singersong professor KMの日記

2003年02月28日(金) 保存できない

 一生懸命つくったファイルが保存できない。大きすぎるようだ。ワードはこれだから嫌になる。それならそうと,これ以上文書を大きくしてはいけませんと言ってくれたらよいのに。一太郎などではそういう警告が出るのに。

 戦意喪失。もう家路につこう。



2003年02月26日(水) 誕生日,めでたしくもなし

 今日,ふと気付いたら,**回目の誕生日。もうこの歳になると誕生日だからといって,何があるわけでもなく,また嬉しくもない。かつて,数え年で年齢を計算していたときは,皆正月になったら歳をとった。そのころのうたで,こういうのがあった。

 「正月や,冥土の旅の,一里塚。めでたくもあり,めでたくもなし」(だったと思う)。最近なら誕生日がそれにあたる。「誕生日,冥土の旅の,一里塚。めでたくもあり,めでたくもなし」。むしろ,めでたくない。まさに,冥土の旅の一里塚,というのを実感し始めた,今日この頃である。

 そういうと,昔は,誕生日といえば,赤飯を炊き,尾頭付きの魚(我が家は貧乏だったので鯛とはいかなかったが),それと紅白のなます(大根とにんじんを千切りにして酢にしたもの)と,相場が決まっていた。家族の誰の誕生日でもそうであった。そういうと母親の誕生日には遠慮してそうしなかったような気もする。

 こういう昔風の誕生日の祝い方も,なかなか味があった。「狭いながらも楽しい我が家」という歌がかつてあったが,まさに,それを実感できる日であった。こういう古い話をし出すと,歳をとった証拠。そういえば,先日も大学院生に古い話をしていた。バブル以前どころではなく,日本列島改造ブームから第1次オイルショック以後の話をした。

 我々世代にとっては,まさに「オンリー・イエスタディ」(つい昨日のこと)なのである。私の若い頃,年寄りが古い話をしているのを聞いて,何と古いことを言う,と思ったものだが,今私がそうなっている。ローマの時代からそうだったという。これは変わらない。

 ただ,歳をとったからと言って,それだけで悲しむべきことでもない。それだけ知識は豊富になっているはずだからだ。間違いなく,若い頃より知識は豊富だ。この知識は伝えていかなければならないのだろう。ところがこれが難しい。自分自身振り返ってもそうだが,獲得しようと言う意識なくして,知識は吸収できないのである。

 我々業界用語で言えば,これを問題意識という。私など,若いとき問題意識が薄かったように思う。そういえば,先生や先輩から「問題意識」の重要性を指摘されていたものだ。今ならいっぱい問題意識があるのに。意識の高い人はだから若いときからの吸収力が違う。我々凡人は気付くのが遅い。

 で,若い人に言う言葉。問題意識を持て。そして吸収力を高めよ。私が若いとき十分できなかったことだが。今だからいえることだが。



2003年02月25日(火) 大学今日この頃

 今日この頃の大学の状況ですが,入学試験の合格発表が終わり,新入生の下宿探しのシーズンです。親子連れで下宿斡旋会場に来ています。また,南草津の駅では業者,生協入り乱れて勧誘しています。

 条件の良い物件では,満室御礼,などと書いてあります。近頃の学生諸君は,昔と比べると,贅沢で,学生マンションの時代です。大学の近くでは25平米が平均的です。1DKというところでしょうか。もちろんバス・トイレつきです。昔の学生が共同便所,台所・風呂なしの,いわゆる下宿に住んでいたのとは大違いです。

 閑話休題。

 他方で,3回生(もうすぐ4回生になる)諸君は就職活動に走り回っています。現在は説明会の段階。それにしても,昔と比べるとすごく早くなっています。しかも不況の影響で長期化しています。女子学生はさらに長期化しています。

 ですから,内定をとったら,もう学生はふらふらで,体力,金力を使い果たし,アルバイトと旅行に精を出すことになります。だから,4回生時は大学とは縁遠くなります。で,大学が事実上3年化してしまいます。

 これでよいのかと,常々議論されるのですが,相手のあることでどうにもならない。日本の将来を担う若者が,しっかり力を付けることのできない状況は,日本の未来を暗示しているように思えてなりません。



2003年02月23日(日) 会社四季報

 今日,京都駅の「Fismy」へ寄って,「会社四季報」CD−ROM版を買おうと思ったが,店頭になかった。そういえば,今店頭に置いているのは昨年12月発売の新春版。3月になったら春号が出るのだから,店頭から消えるのはやむを得ない。春号で仕事をするか,新春号で間に合わせるか,悩むところだ。こういう「季節商品」は店側も我々も扱いが難しい。

 それにしても,最近はデータが容易に入手できるようになったし,また,パソコンの普及で統計処理のパッケージも容易に利用できる。だからかつてと比べて,我々研究者の生産性は上がったというべきだろう。ただし,マクロスキー「ノーベル賞経済学者の大罪」(筑摩書房,2002年)で言われているように,すぐにコンピュータに頼ってしまって,よく考えないという欠陥が表面化しているようだ。

 「統計的有意性は科学的重要性と同一でない。これと同様,数学の厳密性は科学の能力と同一物ではない。統計的有意性および数学的厳密性を探索することの不毛さは,街路灯の下での探索が不毛であることと同じである。それは現代経済学という名のカーゴ・カルト・サイエンス(積み荷信仰式科学)であり,砂場遊びである。」(同上書,102ページ)

 「街路灯の下での探索」とは,マクロスキーによれば,それは次のジョークのことを指している。経済学者の行いがそれに似ているというのだ。つまり経済学の現在の「状況は,暗夜に街路灯の回りをはい回っているのを友人に見付かった酔っぱらいに関する有名なジョークに似ている。「何をしているんだ?」「鍵を探している」「それなら手伝おう。このあたりに落としたのだね?」「違う。そっちの暗いところに落としたんだ。でも,ここの方が明るいから----」。(中略)クライン的悪徳におぼれ始めて以来,計量経済学者たちは,暗い場所を探す代わりに,街路灯の下に経済的真理を探し求める酔っぱらいになった。」(32-33ページ)

 世の中便利になった。けれども便利になったからといって,易きに流れる恐れなしとしない。自戒しなければなるまい。



2003年02月20日(木) 韓国地下鉄火災報道

 韓国で地下鉄火災があったことはご存じの通り。自殺願望者が火をつけたという。私はこの報道に関連して気付いた点を述べたい。日本では起こらないだろうとの「解説」が気になった。ひとつは地下鉄職員が,ここにこういう排煙設備がありと説明していたことである。けれどもインターネットで見ていると,「開業時期が早い浅草線と三田線の計47駅のうち22駅は排煙設備が整っていないため、防火シャッターや煙感知器などほかの防火施設が正常に機能するかどうか点検を始めた」という。これなど正確に知らせるべきではないのだろうか。さすが今日あたりのテレビでは日本でも同規模の都市,例えば名古屋の地下鉄は職員配置も手薄だし,またほとんどの地下鉄は赤字で排煙設備を今から設置するのは困難だ,などという報道がなされていた。

 もう一つ,韓国は難燃性のものを使っているが,日本は基準が厳しく不燃性のものなので,より安全だという。これについても識者が不燃性でもいったん燃えてしまえば同じだと言っていた。今日の報道でも燃え方も違うと報道していたから,韓国とは違うのだろう。どちらが本当かは知らないが。

 いずれにせよ別に不安を煽る必要はないが,正確な情報は提供すべきだろう。かつて,1989年サンフランシスコ地震や1994年ロスアンジェルス地震が起きたとき,高速道路などが落下している映像を見てびっくりしたが,当時,日本では基準が厳しいのでそんなことは起こり得ないと言われていたものだ。ところが,1995年神戸の震災では同じように,高速道路が落下した。

 日本でも地下鉄放火など想定していないとも言われていた。だから放火で同様の事故が起こる可能性は否定できないとも言われている。だから,「火気持ち込みが禁じられており,見つけたら注意してほしい」旨話されていた。今回の韓国の事件が「火気持ち込み禁止」で防止できるはずがない。韓国だって火気持ち込みが禁止されていたはずだ。「火気持ち込み禁止」は今回のような事件の対策でありえないことは小児でもわかるはずなのに。間の抜けた説明であった。

閑話休題
 それにしてもJRへの飛び込み自殺が多い。一体何日に1件の割合で飛び込みが起こっているのだろう。最近は数え切れない。異常としか言いようがない。それともあの大阪の事故以来JRが慎重になったからだけだろうか。その影響も大きいだろうが,やはり,飛び込みが増えているという実感がある。JRあたりが正確な情報を提供すべきではなかろうか。そうすれば,小泉内閣の政策も変えられるかも知れない。
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列車に飛び込み死亡 JR彦根駅
 19日午前11時10分ごろ、彦根市古沢町のJR彦根駅で、東京貨物ターミナル行きの貨物列車(24両)にホームから人が飛び込み、即死した。
 JR東海道線の米原−河瀬(彦根市)間の上下線とも正午現在、運休している。
(京都新聞) [2月19日13時36分更新]



2003年02月19日(水) パソコンでまたまた頭に来た

 パソコンではよくあることですが,またまた,頭に来ました。今朝メールで返信を出そうと思って,長文の文章を書いて,さて,添付ファイルを添付しようと思って,添付ファイル送信をクリックしたとたん,メール喪失。書きかけていた文書すべてが失われてしまいました。これで戦意喪失,メールを送り直したのですが,それまで書いたような長文ではなく,短文で用件のみの文章を書いて,添付ファイルもつけて送りました。

 長文の文書であっただけに,なくなったときは,声をあげてしまいました。「アー」という声というより悲鳴を上げたのではなかったか。自分でも覚えていません。こういうこと,パソコンではしょっちゅうではないが,時に起こります。だから,その直前に文書を保存しておけばよいのですが,まさか,そうなるとは思っていないわけですから,起こったときは,もう後の祭り。

 しょっちゅうセーブ,というのがパソコンの基本。そして重要な文書はバックアップをとる,これも基本。初心者に限って,パソコンを信頼しすぎている。そういう痛い目にあっていないからだろう。こればかりは,痛い目にあわないとわからないようだ。どんな電気製品でも,そんなことはない。けれども,パソコンでは日常茶飯事。安定していない。こういうのが商品として売られていること自体不思議といえば不思議。また,それを使いこなす楽しみを味わっているマニアもいる。じゃじゃ馬ならし,のようなところがある。

 だからパソコンは楽しいという人もいる。われわれジャスト・ユーザーにとっては,そんなことたまったことではない。ぜんぜん可愛くない。けれどもおつきあいせざるを得ない。いわば不良息子のようなところがある。いくら不良でも放っておくわけにはいかない。向き合って行かざるを得ない。パソコンはそういうもののようだ。ったく。



2003年02月18日(火) よく書いた

 昨日17日,この日記を書き始めたのが昨年の2月17日だから1年目だった。調べてみると,約100日分書いている。3日に1回の割合だ。とくに昨年8月にサーバー・ダウンしてから2カ月ほどはほとんど書いていないのだから,かなりのペースで書いてきたことになる。

 おそらく,重複した内容の時もあったろう。一応,テキスト・ファイルとして残す作業はしているが,読み直すことはない。この日記を書くようになって,やはり,何かネタがないか常に気にするようになった。でも,そうそうネタが転がっているわけではない。そういう意味で,最近のJRの人身事故続きは,丁度,この日記にはネタになってしまっている。残念ながら。

 それとやはり,寒い,というのがネタだ。日本人の挨拶には必ず気候がでて来るという。この日記でもやはり,気候はネタのひとつだ。あとは時事ネタ。政治がらみが,やはりネタになる。そして,専門と関連のある経済の話。これでネタのほとんどはつきてしまう。

 これからも,できるだけこの日記をつづけていきたい。100日分で1万アクセスということは,1日100アクセスあると言うことになる。もちろん休み中は少なくなる。それでも数十アクセスはある。これを励みに,書き続けようと思う。



2003年02月17日(月) デジタル・デバイド

 ようやく春がやってきたのかと思わせる。これまでの寒さからすると,これでも暖かく感じる。不思議なもので同じ気温でも秋には寒く感じたものが,春には暖かく感じるもののようだ。人間の感じ方というのはそういうものだ。

 調べてみると,あの寒いと思った昨年11月の京都の最高気温は12度から20度の間であったし,最低気温は2度から10度の間でした。それを今日の予想最高気温12度,予想最低気温2度(なお今週の予想最高気温7度から12度,予想最低気温マイナス2度から2度)と比べると,今の方が遙かに寒い。にもかかわらず寒さを通り越して暖かい方へ向かっているので,暖かく感じてしまう。人間とはいい加減なものだ。少なくとも今日は暖かい。

 それにしても,こういう11月の気温などもインターネットを使うとすぐに見られる。便利なものだ。当然これを研究に活用すれば,強い武器になる。問題はその情報の調べ方だ。それでもgoogleなどで検索すれば容易に見つけることができる。こう言うことを知っているのと知らないのでは,まさに,デジタル・デバイド,情報格差が発生して,情報を活用している人がそうでない人より遙かに優位になる。

 というか,情報劣位にある人は落ち込んでいくにすぎない。情報活用をして上を狙うのは容易ではない。ある意味ではこれが常識の線になる。だから,これを活用できない人が情報弱者,したがって,社会的弱者に落ち込む可能性を孕んでいる。少なくとも若い人たちがこれを知っているのと知らないのでは,ものすごい差になる。

 かつてでも,日経を読む人と読まない人の格差はあった。その意味では同じ事ではある。で,落ちこぼれないため,だけではなく,差を付けるために情報を活用するには,これは少し「年季がいる」。常に社会に目を向け能動的に生きているかどうかも関係がある。社会常識欠如が将来の弱者への道であることに気付かない若い人もいる。これらの人に気付いてもらうのがわれわれの役目だ。ただ,よく言うように,「馬を水飲み場に連れて行くことはできる,でも水を飲むか飲まないかは,馬次第である。」



2003年02月14日(金) 入試シーズン

 朝メールを見ると,なんと24通。これを見るだけでも時間がかかる。今で30分近く見ているが,まだ見終わらない。いま送られてきた馬鹿でかいファイルをダウンロード中。

 ようやくメールを全部見終わって,返事も書いて,時計を見ると,45分経過。何というメールの多さか。

 それにしても入試シーズン。立命館大学は数多くの入試をしているので有名です。ということは合否判定も大変ということです。私の場合,明日15日は大学院入試で面接。16日は日曜日にもかかわらず合否判定資料づくり。17日は合否判定調整会議。18日は合否判定教授会。19日は別形態の入試判定原案作成。という具合にスケジュールが詰まっています。

 入学試験の検定料収入は,大学にとって馬鹿にならない収入源です。1人3万5千円ということは延べ10万人受験者があるということは35億円の収入ということになる。そのコストはそんなにかからない。コストがかからないということはわれわれが無料ないし低廉の奉仕をしているということに他ならない。

 われわれの働きに正当なペイが払われているかどうかは疑わしい。既に給料と役職手当を払っているでしょ,というのが大学側の論理。最近は入試の実施に教員が動員されることは以前ほどではなくなった。実施そのものは職員に負うところが大きい。大学からすれば,使いやすいのを使うということだろう。で,やはり,コストをかけていない。もしその執行が高くつけば,そんなにたくさんの形態の入試を実施しないだろう。

 旧来からの単純な入試時代の慣行にもとづくペイで実施されているから,低コスト高収入になっているのではないかと思われる。もう少し教職員に支払われても良いだろう。それでもなお残るだろう。学校法人は非営利組織だから,その収入は,還元される必要がある。では,ちゃんと還元されているだろうか。これを見張るのがガバナンス・システムであろう。日本の大学という組織ではまだまだガバナンスは発達していないといわざるを得ない。

 今後の課題であろう。



2003年02月13日(木) 修士論文口頭試問

 修士論文審査には口頭試問がある。これをパスしないといけないわけだ。もちろん自分の指導してきた大学院生の場合とそうでない院生の場合とでは,自ずから心構えが違う。

 自分が指導してきた大学院生の場合,内容もわかっているし,聞くこともない。だから,そうでない審査委員の方が発言が多いことになる。ことしもこれまで2件,そういう自分の指導してきたのではない大学院生の審査を済ませた。なお,自分の指導してきた院生の口頭試問が残っている状態だ。

 自分が指導してきていない院生の修士論文審査の場合,まずはその論文をていねいに読む必要がある。この場合,2通りある。ひとつは自分がそれほど詳しくない分野であったり,多少知っていても十分調べ切れていない分野で,論文が一応の水準に到達している場合である。もう一つは,どんな分野であれ,論文が水準を十分クリアできていない場合である。

 前者の場合,論文が水準をクリアしている場合は,原典に当たってみたりして本当にそうなのか確認などしながら読むわけだけれども,知的欲求を満たせるので,大変とはいえ楽しく感じることさえある。で,質問も厳しく聞きはするものの,気分は悪くない。

 問題は後者,水準をクリアしてしているか疑わしい場合だ。かつてと違い,修士課程に多くの院生が入ってくる時代なので,評点もBありCありとはいえ,こういうのは読んでいて楽しくない。もちろんDは論外である。通常こういうDなどというのは論文を取り下げさせるわけだ。

 BでもCでも,とにかく楽しくない。憂鬱である。まず,書いてあることが信用できない。原典に当たってみると,まったくそんなこと書いてない,などということもある。読むのに時間がかかる上に,生産的でない。最近はこういう論文も結構ある。幸い,今年,これまで審査した2件ではそういう憂鬱な論文はなかった。しかし,いずれにせよ,修士論文審査というのも結構つかれるものなのである。一応水準をクリアしていても,当然,気になるところはいっぱいある。それをいちいちチェックしながら読むわけである。だから疲れるわけである。

 上述のように,今年はそんなにひどいのがなかったのでよかった。そこで引用された論文も,口頭試問の後からも,気になって読んでみて,それなりに理解が深まったものもあって,ある意味で「収穫」もあった。さて,口頭試問後半戦はいかがなりまするやら。



2003年02月10日(月) 人身事故が多い

 人身事故が多い。とくに昨年11月だったかの事故でミスがあってからJRも慎重で,すぐに止めるようになったようだ。今日も下記事故で,京都駅は混乱していた。私がびわこ線のホームに立ったときが丁度事故直後のようで,振り替え輸送のアナウンスをしていた。とてもこれではたまらない,と思い,思い立って,「プラッツ近鉄」内の「旭屋書店」に行った。で,ついつい衝動買いをしてしまった。だって,「コーポレート・ガバナンス」とタイトルにあったら,私の場合,買わざるを得ないわけだ。

 ついでに,今度は,タワーホテル地下で昼食もとった。予定外のことであった。食事を終え,改札口でびわこ線が止まっていないのを確認して,ホームへ。けれどもダイヤは乱れに乱れていた。ホームでかなり待たされたあげく,混んだ電車が来た。幸い座れたが,立っている人も多かった。

 昨日,一昨日と後期試験の採点で400枚を超える答案を読んで,かなりうんざりだが,まだ読むべき修士論文が3本ある(1本は面接終了)。車中や食事中,これを読んでいるが,他にも仕事を抱えながらも,読まざるを得ないものがある。これはわれわれの仕事である。もっとも,修士論文指導と無関係の先生方も多い。

 私はどういうわけだか会計学系列の論文指導も引き受けている。私の担当が「経営財務論」ということで,かつては経営学系列に位置づけられていたので,会計学の論文指導をすることはなかったが,コース再編の中で,「会計・ファイナンス・コース」(一時そういうコースがあった)担当と位置づけられてから,会計学も私のフィールドとして位置づけられてしまったようだ。もともと私自身会計学出身であることもあって,会計学がわからないわけではないので,いまでは会計学指導グループの一員という扱いを受け,修士論文の指導や審査をしている。私の場合,だから,ファイナンスから会計学に至る幅広い分野が持ち場となっている。ま,便利屋である。

 今年の春も,そういうわけで,忙しく仕事をしている。あれこれ引き受けていると,いつも,何か忘れてはしないかと,気になる。そして,せわしなく歩くことになる。同僚のMさんには,いつもせかせか歩いている,と言われてしまう。忙しさを楽しんでいる,といわれればそれまでだが,本人はそんな気持ちではなく,つい,仕事を引き受けてしまうだけである。引き受けるときは,できるだろうと,思うのだが,期日がせまってくると,しまった,と思う。

 ま,前回の日記で,躁鬱の話をしたが,だからこそ,鬱になっている暇が少なくてすむのかもしれない。このように,良いように解釈しておこう。

(追加−−自殺増加の記事)
 人身事故といっても,要は自殺。自殺者3万人といわれている。インターネットで見ていると,最下段に示したように,滋賀県の自殺者の増加が報じられていた。それも中年男性の自殺者が多いという。この不況と無関係ではあるまい。以前もこれには何度も触れた。あまりにも現場無視の経済政策が多い。自殺者増加はその犠牲者が増えているということを示している。その声はどうして政策立案者に届かないのか。腹立たしい。

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飛び込み、JR一時止まる 京都−米原間上り線と湖西線

 10日午前10時40分ごろ、京都市東山区のJR東海道線京都−山科間で、線路内に男性が入り込み、大阪発金沢行き特急雷鳥13号にはねられ、男性は死亡した。

 松原署の調べでは、男性は年齢50歳前後で身元確認を急いでいる。

 同特急は現場で約1時間停車。東海道線上り線京都−米原間と湖西線で1時間余にわたって運転を見合わせるなど、ダイヤに影響が出た。
(京都新聞)[2月10日12時46分更新]

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中高年男性の自殺が急増 滋賀 01年324人

 滋賀県内で昨年1年間に自殺した人が前年より3割多い324人にのぼったことが、県警の10日までの調べで分かった。中高齢の男性の自殺が急増しており、病苦や前途悲観による自殺が目立った。

 県警のまとめによると、昨年取り扱った遺体1089人のうち、自殺者が3割を占めた。自殺者の増加を受け、県警の遺体取り扱い総数も初めて1000人を超えた。

 自殺者のうち、男性は236人で、前年より62人も増加。女性は88人で11人増だった。50歳代の自殺が85人と最も多く、次いで、70歳代59人、60歳代58人の順。

 動機別では、病苦による自殺が68人、前途悲観が53人、借金苦が50人、精神障害が38人となっている。

(京都新聞)



2003年02月07日(金) 躁鬱

 研究者というのは誰しも「躁」と「鬱」が交替でやってくるようだ。私など軽症でさほどでもないが,そういう症状は周りの人たちによく見られる症状である。概して研究者は「打たれ弱い」ように思う。他人事ではないが。

 だから,人によっては「親衛隊」で周りを固めることになるのかもしれない。耳に心地よい言葉を聞く方が気持ちがよいのに決まっている。だから,まったく別の方面から矢が飛んできたら,どう受け止めたらよいのかわからなくなる。で,うろたえたりする。

 よく躁状態のときに論文を書くと聞く。そうだろう。論文を書いているときは誰しも躁状態なのだろう。そうでないと書けない。これで正しいと思いこんで書くわけだ。疑問を持ち出したらきりがない。もちろんちょっとした疑問は次々出てくる。そこで,あわててパッチワークよろしく,本を読み直し,隊列を整え直して,再び進軍するわけだ。

 論文を書くのが好きだと公言するYさんの気持ちはその限りで分かる。また,読むのが好きだというOさんの気持ちもよくわかる。誰しも,書き始めるまで相当苦労する。書き始めたら,先ほどの話でわかるように,いわば躁状態になって書くわけだ。そこへ行くまでが大変だ。だから,論文を書くというオブリゲーションなしに,読むのが一番楽しいわけだ。

 さきのOさんの場合,論文を書くということを抜きに読むのが好きだと言うことだろう。ただ,読んでいて,これは利用できる,などというフレーズに出会うと嬉しくなってしまう。一時的に躁状態になるからだろう。

 何であれ,書くということは,どんな文章であれ,躁状態というか,高ぶっていないと書けない。それはまた快感でもある。書くのが好きだというYさんの場合,その高揚がたまらないのだろう。

 逆に,そういうことがないときは通常鬱状態に近いのかもしれない。だいたい研究者は無愛想だというのが通り相場である。無愛想というか,世間知らずというか,鬱状態というか,あまり世間に出せない人が多いようだ(とくに昔の研究者にそういうタイプが多かったように思う)。最近では,それでは通らなくなりつつある。その代わり,昔のような大物は減ったように思う。私を含めて。



2003年02月06日(木) アンケート送付作業

 昨日は,一日遅れで,4日締め切りの演習・特殊講義3・プロジェクト研究などの成績評価を事務に渡した。問題は大教室講義の成績の方で,こちらは採点が全然進んでいない。博士論文審査,修士論文審査,卒業論文審査,などが先行するからどうしても大講義の採点は後回しになる。それでも,一部の成績付けが済んだことで,少し(ほんの少し)は気が楽になる。

 われわれの「連結財務分析プロジェクト」のアンケート分析結果をディスカッション・ペーパーにしたものを,アンケートをしてもらった会社や関係方面に送付する作業を昨日の午後いっぱいかかって行った。大学院ドクターのT君,マスターのT君,2回生(新ゼミ生)のT君,K君,Y君らに手伝ってもらった。それでも半日かかってしまった。

 終了後,生協で食べたりだべったりした。まだまだ,し残しの仕事はあるが,これで少しは片づいた。今日もし残している仕事にかかることになる。よく,大学の先生は春の休みも長くてよいですねと言われる。いえいえ,採点や審査,それに,次年度の準備など結構大変なのである。

 次年度,つまりこの4月から,大阪でビジネス・スクール的なものを立ち上げることになっている。私もその最初のクウォーターを担当するので,その準備にかからなければならないのだが,それ以前にし残した仕事をしなければならないわけだ。



2003年02月05日(水) コンパ

 2月3日は「ゼミ説明会」,そして夜は「縦コンパ」でした。新ゼミ生の2回生,それに3回生,4回生も参加して,大勢だった。「串春」という店は,実は初めてだった(はずだ)。いや2回目か,ま,そんなことはどうでもよい。かなりの盛り上がりで,私も盛り上がり,2次会のカラオケにまで参加。

 カラオケも盛り上がり,南草津発最終午後11時50分に何とか飛び乗れた。もっとも,京都駅に着いてからはタクシーとなった。4回生のN君が丁度私の帰宅コースだったので,送ることができた。私とN君以外の2次会参加者は一体何時まで歌っていたのか。今日改めて聞いてみよう。

 4日,博士論文公聴会は,私の指導の下で研究者となった,そして今は立派な研究者となっているAPU助教授牧田君の博士論文報告であった。なんと3時間もの長丁場となった。熱心な研究の場となった。これはいずれ報告書を公表することになる。それにしても大学院のT君が公聴会に来なかったのは,前日のコンパで歌いすぎたからだろうか。今日聞いてみよう。

 終了後,牧田君と長話。そして,京都駅で「ちょっと一杯」やった。彼と話していると時間のたつのを忘れる。こういう「話せる」人間と飲むのは最高だ。2日続きで飲んだのは久しぶりだ。そういえば,1日にもOB会懇親会の下見と称して,呑んだから,この数日は少し飲み過ぎか?ただ,以前ほど深酒はしなくなった。少し「大人になった(?)」(ちょっと遅すぎんじゃないの)ようだ。



2003年02月03日(月) お通夜

 昨夜,会計研前OB会長S氏のご母堂の通夜に行って来た。85歳とか。我々世代の父母が亡くなることが最近多い。長寿時代とはいえ,丁度そういう年頃なのだろう。

 雪も降ってきて寒かったが,だいたい,通夜や葬儀は寒いときか暑いときに決まっている。人間,そういう厳しいときにまいるもののようだ。私の父の場合も,寒いときだった。

 無関係のようだが,大学院のN君の話によると,パソコンもこういう冬によく故障するという。最近私のパソコンが故障したのも,そういうことのようだ。



2003年02月02日(日) OB会

 立命館大学会計学研究会OB会というのがある。私の卒業サークルのOB会である。毎年1回9月の総会,懇親会と,もう1回3月の新OB歓迎懇親会(こちらはOB会側は幹事中心)という2つの行事を行っている。

 そのための準備が毎年2回行われるわけだ。宛名書き,会場決定等々がその作業となる。きのうその3月の幹事会ならびに懇親会の準備を行った。で,その名簿が「筆まめ」で作成されている。私もそのために「筆まめ」を買ってあった(筈)だが,昨日探すとそのシステムがない。

 2枚目,3枚目のCDはあったが,1枚目のシステムが行方不明。昨日帰って考えてみたら,誰かに貸したような気がするが,これが思い出せない。日頃使わないソフトは意識の外にある。

 とくに,「筆まめ」は最近壊れたパソコンの方にインストールしてあったから,結局昨日は住所録が立ち上げられず,いちいち打ち込む羽目になった。そのため結構長時間かかってしまった。

 終わってから,会場下見のためにM会長と出かけた。若手幹事T君の手配で決めたので,しゃれたところだ。家へ帰って,その会場の名前が思い出せない。あまりしゃれた横文字は記憶に残らない。

 昨日は深夜,スペースシャトルの墜落の情報でついつい寝るのが遅くなって,今朝は寝過ごした。これはこれで衝撃的。


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