singersong professor KMの日記

2006年01月31日(火) 国家の品格

 藤原正彦「国家の品格」(新潮新書)を最近読んだ。書評などからよい本だと思っていたが、なかなか読めていなかった。先週経済学部のO先生がよかったと言われたので、早速買って読んだ次第。半日もかからずに、一気に読んでしまった。最近の政治はいわれるように、衆愚政治。ポピュリズムが蔓延している。それをメディアがあおっている。メディアの責任感のなさなど、いつも言うように、噴飯ものだ。以前も書いたが、この本でも言われていた。つまり、あのヒトラーも民主主義の元で選出されたと言うことだ。第2次大戦は、ヒトラーなどが率いるファシズムと、他方でルーズベルト大統領率いるファシズムとの対決であったと指摘している。全く同感である。

 エリートなき民主主義の危うさが指摘されている。戦前の日本にはまだそれでもエリートがいた。戦後はそれがいなくなってきている。だからなおさら危ない。フランス、イギリスなどエリートが厳然と存在し、国の品格を高めている。いまの日本にはそれがない。世界中がうらやんだ、美しき日本、はどこへ行ったのか。そういう問題意識で書かれている。いまのうちなら何とかなる。また何とかしなければならない、というわけである。

 世の中白か黒かではなく、実際は灰色である。それを決めつけがちであるとも指摘している。日頃私が言っていることがここでも言われている。いちいち紹介しないが、一読を薦めたい本だ。



2006年01月29日(日) 経営学部校友会セミナー

 昨日は、経営学部校友会「経営学振興セミナー」で講演した。「M&Aの時代−ライブドア、村上ファンド、楽天に続くものは?」と題して話した。1時間半の予定が、途中で夢中になってしまい、2時間も話してしまった。用意したパワーポイントが多すぎたともいえるが、それよりも最近のライブドア即咲く、堀江逮捕と続いたので、話すべき内容が豊富で、時間超過となってしまったという面もある。せっかく作ったパワーポイント、これをどこ嘉穂かでも使わないともったいない気がする。機会があればどこかではしたいとも思う。もっともこういうネタは、陳腐化も早いが。

閑話休題

 上記とも関連しているが、この間のライブドア事件の報道からわかることは、要するにライブドアが無価値な会社を株式交換で子会社化しその際、その被買収会社に交付したライブドア株式を投資家に売却しこれを自社に還流させていたようである。ある種の新株発行なのだが、これを利益として表示していたようである。資本でも利益でも、キャッシュ・インフローには違いない、仮にそれは問題ないとしても、そのプロセスがまさに偽計である。資本か利益か(粉飾)の問題よりもそのスキーム自体の偽計というか詐欺というか、その性格がきわめて問題含みであることは間違いなさそうである。検察は、そこまでつかんで捜査、逮捕したのだろう。それにしても、ここ数日のテレビを見ていても、いろんなことが話されていて、目を離せない。



2006年01月26日(木) ここのところ

 ここのところ、ライブドア問題をフォローしている。実は、明日27日に東京へ日帰り出張だが、翌28日(土)に、経営学部校友会のセミナーで「M&Aの時代−ライブドア,村上ファンド,楽天に続くものは?−」というテーマで話をする。このテーマは、もちろん、今回のライブドア捜索、ホリエモン逮捕のずっと以前に決まっていたものだが、こうなると、実にタイムリーな講演となった。それだけに、今回のことも一応フォローしておかないといけないわけだ。そんなこんなで準備作業に明け暮れている。おまけに、29日(日)には新ゼミ懇談会を企画している。終了後は縦コンパとなっている。少し忙しいわけだ。



2006年01月24日(火) センター入試リスニング

 この土日、当方は大学院ビジネススクールの入試に関わっていたが、世間はセンター入試、とりわけ東京の「大雪」で受験生が困ったなどと言う話とともに、今年から始まった英語リスニングでICプレーヤーの不具合が「続発」したというニュースが報じられていた。担当部長はこのように話したという。

 松浦功事業部長は「ICプレーヤーの不具合の申し出はゼロだと思っていた。こんなにあるとは」と話した。原因については「わからない」としたうえで、「メーカーの全数チェックや受験生による動作確認を繰り返したのにICプレーヤーの不良が起こり、大変遺憾です」と述べた。

 昨日の朝の番組でも言っていたが、トラブルは当初より想定されていたはずで、対応策を決めておいて、粛々と実行するより他ないわけで、何を言っているの?という感じだ。最初からマシンに問題が出てくるのでは?と言われて、そんなことはありませんと答えてしまうから、変なことになるのではないだろうか。

 一定割合の機械に不具合が起こるのは当たり前。問題は次善三善の策を講じておく、そういうことが必要なはずだ。どうも「日本人」(役人?)は反省が下手なようだ。無謬性(この言葉を聞いてぞっとするのは、我々年代の人間だが)という馬鹿な前提で何でもかんでも言いくるめようとする、これがいけないわけだ。

 もっとも、無謬だから反省しなくてよいし、事実反省しないわけだ。怖い話だ。そうではなくて失敗を前提にして、対処法を事前にきっちり決めておく、これより他に道はないはずだ。そして、現場ではそれが実行されたの
ではなかったか。もっとも現場からの声によると、それが丸投げされていたようだが。これなど役人の無責任さを表している。

 トップは反省しないで下の方で辻褄を合わせてしまう。それが日本の強さ。つまり現場の強さではある。しかしそれがいつまで続くのか。これからの世代に「現場の強さ」を望めるのだろうか。

 なお、あるブログに今回使われた機械のスペックが紹介されていた。ご関心の向きのために転載しておく。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
・メディア:メモリースティックロム(容量は15.4Mバイトで11.5Mバイト使用)
・メモリースティックロムには、QRコードらしきものが書かれている(中身は確認できず)
・ファイルは独自形式:.BINの拡張子。MSZYX00x.BINの形式
・ファイルの日付:2005年8月24日
・単三乾電池駆動:ソニー製鉄腕アトム電池(マンガン)
・本体中身の基板はミツミ電機製
・イヤフォンはステレオ
・ボリュームは小さめの設定にしてもけっこう聞こえる

 これは既にヤフ−オ−クションに売りに出されているという。、希望価格3000円というのがけっこうという。

 一番の問題は、「MP3プレーヤーとして使う方法があるのかどうだかわからない」ので、iPodキラーと言い切れないところだ、とも言われている。




2006年01月23日(月) トンネルを抜けると

「トンネルと抜けると、そこは雪国だった」今日とも雪が降り積もっていたが、逢坂山トンネルを抜けて滋賀県にはいると、視界は真っ白。で、冒頭の川端康成風の光景が現出した。やはり滋賀県の方が雪が多い。京都にしても滋賀にしても朝方はほとんど積もっていなかったようだ。強い北風に乗って、雪雲が南下してきたようだ。今日は一日中気温も上がらないようなので、帰り道、足を滑らせないように気をつけなければなるまい。



2006年01月22日(日) ライブドア事件(その4)

 いつも日本経済新聞の通りに言うのは、ひねくれ者の私としては気にくわない。けれども、今朝の日経の社説は、その通りだと思った。曰く

「問題は証取法を所管する金融庁と傘下の証券取引等監視委員会が、ライブドアの行為の違法性を早い時期から真剣に検討し行動をチェックしようとした形跡がないことだ。
 損失補てんなどの証券不祥事を機に設立された監視委は、人員の増強や課徴金制度の導入などで機能を強化しつつある。しかし、大恐慌の反省から生まれ、政府からの独立性が高い米証券取引委員会(SEC)が準司法的権限を与えられ、会計・監査制度を含む上場会社の行動を厳しくチェックする資本市場の番人であるのとは比べようもない。」

 いつもアメリカがよいわけではないが、以前言ったように、制度インフラを整えぬまま自由化を進める愚はさけなければならない。

「市場での詐欺行為や詐欺的行為を重大犯罪と位置づける米国は悪質な犯罪に厳罰を科すのに対し、日本の経済犯罪に対する罰則の軽さは犯罪が割に合わないと思わせるのに不十分だ。証取法しかり、商法を抜本的に改めた会社法もしかり。原則禁止から原則自由に変わった日本の経済社会は自由に伴う責任を厳しく問うバランスを欠いている。規律が働かない証券市場が典型で、ライブドア事件はその象徴といえる。」

 これもその通りで、経済事犯に対する罰則が緩すぎるのは問題だ。アメリカにように厳しくするのがいつもよいわけではないが、逆に日本は緩すぎる。これでは「やり得」を許してしまう。ライブドア事件はその意味でもよい教訓にすべきだと思う。



2006年01月20日(金) ライブドア事件(その3)

 ライブドアによる投資組合を利用した利益操作が報じられている。これはこれで別途会計問題でもある。それにしても今回の商法改正のなかで、有限責任事業組合(LLP)が登場してきている。これの利用方法、というか「悪用」方法の、ある種の典型がライブドアに見られると言うべきではないか。その匿名性などが問題視されているけれど、それが「長所」として制度化されたのではなかったか。はじめから、こういう利用のされ方もある、そういう制度であるという認識もなく制度化されたとすればなにをか況わんやである。

 商法改正というか、会社法創設というか、今回の一連の商事法関連法の「自由化」はこういう危うさをはらんだものだと思う。今更騒ぐのは、おかしい。小泉「改革」を支持しておきながら、ライブドア事件のようなことが起こると手のひらを返したように問題視する手合いにはいやになる。はじめからそういう制度化をしたことの問題なのだと思う。これは姉歯事件でもみられる。検査を、いわゆる「官から民へ」移したことが一つの原因であることは間違いない。はじめからこういうことが想定されていたはずだ。事件が起こってから騒ぐのもどうかと思う。制度化に不備があったというべきだ。拙速というべきかもしれない。

 会社法自由化運動というのが、20世初頭から1920年代のアメリカで起こった。これが様々な問題を起こし、1930年代のルーズベルト大統領の時代に規制の時代に入ったことを想起すべきだ。レーガノミックス以後のアメリカでも再び問題が起こった。その典型がエンロン事件だった。これが会計改革法につながった。日本ではこれらアメリカの経験をふまえた上で制度化するという後発の利点があったはずだ。ところがそれがそうではないらしい。同じ過ちを繰り返しそうだ。そういう意味で言えばライブドアを一概に責められない。

 ネット証券が個人投資家層を増やした。この投資家がライブドア・ショックで狼狽売りをした(それが東証のシステムに負荷をかけたのだが)。個人投資家がこの事件で損をしたことを問題にする向きもあるが、もうけたときには問題にしないで、損をしたときだけ問題にするのもおかしなものだ。そういうものだと言えばその通りだが。証券市場とはそういう場所だと認識しておくべきなのである。今回のことを大騒ぎする人には市場参加資格はない。ライブドアの危うさは、はじめからわかっていたはずだ。儲かるときには何も言わずに、損をしてから文句を言う。やめてもらいたい。



2006年01月19日(木) またまた、ライブドア

 ライブドアが証券市場を混乱に陥れている。所詮、証券市場は虚業の世界。何が起こってもあまり驚く必要はない。実業と虚業のバランスが大切なのである。ライブドアは実業部分より虚業部分が多すぎた。

 ホリエモンが表の顔、裏を取り仕切っていたのが宮内氏のようである。直接会ったK氏からのメールによると、

「自己顕示力が強い人だと思いました。税理士ですが、たたき上げの這い上がってきた人で非常にせっかちで、競争心が強いとも自分で言っていました。」とのこと。

 またその略歴は下記の通り。かなりアグレッシブな人だろうと、この略歴からも想像できる。いずれにせよ、ライブドアの存続にはかなりの困難を伴いそうだ。そのビジネスモデルに株価、レピュテーションを組み込んでいただけに、かなりの痛手だ。実業に本腰を入れて取り組もうという人材が社内にいるのだろうか。レピューテーションによりすぎていただけに人材も容易に流出するだろう。再建は容易ではなさそうだ。

宮内氏の略歴
宮内 亮治氏(みやうち・りょうじ)86年(昭61年)
横浜市立横浜商業高卒。99年ライブドア入社、取締役。
05年ライブドアフィナンシャルホールディングス会長
(兼任)。神奈川県出身。38歳



2006年01月18日(水) ライブドアのビジネス・モデル

 さらに、ライブドアについて書いておこうと思う。去年の騒動の際、私はライブドアに個人投資家が踊らされているという感触を持った。そのことは講義や学習会で学生諸君にも話した。個人投資家がネットで売買するというのが常態化したことが、ライブドアのこれまでの動きを支えてきていたと思う。今回上場廃止も視野に入ったと言うことで、当然のことながら狼狽売りを誘い、ライブドアのビジネス・モデルはもはや成り立たなくなった。「一巻の終わり」の感ありだ。宮内取締役の辞任で乗り切れるのか疑問だ。

 個人投資家の支持を背景に高株価を演出し、株式交換でM&Aを繰り返すというビジネス・モデルだから、今回の捜査は大打撃のはずだ。誰かが辞めてすむ問題ではなく、ビジネス・モデルが破綻したと思う。だから、「一巻の終わり」という感じがするわけだ。宮内氏はそのあたりを理解して、沈む船から逃げ出そうとしているのだと思う。場合によっては舞台を変えて、別の会社で類似のビジネス・モデルを構築しようとしているのではないかと思う。まだ柳の下にはドジョウがもう1匹や2匹いそうだから。



2006年01月17日(火) ライブドア捜査に思う

 ついにライブドアに検察のメスが入った。グレーな取引を続け急成長を続けてきたライブドアの危うさは早くから認識されていたところだ。この会社がIT企業というくくり方では理解できない、投資会社であると、私も早くから指摘してきたところだ。そこで自社株価の上昇を利用して買収を逆寝てきたこと、その間株価操作まがいのことを行ってきたこと、すべて周知のところだ。これに検察のメスが入ったわけだ。

 ライブドアが、株式分割などをして、現物株不足を利用した株価引き上げ、そしてそれを売り抜けることによる利得など、様々な操作を行ってもうけてきたことは早くから知られていた。問題は違法性があるかどうかであった。グレーではあっても違法ではない、というのがこれまでの解釈であった。しかしいくら何でもひどすぎる、ということで今回の捜査になったと思われる。

 昨日今日のテレビ報道で、これが小泉・竹中主導の規制緩和、市場原理主義称揚に歯止めがかかるのではないかという解説も行われていた。だが、そこまではメスは入れられまいと思う。しかし転機にはなるかもしれない。今回の捜査は、資本主義の健全な発展のために必要なことではあると思う。またそのようなものであってほしいと思う。

閑話休題

 先の日曜日「あるある大事典」、確かに、STO氏も見ていたようで、私も心がけようとは思うのですが。氏曰く「「太らない食べ方」というタイトルで放送してましたが、要は、一食と一食の間をあまり空けないということと夜は9時以降は食べるなということですかね。しかし、この当たり前のことがなかなかできないのですよ。」ごもっとも。



2006年01月16日(月) 油断ならない

 とにかく、掲示板というのは油断がならない。管理人がよほどまめにチェックしていないと、変な書き込みがされる。関連掲示板で、最近3件ほどの変な書き込みがあった。私が管理人をしているのものは、気がついたらすぐに消去したが、ゼミ生のY君管理の掲示板では、連絡をして消去してもらわねばならなかった。時々、ほかの掲示板をみていると、変な書き込みがあるのがわかる。管理人がチェックしていないとか、事実上休眠中のものなどがその対象となる。

 インターネットやパソコンは便利だけれども、よほどしっかりしていないと、ひどい目に遭う。もっとも先週末に自分でした仕事、うっかりして消えてしまって、その日の仕事がパーになったというのも、パソコンの怖さだ。紙媒体であれば、そんな一挙に消え去ることはないけれど、パソコンの場合、消えたら跡形もなくなる。先週末のショックはまだおさまっていない。まだ消えた仕事の修復は終わっていない。今日あたりから気持ちを新たに取りかからなければ、ダメージがいつまでも続きそうだ。



2006年01月13日(金) 地方議会のレベルの低さ

 だいたい毎朝、研究室に着くと、メール・チェックをし、ゼミのホームページを確認する。そして「ヤフー・ファイナンス」でそのときの日経225がいくらしているかを確認する。で、ヤフーのニュースを見る。さらに天気予報なども確認したりする。もちろん時間があればの話だが。そのときに一緒に日記を書いてしまうこともある。これは日によって違う。

 で、今日ニュースを見ていて、次のニュースに目がいった。「今冬の記録的な大雪による死者が12日現在で82人となったことが、読売新聞のまとめでわかった。/負傷者は1588人。犠牲者の50%余りが70歳以上で、高齢者の被害が際立っている。」というものだ。今度の大雪など、ほとんど災害といってよい。にもかかわらず、自衛隊への出動要請が遅かった。確か一番早かったのは長野県だったと思う。ぎりぎりまで自治体で背負い込もうとするようだ。背負い込むのであればよいのだが、イニシャチブをとりたいのではないかと疑ってしまう。

 地方自治体の問題に関してだが、昨日、今日の朝日新聞に、辞めた大阪市・大平助役にたいするインタビュー記事が出ていた。そこで言われていた、議員の質の悪さに嫌気がさした。口利きを業と心得ているらしい。議員が口をきけるのは限られた市民にしかすぎない。それ以外の市民は捨て置かれることになる。そんなこともわからないのだろうか。市役所の職員がその議員への対処にものすごく時間をとられているという。役人よりもむしろ議員の方が悪いというのが大平元助役の弁である。

 議員はだから常に与党になりたがる。そこで、全党相乗りの市長が選ばれる。こういった地方自治体のていたらくは情けない。議員の数も多すぎる。以前も書いたような気がするが、市町村統合などにより自治体の規模が大きくなりすぎて、小回りがきかない。住民一人一人に対するサービスは低下する。私は、それよりも、もっと小さな自治体にすべきだと思う。議員はパートタイマーで十分である。歳費は実費プラス若干のアルファ程度で十分である。日本の政治のレベルの低さは地方議会にあると、かねがね思っていた。今回の大平前助役へのインタビューで改めて認識した。



2006年01月12日(木) 昨日のJR事故

 昨日の帰宅途中、JR大津駅で電車が発車せず、瀬田−南草津間で事故があったとアナウンスしていた。しばらく停車していたが、何分か遅れで発車して、帰宅にそれほど支障はなかった。ネットで調べてみたら下記の通り、間一髪だったことがわかる。大津駅に停車していたのは22時15分から25分くらいにかけてではなかっただろうか。もう1本後の電車だったら、もろに影響を受けていただろう。それにしてもそんな踏切あったっけというところだ。あまりにも身近な事故で驚いた。

−−−−
新快速と軽乗用車が衝突 大津のJR東海道線踏切

 11日午後10時15分ごろ、大津市月輪1丁目のJR東海道線踏切で、米原行き新快速電車と軽乗用車が衝突し、軽乗用車を運転していた大津市の無職女性(27)が病院に運ばれた。電車は脱線しておらず、乗客(約900人)にけがはなかった。
 この事故の影響で、上り電車が京都−米原間で同日午後11時36分まで、下り電車も同28分まで運休した。
 現場は警報器と遮断機のある踏切で、大津署で原因を調べている。
(京都新聞) - 1月12日1時1分更新



2006年01月10日(火) 産業再生機構解散

 JR嵯峨野線、琵琶湖線ともに遅延していた。だから1時間あまりで到着の予定が1時間半以上かかった。で、4回生のゼミにぎりぎり間に合った。こんな日に限って大幅遅れ。早めにでているから遅刻することはないが、いつもながらのJR遅延に悩まされる。

 閑話休題

 日曜日の日経新聞に書いてあったが、「再生機構解散前倒し」とのこと。2006年度内に支援完了を目指すという。債権の回収も順調に進んでいて41件合計の収支も黒字になるという。それにしても、産業再生機構の設立が決定されたのが2002年10月で設立されたのが2003年4月だったから、90年代の不況の間中はこういった対策が講じられてこなかったということだ。金融政策一辺倒だった。

 私は、金融危機に際して「貸借対照表右側一辺倒の政策には無理がある。左側資産の側の処理が必要だ」と言い続けてきた。産業再生機構はまさに貸借対照表左側の政策だ。遅きに失したが、最近の景気回復をみればわかるように効果的で、また、黒字が見込まれるように、結果的にたいへん「安上がり」の政策だったことがわかる。

 私からすれば、「だから言っていたでしょう」ということになるが、相当の出血の後になって、やっと治療を始めたような感じだ。もっと早くからこの政策をとっていれば、ここまでの出血はなかったはずだと思う。

 要するに、この間金融政策一辺倒で、産業政策がなかった。アメリカは80年代に日本を研究し尽くして、産業政策・情報技術政策を立案した。1985年の「ヤングレポート」(大統領産業競争力協議会発表)などが典型だ。アメリカは、元々産業政策は日本より弱かったが、ここのところ産業政策と金融政策をバランスよく採用してきた。逆に日本は、最近金融政策に偏りすぎた。それが90年代以降の不況深刻化の原因ではなかったか。

 デフレが完全に蔓延して、やむを得ずという格好で、産業再生機構を設置したように思える。もっと早く何とかならなかったものかと思う。今回の報道にふれて、その思いを新たにした。



2006年01月08日(日) お後よろしいでしょうか?

 昼食でレストランに入って、ランチ的なものを注文した。すると、アルバイトのウェイター曰く「おあとよろしいでしょうか?」。余計である。こんな昼食でランチ類を注文して、「おあとよろしいでしょうか?」などと、さらにいっそうの注文を促されて注文するはずがない。客を見てモノを言え。外食産業における最近のマニュアル口調には、うんざりする。「**円からいただきました」などというのもよく問題にされている。**円頂いたのでしょう。**円「から」いただいたなどの(疑似)「日本語」は、耳につく。

 マニュアル通りの言葉しか発することが出来ないから、何か違和感を伴う。「おあとよろしいでしょうか?」は、口癖かマニュアルか知らないが、状況を判断してもらいたいものだ。客としては、言外に「これっぽっち」しか注文しないのかと言われているようで気分が悪い。



2006年01月04日(水) 行儀が悪い

 「<規制緩和>市場原理、過疎に冷たく 民間いいとこ取り!?」(毎日新聞)- 1月4日13時19分更新-と題する記事が出ていた。同記事曰く。

 「民間で出来ることは民間で」と小泉純一郎首相が大号令をかける規制緩和。郵政民営化、公務員削減など「官から民」の響きは勇ましいが、過疎地は降ってわいた市場原理に揺れている。【田後真里】

 すなわち「栃木県日光市に近い鬼怒川温泉。そこにある東武鉄道の駅前に二つのバス停留所が並ぶ。いずれも路線は同じで同県栗山村の奥鬼怒温泉郷入り口の女夫渕(めおとぶち)温泉までを約1時間45分で結ぶ。
 停留所の一つは、栗山村が運行する村営バス。片道2100円。もう一つは民間のしおや交通(栃木県塩谷町)で500円安い1600円。しかも、しおや交通の出発時間は村営バスより5分早く設定されている便が多い。」

という。以前東武鉄道がバス運行していたのだが、廃止されたので、町の足として高校生の通学や高齢者の病院通いのために町が補助して運行されてきたという。ところが「規制緩和」の波がここに押し寄せてきたわけだ。

 「00年の道路運送法改定で、バス事業が免許制から許可制へと緩和され、しおや交通は昨年7月に参入した。平日は運行せず、観光客の多い土、日曜と祝日に限って1日3往復を走らせる。増渕岩男社長は「安ければ客は喜ぶし、国の規制緩和政策にもかなう」と語る。」

行儀が悪いというべきだ。

 その結果、「栗山村の財政事情は苦しくなった。住民生活課によると、しおや交通が参入した昨年7月から同年12月18日までの土、日曜と祝日の同路線利用者は約3500人。うち約980人がしおや交通に流れた。観光シーズンの同年8月の1カ月間で収入は04年8月に比べて95万5980円減少した。」

という。利益追求はよい。だが企業が社会的存在であることを忘れてもらっては困る。「規制緩和」はしばしばこれを忘れさせる。かつて「企業公器論」ということがいわれた。利益を追求するのも、それが広い意味で公益につながるからそれが許されているという自覚を経営者が持たない限り、資本主義は存立できない。姉歯、木村建設、ヒューザーなどが許されないのは、その存立の根拠を忘れているからだ。

 昨日の朝日新聞で、給食費などの学校の費用を補助してもらっている家計が1,2割もある、場所によっては4割になっていると報じられていた。ショックだった。その計算根拠などが正確に書かれていなかったので、疑問を感じるが、それでもそういう家庭が増えていることは事実だろう。2極分化、「勝ち組」「負け組」、不平等化、などなどが最近よく取り上げられている。不正確なものも多いが、方向としてはそういう方向にある。「規制緩和」がこれを助長している。

 規制緩和が、官の無益な規制を撤廃する方向へ向かうのはよい。ところが実際には、先のバス運行会社のように、これに「悪乗り」する輩が多い。何にでも行き過ぎはある程度やむを得ないと考える。けれど、それにも程度というものがあるはずだ。最近の風潮はどう考えても度外れている。安っぽい規制緩和論が横行している。どこかで歯止めをかけないと危ないと思う。「殺人請負会社」が許されるはずはないのだから。


 < 過去  INDEX  未来 >


singersong professor KM