singersong professor KMの日記

2004年01月30日(金) 情報と人間

 ブラウン,ドゥグッド共著,宮本喜一訳「なぜITは社会を変えないのか」日本経済新聞社,2002年,は大変よい本だ。まだ読み始めたばかりだから,詳細は後日紹介する。以下に興味深い指摘を紹介しておく。

 情報の目的とは結局のところ人間の目的だ。情報の論理は究極的には人間性の論理でなければならない。情報の独立性とその拡大があるにしても,コミュニティーや組織,そして制度の中で,最終的に情報の意味やそれが重要である理由を判断するのは人間自身なのだ。

 けれども情報の論理は,それよりも現実的なはずの人間性の論理をいとも簡単に排除することがある。たとえば,情報の論理をよりどころにして,1975年のビジネスウィーク誌が「ペーパーレス・オフィス」の出現を予言するのはたやすいことだった。それから5年後には,ある未来学者がこう断言している。「紙のコピーを取るのはそれがどんなものでも原始的だ」。ところが80年代にはプリンターやコピー機の動作速度がどんどん上がり,しかもますます寿命が延びた。さらに80年代半ばには,ファックスが紙をベースとしたオフィス機器の必需品として成長した。」ところが「ファックスもまた必然的にすぐ消滅するテクノロジーだと解釈された。」(以上,同上書,24ページ)

 機械ないしパソコンが主で人間が従なのか,人間が主で機械・パソコンが従なのか,考えてみれば明らかなのに,パソコンを主に考える輩が多い。利害関係を持つ玄人と素人が危ない。ちょっと考えたらわかりそうなものなのに,マスコミ人士なども危ない,危ない。そう思う。

 閑話休題。

 春の選抜高校野球に,京都から立命館宇治が選ばれた。活躍を期待したい。



2004年01月27日(火) 風邪気味,卒論,採点

 やはりこう寒いと風邪をひく。どうやら風邪気味。昨夜は風呂にも入らず,イッパイ飲んで寝た。けれど今日も鼻水がでてくる。出物腫れ物所嫌わず,とか。鼻水も出物には違いなかろう。今日は後半雪も降るらしい。暖かくして,早く寝たいものだ。でも,いろいろある。会議会議の連続だ。それにこの時期,卒業論文や博士論文,それに2月にはいると修士論文を読まなければならない。大講義の採点もある。寝てられないわけだ。

 誰でもそうかも知れないけれど,採点などは一番つらい。いわば,講義の「後始末」という感じがするわけだ。講義は確かに,学生諸君に何かを伝える,とか,何かを知って貰うとか,使命を感じる。採点はそれを確認するだけだ。それで,できていなかったりすると,がっかりする。十分伝えきっただろうかと,自問自答する。それがまたつらい。そういう意味では採点というのは我々にとって拷問のようなものだ。私の講義に対する採点でもあるのだから。

 よく,同じような内容の答案がある。模範答案が出回って,それを丸暗記したものだ。で,暗記の下手な人,中味がわからずに暗記している人,こういう人の答案は,どこか間が抜けている。で,減点するわけだが。一番ひどいのは,「模範答案」がどこかおかしいときだ,みんなが間違いをする。間違いを覚えてくるのだからそうなる。滑稽と言うより,腹が立つ。自分で考えて間違うのはよい。わからずに闇雲に誤った「模範答案」を暗記する。こういうのに出会うと,いやになってくる。これも拷問だ。

 ま,そういう季節になった。



2004年01月26日(月) テキスト改訂を終えて

 経営財務論のテキストに使っている「現代企業の財務戦略」を改訂して第4版を作成しました。昨年末から本格的に執筆を始め,ようやく今,出版社さんに原稿を渡しました。原稿が手許にあると,どうしても気になって,手直しをしてしまいます。今日原稿を渡すことになっていたのに,今朝になってもまだ,加筆する始末。

 よく言えば,少しでも良いものを,という意識の現れですが,もっと早くから取りかかればよいのに,とも言えます。でも結局,最後の最後は,「エイヤッ」と清水の舞台から飛び降りるつもりで,原稿を渡さなければならないわけです。また,後でいろいろ気付くことでしょう。ま,それは目をつぶるより他ありません。

 それではこれから,また別の原稿に取りかかります。ま,これは簡単なものですが。



2004年01月25日(日) ラスト・サムライ

 今日やっと,「ラスト・サムライ」を「MOVIX京都」で見ました。感動ものでした。不覚の涙が2度ばかりたまりました(悲しくてではなく,感動して)。皆さんにもお薦めしたいものです。既に見られた人も多いでしょうが。

 そのまま見ても感動ですが,皆さんにはやはり,新渡戸稲造「武士道」を読んでから見て欲しいですね。この「ラスト・サムライ」が流行っているので,新渡戸稲造の「武士道」もいろんな人たちに訳されたものが本屋さんに積んであるようです。

 つくづく,明治維新期の激動を思いました。あの激動期を生きた日本人には素晴らしい人々がいっぱいいたことを思い起こしました。映画そのものは,「お話し」ですが,メッセージはしっかり伝わりました。史実ではないが,日本人の心を理解して作られている。で,その心が今の日本人には失われつつある。それを痛感させるものでした。けれど,その心は日本人だけではなく,ある種,世界中の心ある人間に共通のものであるとも思わせられました。だから賞を取る映画になっているのだと思います。

 この映画が日本人によって作られなかったところに,今の日本人の問題性を感じさせられました。難しいところです。



2004年01月23日(金) 股火鉢&通勤

 とにかく寒い。最近の寒さはかなりなもの。暖冬に慣れた身にはこたえる。でも考えてみれば,我々子供の時分,暖房と言えば,火鉢しかなかった。おそらく,今頃は,「股火鉢」ということばは,死語になっているのではなかろうか。それよりも火鉢自体知らない人がいるかも知れない。

 要するに,火鉢にまたがって,暖をとったのだ。流石に戦後も1960年頃になるとガスストーブや灯油のストーブなども普及してきたが,それ以前は,火鉢,我が家でも最初は炭の火鉢,それから練炭火鉢なども入った。練炭火鉢は,それなりに結構暖かかった。第一,煮物もできた。長時間の煮物には適していた。ま,古い話だ。

 閑話休題

 通勤,それも我々のように,多少時間をずらして通勤できる人間にとっては,車中も結構な仕事場になる。他にする仕事がない,つまり,電話がかかってくるわけでもないので(私は携帯をもたない)集中できる。これも工夫だ。



2004年01月20日(火) 目標を持って生きる

 今日の日経一面の「働くということ」は,これから就職活動するという学生諸君には役立つかも知れないと思う。そこで次のように書かれていた。
 経済学者ケインズは「生きるために働く必要がなくなった時,人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる」と予測した。食べるに困らない豊かな時代。人々が働くことの意味を見つめ直している。

 最近,村上龍「13歳のハローワーク」(幻冬舎)という本が話題になっているようだ。今朝のテレビで,村上龍が中学生に話しかけていたのを思い出す。目標を持って生きなさい,と言っていた。これは私が常々言っていることと同じだ。これはまた,昨日の3回生ゼミで言ったこととその趣旨は同じだ。来年4月の自分のイメージを作って就職活動しなさいといった。要は何らかの目標に向かって進むのと漫然と時間がたつのとでは,全くその結果は違ういうことで,村上龍の言っていることと同旨だ。

 最初のケインズの言うこととも重なる。目標を持って生きる人と漫然と生きる人とでは,その人生に大きな違いがでてくるだろう。貧乏な時代はみんなハングリーだったから,とにかく向上心が強かったと言うべきだ。ところが今は違う。とにかく生きていけるからだ。でも,目標を持っているのともっていないのとでは,昔と違って大きな違いとなる。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。後悔のない活動,人生を送ってもらいたい。



2004年01月19日(月) 飲み会?

 17日(土)は東京セミナー終了後,懇親会。セミナー会場が「虎ノ門」だったため,2次会も虎ノ門となった。セミナー参加者がやや少なかったが,その分懇親会は濃密だった。2次会も楽しかった。私の同期同ゼミのD氏参加もあって,懐かしい話,近況などなど,大変盛り上がった。

 で,後で知ったことだが,同じ17日,「素氏,MAK,トミー,DEER,金融傭兵STO」が「東京駅でだいぶ遅い新年会と素氏の修論完成祝いを兼ねて飲み会」を開いたという。完全なニアミスだ。当方「虎ノ門」での2次会の後,東京発最終の「のぞみ」で帰ったわけで,ニアミス中のニアミスであったようだ。

 閑話休題。

 今日,月曜日のゼミナールでは,まず4回生ゼミでは,卒業式当日のゼミ懇親会の幹事を決めた。主幹事は江村君となった。みんな参加して貰いたい。問題は会場だ。当日京都駅近辺はきっとどの会場も満杯だろうし,これから相談して決めようということになった。

 3回生ゼミでは,就職活動に向け,この1年あまりの過ごし方について話した。来年4月にどんな新入社員となっているかイメージして活動しなさい。これからの1年あまり,どんなビヘイビアをとるかイメージしなさいと話した。とくに,来年4月どんな新入社員になっているかをイメージして,それへ向けての就職活動にしなさいと言う点を強調した。同じ時間中に会社説明会に行っていた諸君の話も,終了後の,生協での談話で話題になった。とりわけ,H君がどういうことになるか,という話題で盛り上がった。H君の誤りなき行動に期待したい。



2004年01月16日(金) ならず者国家アメリカ(2)

 先にプレストウィッツ「ならずもの国家アメリカ」(講談社)のことを書いた。その一部を拾い出してメモってみよう。プレストウッィツは共和党でレーガン政権のとき,対日交渉でタフ・ネゴシエーターぶりを発揮した保守派である。まずそのことを念頭に置いて読んで欲しい。

「実は,自民党はアメリカが創り出したものである。1955〜58年にCIAの東アジア活動を指揮していたアルフレッド・C・ウルマーJr.と,ケネディ政権とジョンソン政権で情報・調査の責任者を務めたロジャー・ヒルズマン,そして66〜69年に日本大使だったU・アレクシス・ジョンソンは,いずれも55年から72年の間,自民党に多額の資金を贈っていたことを認めている。また,CIAと自民党と日本の暴力団の間にはしんみつなつながりがあった。」(342ページ)

「日本はアメリカの保護領であり,属国なのだ。だから日本もまた,北朝鮮のミサイルの標的になるのは確実であるにもかかわらず,韓国同様,アメリカの対北朝鮮政策について,ほとんど相談を受けなかった。」(343ページ)

などなど,極めて衝撃的(ではあるがある意味暗黙の常識であった)事柄が,あっさりと書かれている。その他大変興味深い。いずれまた紹介したい。

閑話休題

 それにしても,明日は東京へ出張。天気予報によると,東京は雪になりそうだ。京都も雪。東京も雪。イヤー明日は大変だ。



2004年01月13日(火) 公意識の衰退

 今日バスで,ゼミのK君と会った。そこで話していて,そういえば,最近そういう話を学生諸君に言っていなかったことに気付いた。

 かねがね私は,日本にパブリックという意識が弱いと話していた。官と民というのはあるが,公と私という観点が薄い。とりわけ,戦後右翼は国家を,左翼は民衆を基盤とすべしと言っていた(今でも?)。ところが,両者に欠けるのはパブリック(公共)という意識だと思う。

 民だって公を意識しないといけないし,官はもっともっと公を意識しないといけない。官か民かではなく,そのどちらもが公を考えないと,うまく行かないと思う。どうやら最近は官も民も公がどこかへ行ってしまって,「私」ばかりになっているのではないか。とりわけバブル以後の日本のていたらくは公意識の極端な低下だと思う。

 西欧の市民革命では公意識はできやすい。日本の上からの「民主主義」ではそれができにくかった。それでも救われていたのは,先にも書いた「武士道」というかサムライ意識が公の役割を果たしていたからだと思う。武士道は立派な公意識だと思う。武士道精神の希薄化と同時に,公意識も低下し,みんな私意識に走ってしまったのが,今の日本だと思う。

 また,市場原理主義が,それを助長してもいる。みんな好き勝手にやっていればうまく行く。そんなはずはないと思う。



2004年01月09日(金) ならず者国家アメリカ

 最近,クライド・プレストウィッツ「ならずもの国家アメリカ」を読んでいるのだが,読めば読むほど「むかついて」くる。著者は,共和党レーガン政権時代に商務長官特別補佐官として,対日交渉でタフ・ネゴシエーターとして,日米貿易交渉にあたった人物で,だから,決してリベラル派というほどでもないはずだが,今日のブッシュ政権,アメリカの世界戦略を厳しく批判している。

 あまりにも独りよがりで,一国主義,そして力で押しまくる世界戦略を快く思っていない。というか,激しくブッシュ政権批判をしている。アメリカがいかに他の国々を苦しめて自らの利益を図ってきたかを次から次へとあげつらう。そのたびに「むかつく」わけだ。もちろんこういう人物を輩出するところにアメリカの良さがあるのだが。

 それにしても,とりわけ,9.11以後のアメリカのヒステリックな対外政策は噴飯ものである。もちろんそれ以前から,問題はあった。その点も含めて,この本は論じている。また紹介したいが,とりあえず,一読を薦めたい。



2004年01月06日(火) 地震・波乱の幕開け

 今年の「波乱の幕開け」を暗示するような地震でした。ここBKCでも,ゆーら,ゆーら,と揺れた。下記記事でも結構な地震だったことがわかる。

 昨日のテレビのアンケート調査では,「今年は去年よりよいと思うか」という質問に,ハイと答えた人は2割を切っていた。逆にそうではない,つまり今年は去年より悪いと予想している人が8割を超えていた。私など,6割くらいの人が希望的観測を含めて「よい」と答えそうに思ったが,完全に予想を裏切られた。こういう気運では景気がよくなりそうにない。足下そんなに悪化しているわけではないが,完全に気持ちが萎えている。小泉首相への信頼もそのアンケート調査からは完全に失われてしまっていることがわかる。でもなんともならないとも思っているようだ。

 こういうのは,最悪だ。何とかしようという気概もなく,ただ何となくよくないと思いこんでいるわけだ。一体これはどこに,何に原因があるのだろう。「松村通信第53号」でも紹介した,「さらば外務省」でも言っているように,政権交代をさせればよいわけで,それもできないと考えているようだ。というか完全に現状維持・保守に走っているわけだ。これで何かがよくなるわけがない。どうしてもう少し賢くなれないのだろう。

 私はといえば,きっと今年は去年よりよくなると,思っている。よくしてやろうと思っている。決して悲観していない。みんながもう少し前向きに生きていけば,決して捨てたものではないと思う。もちろん,あちこちに気になること,気に入らないことはあるが。でも,前向きに考えている。また,悪くなっても,転んでもただで起きない,という気持ちでやろうと思う。

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熊野灘でM5・2の地震、三重・奈良県下で震度4記録

 6日午後2時50分ごろ、近畿、東海地方を中心にやや強い地震があり、三重、奈良の両県で震度4を記録した。気象庁によると、震源は熊野灘で、震源の深さは約40キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5・2と推定される。震度3以上の地域は次の通り。

 震度4 三重県紀伊長島町、大宮町、海山町、飯高町、玉城町、宮川村、奈良県吉野町、黒滝村、下北山村

 震度3 三重県伊勢市、鈴鹿市、四日市市、津市、尾鷲市、奈良県桜井市、天理市、奈良市、岐阜県山県市、愛知県田原市、西尾市、安城市、知立市、碧南市、滋賀県信楽町、京都府京田辺市、八幡市、大阪府寝屋川市、四条畷市、和歌山県新宮市など。(読売新聞)[1月6日18時54分更新]



2004年01月05日(月) パンサーズ2連勝

 1月3日,午後2時からアメフトで我が家は盛り上がった。院生諸君とともに,我が家でパンサーズ対オンワードスカイラークスのテレビ観戦でした。とにかく圧勝で気分良く飲めました。2連勝。飲みながらの観戦で盛り上がり,その勢いで夜の12時まで飲み続けました。

 1月4日,午前11時半から,「グランヴア京都」で大学の新年祝賀会。当然のことながら,パンサーズの試合の話でも盛り上がりました。法学部の中村先生も大学院生と自宅で観戦の後,町へ繰り出し,2時まで飲んだとのこと。

 で,祝賀会の席には,平井総監督,古橋ヘッドコーチ,それに高橋主将などの挨拶があった。熱気むんむんの新年祝賀会ではあった。



2004年01月02日(金) 正月らしさ

 例年通り,新年は0時を過ぎた頃に,近所の神社に初詣に出かける。今年も行列だったが,少し遅めにいったので,少し並んだ程度で御参りができた。で,ふるまいの「甘酒」を飲んで帰った。近年恒例となっている。

 元旦は,何といっても,雑煮を祝って,それから,年賀状を待つ。で,今年初めて貰った人に年賀状の返信を出す。これも恒例。

 その後,わが親元に年始の挨拶に行った。でもこれも,ほんの挨拶程度。これも近年は恒例。

 夜は,家族4人でカード・ゲームに興じた。

 それにしても,わが女房もいうように,最近はどこもかしこも,正月らしい雰囲気が薄れてきて,日頃と変わらない。スーパーなども元旦から開いている。そしてこれが流行っている。昨日あたりも,白梅町の「いずみや」が賑わっていた。

 今日2日京都駅近辺,「近鉄百貨店」あたりも賑わっていた。そういえば,以前は正月と言えば,とりわけ元旦など,町中が「しーん」としていた。小売店もなかなか開けず,だからこそ,暮れに煮染めを作り,正月に食べたものだ。

 そういう以前の正月を知る者にとっては,様変わりで,正月らしくないと感じてしまうのだ。そういう我が家も,以前と比べて,正月らしいことをしなくなったように思う。


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