singersong professor KMの日記

2002年12月30日(月) 年末恒例の年賀状書き

 ここ数年,年賀状を家族総出で書いている。といっても我が女房に手伝って貰うということだが。しかも相当押し詰まってからである。

 今年は私の最終講義が26日だったから,かつてのように冬期休暇がほとんどない。例年この休暇中に先送りしていた仕事を片づけ,片手間に年賀状を書いていた。

 それが今年は,年賀状を書く期間がさらに短くなってしまっている。いずれにせ
よ,ギリギリまで追いつめられないとできないものではあるが,今年はもっとも追いつめられている。

 だいたいにおいて手際が悪い。住所変更,喪中などのはがきの整理が悪いから,大騒ぎになる。

 皆はいったいどのようにしているのだろうかと思ってしまう。きっと準備万端整えて,さぞ手際よくやられるのだろう。どうも私の怠惰な性格はここでも出てくるようです。いけません。



2002年12月27日(金) 雪の日に思う

 今年は寒い。今日も雪がちらついている。京都でもちらついていたが,ここ草津,とくにキャンパスはさらに雪の密度が濃い。少し山手になるので多いのだろう。京都の私の家も京都盆地の中でも少し北で山にも近いので雪が多い方だが,この4年間の経験からも,このキャンパスはさらに多い。

 今の京都花園に引っ越す前,京都でも西京極という少し南の方に済んでいたので,衣笠で雪が降っていても自宅へ帰れば全然雪がない。また逆の場合もあったが,花園は衣笠にも近いので雪が少し多い。何よりも,一戸建てで西京極時代のマンションとは比べものにならないくらい寒く感じたものだ。

 そして今度は草津である。これは勤務先の引っ越しだけれども,引っ越した年の冬は寒く感じた(今でも寒いが)。春に引っ越してきて,そのときに風が強い,これは冬は寒いだろうなと,話した記憶があるが,まさにその通り,冬は寒かった。何せ,京都と違って風が強い。電車通勤で,帰り,夜の「JR南草津」のホームに立っていると,寒風が吹きすさぶ。

 他方,大学は山手にあるから,大雪が降るとバスのダイヤが混乱する。2年ほど前の入試の日,大雪で,大渋滞。その夜帰り道,バスはとりあえず動いたが,道ばたに自動車が放置してある。自宅のあるニュータウンへ向かっていた自分の自動車が坂の雪道を上れず,仕方なく自動車を放置して歩いて自宅へ向かったものと見える。

 こういう雪の日になると,あの日のことを思い出す。

 閑話休題。

 今日27日。冬期休暇前の最終講義日である。私の講義は昨日で終わったが,今日も学生は来ている。休講が多いせいだろうか,心持ち学生数が少ない。事務室は最終講義日であり,かつ仕事納めの日となる。かつてなら,仕事納めの日の事務室は「大掃除(らしきもの)」を行ない,机の上を片づけたり雑巾がけしたりで,早めに仕事を終え,「打ち上げ」というのが恒例だった。今年のような,きちきちの仕事日程だと,「大掃除」や「打ち上げ」など,どうするのだろう。職員の人に聞いたらそんなことできないと言う。こちらも世知辛くなった。



2002年12月24日(火) クリスマス・イブ

 別のMLに出したものですが,少し変えてこちらでも書いておきます。

 クリスマス・イブ,皆様どのようにお過ごしでしょうか。今私は,研究室でパソコンに向かっています。今まで,会議でした。午前中同志社で方向をした後,ここびわこ草津キャンパスで,教授会,それを終えて18時からインスティテュート新旧執行部会議,そしてそれを終えて今,20時45分。さらに,メールを書いていて,今は21時40分。もうバスに乗らなければ。

 今も事務のM君と話していて,立命館大学の教職員はよく働くという話になった。かつて12月も20日を過ぎれば,冬期休暇に入ったものだが,今年は27日まで講義がある。私の担当科目の今年最後の講義は26日である。これでは冬期休暇を利用した研究ができないとこぼす人も多い。

 ま,普通の会社なら27日まで仕事があるのは当然でしょうが。ただ,学生諸君など,帰省ラッシュとぶつかるのがつらいと言っています。確かに,かつてなら学生だからラッシュに引っかからずに,帰省できたのに,これでは完全にラッシュに引っかかります。その意味ではJRにご迷惑をかけているのでしょうか。



2002年12月23日(月) 就職活動を前にして

 最近の厳しい情勢を受けて,就職活動で学生諸君が苦労している。今年の4回生の状況など,昨日の3回生向け就職対策補講ゼミで,よく分かった。例年ならもっと楽勝だろうと思われた諸君が結構苦戦していた。

 来年度は,さらに厳しいのではないかと予想される。とはいえ,学問に王道があるように,就職活動にも王道はある。基本に忠実,これに尽きる。よく言うのであるが,敵を知り己を知らば百戦危うからず,まさに「企業分析」と「自己分析」をきっちりやる。特に今の人たちにいえるのは,「自己分析」が大切だということである。

 自分を客観的に見る,良い機会なのである。案外,自分の置かれている位置を知らない諸君が多い。案外とはいえないかもしれない。これが結構難しい。人間どうしても主観的になる。自分を客観的に見ることは難しい。客観的に見られるかどうかが,大人かどうかの,分かれ道かもしれない。

 別に女性蔑視で言うのではないが,主婦のなかにきわめて主観的な人がいる。社会経験が乏しい,元来女性が社会性を持つよう育てられていない,等々が原因でそうなるのだろう。今はやりの言葉で言えば,「ジコチュウ」ということになる。地動説ならぬ,天動説である。

 謙虚に世の中を見れば,分かるはずなのだが,夫や親に守られていると,自分が置かれている位置が見えなくなる。別にいつの時代にもあることだが,大学生がエリートでなくなってからは,ますますそうなってきている。良きエリート意識がなくなると,社会と立ち向かうという意識が薄れるようだ。

 もちろんみんながそうだとはいえない。社会性豊かな諸君はいる。とはいえ,「自己主張」とか「こだわり」だとか言えば,聞こえはよいが「ジコチュウ」である場合がある。自分の存在をじっくり見直す,結構難しいが,それが大切だ。世の中いろんなものが見えにくくなっているだけに,大変だ。「ジコチュウ」でない「自己主張」が望ましい。

 まずは学生諸君の健闘を祈りたい。



2002年12月21日(土) 精密検査など

 20日は,腸の精密検査でした。一日そんなこんなで終わりました。

 尾籠な話ですが,夜も明けぬうちから昨夜の下剤が効いて,まさに下痢状態。そのうえ朝7時から,下剤の入った2リットルの水を飲むのです。「う,まずい!」という代物を,2リットルはつらいものがあります。それも1時間以内で飲まなければならないのです。これでもって,腸の中を空っぽにしようと言うわけです。

 ですから,トイレとの往復を何度も続ける必要があります。で,ある程度時間がたつと,今度は出すものが何もなくなる。そうなってから病院へ(というか時間指定で,私の場合午後2時)行って,指示に従って,内視鏡の科へ回されるわけです。

 待合いで待って,呼ばれてから,着替えてしばし,検査室へ。痛み止めなどの点滴を打ちながら,腸の中へ空気とともに内視鏡を入れて調べるわけです。「何か見つかりましたか」と問いかけると,何もない,という。結局,便に血が混じっていたのは,痔のためではなかろうか,という結論。なーんだ,というわけですが,大変な一日でした。

 閑話休題。

 それにしても韓国大統領選挙,接戦だった。19日は丁度検査の前の晩だったので,BSで選挙速報に見入った。そこで気付いたのは,韓国の政治の民主主義,健全性だ。何せ国家元首を国民の直接投票で選べるのだから,国民も燃え,政治も変化する。翻って,日本の場合,国家元首は選べない。天皇が国家元首で,これは国民の選挙で選べない。

 おまけに,総理大臣も与党第一党の党首が議会で選出される,という仕組みだから,国民の意識を正確に反映するわけではない。そこで,議会のボス支配がまかり通る。自民党政権が長く続いたせいか,年功序列が成立している。石原慎太郎曰く「自民党は年功制度でダメになったと思っている」(日経ビジネス,2002/12/23・30,32ページ)という。また野党もにたりよったりだととも述べている。いけませんね。



2002年12月18日(水) 何かと忙しい,まさに師走

 何かと忙しい,まさに師走。昨日火曜日は何かと忙しかった。私の日誌では下記の通りです。

 10404回生ゼミ
 1230昼食弁当
 1300経営学部40周年記念事業委員会
 1430経営学研究科委員会
 1630打ち合わせ,メールで非常勤講師依頼など
 1800プロジェクト研究発表会,終了後打ち合わせ

上記打ち合わせを終了したのが21時少し前でした。

で,プロジェクト研究ですが,学生の報告を聞くというものですが,ここで,不良債権問題が話題になり,その処理法について,学生より指導の教員間で話が飛びました。

 証券化したらよいという話ですが,アメリカのようにプロジェクト・ファイナンスなら容易に証券化して市場で売買できるが,日本のような融資スタイルだとそれは困難である,と私が言いましたところ,さすが,数理ファイナンスの赤堀先生。デリバティブスを活用すればよい。たしかに理論的にはその通りです。問題はそれを組成する人の力量です。日本でそんな力量のある人はいるのでしょうか。理論的な力とそれを商品化し市場を作りという制度面にも精通している人がいるのでしょうか。誰か考えてほしいものだ。

 何せ今日も忙しそうだ。午前中インスティテュート教学委員会で,おそらく1時近くまであるのだろう。実は12時から別の会議にも出てほしいと言われていますが出られるかどうか。

 午後は4時から面接。5時から修士論文発表会で,私の指導している大学院生の報告を聞く必要がある。

 この2日間で言えば,4回生ゼミはともかく,後は会議だとかそういう別の仕事です。大学の先生は週何時間かの講義だけで楽だと思われるのですが,実態はこういう具合で別の仕事がある。しかも,色々準備などもあるのです。



2002年12月15日(日) 大阪,GDP,グルメ番組

 3題話のようなことになりますが。

 昨日,14日は,学会の関西部会で大阪・北浜へ行って来ました。土曜日ということで閑散としていました。終わってから例のごとく,淀屋橋で皆さんと飲みました。とはいえ13日に日経クイックの大阪支社の人と話していても,大阪の元気の無さは如何とも,し難いようですね。淀屋橋から北浜まで歩いていると点々とホームレスが寝込んでいます。これは最近では常態化した風景です。これを異常とも思わなくなったことが怖い。

 ただ,その昨日の飲み会で話していて気付いたのですが,アメリカの大恐慌の時GDPが何分の一かに落ちたのですが,日本の今回の不況,むしろGDPが上がってさえいる。もちろんマイナス成長のときでもマイナス−1%など僅かですから,底堅い。

 これはかつてのアメリカと比べて,セーフティ・ネットが充実している,あるいは外食をはじめとするサービス産業が支えている,という面があるのだということに気付かされました。そういう意味では,グルメ番組大繁盛の意味も分かります。私もグルメ番組の一ファンとしてよく理解できます。

 サービス産業=低所得,ということではありますが,それでもって経済が支えられているのなら,それはそれで評価すべきことではあります。少しつらいですが。



2002年12月09日(月) 証券ゼミナール大会を終えて

 風邪気味のなか,12月6日,7日と東京での証券ゼミナール大会指導講師をしてきました。といっても学生の報告討論を指導するのが仕事で,今回は声があまり出ないので,省エネに徹しました。そこで参加学生諸君に多くをしゃべってもらいました。とにかく,のどを潤して咳を止め,少しは発言するというスタイルを通しました。何とか乗り切って帰りました。

 しゃべれない分,議論をよく聞くことができて,モバイル・ギア持参だったのですが,終了後1500字程度の講評を本部に送る必要があるのですが,その原稿がほぼできあがりました。議論を聞いている内にほぼできてしまいましたので,これは「ラッキー」でした。

 これまで何回かこのセミナーでは指導講師を務めているのですが,そして最終日夜に恒例の懇親会があるので,ここで飲んでもう一泊するところですが,今回はおとなしく帰りました。

 とにかく家で寝たいというのが本音。で,8日の日曜日も一日静養しました。そして前述のような講評をメールで送ってしまいました。静養のおかげで風邪も回復気味です。今日9日1時間目に同志社で講義をしたのですが,用心のため,教室にペットボトルを持ち込んで,時々のどを潤しながら講義しました。何とかこれも乗り切れました。

 はやく正常復帰したいものです。



2002年12月04日(水) 風邪

 風邪を引いてしまいました。声が出なくなってしまいました。昨日あたりから声を出すのが「しんどい」という状況です。ですから,出来るだけ声を出さずにすましています。

 問題は講義です。これは声を出さずに入られません。それも1時間半しゃべり続けるわけです。これは「ヤバイ」と思い,明日木曜日の午前中の講義は休講にしました。体力も温存しておかないと,明日夕方からの大学院ゼミもうまくいかないでしょう。

 まして,タイミングの悪いことに,6日(金),7日(土)と証券ゼミナール大会の講師で東京へ行かなければなりません。いつもなら7日夜の懇親会に出ていたのですが,今年はそんなことで,体力温存のため,7日(土)の夜に京都へ戻ろうと決めた次第。

 1日でも自宅でゆっくり休養を取れば,身体も休まって,風邪も退散するのではないかと思います。そういえば,わが家の娘も先日声が出ないといっていました。これがうつったのでしょう。今日保健センターの看護婦さんに子どもの風邪をうつされるとキツイですよといわれ,これはイカン,という気持ちにさせられました。

 精密検査の結果,肝臓は思いの外健全だったようだ。とはいえ,出ている数値は極めて高く,休飲日という発送を逆転させ,飲酒日を決めなさいといわれました。たしかに,週1日休んだくらいでは肝臓は良くならないようです。個人差はあるでしょうが,逆転の発想で,飲酒日を決めることが必要なようだ。

 だが,なお腸の検査のため病院へ行かなければならないようだ。これは一日仕事になるという。だから,日程を調整しながら病院へ行くことになりそうです。ま,早めに行くにこしたことはないでしょうね。

 検査して,検査結果が分かるまでは,決着が付かないわけで,今日は精密検査の序盤戦にしか過ぎません。でも,その序でに風邪薬も貰って飲んでいるところです。



2002年12月02日(月) 経営学部40周年記念事業

 30日(土)立命館大学経営学部40周年記念事業があった。私は朝からスケジュールが一杯で,11時より経営学振興会役員会,13時より経営学部校友会設立準備会,14時より経営学部校友会創立総会,15時からは記念講演会で,これは,松下電器産業元副社長の水野博之氏の話で実に有益なお話しだった。

 これに関連して「松村通信第46号」を作ったので,内容についてはそちらに譲りたい。ただ現在はこのゼミHPでファイルを添付できない状態なので,HP修復後に添付したい。

 17時30分からは懇親交流会。ゼミOBの諸君も参加してくれたが,もっと大勢参加できたのではないかとの意見もこれあり,では,来年新年会という形でもゼミ独自でもっと大勢集まろうという話になった。

 終了後,2次会,3次会とあいなり,帰ったのは,またまた午前様。しばらくおとなしくしないといけない。もうそんな歳じゃないのだから,といわれそうである。その通り,おとなしくします。

 今日健康診断結果を貰って,やっぱり,身体に問題ありとのこと。精密検査しなさいとのこと。無茶をしてはいけないという警鐘だろう。精密検査が終わり結果が分かるまで,当分,憂鬱な日々が続きそうだ。

 これで小心者。身から出た錆とはいえ,鬱陶しい。


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