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2001年01月31日(水) ■
説明会其の二

ふとした弾みで2月から進学塾に通うことになった隆之介。
先週の父兄説明会に引き続き本日5時からは子供対象の説明会でした。
昨夜のうちにNバッグに教科書やら家庭学習用の本やら持ち物一覧を完全に準備して
開始の5時に間に合う時間に出かけるように指示して。
このNバッグ、中学受験を目指す子供にとっちゃ憧れの的なのに隆之介にはその自覚なし。
まあそのくらい気負いのない方が力を発揮できるかもしれないけど。
ん十年前に塾生だった旦那が感慨深げにバッグを見て「改善されてるなぁ」って呟いてたわ。
通ってたって言うけど旦那って私立中学じゃないはず。
まあ深くは追求しないようにした方が懸命だけど。
で、今日は全く初めてってことで義母が同行してくれたらしい。
駅を挟んで徒歩20分ってところだけど
来週から独りで通うようになると遊びながら歩くことを考慮して少し早めに出かけなくちゃ。
会場となった塾の教室に集まったのは新4年生104名。
その中には隆之介と同じ学校の児童も5名ほど含まれてたらしい。
親が聞いたのとほぼ同じ内容の説明。
先生が「頭が良くてもちゃんと聞いてないと成績に響く」って言った時に
Y君とT君が一斉に隆之介を指差したって言うから笑っちゃうよ。
でも当の本人は学校での自分とは違った一面を見出そうと結構真面目。
辛うじて入塾できたレベルだから努力のし甲斐もありそうだわ。
帰宅後私に結果を報告する隆之介が開口一番
「お友達もできたし楽しかったよー」って言ったのにはホッとしたわ。
好印象のスタートだとやっぱり違うものねっ。
さて、これからどんな塾生活が待ち構えてるんでしょうか。

昨夜大いなるフェイントをかけてくれた迷惑極まりない義父。
今日私が帰宅したら昨夜と全く変わりない状態の着替えを脱衣場に発見した。
ってことは今日の昼間も入浴しなかったってこと?
今夜入るつもりかしら?
昨夜より入浴の危険性は高まる一方なんだから私の心は揺れ動く。
何としても義父より先に入浴しなくっちゃって焦る焦る。
でも昨夜同様義父に動きなし。
やっぱり着替えの下着を置いたことさえ忘れちゃってる?
10日間隔って記録は不滅なのかしら?
ともあれここしばらくは義父の動向に目が離せない状態です。



2001年01月30日(火) ■
フェイント

いつものようにお風呂のお水を入れ替えての出勤。
そう、このパターンは義父の入浴を語るには欠かせない書き出しです。
私が帰宅すると脱衣場には義父の下着が揃えられてるしお風呂も沸いてる状態。
燃焼時間は10分って設定してある所を見るとやっぱり義父しか考えられない。
湯船に溢れんばかりのお湯が注がれてないだけいつもよりマシって感じかしら。
恐る恐る湯船チェックをすると適温。
お風呂マットは敷かれてるけど湯船や洗面器にギトギト感はない。
今日は義父の入浴日って赤信号が警告を発してる状態の夕刻です。
で、義父を観察するとまだ普段着のまま。
入浴後はさっぱりとパジャマにガウンってパターンだから
とにかく一刻も早く義父より先に入浴を果たさなくっちゃって気合。
義父ってたまにしか入浴しないくせに入るとなると1時間の長風呂になっちゃうから
こう言う状態の時ってどっちが早く入浴するかが勝負だから。
光太朗は宿題を終えたらバタンって熟睡モードに入っちゃってるから夕食さえ食べないし
隆之介もスイミングで疲れて帰って夕食後少し勉強しただけでついに入浴。
その数時間の間に義父に入浴されちゃうんじゃないかってヒヤヒヤドキドキだったのに
義父ったら入浴する気配もなくじっくりTVに釘付けになってた。
とにかく間に合ってよかったわぁってホッとして入浴。
1月に入って私の知る限りじゃ12日、22日の2回しか入浴してないから
義父の後塵を拝するってかなり危険なんだから。
10日間隔とすれば今月中の入浴はないって思ってたからちょっと意外な気もしちゃった。
相変わらず熟睡したままの光太朗を根性で起こして入浴させて。
お風呂に入った頃にようやく目が覚めたから助かったけど。
で、入浴後洗濯機を回してストップした洗濯物を干す段階になっても義父は入浴しない。
下着が置かれてたのはポーズでしかなかったってこと?
今日入らなかったってことはここしばらく戦々恐々とした日々を過ごさなくちゃいけないってことかしら?
全く相変わらず人騒がせな義父です。
でも本人はフェイント掛けたなんて気持ちは微塵もないんだろうな。
入浴しようと下着を置いたことさえ忘れちゃってるような気がしてなりません。



2001年01月29日(月) ■
忘れ物

宿題の算数プリントを学校に忘れた光太朗、夜になってようやく気がついたらしい。
義母が学校に電話をしてくれて2人一緒に取りに行く。
と、1人の年配の男性教諭が職員室のドアを開けて待っててくれたんだって。
7時過ぎだと守衛さんに頼んで宿直室から入らなくちゃならないから
ギリギリ職員室に間に合ったって感じ。
準備されたスリッパを履いて職員室から教室まで取りに戻る光太朗。
待ってる間義母はその教師とあれこれ話してたんだって。
「光太朗君は素直でいい子で・・・
いい面を伸ばすような教育を心がけています」とか何とか言われたらしい。
義母ったらその男性の正体も知らずに適当な相槌。
で、無事算数プリントを取って帰った光太朗と自宅に向かいながら「誰?」って話になったらしい。
もちろんその正体は校長先生。
義母ったらこの間の授業参観でも面識があるはずなのに咄嗟のことで分からなかったのかしら?
それにしても校長先生にまで存在を知られてる光太朗ったらやっぱり大物?
私が帰宅してからも義母ったら光太朗に教えられたことに半信半疑なのか
「年配で眼鏡かけてて」って色々特徴を挙げるから「それはやっぱり校長先生」って私。
校長先生に応対してもらって恐縮だわ。
それにしても誰よりも遅くまで残ってお仕事して下さってた校長先生、
本当にありがとうございました。
これからは忘れ物をしてお手を煩わせないように気をつけさせますです。
で、せっかく教室まで忘れ物を取りに戻ったって言うのに
光太朗ったら給食に使うナプキン袋を取ってくるのを忘れちゃってた。
度重なる忘れ物には給食ぬきで対応しちゃうから。
明日は忘れ物しないように注意させなくちゃ。

隆之介たちの5・6時間目は伝え合いの授業で「マイ・コマーシャル」。
班毎に分かれて自分のPRをしたらしい。
で、何を言おうか散々考えてた隆之介はスキーと剣道のことを中心に話したらしい。
「スキーはJrの3級、剣道は6級を持ってます」って。
ちょっと前まではクラスで唯一の漢字博士とも考えてたらしいけど
満点維持が途絶えたし努力の賜物って分かったらしくそれは断念したんだよね。
スキーにしても剣道にしても正式な資格だからそっちにしたらしい。
お互いを認め合う授業が頻繁に行われてるけど子供たちはどれほど理解してるのかな。
隆之介から他の子の様子が聞き出せなかっただけにちょっと疑問です。



2001年01月28日(日) ■
説明会

1月13日の公開テストからわずかな期間で入塾まで決めちゃった隆之介。
進学塾の新年度は2月からってことで今日は父兄対象の説明会です。
昨日の降雪から一転、いいお天気になって不安定な足元からは解消されて・・・。
って今日も車でお出かけしちゃったんだけど。
同様の父兄説明会は日曜の今日が最終回。
会場となった教室は雪の影響かちょっと寂しい感じ。
平日にも数回開催されてたから親も分散されたってことかな。
で、説明会会場の教室に入ってプールで知り合ったママと偶然会ってお互いにビックリ。
彼女の家からここまでってバスで30分はかかる所にあるんだから。
話をしてるうちに隆之介と同級生の女の子の決意の固さに脱帽したわ。
夏季講習から通っててどうしても入塾の証のNバッグが欲しくて頑張って
英語もピアノも公文も辞めて入塾にかけてるんだって。
もちろんその先には子供心に目指す女子中学があるらしい。
これって親の影響かもしれないけど何にしても我が家とは大違いだわ。
うちなんて学童通いのなくなる来年度からの
有効な放課後の過ごし方の1つくらいにしか考えてなかったんだから。
徒歩で通える塾だからって全く軽い気持ちなのが申し訳ないくらい。
目的意識を持って塾に臨む人の方が多いのかなぁ。
もちろん公立学校の低迷を思うと私学って考えなくもないけどあとは本人の努力とやる気次第だもの。
でも説明が進むにつれ春季・夏季・冬季に行われる講習も必須、
土日にもテストが行われるって聞いてなんだか躊躇してしまった私。
受験戦争を乗り切る代償に子供の楽しみを奪ってしまうなんて悲しいもの。
で、帰宅後隆之介にプールのお友達のママと会ったことを報告。
同じスイミングでも子供同士で特別の仲良しってのは数少なく
かえって待ってる母たちの方が知り合いだったりするから本人は知らなかった。
でも「同じ組の○○君とか●●君も通うんだって」って。
それってクラスの中で話題に上ったってこと?
「○○君が合格したって得意げに話してたから僕も言っちゃった」だって。
辛うじて引っかかった隆之介はみんなとは選別されたクラスが違うはずなのに
そんな大々的に宣伝しちゃって大丈夫なのかな?
競争意識がいいように働いて学力UPに繋がればいいけどねっ。



2001年01月27日(土) ■
どんぐりフェスタ

朝起きると一面の銀世界。
天気予報通りとは言え週末毎の大雪にはウンザリだ。
年が明けてから3回も降雪だなんてまさに記録的。
しかも朝から降り止むことを知らずにひたすら降り続く。
ニュースで見る八王子駅前の様子は雪国そのものを呈してるんだから。
でも、ひたすら降り続く雪などお構いなしで午後から学童にお出かけ。
今日は学童のどんぐりフェスタ開催日です。
第4土曜日とあって学童はお休みの子供たちも開催時刻の1時が近づくにつれて三々五々集合。
長靴で校庭の雪をかき分けながら進んだり雪だまを転がしながら進んだり
とにかく子供たちは大雪が嬉しくて仕方がないって感じ。
私たちは車で乗り付けちゃったんだけどまさに雪国での運転って感じだったものね。
で、1時集合から1時半までは準備時間。
隆之介たち3年生はお化け屋敷の係りで最後の仕上げに忙しそうだったし
光太朗は輪投げコーナーを担当するってことで他の子と前後半の係りなんかを決めてたみたい。
父兄も各コーナーを分担。
いざ開始時刻になると子供たちは首からぶら下げたカードに従って各コーナーを渡り歩く。
全てが手作りの輪投げ、ダーツ、射的、お化け屋敷、くじ引きと引換券を持っての駄菓子のお買い物。
お化け屋敷担当の女子なんか口紅で口裂けお化けみたいに仮装したりで
ホントみんなが力を合わせてるって感じ。
思わず泣き出しちゃった子もいたりしたけどそれなりに楽しかったみたい。
もちろん父兄や兄弟分の引換券も用意されてたから我が家は3人分のお土産付。
雪の1日を楽しく室内で過ごすことができました。
で、フェスタ解散後はいつもの土曜日と同じ子供たちのスイミング。
さすがに道路もプールも空いてたわぁ。
1月最終週の今日はテスト日だったんだけど。
隆之介は先月バタフライの級を合格して今月初めてタイム計測にトライ。
平泳ぎで初挑戦したんだけど無事に標準タイムをクリアしてポイント取得。
この標準タイムって学年毎に設定されててタイムに応じて1ポイントと1.5ポイントに分かれてる。
たくさんのポイントを稼がないと進級できない仕組みだから大変だよね。
光太朗は相変わらずクロールの練習。
再挑戦させてもらったテストもクリアできなかったからまだまだ合格には遠い道のり。
スクールバスでさえ運休になっちゃう日に出かける私たちって・・・。



2001年01月26日(金) ■
脱落

自宅を出て数分ほど。
今日ってもしかしたら漢字テストがある日なんじゃないかなって突然のように脳裏に浮かんだ。
ミュージカルの余波で昨夜の就寝は遅かったし
毎週金曜日のテストは決まったこととあって本人の連絡帳にも記載されてなかったから
ついうっかり練習もさせずに登校させちゃった。
1学期の途中から連続10点更新中のドリルテストももはやこれまでだろう。
通知表に直結するドリルテスト。
1学期はあと1点が足りなくて「よくできる」を逃した隆之介。
悔しさをばねに2学期はクラス唯一の100点満点で先生から漢字博士の認定証をもらったって言うのに。
本人だって練習がいかに大事かって十分に承知してるはず。
応援団の私と本人の頑張りとの二人三脚で頑張ってきた漢字テストなのにぃ。
で、帰宅後すぐに気になってた結果を本人に聞いてみました。
案の定「だめだった」って答え。
10問中2問も間違っちゃったんだって。
2学期の結果を受けて他の級友たちが頑張ってる中でいとも簡単な脱落。
なんとも情けない結果です。
こうなったら漢字博士の名にかけても残りのテストは落とせないよね。
来週からの隆之介の踏ん張りに期待したい所です。

3年生の社会の授業で学ぶ「昔の生活」。
授業参観での体験学習とは別に各自で調べたことを発表することになってたらしい。
隆之介ったらお正月に実家の父に見せてもらった通知表が気になってたと見えて
他の人とは全く違った観点から昔を発表。
食べ物とか暮らしを主体にした発表ばかりの中だったからみんなの注目の的。
ちょっと前に実家から通知表のコピーをFaxしてもらって事前準備もバッチリ。
甲乙丙丁って評価だったことや科目が大きく違ったこと、
書式が今とは大きく異なって身体測定の結果などが記載されてることなどを発表したらしい。
その他にジャンル分けされた中で1番先の発表だったからちょっと緊張したって。
で、当然のようにみんなから「すご〜い」って声。
先生が事前に「甲ばかりで全体のことが分かりにくい」って
密かにアドヴァイスしてくれたから甲乙丙丁って書いた紙も用意したんだもの。
実家の父は公開しちゃだめって渋ってたけどもう何十年も経ってるから時効だよね。



2001年01月25日(木) ■
ミュージカル

早めに会場に向かおうと車を走らせていた私の携帯電話が鳴った。
目指す最終地点は市内某所で行われるミュージカル観劇。
でも行く前に夕食を購入して休憩にでも食べようって段取りだから集合時間には余裕に出発。
なのに突然のO君のママからの電話はO君を一緒に連れて行ってって内容。
もちろん運転中の私は会話せずに隆之介が話の受け渡し役を果たす。
すでに進行方向に向かってた私たちは逆方向に引き返す。
自宅よりもさらに数分。
O君のママは道路まで出てくることもせずO君1人が登場。
傘も持たず上着も着ていない。
隆之介がO君宅に上着を取りに行ってようやく出発。
このロスタイムがあとになってどんな影響をもたらしたことか。
とにかく食料調達を果たそうとドーナツだけは買いに行ったけど
一緒に行ったO君の分も流れから買わざるを得なかったし。
今日のこのミュージカルはふるさときゃらばんって地方周りの劇団の公演。
市のスカウト育成会も後援の一翼を担ってるから私たちにもチケットが回ってきた。
全席自由で前売り2800円のところ個人負担なし。
私は午後半休、子供たちには学童を休ませての観劇です。
「瓶ヶ森の河童(しばてん)」ってお話で涙あり笑いありで自然の尊さを訴えてる。
もちろん河童も登場してるから子供たちは食い入るように見入ってる。
この劇団は下座の見える位置に生楽団がいるのも特徴らしく
隆之介は冒頭のケーナの響きに見せられてたっけ。
大人と子供が対話できるって謳い文句だけあってその描き方はお見事。
決して大人本位でも子供本位でもなく本当に素晴らしい舞台だ。
O君を含めて4人並んで中段後方の正面に面した絶好の位置での観賞。
休憩時間、隆之介は素敵な音色を奏でてくれた奏者に直接声をかけて
楽器の名前を聞いて「素敵」って感想を述べて。
パンフレットでその奏者が音楽全部を手がけた人って知ったのは後の祭。
お腹には少しのドーナツを詰め込んだだけ。
で、終了後外は雨。
当然O君を送っていかなくちゃいけないわけ。
夕食もまだだからO君さえ一緒じゃなければ途中のファミレス立ち寄りも可能なのに送り届けたら9時過ぎ。
その後のファミレスでは子供たちは半分寝てるって感じでした。
当日こちらの都合も考えずにってホント迷惑。
せめて前日にでも連絡してほしかったよ。
我が家の就寝が滅茶苦茶遅くなったことは言うまでもありません。



2001年01月24日(水) ■
ケーキ

職場でのおやつタイム。
「頂き物のケーキがあるから一緒に食べよう」って嬉しいお友達からのお誘いコールです。
誕生日でさえケーキにありつけなかった私の本心を見透かされていたかな。
とにかく喜び勇んでご相伴させていだだくことに。
で、そこに置かれた紙の小箱は紛れもなく1粒500円の高級イチゴや高級バナナと同じお店のもの。
紙箱を開けると背の高いイチゴのショートケーキが2つ可愛く並んでた。
ドライアイスだって普通のお店みたいに箱の上に置くなんてことはなく
台座みたいになってるケーキの下に小さな保冷剤が置いてある丁寧さ。
お皿に移し変えるとなんだか食べるのがもったいないくらいの美しいケーキだ。
思わず採寸してしまった私。
2cmほどのスポンジの上に5cmの厚みのクリームの層、
そしてさらに2cmのスポンジとクリームが乗って最後に大粒のイチゴで高さ12cmもあろうかという代物。
半径は9cmほどで8分の1にカットされた円周部分は約7cmって所かな。
それはそれは見事なイチゴショートでございました。
で、一口食べるとクリームの優しい味わい。
5cmのクリーム層には粒のままのイチゴがふんだんに使われててそれはそれは感激の味。
誕生日に半端なケーキを食べなかったことがより大きな幸せをもたらしてくれたってことみたい。
噂に聞けばこの1カットもかなりのお値段が張るらしい。
家族に内緒で美味しい物を食べるって幸せだわぁ。
美味しい物には目がない子供たちを今からこんな味に慣れさせたら大変だものねっ。

夕食後、子供たちの勉強を見る私。
例の進学塾から入室準備問題集をもらった隆之介は
今まで目にしたことがない新鮮さからか結構興味を示して真面目に取り組んでいる。
国語は十字の真中が抜けた穴埋め二字熟語を作ったりでまさに四角い頭を・・・って感じ。
まだまだ語彙が不足してるから一瞬見ただけじゃ分からなくて辞書を片手に頑張ってたけど。
で、算数問題は三角形の角度や辺の長さを求めたりA*BはA×2+Bって式に当てはめて数値を出したり。
その中に円を等分したものを何等分かって答える問題もあったの。
期せずして隆之介ったら「ケーキを4個に分けたら4分の1、8個に分けたら8分の1」って。
昼間私が食べたケーキを遠くから見てたかのような発言でちょっとドッキリでした。
誕生日ケーキを用意しなかったこと、子供ながらに気にしてたのかもしれないな。



2001年01月23日(火) ■
軟弱?

なんか男って軟弱よねー。
旦那を起こそうと呼びに行ったら「肩が痛くて起きられない」だって。
少しぐらい具合が悪くたって母は寝込むことなんかできないのに。
結局死んだように眠り続け本日お仕事はお休みされたそうな。
で、隆之介。
朝から便が少し緩かった。
とりあえず朝食は食べたもののトイレに駆け込むこと数回。
火曜日はスイミングの日なんだけどお腹の調子が悪くて行って
悪化させちゃったら仕方がないから「具合が悪かったら休んでねっ」って言い残してそれぞれ出勤と登校。
学校に行く時も行ってからもやっぱりお腹の調子は悪かったらしい。
加えて夕べ遅くまでマンガ本を読んでいたせいで寝不足気味。
20分の休み時間には保健室で横になってたらしい。
義母が買い与えた遊戯王のマンガ本、風呂上りにも読んでたから即刻没収しちゃったけど。
で、午後になって私の携帯に隆之介から連絡。
「お腹の調子が悪いし頭も痛かったからプール休んでいい?」って予定通りの内容。
万全な体調じゃなくちゃプールに行かれるはずはない。
無理せず自分の体調と相談して通うのが1番だよってことで当然了承。
隆之介は学童から電話をかけてきたんだけどそのまま放課後は学童に滞在。
いつもは元気に庭駆け回る隆之介もさすがに室内で過ごしたそうな。
今年の風邪はお腹に来るのが特徴だけどこのまま治まってくれるといいな。
昨年末にお腹に来る風邪を体験してるだけに他人事じゃないわ。
今年度欠席0のまま登校してる子供たちがこのまま無事続行できるかどうかの瀬戸際かもしれないな。
学童からの帰宅は隆之介と光太朗2人仲良く。
川沿の通学路を歩いてた時に川面に遊ぶカモを発見したんだって。
で、そのまま見過ごすわけもなく川近くまで降りていったらしい。
風邪を引いて一刻も早く帰らなくちゃいけない隆之介が先行。
後を追った光太朗は転んで手のひらを擦りむいたとか。
危ない遊びをしながら帰宅しちゃいけないって何度言っても上の空。
当然カモには逃げられて近づくこともままならなかったらしいわ。
旦那がお休みしたおかげで私の帰宅時には子供たちの入浴も宿題も済んでたし
しっかり夕食の準備もできてたのはよかったけど。
やっぱり男の人って軟弱過ぎ・・・って言うか私が頑丈なだけかしら?



2001年01月22日(月) ■
誕生日

昨日の誕生会から一夜明けて今日が正真正銘私の誕生日。
慌しい週の始まりで特別なイベントはなし。
旦那からのプレゼントだってすでにもらっちゃってるから誕生日当日はなんだか空虚。
とりあえず「おめでとー」って言葉だけが飛び交った朝です。
当分休日の誕生日って暦に遭遇するチャンスもなさそうだから
ここ数年はこんな感じになるのかなって悲しい予感さえ。
出勤してから時間を見つけて実家の母に電話。
私の誕生日ってことは母の出産記念日でもあって感謝しなくちゃならない日だから。
で、「昔の人って年を重ねる毎に大人ってイメージがあったけど自分じゃ何も変わらないよ」って私。
「10代までに人間形成の基礎ができちゃうから変わらないんだろうね」って母。
肉体は衰えようとも精神が衰えなければ人間は進化し続けるってことかしら。
丈夫な心と体に育ててくれた両親には感謝の念でいっぱいです。
こう考えるようになったってことが私も年を重ねたって証拠かな。
働きながら4人の子供を育てた母にはまだまだ学ぶことがいっぱいです。
で、帰宅。
去年までは義母がケーキを用意してくれてたけど今や当然ケーキもない。
ちょっと寂しすぎって思えるけど仕方ないか。
20日、22日と誕生日続きの1月にケーキを味わえないとは思わなかったけど。
昨日子供たちが「僕たちのお年玉でケーキ買おう」って申し出を却下しなければよかったかなぁ。
でも子供たちに実年齢を公表していない私としては
これで蝋燭の数で年がバレルのを心配しなくてもよくなったってことらしい。
家族全員の干支は知ってても
生まれ年と年齢を深く考えない子供たちのおかげで我が家じゃ旦那と私は年齢不詳。
太い蝋燭と細い蝋燭で判明するチャンスは何度もあったのに。
ってことで未だに私の年齢は子供たちには秘密です。
さて、事前にもらった旦那からの誕生日プレゼント。
ラルフローレンの手袋とスカーフ。
黒の皮革の手袋が欲しいって希望したのは私なんだけどちょっと不満。
買って来てくれた旦那に免じて一応身につけてはみたけれど
手袋って微妙なサイズは本人じゃなくちゃ分からないじゃない。
表示サイズは20cmと妥当なんだけどイマイチしっくりいかないわ。
この手袋がお気に入りになるかどうかは微妙なところです。



2001年01月21日(日) ■
合同誕生会?

昨日の夕方から降り始めた雪で一面銀世界の朝。
で、起床するや否や光太朗ったら楽しみにしてた雪かきにせっせと汗を流す。
クウガ最終回やデジモンよりも雪かきを選択したんだからよほどやりたかったってことよね。
長靴を履いて万全の足元の一方でちゃんと上着を着なかったのがマイナスポイントですけど。
その後本格的に雪かきを始めた義母に吸収されちゃったけど本人は十分楽しめたみたいです。
成人の日に続いての本格的な降雪だけど今年はやっぱり雪が多いのかな?

昨夜は義母がお友達との会食だったこともあってお赤飯はあったものの普段と大差ない夕食だった。
義父の誕生日なのに何故かって?
22日が私の誕生日だから間を取って日曜日の今日みんなで祝おうってことになってたから。
去年の夏食費が別になってから初めての合同誕生会ってことになる。
去年は義父の誕生日にすき焼き材料を準備してたのに本人の希望でピザになって
私の誕生日は結局そのすき焼きって悲しいパターンの誕生日だったんだよなぁ。
義母と旦那で相談して合同ってことになったんだから多くは望むまい。
で、午後から近くのアウトレットにお散歩がてらお買い物。
遅目の昼食を取ってあれこれ買い物していざ夕食って段になって
義父が「具合悪いから帰る」って言い出したのよ。
数件目のお店じゃ車から降りようともしなかったから
「具合が悪いなら車の空気はよくないしお店のトイレに行った方がいい」って言ったら
「歩いて帰る」とまで言ったくせにやっぱり私が運転して送り届けたわ。
子供じゃあるまいし「少し歩いたけど道が分からない」とまで言う偏屈オヤジ。
助手席で生あくびされて気分が悪くなりそうだったのはこっちの方だよ。
無事(?)義父を送るとお寿司屋さんに電話して空席チェック。
実は義父を送る前に「6人で」って電話したら「いっぱい」って断られてた所。
でも送り届けた時間経過と5人になったことですんなりお寿司屋さんに入れちゃったんだ。
合同誕生会の予定だったのが一足早い私の誕生会に急遽変更。
口うるさい義父がいなくなって本当はみんな喜んでたのかも。
カウンターに座って楽しくて美味しい一時を味わってきました。
お会計も全部義母が済ませてくれちゃってなんかラッキー。
義父へも一応「夕食どうする?」って聞いたんだけど
本人が希望しなかったからお土産さえありませんでしたわ。



2001年01月20日(土) ■
授業参観日

今日は子供たちの授業参観日。
全ての授業を参観できるようになっている。
光太朗たちが国語・音楽・生活の3時間、隆之介たち3年生は全てが社会の4時間。
旦那より一足早く学校に到着すると真っ先に1校時目の光太朗を参観。
隆之介たちの社会科は2・3校時の体験学習がメインで
1時間目は打ち合わせで4時間目は後始末と感想って事前に知らされてから。
で、光太朗ったら相変わらず元気いっぱい。
担任に発言を静止されることもしばし。
もう少し周囲が見えるようになるといいのになぁ。
2時間目の音楽は2年生と合同で体育館。
鍵盤ハーモニカをグループごとに上級生に教えてもらって最後に発表って段取り。
寒い体育館に車座になって和気藹々とした授業風景。
傍で聞き耳を澄ますと光太朗ったら結構上手に吹けるんでビックリ。
旦那も合流したら散歩がてらの義母も同行してたんでさらにビックリ。
光太朗なんか義母の顔を見た瞬間それはそれは驚いた顔をしてましたもの。
で、隆之介たちの昔の暮らしの体験学習。
校舎内での洗濯、戦争の話、メンコ、ベーゴマ、竹とんぼ作り、凧作り、お手玉、おはじきと
校庭での毬つき、ビー玉、独楽回し、七輪を使った餅焼き。
父兄やお年よりが快く協力してるそれぞれのコーナーに班毎に参加していく。
でもどこに行っても本当にみんな楽しそうに遊びを吸収してってる感じ。
洗濯コーナーじゃ日頃の特訓の成果が発揮されて隆之介ったら誉められちゃったもん。
初めての体験ばかりだったけどとっても楽しかったみたい。
時間が足りなくて制覇できなかったのが残念だったって。
一方の光太朗の3時間目は「大きくなった私」。
実際に赤ちゃんと遊んだりビデオを見たり。
2月初旬の研究授業もこのテーマで臨むからその前哨戦って感じかな。
で下校した光太朗の教室の掲示物なんかもチェック。
3学期新しい班スタート時にみんなが書いた「見つけたよカード」の1枚に苦笑しちゃいました。
同じ班の女児が「さめちゃんはわがままで可愛くて」って書いていたから。
隆之介たちの感想文も無事書き終わって本日の参観日程は全て終了致しました。

一足早く帰宅した義母が用意してくれてた昼食。
だって今日は義父の72回目の誕生日なんですもの。
IYの冬物一掃セールで購入してた3本ラインメーカーのフリースをプレゼント。
お誕生会は明日まとめてってことらしいです。



2001年01月19日(金) ■
入塾へ

「『この度は合格おめでとうございます。』って何とかって所から電話があったよ。
8時ごろ帰って来るって伝えたけど。」
私の不在中電話を受けた義父からの伝言だった。
もちろんこれは13日に隆之介が公開テストを受けた受けた四角い頭を丸くするって塾から。
この公開テストは新年度の入室テストも兼ねていたから明日の申込日を目前にして勧誘電話だったのかな?
私が帰宅してから再び電話が鳴ることはなかったから先方の意図は定かじゃないけど。
もちろんこのテスト結果については従前より承知していた。
17日の結果発表日は運良くというか運悪くというか
友人のお通夜のお手伝い休暇だったから時間を調整して塾に結果を取りに行ったから。
当然のように惨憺たる結果。
テスト当日帰宅して自己採点させた段階からこのことは明らかだった。
でも新4年生には比較的門戸が広かったらしくそれでも入室は許可されちゃった。
114名が受験して92名が合格って結果が出てたから8割は合格通知を手にしてるってことだ。
当然最高レベルと最低レベルじゃ雲泥の差だけど。
もちろん隆之介は何段階かに分かれた下位クラスに辛うじて引っかかったって程度。
でも初めてのテストで全力発揮とは言えないんだからこの程度の力が出せただけでも立派?
本人は子供心に「合格じゃなかったらどうしよう?!」って思ってたらしいけど。
で、受験するか否かは別問題にして合格したら塾通いさせてみる方針を固めていた。
4年生になると放課後を学童で過ごすことができなくなるし
勉強だっていよいよ難しくなって遊んでばかりじゃいられなくなるから。
旦那が昔々この塾に通った経験があるってことも安易にここに決定した要素。
塾に通えば受験合格が待ってるかどうかも旦那の生き方を見れば明らか。
とにかく放課後少しでも勉強させるための簡単な措置でしかない。
スイミングと剣道に支障のないように塾通い。
こんな半端な気持ちで塾に通わせることを進学塾は当然快くは思わないだろうけど。
入室に要する痛い出費。
これに加えて月々の月謝負担が待ってるんだから少しは気合入れて勉強してほしいな。
それにしても隆之介ったら4年生になると毎日何らかの習い事やら塾で可哀想。
ゆとり教育を実践すればするほど自己負担が増えていく感じだなぁ。



2001年01月18日(木) ■
お葬式

今日はいよいよMちゃんとの最期のお別れの時。
今日の私はお手伝いじゃなく心からのお別れだ。
お焼香で遺影を眺めてこれでもう本当に最期なのねって思ったら涙が溢れてきちゃった。
そして正真正銘のお別れは出棺前のお花を入れる時。
近親者のみで行う場合もあるけどご遺族の了承が出てるからってことでほぼ参列者全員が花を手向けたの。
愛しそうにMちゃんの頬や頭を撫でてお別れするお母さん。
そして遺児となったゆうくんが寝てるパパに飛びつかんばかりの勢いで
抱っこされてるママの腕からパパ目掛けて大きく手を伸ばす。
まるで「パパ一緒に遊ぼうよぉ。寝てないで起きて」とでも言うように。
ゆうくんを残して旅立つMちゃんはさぞかし無念だろうな。
棺の蓋が閉まるまで涙は溢れる一方。
釘を打つ瞬間がさらに嫌なのよねーって思ってたら
今回は蓋を閉めただけで終わっちゃったけど。
出棺の仕方も宗派によって違うのかな。
危篤の報で病院に行った友人は
「病院じゃ管がいっぱいで苦しそうだった。安らかな顔で本当によかった」って男泣き。
みんなに見送られてついに出棺。
人生の儚さを感じずにはいられませんでした。
ホント人生を悔いなく生きなくちゃって。
もちろん数人の友人は火葬場にも同行したし初七日法要までお付き合い。
お通夜に比べて寂しくなりがちの告別式だけど賑やかに見送れてよかったよ。
で、帰宅してから子供たちと人の死について考える。
と言ってもそんなに高尚な話じゃないんだけど。
「もしママが死んじゃったらどうする?」って質問を投げかけてみたわ。
もちろん2人とも「嫌だよ、そんなの」って。
でもそれから少しして光太朗ったら「お墓にいっぱいいろんな物持って行くね」って。
「お酒とビールとチョコレートとケーキと・・・」。
ははは・・・私の好きなものってことでしょう。
こんなに墓前にお供えがあったら幸せよねぇ。
それを聞いてた義母ったら「じゃあおばあちゃんには?」だって。
考えた挙句「じゃあ100本のお花」って光太朗は答えてたわ。
死んでまでこの義父母と同じ墓に入らなくちゃならないのは許しがたいけど。
とにかく今はこの普通の暮らしが1番だなぁって実感。
子供たちを残して逝くなんて考えられないものね。
そう思うとなおさら天国へ旅立ったMちゃんが気の毒でならないな。
今はご冥福を祈るばかりです。



2001年01月17日(水) ■
お通夜

「会ってあげて」
お手伝いのために早めに斎場に着いた私にお母さんが声をかけてくれた。
いつもと変わらぬ笑顔溢れるMちゃんの遺影が掲げられた祭壇前。
白い箱の中にはまるで睡眠中と言った感じの安らかな笑顔のMちゃんが横たわっていた。
「まるで寝てるみたい」「綺麗な顔して」
3日に倒れて一昨日まで生死の境をさ迷ってたなんて信じられない。
お母さんったら一人息子を失った悲しみを顔に出すこともなく
「年末年始に私たちが海外に行ってる間に倒れて・・・慌てて帰国したんだけど・・・信じられない」
「とにかく私たちの帰国までは生きてるようにって頑張っててくれて・・・2週間近くよく頑張ったわ」
「みんなが来てくれて喜んでるわね」って。
2週間近くの闘病で死を覚悟してたのかそれはそれは気丈に振舞ってる。
逆縁となって子供を先に送り出す悲しみは計り知れないはずなのにお父さんもお母さんも懸命な振る舞い。
最期のお別れを精一杯って気持ちが痛いほど伝わってくる。
結婚10年目にしてようやく授かった一粒種のゆうくんも周囲の雰囲気で察知してるのか
お通夜の最中泣きもせず静かにしてるのがかえって哀しい。
ようやくパパって言えるようになった可愛い盛りのこの子を残して旅立つことがどんなに無念だったろう。
僧侶の読経は淡々と。
でもMちゃんの人柄を反映して多くのみんながお別れに来てくれたの。
大学で同じ釜の飯を食ったクラブの仲間は遠方に転勤になってる人を除いてはほぼ全員だし。
誰もが口々に信じられない、若すぎるって。
久しぶりに会った仲間とは学生気分に戻った気分でいろいろな話をしたわぁ。
お清めの席でもMちゃんのためにも賑やかに送ってあげようって。
私たちがこれからを懸命に生きることがMちゃんへの供養になるって。
ってことで久しぶりに再開した友人たちと時間を忘れて献杯。
Mちゃんの人徳で10数年振りに同窓会を開いてくれたように思えてならないわ。
ここ数年の間に頭髪がかなり後退した人もン10Kgも増量しちゃった人もまだ独身の人もそれはそれは多彩。
でもその中で私には「あまり変わりないねぇ」って。
で、これを機に途切れていた糸を繋ぎ合せて名簿の作成をすることになったわ。
これはやっぱりMちゃんのお導きとしか思えない。
今はただ安らかにお休みくださいと祈るばかりです。合掌



2001年01月16日(火) ■
悲報

9時少しを過ぎて携帯電話が鳴り響く。
慌てて電話に出ると大学時代の友人。
「昨日の夜亡くなったんだって」って最悪の知らせが舞い込んできた。
彼女とはお互いの仕事の都合がつく水曜日にでもお見舞いに行こうって相談してたのに
その水曜日が図らずもお通夜になっちゃうなんて。
で、お通夜と告別式の詳細を入手。
こうなると現実問題として直視せざるを得ない。
今までは悪い冗談とも思えたけどこれは紛れもない事実だから。
13人の同期の中で主将を務めた人望のあるMちゃんの死去。
危篤に陥った時にご両親から連絡を受けた男性が中心になってるって言うから取り合えず電話。
両日とも若干のお手伝い要員を募集してたからお通夜のお手伝いに挙手したわ。
ここ数年会うチャンスもなかった人も多く電話で各方面の情報もゲット。
Mちゃんは結婚して10年間も子宝に恵まれなくてようやく授かった子が1歳を過ぎたばかりってこと。
1人っ子のMちゃんがお父さんと一緒に仕事をしてること。
3日に倒れてからず〜っと頑張って生きてたってこと。
それはそれは何ともやりきれない気持ちでいっぱい。
明日のお通夜には多くのみんなが集まってくれるかな。
なんだかまだMちゃんの死が信じられないんだけど。

今度の土曜日は1日授業参観で隆之介たちは昔のことを学習する。
八王子の昔を語れるお年よりにも協力を求めてるし
昔の遊びや生活を教えてくれる大人募集って締め切りは先週までだった。
もちろんうちのG&Bは何1つ語れる人物ではないし私と旦那も光太朗の教室との行き来だから無理。
で、隆之介たちも参観日までの事前学習で昔の暮らしや遊びについて調べたりするらしい。
数日前から洗濯について調べるって言ってたはずなのに
突然今夜遅くになって「通知表にしようかな?」だって。
お正月に実家で見せてもらった父の古い通知表が隆之介の脳裏にあるらしいことはすぐに察知。
「おじいちゃんたちの時代は甲乙丙丁で、ママたちは5段階評価だよ」って言っては見たけど
やっぱり現実を取り寄せるのが一番じゃないかって結論。
慌てて実家に電話を入れたけど明日必着なんてどう考えても無理なこと。
実家の父は成績だけじゃなく健康調査も一緒に記載されてるから渋々。
でも何とか説得して通知表をコピーしてからFAXしてもらいましたわ。
こうまでして入手した通知表がどれほどまでに役に立つのかは疑問ですけど。



2001年01月15日(月) ■
年賀状

今日は1月15日。
去年までだと成人の日の今日がお年玉付年賀葉書の当選発表日だ。
でも今年の抽選は14日の昨日。
やっぱり矢を放つイベントはお休みの日じゃなくっちゃならないらしい。
これが感覚的に定着するのは来年になってからかな。
とはいえ我が家に届いた年賀状の番号にはまだ目を通していないのが現状。
って言うかここ数年確認していなかった気もする。
もしかしたらお宝が埋没したかもしれないわ。
で、抽選日も過ぎたって言うのに友人が年賀状を持参してきた。
それも「あて所に尋ねあたりません」って赤いスタンプが大々的に押されてるもの。
でもその友人男性からは奥様の手書きによる年賀状をもらってるのよ。
これってつまりは意思の疎通の欠如?
奥様も私の同期で寿退職した人だからダブって年賀状を出したってことらしい。
それにしても持参された年賀状をよくよく見てみると郵便番号も住所も全く誤りのない我が家宛。
しかも決して癖字で読みにくいとかそんなんじゃなく全く普通の宛名書き。
こんな完璧な住所なのに宛所に尋ねあたらないってどういうことかしら?
しかもそのスタンプが押された郵便局は大阪は堺。
193で始まる郵便番号は紛れもなく八王子のものなのにどうしたら大阪に運ばれちゃうの?
謎は深まる一方。
高性能を誇るはずの機械で処理された郵便番号の仕分けはこんなに簡単にミスが出ちゃうってこと?
八王子市は省略されてたけどこれは郵便番号7桁導入の際の売りだったんだから何の問題もないはずなのに。
納得できぬまま郵便全般の質問相談を受ける郵便サービス案内センターって所に問い合わせてみたわ。
今回の事例は機械のミスと堺局のダブルミスってことらしい。
機械が処理した局に郵送されても最終確認は人だから
安易にスタンプが押されて返却されるってことはないんだって。
これも年末年始の膨大な年賀状だから起こるトラブルなんだろう。
ちなみに赤いスタンプがでかでかと押された年賀状。
今回は本人の手持ちだったから届いたけど郵便局でもさらに料金を支払えば郵送してくれるらしい。
でも誰がそんなスタンプの押された年賀状をありがたく思うかしら?
郵政事業は確実性が命なのに今回のトラブルでちょっと幻滅だわ。
それにしても今年こそは当たり葉書の確認を怠らないようにしなくっちゃ。



2001年01月14日(日) ■
同期の桜

今日は子供たちのWイベントで朝から多忙な1日。
隆之介は剣道の初稽古で鏡開きだし併せて隆之介も光太朗もスカウトのお餅つき。
あっちに送っては顔を出しこっちに送っては顔を出しで当然私も分身したいくらい。
9時前には2人とも準備万端整えて2人を伴って送迎大作戦。
まずは9時半に身支度を整えて道場集合となる隆之介を送り届ける。
今日の稽古始に間に合うようにきっちりクリーニングをかけた稽古着持参で。
で、少しの時間の合間を利用してスーパーに買出してから10時の光太朗の集合に。
光太朗たちビーバーも隆之介たちカブもその上の人たちも団員が一同に会してのお餅つき。
再び道場に向かわなくちゃいけないから
隊長に光太朗を託す時に「納豆持たせてもいい?」って聞くとその場で了承。
スーパーで買ってきたばかりの納豆持参での餅つきなんて前代未聞かも。
でも納豆餅は誰が名づけたか「光太朗スペシャル」。
他の皆にも味わってもらえて「来年からは納豆用意しておこう」ってさ。
寒さにも負けず臼と杵を使った戸外でのお餅つきは一段と楽しい体験だったみたいです。
初稽古を終えた隆之介たちは道場で味わうお汁粉。
柔剣道のお母さんたちが甲斐甲斐しく働く中に到着した私もご多分に漏れずに働かせていただきました。
年末の昇級試験の賞状やら新しい竹刀なんかももらって隆之介は今年も頑張るぞーって気合十分。
7段に昇格した先生に記念品を差し上げたり全ての予定終了。
慌てて隆之介とお餅つきの会場に向かったけどすっかりお餅つきは終了してました。
2人が持ち帰ったお赤飯とつきたてお餅のお土産はとっても美味しかったわ。
それはそうとそんな忙しい私に届いた悲しい知らせ。
「Mちゃんが入院してる」って。
同じ釜の飯を味わって辛い事も悲しい事も嬉しい事も一緒に味わってきた仲間なのに
3日にくも膜下出血で倒れて死を目前にしてるって友達からの一報だった。
もう手の施しようがなくて会えるうちにお見舞いに行こうって。
なんか信じられない思いでいっぱいだよ。
せっかく子供もできて喜んでた矢先なのに神様の存在を疑っちゃう。
なんとしても今週時間を作ってお別れをして来なくちゃ。
機械的に生かされてるだけでもMちゃんはMちゃんだものね。
って心配しつつも夕方から旦那の進めで気分転換に家族4人でゴジラなんて映画を見ちゃいました。
これってとっても不謹慎?



2001年01月13日(土) ■
オープンテスト

今日は学校のない第2土曜日。
特別に予定もなかったことから隆之介は事前に某塾の公開テストを申し込んでいた。
四角い頭を丸くするって広告で有名な中学受験の為の塾。
もちろん中学受験を視野に入れてるって言うんじゃなくてあくまでもお験し。
日頃勉強を怠けてばかりの本人に認識してほしかったから。
申し込んでいたのは午前9時開始のテスト。
午後からはいつものようにプールだから。
8時半集合となってる試験会場は我が家から徒歩20分あまりの受験塾。
歩いて通えることが受験のきっかけとなったくらいだから。
で、受験生隆之介は試験会場に着いてもやや冷静。
別会場に父母が集められて最近の受験事情などの説明を受けて。
2002年の新学習指導要領実施で学力低下は進む一方ってことらしい。
1971年の要領との比較じゃ小学校全体で1000時間も授業数が激減するんだって。
地方はとにかく都会じゃ公私格差は歴然としてるんだってさ。
国語・算数の2教科でのエントリーも可能だったけど
理科・社会を含めた4教科受験だったから終了は11時過ぎちゃった。
本人は初の試験にもそれほど動揺した様子もなく淡々としてた。
親子ともにアンケートもあってまさに狙われる3年生って感じだったけど。
で、帰宅して答え合わせをさせようとテスト用紙に再び向かわせると・・・
本人に自覚を促そうって思ってたのにこっちが認識を新たにさせられたわ。
国語はまずまずの成績だったけど他の教科は散々だったんだもん。
時間配分も考えなかったから最後の方は白紙だし。
いくら初受験で受験対策が全くだったとしてもこれは許しがたいかも。
テストの内容自体は3年生の授業で習ったことだったのにな。
今日の公開テストの結果次第じゃ入塾も可能なのに可能性さえ断たれた感じ。
間違って入塾が許可されたらやっぱり4年生から塾通いかしら。
4年生になると学童通いからも開放されるから少しは勉強に向かわせなくちゃね。
受験するかどうかって言うより全く勉強しない実態からは脱却させなくちゃ。
で、塾で父兄説明の時に気になることが。
室長はともかく算数担当の先生が「室長がおっしゃいましたように」とかの言葉遣いだし
板書の書き順もいい加減。
子供を預けるには不安な材料だわ。
受験に不必要な知識は全て排除しなくちゃいけないのかなぁ。
人間形成が大事って考える私にはなんとも矛盾する選択になりそうよ。



2001年01月12日(金) ■
50円

帰宅した私を待っていたのは入浴してさっぱりした義父の姿。
大晦日の入浴以来私には初目撃となりました。
2日から6日まで私たちが実家に行ってた間に入浴したのかな?
そうじゃなければ今年初入浴。
実家滞在中に入浴してくれてたことを祈らずにはいられません。
ってことで今夜の入浴はジャンジャンお湯を使ってシャワーで上がり湯。
毎度のことながら義父の入浴って迷惑だわ。

今日から3学期の給食が開始されて安心してちょっとお寝坊。
やっぱりお弁当作りのない朝は幸せだね。
初給食のメニューはスパゲッティだったって。
隆之介たちの給食当番は配分を間違って最初と最後の分量は大きな違いだったらしい。
光太朗は久しぶりの給食に喜んで3番目にお代わりしたんだって。
ママのお弁当の方がおいしくて好きって言いつつも給食も大好きで好き嫌いなしだから嬉しいなっ。
で、帰宅時に近所の薬屋さんの目玉商品をゲットしに買い物に立ち寄り。
薬屋さんって言っても最近のドラッグストアには食品から雑貨から何でも揃ってるから。
で、今日の目玉はなんと50円のM卵1パック。
もちろん目玉商品は1人1パックしか購入できないけど。
これまで私の中での卵の底値と言えば1パック100円が相場だったからここにきて凄い記録更新。
価格破壊が進んでるとはいえこの50円はあまりにも驚異的だ。
価格変動が少ない優秀な卵だってこの値段じゃ2昔前って感じだろう。
もう完全に儲けを度外視して目玉にしてるんだろう。
ちなみに醤油1Lも砂糖1kgも100円が私の購入基準。
先日のTVで底値をノートに明記してた徹底主婦が紹介されてたけどさすがにそこまではしないけど。
でも最近卵だけじゃなくスプーン印のお砂糖も58円だったし記録更新が著しい。
これも居住してる地域的なもの?
にしても専業主婦じゃないのにここまで底値を把握してる私ってなかなかなものかしら?
だからと言って一方的なケチな私じゃありませんことよ。
あぁ、それにしても50円卵もう1パック買いたかったなぁ。
昨日今日2日間限りの目玉商品だったんだけどどうせなら子供も動員すべきだったかしら?
2回連続でレジに並ぶなんておばさん行為ができない私ってまだまだヒヨッコ?



2001年01月11日(木) ■
接触

それはいつものように帰宅を急ぐ私に降りかかった災難。
我が家まで2分って距離で車がぶつかって来たんです。
とは言っても軽く触れただけだから全く害はないけど。
正確な道幅は分からないけど恐らく4mと思われる道路から6mと思われる道路の境じゃ
狭い道に入る前に対向車を待つのが常識的な運転者。
狭い道でも何箇所かすれ違う場所はあるんだけど無理をして突っ込まない方が懸命だから。
で、広い道から狭い道に差し掛かってた車が道路奥にライトを見出したらしく一旦バックしてストップ。
反対方向に右端を歩く私とはすれすれの距離で。
と、対向車を避けようと前進したのよ、その車。
で、私の左腕にドンってその車のドアミラーがぶつかったの。
でも運転手ったら全然気がついてる様子じゃない。
そのまま立ち去られるのもなんだし注意を促そうかと左後部の窓をドンドンって叩いてみた。
でもやっぱり運転手の反応なし。
人の気配に気がついてないって雰囲気。
で、偶然にも助手席のドアロックがなされてなかったから大胆にもドアを開けて抗議してみた。
「車が当たったじゃない!」って。
すると眼鏡をかけた50代と思しきオヤジったら「何に?」。
もちろん「あ・た・し!」。
でもそのオヤジったら「でも前から車が来てたから」って言ったのよ。
「車より歩行者重視なんじゃないの?!」って反撃したけど
本当にこのオヤジったら免許証持ってるのかって疑っちゃうような対応。
一瞬早くこの車がバックしてる時に道路を横断してたら轢かれてたかもしれない。
で、そうまで言っても助手席側に体を起こして「わりー」って言うだけ。
「そう言う時は申し訳ありませんって謝るもの!」って言ってみました。
全然運転者としての自覚がないよなぁ。
対向車を避けるために歩行者轢いちゃっても何とも思わないの?
そうまで言われてもオヤジったら素直に謝るでもなく渋々だったし。
なんかとっても不愉快にさせられちゃった。
結局オヤジは助手席から顔を覗かせて「申し訳ない」って言ってたけどそれは心からじゃないよね。
歩行者の存在にすら気がつかない非常識な運転手にはレッドカードだわ。

昨日からの懸案事項となっていた光太朗の発言暗記。
やっぱり集会での呼びかけ形式だったんだって。
でもあれほど練習したのに度忘れしちゃった光太朗。
隆之介も心配だったって言うけどちょっと可哀想だったかな。



2001年01月10日(水) ■
おやつ

「今日のおやつ何かないかなぁ?」
3時頃になって素敵なおやつはないかと調達を図る私と友人。
職場滞在時間が1日の生活の大半を占める勤め人にとっちゃぁおやつも重要な要素に違いない。
自席付近におやつがなくたって八方手を尽くせば大概何か見つかるって手はず。
で、ついに捜し求めた今日のおやつはバナナとイチゴ。
ただの果物とと思うなかれ。
バナナは一本ずつビニール袋に入ってるし
イチゴは箱に丁寧に梱包されたうえに一粒ずつ丁寧に包まれている全長6cmほどのアイベリー。
さすがに桐の箱には入ってないけど一山いくらって代物とは大きな違いだ。
バナナのビニールには「スティックデリシャスバナナ」の注釈がついててなんとも仰々しい。
ましてや一粒ずつふんわりと包まれたイチゴなんてお初にお目にかかりますって感じ。
このバナナは何度も食したことがあるけどこんなイチゴは初めてよん。
もう嬉しくなってお布団に包まったイチゴ様を味わわせて頂きましたわ。
当然その味格別。
とってもお高い代物なんだろうなぁってそのお店を検索したらあった!あった!
庶民には到底手の出ないお値段でございました。
バナナ1本とイチゴ一粒が同じ値段。
私の日頃のランチを遥かに上回る値段のおやつであったことは間違いありません。

帰宅していつものように子供たちから学校&学童の様子を聞き込み。
隆之介は「宇宙に行きたい」とか大きな夢を書いたんだって。
まだまだ新年新学期の雰囲気ねー。
21世紀だもん、宇宙旅行の夢はきっとかなうといいねっ。
で、光太朗の連絡帳を見ると宿題が課せられてるのに夕食まで遊び呆けてる。
通常の漢字プリントに加えて先生の赤字で「発表する言葉を覚えてくる」ってあるのに。
本人に詳しく聞くと明日の朝会か何かで代表して発言する1人に選ばれちゃったんだって。
それもじゃんけんで。
隆之介はじゃんけんで負けたって言うから全校児童が発言するんだろうな。
本人はその重責も理解してないのかちっとも覚えようとしない。
1文じゃなくて3文もあるから真面目に取り組まないとみんなが困るのにぃ。
いざとなったらカンニング作戦かしら?
夜更けまで旦那に泣きながら特訓させられてたけど明日が心配だなぁ。
新入生を迎える会でも発言者だったし今回も。
じゃんけんに強いのとその積極性はいいけど少しは身の程を知ってくれよ。



2001年01月09日(火) ■
仕事始め

長かった年末年始休暇も終わって今日は仕事始め&子供たちの始業式。
改めまして新年おめでとう&今年もよろしくです。
大雪から一夜明けて今朝の路上は歩くには差し障りがない程度の雪。
道路の端には残ってるけど長靴で登校してる子供たちもいないから
真っ先に家を出た私が途中から「今日は普通の靴で大丈夫」って電話連絡です。
せっかく買った格好いい長靴も登場チャンスを失っちゃってちょっと残念。
で、中央線を都心に向かう私は出勤してビックリ。
川を渡るたびに温度差が生じる現象は学生時代に学んだことだけど職場付近には雪の名残はほとんどない。
都心じゃ1cm、都下じゃ15cmってその差は歴然としてるわけね。
職場では口々に新年のご挨拶。
昨日までの怠惰な生活から一夜にして現実に引き戻されたって感じ。
今年も頑張って両立果たさなくっちゃ。
子供たちはと言えば始業式があったり席替えや班編成があったり。
休み時間には校庭で雪合戦なんかもやったみたいで「やっぱり長靴履いていけばよかったな」だって。
足元の悪い通学路を通る級友は長靴着用だったからこの時とばかりに張り切っていたらしい。
放課後はお弁当持参で学童の予定だったのに昨日の大雪を見た義母が
「早く帰って来ないと心配になるから学童行かないで帰ってきて」って。
その申し出通りに午前中で帰宅させたけど今日の状況だったらその必要もなかったみたい。
帰宅後用意された昼食はおにぎりだけで「やっぱりママのお弁当の方がいい」だって。
早起きしなくて済んだけど子供たちには可哀想な昼食だったな。
で、私の帰宅時。
電車が最寄駅が近づくにつれ雨が強まる感じ。
駅に着くとしっかり雨降りで霙混じり。
傘を持ってなくて家に電話したのに迎えもなく仕方なく濡れて帰ったわ。
一足早く帰宅した旦那も若干濡れたらしいけど。
で、帰宅してビックリ。
私が密かに楽しみにしていたロイズのチョコレートケーキが3分の1もなくなってた。
食材も別になってお互いの物に手出し無用のはずなのに断りもなく食べちゃってぇ。
2cmでも板チョコが買えるくらい高価って知らないから残骸が無残にもお皿の上に。
せっかく通販で取り寄せた大事なチョコなのにG&Bが食べたらしい。
「賞味期限が近いから」って言い訳されたってこれまでを考えたら屁理屈としか思えない。
商品価値を認識してないG&Bには食べる資格はないのになぁ。



2001年01月08日(月) ■
大雪

昨夜から降り続いた今年初の雪は今朝起きたら15cmほど積もってあたり一面銀世界。
まさにどこも彼処も雪で覆われたって感じだ。
こんな朝はゆっくり起きてーなんて甘いことを考えてたのに旦那ったら買い物に行こうって。
確かに今日みたいな日は人出が少なくていいかもしれないけど。
子供たちも「行くぞー」って気合で起こされて。
でもまだ8時過ぎだしどう考えても開店時間にもならないって。
と、子供たちは着替えを済ませると元気に外に飛び出して行ったのよ。
ゴム手袋付けてマフラーしてジャンパー着て雪と戯れる。
雪だるま作ったり雪だま投げたりしてとっても楽しそう。
でも一点難があるのは子供たちの足元。
雨の日でも長靴なんて履かないから長靴ってもの自体を持ち合わせていないから。
18�僂伴禊概膓�な長靴を隆之介に奪われて
光太朗は普通の靴で雪を踏みしめるものだから当然のように足元は徐々に湿り気を帯びていく。
遊びもそこそこ、靴下まで冷たくなってきたらしい。
だから今日の買い物は子供たちの長靴が一番のお目当てだ。
開店時間に近くなって義母も伴ってお出かけ。
靴屋さんであれこれ物色してるとやっぱり同じことを考えた同級生のお母さんと遭遇。
みんなが焦って長靴を目指す。
色違いで丈の長い格好いい長靴を買い求めることができてよかったわ。
これでどんな雨でも雪でもどんと来いって感じよね。
一瞬にしてお気に入りとなった長靴をお店で履き替えてどこでも歩いていってたもん。
靴を買い求めたって言うのに買い物はさらに続行。
で、午前中はまだ除雪されていない駐車場がほとんどで私の車は雪道を掻き分けて進むって感じ。
冬物衣料セールのお店も閑散としてたし。
それと我が家に現存する雪かきシャベルとは別に子供たちが自分たちのがほしいってそれも買い求めに。
あっちこっち買い物のハシゴの冬休み最終日となりましたわ。
もう1つ残っていた光太朗の冬休みの宿題のお手伝いカードなるものは
年末のお餅つきと今日の雪かきで決まり。
子供たちも雪かき手伝いに加勢してくれたのであっという間に終わりましたわ。
それにしても我が家と道路を共有するお隣さんったら引っ越してきてから1度も雪かきしたことがない。
協力なくして生活できないと思うんだけどな。
で、長かった年末年始の休暇も今日で終わっちゃう。
明日から通常生活に戻れるかしらね。



2001年01月07日(日) ■
ついに・・・

実家に行って以来ずっと懸案となっていた光太朗の書初め。
東京の1年生に課せられた文面はわずか5行。
「お正月のあさです。『おめでとう』と、みんなでいいました。ことしもげん気でがんばります」だけ。
実家の父の心も光太朗には通じず本人のやる気を待ってるしかないって心境だったのよね。
で、特別用事のない今日、義母が子供たちを連れてヘルスセンターに出かけることに。
もちろん私は光太朗の宿題が終わってからって譲らない。
前日までに2枚の清書は書いたもののやっぱり出来映えはイマイチ。
なんとしても3枚目はきっちりしたものを仕上げさせたいってことで練習続行。
午前中いっぱい待ってもちっとも進む気配はなく隆之介と義母はイライラ。
1時間おきに駅から出る送迎バスの時間も気になってついに光太朗を待たずに出かけちゃったの。
12時5分の送迎バスに乗るからって。
で、諦め気味の光太朗が休憩を取ってると隆之介から「終わった?」って電話。
出かけたものの案じて電話をくれたらしい。
送迎バスに乗って行く2人に合流するよう現地に光太朗を送り届けることに話は決定。
約束の時間まで30分もないから慌てちゃったけど。
でも光太朗ったら人が変わったかのように全精力を傾けて書初めに臨んだって感じ。
それまで2行書いたもののなかなかはかどらなかったのに残りは気合で一気に仕上げちゃったもん。
今までの蓄積された練習の成果もあってそれはそれは見たこともないような文字でのお清書。
もちろん一発勝負をこの母が許すはずもなく練習に練習を重ねて清書させたんだけど。
ようやく書初めが終わって安堵してお風呂に光太朗を送り届けたわ。
なんという長い道のりだったことか。
お風呂はいつになく混雑してたんだって。
数人のお友達にも遭遇したって。
で、子供たちの目当てはお風呂はともかく付随のゲームセンター。
年末に義母と遊びに来た時にコインをバッチリ稼いでここに預けていってたから
期限切れになる前に再びってことだったらしい。
今日もコインを残して帰ってきたって言うから次回来訪もありかもしれないわ。
で、夕方の迎え時には雪。
珍しく義父も同行して一緒に外食だったから天の神様が驚いてたのかも。
それにしても暖冬予想は何だったんだろう?
立ち往生して乗り捨てられた車を正月早々見るなんて思いもよらなかったわ。



2001年01月06日(土) ■
帰宅

快適な実家での生活も今日でお別れ。
午後からの子供たちのスイミングに間に合うようについに帰宅です。
子供たちからお世話になった両親にお手紙書かせて。
妹、弟それぞれの家に「帰るね」って電話。
また春休みにでも来られるといいねーって言いながら。
で、帰路はさほどじゃないけど途中の渋滞にはまっちゃった。
途中自宅にも「プールに間に合うように帰るねぇ」って電話。
数日間離れただけで孫が恋しくなったとみえて義母の対応がいつになく優しかったとは隆之介の感想。
焦って渋滞は解消されるはずもないけど
カーナビの予測する到着予想時刻はスイミングに若干間に合いそうもなさそう。
2時半からなのに予想通りほんのちょっと遅れての到着となりました。
で、昨年末の進級テストに合格した隆之介は初めての白帽クラス。
今までと全く違ったことを習うので少し戸惑った様子だ。
クロールターンでは体を小さく丸めてないから妙に滑稽に見えたもの。
でも今までみたいに少しずつでも頑張ればきっと上達するはずだよね。
この種の習い事って親の付き添いが当然って思われてるから
働く私には絶対不利なのにホント子供たちったら頑張りやさんだもん。
光太朗は相変わらず同じ級だけどわずかながら確実に進歩してるみたい。
そりゃもちろん同じ年の子の中には滅茶苦茶進級の早い人もいるけど比較しても仕方ないもん。
休みなく頑張って通ってるだけでとりあえず善しとしなくっちゃね。
プールも終わって久しぶりの自宅。
義父には実家の父から預かった干支の置物を手渡して。
年男の義父は父からの無言のメッセージを感じ取ってくれたかしら。
まだまだ頑張りましょうって意味合いだと思うんだけど。
たった2歳と少ししか違わない義父と父なんだけど行動力は雲泥の差だもんね。
子供たちも実家滞在期間に双方の祖父母をそれとなく比較してた感じ。
実家の両親に対しては尊敬の念を抱いてるみたい。
素敵に年を重ねるって見本が存在するだけ幸せかもしれないけど。
年老いた時に見本となる生き方ができるってなかなか難しいってことね。
久しぶりの帰宅で義父母たちが優しく私たちを歓迎してくれてたのがやけに不気味に感じられましたけど。



2001年01月05日(金) ■
脱走

昨日に引き続き光太朗は課題の書初めに取り組む1日。
終わったらフィールドアスレチックに出かけようって予定してたのに全然進める意欲なし。
せっかくの父の厚意も光太朗には響いてないって感じだよね。
光太朗に集中させるべく隆之介は実家の裏庭とも言える大型スーパーに派遣。
ゲームコーナーで1人で時間調整をして帰ってくるようにって。
で、隆之介を送り出してしばらくすると
トイレって席を立ったはずなのにちっとも戻る気配のない光太朗。
家中捜したけどもぬけの殻。
玄関から出たんじゃなくて庭先に靴を運ぶって作戦を練っての脱出だったことも伺える。
時すでに遅しって慌てて裏手のスーパーに足を運ぶと無邪気に遊ぶ2人の姿。
光太朗を捕獲するとすぐに帰宅したけどやっぱり全然やる気なし。
隆之介なんか「早く終わらせてアスレチック行こうよぉ」って退屈そうにしてるのに。
やる気のなさは文字にも現れちゃうから今日も結局清書に至らず。
いつになったら光太朗の書初めは終わるんでしょうね?

今日から2泊3日で東北バス旅行中の実家の両親。
ちょうど運悪く東北地方の大寒波に遭遇しちゃってる。
大手旅行会社から昨日入った連絡では昼食も持参してくれって。
パーキングで昼食休憩だってできそうもないもの。
今日のニュースじゃ東北道は部分的に不通になってるらしいし
無事に目的地まで到着するかどうかも心配だよ。
何の知らせもないのは無事の証拠って言うけど。
今日は花巻温泉泊で明日は男鹿半島でなまはげ見るって強行日程。
去年1年間で60日も旅行で家を不在にしてた両親だから旅慣れてるのが幸いかな。
こんなトラブルにもめげないことが若さの証拠かもしれないわ。
両親不在中もお留守番できる実家っていい環境だわぁ。
やっぱり広い家と恵まれた環境があるだけで人間って豊かな心が持てるのかもしれないわ



2001年01月04日(木) ■
書初め

昨日の疲れなんて誰も感じてないのか今日も1日普段通り。
で、今日の子供たちに課せられたのは冬休みの宿題の書初めです。
狭い自宅じゃ落ち着いて書初めなんかできないし
習字上手な実家の母に教えてもらおうと荷物の中にお習字道具まで持参してるほど。
3年生の隆之介は今年初めての毛筆。
去年も一昨年も硬筆書初めだって実家の母に教えてもらった。
だから隆之介は「野田のおばあちゃんに教えてもらったから字が上手になった」って得意げに話すほど。
初めての毛筆に臨む隆之介と硬筆書初めに初めて臨む光太朗。
2人の面倒を見なくちゃならないって至難の技だけど。
で、最初は隆之介のお習字。
3年生から授業で扱ってるとは言え昔ほど授業数が多いわけじゃない。
なのに課題は「お正月」だし学校から持ち帰った用紙はなんと2枚だけ。
しかもダルマ筆って言って穂先が太くなってるので書くように指導されてる。
これじゃ上手に書けって言う方が無理があるよねぇ。
昔みたいにお習字を習ってる人なんて数えるほどしかいないからどこの家庭でも苦労してるんだろうな。
で、近くのスーパーで用紙を購入。
埼玉判と千葉判ってそれぞれ若干大きさの違うものしかなかったけど
とりあえず練習用ってことにして何回も入念に練習。
最初は戸惑っていた隆之介も母の指導で徐々に上達して見事に「お正月」って書き上げたわ。
名前を書く時に「う」を書くのを忘れちゃって後から付け足したのはご愛嬌。
短時間の練習であれほど上手に書けるなんてやっぱり指導者次第ってことかしら。
で、隆之介に続いては光太朗。
ところが本人に全然やる気が起こらなくて見るに絶えない字らしきものを書きなぐるだけ。
こっちはお清書用紙は3枚あるんだけど
消しゴムはなるべく使わないようにって指示だから真剣そのものじゃなくちゃ書けないはずなのに。
翌日から東北旅行を予定してる両親は夜遅くまで付き合ってくれるわけじゃない。
でも光太朗のことはとっても心配で眠れそうにもない。
で、父が講じた温かさには胸がいっぱいになったわ。
練習用に持って行ってた国語のノートに点々で課題の文面を書き綴ってくれてたの。
それも同じものを3ページ。
「おじいさんが点で書いておいたので字の形を覚えて上手に書いてください」って手紙つき。
光太朗に父の思いが届くかしら?
どこぞのG&Bにも爪の垢を煎じて飲ませたいほどだわ。



2001年01月03日(水) ■
筑波山

「風が強くなってきたのでロープウェイが止まります。ご利用の方はお急ぎ下さい」。
関東の雄・筑波山のほぼ山頂にいる私たちに届いたロープウェイ停止のアナウンス。
ロープウェイは女体山側にあるのに私たちがいるのは峰を隔てた男体山側。
何としても稼動中のロープウェイに乗りたい私たちはそれこそ懸命なダッシュで急ぐ。
1番最初に辿り着いた父がチケットを人数分購入して子供たちと私、母と駆け込み乗車。
私たちの到着を待ってた係りの人がガシャンと施錠して下山開始。
当然風切る音もロープウェイの揺れも半端じゃない。
乗車してる誰もが全長1296mをわずか6分間で降りる行程を何倍もの長さに感じてるって様子だ。
無事麓に到着したものの舞う風の激しさで子供たちは飛ばされそうになるほど。
ここ数年恒例になってる実家の両親との新年の筑波山登山も今年で3回目。
実家の両親と子供たちの3世代で新年の登山ができることほど幸せなことはない。
1年目は筑波山神社の方からケーブルカーで男体山を登り徒歩で降りるルート、
2年目はつつじが丘から徒歩で女体山を登ってロープウェイで降りるルート、
そして3年目の今年は昨年同様に女体山を登って男体山まで詣でて女体山からロープウェイでの下山。
わずか876mの筑波山とは言え、関東地方に唯一そびえるだけあって眺望は見事。
実家を7時半に出発して1時間ほどで現地に到着すると絶好の天気の下歩き出す。
晴れ渡って霞ヶ浦や富士山まで見渡せるほど。
で、女体山から男体山に渡り早めの昼食を取ってると急に風が強くなってきた。
おにぎりを味わいつつも下山の心配もあって急ぐ私たち。
と、冒頭のアナウンスが聞こえてきたからもう大変な騒ぎでした。
無事に下山できたからよかったけど山の天気は変わりやすいって実感。
早朝に登り始めたのが幸いしたよね。
帰路、車で山を降りる時に対抗車線は身動きできないほどの大渋滞。
筑波山神社へ詣でる車がそれこそ何kmにも渡って途切れることがないんだから。
早く行って早く帰った私たちが実家に到着したのはなんと2時半少し前。
今年も無事に行ってこられてよかったね。
実家の両親が健在である限り毎年子供たちとの思い出を刻んでくれそうだわ。

帰宅後しばしの休憩後母がお餅つき。
妹、弟一家も勢揃いして賑やかな新年になりました。
サツマイモ抜きの辛味餅が格別だったことは当然です。



2001年01月02日(火) ■
お雑煮

起床するや否や元旦に届いた年賀状への返事を子供たちに催促する私。
子供たちったらちっともはかどらなくて一向に進まない。
で、朝起きて何も食べずに書いてたから子供たちもお腹が空いてきたのよね。
階下に下りて子供たちが何やら物色する気配。
でも台所で義母とかち合うのも嫌だししばらくそのまま様子を見ていたの。
と、「お雑煮食べなさい」って私を含むみんなに呼びかける義母の声。
何でまた?って思いながら下りると
お正月しか登場しないお椀に綺麗に盛り付けられたお雑煮が人数分揃ってた。
「材料が余ってるから処分してもらわないと」って義母。
我が家のおせち料理は毎年義母の担当。
と言っても専業主婦のくせに決して作るわけじゃなくて全て買い求めるんだけど。
実家の母が年末忙しそうにたくさんの材料と格闘してた姿は幻って感じ。
で、食費が別々になった今年はどんな形式になるかの試金石ってところだった。
ところが年末買い物に出かけた義母ったら「おせち料理買ってきたから半分出して」って一方的な申し出。
年末年始はTDLだし今日から実家に行く予定で家でおせちを食べることなんて想定してなかったから
「食べないのでいいです」って却下したわけ。
買い物に行く前に相談されてたら対応も少しは変わってたかもしれないけど
とにかく買ってきたから半分寄越せって従来の手法には我慢できなかったわけね。
私たちが却下してもどうせ実の子である旦那は手を出すんだからって想定して。
そんな経緯があったので義母も材料が余っちゃうからって理由付けが必要だったんだと思う。
今年初めてみんなで同席しての食事。
たかがお雑煮、されどお雑煮。
今年の我が家の食卓はどんな風景を描くのでしょうか?

夕方から予告通り車を走らせて実家へと急ぐ私。
余りにも到着が遅かったので実家の父から心配して携帯に電話が入ったほど。
で、子供たちが実家の母に要求した夕食はご飯とお味噌汁。
お正月料理より普通の食事の方が数段魅力的ってことらしい。
体裁を整えて形ばかりのおせち料理を買い求める義母に対してほぼ手作りの実母。
子供たちの判定は言うまでもありません。



2001年01月01日(月) ■
祝・新世紀

TDLでのカウントダウンを終えてくたくたになっての帰宅を果たした私たち。
TVでもお馴染みの中央道の新年暴走に遭うこともなく無事の帰宅。
八王子に着いてから逆走するバイクに遭遇したのが最終関門って感じかな。
余力を持て余した暴走族諸君の初日の出暴走、毎年のことだけどどうにかならないかしらね?
で、明け方帰宅した私たちは親子して爆睡。
なのにしばらくすると黒船来襲ばりに義妹一家が我が家に登場した気配。
私たちの新年の眠りを覚ますとはまさに許しがたい行為。
でもお布団の中で様子を伺うとしばらくしたら物音が遠ざかって外出。
いつ帰宅するともわからないからとりあえず入浴しなくちゃって起床。
と、お風呂場を覗くと昨年の最後の入浴が義父だったって名残。
なんと2個のゆずが置き去りになってた。
冬至の日に入浴しなかったから大晦日にゆず湯にしたの?
クイズ設問から途中何度か怪しい気配も察知したけど完璧な入浴はこれで2回ってことね。
疑わしきは罰せずじゃないけどタオルが濡れてただけの日は入浴確定に至らずだわ。
しっかり新年早々お風呂の掃除をして鬼のいぬ間の入浴でした。
子供たちは再入園の希望を持ってたから右手の甲は洗わず終い。
で、義妹たちとの遭遇を避けるべく旦那と4人で初売りにお出かけ。
と思った矢先に敵が帰宅しちゃって義妹の甥たちにお年玉手渡し。
それ以上関わっても煩わしいので一目散にお出かけして7時ごろ帰宅。
で、いつも路駐してる義妹の車を見ると駐車禁止の張り紙があるしチョークで17:30の走り書き。
通報から2時間近く経って駐車違反目前だったの。
自宅に電話してもいないし焦って義母やら義妹の携帯に電話しても一向に連絡もつかない。
ようやく旦那が携帯義妹を捕まえて「急いで車に戻れ」って。
で、車に戻ったはずなのに義父母が帰宅しても義妹とその連れからは何の連絡もなし。
徒歩5分ほどのボーリング場に出かけてたんだって。
駐車違反を心配した私たちの気苦労は何だったの?
義父ったら惚けて「駐車違反ってそんなに大変だったの?だったら1万5千円もらえば?」。
当然義母も義妹支持。
義父母にお年玉も渡したけどなんか後味悪いわぁ。
義妹一家は無事帰宅したらしいけど最後の最後までお礼の一言もありませんでしたわ。
次の路駐を見つけたら私が通報しちゃうから。
でも連泊されるよりは嵐のごとく去ってくれてよかったかもね。