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普通の日記

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2002年06月30日(日)
平行線

今日も週末限定の展示場巡り。
午前中に木造メーカーさんに出向いて設計士さんと営業さんを交えて打ち合わせ。
昼食を挟んで午後には鉄骨大手の2社を回ってまた打合わせってとにかく梯子。
昨日の行動で疲れちゃった義父はお留守番だから打合せが順調に進行しちゃって。
それでも1社でかかる時間は2時間近く。
義父がいない打合せがどんなに平和かって昨日の件で実感したし。
で、どうやら住宅メーカーにも決算期ってのが存在してるらしい。
6月末の今日がその決算の締め日らしくせめて契約だけでもとか内金だけでもって依頼殺到。
とりあえず木造1社と鉄骨1社に絞って発注する方向で検討中の我が家なんだけど
今日になって突然の究極の選択を迫られて。
当然のように「わが社とご契約をお願いします」ってな内容なんだけど。
もちろん我が家としては十分な検討も家族会議もしてない段階だから
返答のしようもないんだけど先方から突つかれてるって厳しい状況。
木造メーカーの方は100万円入金して仮契約って形が取れるからその方法を採用。
って本契約に至らない途中でも契約を破棄できるし内金も返却可って好条件も整ってるし。
でも一方の鉄骨メーカーは鉄骨って構造から工期も短いし契約ってのはマジって意味。
担当の営業さんも今日中に契約書を交わして明日入金ってことになれば営業成績が上がるから必死で。
で、展示場巡りからやっと帰宅した7時頃いきなりの奇襲。
W杯決勝戦放映終了後の10時をメドに電話をもらうことになってたのに来ちゃうなんて。
我が家の態勢はもちろん整ってないし家事時間を割かなくちゃいけないから私は不機嫌。
8時のキックオフ間際になって担当さんは帰ったけど次の電話までに意見集約を迫られて。
で、サッカーの合間に家族会議。
でも旦那ったら意見を求めることなくいきなり「木造がいい人」って多数決。
シックハウス予備軍の私と子供達が即座に挙手。
3人の手が挙がった時点で旦那は「鉄骨がいい人」って言えなくなっちゃって。
結局サッカー終了後の電話には旦那は「決まりませんでした」と答えたみたいなんだけど。
だけど旦那の心は半分以上が鉄骨。
間取りとかって次元じゃなく構造の根本が違うって決定的なんだけど
旦那と私で話し合って少しでも理解を深めなくちゃいけない。
ってことで旦那に直訴したものの延々話しても意見は平行線。
このままだと振り出しに戻っちゃうかもしれないってくらい危険な状況。
堂堂巡りで何時間話してもちっとも近づく要素がないんだし。
でもこれって生まれながらの生活体験が大きく影響してるかな。
結婚してからの12年を除けば木の家でしか生活したことのない私と
社宅を点々として木の家に住んだことのない旦那と義父母。
メーカーさんに迫られて根本の違いが判明したんだけどこれって致命的かも。
いつかはどちらかに決めざるを得ないんだけど先行き混沌としちゃってますわ。



2002年06月29日(土)
結婚記念日のこと

「今日記念日だよね」
目覚めて数分後の旦那のコメント。
旦那と私が90年に結婚してから12年目の結婚記念日。
子供達と週末の朝のTVを見てた時にいきなり言われたからちょっと驚いちゃったけど。
で、旦那が手にしてたのは大きなヴィトンの紙袋。
もちろん私へのプレゼント。
「これから家を建てるから来年からはプレゼントなんかあげられないかもしれないから」って。
喜び勇んで早速開封。
ここ数回の誕生日とかヴァレンタインってスペシャルプレゼントは
ヴィトンのエピシリーズが続いてたんだけど今回のは大きさが違うし。
もらったのは同じく赤のエピシリーズのバッグでアルマってタイプ。
いつも旦那には驚かされるけど今回も新鮮な驚き。
私からはプレゼントなしだから申し訳ないような気分だったりして。
で、子供達のスイミングもお休みの土曜日。
旦那と義母は子供達と25日に退院したばかりの義父を伴なって買い物へ。
私は1人のんびり美容院で午前中を過ごして。
旦那の希望でかなり軽めの長さにカットしたしかなり明るめの色になったし。
美容院終了後にみんなと合流することになってたんだけど空が怪しげだったから
私は一旦帰宅して洗濯物を取り込んでから合流。
義父は久しぶりにたくさん歩いたせいか人込みに出たせいかかなりお疲れのご様子で。
でもその足で住宅展示場に行って。
旦那と私で義父の退院祝いの会食を計画してたんだけど疲れちゃったって理由で却下。
せっかくのお豆腐やさんは縁がなかったみたいで。
で、帰宅途中で旦那が「今日結婚記念日なんだ」って義父母にもご紹介。
義母ったら「じゃ退院祝いを兼ねてお祝いしましょ」って言ったものの
義父の疲れを考慮しなくちゃいけないし食べたい品を再優先ってことで宅配ピザって決定して。
あいにく今夜もW杯サッカーの試合日だったから宅配ピザは1時間以上待っちゃったけど。
自宅でささやかに祝杯をあげて。
それにしても義父ったら退院時に食事の説明なんか受けてないせいか良く食べること。
ピザみたいな油っこい食品をそんなに食べてもいいのかなぁなんてかなり疑問。
何にしても義母が負担してくれたおかげで義父の退院祝いに予定してた出費は0。
他人が見たらきっとほのぼの幸せ家族なんだろうけど内心複雑な心境の私です。



2002年06月28日(金)
誰だろう

6月も下旬とあって気の早い人のお中元がボツボツと我が家にお目見えするようになった。
私と旦那のお中元は早期発注割引って時期に注文。
7月になって発送されるはずだからとりあえず安心はしてるけど。
でも数年前に経営破綻した生き残りの百貨店だからここの所名簿のトラブルが毎度のことで。
実際に着いたって知らせを受けるまでは全幅の信頼ってわけでもない。
それでも名簿の記載が面倒ってだけで見限らずに継続してる私達っていい加減かな。
で、今日も私宛てに2点のお中元。
1個は某大物さんからハム。
要冷蔵って書いてあるにも関らず悲しいことに私の帰宅まで台所に出しっぱなしで。
急いで冷蔵庫に入れたから大丈夫だとは思うんだけど役立たずな留守番だこと。
これは義母が配達屋さんに対応してくれただけマシなんだけど。
で、もう1つの宅配は不在届が郵便受けに。
義父だけが留守番してた時に配達屋さんが来たんだとしたらとっても気の毒。
義父ったら玄関の呼び鈴にも電話の音にも反応が鈍いのが現状だし
月末の新聞購読料なんかを義母から預かって留守番していても
「今誰もいませんから」って再訪問を願い出るほどだし。
これって子供の留守番よりもずっと役に立ってないみたい。
思わず「おまえがいるじゃないか」って突っ込みたくなるような。
再度新聞屋さんが集金に来た時には義母ったら恐縮しつつも唖然としていたもん。
で、不在伝票。
差出人に心当たりなし。
とりあえず夜の8時に今日中の再訪問ってことで依頼電話を入れて。
間もなく宅配やさんが重そうな荷物を抱えて我が家に到着。
青い箱に入った缶ビールと缶ジュースの詰め合わせセット。
横の商品番号から恐らく5000円のものと推察できて。
でも伝票を見てもやっぱり差出人に心当たりなし。
とりあえず配送伝票だけは外したもののこのまま飲んじゃっていいのかしらって。
大手百貨店の外商扱いのお中元の品。
超有名企業副社長って肩書き付きの差出人を見てもちっとも思い当たらなくて。
私宛てってことはこの副社長って人に面識があるって思うのが妥当な線なんだろうけど。
職場で名刺を確認しないことには何とも言えないけどマジで誰だろうって感じ。
で、差出人に心当たりがないって私に義母曰く。
「でも飲めるって思ってビールを送ってくれてるんじゃないの?」
私ってそんなに飲むように思われてたってこと?
週明けに名刺を確認しないことには差出人不明のものなんて手をつけられるわけがありませんけど。



2002年06月27日(木)
誤算かも

今日は次男達3年生の校外学習の日。
バスの手配もあって雨天決行ってことだけど残念ながら数日続きの雨降りで。
市役所とかニュータウンとか市内数か所を回るって行程。
って一昨年の今頃の日記には長男の分のほぼ同様のことが記されてるんだから
このWEB日記の継続の日々にも我ながら驚いちゃったりして。
とにもかくにも校外学習だから早起きしてお弁当作り。
で、いつものように出勤。
帰宅後自宅に来客あり。
新しい土地を購入しての新居計画が徐々に進みつつあるってことは
現在居住中の我が家を売りに出さなくちゃいけないってことで。
今週になって土地の仲買をしてくれた不動産屋さんに連絡を取ってたんだけど
担当さんが腰痛でお休みしてたから我が家での打合わせが今夜ってことになって。
もちろん打合せ内容は売りに出すってことばかりじゃないんだけど。
当初は8時過ぎの来訪予定。
夕食を作る時間の余裕もないだろうって旦那も私も大急ぎでお弁当を購入して帰宅。
でも3連休明けの担当さんは大忙しだったらしく結局8時半過ぎに訪れて。
子供達には自発的に入浴を促して大人は打合せに専念。
次男の宿題に付き合えなかったってのが心残りなんだけど。
で、退院したばかりの義父は担当さんと初対面。
今までは義父抜きでスムーズな打合せができたのに
全然関係ないことなんかで口出しするから話が脱線しちゃったりなんかしてちょっと迷惑。
担当さんが義父の話しから抜け出すことなんかできないから
旦那と私と義母は本来の路線に戻そうと懸命な努力で若干の駆け引きもあったりして。
で、今日の本筋となる我が家の価格。
幸か不幸かご近所のお宅も数ヶ月前から売りに出されてるからそれが基準とならざるを得ない。
隣のアパートのそのまた隣の80坪に築20年余りの上物が付いた建坪50坪って大きさのそれ。
でもあまりの大きさと使い勝手の悪さに買い手が付かなくてそろそろ値下げが検討されてるって物件で。
ってことでそれを基準値とせざるを得ないって我が家にとっては誤算かも。
旦那から希望価格を提示したけど不動産屋さんからはシビアな意見が出されたし。
居住中の我が家の方が買い易い内容の中古住宅なんだけど結構厳しいかも。
希望価格より若干安価で売りに出すってことになっちゃったし。
でも高望みして売れなかったら結局我が家が支払いに窮するから妥協。
土地取得の代金にも及ばないから建物分を含めて旦那も私も頑張って働かなくちゃいけないし。
とりあえず今日の打合せで売りに出す段取りは一歩前進。
居住中の間取りは先方に渡したし呼び水となるキャッチコピーも考えたし。
これで間もなく売り出しチラシが作られるってことになるらしい。
新居構想も進めなくちゃいけないけど
新居資金に充当するってことからも一方で売る方も考えなくちゃならないし。
とは言えホンの少しずつでも進捗あり。
新居への道はなかなか険しいものを感じてますけど。
売りに出すとなったからにはなるべく早く買い手がつくようにってひたすら祈っちゃいますわ。



2002年06月26日(水)
ボーナス支給日のこと

帰宅途中の車内で旦那からの電話。
次男を道場に迎えに行くついでに駅で合流して一緒に帰ろうって内容だった。
今日も雨降りだからありがたくご一緒させていただくことに。
道場に同行してた義母ももちろん一緒。
車中で話題に上るのは昨日退院したばかりの義父のことばかり。
とりあえず今日から通常の生活を始めたらしい。
私達が出勤した後にのんびり起きて義母と一緒に朝食→昼食。
でも着替えを拒んだりいい加減な生活態度だから義母のストレスも大きくなってるみたいで。
雨降りでお散歩ができないにしても規則正しい生活だけは何としても確立してほしいのに。
入院して反省したはずなのに義父の態度は変化なし。
「ヒゲも剃らないで。入院中の方がシャキッとしてたんだもの。また入院させようかしら」って義母。
で、みんなが帰宅して夕食時。
義父ったら突如として「オレの薬はどこ?」って義母に。
旦那も私ももちろん義母も唖然。
「昨日ここに入れておくって言ったでしょ」って義母。
1日経過してるのに薬の所在がわからないってことは退院してから飲み薬を怠ってるって証拠。
家族全員信じられない思い。
旦那も義母も「薬を飲まなくちゃだめじゃないか」とか「次に入院したら面倒見ない」とか。
本人ったら悪びれる様子もなく「前のが残ってたし」「みんなでそう言うなよ」
半分胃を摘出してるんだから薬を飲まなくちゃだめなのに。
やっぱり自分の病気の重大性を認識していないからこんないい加減になっちゃうのかな。
で、みんなが食事を終えても1人でゆっくり食べ続ける義父。
って言うかご飯は置き去りでほとんどテレビに熱中してるし。
胃が部分的に存在しないから食べたいって思う量と実際に食べられる量には違いがあるし。
そのままにしておくと夜の薬も忘れちゃいそうだから
「食べないなら区切りをつけて薬を飲んだ方がいいですよ」って私。
カレンダーみたいになってる飲み忘れ防止の薬入れってのを見たことがあるけど
義父にもそういうのを与えないとだめかなぁ。
カレンダーだったら他の誰が見ても一目瞭然だし。
それでも夜更けになって義父は退院後初入浴。
入院時から着用してるT字帯ってつまりはお褌が脱衣場にあったしいつも通りの入浴痕も存在したし。
義父が帰って来たのはいいけど我が家は一段と怪しげな雰囲気かも。
で、本日ボーナス支給日。
例年だと20日の給与前後が支給日なんだけど
今回から考査基準が変わったから若干遅れたってことらしい。
今までは通知表に見立てると1〜5で感じで3って普通が存在してたんだけど
今回からは普通ってレベルは存在しちゃいけないって考査方法。
ってことは上司の査定次第でプラスになるかマイナスに転じるかのどちらかで。
客観的に捉える上司ばかりじゃないし全体的なバランスもあるからみんな疑心暗鬼。
事前に流れた噂じゃ査定次第でン十万円って差が出ちゃうんじゃないかって話だったから。
でも部長から手渡された明細書を見てとりあえず安堵。
大幅な減額がなかったって言うより若干プラスだったように感じたから。
自分は基本給の何倍かって計算しちゃう人もいるって言うけど私はどんぶり勘定過ぎるかな。
とりあえず今年の夏の賞与は無事取得。
新居の支払いに向けて貯金もしなくちゃいけないし。
もちろん例年通りに賞与が支払われたことも金額も含めて旦那にも義父母にも内緒だわ。



2002年06月25日(火)
退院の日

11時近くになって私の携帯に着信。
旦那から。
「親父今さっき退院したから」って。
朝は何にも言ってなかったけど旦那ったら半休する形で退院に付き合ったらしい。
10時に退院手続きを取って所用を済ませて自宅に送って。
普通の人の回復ペースなら手術後2週間で退院って言われてたけどハイリスクの義父は1.5倍の3週間。
自宅から徒歩5分の近い病院なのに入院も退院も義母と旦那が付き添って。
で、出勤目指して駅に向かう途中で私に電話をしたらしい。
でも退院時にも病状の説明とか今後の治療方針とか家庭での諸注意さえなかったって。
次回診察予約が7月8日ってことだけが分かってる唯一のこと。
胃ガンで胃を半分切除したにも関らず食事に関する注意さえないって
どういうことなんだろうなんて思ったりして。
で、病院から自宅に帰る途中で遠回りして新居予定地を見てきたらしい。
義父の入院で新居構想が一挙に速まって
入院中の義父を置き去りにする形で土地の契約まで進めちゃったから義父には初めての場所。
「今の所より若干駅から遠いかな」なんて言ってたらしいけど階段より遥かに楽でしょうに。
だいたい義父が家から出かけるとも思えないし。
土地を見て帰宅してから久しぶりに義母の作った昼食を食べて1ヶ月半ぶりの自宅でのんびりして。
で、旦那と私がいつものように帰宅すると入院前より顔色の良さそうな義父の姿。
帰宅途中に買って帰った花束を「退院おめでとう」って私から贈呈して。
義母ったら珍しく「こんなにしてくれていいお嫁さんじゃないのぉ」って。
「みんなに迷惑かけちゃうんだからこれからは運動したりしなくちゃね」って。
食後に紅茶とスイートアップルパイで形だけの乾杯もして。
でも義父ったら病状説明を受けてないから肺機能の低下に関しても胃を半分取ったってことにも実感がなくて。
手術前に説明を受けたことさえすっかり忘れちゃってるのかなぁ。
とりあえず無事に退院したってことだけは事実。
それにしても今回の義父の入院は我が家に大きな恩恵をもたらした。
新居に大きく近づいたのが1番大きな出来事だけど将来的にも義父母と暮らしていくって再認識させられたこと。
そして驚くべきことに義父が任意保険に入ってないって知ったこと。
って信じられないけど旦那と私が不謹慎みたいだけど
「入院給付金で潤うね」って義母に話したら「保険に入ってない」って。
毎年1回義父母の所に集金に来てた保険屋のおばちゃんは義母専用だったんだって。
ってことはこの先義父が病にかかる度に出費がかさむってことじゃん。
旦那も私も唖然としたのは言うまでもなし。
ある年齢で保険を切り捨てたらしいんだけど老後の政策上間違ってるぞ。
子孫に迷惑をかけるつもりがないんだったら老後の蓄えに加えて保険は必需品。
もちろん自分の健康管理の必要性も実感したことも今回の入院騒動の恩恵ですけど。
しばらく義父には手がかかりそうだし新居のこともあるしまだまだ我が家は落ちつけそうもありませんわ。



2002年06月24日(月)
怒られたっ

いつも通り中央線に乗っての帰宅途中。
通勤快速1本前の電車だったら途中駅からでも座れるかなって普通の快速電車の車中でのこと。
新宿を過ぎても座れなくて車窓からぼんやり風景を眺めてて。
車内での携帯使用を注意するアナウンスもいつものことだし。
と、アナウンスから絶妙なタイミングで私の携帯が密かに鳴った。
決して近所迷惑な着メロなんかじゃなく本当に普通の着信音で。
電話の声は旦那。
先週から明日辺り退院って家族で勝手な予想をしてたから
今日も旦那は早めに帰って病院に寄ってる最中らしい。
「親父明日退院になったから」って第一報。
でも私が「うん」って答えるか答えないかって本当に肝心な用件も喋らないうちに
ドア付近にいた頭の硬そうなオヤジに肩を突つかれて注意を受けて。
「携帯の使用は禁止って言ってるじゃないか」って凄い剣幕の怒鳴り声。
話しは途中だったけど「怒られた。切るよ」って電話は終了。
電話の向こうの旦那も事態は一瞬にして察知できたみたい。
結構大きな本屋さんのカバーがされた文庫を手にしてたけど
注意したオヤジの声の方がよっぽど迷惑って感じ。
生死に関する重大なことなんですって反論しちゃおうかって思ったほどむかついたし。
周囲にいた乗客もみんなそのオヤジを不思議そうに見ていたし。
で、しばらくしてちょっと離れた座席が空いたから私は着席。
そのオヤジは相変わらずドア付近に立ったまま。
再び車内に携帯の着信音が鳴り響く。
今度は私のじゃないけどやっぱりオヤジの逆鱗に触れて。
私と同じように「携帯は禁止!」って大きな声で怒鳴られて。
ってオヤジの声の方が断然煩いって。
確かに車内で大きな声で喋り捲る女子高生なんかは迷惑だけど
そもそも車内携帯禁止ってのは心臓ペースメーカー着用の人への配慮なんだから。
ここまで携帯所持が一般化した今は
一概に携帯禁止って言うより別の方法を考えた方がいいんじゃないかなぁ。
女性専用車両ができるくらいなんだから携帯が嫌って人の為の車両ってのも考えればいいんだし。
ってあまりにも自己中心?
短時間乗車って人ばかりじゃないんだから1時間もの間情報が途切れちゃうって困るのに。
それにしても不愉快なオヤジだったなぁ。
「携帯禁止」って言うのを生きがいにしてるんじゃないかって思えちゃったもん。
今後一切お会いすることがありませんようにって祈らずにはいられませんわ。
で、旦那からの第一報の通りに明日義父はご退院。
明日からの我が家はまた一段と賑やかになりそうです。



2002年06月23日(日)
校外学習

新居って決めた瞬間から我が家の週末はとにかく忙しくて。
平日は身動きが取れないから週末毎に展示場に行ったり打ち合わせをしたり。
まだ鉄骨にするか木造にするかさえも決めかねている状態だけど
ラフな間取りを考えてもらわないことには見積もりさえでないんだから。
で、今日は某ハウジングメーカーの住まいの参観日。
ここは大手の鉄骨住宅メーカー。
もちろんメーカーをそこって決めてるわけじゃないけど
実際に住んでるお宅を目にすることができるってことはモデルハウスじゃない部分が見られるってことで。
先週展示場でお誘いを受けて参加って決めたから今日も10時に展示場に直行して。
子供達は留守番させようかって思ったけどやっぱり心配だから同行させて。
モデルハウス内で説明を受けてからバス移動で3軒の家を回るってコース。
レジュメを手に回って最終的にはアンケートの提出って段取り。
乗車する度に点呼はあるし何だか校外学習みたいな感じ。
年齢層もまちまちな10家族が参加。
お宅を訪問する際のスリッパも手袋も子供達のおやつも用意されてて至れり尽せり。
メーカーさんにしたらこの訪問で何千万円って金額のお客さんが捕まえられるかもしれないから
獲得必要経費としたら安上がりかもしれないけど。
で、最初に訪問したのは築15年のAさん宅。
Aさんの説明は親しみが持てるし外壁がレンガだから15年間お手入れ要らずってのは魅力的。
初期投資は大きくても満足のいく買い物だったって羨ましいかも。
子供達は玄関の外でゲームをして時間つぶし。
次なるお宅は先週棟上をしたばかりのOさん宅。
基礎部分が剥き出しだからじっくり骨組を観察したり遮音効果を確認したり。
説明とか質問もあって1軒に費やす時間が結構長いからOさん宅が終わって1時。
メーカーさんが用意してくれてたお弁当で公園で昼食休憩。
2時に再び出発して築1年ってTさん宅にお邪魔して。
ここのお宅は電化が売り。
Tさんの奥様は高校の先生らしくAさん以上に説明が上手で。
で、3軒の訪問が終了してから展示場に戻ってアンケート提出。
確かに参考になったし子供達の社会科見学みたいで楽しかったかも。
展示場に戻って営業さんに質問。
「参加者のうちで実際に建てる割合ってどのくらいですか?」
私と旦那は2割位って思ってたから5割って聞いてちょっと驚いちゃったけど。
で、結局のところ今日のお宅参観でも我が家の方向性は見出せず。
どんな新居ができるのかってまだまだトンネル状態ですわ。



2002年06月22日(土)
試着室

「デートなんですか?」
お店のお姉さんったら大いなる勘違いだと思うんだけど。
「家を出る時から服装が気に入らなかったみたいなんですよねー」ってお答えして。
もちろん該当者は旦那と私。
忙しい週末だけど気分転換にお買い物。
出掛けに玄関の鍵を閉める直前になって私の着衣を見て
「着替えてこいよっ」って言ってた旦那だけど買い物先で着替えの洋服を物色しちゃうんだから。
ってそんなに私ったらみすぼらしい身なりなの?
ボトムはジーンズ&上は深い緑のポロシャツなんだけど。
何度か洗って皺くちゃなのは認めるけど近場の買い物なんかこれで十分だって。
で、買い物先でも私の服装にイチャモンをつける旦那。
子供達が1時からのイベントに集中してるし義母は自分の買い物だし
旦那は自分のお目当ての品は購入しちゃったし。
ってことで旦那の興味は私の身なりに移ったらしい。
立ち並ぶそこら辺のお店に入るなり私の趣味じゃない洋服を物色。
次から次へと「これどう?」「着てみたら」って。
若い子じゃないんだから似合わないデザインがあるって旦那には分からないのかしら。
とにかくすぐにでも着替えろって結構強引。
でも何件回ってもその場凌ぎの洋服なんか購入するつもりはなかったし試着さえノー。
旦那が私に興味を示してくれてるのは嬉しいんだけどそれとこれは違うんだし。
で、何件目かのお店でこれまでのイメージとは違う前ボタンのシャツ系を手にした旦那。
今までと「これならどう?試着してきたら」って
口調は変わらないけど今度は私にも着られそうなデザインだし。
ってことで数点持参して試着室。
傍目には仲良しって見えるのか店員さんに「デートですか」なんて聞かれちゃって。
ちょっと違うと思うんだけど。
最初のシャツを着て試着室から出て鏡の前で旦那にお披露目。
一旦試着室に戻って2着目にトライ。
で、旦那ったら私が2点目に試着したシャツを脱がないうちに似合うと思ったらしく
私の意思なんか無視する形で「着て行きますから」。
店員さんにタグを切って貰ってそれまで着てた洋服を入れる袋を持って来てもらって。
確かに可愛く似合ってるけどちょっと強引。
旦那が買ってくれたからまあいいけど。
すぐに義母と子供達と合流したけど私の着替えに興味は示して貰えなかったし。
で、着替えて買い物してからは子供達のスイミングとか間取りの打ち合わせとかひたすら多忙。
買い物の時間に寝ていたかったってのが私の偽らざる気持ちだったんだけどこれは内緒だわ。



2002年06月21日(金)
退院間近?!

私が帰宅するとダイニングテーブルの配置に変化。
縦向きが横向きになってTVの前の義父の座椅子の定位置がさらに広がって。
いよいよ義父の退院が近づいて義母が迎え入れる準備に取りかかったってことかもしれない。
義父ったら先月の17日に入院して以来検査を重ね進行ガンが発覚して
今月の4日に胃を半分摘出する手術をしてから昨日で入院生活も5週間。
順調ならば手術後2週間で退院って言われてたけど
当然そんな常識がハイリスクの義父に当てはまるはずもなくすでに手術後3週目後半。
一昨日からは点滴も外れてやっと人並みの生活に近づいたけど。
今日は手術後初めて入浴。
って手術前に入浴してから2週間を過ぎてるから普通の人には待ち遠しかったかもしれないけど
いつもが10日ほどの入浴間隔の義父には少しだけ入浴しなかっただけって感覚かもしれないし。
病院でも義父の長風呂は変わりなかったみたいで看護婦さんが心配して見張ってたんだって。
ってことで義父も義母も安易なほどに「そろそろ退院かな」って口に。
でも今日までに医師から退院の目安とか病名の告知がなされていないのも事実。
日頃の運動不足とか喫煙のせいで肺機能も衰えてるし体重だって50kgまで戻ってないかもしれないし。
このまま安易に退院なんてあり得ないと思うんだけど。
だけど義父母ったら希望的観測で「来週の火曜日辺りに退院かな」
って現時点でも何も告げられていないのに非常識な。
退院っていきなり告げられるわけじゃないと思うのになぁ。
さらに義母ったら「明日はお友達とお食事会だからだめだし」って。
もちろんこれはどう考えてもあり得ないはずなんだけど
「万が一退院しちゃったら夕飯の準備をして出かければいいかっ」って。
ぜーったいにないから大丈夫って私の心は叫んでる。
で、「日曜日は病院の会計がお休みだから退院はないし」
「じゃやっぱり来週かしらねー」って世界が自分中心に回ってるかのよう。
しかも「色々都合もあるから火曜日の退院がいいなぁ」って。
ここまで来ると呆れちゃうけど。
旦那も私も今月いっぱいの入院かって思ってるんだけどなんだか笑えるしー。
義父は自分の病気がなんだったかを知らないし手術後の経過がいいってこともあって安易。
手術前はあんなに深刻だった義母も今のところ安心しきっちゃってるし。
帰宅してからの食事療法がいかに大変かって義母ったら考えていないんだろうな。
それにしても入院中は我が家も平和だったからいよいよ心の準備をしなくちゃいけないかも。
亭主元気で留守がいいって諸説じゃないけど義父は留守に限るって。
ってこんなに長い間自宅にいないのにご近所から疑問視されない義父っていったい?



2002年06月20日(木)
耳そうじ

宿題を終えた子供達の入浴前に耳そうじ。
TVを見ながらって子供達を順番に私の膝に横たえて。
まずは次男。
赤ちゃんの時は耳そうじの気持ち良さにそのまま入眠しちゃったりしたほどだから今だって耳そうじが大好き。
って言うか今じゃ私の膝枕が気持ちいいのかもしれないけど。
耳かきでお掃除し終わると必ず「ふーってして」ってリクエストもついて。
私が息を吹きかけるのが子供にとってはお終いって合図。
次男に引き続いて長男。
いつもだったら乾いた耳の中なのに今日はスイミングの日だったから湿り気を帯びてて。
でも本人から耳の中がカサカサするからって申し出もあったから兄弟同時催行。
で、長男の耳の中を見て一瞬ビックリ。
スイミングで長時間水に入っていたからふやけているとは言えこれはひどいって。
カサカサの原因と思われる異物を無事取り除くと長男はすっきりした様子。
それにしても耳の検査とかの時には何でもなかったし
普段通りの生活をしてたはずなのにどうしてこんなに耳の中が汚れちゃってたんだろうって不思議。
耳かきとか綿棒よりピンセットで掴み出せそうな大きさだったんだし。
でもこれで安心して水泳の授業にも臨めるねっ。
って言うかこちらから「耳そうじしよう」って言い出す前に自己申告しろー。
で、長男曰く「ママに耳そうじしてもらえるのももう少しだけかな」
5年生だから何でも1人でできるようにならなくちゃいけないんだけど
未だに子供達の耳そうじも爪きりも私の担当だから。
まだまだ子供って思っていてもいつかは離れていくことは明白だし。
って爪きりはいいとして耳そうじの1人立ちっていつ頃が適正なのかしら。
子供に耳かきさせるって危なっかしいような。
で、もう1つの私の作業爪きり。
今日確認すると2人ともまだ大丈夫だからもうしばらく様子見ってことに。
長男は普通の硬さの爪なんだけど次男ったらやたらに爪が弱くって。
ちょっと長くなると2枚爪になって剥がれちゃうか折れていっちゃうんだから。
ってことで次男の爪には要注意。
この間も生爪剥がしたみたいに折れて出血しちゃって。
こんな爪質だから未だに赤ちゃん用の爪用ハサミを使用中だし。
いつまでたっても普通の爪切りなんて使えないかもしれないな。
って私も普通の爪切りじゃなくて爪ヤスリで短くしてるんだから仲間なのかもしれないけど。
もしかしてこんな症状は通院の必要があったりして。
身体は丈夫でも爪だけが軟弱だから爪が頑丈になる方法があったら伝授してほしいわぁ。



2002年06月19日(水)
晴れた日には

久しぶりの青空。
こんな日にプールじゃない子供達が可哀相に思えるほど。
週休2日制の影響は水泳授業も例外じゃなく夏休みを除けば数えるほどしかないって言うんだから。
昨晩から何度確認しても子供達はプールじゃないって。
巡り合わせだから仕方がないにしても今日だったらよかったのになって。
で、10日振りの晴天の機を逃してなるものかと私は朝からお洗濯。
って洗濯はいつものことだけど大きめのシーツとかタオルケットも。
こんな時に8kg洗えちゃう容量の大きな洗濯機に感謝だったりして。
やっぱり室内で除湿機使って乾かしてるのと違ってお日様は気持ちいいわぁ。
次の晴れ間っていったいいつになるんだろ。
洗濯に追われてたからってわけじゃないけど次男が水筒持参ってのをすっかり忘れてて。
いったん登校した次男が「おばあちゃん水筒」って8時を過ぎてから焦って家に戻ってきたんだって。
それにしても今日の水筒が何の為だったかは依然謎のままだけど。
で、放課後校庭では児童達の自転車点検。
自転車点検って校外委員の大事なイベントで一昨年は私も担当。
去年までは何回かに分けて地区別に行ってたから
協力してくれる自転車屋さんも大変だったんだけど今年は集中的に2回実施。
今日と来週が設定日だからお天気が全てを左右しちゃうって感じで。
とにかく偶然にも今日晴れたから良かったけど。
で、本来なら水曜日は剣道の稽古日なんだけど今日は先生の都合でお休み。
次男も先週3年生の自転車教室ってのを履修して保護者同伴じゃなくても
自転車で出かけられるようになってたからって兄弟2人で点検の為の校庭行き。
校外委員の人から点検カードを貰って自転車屋さんに点検を受けて終了のシールを貼って。
次男ったら自転車教室を終えた段階から点検のこの日を待ち侘びてたから嬉しそうで。
これで自転車禁止って言われずに堂々と乗れるんだし。
とりあえず無事に終わって揃って帰宅。
宿題を終わらせないと遊べないから真っ先に宿題。
で、いったん提出した作文の添削を返して貰った長男はさらに清書を求められて。
なんでも簡保の作文コンクールに出すとかでクラス全員が作文に取り組んでるらしい。
長男は自由題を選んだんだけどこれがまた厳しい内容の文章で。
小学生の心の葛藤って言うか「子供には自由がないって時々思う」って書き出しで。
担任の先生も奥が深い文章だってコメントしてたけどなかなか。
月曜日の朝のギリギリまで宿題をしてた甲斐があったってもんだわ。
提出期限を守れるようになるともっといいんだけどねー。



2002年06月18日(火)
W杯終了

ってもちろん日韓共催の日程全てが終わったわけじゃないけど日本イレブンは今日敗退。
下馬評を覆して決勝トーナメントに進んだことだけでも素晴らしいんだけど
今日だって勝てたんじゃないかって思わせる試合だっただけにちょっと残念。
ってもちろん今日の試合も職場観戦。
前回同様3時半からのキックオフに合わせて仕事を中断。
今日も野暮な電話の何本かが観戦を邪魔をしたけど
勤務時間中なんだから電話が鳴るのだって当然と言えば当然だし。
降りしきる雨の中ひた走る選手たち。
結局0−1での敗退となっちゃったけど本当によく頑張ったよって心から拍手。
次回独大会ではさらにパワーアップした日本イレブンにお目にかかれることに期待して。
旦那は今日も試合の放映時間に合わせるように帰宅。
若干時間を読み違ったらしく帰宅時にはすでに1点ビハインド状態だったって。
朝の通勤時間帯からジャパンブルーに身を包んだ熱烈応援の若者を見かけたりもしてたから
今日の試合も全国的に相当な盛り上がりを見せてたんじゃないかな。
で、夜からは決勝トーナメント1回戦最後となる韓国とイタリアの試合。
共催国だしアジア勢ってことで韓国を応援したい気持ちもあるけど長男の気持ちを慮ってイタリアの応援。
長男のクラスでは授業の一環でW杯を応援してて。
予選となるグループリーグが始まる前から個々人で応援する国を設定。
子供達の応援国も前評判通りにフランスとかアルゼンチンとかって強い国に集中したらしいんだけど
ただ応援するだけじゃなくてその国について調べるっておまけ付き。
長男なんかイタリアって決めたその瞬間から日本の試合結果よりイタリア重視。
某宅配ピザ屋のメニュー裏に記載された試合予定表を見ながらとにもかくにもイタリア戦。
記憶力のいい子供達のことだから出場国全ての国名も国旗も覚えてるし。
子供達なりに応援する国について色々調べてるらしい。
長男は調べてる様子もないんだけど鮮やかな3色旗を書いた横に
「コロッセオとか古い建物がある」とか「ピサの斜塔は倒れそう」とか「ピザやスパゲッティが美味しい」とか。
予選のうちにフランスなんかの強豪が負けちゃったから子供応援団も徐々に減少してって。
で、今日の試合を迎えたってわけ。
前半を終えた段階で1−0で勝ってたしこれ以上就寝が遅くなってもいけないからって長男は睡眠に。
でも延長になって韓国が勝利。
長男には明朝結果を伝えなくちゃいけないんだけどイタリア残念だったなぁ。
ベスト8が出揃ったこれからが本物のサッカーなのかもしれないけど
応援国をなくした日本人サポーター達も長男もガッカリしちゃったんだろうな。



2002年06月17日(月)
プール開き

梅雨に入って連日はっきりしない空模様。
今週から学校の水泳授業が始まるとあって子供達はひたすらお天気を気にしてるし。
昨夜のうちに私も子供達の水着やら帽子の名前を付替えたりと準備万端。
今朝は2人とも検温して押印もOK。
あとは運を天に任せるしかないって感じで。
で、先週のうちから今日のプール開きを前にした子供達には課題が。
去年まではこんな課題なんてなかったはずなのに今年の目標を発表するって。
水泳は授業の一環とは言えお遊び程度って学校もあるらしいけど
子供達の学校ではクリアした課題によって10級から特2級ってのまで存在してて。
試験日に合格した子だけがその証となる帽子につけるラインを手に入れることができるって仕組み。
見た目にも分かりやすいけど結構これが厳しい基準で。
青線3本→黄色線4本→黒線3本→赤線2本で完全制覇。
で、水泳開始を前にして子供達なりに目標を設定することになってた。
去年黒線1本で3級を取得した次男は黒線3本の1級を目指すことに。
これはレベル的には1泳法で50mともう1泳法で100mが泳げるってレベル。
3年生の目標としたらかなりな線だと思うんだけど果たして今年度中にクリアできるかって感じ。
スイミングに通ってるとは言え次男は週1だし真面目に練習してる様子はないし。
で、一方の長男。
去年までに最終段階の特2級まで達成してて目に見える目標設定は難しい。
でもみんなと同じように目標を定めなくちゃいけないから。
しかも今日の5年生のプール開きでクラスを代表して発表するんだって。
これは真剣に考えなくちゃって先週から原稿用紙に向かって先生の添削を受けて。
で、今日は曇天。
次男達の水泳が無事終了していよいよ長男達の番。
学年委員の人が司会となってクラス代表の3人が目標を発表。
1・2組の女子は「○級合格を目指します」ってな内容だったとか。
で、3組を代表して長男。
「僕は4年生までに赤線2本を取って水泳進級表ではこれ以上の目標はないので
より速くより力強くを目標に頑張りたいと思います。水泳は大好きなので休まず参加したいです」って。
担任の先生からもお褒めの言葉。
イベント終了後は泳法毎にみんなで泳いだって。
ゴーグルを持参しなかった長男はKクンに次いで第2位でゴールしたとかしないとか。
この夏も楽しく安全な水泳授業となりますように。



2002年06月16日(日)
父の日のこと

昨日不機嫌だった私は単純にも夕食のすき焼きでほぼ平穏に。
今日は父の日だし疑惑を持ち越しても仕方がないし。
で、今日の我が家はいつものペースで大忙し。
子供達はスカウトの夏の舎営の練習を兼ねて野外料理って予定だったし。
でもそろそろ送って行かなくちゃって9時を過ぎた頃に電話連絡。
雨が降ってきたから今日の活動は中止ってことで慌てて連絡を回して。
ってことで本来別行動予定だったのに子供達も加わって。
先週行った住宅展示場の大手メーカーさんの中で数件
概算見積もりとかラフな設計を頼んでる箇所があったから今日も展示場へお出かけってことで。
でも金曜日から風呂釜の火が着かなくなっちゃったから10時の先約よりお風呂重視。
風呂釜修理も今日の朝1番ってことで10時に我が家に来てくれて。
無事修理も済んでいよいよ展示場に。
約束してた鉄骨の大手からはまあまあの回答あり。
でも引き続きお昼も食べずに別のメーカーさんの展示場に梯子して。
ここでは耐震装置付きの家ってのが建つって言うからその装置を体験するべく八王子からさらに西に移動。
震度7って揺れにもびくともしない免震装置に感動しちゃったりして。
やや心動かされる義母と私。
上りの高速渋滞もあって移動時間が予定外にかかって。
住宅展示場に再び戻ってここでも見積もりと間取りを説明されて。
それにしてもあれこれ欲張ってたら予算を大幅にオーバー。
旦那ったら愛車に被害が及ばないようにってお金がかかるガレージを欲してるし
お風呂だってお相撲さんが入れるくらい広いお風呂にTVなんて言ってるし。
どこかで修正を加えないと大変な財政事情になりかねないかも。
どこでもそうだけど家の相談って時間がかかるものなのよねぇ。
気がつくと6時半を回ってて。
7時までの病院の面会に間に合わないからって急いで退散。
旦那の運転でダッシュで病院に向かって残り5分で滑り込みセーフ。
一応は父の日ってことでプレゼントを手にして。
義父ったらすっかり顔色も良さそう。
今日から5分粥になったとかで来週の土曜日までには何らかの方針が示されるかもって。
手渡したプレゼントは某バーゲンで買い求めてたもの2点。
「退院する時にでも着てね」って薄手の長袖シャツとちょっとしたベスト。
いつものように私がそれなりにラッピングしたからとっても素敵に見えちゃって。
7時の面会終了を告げる放送に追いたてられるように病院を後に。
で、その足で駅前の百貨店でお中元の送付。
旦那にとっても父の日だったからお好みでトンカツ屋さんで夕食。
母の日にエピのキーケースを貰ってたから欲しいプレゼントも探ってみたんだけど
とりあえず「今は思い当たらない」ってことで保留だったし。
帰宅後は子供達の宿題もあったし何だかとっても忙しい1日となりました。



2002年06月15日(土)
出かけない日

本来ならば滅茶苦茶忙しい土曜日。
でも珍しく今日の我が家は特段の予定なし。
旦那に「今日はどうするのぉ?」なんて問いかけても「別にー」ってな感じだし。
長男に朝マックの買い出しを旦那が命じたりして本当にのんびり。
この調子だと今日も数件の展示場巡りなのかしらなんて考えたりして。
で、長男が買い物に出てる間に旦那の携帯にテストメール。
旦那と私ってお互いにiモード対応の機種なのにお互いのアドレスを知らないまま数年。
旦那ったら義母を家族割引の一員にした途端に
自ら進んで義母のアドレスを変更したりと義母には甲斐甲斐しくても私との関係はいつもながら薄くって。
でも同じカメラ付きの機種に変更したこともあってやっぱり連絡が取れた方が便利かも。
ってことで昨晩も私から旦那のアドレスを聞き出した。
もちろん「私にずっと教えないってことは知られない方が都合がいいんだよね」って皮肉たっぷり。
ってな状態だから旦那の言ってた文言を一言一句間違いなく覚えることができなかったらしい。
旦那のアドレスはローマ字で書くより平仮名の方が適切かもって言うくらい和名に近いし。
うろ覚え状態のまま旦那の携帯にテストメール。
ちゃんと発信されたってことは該当するアドレスに届いたってことで。
もちろんいけないこととは知りつつ恐る恐る旦那の携帯を確認する私。
と、私が出したはずのメールは存在しなかったけど知らない女性からの着歴が存在。
慌てて間違いメールを送っちゃった相手に改めてお詫びのメールを送付して。
それにしても旦那も見てない新しいメールは「今日はどうするの?」ってタイトル。
もしかしてこれは由々しき事態かも。
家族であっても封書さえ開封厳禁をモットーとしてる私でさえ禁を破って履歴を確認。
見なければよかったって思ったのは当然。
見ちゃったことに自己嫌悪。
すぐに旦那に短い詫び状。
旦那は私の手紙を読んでもすぐには事が把握できなかったみたい。
やっぱりメールなんか頻繁に活用してないのか「これ今日のメールじゃないじゃない」
「○○の後ろに数字って言ったのに自分が聞いてないからだろ」って。
そう言われてもやっぱり心穏やかじゃないし。
ってなことで今日の私は不機嫌。
旦那に「行動を見ていれば分かる」って言われても心のどこかで少しだけ疑ってるし。
午後からの子供達のスイミングも旦那に付き添いを頼んじゃって私は留守番。
スイミングを終えた子供達と買い物に行くよって誘いの電話があっても
義母だけを誘って私を置き去りにしてたんだしおまけみたいに誘ってくれなくても結構ってお断り。
本当に家から1歩も外に出かけない1日となりました。
自分で勝手に不機嫌になっちゃって私って愚かと反省致しております。



2002年06月14日(金)
祝!決勝進出

いよいよグループリーグも今日で終了。
ってもちろんW杯サッカーのこと。
フランスとかアルゼンチンと言った優勝候補が早くも敗退とかって番狂わせもあったりして。
で、日本チームはすでに決勝進出は決めているものの
今日の試合如何で決勝トーナメントでの対戦相手が大きく異なってくる。
H組を1位で通過すればトルコだし2位になると強豪ブラジルと対戦しなくちゃいけないってことで
何としても今日の試合には勝たなくちゃいけない。
ってこれまでの試合が1勝1分で日本としたら歴史的なのにどんどん欲が出てきちゃって。
観戦する側もどんどん引き込まれちゃうって言うのかTV視聴率なんかも凄くって。
本当に国を挙げて応援してるって感じ。
でも今日の試合は今までと違って平日の勤務時間中。
某自治体ではTV観戦は禁止とか某お役所や大手玩具メーカーでは観戦を容認したとか
試合が始まる前からそんな話題を振り撒いてるってことは勤労者の興味も大ってことで。
で、私も職場でTV観戦を決行。
3時半からのキックオフに合わせて仕事も一時中断。
とりあえず万全な態勢でTVに向かう。
所属部長も別室で完全な観戦態勢だから部下も安心。
こればかりは部長の判断もあるから観戦禁止を支持する部長だとTVに齧りついていられないし。
試合前半はゆっくりペースで大きな動きなし。
と、観戦を妨げる1本の電話。
職場でTVが見られない知人からで先発メンバーと試合経過を電話で教えてって。
こんな大事な一戦が見られないなんて可哀相って思いつつ電話に迷惑したりして。
バイトちゃんが最初に対応したんだけどメンバーの名前も何も分からないから
結局私が対応せざるを得なかったんだし。
ってこのバイトちゃんって新潟で行われたカメルーンの初戦は見に行ったし
どうやら明日のイングランドVSアイルランドの決勝トーナメントを見に行くらしいってのに。
サッカー音痴のバイトちゃんが行っても実は楽しくないんじゃないのかなぁなんて。
さらにもう1本特段用事もない野暮な輩からの電話。
結局90分間の試合中にかかってきた電話はこの2本だけだったから
みんなもしっかり職場観戦だったのかななんて。
後半から投入された2人の活躍で日本がH組1位で決勝トーナメントに進出決定。
本当によく頑張ったって感じ。
試合を重ねる度に上手にたくましくなってるイレブンに大きな拍手。
で、終了のタイミングで旦那から電話。
どうやら早々と自宅に帰って観戦してたらしく「今から買い物行って来る」って。
勝利に浮かれた旦那と義母がオフィシャルグッズ取り扱い店にお買い物。
数分後さらに旦那から電話「お前もユニフォームのレプリカいる?」って。
もちろん丁重にお断りして。
でもそのレプリカは義母が購入したとかで我が家にもブルーのユニフォームが初お目見え。
ついでに次男も公式グッズの中からニックの帽子を購入。
ってあの可愛くない3人のアトー、ニック、キャズってマスコットのうちの青いヤツ。
決勝進出で我が家も経済効果に貢献してるみたいです。



2002年06月13日(木)
連絡網

今度の日曜日は子供達のスカウト活動。
2年生秋までのビーバー隊の時には隊長からFAXが届いたりお手紙が来たりしてたけど
秋の上進式を境にカブ隊の一員になると連絡を回すのも自分たちの仕事。
って言うかこれも訓練。
リーダーから回ってきた連絡事項を子供達だけで伝言ゲームみたいに電話連絡で伝えていく。
集会の日時から始まって持ち物やら服装やら。
大人だって学校連絡網なんかで間違っちゃうこともあるくらいだし要領の悪い子供達はなおさら。
何度も聞き直してメモに書きとって最後に復唱するってパターンで。
傍で聞いていると何をしているのかって不思議になるくらい電話口で笑って進まないこともあるし。
でも長男も次男も上手に伝言ができるようになって来てるってのが正直な感想。
で、少子化でスカウト人口も激減してる昨今。
子供達のカブ隊も例外じゃないから電話連絡網はそんなに大変じゃないはずなのに
それでも順当に進まないのが現実ってことで。
今回も日曜の連絡が次男の元に届いてない。
連絡網って短ければ上手くいく分けじゃないって見本みたい。
子供達の連絡網はリーダーから長男→ヒデくん→ワタル→次男→ユウタ→シロウ。
でリーダーに戻すってパターン。
でもいつもワタルが温存しちゃうのかいつも滞って。
連絡が来ないからって長男とか次男が学校でワタルに問い掛けたり
ヒデくん宅に電話して「ワタルに回したか」って確認をするほど。
活動日が迫ってくるから子供達だって焦っちゃうし
最終ランナーなんかだと連絡がないからって家族の予定を組んじゃう事もある。
で、今回も火曜日に連絡を受けた長男は「持ち物が多いから素早く回して」って
付け加えて連絡を回したのに今夜になってもワタルから次男への連絡はなし。
1晩寝かせて熟成するだけじゃなく2晩も自分の所に温存しておいて。
後続に迷惑がかかるなんてちっとも思ってないのかな。
長男がリーダーと相談して今回は途中から区切ってユウタにも流したから
現時点で連絡が行き渡ってないのは次男だけかもしれないんだけど。
たった4人だけの連絡が回らないなんて。
それにしてもワタルったらこの間の日曜日にも「連絡網は早く回すように」って言われてたのに。
何も感じてないのかなぁ。
電話が鳴る度にワタルかなって待ち焦がれてた次男はヤキモキ。
次男は長男のでまた聞きしてるからいいようなものの
日曜は野外料理で持ち物もいつもと違うから直前で用意ができなかったら困るのに。
何とも責任感が欠如しているような。
ワタルからの電話はなかったけど予期せぬ次男の担任からの電話あり。
当然悪戯ってことでいいお知らせじゃありませんでしたけど。



2002年06月12日(水)
おもゆ

胃の手術から8日目の義父。
相変わらず義母の面会には我侭三昧で昨日も義母は怒って5分で帰宅しちゃったとか。
本人の治ろうって気力が1番大事なのにどんな風に感じているんだろう。
「歩かないと」って義母の言葉に「俺を殺そうってのか」って義父は答えたとか。
義母の顔見せは毎日の日課になってるけどお互いにただ顔を見ておしまいって感じだし。
それでも遅れ馳せながらって感じだけど義父はゆっくり回復傾向。
一昨日私が見舞った時に装着してたお○水の容器も昨日には外れたし。
一気に外すことはできないから月曜日には尿意を催す度に看護婦さんを呼んでたし。
昨日からはカテーテルも外れて大小構わずトイレには徒歩で。
ってことで腸が繋がって出口が回復傾向だから昨日から吸い口を使って水を口に。
一気に飲んだらむせ返ったって。
いくら久しぶりでも焦って口にしなくてもいいのに。
義母の「急いで飲んじゃだめ」って忠告には「自分のことだから分かってる」って憎まれ口。
そして今日からはようやく重湯って段階まで進歩。
義父のことだから「少ない」とか「味気ない」とか文句三昧だろうって予想ができちゃったりして。
それにしても義父ったら「自分の身体だから自分が把握してる」って相変わらず豪語。
私が正直に「胃を半分切ったんだよ」ってお知らせすると
自分は癌で死ぬって言ってる割に「そんなにたくさん切ると思わなかったな」って。
いずれ訪れる告知にどう対応するんだろうってチラと思ったりして。
毎日の傷の消毒の際に手術跡を見ることもないのか
縦に切ってるのか横に切ってるのかとか何針縫ったのかも自分のことなのに無頓着だし。
それでも徐々に抜糸されてることだけは感覚で分かってるみたいだけど。
で、そんな義父でも旦那には従順。
今日も7時までって面会時刻に旦那が間に合ったとかで病棟内をお散歩したらしい。
義母は旦那や私の話しを聞く度に義父の態度を比較しちゃ一段とウンザリ。
この調子だと義父の我侭三昧に義母が切れちゃうかも。
で、義父の入院が我が家の生活形態にも若干の異変がをもたらしてる。
サッカーの試合があるってことも要因だけど7時までの面会を終えた旦那が私より早く帰ってくるんだから。
今日も夕食の準備が整っててラッキー。
義父が退院してからの方が家族は大変かもしれないし
もうしばらくの平穏を満喫しなくちゃいけないわ。
重湯まで到達したってことは退院のメドも立っちゃうのかな。



2002年06月11日(火)
バリバリ

今年度から学習指導要領が変わって週休2日制。
そろそろ軌道に乗ってきたって言うか親もそれなりに受け入れたって言うか。
どこかの都道府県の学校みたいに提出書類だけは6時間授業ってことにして5時間ってこともなく
子供達には負担でもとにかく水曜日以外の平日は6時間授業が連続する毎日だし。
で、ゆとり教育の一環で今年度から子供達の学校には算数のI先生が加入。
算数専門のおじさん先生。
I先生をどう活用するかは学年毎に考えることになってて。
そのI先生が存在しているって理由で次男達の3年生も長男達5年生も
学年を通して一斉に算数の授業って日が設けられてて。
学年全部が算数ってことは教科書とか三角定規って必需品の貸し借りはできないし
教室にある大きな算数教材が足りなくなっちゃうってことも考えられるんだけど
I先生をどう活用するかは学年の先生の考え方次第。
次男達の学年では担任の先生を補佐する形で楽しい算数を教えてくれたり。
で、運動会も終わって授業に落ちつきが出てきたらI先生の本格活用って
学年始めの保護者会で説明されてたけど今週から5年生の算数授業にも変化が。
もちろんI先生をフル活用して子供達の学力を向上させる為。
I先生を投入できる算数授業を4段階の成績で分散させたって。
とりあえず自分のやる気なんかもあるから自己申告らしいけど
バリバリ・きっちり・しっかりってランク別にほぼ20人ずつの配分。
きっちりが上かしっかりが上か長男からの情報は定かじゃないけど真ん中のランクは2クラス。
どのクラスになっても教科書に沿って授業が進むことには変わりがないみたいだけど
当然バリバリクラスになれば応用問題なんかも加わるってことで。
で、長男が選んだのはバリバリクラス。
「途中からクラス変更してもいいんだってさぁ」って本人はお気楽。
担任が担当ってことも授業を楽しめる要因なんだろうけど。
長男達は4年まで40人目いっぱいで2クラスだったのが5年になってから3クラスになって
1クラス30人を切って担任の目が一段と行き届くようになったはずだから
算数だけとは言え能力別授業ってことになるとさらに授業に身が入るかな。
できない子を待ってできる子が退屈しちゃうってこともなさそうだしその逆も回避できそうだし。
とりあえず初の試みだからしばらくは静観することにしようっと。
今学期の授業参観は終わっちゃったけど算数だけでも見たいような。



2002年06月10日(月)
家庭訪問の日

多くの公立小学校では新学期早々に家庭訪問ってのがパターンみたいだけど
子供達の通う学校の年間行事の組み立ては若干違いが。
保護者会・授業参観を経て5月末〜6月初旬の運動会ってのが流れで。
その一連の行事が済んだ6月が家庭訪問月間。
今年度は7日を皮切りに訪問日が設けられてて今日が子供達の該当日。
2人一緒じゃないと2回休むことになるから
事前に双方の担任と入念な調整をした結果が今日の午後。
ってことで私はいつものように午後半休。
万が一の電車の遅れなんかも想定してなるべく遅い時間帯って注文もつけて。
で、電車に乗ってそろそろ最寄駅到着ってタイミングで見知らぬ人からの着信履歴。
こちらからかけ直すとお隣の大ちゃんママで。
どうやら義母が鍵を某所に隠してお見舞いに出なかったから
長男が家に入れずに避難させてもらってるらしい。
本来ならドコモショップに立ち寄って車載の充電器を購入するとか
真っ直ぐ帰宅せずに諸々の所用を終えてから帰宅するはずだったのに残念ながら直帰。
で、自宅まで後5分って辺りで今度は義母から電話。
次男の担任の先生がもう来てるって。
当初は確かに2番目の2時30分頃って予定だったけど連絡帳でやり取りを重ねて4時半になったはずなのに。
炎天下を急いで歩いてるとご近所さんからも「先生来てるわよ」なんて言われたりして。
自宅の目の前には次男の先生。
「事前にお願いして4時半に変更して頂いたんですけど」って私に
「連絡帳でお返事も差し上げたってことですよね」って明らかに先生の間違い。
先生の家庭訪問時間割表を見ると矢印で変更さえなかったから
その連絡事項は完全に忘れられてたのかもしれないけど。
とにかく次の訪問予定も迫ってるから後ほどってことになって担任は一旦退散。
次の人のお宅を聞かれたけど当然知る由もないし。
義母の帰宅でお隣に避難してた長男も無事自宅に入れたし
私は予定通りドコモショップに行ってから義父のお見舞い。
慌てて帰宅して4時半の担任待ちで。
でも家庭訪問の常って言うか遅れ遅れになっているらしく一向に担任は登場しない。
このままだと5時過ぎ予定の長男の担任と重なっちゃうんじゃないかって冷や冷やしながら。
無事に次男の担任が家庭訪問。
長男がお茶なんか出してくれたものの興味深そうに聞き耳を立てたたような。
学習面で親には心配な事案もあるけどお友達と仲良く楽しい学校生活を送ってるってことで。
家庭訪問を終えた次男の担任と玄関前で長男の担任とニアミス。
やっぱり遅れ気味で長男の担任は5時20分到着。
長男のいい面をさらに伸ばすような方針で指導していきたいって。
5年生って微妙な年齢みたいだけど若い担任だからお兄さん的で喋りやすいから
クラス運営もまずまずとかって。
で、長男の担任は3年の次男も所属してる代表委員の顧問。
双方の担任からクロスする形で担任じゃない子供の情報まで聞き出して。
電話が鳴って「じゃこれで」って先生が帰って家庭訪問終了。
例年だと義父母が家の奥に潜んで聞き耳を立ててるんだけど
今年は入院中とそのお見舞いで不在だったからとっても聞きやすかったような。
次男を学童に迎えに行って歯医者に連れて行って充実の午後半休も終了。
時間変更を認識してなかった次男の担任は今日が時の記念日って知らなかったのかな。
夕方からお友達とお食事会に出かけた義母もリフレッシュできたし有意義な半休でした。



2002年06月09日(日)
祝!開通

子供達は朝からスカウト活動。
風は吹いてるけど本当に朝から暑い日曜日で。
そんな真夏のような日差しの中を4.5kmほど歩いて市内にある公園に行くのが今日のプログラム。
いつもは500mlの水筒だけを持たせるんだけど今日はそれに加えて予備に500ml。
とにかく脱水症状やら熱中症にならないようにって。
途中道草しながら2時間ほどかけて目的地に到着。
今日のプログラムも夏キャンプへの第1歩なんだけど体力作りになったかどうかは謎のまま。
帰路はバスも利用して楽チンだったとか。
で、子供達のいない数時間でさえ無駄にしてはいけないから
義母と旦那と私はここ最近のブームとも言える住宅展示場巡り。
展示場って軒数が多くて1回に3〜4軒しか回れないのは先週と同じ。
子供達のお迎えの時間が迫ってたから今回もめぼしい箇所だけ回って終了だし。
もちろん昨日の設計士さんは不動産屋さん経由でお断りすることにしてたし。
一旦子供達を連れ帰って当然のようにシャワー。
ただ歩いただけじゃなくて川で遊んだらしくそのままじゃ行動できない状態なんだから。
しばしの休憩の後みんなで義父のお見舞いに。
義母が連日通ってるんだけど甘えがあるのか我侭三昧だって言うし。
でも週末は旦那と私が加わるから甘えを許さずに厳しく激励。
昨日は初めて頑張って歩いてナースステーションまで呼吸の練習に行ったし。
少しでも歩かないと腸が活性化しないし寝たきりになっちゃうし。
で、昨日の努力が報われたのか今日はガスが出たらしい。
4人部屋にもトイレが1個存在するんだけど1人で満員。
トイレまで自力で歩いて大に挑んだらしい。
祝!腸開通。
虫垂炎の手術でもガスが出るとよかったねーって声が上がるんだし胃の部分摘出だからなおさら。
トイレの個室内に看護婦さんをブザーで呼んで物体を確認してもらったって。
やっぱり少し辛くても歩かないと回復は望めそうにないんだから
本人の今後の努力が回復を左右してるってことで。
とにかく徐々にでも回復してるってことに安堵。
本人も「食べたいから」って食への意欲を口にするようになってるしとりあえず安心かも。
諸々の検査結果を含む告知は来週だろうけど大きな峠は超えたみたいな感じ。
またまたハウジングメーカーに出向いてから帰宅。
手術当日のサッカー観戦は50分待ちの宅配ピザだったけど今夜はお刺身でって。
でも夕方買い物に出向くとすでにお刺身はほぼ完売。
仕方なくうなぎにしちゃったんだけど今夜も家庭観戦ってお宅が多いってことかな。
歴史的1勝に大騒ぎはどこの家庭でも同じだったんじゃないでしょうか。



2002年06月08日(土)
分刻み

何だか週末毎に多忙。
今日も旦那と私は9時半から夏の日差しを浴びながら購入予定地の地盤調査に立ち会って。
本来なら所有権は私達じゃないから土地の引渡しを待たなくちゃいけないんだけど
ちょっとでも早めに事を進めたかったから地主さんには内緒の行動。
機械を地面に落とし入れて地盤の強度を測っていく。
造成地じゃないから全体的には心配なさそうな感じだけど値を持ち帰って検討するから後は結果待ち。
午前中次男は義母と歯医者だし長男は溜まってる宿題を進めてるはず。
お昼に合流して昼食を取ってから再び別行動。
義母達は義父のお見舞い、旦那と私は会計士さん宅へ直行って分刻みの日程。
知人だからって住宅・土地取得に関する税務相談をスイカ1個でお願いしちゃって。
新しい家を建てるからには少しでもお金に賢くならなくちゃいけないし。
一旦帰宅して旦那と義母は在宅。
事前の話しだと不動産屋さんと購入希望予定者が住居周辺を見に来るかもしれないからって。
でも結局購入希望予定者は体調不良で現れず。
私は子供達の水泳の付き添い。
子供達ったらスクールが終了してもマイペースで遊んでて。
次の日程が迫ってるのにお構いなしってその態度に私。
「床屋に行って坊主にして来い」
結局子供達は夏モードのスポーツ狩りにしてきたけど。
子供達が床屋さんに行ってる間に我が家では某ハウジングメーカーの営業者と相談。
そこに依頼するって決めてるわけじゃないけどラフな家の間取りがないと見積もりも出せないし。
私としては公庫融資の範囲でって思ってるけど結構大きな作りになりそうな感じ。
子供達の帰宅後にみんなで合流して義父のお見舞い。
手術を終えて初対面となる義父はベッドの上で顔色も良さそう。
旦那と私とで少しでも歩くようにって叱咤激励して。
で、次なる約束があったからお見舞いもそこそこに退散して不動産屋さんへ。
土地の仲買をしてもらった不動産屋さんには建設部門もあって漏れなく設計もってことだから。
営業さんと建設担当者さん同席で設計士さんから説明を受ける。
でもこの設計士さんったら本当に偉そうで頑固そうで我々の言うことなんかに耳も貸さない。
先週中に不動産屋さんを通じて希望なんかも伝えてたのに
それさえ伝わっていないのか全く勝手に新居構想を考えてきたばかりじゃなく
その場で何を言っても全然って感じ。
依頼者である私達の意見を取り入れてもらえない設計士さんじゃ困るんだってばー。
そこの不動産屋さんを通じて設計してもらっても
偉い先生には設計料をお支払いしなくちゃいけないみたいだし。
義母も旦那も私も口封じをされたみたいにその場ではほとんど質問もできず。
建物って人間性が出ちゃうからどんなに立派な先生でも意思の疎通が大事なのに。
ってことでその後の夕食で3人の意見は一致。
市内で5本の指に入るらしいその偉い先生には明日お断りをすることになりそうです。



2002年06月07日(金)
川遊び

昨日から歯医者さん通いを始めた次男。
剣道の稽古がお休みの今日も自転車で義母と歯医者さん。
無事治療を終えて義母と一緒にスーパーに買い物って段取りだったのに
義母がふと後ろを振りかえると次男は消え去ってて。
買い物に行くには右に曲がるはずの路地を自宅方向に左折しちゃったのかなって義母。
今月中旬の自転車教室まであとわずかとは言え学校で禁止されてる事項なのに。
で、買い物を終えた義母が自宅に近づくと近くの川で子供達がはしゃぐ声。
恐らく次男と同じクラスの悪ガキ3人。
歯医者に行く時に川で遊ぶ3人を目にしていた義母は
予め「絶対に一緒に遊んじゃだめ」って念押ししてたって言うんだから。
それほどまでに彼ら3人の遊び方はダイナミック。
いつも大胆な我が子でさえ足元にも及ばない程豪快なんだから。
雨降りの日の帰宅を目撃したことがあるんだけど水溜りでも構わず歩くなんて序の口。
着ている洋服を脱いで振りまわして雨でビショビショにしてから
さらに水溜りに付けて真っ黒にしてからまた振りまわしてって感じだし。
学校では次男の方がヤンチャ振りを発揮してるけど
自宅周辺での悪戯の度合いは彼らの方が断然群を抜いてる手強い相手だし。
彼らの親はきっと毎日のお洗濯が大変だろうなってちょっと思っちゃう位。
で、義母ったら川の周辺を見渡すと次男がいないことに一瞬は安堵。
何しろ3人衆ったら付近の家の裏側から川まで降りて橋の下まで川を歩いて下ってるんだから。
いくら浅いとは言え汚いし危険だし。
もうしっかり川遊びって決め込んでたらしく長靴のメンバーもいたらしい。
滑って転んで洋服もパンツもびしょ濡れになっちゃって。
ってな具合の3人だったから次男が合流してなかったことにホッとしたらしい。
でも自転車を駐車場に停めようとした義母は結果として裏切られたことに。
川で目にすることはなかったけど次男がその場にいたんだって。
しかもご丁寧に靴も靴下も汚さないようにって配慮から綺麗に揃えて脱いで川遊び。
次男が楽しんだのは義母が買い物を済ませる間の短時間なんだけど
下着も濡れちゃったらしく駐車場でパンツさえも脱ごうとしてたって。
もちろん他の悪ガキ同様に脱いで干すのが目的。
義母にそのまま自宅に連れ戻されて外の水道で汚れを流して。
当然のようにお説教。
安心に見える川だって蛇がいたり危険物が投入されてたりって予測できない事態だってあるし。
義母ったら「この川には主がいて縄張りを荒らすと危険なんだから」
確かに悪ガキの1人は蛇を見かけたって言うけど次男がどの程度信じたかな。
本来なら安全に川遊びができる環境が望ましいんだけど現代っ子には無理な話しだわ。
梅雨入り前だってのに暑いんだから川に飛び込みたくなる気も分かるんだけど。



2002年06月06日(木)
歯医者さん

学校の歯科検診終了後に「要治療」の白い紙を貰ってきてた次男。
先月中に貰ってきてたものの週末毎に多忙で歯医者さんに行かれなかったのが事実。
でもここにきて一気に痛みが増してきてるのか歯の痛みを訴えるようになって。
昨日も夕食途中から歯ブラシなんか用意しちゃってとにかく歯の痛みが気になってた様子。
1箇所大きな穴が空いてるらしい。
大きく開けた口を覗くと向かって左側の上の歯が該当箇所。
長男は虫歯知らずなのに次男ったら定期的に虫歯になっちゃうんだから。
同じ兄弟でも食習慣の違いとかでこんな違いが出ちゃうのねって見本。
で、今週末には通院って思ってたのにとうとう我慢できなくなった次男。
出勤する私に寄り添って登校しながら「1人でも今日は通院する」って決意を披露。
自転車で行かないことを条件に「予約してないんですけど」って行けば大丈夫だからって。
再来週になれば学校で自転車教室が行われて父兄同伴じゃない自転車も解禁になるけど
まだまだ1人じゃ自転車には乗れない次男だから。
所持金が足りないなら「土曜日にお母さんが持ってきます」って言えばいいよって。
長男も3年生頃から目医者さんだって歯医者さんだって1人で行ってるんだけど
次男に限っては心配性の義母が必ず同行しちゃうからまだそのチャンスに恵まれず。
やっぱり下の子ってのはいつになっても幼いイメージのままなんだろうな。
それなりに成長してるんだから遠くから見守ってもいいのに。
で、本来なら学童に通う木曜の今日は自宅に直行。
「僕歯医者さんに行くから学童休んだ」って次男に義母は少し驚いたみたい。
案の定付き添い。
しかもご丁寧に私の携帯に連絡を寄越してくれて。
これでまた次男の一人旅は遠のいたってことだけど。
で、歯医者さんでの治療は明日も行くってことになったみたい。
治療を終えて外に出ると木曜日恒例の鶏の鳴き声。
我が家付近では6時過ぎぐらいに見うける産直の生卵売りのおばちゃんの車が巡回中で。
当然のように次男ったら車に近寄って10個購入。
おばちゃんも顔を覚えててくれたらしく「こっちにも来るの?」って。
義母と次男は帰宅。
で、義母は帰宅してすぐに今日2度目の義父への面会。
昨日よりまた少し良くなってたって。
肺炎を調べる為に車椅子移動でレントゲン室に行ったり。
でも義父の昔語りとか独り言が気になったって。
このまま寝たきりになってボケちゃったらどうしようって。
手術は成功したとは言えまだまだ色々な問題が続々って感じです。



2002年06月05日(水)
着々

昨日の手術から一夜明けてとりあえず義父は順調に回復傾向。
術後の合併症を危惧して念の為仕事を休んでた旦那から連絡が入ったのは10時頃。
「午後には一般病室に移れるらしい」って。
昨日の手術自体は上手く行ったけど単純に高齢ってリスクに加えて
肺機能の低下から肺炎とかって合併症が心配されてたからとりあえず一安心。
術後3日目までが1つの山とも言われてたし。
「普通なら翌日には戻れるけど3日間ぐらい観察室の可能性も」って外科の先生に言われてたから。
観察室にいる時間が長くなればなるほど自発呼吸も難しくなって
肺炎の可能性も大きくなっちゃうって言うから。
義母と旦那は午後から面会。
手術直後だから十分には動けないけど順調な回復にホッとしたって。
昨日観察室で見た酸素吸入はすでに外されてて痰を取り除く管が通されてたって。
もちろん栄養補給とか抗生物質の点滴は3本もついてて痛々しいし
口から出る言葉も「痛い」とかばかりで会話にはならないみたい。
旦那から「7時までの面会時間に間に合うようなら」って言われてたけど
当然そんな時間には帰れなかったから術後の義父に会えるのは恐らく週末。
で、旦那もいるって安心感もあって最寄駅に到着した私は寄り道を決行。
しばらく化粧品の補充もしてなかったからそろそろ足りなくなりそうな物もあったし。
長男から「今どこ?ご飯の準備ができてるから早く帰って来てね」って電話には
買い物中にも関らず「今途中だから」って言葉を濁したし。
数種類の化粧品を購入。
もう1度電話が来たから今度は「足りない化粧品を買って帰るから」って暴露。
でも駅を1歩出たら激しい雷雨。
傘は持ってないしタクシーは行列。
このままじゃ家に帰れないから旦那に迎えに来てもらうことにして。
送迎付きで夕食はできててってなんかとってもラッキー。
義母が「みんな疲れてるから」ってことで焼肉にしてくれてて。
義父の入院と新居って大きな課題を抱えてて休みなしだから疲れが出る頃かな。
で、夕食後は会計士さんと電話連絡。
週末に会うことにしてるんだけど事前に情報を提供しておかないと話しがスムーズに行かないし。
とりあえず義父の病状も家の今後も1歩ずつ前進。
人生万事塞翁が馬って諺じゃないけど人生って波乱万丈だから面白いんだろうな。



2002年06月04日(火)
手術の日

今日は義父の胃がんの手術日。
旦那も私も仕事を休んで義母と一緒に手術に立ち会う予定だし義妹も急いで駆け付ける予定。
もちろん手術を目にすることはできないにしても義母と義父だけじゃ心細いだろうから。
偶然にも朝のワイドショーでは直腸癌の手術から生還した石坂黄門様が元気に出演してて。
年齢と体力差はあるにしても「こんな風に回復すればいいね」って義母と私で。
で、今日の手術は時間未定。
1番最初の患者さんには入室時刻が告げられてるみたいだけどその後は順次お呼び出し。
とりあえず10時頃から家族の人の待機って言われてたから
3人揃って病院前で朝マックで腹ごしらえしてから病室に出向いて。
義父ったらすでにT字帯と手術着を着用して点滴を受けている状態。
看護婦さんに聞いても手術時間はちっとも把握できなくて。
ひたすら待つこと数時間。
お昼の時間になってもまだまだ義父は点滴。
看護婦さんに確認すると手術はまだみたいだからナースセンターに断って病院外に出て昼食。
義妹も横浜から合流して一緒に昼食を取って。
で、病院に戻ってもまだまだって感じ。
4人もスタンバイしてても仕方がないから旦那と私は一旦帰宅して
洗濯物を取り込んだり数時間後に帰宅するであろう子供達に置手紙をしたり。
ってなことをしてたら2時頃義母から「3時から手術で30分前に注射する」って電話。
その間病室には義妹と義父。
看護婦さんが「時計とメガネと入れ歯は外して」って来てくれたらしいんだけど
義父ったら「これも外れるかな」って刺し歯を外そうとしてたんだって。
病室に戻って義妹から聞かされた誰もがお腹を抱えて笑ったし。
さっきまでの水分と電解質の点滴に加えて抗生物質が加わって。
で、いよいよ30分前には肩の所に注射。
3時からの手術で麻酔をすることになるけどその前処理だって。
「少しボーっとするかもしれません」って看護婦さん。
血圧を測って検温して。
義父ったら脇の下に体温計をしっかり挟み込んでいないと見えて何度も検温に失敗して。
3時直前にストレッチャーが病室に登場。
いよいよ手術室に出向くんだけど義父ったら「これ乗るの?」
旦那を始め周囲のみんなが「歩いていく元気があるなら大丈夫だね」って。
2階の手術室には家族は入れないし3階のエレベーター前で義父とはお別れ。
「頑張ってね」って激励にストレッチャーの上で呑気にVサインを送ってたし。
義妹は小学生の子供のこともあったから手術終了を待たずに帰宅。
3時から待つこと2時間。
先生から言われてた2時間の所要時間を経て「先生から説明があります」って呼び出し。
虫垂炎の手術より迅速に処理してもらったってことで。
で、シーンと静まり返った2階の患者説明室に入室。
手術を終えたばかりの執刀医は後処理の最中なのかここで待つ時間がやたらに長く感じられて。
しばらくして切り取った患部を手にした院長先生が登場。
先生の説明を聞きながらシミジミと眺める私達。
結局胃の半分を切除して小腸と胃を繋ぐ手術となったって。
義父の肺の症状を考えて麻酔医とも相談しての手術。
全身麻酔じゃなくて虫垂炎手術と同じ腰椎からの麻酔と痛み止めを併用したって。
摘出した胃は熟れたざくろのようにパックリと口を開けた状態。
胃の両側から押し寄せる癌の襞と固まりが胃全体を圧迫して食べ物を通らなくしてたらしい。
私の知ってる胃ってのは胃袋って言うだけあって柔らかくて綺麗な薄い袋のはずなのに
こぶし大の癌を含むそれは見事に固まってるし出血箇所も見受けられるし。
しかも胃の内面ばかりじゃなく触診して分かった腫瘍は外にボタン状に膨れ上がってるし。
先生曰く「周辺の怪しそうな部位も切除しましたけどすい臓は残しました」
「いずれ本人が回復したら悪性であったことを告げて後は抗がん剤治療で」
ってことは現時点でできる限りの手術はしたものの近い将来異変が起こるってことで。
本人が抗がん剤治療を拒んだらとか色々考えたけど
先生が「家族で一応話し合って見て下さい」って。
とりあえず今日の外科的措置は上手く行ったものの進行癌は半端じゃないってことらしい。
30分後には手術室から観察室に戻れるって言うからまたしばらく待ち時間。
その間同じ階の家族が「北に向けて布団を敷いておいて」って涙ながらに電話してたり。
で、5時半になって予定通りに呼び出しを受けて手術後の義父とご対面。
順調に行けば明日一般病室に戻れるけど肺機能が盤石じゃないからちょっと心配も。
でも旦那も義母も私も生還した義父にとりあえず安堵。
後のことは病院と本人の気力次第だからお任せして帰宅。
旦那は「早く家建てなくちゃな」
義母は「少し元気になったら鹿児島行って来るわ」
って会話だったから口には出さなくても抗がん剤が何を示すかは誰もがきっちり理解してるし。
で、気分を変えて6時キックオフの日本VSベルギーのサッカー観戦。
勝ち点1は歴史的だけど勝てた試合だったって思うと惜しかったかもって手術日なのに不謹慎かしら。



2002年06月03日(月)
水着

子供達より5分ほど早く家を出て出勤途中。
大通りまで出ると小学生の何人かが水着のバッグを持って登校してる。
って学校の水泳授業は今月中旬からのはずなのに。
今日水着を持っていくって何かあるのかしら?
しかも高学年って感じじゃないし見るからに中学年。
まさか次男も必要なんじゃって悪い予感が過ったりして。
でも私が電車に乗るまでの20分ほどの間に何の連絡もなし。
万が一次男も必要なら私が家を出てから数分で連絡があるはずだから大丈夫だったのかな。
なんて思って電車に乗り込んで8時過ぎ。
自宅の義母から慌てた電話。
「○○の黒い水着ってどこにあるのか分からない」
一旦登校した次男が水着忘れに気がついてギリギリで帰って来たらしい。
せめてもっと家に近い所で水着って気がつけば良かったのに。
次男の水着箇所は説明できないから長男がスイミングに使ってる水着で代用してもらうことにして。
今からどんなに学校に急いでも遅刻しちゃうから自転車で送ってもらうことに。
金曜日に連絡帳を持ち帰らなかったから必要な持ち物が分からなかったんだわ。
それにしたって検温表がないんだから水泳じゃないことだけは確かなんだけど。
で、帰宅後。
次男に確認すると今日持って行った水着一式を今度は学校に置き忘れ。
使ったことは確からしいけど一体全体どうなってるっての?
入念に今日の出来事チェック。
すると学校のプールをお掃除しながらヤゴとかアメンボとかって水中の生物を観察&捕獲したらしい。
今日の宿題はしっかりその絵を書くことって。
長男が3年の時にはそんなお掃除なんてなかったから我が家にとっても初体験。
どこの学校でも該当年次の子供達がお掃除してるのかなって今更ながら。
遅れ馳せながら次男の過去の連絡帳を確認すると古い上履きとかって項目も。
去年の夏の水泳授業以来の汚れた水に入るから足下を保護するってことらしい。
水着とタオルは持参した次男だけど靴はどうしたんだろう。
ラッキーなことに滅多に使わない学童の上履きがあったからそれを使ったって。
さらに次男ったら「僕ね、ゴーグルも持っていったんだけどさすがにダメって言われちゃった」
思わず笑っちゃったけどとりあえず見てるだけじゃなかったから良しとしようっと。
プール掃除も終わって学校の水泳授業もいよいよだわ。
再来週からの水泳授業に備えてそろそろ準備もしなくっちゃ。



2002年06月02日(日)
契約の日

先勝の今日は事前に設定した土地の契約日。
本来なら大安とかにしたかったんだけど
いいお日柄の週末はなかったから次善の策で先勝の午前中。
契約に必要な書類の写しは金曜日に手渡されてたから予め目を通して。
約束の10時に遅れちゃいけないから今日も早起き。
で、昨日購入したばかりの携帯電話を見ると0時31分を表示したままですっかり止まっている。
折り畳まれた電話機を開けて画面を見ると真っ黒。
どんなボタン操作さえ効かないなんて。
昨日のお昼に購入した電話だからわずか半日の命だったのねって。
ってなことで契約日の今日はもう1つ仕事が増えて一段と多忙に。
幸いにして昨日からキャンペーン中だから日曜の今日もドコモショップは開いてるし。
でもまずは10時の契約が第一。
入院中の義父以外の一家総出で不動産屋さんにお出かけして。
で、まずは事前に手渡されてた契約に関する諸々の書面の読み合わせ。
宅建主任さんから数枚に渡る書類の説明を受けて。
当然生じる疑問点には即答してもらってスムーズに契約ができるようにって配慮。
「今の家を購入する時にはこんな説明はなかったわ」って義母は驚いてたけど
私にも旦那にも初めての体験だから全てがいい勉強になったりして。
建設条件の諸々から始まって契約が済んでから約束不履行となった場合には
結納じゃないけど手付金の倍の金額を払わなくちゃいけないとかって項目も。
丁寧な説明は1時間近くで終了。
売主さんが合流して初めてご対面。
市の名家一族さんで不動産屋さんを営んでるって紳士だった。
バブル期に一帯を購入したものの売り損ねちゃって8月決算までには売りたかったんだって。
お互いにタイミングがあって売買契約が成立ってことで我が家にとってもラッキー。
契約書に署名捺印をして旦那から小切手を手渡して売買契約終了。
で、旦那名義だけで契約かと思ってたから旦那の印鑑しか持って行かなかったんだけど
旦那と私の名義になるからって別の印鑑での捺印を求められて。
仕方なく義母が持参してた三文判で押すことになっちゃったけど。
とにかく午前中で契約は終了。
売主さんは退散。
私達だけ残って今後の資金内容とか建設の見積もりなんかの相談。
昨日と同様に子供達は腹ペコだったけどその足でドコモに向かって。
昨日と違ってドコモショップは閑散。
すぐに修理係りに応対してもらうとPCのフリーズみたいに固まってたらしい。
購入翌日ってこともあったから交渉して
交換ってことにしてもらったけど利用者負担になりかねないんだって。
またまたかなりの時間を費やして遅目の昼食。
手術前の義父に契約の報告を兼ねてお見舞いに行くことにしてたし
横浜の義妹もお見舞いに来る予定になってたから慌しく病院に向かって。
帰宅したのは夕食間際になっちゃいました。



2002年06月01日(土)
買い換え

買い換えって模索中の新居のことじゃありません。
今日発売になったばかりのカメラ付きの携帯電話。
Jには実績もあるけどドコモでは新登場。
昨日から旦那の頭は買い換えに向かってたらしく
請求書のポイントを確認したりチェックも怠りなしに。
旦那の計画では旦那と私の携帯を一気にそのカメラ付きにするつもりらしい。
某有名芸能人みたいに6〜7年前の第一世代の携帯って人には及ばないけど
503とか504とかってのには興味を示さなかったから旦那も私も数年前の機種だし。
量販店で安く買うってのも方法の1つだけど発売当日だから
量販店でさえも値下がりは期待できないし
それどころか初日だから市中に出まわってないんじゃないかって旦那の意見もあって。
土曜日だってのにお寝坊遅滞は許されず10時にはドコモショップにお出かけ。
とは言っても9時オープンだからすでに場内は溢れんばかりのお客様。
数日前に売り出された新規機種もあるし新規購入&機種変更は30分以上待つらしい。
銀行のように順番待ちのカードを取ってひたすら待ちの態勢。
私達の番号は542番で遥か遠く。
案内のお姉さんにカメラ付きへの機種変である旨告げると2枚の申し込み用紙を手にして。
それにしても待ち時間の長いこと。
その後の日程もあるからって同行してた義母も子供達も飽き加減。
で、そんなに待っちゃうものだから旦那から新たな提案。
今義母が使ってるJを暫定的に長男に渡して新たな家族割引で義母にもドコモって。
義父が入院中だから長男が携帯を持ってくれるってのはあり難いけど
家族割引にしちゃうと支払いは私なのに。
とりあえず義母の使い勝手を考えて最新型じゃない503を選択。
1機種古いから少し安くなってるにしても量販店ほどの値段じゃないから私としては内心渋々。
でも旦那ったら「お金のこともあるから今のうちに優しくしておいた方が」って。
2世帯住居新築の暁に少しでも有利に持ち込みたいって作戦。
入院中の義父は最終的には義母の意見に左右されるから義母をくすぐっておくってことらしい。
ひたすら待って2台の機種変更&新規購入が終了。
結局旦那の言うがままに旦那も私もカメラ付きで色違い。
次の日程が迫ってるからお昼すら食べずに市内にある住宅展示場へと出かけて。
で、次の予定が4時半からの子供達のスイミング。
平行する時間帯に病院で外科医の先生から義父の手術の説明が行われる予定だから大忙しで。
40軒近い住宅が展示されてある会場だけどホンの数軒しか回れずに時間切れ。
子供達をスイミングに送り届けると病院に行ってって分刻みで。
病室の義父も一緒に患者説明室で外科医の先生からのお話。
鮮明に出血してるって判明できる患部画像を目にしながらのご説明。
壁側の画面に向かって右側には義父、義母、私。
左側には外科医と旦那。
当初予定の全身麻酔じゃなく半身麻酔で行うとか
開けてみなくちゃ分からないけど現時点の判断では胃は半分から3分の2の摘出予定とか。
それにしても肺の具合が人並みじゃないから危惧されるって。
義父ったら今更のように「運動しなかったからな」って。
で、「手術開始時間は」って先生がPCを閉める瞬間に所見欄の進行ガンって文字が見えちゃったのよぉ。
もちろんこれは旦那も気がつかなかったみたいだから義父には見えてないって信じたいけど。
ってなことで一段と慌しい週末となりました。