singersong professor KMの日記

2006年09月28日(木) 3拠点

 学部とMBAを担当すると言うことで,しかもMBA執行部と言うことで,BKC,二条朱雀,大阪淀屋橋と3拠点となった。3拠点はさすがに面倒で,疲れる。私の場合,秋は大阪の講義担当はないけれど,ときには大阪へも行かねばならないだろう。リズムが作れるまでは大変そうだ。

 つくづく,若い頃はのんきだったと思う。ま,若いときに楽をしたから歳をとってからしんどいことになっているのだろう。「古き良き時代の大学」は,今から考えると,何とものんびりしていたと思う。そして,我ながら,「ぬるま湯」に浸っていたように思う。今日を想定していなかった不明を恥じなければなるまい。



2006年09月26日(火) 最近の事件に思う

 下記事件の判決が報じられていた。これまで1人殺人の場合は,死刑にならなかったという。複数殺人に対して死刑判決が行われていたという。今回は例外的のようだ。報じられているところによると,犯人は出所後の再犯を明言しているという。無期懲役の場合,通常10年くらいで出所するそうだ。だから,死刑にしないと,再度殺人を起こすおそれが強かったわけで,今回の判決はやむを得ないところだろう。この事件について考えていたら,ふと次のことを思いついた。

 何人殺したら殺人で,そうでなければ無期懲役でと言う形式基準はおかしなものだ。チャプリンではないが,1人殺したら殺人犯で,戦争で百人,千人と殺したら英雄だ。9.11のビル突入犯はアラブ世界では英雄だ。いけないことに,これをきっかけに「対テロ戦争」と位置づけた戦争を始めたから,戦争なら殺人は英雄的になるわけで,ブッシュ大統領が,かえって,彼らを英雄に祭り上げてしまったかの観がある。戦争では殺せば殺すほど英雄になるのだから。

---------------
奈良の女児誘拐殺害、小林薫被告に死刑…弁護側が控訴

 奈良市立富雄北小1年、有山楓(かえで)ちゃん(当時7歳)が2004年11月、誘拐、殺害された事件で、殺人、わいせつ目的誘拐など八つの罪に問われた毎日新聞販売所の元従業員小林薫被告(37)の判決が26日午前、奈良地裁であった。

 奥田哲也裁判長は「卑劣で残虐な犯行。矯正の可能性は極めて困難で、生命をもって償わせるほかはない」と求刑通り死刑を言い渡した。

 これまで被害者1人の殺人事件での死刑判決は大半が金品目的の犯行だったが、奥田裁判長は「被害者は1人とはいえ、落ち度もなく、抵抗できない幼い子どもに性的被害を加え、殺害した結果は重大」と述べた。弁護側は控訴した。



2006年09月25日(月) 信じがたい

 最近のマスコミ報道,テレビなどを見ていると,信じがたいほど牧歌的で,安部新総裁がどうだ,ファーストレディがどうだと,浮かれている。その一方で,深夜のドキュメントでは産婦人科医が,とりわけ地方で不足していて,子供が安心して産めないという。少子化を騒いでいるのにこのていたらく。厚生労働省も本気で取り組んでいないようだ。医局支配を緩和したのはよいが,その結果,地方病院へ行く医師が減ったという。これまでの医局が果たしていた役割を十分分析しないで,規制緩和だ人権だという建前で制度改変したことが,この結果をもたらしているかに見える。

 いつも言うことだが,どうも,政治家や官僚の,そして,民でも官に近い規制産業で合理的な思考がなさすぎる。よく考えずに,マスコミに受けの良い施策を実施しては失敗しているように思う。衆愚政治ここに至れり,の感を深める。これはじつは昭和初頭と同じである。戦前は革新派と軍が結んで,結果的にファシズムの道へと堕ちていった。最近言われる格差問題などがそのきっかけになるのではなかろうか。年金問題などもいずれ爆発しそうだ。この国の官僚は先送りの名人だ。そこで問題が爆発したときはすでに手遅れになっている。最近の金融危機がその典型だった。先送りと危機爆発によるヒステリックな「改革」が行われる。そして国民は高いコストを払わされる。なぜ合理的判断が出来ないのだろうか。



2006年09月24日(日) 慚愧,慚愧。

 9月も下旬になって忙しくなってきた。19,20日のゼミ合宿を終えて,21,22日と東京出張。22日の東証見学会,ブルームバーグ研修,セミナーへの学生引率が仕事だった。その前に,セミナー講師をお願いした日本M&Aセンター代表取締役の分林氏を表敬訪問した。セミナーの方のお話も私の日頃考えていることとぴったりで,自分の考え方に間違いがなかったことを確信できた。これは収穫だった。学生諸君に有意義だったはずだが,こちらにも有意義だった。

 23日には経営管理研究科の教授会,懇親会があった。ということで,1週間ほぼ毎日飲んでいたのではなかったか。慚愧,慚愧。



2006年09月21日(木) タイのクーデターに思う

 タイでクーデターの記事。日経記事を読んでいると「首相は民主主義をゆがめ,反対派は民主主義ごと首相を葬り去ろうとした」というピチット准教授を紹介してクーデターの本質を規定しようとしている。他方でタイにはもともと「独裁的温情主義政治」の伝統があるとも紹介している。ニュースなどを見ていると国民が軍隊に花束を渡している光景が見られたが,そういうことかと理解できた。同記事はまた,タイで法治の原則が揺らいだことを懸念していた。

 それにしても日本でも庶民感情として「独裁的温情主義政治」を迎える風潮がありそうだ。それにしても問題はどういう政治が行われるかにあると思う。形式と内容でいえば,どんな形式で政権を握るかであり,法治が良いに決まっている。しかし法治だから良い政治が行われるという保証はない。ところが多くの場合,形式が良ければ内容も良いように錯覚するようだ。今回の報道を見ているとクーデターという形式だけからすべて悪と考えているように思う。今回のクーデターの目的も良いとは思えないが,その後どうなっていくのか関心を持ち続けたい。また,そういう地道な報道に期待したい。



2006年09月20日(水) パソコン

 パソコンの寿命がきつつあるのではないか,というので買い換え。搬入されてから立ち上がるまでが大変だ。大学院生のN君の助けがないと何も出来ない。



2006年09月15日(金) 連携

 今日近江鉄道バスに乗っていて,そして佐藤文昭「日本の電機産業再編へのシナリオ」(かんき出版)を読んでいたこともあって,8月の経営学部校友会の経営学振興事業セミナーを思い出して,考えた。セミナーでは交通論の若手近藤助教授に話してもらったのだが,都市交通での連携について話されていた。これを思い出した。

 都市における公共交通機関でいつも話題になることではあるが,各社バラバラに運行していて,連携がとれていないことだ。京都市内などでは一枚の切符でどのバスにも乗れるようになったけれど,ここ滋賀県では,近江鉄道バスト帝産バスが競合している。大都会でもないこんなところで競合していたら,ロスが大きいことはわかりきっている。

 自治体が音頭をとって,調整するかといえば,そうでもない。利用者の便を考えたら調整した方が良いに決まっている。またその方がかえって利用者増につながるはずである。それができない。メンツなのであろうか。どちらかの会社がすごくこだわりがあって高品質のものを提供しているというのでもないわけだから,メンツだけにこだわっているのもおかしなものだ。もちろん両者の競争が良い結果を生んでいるのなら,それも意味があるかもしれないが,どうだろう。

 学生諸君の中には草津市に提言したりしている諸君がいたように思うが,こういう提言はしないのであろうか。おそらく立命館大学生は不便を感じていないと思う。近江鉄道バスのサービスで十分満足していると思う。しかし地域住民はどうなのだろう。

 こういった連携は日本人は苦手のようだ。総合的にマネジメントするという思考がなさそうだ。海外でもアメリカよりヨーロッパの方が進んでいるように思う。日本の戦略性のなさは旧日本軍以来少しも変わっていないように思う。どこでもそうかもしれない。それだからこそ,少し頭を働かせたらビジネ・スチャンスが転がっているというべきかもしれない。



2006年09月13日(水) つくづく思う

 最近つくづく思うことがある。世の中進歩発展しているのか,と。若い頃は,世の中進歩発展していると信じていた。また時代がそれを信じさせてくれた。ところが,日本であれ世界であれ,社会の状況を見ると,とても進歩発展しているとは思えない。しかし考えてみれば,もとからそうであったように思う。あのギリシャ・ローマの時代に,あれだけの建築物を造り芸術作品を作り上げたのに,中世になると,まさに暗黒時代。キリスト教の問題だと言われる。それからの脱却はルネサンスを待たなければならなかった。これが世界史の常識だ。

 その後世界は発展してきたというのが,これまた常識となっている。しかし,これもある意味常識として知っておいて良いことだが,たとえば,新たな政権,新たな政治体制が作られると,過去はあたかも暗黒であったように言う。すべて過去が誤っていてこれをただすためにこの政権,政治体制を作ったと吹聴するのが新政権,新たな政府の常套手段だ。敗戦後,戦前の日本を全否定して民主主義を謳歌した日本。しかしそれはおかしい。新たな政権の正統性を吹聴するために過去を否定しているにすぎない。

 明治新政府が徳川時代を封建時代だと切り捨てたのも同じ論理だ。また学界もそれを根拠づけた。歴史は後世の人間が書き上げる物語にすぎない。だから,次々と革新が行われ,進歩してきているという言説が行われ,それをみんなが信じているにすぎない。かつてはスパイラルを描いて進歩発展していると思っていたが,どうやらサークルを描いて,元に戻ることがあるだけにも見える。そして時には状況は悪化したり,後戻りをしたりする。

 今の日本社会の劣化をみていると,そういう歴史観を実証しているように思う。この歳になると,一体孫子に何を残せるのか。いや財産というものではなく,よい制度,知恵といったものを残せるのかと思ってしまう。後世は後世の人が考えると言ってしまえばそれまでだが。



2006年09月11日(月) 意外と大変

 今,ビジネススクールでの講義用に「経営財務」のテキストを書いている。すでに,何回か講義をしてきたし,今春には簡単な冊子でテキストを作成したので,それに付け加えればよいと,軽く考えていた。だが,書き始めると遅々として進まず,意外と大変だと言うことがわかってきた。つまり,テキストやノート段階では,講義で補足するというのが前提になっているから,意外と詰め切れていないわけだ。これを市販用に書こうとすると,詰まっていないところに気づかされるわけだ。とにかく悪戦苦闘しているところだ。



2006年09月08日(金) 革新,改革

 最近書いた「松村通信」において,つまるところ近年の改革機運の怪しさについて書いた。改革だ革新だという耳障りの良い言説の怪しさに疑問を懐く。改革革新を唱える「彼らの中において,真に世界の大勢を達観し,国家内外の実情を認識して,たとえ一つたりとも理論あり,根底あり,実行性あるところの革新案を提供したる者あるかというと,私は今日に至るまでこれを見出すことが出来ないのである。国家改造を唱えるが如何に国家を改造せんとするのであるか,……しかもこの種類の無責任にして矯激なる言論が,ややもすれば思慮浅薄なる一部の人々を刺激して……」云々。これは昭和11年5月7日の齋藤隆夫代議士の粛軍演説である。

 「当時の政治家はその大衆に迎合する立場(ポピュリズム)をとって」軍隊にすり寄ったという(松本健一「日本の失敗」岩波書店,2006年)。松本氏のこの著書はこういう文庫本になる前,1998年に東洋経済新報社から出版されていた。当時はこの著書に気づかなかった。自身の不明を恥じなければならない。私がポピュリズムの危うさを強く感じたのは,昨年の郵政解散後の選挙であった。

 なお,同書では末尾に「戦犯とは何だったのか」を補の章として収録している。最近の靖国問題,A級戦犯問題,東京裁判の問題を考える上で有用だ。第3の開国の今を考えるのに,同書は有効であると思う。ちなみに第3の開国に関わって同書は言う。「国家が滅びるのは,敗戦によってではない。また,経済によってでもない。国家の再生の方途を指導者が示すことができず,それによって国民が気概をもって苦難を生き抜いてゆく目標を見失ったとき,国家は滅びる」と。



2006年09月05日(火) 夏期集中講義

 昨日から夏期集中講義が始まった。コーディネーターとして講師応接,講師紹介などが仕事である。ファイナンス・情報・インスティテュートとしては,夏期集中講義で,例年「いちよし経済研究所」協定科目として「ベンチャー企業とベンチャーファイナンス」を開講している。

 客員教授の近藤一仁教授の熱意で成り立っている講義である。アナリストとしてのご経験からのお話は,われわれ大学で研究をしてきただけの教員には語れない話をお話し頂いている。きっと学生諸君には興味深い話だと思う。今年もバイオベンチャーに関連しては山崎研究員にお話し頂き,さらにバイオベンチャーの雄「タカラバイオ」の加藤社長にゲストスピーカーとしてお話し頂いた。この会社なら,この社長なら投資しようと思わせるお話だった。こういう話の聞ける講義はそうざらにない。ありがたい話だ。

 今週金曜日までの講義で,その間にはまたもうお一人のゲストスピーカー「ワタベウェディング」の渡部社長のお話が予定されている。盛りだくさんの内容を含んだ講義で,これをとった学生諸君には大変有意義だと思う。我々が学生の時代にはこんな講義はなかった。こういう講義のありがたみを学生諸君にわかってもらえるだろか,と思う。「大学」であればこそ,こういった社長様方にお話し頂けるわけだ。そのあたりのことがわかってもらえるかどうかだ。



2006年09月02日(土) 気象庁が

 気象庁が9月1日に発表した「平成18年の梅雨入り・明けと梅雨時期の特徴について」によると,近畿地方の梅雨明けは当初7月30日頃だと発表したが,再検討の結果,7月27日頃だった,としている。私が7月26日に,この日記で次のように書いたのを思い出す。どうやら私の感覚の方が正しかったことになる。別にどうってことないが。

 それと京都の今年は暑かった。最高気温の最高は29.2度であったが,これは京都では史上2番目の記録だという。暑かったはずだ。また今年は集中的に短時間に大雨が降ることが多いと書いた。そのことは気象庁の発表でも「この夏は短時間強雨の発生が多く、1時間80ミリ以上の猛烈な雨の発生回数は、1976年以降最多となった」と述べている。

「2006年07月26日(水) もう梅雨明けでは
 もう梅雨明けではないかと思う。下記記事では,九州と四国のみ梅雨明けだとされている。一気に暑くなって,梅雨前線も北へ押し上げられ,弱まっているので,もう梅雨明けといって良いように思うが,気象庁は慎重のようだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「気象庁は26日午前、九州南部と北部、四国で梅雨明けしたと見られると発表した。平年と比べると、九州南部で13日、北部で8日、四国で9日、それぞれ遅い。(読売新聞) - 7月26日12時19分更新」



2006年09月01日(金) 210日

 まさに210日,つまり9月に入ってようやく気温が下がり始めたようだ。これまで「じっとしていても汗が噴き出した」が,いまは「動くと汗が噴き出す」というような変化だ。それに,本格的な雨も降った。これでようやく今年の暑さも峠を越えたことを実感できる。でも,仕事は山積みだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


singersong professor KM