singersong professor KMの日記

2003年10月28日(火) 投資家教育

 「市場原理」だ,個人金融資産がこんなにあるなどなどと言われ,投資家教育の必要も叫ばれている。ところが,現実は決してそんなに甘くない。昨日のゼミナールでこんな本があるよと学生諸君に紹介した。で,その内容はイマイチだとも話した。

 「高校生のためのファイナンス入門」(金融広報中央委員会)という本がそれだ。この委員会の事務局は「日本銀行情報サービス局」となっている。ただ,執筆者には申し訳ないけれど,これでは投資家教育はできない。執筆者の責任ではない。この本を送って貰っておいて言うのは悪いけれど,やはり執筆者選定の段階で問題があると思う。

 つまり,執筆者たちは消費者金融で多重債務者救済などに関わっている人たちのようである。まともな銀行に預けなさいというメッセージが込められているのかどうかわからないけれど,やはり「ファイナンス入門」とうたうにはにしては,ミスキャストではないかと思う。少なくとも経済をよくわかっている人に執筆して貰うべきはなかったか。もっともバリバリの「経済学者」に書いて貰うと,威勢はよいが暴走の心配がないわけではない。

 たしかに,はじめから投資家教育のための本ではない。とはいえ,預金者といえども投資家であるには違いない。一家庭人としても金融資産の選択は,これからますます重要になってくるはずだ。そのことがよいか悪いかの価値判断はここでは論じない。客観的にある程度「賢い投資家,賢い家庭人」である必要はますます高まっている。愚民化政策には賛成できない。この本がそうだとは言わないが,結果的にそうなってしまわないか心配だ。

 この本の作成に関わったそれぞれの人々は善意だろう。善意の結果がこれでは悲しい。



2003年10月27日(月) 専門セミナーなど

 昨日日曜日は,一日中専門セミナーのための資料作りで終わった。これが結構時間がかかる。パワーポイントは面倒である。でも,顧客満足はあがる。学部の講義ではディスプレイなどの関係からあまり喜ばれないように感じる。でも,今後学部の講義でも使わざるを得なくなるかも知れない。ま,学部の講義の場合,手持ちの材料はある。

 今回の専門セミナーは,私にとって,使い回しのきかない部分が多いので,手間がかかっているだけとも言える。せっかく作った資料は他でも転用したいものだ。研究利用は困難でも,講義などでは十分使える。ただ,私のような講義スタイルをとっていると,データがどんどん古くなって使えなくなるのが問題だ。毎回毎回作らなくてはならない。

 今日月曜日。一時間目,同志社大学へ出講している。もうかなり長く務めている。同じ地域にある大学同士,こういう交流はどこにでもある話だ。大学は非常勤講師でもっているといわれる。これもその一部だ。講義中,見かけた顔が座っていた。終了後相談があるとのこと。そう,大学院のY君だ。データのことで聞きたいという。私より,むしろ私のもとで研究している院生諸君の方がよっぽど詳しい。で,一度私の研究室に「遊びに来たら」と言っておいた。

 今日は,4回生,3回生のゼミと続く。優秀な学生諸君が集まっている年は楽しい。あるいは,元気のよい諸君が集まっていると楽しい。ま,私のゼミは平均的には,いろんな意味でレベルが高い。また,無理にでも引き上げようとする。少しでも食らいついてきてくれたら,結構自信を持って卒業していってくれる。私が教えなくてもお互いに教えあう,学びあう,これも大切なことだ。だから,ゼミは楽しいわけだ。



2003年10月25日(土) 専門セミナー

 昨日は,夜,関経連専門セミナーだった。受講者層の状況がわかったので,ようやく落ち着いて話せた。前回第1回目,講義終了後,事務局から実はパソコンは全然できないのですが,という受講者がおられて,「心配しないでよい」と答えておいた旨のことを聞かされて,ビックリしてしまった次第。初めからパソコン教室意外でするならするで,講義の方法もあったし,パソコン教室なら,それらしい講義をしようという気持ちでいたわけだが,そして,パソコン教室での講義となったわけだから,そういうつもりで講義を始めたわけだ。

 ところが,講義終了後,受講者のそういう状況を初めて聞かされて,「参った」という感じ。それで,前回終了後の「反省会」でもいろいろ話し,その後も,対策を考えたわけだ。それで,今回はそういうつもりで話を進めたので,全体にスムーズに進んだと思う。

 どんな対応でもやればできるが,事前に話を聞いていないと,それは無理。道理で受講者の戸惑いがあったはずだ。しかも,定員オーバーの結果,いわば「補助席」つまりパソコン持参での参加者の場合,インターネットにつながっていない。これなども第1回目はこのあたりの進め方で困惑し,こちらも教室のマシーンにも慣れていなかったので,戸惑いの連続だった。

 今回は教材提示装置があることも前回確認したので,これも活用できた。ホワイトボードも活用した。ま,第1回目の教訓は大きかったというべきだ。これで第3回目以後も工夫しながら進めていこうという意欲も高まった。受講者には申し訳ないが,2回目以後が本格的講義と思っていただくより仕方ない。8回連続なので,失地回復の時間はある。次回以後も意欲的に取り組みたい。



2003年10月21日(火) ここのところ

 先週17日(金)夜の社会人向け専門セミナー(大阪駅前第2ビル)は,大変だった。受講者のレベルの幅が大変広い。こういうのは大変やりにくい。瞬間,困ったという思いから,話の運びがうまく行かなくなってしまったように思う。態勢の立て直しだ。助手をしてくれているN君と,終了後「反省会」をしたが,とにかく手を尽くそうと思う。

 土曜日は法事,そのついでに京都駅で本を買った。松岡真宏「逆説の日本企業論」(ダイヤモンド社)というのがそれで,これは通勤の往復の車中で,それも1往復半で読んでしまった。大変おもしろ本だ。いずれ紹介したい。

 日曜日は残ってしまっていた,次回の「資金調達論」のQ&A,レジュメ作成で時間がつぶれた。

 月曜日は朝1で,同志社大学へ行き,午後は4回生と3回生のゼミ,これで終わった感じ。その間にも経営学部校友会関係の仕事などに時間がとられた。この間そんなこんなで時間ばかりたつ。

 火曜日の今日。朝から胃のX線写真をとった。例のバリウムを飲んでの検査。あまり気持ちの良いものではない。それにしても時間がとれず,E君から頼まれた「紹介書」などを書いている時間がない。急いで書こう。



2003年10月16日(木) 校友大会11月8日

 校友大会が11月8日(土)にある。毎年毎年卒業生が出るのだから,いくらでも規模が大きくなってきている。今年も私の手許にチケットが送られてきている。必要な人に販売してください,というわけである。ところが,私の友人の多くは私同様校友会の幹事であったりする。すると,その人たちにもチケット販売の依頼が来ているわけだ。だから,自分の分を消化して,さらに1枚ほど売れればそれでよい方だ。いつもそんな具合だ。

 今年も,下記の要領で開かれる校友大会に参加しようと思う。卒業生の皆さん参加されるのなら,チケットありますと言っておきたい。そして,一緒に楽しみませんか,と声をかけているところだ。参加される人は私にご一報下さい,と書いておこう。
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 2003年11月8日(土)午後5時−9時
 京都駅ビル内「ホテルグランヴィア京都」3F−5F全域
 校友課のURLに詳細情報がある。
   http://www.ritsumei.ac.jp/mng/al/
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 それにしても,前述のように,卒業生の数が増えてきて,会場に入りきれないほどである。可愛そうに,卒業生で職員の皆さんは,応援に駆けつけ,かつ,中に入れなかったりする。とくに最近は驚くほど盛況だ。若い頃は,年輩者が多くて違和感を感じたほどだが,最近は参加者もバラエティに富んでいる。おまけに,今やこちらが「年輩者」になりつつある。

 そういえば,OB会のようなところでも,先輩の数より,後輩の数の方が多くなってきている。そういう歳になったわけだ。ところが,本人は全くそういう気持ちがない。いつまでも若造のつもりだ。幸い,もっと年輩の人たちがおられるので,校友大会などでは,まだまだ若造のつもりでいられる。



2003年10月13日(月) 学会発表を終えて

 11,12日の両日,四国大学(徳島)で学会があり,統一論題報告をしてきました。朝から始まり夕方まで,疲れました。おまけに昨日の徳島は大雨。外は大荒れ,中は報告討論。それでも帰る頃には雨も上がりました。

 徳島は便利になりました。我々古い人間の感覚では,徳島は遠いというイメージがありました。何せ四国という「島」へ行く必要があるというイメージです。最初私も,岡山まで新幹線で行って,乗り換えて徳島へ,というコースをイメージしました。そうでなければ,和歌山まで行って,そこからフェリーで徳島へわたるというのが,徳島という場所へ行くためのコースとして頭に浮かびます。

 でも,今や京都駅から高速バスで,名神−中国自動車道−明石海峡大橋−淡路島縦貫の自動車道−鳴門大橋−四国の自動車道,こういうコースで3時間以内でつくことになっています。ただし,ダイヤ上はそうであっても,連休中のことで交通渋滞に引っかかり,行きも帰りも所要時間は3時間を超えてしまいました。それでも,便利なものです。料金もお手頃。

 ところが,私と同じ世代の,R大学のH先生。ホントに,私が最初に思ったコースをたどって来られた。京都から和歌山。そして,フェリーで徳島。さすがに私は初めから論外だと思ったコースをホントにたどられた。で,朝9時に家を出たのに,ついたのは午後4時だったという。それは大変だったろうと思います。

 いくら私でも,せめて岡山からのコースを選ぶところですが,ホントに和歌山コースを選ぶとはすごい。もっとも,H先生,それを楽しまれたのだろうけれど。



2003年10月10日(金) 残念

 インターネットでニュース(下記に取り込んである)を見ていて,昨日のこととはいえ,これは残念と思った次第。

 そういうと,最近は関西学生野球の人気はどうなっているのだろう。昔は,野球がダントツ人気スポーツだったので,一喜一憂していたものだ。それと比べると,最近は学生諸君の間でも,話題に上ることが減ったような気がする。アメフトだサッカーだラグビーだと,いろんな種目に関心が分散してきているようだ。それはそれで,健全なのだろうが。

 先日,一日今日は一体何をしていたんだと思うことがある,と書いたが,考えてみると,それは細切れの仕事が多いからだろう。今日だって,午前中の講義。午後SCDRの学内取材対応。講義へのQ&A作成。そしてまた,「特殊講義3」の講師対応,講師紹介。その合間に,何度も電話。まだ,今日は,何をしていたのだろうとは思わずにすんでいる。講義とか講義対応という,我々にとっての,正規の仕事だからだろう。

 でも,自分の他の仕事ができない。明日から学会出張で,統一論題報告だというのに。これからまた,報告原稿に加筆だ。

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立命大、力投救援できず近大に完封負け 関西学生野球

 関西学生野球は立命大が近大に延長13回の末、0−1で敗れて、勝ち点を落とした。立命大は勝ち点1のまま。負ければ優勝の可能性の消える近大は勝ち点を2とし、わずかに5連覇への望みをつないだ。
 立命大は先発松村(4年、玉川)が好投したが、13回二死一、三塁から中村(4年、智弁学園)に中前打を許した。打線は野村(4年、近大付)ら近大の3投手に抑えられ、完封負けを喫した。
▽打線つながらず惜敗
 立命大はエース松村の力投を援護できず、痛い1敗を喫した。
 松村は3回二死満塁のピンチを切り抜けると、中盤からはスライダーを低めに集めて近大打線を封じた。前日に後輩の金刃(1年、市尼崎)が完封勝利を挙げたのに発奮。「毎回を初回のつもりで」と182球を全力投球したが、疲れの見えた13回に失点。「後半は球にキレがなくなった」と力なく振り返った。孤独に戦うエースをバックも堅守で支えたが、打線は3安打だけ。松岡監督は「打線がつながらない。もっと危機感がないと」と選手の奮起を促していた。(京都新聞)[10月9日22時35分更新]



2003年10月08日(水) 今日は一体?

 今日は一体何をしていたのだろう。

 時々そういう日があるが,まさに今日はそういう日だった。一日の日誌を書こうと思って,パソコンに向かい,今日は何をしたっけと思い出してみると,これといったことをしていない。とにかく,雑用ばかり。

 確かに午前中は,インスティテュート教学委員会があった。問題は午後。そして夜。研究費用の申請書作成がバカにならない。それでいて,完全に完了したわけではない。

 えーと。とにかく一日雑用ばかりしていた感じ。こういう日があるものです。



2003年10月06日(月) JR事故。セーフ。

 昨夜,JRびわこ線普通電車で帰るとき,石山駅で,野洲で人身事故があったので「新快速」はすぐ来ません。この電車にお乗り下さいと言っていた。間一髪で,ダイヤの乱れの被害を被らずにすんだわけだ。

 で,今朝,ネットで記事を見ると,下記の通りの事故があったという。

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新快速にはねられ、男性死亡 野洲の東海道線踏切

 5日午後9時ごろ、滋賀県野洲町小篠原のJR東海道線矢萩川踏切で、姫路行き新快速電車(12両、乗客約200人)に男性がはねられ、死亡した。電車は踏切から約400メートル先の野洲駅で約1時間停車した。
 この事故で、米原−草津間の下り線が約1時間運転を見合わせ、米原、草津両駅で折り返し運転、上り車にも遅れが出た。
 守山署で事故原因を調べるとともに、男性の身元確認を急いでいる。 (京都新聞)[10月5日23時32分更新]



2003年10月05日(日) OB会

 昨日は証券研OB会へ行って来ました。現役証券研の顧問を務めている関係上,そしてまた,私の所属する学会,証券経済学会でお会いするメンバーともお会いで来ると言うこともあって,ほぼ毎回出席しています。

 現役証券研でゼミ生でもあるO君,N君,それにOBの君らと2次会へ行きました。何せ,1次会の懇親会が,今回は座敷と言うこともあって盛り上がりました。その勢いで2次会へ繰り出しました。

 私が関係しているOB会は,このほか私の出身でもある会計研OB会,それに,経営研究会同窓会にも出させていただいています。その他,大勢のOBの皆さんと親しくさせて貰っています。こういう立命OBの皆さんから声援を受けることができるのは心強い限りです。

 こういうOB会に出席してつくづく感じることは,やはり,母校の発展ということに強い関心を持っておられることです。幸い近年,立命館大学が発展していることは,よく知られていて,OBの皆さんにも喜ばれているのは,嬉しい限りです。それだけに大学にいる者として責任重大なのです。

 もっともっと,OBの声を大事にすべきだと,私は思っています。私立大学ではやはり卒業生の力を大切にすべきだと思っています。まさに,ファミリーとして大切にし,大学の発展を支えて貰う,お互いに元気を与えあう,そういう関係をもっともっと強めるべきだと思っています。



2003年10月01日(水) やっぱり

 やはり,私の予想通りの展開になりました。出光興産の苫小牧の精油所で火災が発生した件で,社長の責任は大きいと,以前書きましたが,やはり辞任に追い込まれたようです。社長のあの対応ぶりを見ていたら,それはしょうがない,と思わせられます。

 どうも社内エリートが順調に出世して社長になったような人は,ああいうタイプ,つまり優等生ではあるが,経営者としてはイマイチという人が多いように思います。都銀経営者にそういう人が多いように思いますが。規制産業ではそういうタイプの経営者が多いように思います。

 石油産業も,政府の音頭取りで成長してきた産業であることは間違いありません。創業者はともかく,その後の経営者に人を得なかったのでしょうね。

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出光社長、辞任の意向…タンク火災で引責

 出光興産北海道製油所(苫小牧市)のナフサ貯蔵タンク火災で、同社の天坊昭彦社長は1日、謝罪に訪れた苫小牧市役所で会見し、事故処理後、責任を取り、辞任する意向を示した。

 会見で、天坊社長は火災の責任について「第一に安全確保を万全にする。(責任問題は)原因究明や今後の保安対策、製油所の再復興ができた段階で当然考えなくてはならないこと」とした。さらに「自身の進退も含めるのか」との質問に対し、「当然そうなる」と答えた。

 同製油所によると、9月26日の十勝沖地震直後の調査で、計105基のタンクのうち、軽微なものを含めると45基で異常を確認。このうち30基は外壁に亀裂が入るなどの損傷があった。今回、出火したナフサ貯蔵タンクのほか、5基は屋根の上に油が漏れ出していた。(読売新聞)[10月1日14時4分更新]


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