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普通の日記

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2000年06月30日(金)
お休みの日

さめ日記での予告通り今日はお仕事は休暇です。
午前中は小学校の校外委員会に参加。
その足でお中元を送りに行ったり旦那の税金を払いに銀行に行ったり学校の個人面談に行ったり
それはそれは盛り沢山の内容消化の一日となったわけです。
唯一早起きしないで済んだ事ぐらいがこの日のメリット。
校外委員会では7月に行う地区懇談会や自転車点検のことが議題だったんだけど
8グループに分かれて行う分科会の司会になっちゃうし。
とは言っても書記になったらなったで
その日の結果を17日までにお清書して全校生徒に配れるだけの印刷物にしなくちゃいけないから
どっちかと言うと司会の方が楽なはずってことで司会を選択した私。
だって35人ほどの校外委員全てがどれかの担当にならなくちゃいけない状況だったんだもん。
委員会を終えてデパートにお中元を贈りがてら一人優雅なランチタイム。
ここしばらく左肩の痛みを感じてたので通院。
個人面談までの時間調整でウィンドゥショッピングしていたら突然隆之介から携帯に電話。
「家に帰ったら誰もいなくて鍵が開かない。剣道に行かれない」って。
隣のおうちで電話を借りて掛けてきた様子。
駅からワンメーターの自宅までタクシーを飛ばして家に戻って急いで隆之介を警察署に送り届けたわ。
隆之介ったら帰宅後しばらくは誰か帰ってこないかなぁって庭に放水したりしてたらしいんだけど
もっと早く連絡してくれればよかったのにね。
義父母も私が休みって安心しきってたし私も義父母がお出かけって思ってなくて
意思の疎通が行き届かないからこんなことになっちゃったんだけどね。
剣道には遅刻して行ったけどこの日は面とか小手の型なんかも習ったって。
諦めないで行ってよかったね。
送って行ったお陰で隆之介の担任の先生との個人面談には私が遅刻。
隆之介の学校での様子とか色々な話。
心理学専攻の担任の先生曰く隆之介は勉強のことは心配ないけど心がアンバランスって。
義父母との同居で心を痛めてるからかなぁ。
私自身が隆之介と同じような子供だったから心の痛みがわかる気がする。
家族会議を薦められたけどそう言う環境じゃないしとりあえず旦那にだけは相談したわ。
全く子供って生き物は扱いが難しいよね。



2000年06月29日(木)
結婚記念日

実は今日6月29日は私たちの結婚記念日。
全国的に紀子様ブームとなった秋篠宮様の婚礼と同じ10年前の華燭の典だったんです。
金曜日の夕方からの赤坂プリンスでの披露宴だから
列席者は秋篠宮様のパレードを見てからさめちゃんたちの結婚式に集まってくれたの。
花嫁姿のさめちゃんったら緊張の面持ちなど感じられないほど満面の笑顔。
当然この時は義父母とのバトルなんて考えてなかったんだもんね。
ってことで世間で言うところのスィートテンに当たるわけだけど
わがご亭主は転職後のお給料もままならない状態でプレゼントは期待できず。
10周年記念に自分の夏の賞与で大きな買い物してもいい?って聞いて許可も取ってたけど
我が家の財政事情も考慮してそれも貯蓄に回しちゃった。
私から旦那への唯一の願い事は一緒に食事ってことだったんだけど。
いつも帰宅の遅い旦那だから昼食のお誘いでもあるかと思ってたら期待外れ。
帰宅すると義父は珍しく友人と食事にお出かけ。
義母ったら義父の出不精に呆れてて「誘いがないと出かけないし犬の散歩にもでない」って愚痴気味。
で義母曰く出勤前の旦那が今日は結婚記念日だからケーキを買ってきてって義母に頼んでたって。
義母が「今年は40周年」って言ったら「じゃあ合同で海外旅行にでも行こうか」って言ったらしい。
住民税さえ私に肩代わりさせてるくせに旦那ったらそんなお金はどこにあるんじゃ?!
第一、義父母との珍道中はお金を積まれても勘弁してほしいしね。
数年前一緒にハワイに行った時だって何事もおんぶに抱っこでこっちが疲れ切ったし。
いつもと同じように子供たちは義母と早めの夕食。
帰宅した私が夕食を独りで食べてたら突然の旦那のご帰還。
そりゃぁそりゃぁ驚いたのなんのって。
一緒の食事にはならなかったけどケーキを切り分けて一緒に食べて。
う〜〜それにしてもなんか虚しい結婚記念日だこと。
こうなったらやっぱり銀行に預金したお金を使ってぱぁ〜っと気分転換?
と思いつつやっぱりこれは家を買う時の頭金にしたいしな・・・。
ともあれ今日は一日中義父の顔を見ずに済んだってことで貴重な結婚記念日となりました。
あまりにも平々凡々と言うか悲しすぎる10周年当日だわぁ。



2000年06月28日(水)
給食試食会

今日は1年生の父母向けの給食試食会でしたぁ。
学校ではどんな給食を食べているかを入学したばかりのお母さん方に知ってもらうために
実際のその日のメニューを子供たちが食べるのと同じお昼の時間帯に
ランチルームで試食するイベントで毎年この時期恒例の行事。
お母さん方の交流も兼ねて一石二鳥って所です。
でも隆之介の時も超繁忙期で不参加だったし今回も当然のように不参加。
案内文書が届いた時点でだめって決め込んで日時すらしっかり確認しなかったような状態でした。
だから今日試食会があったことは帰宅してからの光太朗との会話で知ったんです。
「今日ねランチルームにお母さんたちが来たんだよ」って言われて「試食会?」って。
「Oクンのお母さんもYクンのお母さんもHちゃんのママも来てたよ」
「いいなぁって思ったよ」って素直に話す光太朗ってホントに可愛い。
保護者会や授業参観は休暇を取って必ず参加してる私にすれば
給食試食会ごときで休暇を使っちゃ惜しいって計算が働いてたんだけど
「おばあちゃんでも来てほしかった」とまで言う程じゃ心底誰かに参加してほしかったんだろうな。
始めからこんな光太朗の気持ちを知っていれば休暇を使うことだって惜しくなかったのに。
でも隆之介の時にも参加してないのに光太朗だけに参加すると今度は隆之介がひがむし
学校行事への参加貢献も適度に消化しないと喧嘩の原因になりそう。
次回学校行事はすっかり幽霊化してる校外委員会への参加。
30日は休暇を取って校外委員の皆様に顔見世してまいります。

担任の先生不在の26日に繭の糸取り学習をした隆之介たち。
先生からいつもの学級通信が届きました。
隆之介の説明通り繭を茹で上げて機械にかけて糸取りしたことが記述されてて今回も数名の作文あり。
班ごとに繭から糸を取るのに機械を回した数と取れた長さなんかも書かれている。
あんな小さな1個の繭から短くて900m、長いものでは2kmもの絹糸が取れたって。
蚕の不思議さと自分たちが可愛がっていた蚕の命のはかなさを感じてくれたみたい。
隆之介は2年生の町探検でたくさんの絹糸が干してあるのも見たことがあったから
役に立つ動物ってことを再認識したみたいだし。
蚕の飼育学習を通じてみんないろんなことを学んだんだよね。



2000年06月27日(火)
住民税

給与所得者である私は毎月のお給料で健康保険料やら厚生年金保険やら市町村民税やらを天引きされている。
その額10万円以上。
40歳以上になるとこれに加えて介護保険も引かれるのよねぇ。
全く給与明細の控除項目とその額を見るたびにがっかりです。
引かれるってことは所得が多いことなんて思うべからず。
働く主婦は自分の税金は自分で納めてるんだから
旦那様に肩代わりしてもらってる専業主婦は優遇されてることを認識すべきです。
んで我が家の旦那様ったら今春転職して今のところ給与から天引きされていない状態。
つい最近6月末と納期の迫った住民税の納付書が自宅に届いて慌ててた。
だって去年まで勤めてた税率で年4回に分けて払う義務が生じちゃってるんだから。
転職した会社は今のところ軌道に乗っていないのか給与も遅配気味らしい。
らしいって言うのが私的って言うか、
給与はお互いに関知しないって暗黙の了解になってるから双方とも知らないんです。
旦那は私の所得なんか知らないし私も旦那のお金の動きを知らない。
お互いに知ろうともしないって言った方がいいのかも。
でもどうやら遅配が続いて身動きが取れない状態であるような気配なのよねぇ。
こんな状況でも月々の年貢(つまりは生活費)は義母にキチンと渡してる私。
旦那が自分の仕事がまだ軌道に乗っていないって私と義父母にキチンと説明してくれれば
年貢取立てだって少しは緩和されるかもしれないのに。
ってことで転職当初の予想通り今現在の我が家の大黒柱は私です。
転職には危険もつき物って賭けを承知で転職したんだから仕方ないけどね。
それにしても納付期日の迫った旦那の住民税どうしようかなぁ。
自分自身がすでに住民税払ってるし
納税は国民の義務なんだから旦那の分を立て替えておくのもいやだなぁ。
でも待てよ。
ここは健気な妻を演じて旦那に恩を売るっていう手もあるぞ。
期限が過ぎて延滞金でも生じてきたら状況は悪化する一方だし
翌月になったら督促状、さらには催促状とかも舞い込むことになるんでしょ。
それでも納税しないと納税課の戸別訪問が待ってるって言うし財産差押えって事態にもなりかねないって。
こんなことなら再就職しないで失業保険でももらってた方がよっぽどよかったかも?
今回ばかりは目を瞑ってよき理解者って顔して納税しておこうかな。
でも来春の所得税の納付も私だったら勘弁だわ。




2000年06月26日(月)
週末のこと/先生がいない日

--週末のこと--

国民の審判を仰ぐ衆議院選挙の投開票日となったこの週末も我が家はネタ満載となりました。
選挙結果のTV鑑賞でちょっと睡眠不足気味だけど頑張って日記書かなくちゃね。

土曜日、義母のご機嫌は最悪状態です。
野球はジャイアンツ、サッカーはヴェルディと
ミーハーとも思えるほどの熱烈応援をしている義母が1番力を入れているのがバレーボールだからです。
なんでも若かりし頃は自分もバレーの選手だったとか。
TVに噛り付いて観戦しています。
万が一不利な状態に落ち込むと傍にいる子供たちのせいにされたりするので私たちは早々と退散。
バレーボールが五輪出場をかけた際どい状態でいることなんか知らん振りです。
でも終わってみれば初めて逃した五輪出場。
義母のストレスが溜まってるのはこんなことで一喜一憂しているからに違いありません。
もっと楽しくスポーツ観戦しなくちゃね。
それにしても我が家ではしばらくバレーボールのことはタブーになりそうです。
ジャイアンツの連勝もストップしちゃったし義母のご機嫌はダブルで最悪ぅ。

日曜は子供たちはスカウト活動。
光太朗は10時集合で隕石やプラネタリウムを見に隣接市の博物館へ。
お握り持参で解散時刻は3時。
隆之介は9時集合で隊集会。
この日は組の旗を作るプログラムなのでお昼にて終了。
途中11時からは夏のキャンプの父兄説明会があったのでこれには私も合流です。
光太朗を集合地に送りがてら義父母と旦那と私は投票所へ。
これまで体験したことのない行列にビックリしちゃった。
結局この人たちの票は民主に流れたことが後で判明したけれど。
んで投票を終えた4人でファミレスのモーニング食べてそれぞれに分散。
旦那は義父母の意向も聞いてG1の宝塚記念の勝馬投票権を買いに
義父母はのんびりと休日をパチンコ屋さんで過ごしたらしい。
当り馬券は配当金だけを目安に買った義母に微笑み。
この日の義母は競馬もパチンコも大当たりで物凄い収入だったらしい。
夕食の焼肉やさんで家族にそのほとんどを放出してくれたからまあいいとするかな。
もちろん焼肉は旦那が焼く係、子供たちが食べる係って図式には変わりありません。


--先生がいない日--


カレンダーに「り・こ」と印のされた今日は2人揃ってプール予定日です。
検温して準備万端で登校したけど鬱陶しいお天気続きで今日もプール授業はなし。
子供たちは少しガッカリ気味です。

隆之介のクラス担任の先生、今日はなぜかお休みです。
教師って年間休暇なんてあってなきに等しいよね。
自分の都合で休むなんて年間どれくらいあるのかしら?
具合でも悪いのかと子供たちも心配そう。
とにかく今日は先生の滅多にないお休みの日です。
1時間目は図書の先生が教室に来てくれて国語のプリント学習。
2〜4時間目は理科室で繭から糸を取る授業です。
すっかり皆さんへのご報告忘れちゃったけど以前から飼育してた蚕は無事に繭つまり蛹になったんです。
個人の希望でそのまま蚕蛾にしてもよし、糸を取ってもよしってことで隆之介の選択は蛾の方。
だから理科室での糸取り実験は班の他の子の繭を使ってです。
機械を回すこと2300回。(・・・って隆之介の話のまま)
見事な絹糸が取れたみたいです。
蛾への変態観察よりも糸の方がいいかもって私的?
それともこのまま繭細工なんかにはできないものなのかしら?
ここ数日中には蛾に孵りそうな気配だしそうなるとまた糸くずみたいな幼虫から飼育しなくちゃいけないでしょ。
誰か中の蛹の生息を止めて繭細工にする方法なんか知らないかしら?
昼食を挟んで5時間目は図工の授業。
学校の図工室って高学年じゃないと使っちゃいけないことになってるけど今日は特別。
図工の先生と一緒にカッターの使い方を習ったり木工細工をしたり。
担任の先生とじゃなかなか経験できないような1日に隆之介は大満足。
先生には悪いけどたまには刺激的なこんな1日も楽しいみたいです。

帰宅した隆之介から繭の行方の説明を受けた義母。
繭から蛾が出てくるなんて想像すらしていなかったらしい。
昆虫を飼育した経験がなさそうな気配。
そう言えば以前光太朗がアゲハチョウの幼虫をたくさん捕まえてきた時にも
蛹になりかけた青虫が壁に張り付いて動かなくなってるのを
剥がして捨てようとして中身が飛び出たこともあったっけ。
男の子を持つ母だったらある程度の知識はあると思うんだけどなぁ。
虫飼育はひたすら私と子供たちの担当。
自分で責任持てってのが口実で義母に教育された旦那も熟知してなかったら?
あまり深く追求しないようにしなくちゃね。



2000年06月23日(金)
教育ママ?

昨日ギターコンサートが催された隆之介、宿題に作文が出されてた。
本人はいつものようにすっかりそれを忘れてて就寝前にランドセルを確認した私が発見。
焦った様子で「明日早起きしてやる」って断言。
書きかけの作文は的を得ないほどいい加減に書かれてるしどうしたってこれは書き直し。
隆之介と相談して5時前に目覚まし時計をセットして寝たんです。
ブタ君の目覚ましが「朝ー、朝ー、もう朝ー、お昼でも朝ー夜でも朝ー」って大声で叫んで母子して起床。
隆之介には下書きしてから書くように指導してなかなかって文章が書けました。
早起きしすぎて途中からはハラペコ状態。
お清書終了まではとにかく作文に専念させて登校時刻にギリギリセーフです。
隣の大ちゃんと光太朗には先に登校してもらって朝食も食べて。
先生が全員の作文に目を通して学級通信に掲載された4作品。
すっごく気合が入ってる先生で学級通信はすでに23号。
様々な局面で学級通信を発行してくれて学年末には全てを製本するって。
んで今回初めて隆之介の作文も掲載。
本人はもちろん頑張ったから嬉しそうだったけど私としてもかなりの感慨です。

幽霊校外委員の私にも学区内で痴漢が出たって電話連絡あり。
なんと我が家の近くで露出狂が小学生の女児に××を見せたって。
家の近所ってことはパトロール強化って事態になったらますます幽霊校外委員になりかねないわ。
そう言えば校外委員の中では私はかなり特殊な存在らしい。
だって今までに1度も会議に出席してないんだからそれも当然。
すっかり幽霊化してるけど委員長とか他の人の理解でどうにか乗り切っている。
書記のUさんなんて「会って話がしたいわ」なんて言うしかなり興味の的ってことかしら。
委員長のHさんは光太朗の同級生のママだから話も弾むこと。
「ところでさめちゃんって教育ママなんだって?!」って言われてビックリしたわ。
隆之介のお友達のママ経由でそんな話が耳に入ったらしい。
私「?」「日記は毎日書かせてるけど教育ママじゃないよ」
「教育ママだったらうちの子みたいなノビノビした子に育たない」って言葉にHさんも笑って納得。
働いてていつ日記書かせてるのかとか色々聞かれたけど
子供たちには他の勉強らしい勉強は一切させてないんだからある程度は可能だよね。
こんなんで教育ママって言われちゃうんだなぁってなんか変な感じだよ。



2000年06月22日(木)
ギターコンサート

今日がプールの隆之介、昨晩になってプールカードを学校に置き忘れてることが発覚。
プールの日に検温を始め健康状態をチェックしていく表でこれがないとプールには入れないと言う代物だ。
昨夜も一度は学校に取りに行かせようと思ったけど時既に遅し。
本人にプールを諦めるように言い聞かせてたんだけど今朝になって最終手段を伝授したわ。
とりあえず検温したら36.1℃。
検温メモとハンコとボールペンを持参し誰にも分からないように記入するという究極の方法。
この方法は光太朗には無理だけど隆之介だったら大丈夫だものね。
本人も趣旨を理解して密かに決行。
無事にプールに入れてホッとしたみたい。
この所の暑さ続きだからプール見学なんて悲しすぎるものね。
もちろん今日はプールカードを持ち帰ったことは言うまでもありません。

3年生が音楽室に集合して始まったスペシャルギターコンサート。
田中ケンさんってギタリストがギターの名曲を披露してくれたらしい。
もちろん1曲目は定番の「禁じられた遊び」。
担任の先生のリコーダーとの合奏もあったりしてたった5曲だけど満喫したらしい。
見事な指使いに隆之介はびっくりしてたわ。
最近じゃ本物志向というか学校でこんな形態の授業をしてくれるのねぇ。
まさに音を楽しむの実践。
田中さんに質問コーナーとかもあったらしくて「年齢は37歳って言ってたよぉ」。
3年生みんなでお礼の気持ちをこめて歌を披露したりもしたんだって。
なんかとっても楽しそうな授業の様子が浮かんでくるよ。
静かにギター演奏を楽しんだらしいしこれからもいろんな世界を垣間見てほしいな。
こういうチャンスを作ってくれる学校ってホントありがたいです。
家で隆之介が田中ケンさんのギターコンサートの話をしたら義母ったら俳優の田中健って勘違い。
「その人知ってる」って言って隆之介に嘘吐き呼ばわり。
俳優の田中健が得意な楽器は南米のケーナって楽器だし学校ドサ周りなんかしないもんね。

少し前からぐらついてた光太朗の上前歯が今夜やっと抜けましたぁ。
本人も食べづらそうにしてたからちょっと安心したみたい。
私の帰宅以前に抜けた歯をティッシュに包んで丁寧に見せてくれたもん。
これで2本目。
永久歯も虫歯にしないように注意しなくちゃね。



2000年06月21日(水)
寝不足

梅雨の晴れ間が続くここ数日、夏本番を思わせる暑さが続きます。
ただでさえ寝苦しい夜なのに我々の寝室への侵入者のせいで寝不足です。
ここで言う我々ってのは私と旦那じゃなくて私と子供たち。
旦那は1人で悠々と別室でお休みですから。
昨夜も用事を一通り終えて12時頃就寝。
すでに熟睡中の子供たちは暑くて何も掛けない状態。
あっちにゴロゴロ、こっちにゴロゴロ。
睡魔に襲われた私がようやく寝入ったと思いきや耳元でウィ〜ンという蚊の羽音。
それまで真っ暗だった電気を点けて深夜の蚊退治です。
子供たちを見ると何箇所か刺された形跡あり。
裸眼視力がかなりいい私の目にかかっちゃ蚊だって逃げ切れるわけはありません。
しばしの奮闘の後ようやく1匹退治してまた就寝。
そしてまた寝入った頃に同じような羽音で目が覚めたって。
隆之介なんて顔に3箇所も刺されてる。
さっき退治した1匹が潜んでただけじゃなかったってことね。
今度はさっきより入念に蚊を退治すること2匹。
あっちでパチン、こっちでパチン。
部屋中を狭しと動き回ってもう1度睡眠に。
と、悪夢再びって感じでまた蚊の音で起こされちゃったんだよぉ。
これじゃあ熟睡できないよって感じでもう1匹だけ退治したけど本当はこの時にもう1匹逃がしちゃったの。
後のことはもうなるようになるでしょって思いで私も諦めて寝ちゃったわ。
だって私が孤軍奮闘してるのに子供たちったら目覚めるわけでもないし。
蚊ごときで夜中に大騒ぎしてるのって私だけなんだもん。
寝入っては起こされて寝不足確実。
でも蚊ったらなんて正直なんでしょ?
だって3人で同じ部屋に寝てて翌朝刺された形跡があるのは子供たちだけ。
私の体には近づこうともしなかったってわけね。
やっぱり蚊だって美味しい物は知っている?
子供たちと一緒の部屋にいる限り、子供が私の蚊取り線香って感じです。
それにしても夏本番まではまだまだ間があるこの時期になぜ蚊に悩まされなくちゃいけないのぉ?
しかも我が家の他の部屋には蚊の気配さえない。
でも光太朗の日記で概要が読めたみたい。
「今日、おばあちゃんが庭の木を切っていたので僕も手伝いました」って。
庭木に潜んでいた蚊が行き場を失って部屋に逃げ込んだに違いないわ。
おそらく窓を開けたすきに侵入したんでしょ。
逃がした蚊もいることだししばらくは蚊との対戦が続きそうです。



2000年06月20日(火)
社会科見学

梅雨の晴れ間の今日は本当に暑い1日でしたぁ。
都心部でも30℃を超しちゃったんだよね。
お昼頃銀行&郵便局に出かけただけでぐったりしちゃったもん。
その分アイスクリームがおいしく感じたけどね。
そんな中、隆之介たち3年生は社会科見学で市民会館と市民体育館見学。
会館の舞台下のオーケストラピットを見たり聞いたり様々な体験。
好奇心旺盛な隆之介ったらみんなが気づかない溝を発見したりいろんな質問もしたみたい。
体育館では実際に和弓や剣道なんかもやってたみたいで
どんな競技が行われてるのか利用状況なんかも調べてきてたわ。
隆之介の話じゃ18歳以上なら有料で利用が可能らしい。
市内に住んでても利用したことがないから子供から得る情報は貴重です。
でも、この日の隆之介はちょっと減点。
社会科見学には暑さ対策で水筒持参ってことになってたのに
記入してきた連絡帳を前夜見せることもなく口頭で言うこともなく。
朝早く起きてきても何一つ口にしなかったんです。
私が出勤の身支度を整えて家を出るまで後数分って時になって気がついたらしく
「今日は社会科見学で水筒持っていくんだった」って。
焦ってステンレスの水筒に氷とウーロン茶を用意。
で〜んと準備完了と思いきや隆之介ったら「肩からかけられるようにしていかなくちゃいけない」って。
我が家のステンレスの水筒って水筒単独だから、いきなりそんな小細工しろって困っちゃったよぉ。
別の紐付き水筒のカバーにとりあえず押し込めて持たせたけどさ。
帰宅した時には水筒に残されてたのは氷だけ。
暑い中見学に回ったからさぞやウーロン茶がおいしく感じたでしょうね。
それにしても朝の忙しい時間帯に何か言ってもだめって常々言ってるのがわからないのかしら。
水筒の準備が整い次第私がダッシュで駅に向かったのは言うまでもありません。

先週の15日のプール開きが水温不足で延期になってた光太朗。
2回目の挑戦となる今日は無事にプールに入れたみたいです。
低学年は浅いプールが定番になってるけど今日は深い方にも入ったみたい。
みんなで競争したりして楽しかったって。
30℃の中のプールはさぞかし気持ちがよかっただろうな。



2000年06月19日(月)
週末のこと/光化学スモッグ

--週末のこと--

金曜日に皇太后様が崩御されて今週末は全国的にイベントも自粛。
学校や役所の掲揚台には半旗が掲げられて国全体が喪に服してる感じの週末です。
そう言えば金曜日にニュースで崩御が報じられた時に職場の40代女性Mちゃんが何か食べ物をかじってた。
それを見た同じく40代男性が「ふけいざいだ」って。
Mちゃんの頭の中で変換されたのは「不経済」。
周囲のほとんどが「不敬罪」って分かったからそこに妙な雰囲気が漂ったわ。
皇室を敬うことが常とされた時代こその不敬罪だけど、今の時代には通用しない言葉ってことね。
それにしても若い私がなぜにその言葉を一瞬にして理解できたのかしら?
年をサバ読んでるってことだけはありません。

土曜日、子供たちの小学校は地域の児童が集団で帰る一斉下校。
町会ごとに集まって高学年の班長の下一斉下校です。
我が家の子供たちは学童直行組。
一斉下校ってのは実際に即して行わないと意味がないから帰宅コースじゃありません。
地区別帰宅は1〜6年生合同だけど学童組は1〜3年生。
隆之介は最年長でチームリーダーだし、兄弟一緒の光太朗もパワー全開。
家に帰るより楽しい学童生活です。

土曜の夕刻、旦那は出勤、私も義母も所用でお出かけ。
子供たちと義父と3人でのお留守番です。
以前も義母が入院してた時に2人だけで留守番したことはあるけど滅多にないこと。
そう言う時の子供たちに口うるさい義父は鬱陶しい存在。
すっかり2人だけでお留守番できるんだから義父もどこかにお出かけしちゃえばいいのにね。
私にPTAの電話連絡が入った時も隆之介がすぐに携帯で対応してくれたし本当に心強い子供たちです。

日曜の父の日、母の日と違って旦那への子供たちからの感謝の手紙はなし。
プレゼントもこれってものが思い浮かばないので持ち越しとなりました。
数日前に高速券3万円分を渡しておいたからこれだけでもいいのかな。
旦那は後でどうにかすることにします。
同居の義父にはセルジオ・タッキーニの綿のベスト。
しばらく前に激安で買っておいたもの。
母の日に義母がごみ箱に捨てた箱を拾って私が丁寧に包装しました。
100円の箱代だって義父にはもったいないからね。
義父には義妹からも届いたけど義母と違って比較はなし。
なんてことのない平凡な父の日になっちゃったかも。


--光化学スモッグ--

梅雨の晴れ間、気温が上昇して八王子にも光化学スモッグの発生です。
放課後子供たちが校庭で遊んでたら突然光化学スモッグだから中に入るように指示を受けたって。
光化学スモッグって汚い空気の代名詞って言うか10年前ぐらいには全国的によく聞いたよね。
ここ数年環境問題が改善されてあまり聞かなくなった言葉だけど。
注意報とか警報にかまわずに外遊びを続けてると
目がチカチカ、頭がグラグラ、息も絶え絶えで大変なことになるらしい。
子供たち、渋々校庭から学童舎内に入ってカードやゲームで遊んだみたいです。
それにしても都下八王子でなんで光化学スモッグが発生するんだろ?
中央自動車道で排気ガスを撒き散らしていく車が多いってことかしら?
やっぱり21世紀にもきれいな空気を残すための努力が必要みたいです。
子供たちは光化学スモッグで外遊びができなかったからちょっと残念そう。
外で自由にのびのび遊びまわれないなんて今の子は可哀想だね。

土曜日の帰宅時、雨降りなのに光太朗は傘をささずに帰ってきてた。
学童から隆之介と一緒の帰宅で「隆くんが傘に入れてくれなかったぁ」って言ってたのよね。
光太朗に自分で持って行った傘の存在を聞いたら口ごもってたから
おそらく先生に没収されてるって思ってたけど今日の連絡帳で全てが判明。
案の定、折り畳み傘を教室で広げたりしてたらしい。
隆之介も1年生の時に全く同じ理由で先生に取り上げられて傘なしで帰ってきたことがあったんだよ。
先生も忙しくてその日のうちに返すのを忘れちゃって申し訳ないって記載事項。
でも傘って使い方次第ではすっごく危険だから先生の措置を完全に支持しちゃいます。
連絡帳にも危険な行為があった場合には厳しい措置をお願いしちゃったわ。
隆之介は何本も傘を壊した実績もあるけど光太朗は今のところ1本だけ。
人に被害を及ぼしていないだけいいけどね。
梅雨時は傘の登場回数が滅茶苦茶多いからこれからしばらくは傘事件がありがちかな。



2000年06月16日(金)
日替わり

昨日発熱と嘔吐の光太朗は今朝も本調子まではあと一歩。
でも熱は平熱、朝食にフルーツとパンをつまんでかなり元気になったので今朝もいつも通りに登校です。
当初は欠席させるつもりで連絡帳も記載。
でも本人が「僕が行かないと先生が寂しいかな」「今日の給食なんだろ?」「学校行きたいな」って言うし
学童だけは休ませることにしての登校です。
先生も「本調子ではないのにニコニコ笑顔を見せてくれて安心しました」って連絡事項。
いつも活気があるから元気が失われていく過程が手にとるように分かったらしい。
普段よりは少しだけ大人しかったみたいだけど、ってことは普通の子と同じくらいの元気さ?!
まあ無事に1日を終えて帰宅です。
学童に行かなかった分少しはのんびりできたかな。
一方の隆之介、昨日は疲れて宿題もしないで就寝したため5時半起床にて宿題。
算数のドリルと漢字の書き取り。
自分で朝早起きするって言ってただけあってなんとか終わらせたわ。
隆之介たち、14日は雨で延期だったから今日がプール開き。
今朝の検温結果も良好だし気温も水温も申し分ないほどの好天でプール初日。
剣道練習日なので隆之介も学童をお休みして帰宅でした。
ところが2時半過ぎに私の携帯に自宅からの電話。
隆之介が「お腹が痛いから剣道休んでもいいか?」って。
剣道のお休みは原則として本人が先生に電話を入れることになってるから
「具合が悪いことを話して休んで、おばあちゃんと一緒に医者に行きなさい」って指示したわ。
なんかよっぽど調子が悪いのか元気がなさそうな様子。
3時からの午後診療にあわせてかかり付けの小児科に。
昨日調子が悪かった光太朗はすっかり回復してキックボードで付いていくほど元気。
義母と2人の子供が医者って電話で聞いた時には2人とも具合が悪いのかと思ったけど
昨日は光太朗、今日は隆之介と日替わりで具合が悪くなってるってことね。
隆之介は便秘気味による具合の悪さ。
男の人って毎日快便快食パターンが多いから少しでも違和感があると具合が悪くなっちゃうらしい。
特に何の処方もなくとりあえず帰宅。
でもまた夕方から転げまわるような痛さに襲われて再度通院したんだって。
2回目は痛み止めの頓服を貰って帰宅。
はっきりしない気候で体調を壊してる人が多いらしいけど
子供たちったら何も日替わりで具合が悪くならなくてもいいのにな。



2000年06月15日(木)
保健室

今日は光太朗のプール開き。
1週間ぶりに梅雨の晴れ間が広がって絶好のお天気となりました。
朝の検温でも36.5℃。
元気いっぱい小学校初のプールを楽しみに通学した光太朗です。
でもお天気は上々なのに水温が低いという理由でプールはなし。
校長先生の話やプールの諸注意を聞いて今日のプール開きは終了となったんです。
この時期のプールは天候に左右されるから仕方がないかな。
給食時間も済んでしばらくしたら光太朗が「熱い、熱い」って先生に言い出したらしい。
んで保健室に直行となった光太朗、小学校生活初の保健室体験。
先生が通報して義母がお迎えに来るまで保健室のベッドでおとなしく寝ていたらしい。
どうやらかなり発熱してるみたい。
義母の運転する自転車の後部座席に座って帰宅する光太朗。
なんと義父母はともに運転もできない珍しい存在。
義母は担任の先生に「いい子ですねぇ」って言われて安心して帰ってきたわ。
帰宅してからも光太朗は不調。
じっと寝てて脱水症状だけを防ごうと時々水分補給。
でも夕方突然吐いちゃったんだって。
食べ物どころか飲み物禁止に陥ったのは当然。
嘔吐したものが自分の顔全体にかかっちゃったから焦ってシャワーで全身を洗って。
38℃くらいになっても解熱剤も使わないで頑張って過ごしてたみたい。
これってやっぱり風邪かな?
午前中のプールが中止になってたのが不幸中の幸いだよね。
もしプールで遊んでたら大変なことになってたかもしれないもん。
隆之介も連日の疲れが一気に出てるみたいで私の帰宅どころか夕食後すぐに就寝。
算数と国語の宿題が出てたのに「早朝やるから」って義母に言って寝ちゃったんだって。
よっぽどお疲れ状態なのかしら。
隆之介は1年生と2年生でそれぞれ1日ずつ欠席してるから
光太朗は皆勤を狙ってるんだけどこの分だと明日の出席が危ぶまれるかしら?
朝起きたら2人とも元気に復活してくれてるといいな。
それにしても昨日の義母への鼻薬が早くも役に立ってるみたい。
光太朗のお迎えだっていち早く駆けつけてくれたみたいだし。
遠距離通勤してる私にとってはやっぱり頼りになる存在です。



2000年06月14日(水)
現金な奴

まさに現金な奴とはこういうことかもしれません。
私の残業には当然のように残業代が支給されてるので昨晩の代償もあるってことです。
以前から隆之介に「ママは残業すると1時間1000円ぐらい残業代が稼げるよ」って話してた。
パソコンを買いたい隆之介は「じゃあ僕たち留守番頑張るから残業してきて」って言ってたくらい。
んで昨日の義父母との会話の中で「ママは残業すると1時間1000円なんだって」って隆之介が話したらしい。
義母ったら同じ土俵で「おばあちゃんはママが残業しても残業代なんかもらえないから」って。
もちろん私の残業は義父母の協力なくしてはありえませんけど
おもむろに代償を求められたのはなんとも言葉には言い尽くせないものがあります。
隆之介も「しまったっ」って思ったらしいけど口から出ちゃったものは仕方がないよね。
うやむやなまま今朝を迎えておりました。
昨日の会話の報告を受けた私はない頭をひねって急遽義母にも残業代支給。
可愛いミニーのポチ袋に入れた1万円札2枚を義母に手渡しです。
「お義母さんにも残業代です」って。
私の残業代単価は基本給から換算しても1万円なんてことはありえないのに
背に腹は変えられないし子供たちを人質に取られてるみたいなもんだから仕方なし。
でも義母ったらそれを手渡された途端に態度急変。
もう残業でもなんでもこいって感じで和やかな表情になっちゃうんだもん。
現金な奴って目先の利害によって簡単に態度を変えるっていうけどまさに義母のためにある言葉だわ。
私自身が快適に働くためにも現金支給。
これなら家政婦さんを雇った方がいいかなぁ。
それにしてもこの鼻薬の効能期間はどれくらい続くかしら?
再度薬を渡さないと残業継続は危険かな。

連日の鬱陶しい雨降りの中、今日も隆之介はめげずに剣道少年。
少し前から稽古着着用で練習に臨んでるんだけど今日は今までのおさらい。
隆之介ともう1人の子が誉められたらしい。
ただし全て本人の話のみ。
私が実際に隆之介の颯爽とした姿を見るのはいつになるのかな?

光太朗のツベルクリン反応の結果はBCG注射に至らず。
一番安心してるのはもちろん本人だろうけど密かにホッとしてるのが私。
連日校内を騒がせたんじゃあまりにも情けないものね。
明日はお天気らしいから光太朗たち1年生は学校生活初めてのプールだね。



2000年06月13日(火)
残業の日

珍しく残業だった私。
帰宅前には子供たちに帰るコール。
「宿題やった?日記書いた?お風呂に入った?おじいちゃんもお風呂入った?」って。
2人とも8時過ぎにはまだ一連の作業は終わっていないみたい。
もちろん義父の入浴もなさそうな気配だ。
電車に揺られて9時半頃帰宅。
子供たちはいつもより早く就寝したと見えて外から見る部屋は真っ暗な様子。
家に入って義父母に帰宅の挨拶と思って部屋に入ると2人してTVを見ている真っ最中。
サスペンスドラマか何かを目が不自由なわけもないのに副音声を使って鑑賞してる。
「ただいまぁ、遅くなってすみません」って言ってもTVに夢中。
まあ形だけ挨拶して立ち去ろうとしたんだけど義父の様子に目が点。
なんと入浴直後だったと見えてパンツにバスタオルを羽織っただけの格好でソファに座ってる。
ゲ〜。ついに義父が入浴したんだわ。
しかもよりによって今日も私の入浴の前に。
ガ〜ンって感じ。
義母に「寒がりのお父さんが何も着ないで」って言われてる。
パジャマを着るために立ち上がった瞬間、皺々のじいさんの裸体を見ちゃったよぉ。
もちろんそんなものなんか頼まれても見たくない代物。
バスタオルを翻して色物のパンツ姿で歩いてる。
10日振りに着替えて本人はよっぽど気持ちいいんだろうなぁ。
私にはとっても迷惑な入浴だけどさ。
一瞬にして暗〜い気分に陥ったけど気分を整えて子供たちの連絡帳とか日記にお目通し。
今日の光太朗は算数の授業に真面目に取り組んで先生に誉められたんだって。
日記も2人ともそれなりに書いてたけど隆之介には若干の誤字も。
でもママがいなくても頑張ったんだから及第点ってところかな。
残業して疲れてじいさんの入浴でダブルパンチも子供たちの寝顔に救われたわ。
もちろんじいさんの入浴後のお風呂には入れずにシャワーのみにて終了。
4日の運動会以来初入浴となったじいさんの次の入浴はいつ?
梅雨寒をいいことに当分入りそうにないかもね。



2000年06月12日(月)
週末のこと/予防接種

--週末のこと--

ついに鬱陶しい梅雨入りです。
週末はボーイスカウトの日程が入っていた子供たちも雨天中止。
当分の間、この雨は私たちを憂鬱な気持ちにさせることでしょう。
ってことで週末のこと。

土曜日は子供たちにとっては嬉しい学校のない第2土曜日。
でも学童で親子お楽しみ会が企画されてたからお弁当持参で学童です。
ジャンケン大会では光太朗が1位になる大活躍を見せたものの体育館で転んで唇をちょっと切っちゃった。
一瞬泣いたけど元気いっぱいな光太朗です。
隆之介は光太朗のジャンケンの強さに脱帽してたわ。
だって自分のカードを持ってジャンケンして負けたら敵に渡すってルールで
自分のカードを放出したのはたった2枚、他の人のカードを集めまくったって滅茶苦茶な強さなんだもの。
そんな勝負強さを家でも発揮してくれるといいのにね。
午後からは珍しく旦那とプール。
私と行くよりも緊張感が子供たちにはいいみたい。
今月末の昇進テストが楽しみかもね?

日曜日はスカウトの団祭りの予定が雨で中止。
本当は野草を天ぷらにして食べるってプログラムでちょっと楽しみだったのに残念。
でも雨が子供たちには幸いして家族ボーリング。
元気な子供たちは5ゲームも投げたのにちっとも疲れ知らず。
5ゲーム目には壁を使わずに大人と同じように投げたけどなかなか上達してるよ。
今日のトップアベレージは当然旦那。
子供たちも次回からはいつも壁なしでもOkかな?
でもあんまりガータばっかりだとやる気がなくなっちゃうし兼ね合いが難しいね。

夕べ光太朗が壊れて使用禁止になってたビデオにテープを入れちゃってトラブル発生。
私がTVとの接続線を抜いちゃったものだからTVも見えなくなっちゃってた。
んで私たちの部屋のTVの配線が他の部屋のTVにも影響してたみたいで
義父母がいつも見てるTVも昨日の夜から今朝にかけてかなり映りが悪かったの。
でもこんな時に頼りになるのはやっぱり男手。
旦那がなんとか接続してくれたおかげで誰にも怒られることなく済んじゃったよ。
直しても無関心を装ってたのはもしかして旦那の優しさだったのかな?


--予防接種--


我が家の子供たちはいつもは元気なのに唯一苦手にしてるものがあります。
それは注射。
半端じゃないほどの苦手意識を持ってます。
就学前の様々な予防接種時には小児科の先生に蹴りを入れて抵抗して
揚げ句に両手両足をがんじがらめに押さえつけられるということの繰り返しでした。
そして今日は小学校に入った光太朗に訪れた試練のツベルクリン注射の日。
接種は保健室で行われたんだけど当然のように脱出して校内を逃げ回る光太朗。
本人曰く下駄箱の近くにいい隠れ場所があってそこに逃げ込んだらしい。
もちろん先生方の追っ手から逃れられるはずもなくあえなく捕獲されたけど。
そしていよいよ観念して注射に臨んだのよね。
う〜んと我慢したんだけどちょっぴり泣いちゃったらしい。
みんなの手前相当の照れがあったよね。
恥ずかしそうにしてましたって先生からの連絡事項にも書いてあったもん。
それにしても注射嫌いはどうしたら克服されるのかしら。
ツベルクリン反応次第ではBCG接種ってことになるけど再度逃走されると困っちゃうな。

連日降り続く鬱陶しい雨。
でも今日は学校の何回目かの避難訓練でした。
今日の想定は火災ってことだったので各々に口にハンカチなりを当てて廊下に整列。
校庭に行くって所までは訓練できなかったのはお天気からして当然のこと。
光太朗たちのクラスは火元になりそうな給食室に一番近いんだけどこんな訓練で大丈夫かしら?
まぁ、やらないよりはマシって程度のことでしょうね。

皆様にご心配いただいてる義父の入浴、今日現在まだ兆候も見られず。
鬱陶しい梅雨なのにカビが生えそうだよ。
せめて下着ぐらいは毎日変えてほしいと念願する私でした。
やっぱり入浴予想日は父の日なのかな?




2000年06月09日(金)
連携プレー

退社時刻の5時半を過ぎて6時近くに突然私の携帯の着信音。
剣道に行った帰りの隆之介からの電話だ。
「今日はお風呂掃除しておくねー」って言うので
そろそろ義父の入浴周期かもって心配もあったから様子を見てってお願いしたわ。
あまり早くお風呂の準備が整ってると私たちよりも義父が先に入浴する危険性があったから。
隆之介は今までの経験が身にしみてると見えてあっという間に事態を把握。
「じゃぁおじいちゃんがもしお風呂に入ってたら知らん振りしてお風呂の水を替えておくね」って。
最近の義父の入浴周期は予想の域を越えていて嫌な思いをしてたものね。
携帯から聞こえる声は剣道帰りなのに元気いっぱい。
私が帰宅して「電話ありがと」って隆之介に言ってたら義母が「いっつも電話してるの?」って。
隆之介は義母の携帯を借りて出かけるので相互に着信記録が残るから電話してるのはバレバレ。
私が掛けるとすでに義母の手元にあったりして「かけた?」「かけてない?」ってトラブルも生じてる。
自宅からの着信記録が残ってた時もこっちからかけたら誰も思い当たる人がなくて
結局2人の子供のうちのどちらかって話になったこともある。
当然それは隆之介から私へのおうちの情報だったりするわけ。
義母にはそれが気に入らないってことらしいけど。
でも子供からの情報のおかげでホント助かってるわ。
現に今日も隆之介がお風呂掃除をしておいてくれたきれいなお風呂は義父に侵されることがなかったしね。
でも帰宅していろいろ聞くと今日もがんた君の脱出騒ぎがあって
義父母は数時間もがんた探しをしたらしい。
汗まみれになって一生懸命に歩き回った今日も義父の入浴確認はできず。
そろそろ梅雨入りを理由に真冬並みの入浴間隔になっちゃうのかな?
ますます子供たちと連携を取ってお風呂に備えないと義父の汚い跡湯ってことになりそうだわ。
義母に嫌味を言われても子供たちからの連絡は絶対に必要不可欠です。



2000年06月08日(木)
お葬式

今日は小渕前首相の武道館でのお葬儀。
縁あって私も葬儀お手伝い要員の1人です。
午後からの葬儀に備えて喪服着用で9時集合。
リハーサルだなんだと午前中が過ぎていよいよお葬儀本番です。
いやぁ、それにしても自衛隊とか警察の制服組の人たちの凛々しい事。
思わず惚れ惚れするほどです。
私の担当したのは顕花の係り。
始まってからしばらくは武道館の楽屋に缶詰。
皇族の供花、ピアノ演奏とようやく出番が近づいてからスタンバイです。
葬儀委員長の森総理大臣から始まって次々と花を要人に運ぶ女性陣の中に私がいたってことね。
TVで確認してた友人の話では私は未確認。
外国弔問団に何回か花を渡してたんだけどね。
ご遺骨を抱いて会場を後にするご遺族の姿は言葉にできないほどだし
お仕事とはいえクリントン大統領なんかもかなり間近で見たわ。
う〜ん、個人的には好きなタイプとは言えないけど。
武道館いっぱいのお客様にお花を供するために黒塗りのお盆で菊の花を運ぶこと限りなく。
あれだけの多くの菊を一斉に栽培してるってお花屋さんも大変そう。
今日のお葬儀のために花を買い占めたんじゃないかと思うくらい。
祭壇の花も桁違いだし、本当に何もかもが規模が違うわ。
立ちっぱなしで足は痛いし重さで腕も痛い。
でも武道館での式典には入れなかった普通の人たちの心温まる顕花ではその思いも吹き飛んだわ。
人柄の小渕って親しまれただけあって老若男女が弔問。
高校生や子供連れ、遠路はるばるって感じの大荷物のお年寄りなんかが列をなしてるんだもん。
大きな遺影に向かって涙する人たちを見て私もじーん。
夕方から降り出した雨は小渕さんの涙雨かもって思っちゃった。
家に帰ると義母が「今までに4回の大きな葬儀があったって言うけどTVで初めて見た気がする」って。
やっぱり小渕さんって普通の人との距離が近かったってことだよね。
会場にいた私は局部しか見ていなかったけど義父母はTVで情報収集。
私よりも遥かに葬儀情報に詳しかったよ。
沖縄をイメージした祭壇とか弔問の著名人とか。
義父母がTV見てたって言うしこんなにみんなに愛される宰相は当分出ることはないのかなって実感。
小渕さんの安らかな眠りをお祈りするばかりです。



2000年06月07日(水)
自転車教室

3年生の隆之介、今日は待ちに待った自転車安全教室でした。
子供たち学校のお約束で3年生になるまでは1人で自転車禁止。
3年生になってすぐに自転車解禁と思っていたから待ちきれなくて隆之介は爆発寸前。
ちょっと前もお友達と遊んで他の人は乗ってきてたのに自分だけがぁって騒いで大変だったんです。
でもそれは規則を破って乗ってるんだし
隆之介は3年生になるまでず〜っと我慢してきたのに
最後の最後で規則を破ったら今まで守ってきた意味がないよってなんとか説得してたから
昨日から「明日は自転車教室なんだぁ」ってそれはそれは楽しみな様子でした。
3年生みんなでお巡りさんの指導で校庭の仮設コースで自転車の安全教室。
信号機あり、細い道ありで結構緊張するコースだったらしい。
隆之介は自転車を持ち込む係りじゃなかったらお友達の自転車を借りて挑戦。
無事にコースをクリアしてホッとしたらしい。
お友達の中には3年生にもなって自転車に乗れなくて押してコースを回った子もいたらしいけど
学校の方針で自転車禁止だからって練習さえしなかった子もいるってことよね。
自転車教室の最後に「今日から自転車に乗っていいんですか?」ってきっちり確認してきた隆之介。
放課後の剣道教室に初めて自転車で警察署に。
いつもは徒歩だからとっても楽チンで早かったって。
でも帰り道は竹刀と稽古着のお持ち帰りがあってちょっと苦労して乗ってきたみたい。
自転車解禁になって隆之介の行動範囲はますます広がりそうな予感です。
光太朗は当然と言うか隆之介たちの自転車教室の様子を教室の窓から眺めてたらしい。
もちろん1年生は別の授業の真っ最中だったはず。
隆之介が自転車解禁になって僕も乗りたいって気持ちを強くしてる光太朗です。



2000年06月06日(火)
誰?!

いつも子供たちと一緒に通学してくれてる隣の大ちゃん宅には中1のお兄ちゃんとご両親。
だけどパパは単身赴任らしく近頃さっぱり見かけない。
今朝早朝6時前に私が洗濯を干していると隣のママが外を掃き掃除する気配。
いつもは「おかーさん、起きてぇ」って声が我が家まで聞こえるお寝坊さんなのに。
「うちのパパったら帰ってくるたびにうるさいのよ」って言ってるからもしかして一時帰宅かな?
子供たちの登校時間になっていつものように大ちゃんが我が家にお迎え。
大ちゃんに「お父さん帰って来てる?」って聞いてみた。
大ちゃんの答えは「いつまでか分かんないけど帰ってきてるぅ」って。
隣のママが朝早くお掃除してたのは帰宅早々パパに怒られちゃったからかな?
「そう言えば昨日大ちゃんちに男の人が入って行ったんだけど誰かなって思ってた」って隆之介。
いくら単身赴任で不在のことが多いからって隣のパパを忘れちゃったのぉ?
隆之介の素朴な疑問は一気に解決したけど
朝早く出勤して夜遅く帰宅する世間一般のお父さんも存在はそんなもんかな?
もしかしてうちの旦那の存在も隣の大ちゃんが知らなかったらどうしよう?!
ってことは私もご近所に知られてない可能性があるってこと?
通勤するパパとママは存在してても姿を見かけないってなんだかまるで幽霊みたいだね。

運動会も終わったばかりの子供たち、早速授業で作文やお絵かき。
隆之介の担任は作文の審査員するほどの専門家だから今日は2時間かけて作文に挑んだらしい。
2時間目に骨を考えて5時間目に肉を加えて形を完成させたらしい。
3年生の授業でこんなにきっちりと作文を教えてもらえるなんて羨ましいな。
担任に導かれてどの程度の成長があるのかとっても楽しみです。
一方の光太朗は1年生らしくお絵かき。
何を描いたのかって聞いても教えてくれないけど大丈夫なのかな?
さらに私も学校から父兄に課せられた運動会のアンケート。
子供たちが日記を書く間に一生懸命に記入。
とりあえず運動会の一連の仕事はこれで終わりだといいな。



2000年06月05日(月)
振替休日の日

昨日の運動会の振替で子供たちは学校はお休み。
でも両親ともお仕事の我が家では子供たちはお弁当持って学童です。
昨日ほどじゃないにしても母はちょっと早起きしてお弁当作り。
子供たちを6時半の起床時間に起こさなかったけど隆之介はほぼいつもの時間に自主的に起床。
光太朗は昨日の疲れで熟睡してて私の出勤時までとうとう目覚めなかったわ。
お休みの日の学童は10時からなのであまり早く行っちゃいけないよって念押しして出勤。
ところが取引先直行で少々遅目の出勤だった旦那が
9時頃車で出掛ける時に子供たちも一緒に乗せて行っちゃったらしい。
当然のように子供たちは校庭で時間まで遊んでたらしいけど
以前も早過ぎて注意を受けた事もあるだけに旦那ったらペナルティだわ。
いかに子供のことに関心が薄いかってことかもしれないわ。
学童では連日の暑さもあって特別に水鉄砲で遊んだらしい。
お兄さんみたいな先生2人対子供たちの連合軍。
大きな水鉄砲で応戦した先生方もいくらなんでも多勢に無勢。
うわ〜って取り囲まれた子供たちの勢いにはかなわなかったってことね。
みんな少しぐらい自分にかかってもかえって気持ちよかったみたい。
暑い日の水遊びって本当に楽しいもんね。
2人とも何の習い事もない1日だったので5時まで学童で過ごして帰宅。
帰宅してから義母に買ってもらったキックボードで外遊び。
私が帰宅した7時過ぎにも道路で遊んでたんだけど
夕方一旦終わりにしたものの不燃ごみを出しに行く義母と一緒に再度外に出たらしい。
外は暗いから危ないのになぁ。
で一緒に家に帰ると隆之介ったら自分のやるべきことを何もやっていない。
自分で決めたお風呂掃除も蚕の桑の葉の交換も。
何もかも中途半端で誰かに泣き付けばやってもらえるって甘えがある。
心はTVのまま桑交換、おまけにお風呂の水を出しっぱなしなのを忘れてる。
それに加えて日記もいい加減な書き方してるからついに私も爆発。
徹底的に怒っちゃったけど隆之介を傷つけちゃったかな?
3年生っていろいろできそうでできない微妙な時期?
過度の期待は子供にも負担かなぁってちょっと反省する私でした。



2000年06月04日(日)
運動会

今日は子供たちの小学校の運動会。
ちょっと前の週間天気予報では雨って予報だったので心配してたけど当日は見事な晴天。
晴れやかな青空の下運動会は挙行されました。
朝から早起きしてお弁当作りする私、7時の開門を待って場所取りに励む旦那と業務は分担制。
PTA校外委員の仕事でちょっと早めに集合がかかってるから慌しい朝です。
いつも通りの登校をした子供たち、私、残り一同とそれぞれが時間差でお出かけ。
校外委員の今日の仕事の説明を受けたら子供たちが席に付くのを確認。
9時からプログラム4まで駐輪禁止になってる校門の所で隣の公園に止めるように案内するのが私のお仕事です。
万が一駐輪されちゃったら鍵のかかった自転車を公園に運ばなくちゃいけないから
それはそれは真面目にご案内。
無事に任務を果たしたらダッシュで戻り子供たちの競技・演技の観戦です。
どの子も一生懸命に頑張ってる。
競い合うことを悪とする学校もあるみたいだけど徒競争だってあるし騎馬戦も組体操もある学校。
障害のある子も一緒に走り演技するって本当に見ていて清々しい。
光太朗たち1年生も元気一杯。
隆之介の表現運動(つまりはお遊戯みたいな)の上手さは群を抜いてる。
お昼時間は家族一緒にお弁当を囲んで楽しい一時。
どの子供の顔も輝いてるのが何よりだよねぇ。
2人とも赤組だから一生懸命に応援したんだけど今年は白の勝ち。
1・2年と赤組で負け知らずだった隆之介も初の黒星。
それにしても今日はいいお天気でサングラス、長袖シャツと観戦する私も万全な態勢で。
校外委員長さんなんてお家が仏具屋さんで葬儀も取り扱ってるからツバ広の帽子。
本人も「顔が命だから」って言ってたけど葬儀に日焼け顔は似合わないもんね。
万全の準備をしても日に晒されることが少ない大人は日焼け被害。
子供たちの元気を分けて欲しいって感じです。
無事に運動会も終わって帰宅。
旦那と子供は速攻で入浴。
私もすぐに入りたかったのに義母といろいろ後始末してる間に義父に入られちゃった。
ってことで義父の入浴クイズは今回も誰も予想できず。
2回ともクイズの当選者がないってことは予想がよっぽど難問ってこと?
毎日入浴する普通の生活は生涯ありえないんでしょうか?



2000年06月03日(土)
大地震?

なぜか珍しく土曜出勤だった私。
こともなく1日の業務を終えて帰宅しようと帰路につくこと数分。
ちょうど乗換駅のホームにいた時に何やら感じる不気味な気配。
ホームに立ってるのに絶対に揺れてるって感じ。
周りの人たちは忙しそうにホームを行き交ってるから感じてる様子もない。
なんだろう?
大きな地震なのかなぁ。
それにしても妙だなって感じ。
周囲を見渡していやぁな気配の正体を探ろうとしても当然わかるはずはない。
と、その時。
私と同じようにホームで電車を待っていた隣にいた青年とバッタリ目が合ったのよぉ。
この時とばかりに思いをぶちまけた私。
私「揺れてますよねぇ」
青年「かなり長く感じますよね」
それはほんの一瞬の会話でしたがお互いの疑問を解決するにはそれ以上の話は必要なし。
青年もきっと自分に感じてた気配を誰かと分かち合いたかったのよね。きっと。
でもわざわざヘッドホンを外してまで隣り合わせの私と会話してくれた青年に感謝です。
帰宅してニュースで確認すると関東地方では震度5とかなり大きな地震だったって。
でも地震って静止状態だと大きく感じるものの動いてる時って本当に感じないものよねぇ。
6時ちょっと前のその地震を義母は気がつかなかったみたい。
それにしても大地震が起こって交通マヒでも起ころうものなら私は帰宅難民間違いなし。
野を越え山を越えってのは大げさな表現だけど徒歩での帰宅なんて想像もできないもんなぁ。
万が一のその日のために職場にはトレッキングシューズが必要かも?
もちろん靴だけじゃなくて根性と気合も体力も大切ですけど。

私が出勤だったので子供たちはお弁当持参で学校〜学童へ。
土曜日の学童は久しぶりで大いに楽しんでいたらしい。
でも旦那がスイミングに連れて行くってことになって急遽連絡を取って帰宅。
旦那とプールに行くなんて滅多にないから2人揃って緊張したって感想。
実の父親なのにいかに子供に関わっていないかってことよねー。
この調子だと父の日の子供たちのコメントは散々なものになっちゃうよ。
義母は横浜にいる義妹の所に気晴らしに行ったし今日も暇なのは義父1人。
相変わらず入浴の気配もないんだけどまた冬周期に逆戻りかな?
義母は義妹と一緒に買い物にでも行ったのか子供たちにキックボードとかいろんなお土産あり。
なんでも買い与える方針には反対な私には全く迷惑な話です。



2000年06月02日(金)
警察官出動

帰宅した私を驚かせたのは月曜日以来の義父の入浴ではありません。
義母が「聞いて聞いて」状態で何か事件が発生したらしい。
誰かに話したかったのか本当に矢継ぎ早。
階段を上がった所に居住してる我が家は階段下の駐車場を賃借してるんだけど
事件はそこで発生したらしい。
駐車場に停めてる車は我が家の2台と他5台の計7台。
旦那の車は一番壁際なので車と壁の隙間を利用して義母が自転車を停めている。
義母が自転車を利用してお使いから帰った時に発覚した事件。
なんと義母の自転車置き場に見知らぬ人のオートバイが!
しっかりカバーとカギがかけられた状態。
義母は自転車をオートバイの奥に運ぶのに苦労しながらやっとのことで収納。
バイクのカバーに無断駐車禁止って張り紙をしてもバイクの移動する気配なし。
その後バイクのことが心配になって警察に電話したんだって。
そんな隙間にカバーまでかけて隠すくらいだから盗難車かもって。
しばらくして交番の親切なお巡りさんが来て無線で盗難車かどうかの調べたけど該当車なし。
路上に停められてるなら駐車禁止って項目にも引っかかるけど駐車場内だから
折角来てくれたお巡りさんも残念ながら役に立てずに退散。
またしばらくして義母が現場を見に行くとご丁寧に張り紙だけが剥がされたもののバイクはそのまま。
さらに2回目の張り紙。
ご近所のおばさんと事件の説明と世間話をしていたらしい。
するとバイクの持ち主と思われる青年が登場して張り紙を剥がそうとして
義母「これ、あなたの?」
青年「そう」
自分が悪いことをしてるって感覚がないから悪びれた様子もない。
義母「ここはうちが借りてる駐車場だし迷惑」
青年「?」
なんと壁の隣の家の青年。
なんかそれ以上言うと何をされるかわからないほど不気味な青年。
義母はちょっと風変わりな青年の母親のことも知ってるし
何よりも青年が世間でも厄介がられてる17〜18歳のお年頃。
で義母は必要と思われる事柄だけどとうとうと話してとりあえず帰宅。
青年がバイクをちゃんと移動するかどうか心配でさらに確認に行く所が義母の執念深い所なんだよねぇ。
ついに執念が実ってバイクの姿は見当たらず。
義母も安心して私に事件の一部始終を話してくれたのよ。
いやぁこんなことで親切に対応してくれたお巡りさんには申し訳ない気持ちです。



2000年06月01日(木)
超満員電車

帰宅時間帯に魔の中央線は今日もポイント故障。
いつものラッシュに輪をかけて滅茶苦茶な混雑振りです。
しばらく電車が止まっていたから待ってた人は一斉に乗り込もうとするし
間引き運転で本数激減だからそれはそれは大騒ぎ。
中央線への乗換駅となる四ツ谷駅ではしきりに遅れを知らせてるし緩行線利用のお勧めの放送も。
当然ホームには人が溢れていく。
ようやくのことで入線して来た電車は四ッ谷駅ですでに満員。
東京から駅毎に人を吸収してきてこれ以上は無理な状態。
でも人々は一斉に電車にも乗り込もうと懸命です。
何本か待てば少しはよくなるかとの私の期待も空しく数本目に来た電車も状況は変わらず。
立錐の余地もないスペースにこれでもかこれでもかって押し込められる。
やっとのことで電車に乗り込んで自分の位置を確保。
当然のように身動きはできない。
窓ガラスに張り付いた手はイモリの吸盤を思わせる。
小さな直方体に息苦しいほどの乗客。
次の新宿駅で乗降の入れ替えがあったけど全体としての混雑の度合いは変わらず。
さらに中野駅からは乗車を諦めてホームに取り残される人も。
おそらく乗車率何%なんて言葉じゃ表現できない。
んで吊革につかまった私は電車の揺れに従って座っている人の方に接近。
ふと前の人を見るとすっごく危険なおじさんの頭。
前にTVで見た頭に粉をかけるタイプの禿げ隠ししてるじゃない!
おじさんにちょっとでも触ったら黒い汚れが私に付着しちゃうってこと?
それまでは揺れに身を任せていた私も気合入れて立っちゃったよ。
よく見るとおじさんは額のギリギリまで墨色で修正してるし頭の中も黒い粉でいっぱい。
しかも釣り糸みたいに透明感のある白っぽい毛らしき物が頭を覆っている。
おじさんの地毛は下部にちょっと残ってるだけかもぉってやたら観察する私。
さらに私の隣のおじさんは超がつくほど自己中。
満員なのに新聞を大きく広げて読んでるから座ってる人にも隣人にも大迷惑。
えっ?フロアーレディ募集の求人誌の切抜きを見てるお嬢さんも。
顔もスタイルもどう見ても並以下なのに時給1500円とかに赤丸してる。
本当に応募する気なのかな?
周囲のメンバーに恵まれたお蔭で楽しい満員電車でした。ウッソー!