この間いろいろあった。土曜日は同志社大学での研究会とその後の懇親。日曜日は,ゼミ補講準備など。その間にも学会報告準備をしなければならない。ところがこれが遅れている。
土曜日の「懇親」は少し過ぎたようだ。必ずしも楽しくない話もあった。これはプライベートだけれど。それが気にかかってしまう。自分の足らざる所はわかっているつもりだが,面と向かって指摘を受けると,やはり落ち込んでしまう。他人は他人。自分は自分でしかないのだが。ま,前向きに考えていこう。
怠惰な自分に腹が立つが,今更,改まらない。若気の至りもあった。これも取り返せない。今この時点から考えざるを得ない。ここから始めざるを得ない。ただ,われわれ研究者にとって救いは,研究というところに,常に立ち返ることができるということだ。
閑話休題。
イラクの戦争は,予想に反して,泥沼化しそうな感じ。経済はますます悪化しそうだ。アメリカという「帝国」が快進撃を続けていたが,ことによると,行き詰まりそうな気配だ。絶頂期が一番危ない。日本の絶頂期であるバブルが一番危ない時期だったことは今になってみればわかる。アメリカ「帝国」も同様ではないのか。そのように思える。
われわれ凡人は,結局,一日一日を着実に前進しなければならないのだが,世界情勢に,ついつい,目が行ってしまう。自戒せねばなるまい。
昨日ようやくPDA(カシオペア)の修繕が済んだ。でも,パソコンとうまく同期しない。ちょっと忙しくて,ゆっくり作業をしている暇がない。昨日は午前中経営学部40周年記念事業総括,午後教授会,夜教授会懇親会と一日中暇がなかった。その合間にPDAを生協に取りに行って,パソコンに接続してうまく行かなかった。
今日もこれから日経クイック情報との打ち合わせなどがある。それにしても学会報告の報告要旨の締め切りが今月中となっている。内容が固まっていないのに,こういうストーリーで行こうと決めて,要旨だけ提出するという綱渡り。
そういえば,以前学会報告を聞いていて,こういうデザインでできる予定で報告要旨を書いたけれど,統計的に分析してみると,結果がでませんでした,という「正直な」(?)報告があった。そうならないようにするつもりではある。ある程度は見通しを持っている。4月に入ったら,大阪でのMBAコース指導などで忙しくなるが,学会報告と並行して進めなければなるまい。
これで,忙しいから研究できないという「言い訳」が許されない。忙しくても研究しなければならないということになる。こういうように自分を追い込まないと研究できない。実のところ,教育というのは際限もなく時間をとられるものである。多少のサービス低下を覚悟の上で,研究も並行しなければ,いつまでたっても研究できないのが実情だ。とくに立命館大学のように忙しい大学ではそうである。
全国的に何処の大学でも,忙しくなってきたようだけれど。その分,忙しさになれているわれわれが「競争優位」(?)にたてるかも知れない。けれど,最近よく人に紹介するのだが,佐藤郁哉「フィールドワークの技法」新曜社,2002年(これは良書だ),などを読んでいると,本格的フィールドワークをしようとしたら,ものすごく時間的余裕が必要だ。そういう意味では,そんな研究は今の私には許されていないことは間違いない。
大学院生のように,時間的ゆとりのある諸君が,そういう研究にチャレンジすべきなのだろ。もちろん,時間的ゆとりがなくても,上記書物でいわれているような,その精神は堅持しなければなるまい。事実に裏付けられた研究,実証研究,これが私の目指すものだから(従来からそのつもりでやってきたとはいえ),憶測でものをいってはダメだ。
こういう中での研究だから,論理の飛躍,が一番恐ろしいところだ。時間がないと,つい論理の飛躍を見逃すのだ。もちろん,研究マインドのない人はしばしば論理の飛躍を見逃す。若い未熟な研究者にしばしばそれが見られる。私の元で学んでいる研究者諸君にも,改めて注意を促さずばなるまい。
22日(土)卒業式,卒業パーティ,ゼミ卒業パーティ,23日(日)墓参りの後,サークルのOB会幹事会,懇親会,24日(月)朝から東京出張(出版社との出版交渉不調という結果でがっかり),とんぼ返りで,京都で経営学振興会機関誌「アクロス」向け座談会司会進行,と3日間連続で何やかやの仕事が続いた。これで一段落なのだが,今日25日はその疲れがなお残っているようだ。集中力に欠ける。
一段落したと言っても,すべて完了というわけではない。3月末締め切りの学会報告用の「報告要旨」をつくらなければならないのだが,頭がまとまらない。この間の忙しさのため,頭が散漫になっている。それに,大学院「経営財務」用のレジュメ作成などにも神経が行く。
今日は一日があっという間に過ぎた感じだ。明日26日も朝から夜まで会議や情報交換の懇親などといろいろ続く。27日も朝から晩まで会議等々,つまり教授会と教授会の歓送会だ。28日基礎演習担当者会議主宰,29日研究会(於同志社大学)と続く。
しかも,31日(月)は新ゼミ補講だから,その準備もしなければならない。今月いっぱい,こういう状態で,4月に入れば新学期。まさに新たな多忙が始まる。
パニック寸前。あれやこれやしなければならないと,思っていると,頭が混乱してくる。ゲーテ曰く「焦りは2倍の焦りを招く」。わかっちゃいるけど焦る。
2003年03月22日(土) |
卒業式−−卒業生がんばれ |
卒業式。いつもながらの華やかさだ。卒業証書を授与して,記念撮影をして,そして,パーティとなるわけだ。
流通業へ就職したY君は,もう既に働きだしている。この業界は例年卒業式を前に働いてもらうのが常態化している。業界によって異なるが,4月になれば間違いなく,皆働いている。まずは研修から。近年は研修期間が短くなっているようだ。
就職ではなく,就社だと言われていたが,最近は日本企業でも従業員の帰属意識が低下してきているのかも知れない。背に腹は代えられない,とばかり,終身雇用制が形骸化してきている。声高に終身雇用制はもう古い,などといわれている。また年功賃金は古いとも言われている。で,年俸制が採用されたりする。でも,それが実は,体の良い賃下げであることも多い。
貧すりゃどんす,ますます日本企業の競争力が低下していくのかも知れない。これでよいのか。経営の合理化は必要だけれど,目先の苦しさから,競争力をそぐような「合理化」は決して企業のためにはならないはずだ。
卒業生諸君は,これから,そういう厳しい企業社会へ旅立つ。けれども祝辞でも述べたのだが,混迷期であるからこそ,若者の特権は有効であるはずだ。年長者が自信を失っている今こそ,若者の出番だともいえる。そういう若者に期待したい。
卒業生がんばれ。
春分の日の今日。京都駅近辺は人でごった返していました。こちらはと言うと,24日に東京の出版社へ持っていく原稿の完成に一日中追われました。
何故京都駅で降りたかというと,これも24日に東京へ行くための「のぞみ」切符を買うためです。チケット・ショップなら安く買えるだろうと行ったのですが,確かに安かったのですが,片道210円のディスカウント。「ひかり」なら片道1000円くらいディスカウントがあったから,「のぞみ」は割引率が低い。
で,往復とも指定券も取ったわけです。近頃は指定券も自販機で買えるのですね。列に並んでからそれに気付いて,しまったと思ったのも後の祭り。意地でも並んで買いました。今度から自販機で買おう。どう考えてもその方が早そうである。そりゃーパソコンでも買える時代ですからね。
アメリカはついにイラクを爆撃しました。あたかも横綱が赤子の手をひねるがごとくである。アメリカの横暴に世界が反対したのも無理からぬところである。世界の勢力地図が大きく変わっていくことが予想される。それは一国の覇権が確立する方向ではなく,むしろ不安定化する方向が予想される。果たして日本はこういう変化にうまく対応できるだろうか。
皮肉なことに,菅下氏の予言通り株価は反騰しました。不確定要素があると株価がさえない。このことは,近年の日本経済や政治の不透明が原因である。イラク開戦はこれと逆の現象である。まさに予言通り。
戦争が早く終わることを祈るのみだ。
別のMLで書いていて気付いたのですが,ここのところ,飲み会が増えています。そこでの書き込みから持ってきた文章です。
そういうと,この季節,なんやかんやで飲む機会が増えてきています。
8日(土)経営学部校友会・経営学振興会セミナー後の懇親交流会, 11日(火)修士取得祝賀会, 14日(金)連結財務分析研究会後の懇親会, 17日(月)インスティテュート執行部歓送迎会, 22日(土)卒業式があるので卒業パーティ, 23日(日)会計研OB会新OB歓迎懇親会, 26日(水)日経クイックのB氏との交流, 27日(木)教授会歓送迎会, 29日(土)京都会計研終了後恒例の懇親会
などとなっています。
20日あまりの間に9回ですから,3日に1回というより,22日以降に限ってみると2日に1回になります。とくに,これからが「勝負」(?)。
女房殿いわく,「喜んでいるのでしょう」。ここのところ,自重しているのですが,外へ出ると,少しは飲み過ぎる傾向があります。はしゃぎすぎないようにしなければいけませんね。
2003年03月18日(火) |
ホントに悲しくなるが |
フルフォード「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日」光文社,2002年,を薦められて読んだ。ホントに悲しくなるばかりだが,現在の日本のていたらくを見ていると,ここまで言われてもしようがないと思う。
「ヤクザと建設業界,金融機関,官僚,政治家の癒着は,バブル時代に強化された。それは,土地が値上がりし,株価も値上がりするという右肩上がりのなかで,誰も彼もが金儲けに走ったからだ。」(82ページ)
「やはり日本は,もう独自の経済改革の道を歩むしか,残された選択肢はないだろう。アメリカ依存,アメリカ追随が,イヤイヤだろうとなんとかなってきた歴史はハッキリと終わりを告げたのだ。この認識から国家全体を再構築するしかないだろう。」(157ページ)
「現在の日本人が不幸なのは,国民の利益nation's benefitと政治家(とくに自民党)の利益が一致しないことだ。官やゾンビ企業群とつながっている政治家は,いわば日本国民に寄生する寄生虫parasiteである。」(217ページ)
「いまのままでは,日本はやはり「最後の社会主義国家」だ。別の言葉で言えば,「負けた人間の天国losers' pradise」である。そして,このパラダイスは寄生虫がすべてを食べつくしたときに,消えてなくなってしまうのである。」(218ページ)
返す言葉がない。
この本はホントに刺激的な言葉で満ちあふれている。ちょっと違うな,と思うところもないわけではないが,そういわれても仕方ないとも思う。今の日本が大変深刻な状況にあることは間違いない。そして,政府は無策である。戦略がない。この本は667円+税,という格安である。一読を薦めたい。
最近,私は納税申告をきっちり行い,税金の還付を受けている。今年も申告書作成に取りかかった。例年,いつもぎりぎりの提出となる。今年は17日今日が期限だ。それで昨夜深夜(というか今日未明)までかかって作成した次第。それも女房とともに二人がかりで作成した。
確かに,国税庁のHPから申告書を作成するというのも便利なようだが,そして,去年はすんなりいったのだが,今年はその手順で躓いた。あるページで「バグ」なのか,うまく書けないのである。それに手間取った上,プリンタ出力の段階でもうまく行かない。こんなぎりぎりの作成だから,焦るばかり。もっと余裕があれば,うまく行くのかも知れないが,もう時間がない。それと,同じような手合いが多いと見えて,きっと国税庁HPにアクセスが殺到しているのだろう。それも不具合の原因かも知れない。
結局手書き。何という不効率。しかも,深夜までかかって作成しておきながら,今年は還付ではなく,納付ということになった。あらかじめ予想していたことだけれども,くたびれもうけも良いところだ。文部科学省や大学からさまざまな名目の研究費をもらっているので,雑所得の経費部分が少なくなって,還付ではなく,納付となった次第。
国民の納税義務を励行するまじめ人間と言うことだ。***ならもっとうまくやるのかも知れないが,***のような不真面目な人間でない悲しさ。まじめに納税します。
よく忙しいと書いている。確かにファイナンス・インスティテュート運営委員長だとか経営学振興会の実質責任者だとかといった仕事に追われていることは事実だが,そして関連の会議もあるが,「本業」でも結構忙しい。今同時並行で4本の仕事を進めている。先送りしてきた仕事もあるが,頼まれて引き受けた仕事もある。
先送りの第1。「金融市場分析実習」のテキスト作り(共編著)がそれだ。もう何年越しの仕事だろう。ようやく最終局面にさしかかって,出版社との交渉中だが,最終原稿の手入れがなお残っている。
第2。この4月から社会人大学院(いわゆるMBA)が大阪・淀屋橋で開かれるが,その講義準備が結構大変である。2月に講義概要を仕上げ,今週はじめに講義シラバスを仕上げたものの,講義内容の詰めはなお進行中である。それにこれもいずれテキストに仕上げたいと思っている。
第3。これは引き受けてしまった仕事であるが,6月の証券経済学会共通論題の報告がある。4月開講以降になると,なかなか準備ができないので,おおよその目処を,この3月中につけておきたいわけである。しかも,報告要旨をこの3月末に提出する必要がある。でもまだ思案中・分析中である。
第4。これは「連結財務分析プロジェクト」の成果報告の一部にもなるものであるが,大学院生のT君の仕上げた論文に手を加えて,共著という形で成果報告としたいわけである。これに関連する仕事はなお残されたものもある。今日も研究会がある。
もちろん,昨年から「現代企業の財務戦略」の第4版も出版社から催促されている。これなど,まだ手をつけていないので,同時並行中の仕事の範躊には入らない。そういうことで,学生諸君が春休みの3月といえども,いろいろと仕事があるわけである。
京都駅前にあるプラッツ近鉄内にあるソフマップで買い物をしようというので,行ったのですが,近鉄が定休日でした。
近頃はデパートも年中無休のような感覚があったので,そんなことすっかり忘れていました。そういうと近鉄の木曜日定休というのは以前からそうでした。最も近頃は毎週木曜日に休んでいるのではないと思いますが。
わざわざ京都駅で途中下車して,勇んで買い物に行ったのに,定休日でがっかりしました。いずれにしても,定期券も買わなければならなかったので,途中下車は仕方なかったのですが。
閑話休題。
テレビを見ていると,イラク戦争への足並みが米英で乱れてきたとか,北朝鮮拉致被害者家族が川口外相にあったら,アメリカですら拉致はテロだと言ってくれたのに,テロの定義がないから,テロと断定できないとか,経済制裁をする気がないなどと言ったなど,日本政府のふがいなさに怒り心頭の様子が映し出されていました。
拉致問題についての日本政府のふがいなさははじめからわかっていたこと。拉致被害者を北朝鮮へ返さなかったことについて,日本政府の腹が座っていなかったことはこれで明らかになった。もしこれまでの日本政府の対応の一貫性を保ちたかったのなら,拉致被害者を北朝鮮へ帰したらよかったのである。そうでないとしたら,対北朝鮮への強硬な態度を貫くべきなのである。拉致は単なる人権問題ではなく,主権侵害なのであるから,厳しい態度をとるのが筋。それができないのなら,はじめからそんな格好をつける必要などなかったのである。
とはいえ,日本国民が本気で北朝鮮と対峙する気があるのかどうか。ここがあやしい。一戦を構えるほどの気概が日本国民にあるのか。そこにつきる。あおりたくはないけれど,最後のところで構えを持ちうるかどうか,そこなのである。そこを素通りして人情で語ってはいけないと思う。その点がマスコミに欠けているように思う。
2003年03月11日(火) |
紛れている内に株価8000円割れ |
いつもここで書いているように,あれこれと仕事をしたり,そして研究会に出たりの毎日である。多忙に紛れている間に日経平均は8000円を割ってしまった。
8日(土)は経営学振興会・経営学部校友会のセミナーで,スガシタファイナンシャルサービスの代表取締役社長・菅下清廣氏の「デフレ不況----株安時代の儲かる投資戦略----」というテーマでのセミナーであった。そういう意味では時宜にかなったテーマであった。そしてたいへん有意義な話だったが,年度末繁忙期だからか,やや出席が少なかったのが残念だった。
お話の一部だけ(しかも実践的な部分のみ)抜粋して紹介しておこう。
「銘柄で考えましょう。ソニー,日立などはオールド・エコノミー=インフレ体制の会社です。ここには過剰な債務,過剰な社員,過剰な設備や在庫があります。こういう銘柄は,微弱な戻りはあるが新高値はありません。他方,ゼンショー(牛丼チェーン),幻冬舎,ライトオン(ジーンズ銘柄)など名前を知られていない,90年代上場の銘柄があります。これらはニュー・エコノミー=デフレ体制の会社です。こういうところから,どんどん新値が出ています。生活流通革命,ライフスタイルの変化がその背景にあります。」
確かに,投資戦略の参考になる話であった。
10日(月)には大阪市立大学でコーポレート・ガバナンス研究会があった。中央大学教授首藤恵氏,東京大学教授渋谷博史氏,大阪私立大学教授佐合紘一教授らの話で,私も質問させてもらった。終わってから,大学近くで懇親会で再び話すことができた。
しかし,あまり楽観的な話は聞けない。悲観的にならざるを得ない。菅下氏の話と言い,研究会での話と言い,今の政府が同じような政策をつづけているかぎり(今の政府はそういう政策を掲げて,つまりデフレに闇雲につっこむことを政策として掲げて,それを支持されて政権を担っているのだから,政策を変更するはずもない),どん底へ向けまっしぐらだ。森・小泉政権は株価的に見れば,菅下氏の表現を借りれば,「曲がり屋」なのである。小泉退陣以外株価的には救われないわけだ。ところがこんな政権にも支持がある。圧倒的に多くの経済人は支持していない。そのかっこよさに,目をくらまされて,なお支持する向きが多いようだ。これでは救われない。間違いなく,証券市場は救われない。
2003年03月07日(金) |
若手会計学者へのメール |
若手会計学者T君からメールをもらった。
「東大出身の新古典派経済学こそグローバルなスタンダードであるという労働経済学の先生からのプレッシャーもあって,自分のペースを崩しかけていますが,そういうプレッシャーに負けずに,人は人自分は自分と割り切っていくしかないと考えています。会計研究も東大出身の先生に言うように,近い将来アメリカンスタンダードに,新古典派経済理論に基づいた会計理論研究にとってかわるのでしょうか?私には今時点ではわかりませんが。東大出身の先生いわく,「概念研究・歴史研究」は早晩廃れるんだそうです。」
私にはそうは思えなかったので,少し大胆ではあるが,おおよそ次のような返事を書いた。元気づけたいという気持ちもあって,かなり踏み込んで書いた。けれども間違ったことを言っているつもりはない。そこで以下私信に若干手を入れて紹介しておきたい。
私の会計学の知識ではよくわからないところが多いのですが,まわりの会計学者の様子から会計学が数理派で占められていくのかどうか,予断を許さないという面もありますが(とりわけ日本の場合),制度研究の重要性は会計の場合その重要性は変わらないと思います。 とくに実用の学としての会計学は,実務と離れたら存在意義が,なくなる。とりわけ研究としての会計学はともかく教育としての会計学では実務は絶対に重要です。そしてまた研究としての会計学が中途半端な数理派でいくと,経済学の亜流以外の何ものでもない。これでは経済学者に負けてしまうし,そのレーゾン・デートルが疑われるでしょう。もちろん会計学でもしっかりした実証は絶対必要です。そして私自身もっと数学・統計学を勉強しておくべきだったとも思っています。 新古典派経済学は曲がり角にきていると思います。だからこそ,98年度のノーベル経済学賞でアマルティア・センが受賞したり,最近のノーベル経済学賞で実験経済学が受賞したのでしょう。確かに実験経済学は新古典派経済学の延長線上ですが,新古典派経済学が近年,ゲーム理論などに傾斜する中で,ついに実験経済学に進んできたと,私は見ています。さすが最先端の経済学者はここまで進んできています。経済学者に優秀な人たちが多いことは間違いない。 また面白いことに,ディアドラ・N・マクロスキー,赤羽隆夫訳「ノーベル賞経済学者の大罪」(筑摩書房,2002年)などが著され,新古典派経済学への反省が出てきています。 まして,日本の新古典派経済学者は一流の人はともかく,三流の人は,そういう最新の動きについていけていないのではないでしょうか。そしてましてまして,会計学で数理的実証的にやっている人で,自分で,モデルをつくっている人っているのでしょうか。ほとんど,アメリカのモデルにちょっと手を加えて,日本のデータで実証するというレベルのものが多い。お話になりません。私も最近そういう実証を,かじってみてよくわかりました。 会計学者はもう一度簿記をしっかりやるべきではないかと思っています。経済学で実証の基礎となる,国民経済計算は,簿記そのもので,その面でも会計学者の有利を発揮できるはずです。 学問が役に立たなければ意味がない。経済学もそうですが,会計学はもっと役に立つ必要がある。経済学でもいかに役に立つ方向が軽んじられているかは,最新の日経ビジネス(2003年3月10日号)89ページ書評,森永卓郎「原田泰『日本の「大停滞」が終わる日』」,の中で,経済学の業績主義が,役に立たない経済学をもたらしていることが,示唆されています。会計学でも悪しき業績主義が奇妙な実証研究をもたらしていることは間違いない。 会計学が役に立たなければ,これは勉強する意味がない。これを,勉強する学生にはとくに役に立つと言うことがなければ,教育する意味がない。そしてそれは経済学者にできないことである。大先輩で大会計学者のT先生が,「経済学帝国主義」と戦ってこられたことはよく知られています。「無用の経済学」批判を,会計学という衣を借りて,やってこられたわけです。この学派に連なるT君も是非ともそういう自信を持ってそういう三流経済学者と対峙してほしいと思います。一流経済学者はそんな馬鹿なことは言いません。 ただし,「敵を知り己を知らば,百戦危うからず」で,先ほど紹介した書物などを読んでおいた方が良いと思います。既にお読みかも知れませんが。
2003年03月05日(水) |
寒かった,そしてMBAコース |
下記記事の通り,今日は寒かった。寒の戻りとはよく言ったもので,そしてよく奈良のお水取りの頃は寒いとも言う。当たっている。
私は最近毎日,この4月から大阪・淀屋橋で始まる社会人大学院(いわゆるMBAコース)の講義準備に追われている。結構大変である。理論を教えるだけなら簡単だが,実践的に教えるとなると大変です。実際のケース,データにあたっておく必要がある。
実は,日本の大学,とりわけ経営学の分野で,この方面がこれまで遅れていた。そのため先行の教育事例が少ない。慶應義塾大学がかなり以前からやってはいたが,その真似もできない。参考にはなるが。そうなると,一からやらなければならないわけだ。
2002年度,一部先行実施したけれども,それは試行段階のものだった。考え直してみれば,不十分なところがいっぱいある。それを手直し,というか大幅に手直ししなければならない。それに時間がかかる。ここ当分それに追われそうだ。他方で,別のテキスト作りも並行して進めている。こちらも結構大変。
おまけに,6月にある学会で「共通論題」の報告を引き受けている。4月に入ったら講義準備に追われそうなので,こちらもこの3月にある程度目鼻を付けておく必要がある。
この3月は追われ追われて,そして終わりそうだ。
−−−−−−−−−−−−−−− 京滋で寒の戻り 京都市−0・2度、大津 −0・9度
京都府、滋賀県地方は5日朝、各地で軒並み氷点下を記録、前日に続いて寒の戻りを思わせる1月下旬、2月上旬並みの冷え込みとなった。
京都地方気象台によると、京都の最低気温は、京都市で氷点下0・2度と平年を2・5度下回った。このほか舞鶴市で同0・2度、福知山市で同2・0度、京田辺市では同2・3度。
滋賀の最低気温も、彦根地方気象台によると、土山町で同3・4度、信楽町で同3・2度となったほか、大津市で同0・9度、彦根市で同0・2度と、各地で寒い朝となった。
昨日まで暖かかったのに,今日は寒くて,雪が降った。京都でも降ったが,そんな積もるほどではなかった。だが,ここBKCは積もっていた。やはり滋賀県の方が雪も多い。京都も大阪と比べると雪が多いが,滋賀県はさらに多い。ここの積雪は何センチだろう。3センチくらいあるのだろうか。それでも春の雪。すぐにとけそうだ。とはいえ,雪はあがったものの,もうお昼になるのに,外は銀世界。
(追記)朝は3センチどころではなかったらしい。末尾に関連の新聞記事をアップしておきました。
今朝の新聞では,今年は暖冬と予報していたが,それが外れた,とのこと。そうだろう。今年は寒かった。厳冬というほどのことはなかったようだが。学生諸君の就職活動も厳冬というほどのことがなければよいが。
閑話休題。
ここのところ,毎日,教科書づくりに精を出している。元々「金融市場分析実習」のための教科書づくりだったが,コンセプトが揺れて,延び延びになっていた企画だ。元々の出発点は1997年から99年にかけて文部省の科学研究費を受けて始めたものだ。その後学内の資金なども得て,研究を続けてきたものだ。その間,いろいろと副産物もできたのだが,肝心のテキスト作りは延び延びになっていた。それがようやく今,急ピッチで仕上げに入っているわけだ。今年度中にはほぼ仕上げ,今年前半には出版にこぎ着けたいと思っている。私は編著者という立場だが,手を入れ出すときりがない。もうそろそろ見切り発車しなければなるまい。
こういう仕事を他の仕事と並行して進めているわけだが,この春休みのような時期以外とてもできない相談だ。だからこそ,何とか仕上げる予定で頑張っている次第。
−−−(積雪関連記事)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 京滋に白いベール 吹雪まじりの「春の雪」
京滋地方は4日朝、吹雪まじりの「春の雪」に見舞われた。京都市内も一時、うっすらと雪化粧し、北部などでは10センチ以上の積雪。厳しい寒気とともに風も強く、コートのえりを立てて勤め先や学校へ急ぐ人の姿が見られた。
京都市内では時折、視界がさえぎられるほど、雪が激しく舞った。北西の強風が吹き、最低気温は0.4度(京都地方気象台調べ)と、1月下旬から2月上旬並みに寒さに。
四条大橋では、フードを頭にすっぽりかぶって出勤する会社員や、風に傘を吹き飛ばされそうになりながら通学する児童の姿が見られた。
府北部では、舞鶴市で早朝から雪が舞い、2月6日以来の積雪となった。福知山市も市街地で7センチの積雪。早朝の福知山城を春の雪が彩った。
舞鶴自動車道三田西−丹南篠山インターが通行止めになったほか、京都縦貫自動車道をはじめ府北部全域の高速道路で50キロ規制とタイヤ規制が行われた。
滋賀県では、大津市や草津市の街路樹や車の屋根に10センチ近く雪が積もった。春らしい陽気が続いていたここ数日とは一変、横から吹き付ける雪に、通勤の人も戸惑った様子。
大津市では午前8時ごろから1時間ほど、激しくふぶいた。市内中心部では通学の女子高生が傘を倒して雪を防ぎ、学校への道を急いでいた。
県北部では山東町朝日で積雪2センチ、長浜市もうっすらと積もった。長浜盆梅展会場の慶雲館では観光客が雪景色とともに梅の花を楽しんだ。
県内の名神高速道路は全線50キロ規制がとられ、北陸自動車道と湖西道路、国道1号の三重県境などでチェーン規制が出ている。(京都新聞)
どうも最近は腹立たしいことが多い。対イラク戦略をめぐる日本政府の対応がそれだ。
どうやら今日まで多くの日本人(完了を含め)が米ソ冷戦構造のもとでの日米同盟の呪縛に縛られてきたのではないか。冷戦以後の国家戦略を考えるという大きなスパンで物事を考える,そういう発想法を失ってしまっているのではないか。
今回のイラク問題でもフランスや中国の柔軟な発想と比べて,日本政府の発想の貧困さを嘆かわしく思います。たしかに,北朝鮮問題ありで日米同盟は必要だというのも,説明としてはわからなくはない。それはしかし,日米同盟から発想する,後付けの論理だと思われます。実際,同盟は従属ではないはずなのに,発想そのものが従属的です。日本の軍事力を正当に評価すれば,アメリカの庇護がないと北朝鮮に対峙できないなどありえないのに,それがまかり通っている。というより,北朝鮮に対峙する気概がないことにいらだちを覚えます。友好的であれ敵対的であれ一国同士が対峙するという外交戦略がなければ話にならないのに,外交をすべてアメリカに依存する。どうしてこの国は,こんなに卑屈になったのかと思ってしまいます。
首相は首相で丸投げ。外相は仮定の問題には答えられないと言う。この首相にしてこの外相あり。何せ,公約違反など大したことないというのだから,いい加減なものだ。口先ばかりのこの政府が倒れないのは何故なのか不思議なくらいだ。何せ口先ばかりの軽さ。そういえば,T先生いわく,神奈川県民は軽い。この首相を見ていると納得させられてしまう。軽い。今の日本では軽いのが流行だ。だから,この首相が辞めさせられずに,もっているのだろう。日本は軽い国のようだ。
そりゃー私だって軽いですが。今朝もわが女房殿に,あんたって軽いのね,といわれてしまいましたが。でもそれとこれとは別ですよね。
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