんだから。
ただでさえ中古物件って動きがないのにまた土地の値段が下がっちゃって。
土地が売れたら当然新居の建築費に補填しようと思ってるだけに嬉しくない。
買う時は少しでも安くって思うくせに売る時は少しでも高くって考えるのが人の常だから。
もちろん適当な所で妥協が必要なのは分かってるけど今の所妥協点は見出せず。
で、今住んでる家と土地の名義人は当然のように義父。
亡くなっちゃったから義父の残した物全ての2分の1が義母で
さらに2分の1ずつが旦那と妹の物なんだけど今の所遺産相続をどうするかなんて相談はまだ。
でも売買予定だから名義変更はしばらくの間しなくていいらしい。
ってすでに16日に不動産屋さんに行っていろいろ相談もしたんだけど。
何しろ我が家周辺に今日現在売りに出されてる中古物件が3件。
我が家より一足先に売りに出されたOさん宅だけじゃなく14日から新たにKさん宅も加わって。
わずか100m四方に3件もの家が出てるんだから競争区域間違いなし。
1番後発で売りに出したKさん宅は2件の価格を見てるはずなのに結構な高値で。
土地が30坪に満たない家なのに我が家より高いんだもの。
オープンハウスってことでチラシに掲載されたから
3連休には不動産屋さんの担当者さんが3日連続で立ってたんだけど売れる気配はなかったし。
我が家でさえ今日の地価公示を見て値段を考えちゃったんだからKさんだって同じだろうな。
このまま値下がりする一方だからどこかで見切りをつけなくちゃいけないし。
来年の今頃の地価なんて見たくないかも。



2002年09月19日(木)
伝授

9日に義父が亡くなって早くも10日が経過。
何だかあっという間に10日も経ってるってのが実情で。
とりあえず急を要する案件については着々と処理してる。
仏式みたいに初七日から七日毎になんて面倒な作業がないだけマシだけど
それでも節目節目には諸々の段取りを要するから事前準備もしなくちゃいけないし。
そもそも仏式の成仏って考え方と違って
神式では神に戻るってことでおめでたいから法事は「祭」だし戒名じゃなく「○○の命」だし。
で、次なる節目は納骨と50日祭。
お葬儀の時にはバタバタして考えもしなかったけど
今となっては告別式と同時に処理したかったなぁなんて思ったりするほど。
法事に呼ばれる人も何度も足を運ばなくて済むしお互いの懐も痛まないし。
都会の法事って年々簡略化してるから告別式当日にある程度済ませちゃう人も多いって。
なんて考えても後の祭。
とにかく今現在自宅に保管されてる義父の遺骨を処理しなくちゃいけないんだし。
いつまでに納骨って決まりはないにしても納骨ってのがけじめになるんだろうし。
50日祭って50日を過ぎない日までに行わなくちゃいけないから最終期限は10月29日。
最も近い週末に前倒しで行うのが慣例みたいだから我が家は10月26日ってことにして。
お呼びするのは親戚筋でも限られた範囲の人達だけだから内々に通知。
告別式後の壇払いの席で神主さんにも一応その旨お伝えして。
何しろ11月目前の土曜日の大安なんだから七五三の予約も多いんだろうし。
で、一応葬儀社にも相談。
お願いすれば50日祭どころか法事諸々も営業として手伝ってもらえるから。
もちろんそんな段取りでさえ有料なんだろうけどとりあえず切り札を持ちたいし。
葬儀社の関連ホテルは思った通り七五三の予約でいっぱいで5時から1部屋空いてただけ。
とりあえず先週の時点で仮予約を入れたもののやっぱり午前中の法事が我が家の希望。
納骨と50日祭を墓前で済ませて市内のお料理屋さんで昼食ってパターンを模索。
とは言っても知ってるお座敷なんて限られてるのがネック。
頭に浮かんだのが去年まで次男と同じクラスだった女の子のママ。
離婚して隣接市に引っ越しちゃったけどお別れ会を催した仲。
餅は餅屋って言葉じゃないけど
旦那様の実家が仏具屋さんだったから彼女もお葬儀屋さんを取り仕切ってたんだし。
久しぶりに彼女に電話をすると新しい住環境を始め子供達の学校にイマイチ馴染めないって。
「みんなに会いたいわ〜」なんて他愛もない会話の後に義父の死を伝えて。
彼女ったら我が家の実情を熟知してたから「惜しい存在を亡くしたねっ」って。
彼女にとっては忌まわしい過去になるんだろうけどノウハウを伝授してもらって。
私達がタウンページで目星をつけてたお料理屋さんの他にも色々教えてもらっちゃったわ。
1ヶ月後だってのに1押しのお店が満室で予約ができなかったのは残念だけど。
法事のお土産も調達しなくちゃならないし香典返しも手配しなくちゃいけないし。
彼女みたいな存在って心強いからまた何かあったら電話しちゃおうっと。



2002年09月18日(水)
義母その後

昨日から社会復帰したけれど昨日のニュースはあまりにも強烈。
拉致問題って問題は抱えてるにしても総理訪朝ってのは歴史的事実に違いないから。
昨日の今日だからショッキングな拉致報道ばかりに目が向いてるけど
30年前の日中国交樹立に勝るとも劣らない総理の英断。
今は批判もあるだろうけど歴代総理の誰もがなし得なかったことなんだからとにかく凄いって思っちゃう。
拉致被害者家族の心境を思うと複雑だしあの国のことだから疑心暗鬼にならざるをえないけど
それでも新しい歴史が一歩ずつ開けていくって素晴らしいかも。
大袈裟に言えば私の生きてる期間最大の事件かもしれないし。
それはそうとタイトルの義母その後。
もちろん義父の逝去後のことに相違ないんだけど。
旦那も私もそれなりに配慮してるのは当然だけど子供達が滅茶苦茶義母に気を遣ってるったら。
旦那命で老け込んじゃうタイプの義母じゃないにしてもやっぱり周囲の配慮は欠かせないから。
とりあえず義母の孤独感が増長しないようにって就寝時には子供達を派遣。
グルグル回る子供達に蹴飛ばされたとか何とかって言ってるけど迷惑って言うより喜んでるみたいだし。
「おばあちゃん一緒に入ろ」って入浴を誘ったりもしてるし。
で、大きな変化と言えば夕食。
これまでは義父母と私達って別会計で別の夕食ってパターンだったんだけど
義母1人じゃ寂しいだろうからって夕食の準備もお願いしちゃって。
誘っても一緒に食べない義父と違って子供達ったら
「おばあちゃんの作った物って美味しいね」ってお代わりもするから義母も一段と張り切っちゃって。
今日なんか帰りの電車が若干遅れて到着したから本当に助かるわぁ。
帰宅したら夕食ができてるって私にとってもありがたいもん。
毎日義父の残したガラクタ整理に追われてるみたいで今は嘆く余裕もなし。
お布団も切り刻んでゴミに出しちゃったし要らない書類も連日のように処理。
「今まで溜まってた分があるから大変だわ」って言いながら
自分なりに義父との関係にけじめをつけてるみたいに思えるし。
電話とかガスって公共料金の手続きの為の電話連絡をしたりとにかく諸々忙しいらしい。
って義母が特別冷淡って訳でもないと思うんだけど。
遺骨を前にして「お父さん」って言いながらお茶を飲むのが朝の日課。
普段パワフルな義母だけにそんな姿勢を見ると全く切ないったら。
で、義父の死去で新居構想が後退するのも事実。
5人で過ごす快適生活ってのを模索しないといけないんだけど着工してないタイミングで不幸中の幸い?



2002年09月17日(火)
泣きっ面に蜂

普通の週末+忌引き+夏休み+通常休暇+敬老の日の3連休で
結果として10連休もしちゃった私も今日から出勤。
長い休みの後だからすんなり社会復帰できるのかって思ってたけど
いつも以上の仕事が待ってたから戸惑ってる余裕もなかったって感じ。
会葬してくれた職場の先輩とか同僚とかに挨拶回りもあったし。
で、旦那も今日から出勤なんだけど出勤前に処理しなくちゃいけない案件が。
週末から足を痛めてた義母に付き添って通院して社会保険事務所に連れて行くって重要案件。
まずは整形外科。
レントゲンを撮るとあっさりひびって事が判明して。
まさに義母にとっては泣きっ面に蜂って言うか踏んだり蹴ったり状態。
湿布と当て木で普段の生活に支障はないみたいだけど完治までには時間がかかるんだろうなぁ。
注意力散漫になると怪我もしやすくなるんだろうから義母には一段と注意してもらわないといけないし。
飲み薬とか処方してもらってから社会保険事務所へ。
連休明けだし相変わらずの賑わいだったから義母を送り届けると旦那は出勤したらしいけど。
で、社会保険事務所はこれで2回目。
先週の相談で義父の年金を遺族年金として受け取るのに必要な書類なんかを教えてもらってたから
厚生年金の受給に関する処理はあっさり終了。
でも昭和31年以前分の共済年金の手続きをすっかり忘れて来ちゃったんだって。
夕べ私が書類一式を点検して保険事務所で確認してもらってって伝えてたのに。
いくつもの事務手続きが同時並行的にできないにしてもちょっとお粗末かも。
これで明日以降も混雑する事務所に出向かないといけないんだよねぇ。
旦那も私も今週はお休みが取れないから仕方がないけど何度も通うって大変そうだわ。
で、急逝から1週間経って遅れ馳せながらってお香典の書留がボチボチ。
ちょっと遠い親戚筋だったら連絡漏れも仕方がないんだし。
ってな書留に混じって義妹宅からのお香典も本日着。
もちろん義母が義妹に催促の連絡をしたからに他ならないんだけど。
義母宛てのそれは差出人欄に義妹の旦那ってとっても形式的な感じ。
家の代表者が旦那だからって言えばそれまでだけど義妹は闇に潜んでるって感じで。
金封の中味は親が亡くなった時の世間一般的な額のお香典。
何通か頂戴した書留の中にはお悔やみの手紙が入ってたりしてた物もあったのに何だかなぁ。
そんなに遠い距離じゃないんだし持参しても良さそうなのに。
文句だけじゃなくお香典を回収できただけ良かったのかもしれないけど
何を考えてるか分からない義妹の存在って結構恐怖かもしれないわ。



2002年09月16日(月)
親子丼

敬老の日の振替え休日。
子供達は午前中に塾と剣道だから私は送迎要員。
送り届けると旦那の指令で薬屋さんに直行すると義母の足用の湿布薬を購入して。
昨日ぶつけた右足の小指は相変わらず痛そうだし右足の甲の内出血部分はかなり青い。
足の甲の骨折を経験した時の私は数時間のうちに足が腫れちゃって靴が履けなかったけど
義母は昨日以降も痛がってはいるけどなんとか普通に歩いてるから骨折じゃないみたい。
薬剤師さんとあれこれ相談してとりあえず普通の湿布薬を購入。
明日念の為に整形外科に行くことにしたけど大袈裟にならないことを祈るのみって感じ。
子供達を迎えに行って今日は久しぶりの自宅での昼食。
義父の急逝からずっと炊飯器なるものを使ってなかったんだけどようやくゆとりができたってことで。
生前は義父母と私達って夕食も別にしてたんだけどこれからの義母を考えるとそれじゃいけないし。
義母に夕食をお願いして生きがいを与える事にしたから今日の昼食も義母担当。
旦那のリクエストで鯵の干物とかってシンプルメニューだったんだけど
子供達ったら気を遣って「おばあちゃんの魚の焼き加減とかって最高だよね」って。
ちなみに就寝時にも義母が寂しくないようにって子供達を派遣してるんだし。
で、夕方から義母と長男は東京ドームに野球観戦。
一昨日に続いてだから義母は恐縮してたけど本来ならば義父母揃って出かける予定だったんだし。
最近のジャイアンツが優勝へまっしぐらだから義母も気が紛れてるのも事実だし。
応援グッズは長男がリュックに背負って持参。
でもドーム周辺の床が雨で滑って義母ったら思いっきり転倒しちゃったんだって。
そのまま事無きを得たって言うからいいけど骨折なんかしちゃったら大変だったかも。
で、義母と長男がいないってことは旦那と私と次男での夕食。
明日からの出勤用の手土産の買い出しを兼ねて外出してたから今夜も外食ってなって。
旦那から提案されたのは親子丼。
何でも大手牛丼チェーン店の限られた店舗で食べられるらしい。
どこで仕入れた情報なのか駅前のお店がその該当店で。
私でさえ産まれて数回目なんだし次男は始めて店内召し上がり。
そこの定番メニューの牛丼は持ち帰り可能なんだけど親子丼は店内で食べるだけ。
って珍しさから旦那から提案されたのに庶民には馴染みがないのかなぁ。
店内に親子丼のポスターは貼られてるけど当たり前のように誰もがみんな牛丼の注文で。
次男を挟んで3人並んでカウンターに座って3人で親子丼とトン汁。
値段の割りに結構美味しくて次男ったら丼いっぱい食べちゃった。
3人分で2000円ちょっと。
で、旦那ったら一昨日の長男との夕食と比較して次男に申し訳ないって。
次男が一昨日の夕食を知るわけじゃないんだけど一昨日の旦那の夕食代ほどだから。
並びの本屋さんに立ち寄って漫画本の購入。
私も葬儀後の手続きのノウハウ本を買って帰って。
それにしても明日は久しぶりの出勤。
長い休みの後だからすんなり社会復帰できるかどうかってちと心配だわ。



2002年09月15日(日)
敬老の日のこと

今日は敬老の日。
例年なら義父母に贈り物をするのが慣例なんだけど突然の義父の死の直後。
今年はプレゼントなしで後日改めて温泉にでもって
義母には予め伝えてあったんだけどやっぱり適当に見繕ってプレゼント。
昨日の某家具店の目玉で売りに出されてたポロのバッグを差し上げて。
義母ったら私達の心遣いに感謝してたみたいな様子。
で、午前中は旦那と私が昨日仮予約をした神徒壇を義母に確認してもらう為の外出。
って思ってたら微妙なタイミングで宅配の到着。
宛先は義母。
差出人は義妹の2人の子供達の名前になってたから明らかに敬老の日のプレゼント。
事前の申し込みなら義父の名との連記のはずなのに義母だけだからここ数日の手配。
義母が箱を開けるとケイトウと何かが小さくアレンジされた花篭で。
私達がバタバタと事後処理に追われてた時にお花やさんに行ってたのねっ。
義妹の行動っていつもながら予想の範囲を越えてるけど今回も。
って言うかお香典も出してないんだし3連休なんだし義母の顔を見に来てもよさそうなのに。
義母ったらとりあえず箱から出して玄関に置いてたけどちょっと複雑な心境だったりして。
で、予定通りに仏具屋さんに直行。
もちろん私達が仮予約した神徒壇は義母も納得。
その足でやっぱり昨日と同じ家具屋さんのチャリティーセールにも行っちゃったりして。
って数日前に義父を亡くした遺族としては不謹慎かもしれないけど。
昨日義母のベッドを購入したって知らせたら義母も大喜びで気分転換に行きたいって言うから。
昨日の朝の開店前には限定品を求めて3000人くらいが並んでたって言うけど今日も結構な混雑。
義母と昨日のベッドを確認してからあれこれ物色。
赤いソファなんてのが私達の目を引いて思わず新居用に購入しちゃったし。
サンプルとして作られた1品限りのそれは定価の4分の1の破格値。
義父が存命中だったら赤いソファ選択なんて不可能だったはずだから我が家に大きな変化だったりして。
で、家具屋さんといろいろ交渉したんだけど購入した物の搬入って今月中だって。
遺骨で1部屋潰れちゃってるのにソファとかベッドとかって結構大きな荷物が入りきれるのかなぁ。
って新居ができるまで保管してくれるって言うなら旦那と私のベッドを始め諸々買いたいものもあったんだけど。
送料を考えてもお得だったから一応実家にも連絡してみたんだけど実家でも却下されちゃったし。
義母と私は来年のチャリティーセールを目指す事で意見の一致。
もしかしたら新居ができ上がっても家具がないってこともあり得たりして。
で、義父の死後もあれこれ忙しいから余計なことを考える間もないのも事実。
普段通りに元気に後片付けをしてた義母が家具に足をぶつけちゃったのが今日の心配事で。
見る見る青く内出血しちゃった患部は当然痛そうなんだけど。
そのままお出かけしちゃったけど大丈夫なんでしょうか。



2002年09月14日(土)
お墓掃除

長男は朝の9時から塾の復習テスト。
一連の行事で9日の塾は欠席だったけどとりあえず参加する事に意義があるってことで。
ちなみに長男は12日のスイミングにも13日の塾にも行ったし次男だって13日の剣道には出席。
学校だけじゃなくて放課後の予定も徐々に正常化になりつつあるって感じ。
で、不在の長男以外の4人は午前中お墓のお掃除にお出かけ。
義父ったらしっかりお墓だけは用意してくれてたから助かっちゃうけど。
亡くなってから墓地を探して墓石を立ててなんて言ったら納骨のメドだって立たないし
お墓を用意する為のお金だってそりゃそりゃ半端な額じゃないんだし。
我が家の墓地は八王子市内の民営。
もちろん神道の我が家が入るお墓だから宗派を問わずって墓地で。
旦那の従兄弟達が杉並に住んでるってのに
義父の長兄のお墓って言うか先祖代々のお墓が鹿児島にあることを考えると
いくら市内の端とは言え30分以内で行かれる地の利は本当にありがたいし。
でもお墓の住人もいないからかなりの間お墓とはご無沙汰。
車で移動するのに「こんな場所だったっけ?」って思ったほどだもん。
義父が亡くなって告別式を終えてから管理事務所には一応の連絡を入れてたけど
納骨時には石屋さんの手配も必要だしそれ以前に墓地の名義変更も必要みたい。
真っ先にお墓には向かわずに管理人さんにご挨拶。
名義変更に必要な手続きなんかを教えてもらって。
他の手続きと同じように戸籍謄本の提出が必要らしいから訂正された戸籍待ち。
管理事務所から我が家のお墓に直行して。
墓石を確認すると長男が産まれた平成3年の4月に建立だって。
長い間放っておいたから水垢で緑がかってる。
神道に多い形なのか墓石の上の部分が三角屋根みたいに尖ってる独特の形の墓石。
横の部分には鹿児島県○○町出身(士族)とか義父のこだわりが記されてる。
私もこのお墓に入るのかって思うとかなり憂鬱な部分もあることは確かなんだけど。
手桶に水を汲んでたわしを持って丁寧にお掃除開始。
次男を始めみんな何度も水道まで往復。
旦那はお香立てとか花立てとかってかなりの重さの石を動かしては入念にお掃除してたし。
私は私で○○家の墓って書かれた部分を中心にお掃除担当。
石の隙間が緑色に変色しちゃってるから歯ブラシを片手に水で流しながらの作業で。
みんなが一生懸命にお掃除に励んだから直に綺麗になって。
義母ったら「お父さんの新しい一戸建てだねぇ」なんて冗談さえ。
来月末の納骨までにはもう1回くらい来なくちゃいけないんだろうけどとりあえず準備は着々。
お掃除終了後は塾の終わった長男を拾って昼食。
ご近所さんへの挨拶回り用の菓子折りを買って帰って義母と私でご近所さん回り。
ここでも「若奥さんがしっかりしてるから」ってお褒めの言葉を頂いて。
で、今日は次男と義母が東京ドームに野球観戦。
配偶者を亡くしたばかりで不謹慎って声もあるのかもしれないけど
家にこもって暗く過ごされるより気分転換を図って欲しかったから。
長男がスイミングに行ってる間に旦那と私は仏壇みたいな神徒壇の下見。
祖霊舎って言うらしいんだけど需要が少ないと見えてお値段も高いしモノも少ないのが事実で。
でも旦那と私で相談して仮予約なんかしちゃったもん。
市内で行われてた大きな家具屋さんの年に1回のチャリティーセールにも行っちゃったし。
新居用の赤いアクセントラグと義母用のセミダブルベッドも購入。
今日も盛りだくさんの1日って感じでしたわ。



2002年09月13日(金)
発覚

今日も今日とて葬儀の事後処理の日。
人が亡くなると事務手続きが煩雑とは聞いていたものの当事者になって改めて実感。
昨日の役所回りも半端な状態だし自宅での打合せを済ませると真っ先に市役所に。
昨日の時点で世帯主は旦那ってことに変更したんだけど今日は世帯分離の手続き。
本来世帯主は生計を担う人がなるべきなのに死亡届の届け出人が自動的に世帯主になっちゃうから。
昨日の今日で面倒って言えば面倒なんだけど。
世帯分の所得が合算されて税額が決まっちゃう義母の国民健康保険税を考えると雲泥の差だから。
今までだって義父のプライドを保持する為だけに高い税金を納めてたんだろうな。
今になってようやく義母ったら「やけに高いと思ってたわ」
手続き終了後の我が家には世帯主が2人存在するってことになって。
で、年金とか諸々の手続きに必要な住民票を取らなくちゃいけないんだけど
先に世帯分離しちゃったから義父と義母のを1枚で貰うのが不可能になっちゃって。
年金受給用の住民票って無料だからいいけどなんかとっても手続きが面倒。
旦那と私が同伴してたからいいけど義母1人じゃてんてこ舞いだったんじゃないかな。
戸籍謄本は来週にならないとでき上がらないって言うし。
でも役所に来たからには義母の非課税証明書を取ったり国民健康保険の葬祭費の手続きをしたり。
葬祭費って自治体によって支給額が違うらしいんだけど八王子じゃ7万円だって。
自己申告制ってのがミソなんだろうけど我が家は抜かりなし。
今日できる範囲の手続きを終えて市役所から社会保険事務所に移動。
午前の部の55番って番号札を取ると長い間待たされて。
義父の残した年金を遺族年金の形で義母が貰う為の手続き。
義母個人の年金額と義父の残した年金を天秤にかけるじゃないけど
数種の方法の中で最も支給額のいいものを選択して。
私達世代じゃ年金なんて当てにならないけど義父母世代ってお得だわぁ。
普通のサラリーマンの配偶者控除を多いに超える額を貰える計算。
旦那ったら「お袋が困らないだけのものを残してって。俺は残せない」って。
でも生命保険に加入してない義父母と違って私達はどっちが死んでも○千万円って保険金があるし。
ここでもとりあえず説明を受けたものの戸籍謄本が未発行だからって帰宅。
で、五十日祭までに香典返しもしなくちゃいけないし香典帳の整理も。
住所不明の分はあちこち調べて。
義父の個人的な友人なのか金封にも記帳にも住所が明記されてなかったのが2人。
このままだったらお手上げかもしれないなぁなんてリストを点検してて新たな事実が発覚。
なんと義父の子である義妹家からのお香典の記載がない。
義妹のお舅さんの名前は確認できたけどこれって何かの間違いなのって感じ。
世間的常識で言えば親兄弟って少なくとも10万円は包んでくるはずなのに。
ってことは義妹ったらただ飯食べてただで宿泊して散々文句言って帰ってったの?
祭壇の花だって最初は「子・孫一同」って供花も出すはずだったんだけど
たくさんの供花が集まる事が分かった時点で祭壇の中に立て札だけ立てることにしたから
「子・孫一同」分の花代さえ義妹ったら引き上げて財布に戻しちゃったのに。
後日改めて分担金をなんて言い出すような人間性は持ち合わせていないはずだからもしかして?
義母も旦那も唖然。
義母ったら早速義妹宅に電話を入れてたけどあいにく留守だったみたいだし。
旦那ったら義妹のことは相手にするなって言ってたけどあんまりだわ。
来月の五十日祭の日時を伝えた時だって「夕方から予定があるんだけど帰れるかなぁ」なんて。
実の親の納骨と五十日祭だったら何よりも最優先させるはずなのにとぼけたことを言ってるし。
おかげで義母は私達にシフトしてくれてるからいいけど義妹との今後のお付き合いを考えると鬱陶しいわ。
こういう人に限って遺産相続は揉めるんだろうし。



2002年09月12日(木)
葬儀翌日

3日間の忌引きを終えて子供達は今日から登校。
3年の次男達は今年度最後の水泳があるとかで昨夜のうちに担任からわざわざ電話連絡が入ったほど。
せっかくのプールが見学じゃつまらないもんね。
2人とも火曜日には連絡帳を提出して忌引きである旨を伝えてあるけど
昨日は告別式で忙しくて連絡帳のやり取りがなかったから時間割さえ分からなくて。
今朝になって長男も慌てて担任の自宅に電話で問い合わせ。
9日に予定されてた5・6年生合同の水泳記録会に参加できずに残念がってたけど
ラッキーにも雨のおかげで今日になってるって。
ここ数日の疲れもあるから実力は発揮できないだろうけど参加できるってよかったね。
眠気眼の子供達を送り出すまでは大騒ぎだったけど。
いつも通り隣の大ちゃんが定時にお迎えに来てくれたんだけど
準備が整ってなかったから私が学校まで送り届けたんだし。
校門を入るなり2学期から転校して来た可愛いクラスメイトに「おはよ」って挨拶されてたわ。
席替えがあったこととか移動教室の準備が進んでることなんか教えてもらってたもん。
偶然にも長男の隣の女の子も同じ日取りで忌引きだったとかって。
長男の担任にご挨拶してから急いで帰宅。
で、葬儀翌日の今日は役所回りと鹿児島からのご一行様のお見送り予定。
一旦品川に行ったご一行様はもう1度我が家にお参りしてくれるとかで役所回りに与えられた時間は11時まで。
9時からのオープンと同時に駆けつける予定だったんだけど当然のように遅れ遅れで。
旦那と義母と私でそんな段取りをしていると夕べ宿泊した義妹が憮然とした表情で起床。
こんな状況にも関わらず「朝食の準備もないのねっ」って。
「9時に帰ってくればいいんでしょ。マック行って来るから」
義母もホトホト困り果ててたけど全く迷惑な存在だこと。
昨夜だって泊まってもらわなくてもよかったんだし。
脱ぎ散らしてた洗濯物が洗濯籠に入ってたけど旦那に相談して洗わなかったもん。
義妹にしたら父の死去って戸惑いもあるんだろうけどここ数日我侭三昧。
いつもって言えばそれまでなんだけどとにかくいつもに輪をかけた状態。
自分が何の力も発揮できないってのが大きな要因なんだろうけど全てにおいて難癖。
ナレーションに「お嬢さんが涙ながらに語る」って文言が出てきたって言えば
そんなのって脚色に決まってるのに「お嬢さんって私じゃないわね」って。
自分じゃ何にもしないくせに段取りが悪いとか何だとか口から出るのは文句ばかりだし。
義妹がマックから帰ってくるのを待って9時頃自宅発。
限られた時間だから市民課でちょっと手続きしただけ。
今までは義父の立場を尊重して義父を世帯主にしてたけど今度はやっと旦那が世帯主になって。
昨日に遡って手続きできたから40歳にして旦那も1人立ち。
鹿児島ご一行様の到着時刻があったから手続きは中途のまま。
市役所とか社会保険事務所とかってまだまだ通わなくちゃならない模様。
一旦帰宅して田舎の人達のお参りを済ませると予約した駅ビルの和食屋さんで昼食会。
ご一行様から労いの言葉。
義妹がお舅さんの生年月日を知らなかったから「お嫁さんの違いだな」なんて叔父さん達。
義妹ったらますます不機嫌になってたけど何とか表面は取り繕って。
ご一行様に手土産を持たせて義母と旦那が羽田までお見送り。
私はホームまで丁寧に見送ってから急いで帰宅して学校に。
今日って5年生の移動教室の説明会だから始めから夏休みだったんだもの。
叔父さん達には「みんながいなくなったら少しゆっくりして」って言われてたけどそんな余裕もなく。
ってなことで葬儀の余波はまだまだかな。



2002年09月11日(水)
告別式の日

「今日は私の誕生日でもあり奇しくも父の新たな旅立ちの日となりました」
出棺時に親族を代表してコメントを述べた旦那はこみ上げるものがあって絶句。
自分の40歳の誕生日にこんな形で父を送るなんて思っても見なかったことだろう。
実父の誕生日に亡くなって旦那の誕生日に告別式だなんてなんと言う巡り合わせか。
昨日のお通夜に引き続き今日の告別式も手抜かりのないように準備は万端。
朝7時頃には町会の世話人さんからお手伝い名簿が電話で伝えられて来たりして長い1日の始まり。
告別式後の壇払いとやらには親族に加えお手伝いの人も呼ばなくちゃいけないみたいだし
とにかく細かい段取りが引っ切り無しなんだから。
義母と私と義妹は喪服で参列することにしてるから8時から順番に美容院に出かけなくちゃいけないし。
義妹ったらアップにして着つけをしてもらうのにTシャツを着てったって美容師さん情報。
斎場に泊まってた旦那も一旦帰宅。
近くに宿泊してた親類ご一行様も着々と我が家に集結して来て。
で、準備が整った旦那と私は一足先に会場に出向く。
義妹ったら喪主である義母を差し置いてって不満そうだったけど
実務的には旦那と私で進めてるわけだから全てが整った時点で来てくれればいいんだし。
会場に着いて祭壇を確認したり電報のチェックをしたり。
で、告別式に流すナレーションってのも密かにチェック。
どんな人生を送ったかとかってのも神主さんによって奏上されるんだけど
どっちも義父の経歴書みたいなのが求められるからその原稿作りなんかも私と親族代表の担当で。
涙を誘うナレーションは私だけが事前チェックを許されて。
12時半からの葬場祭。
神主さんの進行で粛々と儀式は進行。
玉ぐし奉てんが終わってナレーションが流された時には義母も涙を堪えきれなくて。
で、いよいよ最後のお別れ。
棺を開けて義父の周囲を花で満たして。
「おじいちゃんバイバイ」って絵とか「我侭言ってごめんなさい」って子供達の入れた物も光ってる。
「僕達だと思って」ってミニ竹刀なんかも棺に納めたし。
義母ったら義父の顔を愛しそうに撫でてなかなか離れようとしなかったけど釘打も済んで出棺。
義母が位牌に当たる御霊、私が遺影、義妹が花束を持って火葬場に。
今まで堪えてた義母も火葬される瞬間には泣き崩れちゃって旦那と義妹が両側から支えてたし。
火葬を待つ間親族一同で和やかに歓談。
義母と旦那だけが焼き上がったお骨を確認に行って。
病で伏せて薬漬けってわけじゃなかったからそれはそれは綺麗なお骨だったらしい。
引き続いて遺族一同が会してお骨拾い。
旦那と義母が真っ先に。
私と長男に続いて親族が主だった骨を拾ってから担当者の手で見事に壷に収まって。
愛用してたメガネをかけて蓋を閉じるとずっしりとした臺は旦那の手に。
来た時と同じように私達が御霊とか遺影とか花を持って車に乗り込んで十日祭の会場に直行。
神主さんが十日祭と帰化祭を催してくれた後に場所を移して壇払い。
喪主である義母が挨拶をしてから和やかに故人を偲んでお食事会。
壇払いってのはお葬儀の主催者が列席者を労わなくちゃいけないから私達家族がご挨拶したりお酌したり。
喪服に割烹着着用してポーズもバッチリ。
とりあえずみんなに満足してもらって一連の行事も終了となりました。
鹿児島からのご一行様は品川の親戚の家に宿泊。
他の面々もそれぞれ帰路に着いて。
義母も品川に行く予定だったんだけどお骨が帰ってくるなり「お父さんがいるから」って却下。
寂しいだろうからって義妹が我が家に宿泊することになったんだけど
夜更けになって外出したりで役に立つどころか足を引っ張ってるみたい。
何がって直接的な原因はないけど私達主導で事が進んだことが気に入らないみたい。
とにかくそんなこんなであっという間の3日間だったなぁ。
明日から子供達は学校だしこっちはこっちで役所回りで忙しくなりそうだわ。



2002年09月10日(火)
お通夜の日

義父が突然の死を遂げてから一夜明けて今日はお通夜の日。
神道だから本当は通夜祭って言うらしいんだけど。
同じ斎場で6時からお通夜が入ってるから我が家のお通夜は若干遅目で7時から。
でも今朝からとにかく慌しくいろんな事が流れていくったら。
子供達に留守を任せると義母と旦那と3人であちこち巡回。
って昨日から泊まってた義妹もいることはいたんだけど。
まずは呉服屋さんに預けておいた私の喪服の帯の受け取りに。
お葬儀って待つものじゃないから綺麗なお札を用意しないって風習と同じだと思うんだけど
実家から運んできた喪服は本体だけで帯は呉服屋さんに置き去りだったし帯締めと帯揚げは実家。
とにかく明日の葬儀できちんとした身なりに整えるためには一式を揃えなくちゃいけなくて。
今日のお通夜は洋装で参列する予定だから明日は初の喪服ってことだし。
義母も義妹もセット物の喪服を初めて着用するのが今回だって。
もちろん喪主となる義母の着付けも含めてご近所の美容院に予約は抜かりなく。
本当だったら火曜日の今日は美容院はお休みだから特別に開けてもらったんだし。
で、昨日検死してくれたお医者さんの医院が開く9時を待って死亡診断書を受け取りに。
死亡時の診断書って初めて見るから比較できないけど表題は遺体検案書。
左半分が死亡届になったその用紙には義父の病名やらその要因やらが記載されていて。
「お年寄りの場合には大丈夫でしょうけど若い人だと葬儀後に薬が出たりする場合もあるので
診断書の料金は葬儀終了後にしてください」
葬儀前と葬儀後じゃ診断書の料金にも若干違いがあるらしい。
再度診断書が必要になった場合にはまた警察を通したり時間を費やしたりしなくちゃいけないから
とにかくコピーは十分に取るようにって先生から説明を受けたりして。
鹿児島から1便の飛行機でこちらに来る義母の兄弟6名ってご一行様もいることだし旦那と義母は一旦帰宅。
ご近所さんへのお礼の為の両替なんかもあるから私だけ再び外出して。
両替を済ませて子供達のYシャツを取って簡単な昼食を購入してから帰宅。
その間も自宅には弔問客やらで賑わって。
で、義父の遺体の搬送は2時の予定。
我が家って50段程の階段を降りないと車に辿りつけないのになんとその階段下に軽自動車が停まってて。
急いで警察署に連絡すると搬送時刻に間に合うように移動の手配を整えて。
お巡りさんの応対にしてもそうだし細々した段取りは旦那と私が全て仕切って。
時間になって布に覆った義父をタンカに乗せて丁重に運んでいく。
旦那とか子供達とか親類の男性陣が担ぎ手になって。
ワゴン車に乗せられた義父はクラクションが鳴ると同時に出発。
自宅から新居予定地に立ち寄ってそこでもまた顔を出して空気を浴びてまたクラクション。
斎場に着いた義父は家族が揃うのを待って湯かんとかって行事が目白押し。
畳の部屋に1人用のバスタブみたいなお風呂が用意されてて固定された義父が横たわってて。
もちろんタオルで見えないような工夫がされてるんだけど湯かんの作業は圧巻。
ただ拭くだけじゃなくて本当に温かいお湯のシャワーで頭から身体まで入念に洗うんだから。
シャンプーしてリンスしてドライヤーかけて整髪料つけて髭もそってお化粧して。
普段入浴しなかった義父だから「日頃からこんな風にしてればよかったのにねー」って家族。
義母も旦那も最後のシャンプーを施したりして。
綺麗になった義父は愛用の洋服を着て棺に収まると葬儀社が施してくれた羽織袴に正装。
特許なんだか綿を細工して作られる羽織袴はそれはそれは見事。
余談だけど女性だったら白無垢にしてくれるらしい。
義父の準備も祭壇の準備も義母の喪服も着々と準備が整って弔問客も徐々に集結。
花で覆った祭壇はそれはそれは見事だし。
いよいよ7時のお通夜。
滅多に体験できない神道式は旦那の伯父のお葬式で列席してるけど自分が主催者ってやっぱり違う。
読経とかって涙を誘う場面もないし御霊うつしとか玉ぐし奉てんとか儀礼的で淡々としてるってのも理由かも。
子供達には昨日から2礼2拍1礼って教えてたからとりあえず恙無く終了したし。
お清めのお料理も美味しいってお褒めの言葉を頂戴したし全体的に及第点。
お通夜の会場には6人しか泊まれないから旦那と義母と義妹と親戚代表が代表宿泊者ってことに。
仏式みたいにお線香を絶やさずにとかってことはないんだけど光明の番もあるし。
鹿児島からの来訪者からの為にビジネスホテルを押さえてたからピストン輸送で送り届けて。
予備の1部屋に義妹の旦那と子供達。
なんの段取りもしないくせに「なぁんだビジネスなのねっ」って文句を言われちゃ辛いんだけど。
私と子供達は自宅に戻って後始末して自宅泊。
とにかく今日を乗り切ったからには明日の告別式も頑張らなくちゃ。



2002年09月09日(月)
急逝

新学期が始まって1週間も経つってのに長男の読書感想文は未提出。
って言うか長男ったら感想文は選択で書かなくていいものと思い込んでたから
始業式当日に課題図書を購入に行ったりしたんだし。
夕べも遅くまで頑張ってたけど結局今朝早く起きて最後の仕上げをすることにして就寝。
当然私も5時頃長男を起こすとそのまま傍らに付き添って。
次男の漢字の宿題も中途半端なままだったから母子3人での早起きで。
で、6時頃義母が起きてきて襖1枚隔てた義父の部屋に「お父さん具合どう?」
って覗いたはずだったのに悲鳴にも似た声で「お兄ちゃん(旦那のこと)お父さんが」
「お父さんが冷たくなってる」って義母の慌てぶりから私も子供達も何事が起こったかをすぐに察知して。
すぐに旦那も降りてきて義母を抱えるように「しっかり」って。
義父母っていつもは同じ布団に寝てるんだけどここ数日は義母が安眠を求めて別の布団に避難してたから。
とりあえず現場は旦那にお任せして私は救急車に第一報。
早朝のことだからサイレンを鳴らさずって思ってたのに慌ててたから忘れちゃったけど。
間もなくして救急隊が到着。
その間にも110番通報なんかしたりして家の中はとにかく慌しくて。
救急隊の人からすでに死後硬直が始まってることなんか告げられてるし義父の死は逃れようのない事実。
続いてお巡りさんがやってきて「薬は飲んでましたか」とか「通院してましたか」とかあれこれ聞かれて。
なんだか死を実感しないままに次から次に何かが襲ってくるって感じ。
下着まで剥いで色々調べるとかでハサミを入れることを了承してとか言われるし。
家族でも現場の立会いは制限されて襖の向こうで起こってることは推測するだけ。
その間連絡要員の私は義妹に第一報。
今日が誕生日の実家の父にも。
「お誕生日おめでとうって言いたいところなんだけどお義父さんが死んだ」って伝えて。
これから数日間忌引きすることになるから7時を過ぎてから上司とか子供達の担任とかにも。
子供達は今さっきまで宿題に追われてたのに事態は一変。
「僕達がもっと早く起きていたらおじいちゃんは助かった?」なんて聞いたりしてたけど。
しばらくして検死をするお医者さんが登場。
素人目には分からなかったけどすぐに急性くも膜下出血で午前3時頃死亡って知らされて。
死んじゃったんだからお葬式をしなくちゃいけないけど義父母ったら互助会にも入ってないみたいだし。
とりあえず頼りのイエローページを探してフリーダイヤルの相談所に問い合わせ。
葬祭業者を紹介してもらって斎場を決定。
火葬場の空き状況とか遠方からの来客なんかを考えて明日の通夜と明後日の告別式って決定して。
義母は動転してるから旦那と私とで事を進めるしかない。
肝心なことは我が家は神道なんだけど氏子になってるわけじゃないから
同時平行的に神主さんも探してもらわなくちゃいけないし。
親戚とかって分かる範囲はいいけど義父の交友関係への連絡って至難の技。
横浜の義妹とか杉並の旦那の従兄弟とか品川に住んでる義母の兄弟なんかも駆けつけて。
検死が終わって一段落した頃葬儀やさんがやってきて枕元とか義父の遺体を整えたり。
で、当然ながらどんな形で義父を送るかって葬儀の段取りの打ち合わせ。
喪主は義母。
予算は変わらないみたいだから白木の祭壇じゃなく花で覆った祭壇ってことも決定して。
決まった詳細を職場とか関係箇所に連絡することも忘れずに。
昼頃一段落ついて昼食の買い出しを兼ねて義母と旦那が銀行にも立ち寄って。
もっと泣き崩れちゃうかと思ってた義母も気が張ってるのか何事も淡々と進んだし。
午後になって枕花とか弔電が届いたりして現実は待ったなし。
駆けつけてくれたお客様と家族分の夕食は行き付けのお寿司屋さんに宅配してもらって。
それにしても義父ったらあっけない幕切れだったなぁ。
ここ数日ちょっと体調が悪そうだったから今日にでも医者にって言ってたんだから。
晩年の我侭三昧も若い頃の貯金が効いたのか
大好きな自宅の畳のしかも自分の布団の上で死ねたし本望かもって思ったりもするし。
で、今となって考えるとあれがお別れだったのかなって思えることが。
昨日アイロン掛けをしていた私が「明日は実家の父の誕生日なんです」って義母に。
「まだまだ若いわよねー。うちのお父さんったら」
旦那も「オヤジ年取ったよなぁ」なんて普通じゃ話さないようなシミジミとした会話で。
念の為に夕べ検温したから夜の時点で36.4℃って本当に普段通りの義父だったんだけど。
発熱してなくても肺炎になったりしたら大変だからって。
義母が寝る前に「明日は医者に行こうね」って言ったら
何かを考えてるみたいに大きく目を見開いて天井を見てたって。
12時を過ぎても子供達の宿題が終わらなかったから義父の気配を感じながら起きていた私達母子。
と、12時を30分ほど過ぎた頃に「喉が乾いた」って義父。
いつも通りムックリ起きてくるなり買い置きしてあったリポ○タンDに手を伸ばして。
「体調悪いならそんなの飲まないで水かお茶か牛乳にした方がいいですよぉ」って私。
いつもだったら自分の好き放題にしちゃうくせに
この時ばかりは「うん。ありがとう」って言うなり手にした瓶を台所に置き去りにして。
これまでを考えると義父が感謝の言葉を述べるなんて考えられないから
あれが私への最期の言葉だったって思うと今までの諸々は忘れて精一杯送らなくちゃって。
そのままトイレに入ってしばらく出て来なかったから旦那が「大丈夫かぁ」って声をかけたのが最期の会話。
何はともあれ義父の生涯はこれにて終焉。
これから当分落ちつかない生活になりそうですわ。
苦しまずに逝ったことが何よりの救いだったとは言え冥福を祈らずにはいられません。



2002年09月02日(月)
中略

私の日記ってひっそり職場から書いてるから遅れ遅れになりがちなんだけど
ちょっとオサボリしてる間に大事件勃発。
2日からの新学期のこととか5日の開校記念日にサマーランドに行ったこととか
子供と一緒にボーリングに行ったことなんかでいつもながら話題は盛りだくさんだったんだけど。
諸事情により2日から8日分の日記は中略ってことでご容赦くださいませ。



2002年09月01日(日)
2学期前日

今日も旦那はお仕事とか。
昨日も義父はお散歩に出かけなかったとかで義母ったら今朝は義父を見捨てて1人気分転換のパチンコに。
我が家には私と子供達と義父って最悪のパターン。
子供達に宿題の総仕上げを促す私と義父の衝突って目に見えてることなんだし。
義父ったら「みんながいない時に」っていつだってお小言はこんな時なんだから。
結局外出先の義母からの電話だよぉって庭に出てた義父を大声で呼んだのがきっかけで
義父もお散歩に出かけることになっちゃったけど。
子供達が大声で「おじいちゃ〜〜ん」
隣の奥さまも加わって「おじいちゃ〜〜ん」って呼んでたしこれじゃボケ老人探しと変わらないし。
義父ったら「居場所がないから外に出てたんだっ」
私と子供達は不在だったから煙草買いに出かけたんだと思ったって率直にお伝えしちゃったし。
結構長い不在だったから絶対に煙草購入って確信。
子供達は義父のポケットが怪しいって目星をつけてるからチャンスを覗ってる。
でも義父にはそれがまた面白くなくて「盗人みたいなことをさせるな」
って私が指示してるわけじゃなくて子供達なりに義父の喫煙を心配してるんだし。
「自分の体調を考えないで煙草吸ってるし与えられた命も粗末にしてるからでしょ」って私。
「俺は新しい家に引っ越さずに1人でここに残るから」「お前達とは暮らしたくない」って。
お互い様なのに全く自分勝手な義父だこと。
そんなやり取りの後に義父ったらふら〜っと出かけちゃいました。
義母にしたら義父が散歩に出たってだけでヨシってことなんだろうから
義父の居心地を悪くしちゃうってのが外出させる最善の方法ってことなのか。
とにかく義父もいなくなって私と子供達と3人きり。
でもこんな日に限って新聞代金の集金とか勧誘電話とかって引っ切り無し。
ベスト○1とか言う学習教材かなんかの勧誘電話の際には
先方が「ベスト○1」としか名乗らなかったから
子供達ったら「ベスト10入りもできないってことか」とか「ベスト○1ってロボットなのかぁ」とか。
当然丁重にお断りさせていただきましたけど。
で、夕刻になってアポなしで鉄骨メーカーの営業さんともう1人。
反対勢力の私しかいないのにじっくり話しなんかしちゃって。
「木造と鉄骨って構造体自体への嫌いって思いは奥様と旦那様ではどちらが強いですか」
なんて率直な意見も求められたりして。
営業さんたちの誠意も熱意も伝わるけど旦那の姑息なやり方に憤りを感じてることなんかもお伝えして。
ってなことで子供達の宿題完了どころか夕食準備もできないまま。
徒歩数分の中華ファミレスに出かけたら偶然義父母と遭遇しちゃって。
パチンコで勝利を収めた義母にご馳走になっちゃったけど義父とは呉越同舟。
2学期目前の今日もバタバタした1日になっちゃいました。