「文芸春秋」10月号特集「アメリカ不信」というのがあります。一読を薦めます。一番よいのは,伊藤忠社長の丹羽宇一郎氏の「さらば,落日の経済大国」です。私の日頃いっていることとそっくりで,溜飲を下げました。
とくに,コーポレート・ガバナンスについて,何かといえば社外取締役だ,などというコーポレート・ガバナンス論を痛烈に批判しています。「組織を変えたり,ガバナンス体制を整えたからといって,たちどころに経営が立派になることは,まずあり得ない話です。」(210ページ)といっています。
社外取締役を置くことを法律で定めたことについて,商法改正の中でもっとも愚かな改革だったと評しています。社外の人に会社のことが分かるはずがない。アメリカでうまく言っているようにいうが決してそうではない。それはエンロン事件を見ても分かるはず。
我が意を得たり。アメリカ追従の時代は終わったといわれています。その通りだと思います。自分の頭で考えて,コーポレート・ガバナンス体制も自前で作らないとどうにもならないはずです。丁度,来週コーポレート・ガバナンスに関して講演するのですが,そんな話をしようと思っていた矢先に,この丹羽氏の記事を読んで大変意を強くしたところです。皆さんに一読を薦めたいと思います。
別のMLでこんな事を書きました。こちらでも紹介しておこうと思います。
某研究所の社長とご一緒したのですが,私は「日本政府の国家戦略が無く,最近は国粋主義的になってしまう。」と話しましたが,共感を得られたようで,意を強くしました。
どうも最近の日本はおかしい。これが私たち国民の多くが感じていることのようです。もちろん,政府を選んだのも私たち自身です。
若者を叱ったら,それは自分に唾するのと同じです。若者は私たち大人の鏡ですから。それと同じで,政府を叱ったら,これも自分に唾することかもしれません。どうやら日本人が軟弱になったのは間違いありません。
千石保「新エゴイズムの若者たち−−自己決定主義という価値観」PHP新書,を最近読みましたが,現在の若者気質を知りたい人に一読を薦めます。なぜガングロがはやって,廃ったのか。「援助交際」などというのが話題になるのはなぜなのか。自己決定,自己責任という言葉がはやりで,自分で責任をとるから,何をやっても勝手でしょ。これが若者の論理だそうです。
著者は,責任には,自己責任と同時に,社会的な意味があるはずだと論じています。その通りだと思います。他人に迷惑をかける,不快感を与える,それでも自己決定だから良いでしょといわれると,それは違うでしょ,ということです。
若者の自己決定主義には,過去の全否定が含まれています。伝統否定が含まれています。でも,過去は否定しがたく「ある」。客観です。主観だけでは生きていけません。その証拠に,給料を貰って生活するというのは,給料に値する働きを,「他人のために」しなければならないということ。ここでは「自己決定」では通りません。
「自己決定」をしたくても出来ないこともあるというのが現実です。現実を変えずに,「自己決定」しても,それは「自己決定」でもなんでもない。単なる独りよがりでしょ,というわけです。でも,若者にそれを教えていますか,ということになります。
2002年09月12日(木) |
日記再開,飲み会の連続 |
ゼミHP復旧。日記をぼちぼち再開したいと思います。
ここのところ飲み会の連続です。8日(日)経営研究会同窓会に招待されました。蹴上の「ウエスティング都ホテル」でした。
10日(火)は,夏期集中に来ている,APU牧田助教授,それに,大学院生諸君と飲みました。痛飲してしまいました。
11日(水)は,夏期集中で協定科目をお願いしている,いちよし経済研究所社長の近藤先生への接待で,瀬田で飲みました。
12日(木)は,証券業協会の坂下さんらと飲む予定です。
こんな事ばかりでよいの?身体によいわけないでしょうね。でも,こういう場での話の中で,いろんなヒントがあったりするのです。それと,自分の日頃の考えに裏付けを得ることもあるのです。程程に飲めば,意味はあるのです。ま,過ごすことが多いのですが。慚愧,慚愧。
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