singersong professor KMの日記

2005年07月31日(日) 葬儀に参列して

 昨日は,佐合先生の葬儀に参列した。暑かったけれども,東京から,九州からと,大勢の先生方が集まった。人望だろう。それに,突然の62歳という現役ばりばりの先生の訃報とあって,一堂驚きを隠しきれなかった。「ご苦労さんでした」と声をかけるのが精一杯だった。

 そんななかで久しぶりの顔も見かけた。H先生と出会ったので,昼食をご一緒した。葬儀の場所が佐合先生ご自宅近くの京都南部の「加茂」駅前ということで,京都からは結構遠かったし,駅前といっても,駅前らしい賑わいの感じられない,閑散としたところだった。それでも1軒の寿司屋があったので,そこで昼食をともにしながら,久しぶりの長話となった。定年後の第二の人生が見つからないという。わが大学も,従来定年後特別任用教授制度があって,かなり自動的に任用されていたのが,廃止されることになるという。

 第二の人生もなかなか大変な時代だ。これは別の本学のH先生曰く,「大学は斜陽産業だから」大変だ。高齢化社会で,年金は減らされて,仕事もなくなる。この年齢になると個人差が大きい。まだまだ働けるにも関わらず,このリソースを放置するのはまことにもったいない。もちろん若者とて仕事がなく,フリーター,さらにはニートが増えている。経済が衰退していく社会というのはこういうことなのだと思う。自分が直面しないと,この社会の矛盾に気付かないわけだ。この国は徐々に蝕まれている気がする。



2005年07月29日(金) 佐合紘一先生

 帝塚山大教授,大阪市立大名誉教授の佐合紘一先生が急死された。昨夜連絡を受けびっくりしてしまった。というのも,先週の土曜日証券経済学会関西部会でご一緒し,その後一緒に飲んだばかりだったからだ。今朝の情報では心筋梗塞だという。62歳とまだまだ若い。全く,何が起こるかわからない。

 私が証券経済学会に入会したのは,当時立命館大学におられた伊奈教授の薦めもあったからだ。それ以来のおつきあいである。伊奈教授もそうだが,佐合先生も当時この学会で重鎮として活躍されていた河合一郎教授の門下生だった。爾来ずっとおつきあいさせていただいていた。20世紀初頭のアメリカでの株式水増し財務の研究をされていた。私も当時同じ分野の研究をしていた。そういうこともあって,そしてまた気さくな人柄もあって,親しく話させていただいた。

 この6月からは,証券経済学会の代表理事に選ばれたばかりだ。私も理事の一端を担っており,まして関西の理事は佐合先生を含め5人だから,一緒に力を合わせて学会発展に尽くそうと思っていた矢先のことだ。それだけに本当に残念だ。関西の役員会に大きな穴がぽっかり空いた感じだ。明日の葬儀告別式には参列しようと思う。合掌。

なお,いずれ消去されると思うが,佐合先生の授業風景が下記から見られる。
http://rishu.tezukayama-u.ac.jp/KEIJO/bit/video/sago.wmv



2005年07月28日(木) 長寿?

 昨日,男性の人口減が報道されていた。まさに少子高齢化,人口減少が目前に迫ってきた。今朝の日経「大機小機」欄では「長寿社会は天国か」と題して書かれていた。介護保険と年金との二本立てになっているが,早急に一本化すべきだという。「長期展望に基づく政策を怠れば,長寿に伴う高齢者介護が近い将来,大問題になるのは自明だ」としている。そうだと思う。

 昨年,年金問題を学習する学生諸君に「長生きのリスク」があるから,年金が必要なのだと話した。健康で裕福なら長生きもよい。でも,病弱で貧困な長生きは絶望的ですらある。多くの日本人がそれを不安に思っている。政府は当てにならない。では,自分の子や孫はどうか。これも最近では当てになりそうもない。ではどうすればよいのか。自衛にも限度がある。言われるように「地方分散を強力に促して職住接近を図り,少子化対策とする政策」が,高齢化対策としても望まれている。何らかのアナウンスメント,アクションが必要だと思う。この国はあまりにも「ことば」が少ない。



2005年07月27日(水) OB会

 8月20日に京都で,松村ゼミOB会をしようという話が出ている。関西でのOB会は久しぶりだ。かつて定期的に開いていたのだが,ここしばらく開いていない。東京では毎年集まっているのだが,関西ではかえって集まれていない。皆に発送すれば郵送費が大変になると言うことがあって,止まってしまったように思う。まずはささやかにOB会をしていければと思う。

 今年の場合もHPなどで案内しておきたい。N先生は卒業生の名簿管理をしているという。以前は私も管理していたが,校友課でそれをしていることがわかってからは,校友課のものを使うようになった。名簿管理は大変なのである。



2005年07月25日(月) どういうこと?

 これって,どういうこと?と思わせることが多い。最近の例では,アスベスト問題。下記報道などに接すると,何ということか,と思ってしまう。危険性はわかっていたというのだから,どうしようもない。これほどだとは思っていなかった,というが,海外の状況などよく調べればわかっていたはずだ。要は,知りたくなかっただけだろう。官僚の無責任さは,近年驚くほどだ。というか,前例,先行事例がはっきりしているときは官僚システムはうまく機能するけれども,新しい問題には対応できない。そのときこそ,本来政治などの出番だが,その政治が混迷している。政治家や高級官僚にノブレス オブリージがなくなったことが大きい。あるいは教養がなくなった。私も他人事ではないが,普通人が利己的・実利的・即物的なのはある程度やむを得ないとしても,社会の指導層がそれでは困る。何もかも大衆化しすぎてエリートが育たない。エリートを育てる機関がない。かつて旧制高校がそれを担っていたが,今やそれもない。

 それと関連しているかも知れないが,先週末の学会での報告を聞いて,我が意を得たりと思ったことがある。大方,データを収集するが,分析力が弱い,という。資料を集めて,それで安心してしまう。問題は分析することなのだ。将来予測に役立つ調査でなければならない。そのためにはデータを分析し,そこから帰納的に言えるストーリー,シナリオが描けなければならない。もちろんそのシナリオが外れたら,なぜはずれたのかを検討する。そして新たにシナリオを書き直す。そのことによって分析力が向上するはずである。これは先日証券研の学生が来たときに話したことでもある。せっかく有能な人間でも,銀行などでラインで働いていたら,考えなくなると言う。かつての銀行マンは,それでも融資先にアドバイスする力を持っていたように思う。先週末の学会でのお話しでは銀行マンの力が低下しているという。他でも同旨のことを聞いたので,そうなのだろう。ようやくにして,それではいけないといわれだしていることは確かだが。

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アスベスト 危険性「省内で常識」 旧労働省幹部 指導甘さ認める

 アスベスト(石綿)による健康被害問題で、家族や周辺住民へも被害が及ぶ可能性があるとする通達を出した昭和五十一年当時の旧労働省の複数の幹部が、二十四日までの産経新聞の取材に対して、「(危険性は)省内では一致した認識だった」と証言した。そのうえで、当時の対応について「(企業への)指導が徹底できたかどうかはわからない。認識が甘かった」と述べ、通達を出した後、それが有効に機能しているかどうかは確認していなかったことを認めた。
 厚生労働省と環境省は現在、これまでの対応に問題がなかったか検証を進めており、危険性を漫然と放置した“行政の不作為”の有無が今後の焦点となりそうだ。
 旧労働省は五十一年五月、各都道府県の労働基準局長にあてて、「労働者のみならず、作業衣を家庭に持ち込むことによりその家族にまで災いの及ぶおそれがある」などとする通達を出した。添付された資料には、英国の病院で昭和四十年までの五十年間に、中皮腫と診断された患者八十三人のうち、九人が家族や親類で、十一人が工場近くの居住者であったとする調査結果が記され、周辺住民への危険性を訴えていた。
 旧労働省の幹部によると、同省内では当時、「石綿が人体に影響が大きいということは常識」で、「通達にある中身というのは、当然起こりうることと考えられていた」と、周辺住民への危険性も念頭にあったという。
 そのうえで、「危険性があることを十分に認識していたからこそ通達を出したが、これほどまでに大きくなるとは思わなかった。認識が甘かった部分があったことは否めない」と語った。
 また、別の幹部は「業界からの反発もあったし、有害でも、石炭やディーゼルがなければ産業が成り立たなかったように、石綿もなくしてしまうことはできなかっただろう」と、法規制には難しさがあったとしながらも、「安全対策がひどい中小企業はあった。指導が徹底できたかは分からない」と述べた。
 旧労働省では、通達以前の四十六年の「特定化学物質等障害予防規則」制定時にも、業界団体や同省職員向けの解説書で、アスベストを含む化学物質について「労働者に中毒、障害を及ぼす恐れがあるだけでなく、公害をもたらすことになる」と指摘。旧環境庁も五十五年、「家族や発生施設の近隣住民は曝露(ばくろ)量が比較的大きいと予想され、直ちに組織的な活動が必要だ」としていた。
 しかし、旧環境庁が大気汚染防止法で大気中へのアスベスト排出を規制したのは平成元年。アスベストが原則使用禁止になったのは、旧労働省が厚生労働省になった後の昨年十月のことで、行政の対応の遅れが目立っている。
(産経新聞) - 7月25日2時58分更新(Yahoo Newsより)



2005年07月22日(金) こんなニュースを読んで

 ネット企業の旗手も私生活は別のようだ。下記記事を読んで,果たしてこれはどう言うこと?っていう感じだ。どうでも良いことだけど,藤田晋というと,格好いいネット企業の旗手という感じで,ホリエモンが「ダサイ」(?)だけに好対照と見られていたので,「ほー」という感じだ。

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女優の奥菜恵さんが離婚

 女優の奥菜(おきな)恵さん(25)が、インターネット関連企業の社長、藤田晋さん(32)と離婚したことが22日、分かった。

 藤田さんが自身のホームページで明らかにした。2人は2004年2月に結婚した。(読売新聞) - 7月22日17時56分更新



2005年07月21日(木) 強烈に暑い

 今年の夏は強烈に暑そうだ。水不足もさらに深刻になるのではないか。気象庁のウェブページで確認すると,今日21日の京都の最高気温は36.0度だった。この先が思いやられる。暑中見舞いの季節だが,実感を伴う。気象庁のHPで調べると,これまでの京都の最高気温は,1994年08月08日の39.8度というのがある。今年はそれに迫る,あるいは,それを超えるのかも知れない。



2005年07月19日(火) 試験近し

 試験が近いと,レジュメや過去問題への解答を得ようと,私のHPへのアクセスが急増する。不正確なカウンターかも知れないが(というのも,カウンターの不備についての指摘を受けたことがある),だいたいの傾向はわかる。試験間際でも勉強をすることはよい。人間誰でもせっぱ詰まらないとなかなか出来ないものだ。その瞬発力は必要だ。瞬発力は女性より男性の方が強いように思うが,どうだろう。

閑話休題

 昨日大阪(夜の大学院講義)から帰りの電車,JRの新快速,よく混んでいた。で,阪神のユニフォーム姿の乗客も散見されたので,「そうか,今日は海の日で,休日で,阪神の試合をしていたのか」と思った次第。彼ら,彼女らの元気がよかったので,今日「も」阪神が勝ったのだろうと思ったが,果たして,帰宅後ニュースで見ると勝っていた。熱狂的阪神ファンのI先生ならずとも,心楽しい。



2005年07月18日(月) 梅雨明け

 梅雨明けが発表された。ここ数日の天気からすれば,もう数日前に梅雨は明けていた感じだ。今日18日は「海の日」だという。以前は20日だったが,ハッピー・マンデーとかで月曜日に移動している。もちろん昔はこんな休日はなかった。頭が混乱する。

 わが立命館大学は今日は開講日となっている。だから今日の大阪での大学院講義のために夕方から大阪へ向かう必要がある。



2005年07月17日(日) 学会発表?

 忙しいと,自分で追い込まないと勉強しない。で,学会発表を申し込んで,自分を追い込む。自分の無能さを知っているから,とにかくの安心を得るためにも学会発表をしているところがある。怠惰,無能を自覚するからこそ,発表するというのが最近の自分である。それと,言いたいことを言っておきたいという気持ちもある。自分をさらけ出すことに気後れしなくなったと言うこともある。ま,歳でもありますね。



2005年07月16日(土) MBA説明会

 土曜日にもかかわらず,来年度開設予定の大学院経営管理研究科(MBA)の説明会があった。まだ文部科学省から設置認可が下りていないけれど,宣伝しておいて,受験して貰わねばならない。で,説明が微妙になる。まだ予定段階だと言うことを言っておかなければならない。それに,まだ認可もされていないのだから,講評できないこともある。にもかかわらず,宣伝しなければならないわけだ。それだけに微妙な話にもなる。それでいて,できるだけ大勢の受験生を得たいわけだ。そこが難しい。



2005年07月14日(木) 昨日もやりました

 昨日もまた,やってしまいました。いろんなファイルを立ち上げたまま,作業をしていたのだが,保存をしないまま続けていたファイルが,パソコンのフリーズのため,喪失。それまでの作業がパーになってしまった。何時間分かの作業がパーになったので,ショック。気を取り直して,思い出しながら復旧した。やはり,こまめに保存しなければいけません。フリーズするのは決まって,画像処理のときである。一太郎文書に画像を貼り付ける作業をしているときにフリーズする。今後は気をつけよう。



2005年07月13日(水) 祇園祭

 祇園祭,鉾の曳き初めの記事が出ていた(下記参照)。そんな季節です。子供の頃は祇園祭というと,何となく楽しくなったものだ。当時,前の祭(17日)と後の祭(24日)に分かれていて,山鉾巡行も2回に分けて行われていた。17日は長刀鉾から船鉾までが巡行し,24日は北観音山から南観音山までが巡行する。なお,鉾はにぎやかに囃すけれど,山は静かに巡行するのみだ。ただし,前の祭の岩戸山と,後の祭りの北観音山,南観音山は,山ではあるが鉾と同様,囃子方が乗って囃す。

 母親の親元が24日の後の祭りの地域で,毎年「およばれ」に行くのが楽しかった。そしていとことゲームなどにも興ずるわけだ。当時は巡行のコースも今のように大きな通りではなく,小さな通りを,あの大きな山鉾が巡行するわけで,民家を見下ろしながら巡行していた。前の祭は四条通を東進し,寺町通を南下し,松原通を西進する,そして各鉾町へ北進して帰る,というコースだった。後の祭りは三条通を東進し,寺町通を南下し,四条通を西進し,各鉾町へ北進するというコースだった。今やビルから見ればミニチュアのように見える鉾が当時は民家を威圧していた。懐かしい限りだ。

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<京都>祇園祭・山鉾の曳き初め

祇園祭の山鉾巡行を日曜日に控え、京都では組み立てが終わった鉾の曳き初めが行なわれました。

山鉾巡行のリハーサルにあたる曳き初め。本番さながらの「コンチキチン」の祇園囃子の中、重さ10トンもある鉾が、木の車輪をきしませながら動き出しました。本番の巡行では「綱を曳けるのは男性だけ」と決められていますが、きょうの曳き初めは、近所の子どもたちや浴衣姿の女性たちも参加。日曜日の山鉾巡行に向けて、祭りムードが一層高まってきました。
(朝日放送) - 7月12日19時26分更新



2005年07月11日(月) 週末

 この週末は一体何をしていたのか。大学院のレポート読みで終わった。受講生も約30名と多い。大学院は最近はクォーター制になっていて,前期の前半,後半,後期の前半,後半となっている。私は前期の前半はBKCで担当し,後半は大阪で担当した。で,前期の前半の最終レポートをなかなか読めないでいたのと,前期の後半の第1回課題レポートとが重なった。これを放置しておくと,学部の大講義の答案採点がそのうち押し寄せてくるので,今の内のこれらを片づけておかないといけないわけだ。それで,この週末で何とか片づけた。

 誰でもそうだが,講義や講義準備などはまだしも,前向きの仕事だと感じられるが,試験の採点は「後ろ向き」の仕事だ。後かたづけといえば言いすぎだが,採点していて理解されていないのに気付いても,もう後の祭り。講義で正すことも出来ない。手遅れである。そういう意味でも「後ろ向き」の仕事だ。だからつらい。レポートでも中間レポートなどなら,読んだ後返却をするとか,講評をするとかができる。だが,最終レポートはそうはならない。そうなると「後ろ向き」の仕事と感じられる。だから遅々として進まない。気が乗らないわけだ。



2005年07月08日(金) コンパなど

 昨夜のコンパは,祇園「にんにくや」。やはり,南草津よりは内容豊富でリーズナブルだと思う。ただ残念なことに,当方の体調が不十分だったこと。次回は体調万全でコンパに臨みたい。

 で,今朝は家族中から「臭い,臭い」と文句を言われた。そんな臭気を放ちながら病院に行ったが,医師や看護士は臭かったのではないかと思う。そして,体調を整えるためにも,診断,処方をして貰った次第。今日も夜まで仕事が続く。体調を整えながら務めなければならない。



2005年07月07日(木) お疲れ?

 胃腸がお疲れのようだ。暑さ,出張,仕事,それに最近膝や肩が痛くて医者に通っていたがそこで貰った薬も胃にこたえたのかも知れない。時々そういうことがある。胃腸薬を飲みながら治すのがこれまでの経験だ。今回は治るのがやや遅いという感じ。夏場,どうしても疲れが出るのだろう。でも,仕事を頼まれたら断りきれない。出来そうなことなら引き受けてしまう。もちろんあまり下らない仕事はしたくない。それなりに意義のある仕事を引き受けているつもりだが。

 今夕はコンパだという。残念ながらあまり無理を出来ない。ほどほどに退散しなさいと言うお達しが身体から発せられているのだろう。こういうときもある。

閑話休題

 一昨日帰りに乗ったJRで,この後の新快速電車は人身事故のため遅れる模様。この普通電車に乗ってくださいとアナウンスされていたのを思い出し,何だったのかとインターネットで調べた。下記を発見。

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電車にはねられ、死亡 JR東海道線能登川踏切付近

 5日午後9時55分ごろ、滋賀県能登川町能登川のJR東海道線能登川踏切(警報機、遮断機付き)付近で、人が網干行き新快速電車にはねられ、死亡した。乗客にけがはなかった。
 JR西日本によると、運転士が踏切の約100メートル手前で踏切内に人影をみつけ、非常ブレーキをかけたが間に合わなかったという。この影響で後続の電車に遅れが出た。
(京都新聞) - 7月5日23時33分更新



2005年07月05日(火) JR遅れていて幸い

 今朝はJRびわこ線が遅れていて幸いだった。約30分遅れの新快速が京都駅0番ホームに止まっていたのに乗り込んで,石山駅で普通に乗り換え,これがスムーズに行った。この場合,京都駅では嵯峨野線からびわこ線まで普通なら陸橋を渡らなければならないところが,9時までの新快速は0番ホームに止まるので,これに乗り込むと陸橋を渡る手間が省ける。おまけに,乗り継ぎも実にスムーズにいった。ダイヤの混乱が幸いだった。こんなのは初めてだ。

 南草津駅からのバスでは,情報4回生Kさんと一緒だった。ここでは夏期集中でバイオ関連のゲストスピーカーの話を理工学部の学生・院生などにも聞いて欲しいという用件を伝えることも出来て,一挙両得。実に(私にとって)有り難いJRダイヤ混乱であった。



2005年07月04日(月) 雨の中学会出張

 空梅雨から一転,梅雨が戻ってきた。そんな中,四国大学へ財務管理研究学会へ出張した。2日一日だけの学会だったが,そして,役員にも選ばれた。副会長の一人となっているが,この小さな所帯の学会だから,あまり肩肘張るようなものではない。

 徳島の夜は,T君と楽しんだ。やはり,魚を楽しんだ。呑みかつ食った。幸い,自分たちが歩いたりする間は雨も小やみだったように思う。大雨・洪水警報が出るなかでの学会だった。で,戻ってみると,今朝は滋賀県に大雨警報が出ていた。大雨警報がついて回ってくるようだ。今年ばかりは,雨が降ってよかったと思う。あまりの空梅雨で困っている地方が多かっただけにそう思う。



2005年07月01日(金) 今朝も

 今朝も近くの病院で理学療法,それと,昨日あたり足指に出来た水疱,かゆくて痛いので,ついでに見て貰った。水虫でなければよいが。で,やはり病院は待たされることが多い。今日はそれでも少し天候が悪かったのと,前回のように土曜日などということがなかったので,それでも2時間もかからずに済んだ。その間,軽い本を読んだ。あまり軽いので,通勤途上の車中でも読んだら,読み終わってしまった。あまりためになる本でもないが,最近気になった問題で,書名は「中小商店の経営戦略」。ビジネスになりきっていない,いわゆる生業の部類の経営はどうあるべきか。先週の税理士さんとの話などで気になったので,読んだ次第。結局は「人」につきる。


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