singersong professor KMの日記

2004年02月27日(金) いやはや

 3月1日にソニーへのインタビューに行く。この4月からのテキスト改訂版の校正締め切りが3月5日,プロジェクトの最終報告書(A4で200枚)の締め切りが3月8日,セミナー講師が3月13日,その準備もこれから(というか8日の報告書提出以後に準備の予定),という有り様。で,M先生にもメールで書いたのだが,日頃のツケが噴出したというところでしょう。でも,昨日院生諸君にも話したのだが,別にそんなに遊んでいたわけでもないのに,との思いもある。時間の使い方が下手なのだろう。

 この間,1回生用情報リテラシーテキストの改訂版への寄稿,研究機構の機関紙への報告書2編執筆,会計理論学会の学会誌への論文提出(これは昨年の発表原稿の若干の手直しですんだが)などなど,を一応こなしてはいる。もちろんファイナンス・インスティテュートでの父母教育後援会表彰論文の審査なども仕事のうちだ。多様な入試があるので,その合否判定も仕事になる。そんなこんなで,時間を結構とられた。

 ほんと,いやはや,という感じ。と書いていて思い出したが,京都で鶏のインフルエンザ発見の報道を今朝知った。下記にアップしておく。これもまた,いやはや,というところだ。

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京都で鶏1万羽死ぬ、5羽から鳥インフルエンザ陽性

 京都府は27日、同府丹波町の養鶏場「浅田農産船井農場」で鶏計約1万羽が死に、高病原性鳥インフルエンザウイルスの簡易検査で、死んだ3羽と生きている2羽から陽性反応が出たと発表した。

 検体を茨城県の動物衛生研究所に送り、最終的な確認を急ぐ。確認されれば、最近の鳥インフルエンザ感染は、山口県と大分県に次ぐ国内3例目となる。

 山田啓二府知事は同日、対策本部を設置、養鶏場から半径30キロ以内にある府内の養鶏場39か所に対し、鶏卵や鶏肉の移動自粛を要請した。この範囲には大阪府と兵庫、福井両県の一部も入り、兵庫県も鶏・卵の移動自粛を要請した。

 京都府は、船井農場を経営する浅田農産(兵庫県姫路市)に対し、出荷済みの鶏と卵の回収を命じた。

 府によると、26日午後7時半ごろ、保健所や家畜保健衛生所に匿名の男性から「丹波町の養鶏場で1000羽以上の鶏が毎日死んでいる」と電話があった。府の事情聴取に養鶏場側は、20日ごろから1日約1000羽、計約1万羽が死んだと説明、府は27日未明から立ち入り検査した。(読売新聞)[2月27日12時23分更新]



2004年02月25日(水) 唯物論?

 昨日,某君と話していて,気付いたことだが,彼も経済学(新古典派経済学)を基礎にして話しているが,経済が社会を規定しているという発想のように感じた。これはかつてのマルクス主義でも同じだった。私など,そこらあたりに疑問を感じたものだ。いわゆる唯物論への疑問だ。これは,経済学に限られない。もっとどろどろした人間を扱うはずの経営学でも,同様のことはある。

 最近流行の「成果主義」とか,それにもとづく「年俸制」「能力給」などというのが,どうも人間の見方に関して,「唯物論」的なところを感じる。「人間はパンのみにて生くるにあらず」というではないか。最近読んだ,高橋伸夫「成果主義の虚妄」日経BP社,というのがあるが,「虚妄」とまで言ってよいのかはともかく,「成果主義」に見られる「唯物論」的見方では,きっとうまく人間を管理できないだろうと思う。

 たしかに「唯物論」はわかりやすい。最近の政権における大臣や審議会への「経済学者」の登用の結果,どうも「唯物論」的見方がはびこっていて,あまり好感を持てない。一体人間を何だと考えているのか,と感じる。確かに,戦後すぐの貧しい時代なら,そういう見方も,ある程度無意味ではなかっただろう。衣食足って礼節を知る。今やそんな時代ではないはずだと思う。

 閑話休題。

 最近は焼酎人気だそうだ。以下の記事を見て,そうなのか,と思いました。

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いも焼酎の人気、5割超も 宝酒造がアンケート調査

 焼酎ブームの中で、特にいも焼酎の人気が高まっている。宝酒造(京都市)がアンケート調査で好きな焼酎を尋ねたところ、いもと答えた人が過半数でダントツの人気だった。大手酒類メーカーは特産地・九州の酒造会社への委託生産量を増やしている。京都の飲食店や酒販店でも品ぞろえが豊富で若い女性にも人気だ。
 焼酎の出荷量でいもは麦の3分の1程度。しかし、宝酒造が昨年、焼酎ファン400人を対象にしたアンケート調査で、好みの焼酎を聞いた質問では「いも」を挙げた人が関西、関東とも5割を超えた。麦を挙げた人は2割で、いも焼酎の人気の広がりが浮き彫りになった。
 2003年上期の出荷量は、いも焼酎が前年同期比23%増で麦焼酎(前年同期比11%増)や米焼酎(同8%増)に比べて急増している。宝酒造は「風味豊かな味わいが人気を呼び、男女とも急速に支持が広まった」と分析する。
 いも焼酎はサツマイモが原料で、鹿児島県を中心に九州の酒造会社が大半を醸造している。宝酒造は鹿児島県の酒造会社に生産委託し、「一刻者(いっこもん)」や「黒甕(かめ)」を発売。昨秋には宮崎県の酒造メーカーにも生産委託し「黒雫」を追加発売するなど生産量を増やしている。アサヒビールやサントリーも地場メーカーと組み、生産を拡大中だ。
 焼酎の品ぞろえが自慢という京都市中京区の創作料理店「とりくら」では100種の焼酎のうち、50種がいも焼酎という。伊藤秀薫店長は「すっかり定着した。特に女性の注文が多く、ブームをけん引している」と話す。京都高島屋の酒類売り場でもいも焼酎が40種に増えた。「問い合わせも多く、今後一層増えるのでは」(売り場担当者)という。(京都新聞)[2月25日14時33分更新]



2004年02月22日(日) 仕事の順序

 時々「先生は仕事が速いですね」といわれることがある。そんなことはない。しばしばいやな仕事,時間がかかりそうな仕事は後回しになる。すぐにできそうな仕事から取りかかる。あるいは,すぐにできただろうと思われるにもかかわらず,ついつい後回しになってしまった仕事は,今度はいやになってさらに後回しになる。もちろん,早く仕上げる仕事は,だいたい粗っぽい。いわゆる粗製濫造。何でもかんでも緻密に仕上げることなど不可能だ。力の配分を誤らないようにしなければならない。

 だから,仕事が速いと言われることもある。問題は,研究である。自分の研究だから,人からあれこれ言われることは,当面ない。これが遅れる原因だ。ついつい後回しになる。おまけにこれは粗く仕上げることはできない。だからますます遅くなる。そこで,無理に学会発表を引き受けたりする。それに追われてやらざるを得ないからだ。そうでもしないと,どうしても速く仕上がる仕事を先行させることになりがちだ。

 まことに仕事の順序というのは難しい。最大の問題は,いやな仕事を後回しにすることだ。いやでもやるべきことはやらなければならない。それはわかっているのだが,人間弱いもので,ついついそれを後回しにする。だから常に追われているような気持ちがするわけだ。忙しい,忙しい,と,ついつい言ってしまう。この性癖が直らない限り(今更直るはずもない),一生忙しい,忙しいと言い続けるのだろう。バッカジャナイ,と言われそうだ。

 閑話休題

 KBTの日記を読んでいて,「テヘ」とあったので思い出した。先日テレビで言っていたが,長島監督が大学時代,英語の授業で「The」という冠詞を,「テヘ」と読んだとか。



2004年02月19日(木) 長時間の会議に思う

 よく言われるように,大学の会議は長い。昨日はその典型。朝10時半から夜8時近くまで,会議,会議の連続,ほとんど休憩なし。そんなに長く話して,何か成果につながればよいが,そう簡単には成果につながらない。それともう一つ,大学の先生たちは,必ずしも全員が揃わない。全員,少なくとも大半が一堂に会する機会が少ない。だから,集まったら長い会議をする。ある種の案件処理のようなことにも時間が費やされる。

 規定上,教授会で決定する,となっていたら,とにかく決定しなければならない。合議体で決定する,それもかなり日常的とも思えるものも,合議体で決定する。だから形式化する。それがまた,会議が長引く要因だ。今後は,少なくとも,この面はもっと合理化されるべきだし,合理化されると思う。規定さえ変えればよいわけだから。ただし,その決定権が,ある種の「権力」でもあるわけだから,それを手放そうとしないかも知れない。どんな些細なことでも決定権を握っている限り,それが「権力」の源になる。

 たとえば,ある予算の執行権限,たとえば,**万円以上は財務部長の決済を要すると決められていれば,その財務部長が判を押さない限り,一歩たりとも前進しないわけだ。これはたとえの話だから,財務部長というわかりやすい例を挙げたまでだ。そういう決定権,権限がある地位に付随するのが普通だ。組織全体のためをみんなが考えていれば問題ない。しかし,ある地位にいるだれかが,「権力者」(自己の権力を振り回して喜ぶ人)であったり,少し変な人だったら,その組織はたちどころにおかしくなる。もちろん最後はトップの問題だ。だがそこまで行くのには時間がかかる。

 組織というのは,必ずそういう問題を孕んでいる。だから組織内でのネットワーク作りや人脈作りをする。それは仕事をスムーズに進めるための知恵だ。そういうラインの仕事をしないのであれば,ネットワーク作りの意味はあまりない。元来,大学教員は,ある種のスタッフである。だからネットワークに必要はない(はずである)。

 でも,**長となれば,そうはいかない。事務の誰それに頼まなければならないことがしばしばだ。そのとき,日頃仲良くしていると,仕事がスムーズに進むわけだ。企業なら,そんなこと当たり前だろう。だから,よい仕事とよい人とに巡り会えるかどうかで,その人の「運命」は決まる。不合理この上ない。でもこれが,世の中というものだ。だから,万全の備えがいるわけだ。雌伏何年,などということもある。逆境にめげず,こつことつ力をためることができれば,いずれよい巡り会いはある。いわば「待てば海路の日和あり」だ。

 常に「私益」を捨て「公益」(社会のためだけではなく,会社のため,組織のためなど)を考えて行動していれば,いずれ日が来る。そう信じなければならないだろう。苦しいだろうけれど。とくに会社のある部分が反社会的な決定をしたら,結局その会社のためにならないのだけれど,短期的利益のためにそうすることがあろう。そのときが苦しいだろう。「雪印」や「日本ハム」の事例を見れば,その結末は明らかだけれど。



2004年02月17日(火) 入試関連作業が

 入試関連作業が続いている。ファイナンス・インスティテュート運営委員長として,入試合否判定作業に関わっているためだ。立命館大学は様々な形態の入試を行っているため,それぞれについて合否判定しなければならず,しかも,インスティテュートは,経済・経営・理工の3学部にまたがっているので,それら学部との調整も必要だ。そのため会議も多くなる。

 詳細は省くけれど,いろいろな作業が必要になってくるわけだ。そういうとD大学のM先生がいつも,合格通知の封入作業などを教員が行っているとの話し。立命館大学ではそこまではしなくてよい。前にも書いたが,立命館大学ではかなり合理化されている。それはそれで結構だけれど,様々な入試形態があるため,いろいろな仕事が出てくるわけだ。もちろん,執行部レベルでの話で,そうでない場合は,その「合理化」の恩恵を大いに被るはずである。

 大学も変わらないといけないといわれている。われわれはその先頭を切って走っているだろうと思う。というか,大手の大学はかなり走りつつある。むしろ中小,地方の大学の動きが鈍い。これらの大学で今後相当の困難が予想される。私立大学の経営や財政について,研究会を開き,本を書こうかなどと話しているところだ。
この動乱の時期だから,きっと需要があるはずだというのが我々の認識だ。



2004年02月14日(土) 博士課程入試面接

 博士後期課程入試面接を終えました。4人面接したのですが,予定時間を遙かにオーバーするという熱心な面接になりました。どうしても研究内容に関わることになるので,力が入ってしまうわけです。もう1組面接をした班もあったのですが,こちらもかなりの時間オーバー。

 修士論文に関わった話,博士後期課程での研究計画,などなど,聞くべきことは多岐にわたり,どうしても時間がかかってしまうわけです。合否はいずれ発表されるでしょうが,こういう大学院生を面接するというのは,やはり,相手は研究者の端くれとはいえ,志願者のことを研究者として扱ってその視点から見るわけで,学部学生諸君を面接するのとはだいぶ違う。まさに,力が入る。真剣勝負。こういう緊張感はよいですね。

 私立大学で大学院博士課程後期課程で教育し,研究者を育てるというのは,並大抵ではない。これまでも諸先輩方がやってこられたこととはいえ,このご時世ですから,大学そのものが大変忙しくなってきている。他面で研究のレベルも当然上がり,研究者をめぐる競争状況もますます厳しくなってきている。グローバル化も進んできている。それだけにこれからの研究者は,従来以上に力を必要とされる。

 そう思うからこそ,力が入るわけです。もちろん,研究者は最終的には自己責任。しかも「徒弟制」のようなものも根強く残っている。私はあまり「徒弟制」には賛成できないが,しかし,所詮は人間関係。運不運もついてまわる。小中高校,さらには現代では大学の学部とは違って,師を選ぶのも学生・院生である。だからこそ自己責任といわざるを得ないわけだ。気付いていない諸君もいないわけではないが,それでもどこかで感づいているはず。難しい問題だ。



2004年02月13日(金) またまたまた,嵯峨野線が

 またまたまた,嵯峨野線が遅れていました。花園駅へ向かって歩いていたら,電車がホームに止まったままなので,何かあったとは思ったのですが,ホームに着いてみると,その電車がまだ止まっていました。どうやら,人身事故。その電車(9時32分発)は40分遅れで発車。でも,その発車時間が私が乗ろうとしていたそれより2本後の電車の発車時刻(10時12分発)と変わらなかったので,結果的にはちょうどよかった。どうやら,円町駅付近で事故があった様子。でも,よくわからない。後でニュースか何かで確かめたい(下記記事参照)。

 今日のスケジュールは,修士論文面接,それに入試の合否判定予備会議,となっている。何せこれだけ多くの種類の入試をすると,入試関連の会議だけでもバカにならない。それに,明日は大学院入試がある。そんなこんなの毎日。おまけに,後期試験の採点がせまっている。というか締め切りが今日だから,絶望。昨日事務と掛け合って,掛け値なしの締め切りには間に合わすことにした。土,日が猶予期間だが,土曜日は大学院入試だから,日曜日が追い込みとなる。

 それにしても,その採点締め切りも機械処理のため,昔より融通が利かなくなった。デッド・ラインが厳しくなった。何のための機械化なのか。機械化で忙しくなるのは本末転倒だが,これなどコンピュータ化の,ある種の失敗事例ではないかと思っている。よくある話で,コンピュータ化のしわ寄せが現場におろされる,という。これがその事例のように思う。

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特急に男性はねられ死亡 JR山陰線円町駅

 13日午前9時半ごろ、京都市中京区西ノ京円町のJR山陰線円町駅で、天橋立行き「特急はしだて1号」が、ホームから飛び降りた男性をはねた。男性は病院に運ばれたが死亡した。
 JR西日本によると、35分後に運転を再開したが、上下合わせて6本が運休、12本が最大38分遅れ、7500人に影響が出た。西陣署で身元などを調べている。(京都新聞) 



2004年02月12日(木) またまた嵯峨野線が

 またまた嵯峨野線が,園部−亀岡感の霧のため遅れて,京都駅で少し時間待ちをする羽目になりました。でも今日も手持ちの本(「なぜ高くても買ってしまうのか」)を読んでいたので,待ち時間も苦にならなかった。やはり,何か手持ちの読み物は必要,手放せません。この本,まだ読了していないけれど,なかなかの優れもの。営業,とりわけリテール関連の営業をしている人には役立ちそうです。現在の消費者は,必需品の消費ではなく,少し高級な品物への消費に目がない,そういう状況をよく説明しています。

 閑話休題。

 ドクター面接のための修士論文読み,とりあえず終了。入試面接のつもりで軽く引き受けたのがいけなかった(引き受けざるを得ないのですが)とはいえ,5本の修士論文に全て目を通した。みんなそれなりに水準はクリアしていた(?)とはいえ,やはり,さまざま。知りたい人には別の機会に直接お話ししようと思う。もちろん一般論として。

 転んでも只で起きない精神を,最近は貫こうと思っているので,修士論文でもかなり丁寧に自分に有用なところはないかと探しながら読むことにしている。そこからでも何か収穫を得たいと思うからだ。修士論文クラスであれば,それなりに収穫があるものだからだ。もっともどう考えても収穫のなさそうなのもあるけれど。



2004年02月10日(火) 嵯峨野線が

 嵯峨野線が今日も遅れていた。自宅から花園駅への到着寸前,駅のホームを見上げると「京都行き」が入線している。きっと前の電車が遅れているのだろうと思った。案の定,そうであった。それはそれでよいのだが,当然のこと,私の乗る予定の電車も延着。それも2分遅れ。これは微妙。というのも,いつもこの電車に乗るときは,京都駅で,びわこ線との接続がぎりぎりなのである。

 これもまた,案の定,電車を降りて乗り換えのびわこ線ホームに向かう途中で,乗り換え予定の「野洲行き」普通電車がスーッと入線してきた。これから陸橋に上がってホームを下りる時間を考えると乗り換えは無理と判断して,ホームで15分以上次の電車を待った。ちょうどこの時間帯,いつもの15分間隔ではなく,間合いが17分あいている。寒いので,ホームの日当たりのよいところで待った。

 お陰で,審査対象として今読んでいる修士論文に集中できた。こういう場合は,多少乗り継ぎに失敗しても,あまり腹が立たない。一喜一憂の毎日である。



2004年02月09日(月) 答案の採点,自己評価

 5日は博士論文審査で一日つぶれたし,6日はインタビュー依頼文送付作業等々や父母教育後援会表彰応募論文の確認や調整などをしているうちに時間がたち,そのうち夜になって,「基礎演習」クラスの懇親会で終わった。

 そして,7日,8日は,朝から晩まで,深夜まで,魔の採点作業。全部終わらなかったけれど,見通しは立った。後期の場合,「資金調達論」で300枚あまり,それに非常勤をしている同志社大学のものが100枚。合計で400枚あまり。問題は論述問題のところだ。とにかく,相手のレベルにあわせて読んであげる必要がある。これが大変。用語法の誤りや事実認識の誤りは減点せねばならない。それにあまり厳しく見ると点数が少なくなりすぎる。少しゆるめに見ていく必要がある。いくら頑張ってもスピードは出ない。しかも疲れる。

 そうこうしているうちに,別の仕事が送られてくる。いくら仕事が来ても身体は一つ。一つずつしか片づけられない。とにかく,採点というのは,以前書いたように,自分の講義に対する学生からの採点でもある。だから余計にシンドイ。とくに,毎回と言うほど出席しているのに,答えが書けていない学生がいるかと思えば,ほとんど出席していないのに,結構書けていたりする。疑問を感じつつ採点する。どうしてこうなんだろう。基礎的能力のばらつきは避けられないようだ。

 近年は,答案末尾に,感想文を書いて貰っているが,易しすぎるという感想を書く学生がいるかと思えば,難しかったという学生がいる。一体どちらなんだと思ってしまう。全体に難しかったという学生の割合の方が多い。圧倒的に多い。また,難しかったと感想を述べている学生の答案が結構よかったりする。これは難しかったので勉強をしてよい答案になったということで,こういう答案には好感が持てる。まさに,答案こそが講義に対する「評価」なのである。若い時分は思い上がりもあって,自分が学生を評価していると思っていたが,この歳になると,学生が自分の講義を評価してくれていると思えるようになった。採点というのはそういう「自己評価」でもある。

 閑話休題。

 今朝,JR嵯峨野線で電車が遅れていた。そのため,びわこ線との乗り継ぎ,いつもなら,しばらく時間を待たねばならないのだが,今日はぎりぎり。電車が遅れていると放送していたので,先頭車両に乗って,乗り換えに備えた。で,ぎりぎり間に合った。こういうこともある。なぜ遅れたのかは,下記記事でわかった。

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連結部分から空気漏れ JR山陰線 特急などに遅れ

 9日午前9時10分ごろ、京都市中京区のJR山陰線円町駅で、福知山行き普通電車の運転士が、車両連結部分から空気が漏れているのに気付いた。点検で運転に支障がないことを確認し、4分遅れで運転を再開。詳しく車両検査するため、嵯峨嵐山駅で運転を取りやめた。
 JR西日本によると、この影響で他に上り快速電車が運休、特急電車を含む3本が2−11分遅れ、約1500人に影響が出た。(京都新聞)



2004年02月04日(水) 入試今昔

 最近は入試関係の仕事も昔ほど教員が負担しなくて良くなった。とはいえ,この季節,試験答案やレポート,卒業論文,修士論文,博士論文などなどを読まなければならない。その間にもいただいた本を読んだり礼状を書いたりという作業が入る。今日たしかに「なぜITは社会を変えないのか」を読み終えることはできたけれど,インス執行部会議,いただいた本を読んだり礼状を書いたり,そして,修士論文を読んだりしているうちに,時間が過ぎた。

 この季節,前にも書いたように,こういう仕事に追われることになる。それでも,以前と比べたらよほどましになったと言うべきだ。以前は入試監督で2日,採点で1週間余は時間をとられた。マークシートが導入されて省力化される以前,ホントに全て手での採点だった。それも記号で答える問題などの場合,「ア」だとか,「ウ」だとかを採点するわけだ。そこで,「イ,セ,ト,ケ,ホ」などと,答えを唱えながら採点することになる。その繰り返し。一番の若手が,そういう「肉体労働」班に割り振られる。

 そして,来る日も来る日も「イ,セ,ト,ケ,ホ」だとか「ケ,テ,ヘ,ロ,ニ」などと呪文のように唱えながら採点するわけだ。私が奉職した当時,やはり,10万人の受験者があったと思う。しかもそのころは,すべてA入試,つまり「一般入試」であったから,もしある問題への採点要員が1人だったら,英語なら全員が受験することになるので,10万枚見ることになる。通常はその答えの量などを勘案して,5人とか10人とかが割り振られる。でも,単純な仕事は当然人数が少ない,だから,めくる量も多くなる。「肉体労働」なのである。

 国語の漢字などの採点にあたると,今度は,はねているとかはねていないとか微妙な判定になって,出題の先生に,これはどうでしょう,などと相談しながら採点をすることになる。すると時間がかかる。だから,問題によっては,ある問題グループは採点が早く進むが,別のグループは遅れる。そうすると,早く終わりそうなグループから遅いグループへ助っ人として回される。そういうときも若手が回される。それと比べると,最近は相当の省力化で,全ての教員が入試採点要員になるということはなくなった。もちろん,採点にあたる人数は今でも少なくはない。ただ,以前ほどではなくなった。お陰で,他の役職の関係もあって,入試の採点は今年は免除されている。その代わり,今日のように会議が入ってくる。

 ま,お給料をいただいている身。文句は言えません。



2004年02月03日(火) 元気のよいことで

 昨日はゼミ縦コンパだった。2,3,4回生集合で,2回生の「パワー炸裂」(?)で,何人がぶっ倒れたのか?近年にないことだった。だいたい落ち着いたところで,帰らせて貰った。ま,元気がよいということにしておこう。

 それにしても,最近,いろいろとおもしろい本を(時間がないのでぼちぼちとだが)読んでいる。ブラウン,ドゥグッド「なぜITは社会を変えないのか」は,そういえば,以前読みたかったが,読みそびれていた本だと思うが,ようやく読み始めている。私にとっては大変有益だ。2年ほど前に翻訳がでたのだが,そのとき読んでも,今ほど面白く読めたかはわからない。

 本というのは,自分の置かれている状況,蓄積などによって,興味深く読めたり,つまらなかったりする。例の新渡戸稲造「武士道」だって,今読んだから興味深いのだろう。きっと若いときにこれを読んでいたら,間違いなく全然別の印象を持っただろう。

 ことほど左様に,読書というのは,状況や時代に左右されるものだ。だから,人によって読み方も違ってくる。例の映画「ラスト・サムライ」だって,それほど感動しなかったという感想を寄こされた人もおられる。今の私にとって感動ものだったというにすぎない。

 それでもみんなには薦めたい気持ちだ。

 閑話休題

 今も4回生ゼミ生が研究室に訪ねてきた。そこでも話したのだが,結局,今の金融業界,さらには官庁はトップが現場から遊離してしまっていて,よい政策が出せていないのだと思う。現場はそれでも精一杯支えている。支えているからこそ,日本経済が崩壊しないですんでいるのだと思う。我々の大学の卒業生が底辺で支えている,だから日本経済が何とかまわっているのだと思う。意気に感じて頑張って欲しいと思う。


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