hikachi's Diary
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2001年12月31日(月) ごちそうづくし・・・

年末には、広島の叔父(母の弟)から毎年牡蠣が送られて来ます。
それがとてもおいしいので、我が家はいろんなところにお裾分けします。

おとなりの人、下の階の人・・近所に配るのは一般的ですが、
うちの親はなんと大学時代のお友達に配るとかで、
わざわざ都内まで出かけて行きました。
持って行くほうも持って行くほうだけど、取りに来る人もなかなか・・・
しかし代わりに、めずらしいお菓子などいただいて来ていました。

私は会社の上司に届けに行きました。
上司は京成電鉄で20分ほど奥に行ったところに住んでいるので、
ひか太を連れて行きました。

そうしたらお返しに、おいしいお刺身や自家製いかの塩辛などをいただきました。
あと、庭木の柚子も・・ひか太が大喜びで切りました。

もともとが叔父からのいただきものなので、
配って歩くだけでいろんな物が集まってくる、
まるでわらしべ長者のような我が家なのでした。

そうそう、新潟の主人の実家からはカニもいただきましたよ。
頂き物で、おいしくお正月が過ごせる我が家です。


同日の過去の日記


2001年12月30日(日) 夫帰国。

たまには亭主の良い所を書いてみよう。
(いつも愚痴ばかりの悪妻ひかち(ーー;))
以下、彼の身に実際に起こった出来事です。


マレーシアから帰国する機内でアメリカ人男性と知り合いました。
主人は英会話の勉強になるから、機会があれば
積極的にネィティブ英語の人と話すことにしているのです。

ところが、空港につくと、彼の所持金は80ドルばかりだということが判明。
日本円で1000円弱です。

よく聞くと、マレーシアで盗難にあったというのです。
マレーシア政府発行の盗難証明書も持参していたそうです。

「おめー、一体どうするんだ?(英語を新潟弁訳)」
と聞くと、日本人の友達に連絡するとのこと。

しかし、連絡先は会社で、この年末の日曜に通じるはずもない。
いろいろ聞くと、持参したパソコンを売ってお金を作りたいとか。。
警察に行けというと嫌だと言う。

仕方ないので、3000円ほどお金を渡し、
切符を買ってやって新宿まで送って行った、とのことでした。

ちなみに、うちは千葉なので、新宿は全く通り道ではありません。
・・御苦労さまでした。

うちの亭主って、なんかこういうばか正直というか、
面倒見のいいところあるのよね。
3000円は絶対返すと言っていたらしいけど、まあむりでしょう。

ていのいいサギのような気もするが、
ほんとにその人が困っていた可能性もある。

まあ神様は「盗もうとする者には倍与えよ」とおっしゃるし、
「小さい者に水一杯でも飲ませるものは決して報いにもれない」とか
「よきサマリア人」の話し(註・強盗にあった人を助ける)とかもあるから、
彼の行動をとりあえず評価しようと思いました。

で、肝心のマレーシアですが、マレーシアは音楽のレベルは低く、
日本人には友好的で受け入れの下地はあるということでした。

現地でオーケストラ活動している人に、募集があったら是非知らせます、
と言っていただけたようです。現に今フルートの団員は空きがあるので、
近々オーディションの可能性はあるらしいです。

海外生活だけは避けたい妻(英語アレルギー)としては複雑な心境ですが、
神様の召しであれば仕方ないのかな。。


同日の過去の日記


2001年12月29日(土) 引き続き、葬儀。

今日は主人の祖母の告別式でした。

10時から告別式で、11時出棺。
火葬場へついて行きましたが、お骨拾いは代表の親族の男性が6名ほどで行い、
一般の人は立ち会いませんでした。

東京ではたいていみんなでお骨を拾うのに、地方によっていろいろですね。
それから、喪主は火葬場へは行かない風習のようでした。
それも面白いですね。

お昼に酒宴があり、初めて会う親戚の方もあったので、
私と義妹と二人で母に紹介されながらお酌をしてまわりました。

あまり事情を知らない遠縁の方は、私を独身の長女だと思ったようでした。
そりゃあそうですよね、肝心の夫が出席していないから。。。

でも、私の献花については特に何も言われませんでした。

式の前に花を持っていたら、「何に使うの?」と叔父に聞かれました。
そうしたら義父が、「彼女はクリスチャンだから、焼香しないから、その代わりにね。」と
説明してくれていて、とてもありがたかったので、そのこともここに書いておきます。

そうして全て終わり、夜には千葉の自宅に帰って来ました。

大して何もお手伝いできなかったのに、疲れ切っていて、
夜はネットにも来ず(珍しい〜)、早々に眠りました。


同日の過去の日記


2001年12月28日(金) 大納会・そして新潟へ

今日は証券業では「大納会」の日。商いは半ドンです。

しかし事務方は商いが終わった後の事務処理があるので、
午後2時か3時まで仕事をします。

私は2時すぎまで働いて、そのまま新潟へ行きました。
主人の祖母の葬儀に出席するためです。

東京駅は帰省ラッシュですごい人込み。

2台待って、3時32分の新幹線に載りました。
新潟に着いたのが夕方6時前。
駅前の東急インの花やさんで献花の花を2本買い、
そのまま斎場へ直接行きました。

斎場へ着くと、もう全て整っていて、
義母はなんと祭壇から献花用の花を失敬して用意してくれていました。
結局私の花を使いましたが、嫁の勝手な言い種にそこまでしてくれて、
本当に感謝だと思いました。

斎場の方も親切に、献花前に花を渡してくださる段取りまで
きちんと整えて下さいました。

葬儀ではありますが、98才の大往生ですから、
しめやかさはなく、和やかな雰囲気で終わることができました。

夜は喪主である義父は斎場に泊まりましたが、
私と義母は自宅で眠りました。

1才と3才の息子がいる、主人の弟夫婦は
お嫁さんの実家(車で40分くらい)へ子供たちを預けて、
そちらから来て、そちらへ帰ったりしていて、大変そうでした。
(うちの息子は千葉でお留守番です。)


同日の過去の日記


2001年12月27日(木) 主人の祖母昇天。。

本日午前10時36分、主人の祖母が27日に
天に召されました。享年98才でした。

28日夜がお通夜で、29日が告別式という連絡が
主人の実家より来ました。

ところが、主人は現在マレーシアに行っていて、
30日帰国予定。緊急帰国はできません。
それどころか、連絡先も聞いてないのでした。

(聞いたところ「どうせ英語できないから電話できないだろ」
 と言われてカチンときたので、それ以上あえて聞かなかった。)

とりあえずホットメールに連絡は入れておいたけど、
見るかどうかわかりません。

仏教の葬儀で、クリスチャンとしてどう対応するか悩みましたが、
祈りつつ義母に言いました。
「私は仏教徒でないので焼香は遠慮したいのですが、どう思われますか?」と。
母は最初戸惑ったようですが、
私が焼香の代わりに献花と黙祷を捧げたいという意向を話すと
「形式にはこだわらないから、好きにしていいよ」と言ってくれました。

とりあえず、明日から、厳寒の新潟に、単身行って来ます!


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2001年12月25日(火) ホワイト・クリスマスならず!

今日は関東では雪かも、と言われつつ、結局降りませんでした。
なんか、毎年こんな感じのような気がする。

結局、東京(ましてやうちは千葉)でホワイトクリスマスを
望むこと自体が間違っている気がします。

なんでホワイトクリスマスだと嬉しいのかなあ?と、
ある方とチャットでちらっと話しました。
咄嗟に浮かんだのが、このみことば。

★たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、
 雪のように白くなる。(イザヤ1章18節)★


 やはり白って聖潔って感じしますものね。
 都会の雪は、灰色だったりしますけど。。。
(ムード台無し・爆!)


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2001年12月24日(月) 昨日の日記

私の昨日の日記を読んだある方から、メールいただきました。

「あるがままに生きていこう。
 あるがままであなたは素晴らしいから。
 あなたは素晴らしいものをいっぱいもっている。
 ネットで表現することも、人間味にあふれる部分も。
 豊かな感情の素晴らしい点をあなたは持っています。
 あなたとともにいつも神様がおられるのが、
 根っこでなんとなくわかりますよ。
 あなたは輝いています。そのままで。
 だから、あるがままに。。
 あなたには、技術ではなく感情という面で
 神様がついていてくださるから。。」

メール下さった方、ありがとうございます。
とても励まされました。
無断でここに載せちゃって、ごめんなさいね。

苦しい時、助けてくれる信仰の友がたくさんいて、感謝です。

さて、今日はクリスマス・イヴなので、
地元の教会のキャンドルサービスに参加しました。

キャンドルのほのかな明かりのなかで、聖書を読み、讃美する。。
静かなひとときでした。

地元の教会は小さな群れで、集まったのは10人くらい。
奏楽の姉妹は、讃美歌を弾くのに四苦八苦している方です。

でも、彼女の奏楽には、ひっそりした情感がありました。

私は彼女ほど自分のタラントを捧げていないと感じました。
讃美はうまく弾くことではない。
こういうことは、何度も何度も感じてきたけれど、それでもなお、
プライドを打ち砕かれていない自分があります。

こういう高慢な奴を叩くのは、神様も大変だあ(笑)。


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2001年12月23日(日) 挫折感

ピアノのページのMy piano lifeで書いている通り、
音大時代私はピアノについて大きな挫折を味わいました。

それはつまり、私はすごくピアノが好きなのに、
すごく下手だということです。

私と同じくらいか、それ以上にピアノが好きで、
小さい頃からやっていた人が私より上手いのはいいです。仕方ないです。

でも、私が必死になってやっとここまでやってきたことを、
易々軽々クリアしてずっと先に進んでいる人が世の中には沢山います。

小学生で軽々ショパンのエチュードを弾いていたとか、
即興演奏や楽譜なしでどんどん弾けちゃう人とか。

今日、教会でピアニストの方の特別演奏がありました。

おとなしくてひっそりした感じの方でした。
演奏も、大人しくてひっそりした感じでした。とても上手でした。

3曲弾かれましたが、全部暗譜でした。

あー、彼女は私がどうしても越えられない壁を
やすやすと越えている種類の人だなあ、と思いました。

ちなみに、今日ピアノの奏楽でしたが、ボロボロでした。

近くでそういう人が聴いていると思うだけで、
精神統一が出来なくなる、弱い私です。
いつもの通り弾けばいいのにねえ。
いつも偉そうに語るくせに、大変だらしないひかちなのでした。

若い頃の挫折感。

乗り越えて、自分は自分でやればいいと何回も立ち直ってきたけど、
やっぱりどこかで心のトラウマになっているんですね。

自分は下手だと知っていても、決定的に見せつけられると
哀しくなるし、嫉妬する。ほんとうに、だめな私です。


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2001年12月22日(土) 久々に家にいた。

今日は本当に久々にまる一日家にいたのでした。

明日はクリスマス礼拝で、ヘンデルのメサイヤの「ハレルヤコーラス」の
伴奏を弾かなければなりません。

ハレルヤは、オーケストラをピアノ用にアレンジした楽譜なので、
ピアノは大変難しいです。

…というか、私にとって難関は左手。

この曲は、左手が最初から最後まで全部1オクターブで進行するのでした。
手の小さい私は、初めて練習したとき腱鞘炎になりました。
いや、腱鞘炎になるのは自慢しちゃいけないんですけどね。
腱鞘炎=力の使い方が下手だって言ってるみたいなもんですから。

で、今年から思い切って、オクターブ進行はどうしても必要なところ以外は
やめてしまって、単音で弾くことにしました。

しかし、今までさんざんオクターブで弾いてたものを、
単音に変えるのもけっこう大変なのでした。1から練習しなおし(^^;)
明日はちゃんと弾けるかしら。

祈ろうっと♪

今日は創世記3〜5章を研究しました。


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2001年12月21日(金) 初雪・・・

今日の東京地方は、一時雪がちらつきました。
雪が降るほどは寒くなかったように思いますが。

今日は早く仕事が終わったので、久々にキリスト教書店に行って来ました。
職場から徒歩15分のところなんですが、最近全然行っていませんでした。

人にプレゼントする聖書と、自分用に新しい聖書と、
聖書辞典を買いました。気持ちを新たに、聖書通読を始めるのだ。

というわけで、早速創世記から読み始めました。(単純な私)
今日は1〜2章だけですが。
なかなか続かないので、ここにどこを読んだか書くことに、、、
(えー、そんなこと宣言して大丈夫???やっぱやめるかも、、、)

ただ読むだけでなく、聖書同盟の旧約聖書通論(全5巻)とともに読むつもりです。
きっと何回も挫けることでしょう。

何回ころんでも、起き上がればいいのよね。(笑)
あと、新刊の楽譜で讃美歌をピアノにアレンジした譜が出ていたので買ってみました。
何かのときに使えるかしら。

家に帰ると、公団から、書類審査が通った旨、通知が来ていました。
あーーー、よかったあ! これで、引っ越し確定です。
待機順位も2位なので、少しは早く入れるかも知れません。

みなさま、お祈り感謝です。


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2001年12月20日(木) クリスチャン発見

クリスチャンというのは、
日本に1パーセントしかいないと言われています。
100人にひとり。

だから、信仰者の集まり以外の場所で出会うことはかなり少ないです。

今日昼休みに、給湯室で他部署の女の子と一緒になったら、
なにげに彼女が話しかけて来ました。

「ひかちさんて、クリスチャンなんですって?私もなんです」
へぇ〜、そうだったのお!

大人しい子で、若いし、話もあわなそう(おばさんの勝手な思い込み)
と思ってあいさつ程度にしか話したことはなかったのですが、
なんだかとても親しみを感じて、嬉しくなってしまいました。


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2001年12月19日(水) ひか太は、いちごが好き

今日の夕食後の、ひか太とおばあちゃんの会話です。

ひか太  「おばあちゃん、今日のデザートは?」
ばあちゃん「みかん食べてね。」
ひか太  「えー、いちごがいいなあ。」
ばあちゃん「いちごはないの。みかんでがまんしなさい」
ひか太  「えー。いちごがよかったなあ、ぶつぶつぶつ、、、
      みかんて、どうすればいちごになるのかなあ」

なるわけないっ!
大爆笑!


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2001年12月18日(火) 端末導入♪

今の会社で働き始めて、3年半。
今の仕事(端末を使う)を受け持って、2年…。

しいたげられたパートの事務員は、
仕事で必要不可欠な端末を席につけていただくことができず、
必要な度に隣の席・または上司の席でお借りしていました。

が!

念願遂に聞き届けられ、自分専用端末を机に設置していただくことができました!

やったあ!

もー、はかどるはかどる♪
やはり、仕事は効率第一です。
がんばって働こう。(^^)v


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2001年12月17日(月) ひか太発熱

ひか太を土日連れ回したので、疲れたもよう。
午後3時半ころ、学童保育から携帯に電話が。

「ひか太くん、鼻血を出しまして、体調悪いようなんです。
 熱を測ったら7度4分でした。」

母(ひか太のばーちゃん)は3時に職場を出てしまうし、
携帯なんてしゃれたものは持っているはずもない。連絡とれません。

私もちょうど上司が外出中で、
山のような伝票(今日は特別多かった)を抱えて、
帰れそうもありません。
第一すぐ会社を出たとしても、家まで最低1時間かかります。

うへえ、なんて最悪のタイミング!

「でも、本人は元気そうで、おやつも食べています」とのこと。
とりあえず、おばあちゃんが帰る時間に家に電話して、
お迎えに行ってもらうことにしますから、
それまで預かってて下さい、と言いました。

今日に限って、おばあちゃんは仕事帰りに寄る所があり、
いつもより帰宅が遅かったので、はらはらしましたが、
お迎えのついでにそのままお医者さんへ行き、薬をいただきました。

ひか太はとにかく「学校は絶対休みたくない」と言い張る子です。
幸い食欲もあるし、微熱でこのまま治るといいなあ。


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2001年12月16日(日) 教会学校クリスマス会

最近奉仕が立て込んでいて、
体力のないひかちは疲労がたまりぎみです。

でも、今日は地元の教会に行きましたよ。

この教会では、最近第3週目はファミリー礼拝となり、
朝早く教会学校に出て来られない子供達のために、
子ども向けメッセージが語られます。

なので、今日は教会学校はさぼってしまいました。
(とてもそんな元気がなかった)

礼拝後、昼食が出て(有料)、その後教会学校のクリスマス会が行われました。

まずクリスマスの踊り付き讃美をして、ジェスチャー・ゲーム。
それから飛び出す絵本を使ってイエスさま降誕のお話があり、
牧師先生の簡単なメッセージでした。

それからクリスマスツリーとリースの形のバッチを作って、
最後におやつが出て、サンタクロースの登場。
プレゼントをいただいて、終わりました。

これだけのことを準備するのは、ほんとうに大変だと思います。
奉仕して下さるみなさまに、本当に感謝です。

私は疲れきっていたので、途中失礼して母子室で寝ていました(ーー;)けど、
ひか太は楽しかったようです。

メッセージはどこまで理解したかわからないけど、
私が直接話しづらい、罪の赦しとか、イエスの十字架の意味、
復活のこともしっかり話されていました。

子供には信仰を継承したいと思いつつ、どう話してよいかわからない上に、
信仰者として良き手本となっている自信など全くない私。

教会学校の交流はほんとに感謝です。


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2001年12月15日(土) 稲城コンサート奉仕

今日は東京・稲城市の「豊かな心を育てる会」の
チャリティーコンサートのお手伝いに行って来ました。

コンサートは、私の教会の聖歌隊と、
プロの声楽家(アルト・テノール)、ピアニストを招いて行われました。
牧師のメッセージ付きです。

何しろ私の家から片道2時間半近くかかる遠方です。
小学校の登校日なので、朝ひか太を学校に出し、8時45分頃出かけました。

途中で教会の方と偶然会ったので、一緒に行きました。
11時くらいに会場へつき、まずお弁当をいただきました。

それからリハーサルで、2時から本番。
伴奏はピアニストの方がして下さるのですが、
急遽1曲追加になり、リハが間に合わないということで、
それだけ私が弾くことになっていました。

聖歌隊も人数が少なめなので、讃美歌はソプラノを歌い、
メサイヤからの抜粋曲(聖歌隊とソリストの曲)は譜めくり、
1曲だけは自ら伴奏。

なんだかばたばたして、大忙しでした。

ずいぶんこういう場には慣れてきましたが、
雑用しながら演奏のための集中力を保つのは大変です。

伴奏の出来映えはいまひとつでしたが、まあ大失敗ということはなかったです。

しかし、プロのピアニストと並べて弾くのだけは
なるべく勘弁してほしいと感じた私でした。

ああ、疲れた、、、


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2001年12月12日(水) 弟子ネタ

今日、中学1年生の弟子・まーくんが、
レッスンに来るなり言いました。

ぼく、23日のCS(教会学校)のクリスマス会で、
 『牧人ひつじを』の伴奏するんだ。」


ええ〜〜〜〜っ、まじですか?
楽譜あるの? 準備できてるの? 弾けるの?!

楽譜は讃美歌に載っているのしかない。
準備できてない。当然、弾けない。。。

まーくんは、小学校1年生の頃からレッスンしていますが、
未だに1曲を3ヶ月くらいかかってやっとやっと弾いている子なんです。

先生は、目が点々になってしまいました。

仕方ないので、とりあえず讃美歌を広げ、メロディーを弾かせ、
左手伴奏を彼が弾けるレベルに作り、口頭伝授しました。

私はレッスンのときは五線紙を持ち歩くのですが、
たまたま持っていなかったので頭を抱えていたら、
なんでも持ち歩くまーくんのレッスンバッグに入っていました!ラッキー!

とりあえず、作った伴奏を書いて持たせました。

いやー、簡単な曲でまだ良かったけど、
教会学校の先生も彼がどの程度弾けるのか確認して依頼してよね、、、やばすぎです。

「ピアノの先生が教会の人でよかったねえ。」と言いつつ、
しかしそれならそれですぐ先生に電話しなさいよ、
全くのんきな子なんだから、と思いました。

すごくかわいい弟子で、彼のことは大好きですけどね。
(彼は、クリスチャン4世。去年洗礼を受けています。)


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2001年12月11日(火) ひか太の作文

久々のひか太ネタです。
 今日もらってきた作文のプリントより。

★もんだい・「〜たり、〜たり」の文をつくりましょう。

きのう しんかんせんに のりました。
まどを いっしょうけんめい あけたり、ぱんちをしたりしました。
そうしたら、あきました。


おいおい、、、新幹線の窓って、開かないんですけど、、、(大爆)
これで3重丸をくれた先生、ほんとにいいんですかあ?


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2001年12月10日(月) 疲れたよ♪

金・土・日ハードな日々だったので、
会社に行ってもなんだか現実感がないかんじでした。
というか、なんか仕事を忘れてしまった(^^;)ような感じでした。

同じ部署の事務員の女の子がひとり今月で退職することになり、
まあ今月いっぱいは来るんだ 、とのんびり構えていたら、
有休消化のため今日からもう来ないということでした。あせりました。

3営業日連続で 休んだあとで、仕事山でした。
人員補充がいつされるか(されない可能性もあり。。。)
わからないし、しばらく忙しいかも。


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2001年12月09日(日) 聖日礼拝

今日は礼拝奏楽でした。

朝7時に起きて、8時前にひか太と二人で出発。
教会まで片道2時間弱なので、9時45分ころ着きました。

何も準備していなかったので、
行ってからヘッドホンでやさしそうなクリスマスの曲(前奏)を
ざっとさらって、讃美歌をざっと弾いて、準備完了。

これでできちゃうあたりが、すごい度胸です。
わたしもだんだん大物に、、、
(しかし、いつもこれじゃいけないですよね。)

礼拝後、クリスマス聖歌隊コンサートの最終練習でした。

稲城のコンサートは、参加人数が少ないので、
突然讃美歌だけソプラノを歌うことになりました。
ま、いいんですが、ぶっつけ本番。ちょっと怖いです。

「主はいきておられる」は弾かなきゃならないし、
メサイヤは譜めくり。大活躍の予定です。(笑)お祈り下さい。


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2001年12月08日(土) 学童保育・父母会親睦会

昨日の神経性胃炎を引きずっていましたが、
今日は学童保育の親睦会だったので、出かけました。

お昼12時30分集合。
大人14人、子供14人の大所帯で、武蔵野線と総武線、
京成バスを乗り継いで、まず江戸川の川っぺりにある、
ポニーランドへ行きました。

ここでは、小学生までは無料でポニーに乗れます。
みんな大喜びで何回も乗っていました。

その後、江戸川スポーツセンターのスケートリンクへ行きました。

私は体調が悪いので、滑らずに見学していましたが、
初挑戦のひか太は果敢に滑っていました。
たくさん転びましたが、大きな怪我もなく楽しんでいました。

その後、居酒屋で宴会でした。

私は胃炎であまり食べられませんでしたが、
2年生のおしゃまな子が大人より早くいきなりお酌しはじめたり、
ちょっと笑える場面もありました。

子供達も楽しんでいました。

しかし、明日の教会礼拝奏楽の準備を何もできなかったひかちでした。
わはは〜。 (大丈夫かいな・・・)


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2001年12月07日(金) クリスマスコンサート当日

ついに、この日がやって来てしまいました。

しかし、前日の心のパニック状態が嘘のように、
朝起きたらさわやかだったので、御霊に支えられていると感じました。

6時20分起床。7時30分には家を出て、教会に向かいました。

9時30分に教会に着き、とりあえず紅茶とドーナツを食べました。
一息入れて、ピアノの準備。

歌の方は、身体障害者のお母さまを連れてみえる関係上、
あまり早くいらっしゃれないので、
とりあえず一人で不安な箇所の最終チェック練習をしました。
少しだけリハもできましたが。。。

10時半から礼拝があり、姉妹の証しと牧師のショートメッセージ。
コンサートは11時半から、というスケジュールでした。

もう、ここまで来たらやるしかありません。

歌の方は、本番はやはり気持ちがとても入ってしまって、
練習と全然違う歌い方をされまして、ちょっとあせりました。
あわないところもありましたし、私の技量の限界で、
ミスタッチも多少ありましたが、すごい集中して、
霊的には満たされて奉仕することができました。

観客は65名ほどで、初来会者も20名あったそうです。

あとで、牧師夫妻から「あなたのピアノは霊性がありましたよ。」と言われました。

コンサートの後、軽く食事会がありましたが、
放心状態でほとんど食べれませんでした。

疲れたので早々に退散しましたが、
帰りの途中気分が悪くなり、帰宅後全部吐きました。
極度の緊張から来る、神経性胃炎と思われます。

いつも偉そうに「聖霊に満たされれば大丈夫!」とか、
「委ねてるから」とか語っているわりには、
だらしない私なのでした。(爆)

でも、主人以外の人と45分という長いコンサートやったなんて、
生まれて初めての体験でしたので、無理もないよね。

祈って下さった方々、ほんと感謝です!


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2001年12月04日(火) マラソン納会表彰式

今日はひか太のマラソンの表彰式でした。

3位の銅メダルは、先生のお手製のやつかなんかだとタカをくくっていたら、
驚いたことにちゃんとした本格的な製品でした。

おそらく 後援会の寄付でやっているのでしょうが、 感謝なことです。
ひか太は得意満面で、賞状とメダルを持って写真撮って、
と言うので撮りました。


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2001年12月01日(土) マラソン納会

先週から2週間、ひか太の学校のマラソン大会でした。

今日は最終日の納会ということで、
学年ごと(但し1学年1クラス)に順位をつけて、
最終的には表賞するという企画があり、それを見に行って来ました。

ひか太は、練習ではクラス4位で、はりきっていましたが、
本番では残念ながら6位でした。

しかし男の子では3位で、入賞なので
後日の表彰式では銅メダルがもらえます。

クラスで一番か二番に遅かった母としては感動ですが、
本人は「ぼく緊張して、うまく走れなかった」とかなり不服のようでした。


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