singersong professor KMの日記

2002年07月31日(水) メールも忙しい

 今日は忙しい一日でした。今一段落したところです。

 午前中インス会議,昼食に30分とってから午後1時から2時過ぎまで入試パンフレットに関連する会議。そして,3時から自分の講義「経営財務論」の試験。引き続き4時半から試験監督応援。終了後打ち合わせなどをしているうちに午後6時からのインターンシップ事前講義。終わったのが8時前。急ぎ生協で軽食(家へ帰るまで持ちませんので)。いつものように「冷やしそば」。ところが今日は閉店間際だったので,出しに入れるわさびが切れていた。そこでサビ抜きの出しとなった。それで研究室に戻って,パソコンで作業を始めたのが今。まだ,残された仕事を片づける必要があります。今日も帰宅は11時になるでしょうね。こういう綱渡りのような日程は結構大変です。

 こういうときに一番気をつけなければならないのが,完全ど忘れで,何かをすっぽかすことです。今日は大丈夫だったと思います。最近はメールを読むのも一仕事です。先日の朝開けたら31通というのは例外的ですが,それでも毎朝コンスタントに10通はメールが入っています。返信が必要なものにはすぐにメールします。そうでないと忘れます。時々返信を出したこと自体を忘れることがあります。今もそれがありました。返信を打ったかどうか,履歴を確かめることがあります。もちろん仕事と仕事の合間にメールを確認すると,また,数通は入っています。いったい一日のメールは何通になるのでしょう。最近とにかく増えてきているように思います。

 メールは便利。また楽しいこともある。だけれど,結構忙しい。



2002年07月29日(月) この週末

 この週末はいろいろあった。

 まずは,27日(土)サークルOB会の常任幹事会で,総会案内状の作成と発送作業,大の大人が9人かかって,やっと仕上げた。何せ,私を始め税理士あり,某銀行支店長あり,と実に多彩で,いつもの通り,時間給の高い人ばかりでこういう作業をするのは,相当のコストになっているはずなどと話しながら,作業完了。

 終了後は例によって,京都で飲む。筈だったけれど,私は4回生ゼミのコンパに参加。途中で合流の話もあったが,ゼミの方で2次会。N君のおやじさん行きつけの店とかで,結局帰ったのは午前様。またまた,わが奥様から冷たい視線を(もちろん翌朝ですが)浴びました。

 ただし,28日(日)は夫婦連れで,外出しました。一番暑い時間を少しは避けて遅めに家を出ましたが,何せ枚方では38度を超えたとか。京都も37度を超えていたわけで,暑いの暑くないの。その中で,ついつい歩いて,ふらふらになりました。タクシーに乗ればよいのに,もちろん一部タクシーに乗ったのですが,意地になって歩いた部分もあって,ノックアウト。

 時間も遅く,午後7時半にもなって,ようやく京都駅前「酔心」に入って,食事克つ飲んだ。そこで人心地つきました。



2002年07月25日(木) 枝豆はこわい

 今日テレビを見ていて,中国から輸入された冷凍野菜,とくにほうれん草の残留農薬がものすごい量で,ほとんど毒薬同然で,香港あたりでは,中国産の野菜のことを「毒草」(!)と言っているというのを知って驚いた。ワールド・カップでみんなが騒いでいたので,このニュースがあまり話題にならなかったらしい。

 で,それで驚いたのは,冷凍の枝豆にも農薬が入っているという,そういえば,いつも飲み屋で出てくる枝豆は冷凍のを戻したものだ。「あれだ」と気付きました。で,これからのコンパでは冷凍枝豆を解凍したやつは食べないことにしよう。居酒屋で出てくる枝豆はすべてこれだから。

 今度学生のコンパが立て続けにあるが,枝豆は食べないことにしよう。学生諸君にも,発注は止めるように言わなければならない。やはり国産生野菜がよいようです。我が家ではその点は注意している。「私が」ではありません,妻が注意してくれているのですが。

 それにしても,飲み屋ではよく冷凍枝豆を食べている。ホント危ない。中国産野菜には気をつけよう。これは,日本のように,食料をあまりにも海外に依存することが,いかに危なっかしいかを教えている。食糧安保ということばがあるが,それは大げさな話ではない。

 完全に,純国産だけに頼れるとも思わないが,要は,輸入業者の問題もある。今回は「蝶理」が輸入していたという。以前カゴメの工場見学に行ったとき,トルコや新彊ウィグル自治区でトマトを作らせているという話を聞いた。この場合,技術指導までして,国産同様の管理をしているらしい。これはメーカーが現地へ進出して技術指導までして作っているから行き届くわけだ。間に商社,それに,中国の業者が介在すると,当然だんだんと無責任になるのだろう。

 ま,今後は冷凍枝豆はやめておこう。



2002年07月24日(水) 老後もデジタル・デバイド

 今日,サークルの昭和40年卒業のF先輩が退職後パソコンにハマっている,というメールをY先輩から受け取った。そこで早速F先輩にメールを送った。早速返信が来た。

 そういえば,こちらはさらに先輩の(経営研究会OB)の昭和30年卒業のI先輩などは,早くからパソコンにハマっておられる様子。そのほか経営研究会OBで,孫とのメール交換を楽しみにしておられるT先輩の話なども聞いたことがある。

 こうして考えてみると,老後もデジタル・デバイドが生じる。歳をとって,退職して会社に行くという義務が無くなったり,出歩くのがおっくうになったりしても,パソコンで社会との接点を持ち続ける人と,そういう社会との接点を失う人とでは,老後の豊かさが異なってくるように思う。

 インターネットで美味しそうな店を見つけて,行ってみるとか,今の私のように,あまりに忙しいと,そういう時間がとれない。老後ならそれもできる。もちろん金がないとお話にならない。それくらいは準備しておく必要がある。

 若い人には実感できないだろうが(私とてそれほど実感できていないが),やはり老後もデジタル・デバイドが確実に発生しそうだ。



2002年07月21日(日) 南草津,そして階級

 今日は「南草津」駅前に新しく出来た「フェリエ」に行ってみた。大勢の客でごった返していた。大学がこちらへ移転してきたとき,駅前には何にもなかったのに,今では「西友」「ニノミヤムセン」などなど駅前はにぎやかになってきた。そして今回,まさに駅の真ん前にこれが出来たわけだ。

 駅の改札口のフロアと直結している。そのまま水平に歩くと,そこは「フェリエ」の3階となっている。3階には,韓式食堂,カフェ,オムライスとスパゲティの店,創作和食を標榜する店,手打ちトンカツと銘打った店,ラーメン専門店,お好み焼き・焼きそばの店,といった食堂街と「ブックWOWフェリエ」という貸しCDや書籍などを扱う店がある。

 専門書はあまりないが,店は結構広い。一般書やちょっとしたはやりの本,雑誌などなら買えそうだ。本は買わなかったが,丁度昼になったので韓式食堂「よしもと王の家」なる店で,「ビビンバ」を食べた。オープンセールで,スープとサラダが無料になった。

 食後,5階へ上がって草津市立市民交流プラザ・南草津図書館へ行った。そして早速貸出証を作った。立命館大学の教職員は有資格者だ。私の前にいた滋賀医大の人は大津市だから無資格で,貸出証を作って貰えなかった。

 出る前に「フェリエカード会員」にも登録した。とにかく,18日オープンのこの施設の見学という次第。また誰かから物好きだねと言われそうだ。

 閑話休題。
 卒業生で高校の先生をしているW君からメールが届いた。底辺高校に勤務中だとか。そのメールを読んで考えさせられた。紹介しておこう。


「現在、教員生活も20年目に入りました。去年より、学区のボトムといわれている高校に勤務しています。神奈川県では教育困難校を指定校などといっていますが、生徒の大変さには目線を同じ高さにしてあげることでなれてきましたが、次から次へといろいろな出来事を起こしてくれます。ただ、この学校に1年以上勤務して思うことは、私ども勤務校の生徒達は本当に経済的に困窮している家庭の子が多く、失業、生活保護、授業料未納・滞納、など日本経済のひずみの一部分が教育の分野に及ぼしていることが手に取るようにわかります。離婚して、片親の家庭はクラスによっては3分の1の比率にもなります。必然的に家計を助けるためにアルバイトをしなくてならない子も多く、それがきっかっけの一つとなり、次第に学校から離れていきます。また部活動に参加する生徒も少ないです。
 240名が入学して、卒業していく生徒は160名ほどです。我々は少しでも卒業生の数を増やす努力をしているのですが、経済的な事も含めて、どうにも手が出ないことが多いです。

 逆に県下の進学校の生徒は、体力的にも経済的にも恵まれた子が多く、部活も盛んです。何だか、どんどんこの不況下で、日本の経済的階層の分化が進んでいるような気がします。これが10年後、20年後どんな歪みを生み出すのだろうかなんて考えたりもします。」

 深刻だ。明らかに今後の日本を暗示している。つまり階級社会だ。以前「松村通信」で紹介したことがあるが,佐藤俊樹「不平等社会日本,さよなら総中流」(中公新書,2000年)とか,橘木俊詔「日本の経済格差−所得と資産から考える−」(岩波新書,1998年)というのがあったが,明らかに階層分化は進んでいる。これが実証的にも明らかにされている。大学などにいると,ほぼ同質の階層出身者が多いから気付かないかもしれないが,現実はW君が実感しているとおりだろう。彼の言うとおり,10年後,20年後どうなっているのだろうかと心配になる。

 いわゆる構造改革,新自由主義がこういう弱者を生み出していることは間違いない。何のセフティネットも用意しないで,構造改革を進めるとこうなるという典型である。アメリカで1970年代以後一貫して階級分化がすすみ,社会不安も高まってきている。アメリカの1990年代の好況がその問題を少しは和らげているが,ここへ来てのNYダウ暴落などが,さらに不動産価格に波及したら,これはもう大変なことになる。不安定さは日本以上であろう。

 ところが,日本はそのアメリカを真似ようとしている。厄介なことだ。確かに日本も改善が必要なことは認めるが,行きすぎた構造改革が何をもたらすか注意しなければならない。何事もバランスが大切だ。



2002年07月20日(土) NYダウ下落は買い場?

 他にメールを送ったときに書いた事ですが,ここにコピーし若干の加筆をして記録しておきたいと思います。

 今朝のアメリカの株価下落は,日本の月曜朝を思いやらせるものです。もちろんここで大幅に下げてくれれば,買いのチャンスがひろがるということでもあります。買いのチャンスをきっちりつかんだら,必ず儲かる,そういう相場展開が予想されます。

 以下の見方についてですが,
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 市場では「投資家は実体経済や企業収益の現状より、会計不信に象徴される米経済システムへの不信感から売り急いでいる」(米投資会社)との見方が強いが、先行きについては「投資家心理を改善するには良いニュースが当面は期待できないだけにもう一段の下げは避けられない」(米証券アナリスト)といった悲観論が広がっている。(読売新聞) [7月20日11時9分更新]
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 私は会計不信の問題ではない。実体経済の問題だと思います。会計不信にばかり目をやって実体経済の方への対策を忘れてしまうことのほうを恐れます。近年の日本がまさにそうだと思います。不良債権問題にばかり目をやって,私のことばで言えば,B/Sの貸方ばかりに目を奪われて,借方の方,つまり資産の方,実物経済の方での対策を立てないことが,不況の深刻化をもたらしていると思っています。これと同じ事がアメリカでも起こることがむしろ困ります。

 それにしても,今こそ,日本が世界の経済をリードすべきだと思います。銀行が金利引き上げを迫っているというニュースを見て,なんたることだと思います。まずは企業を元気づけることが必要。だから,ホントはBIS自己資本比率規制を骨抜きにしてでも銀行の融資活動にフリーハンドを与える方策がとれないかとさえ思います。3月危機が叫ばれているときに,公的資金の再投入が出来なかったのは痛かったと思います。政府が銀行の後ろから押してやらないと融資を増やさないでしょうね。

 それと,他でも書いたのですが,今こそ企業再生ビジネス(資本提供と再建請負人の組み合わせ)を外資ばかりにやらせず,日本の資本がそれをやれないのだろうかと思います。ここには大きなビジネスチャンスがあるのにと思ってしまいます。

 要するに私の意見は,資産活性化です。負債の処理ではなく,資産活性化が必要だというものです。



2002年07月19日(金) 東京出張

 昨日18日は東京へ出張した。新光証券本社へ経済学部平田先生と一緒に訪問して,新光総合研究所と立命館大学ファイナンス研究センターとの協力関係が築けるかどうかの打診をした。

 夜は,サークルで後輩だった新光証券本店営業部長・執行役員の矢野氏と旧交を温めた。ゼミOBの新光証券田中君も同席だった。学生時代の話,相場の話,経済の話,実に多様だった。楽しく話すことが出来た。うまい酒で話が弾んだ。飲み過ぎに注意しましょう,というところだ。

 閑話休題。一昨日も大学院生諸君に話したのだが,スティグリッツ「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」(徳間書店)を読んでいて,アメリカの横暴な世界戦略にむかむかした。スティグリッツはアメリカのノーベル経済学者で有名であるし,世銀の副総裁まで務めた人だ。まさにアメリカの世界戦略の当事者そのものなのだが,アメリカの投資銀行,その意向を受けて動く財務省,その財務省の意向で動くIMFに,彼の政策が阻まれたという思いがあるのだろう。

 いわゆるアメリカ財務省,IMF,世界銀行というワシントン・コンセンサスがアジアを危機に陥れ,ロシアをめちゃめちゃにし,アフリカなどの開発途上国を債務奴隷にしているということが赤裸々に語られている。まさにアメリカの世界戦略の中枢にいた人の証言だから嘘ではない。読んでいて,ホントにむかついた。アメリカはけしからんと思う。と同時にスティグリッツという良心的学者を生み出すのもアメリカである。日本でこんな学者がいるだろうか。森嶋通夫,宇沢弘文などという人がいるにはいるが,もう少し若いところでそういった人がいない。



2002年07月16日(火) 今日はひどい目に

 今日はひどい目に遭いました。確かに台風が来ていたので,私の気をつけて,早めに家を出たのです。花園駅9時10分発というのに乗る予定で駅に行きましたが,電車が来ません。遅れているらしいことはわかりました。

 で,何の説明もなく33分発の電車が18分遅れで運転されています云々と放送するのです。ということは10分発は間引いたというわけ。その説明もなく,33分発が,それも18分遅れで運転していますというだけ。これでは全くの遅刻。遅れてきた電車が花園駅を出たのは結局51分。40分あまりも待っていたことになる。やむなく,京都駅で乗り継ぎで走って,何とか,ぎりぎりになる程度の電車に滑り込んだ。

 だから,普通なら10時過ぎには大学に到着する予定が,なんと,10時40分に到着,2時間目の開始(40分開始)の時間に到着だから,研究室で資料を取って,汗をかきかき教室に駆けつけたのは10時50分。4回生のゼミということで,教室は空っぽ。研究室に戻ろうとして教室を出たところで中村君が到着。その後,三好君,西村君,久保田君,吉仲君とやってきて,ようやくゼミらしくなった。

 三好君の報告を終えてから,ユニオンのレストランでみんなと食事。粘って,閉店の14時過ぎまで話し込んだ。

 で,4回生ゼミ・コンパは27日夜の京都ということになった。



2002年07月12日(金) 最近の株価,雑感

11日のNYのDowが一時200ドルを超す下げを経て,急速に戻し小幅下落で終わった。昨日の日記でNYの大幅下げについて書いた。そしてそのことを他にも書き送った。これへの証券マンの反応も伝わってきた。そこでのメールのやりとりを紹介したい。

某証券マンいわく「個人的には今まさに世界経済がリセッション入りするかみんなが固唾を呑んでいるように感じます。もっと言葉を悪くすれば世界大恐慌」になるのではないかと懸念しているようだ。私もそんな感じを持っている。しかも「1929年と比べてやっかいなのはより情報社会になりよりグローバル化していること」だという。さらに,「去年の秋のテロ後はいくらでも打つ手があったアメリカに対してその効果が全く消え去ってしまった現在のほうがちょっと心配というのが本音」だという。

 私もそのメールに反応して書いた。またそのメールでも藤巻講演についても言及されていたので,これに応えていえば,私も円安・インフレ待望論です。ただ,アメリカがこうなると円高・ドル安になってしまう。厄介なことです。アメリカで債券が買われているようで,株式への不安が高まっているようですね。そう言う意味からは,日本株は底値圏ではないか,それと,中長期的な円安・インフレ展望の中では,日本株買いのはずだと思っています。あくまで,中長期的に見ての話ですが。実際にも,アメリカの市場の軟弱さと比べると,日本の市場が底堅く見えるのですが,ただ,私などにわからないのは,公的資金などの買いがどの程度入っているのかという点です。市場をよく観察していたらわかるのかもしれませんが,その余裕はありませんから。

 アメリカでもこれから不動産価格が下がると言われています。日本の場合,89年末の株価ピーク,その後の株価下落から,2年ほど遅れて地価のピーク,そして下落が始まりましたが,アメリカではこれから不動産価格が下落し始めるのでしょうね。そのとき,景気は一層悪化する,そのときが心配です。言われるように,アメリカ政府もだんだんと政策選択の余地が小さくなってきていますから,うまく景気をコントロールできるかどうか。

 それと,今日の日経にもあるように,これからは規制強化の時代に入ると思います。アメリカ国内の情勢は変化しつつあるのではないかと思います。日本がその点でも周回遅れの規制緩和を続けて失敗しはしないかと心配です。時価主義−>持ち合い株放出−>株価下落,のスパイラルは避けるべきだと思います。会計ビッグバンの功罪,今のところ,罪の方が大きいように感じます。



2002年07月11日(木) NY9千ドル割れ

 雑感ですが,掲示板では読みづらいので,こちらに書き直しておきます。

 NY9千ドル割れ,の記事を読んで,いよいよアメリカの株価下落が本格化してきたという感を深める。会計不信もある。日本もバブル崩壊後1年半後に証券不祥事で揺れたが,NYもネットバブル崩壊後1年半で,エンロン事件発覚。テロ対策で紛れていたが,戦争が一段落したら,会計不信が広まったようだ。

 会計が問題なのか,それがスケープゴートにされているのか。おそらく後者だろう。問題はそこにあるのではない。IPOやストック・オプションなどで一攫千金を狙える仕組み,現代的アメリカン・ドリームに内在している問題が,ここへ来て表面化してきたにしかすぎない。

 すでに,アメリカでも識者は警告を発していた。アラン・ケネディ「株主資本主義の誤算」(ダイヤモンド社)などがそれを指摘していた。ただ難しいのは,かなり構造的な問題を孕んでいる,という点だ。近年のアメリカが金融立国で成り立っているという点だ。

 たとえば,日本の投資家が3%の金利でドル債を買い,これを受け取ったアメリカの機関投資家,たとえばリップル・ウッドが日本で投資をして10%で運用して稼ぐ。こういう構図だ。日本だけではない。ヨーロッパからの投資もかなり大きかった。これがここしばらくユーロ安だった理由だ。ユーロは戻り,円も高くなってきている。

 もちろん,円高は日本にとって決して良いことではない。ということは,アメリカの株安・ドル安の効果は,日本にはマイナスとなる。アメリカの株安で,日本株投資に回って来ても,円高になる。どうもうまく行かない。日本がインフレ的になるより他に道がない。

 いったいどうすればよいのでしょうね。また,今回の株価下落をどう考えるべきなのでしょうね。



2002年07月10日(水) 試験前のノートのコピー

 前期の試験がもうすぐ始まる。試験前ともなると目立つのがコピー機の前に学生諸君が行列している姿だ。他人のノートをコピーしようと言うわけだ。それと,いわゆるノート屋のノートが売れるようだ。

 何せ,大学の中にはあちこちにコピー機が設置されている。にもかかわらず,どのコピー機にも学生諸君が群がっている。これを何と言うべきか。他人のノートを見てわかるのだろうかと,私など不安に思う。

 我々学生時代でも他人にノートを借りることはあった。その場合,今のようにコピーというわけには行かない。手書き,つまり手で書き写すのだ。古い人なら覚えているだろう。手書きには良い面もある。それは写している間に,それなりに勉強になる。ここはこうノートしてあるが,いったいどういう意味だろう,などと考えてしまう。

 今のコピー時代,コピーしてそれで安心してしまう向きもあるのでは無かろうか。だから,少しも勉強にならない。それにしても,他人のノートはわかりづらい。ノートは自分にわかるように書くものである。自分のノートは,いわば,行間を読める。他人のノートはそう言うわけには行かない。だからわかりづらい。

 そう感じない人は,勉強をしていない人だ。私など自分のノートでないと,絶対気に入らない。他人のノートでは意味不明だからだ。その日にどこまで進んだのか確認できるくらいだ。まして,試験前になって他人のノートをコピーする意味が分からない。テキストを読んだ方が遙かにわかるはずだからだ。その不足部分を他人のノートで補うことはあるかもしれないが。

 でも,試験前にノートをコピーしている学生諸君の多く(?)が,そんなことに無頓着にコピーしまくっているように見受けられる。これで「A」がとれたら奇跡というものだ。是非とも学生諸君には試験前にあわてて他人のノートをコピーするという浅はかな行動は止めてもらいたいものだ。



2002年07月04日(木) 今日の新聞

 今日の日経新聞は読み応えがありました。「銀行店舗で株販売」という記事があるかと思えば,金融相懇話会報告として「間接金融偏重是正訴え」という記事がある。前者は話は簡単で,銀行が株式を売れるようにする,これまで投資信託だけだったが株式も売れるようにする,という話。後者は銀行の収益力回復のため貸出金利の引き上げが必要だ,アメリカをモデルにして証券化が必要だとする。事実,別の記事で「貸出金利上げ,大手銀苦闘」「利ザヤ改善したい」「負担増,企業は難色」「交渉厳しく」というのもある。

 これら見出しを見ただけで,だいたいの想像がつくだろう。こんな事で銀行は立ち直れるのだろうか。銀行が株式を売るなど,それは出来るだろうが,それで儲かるかというと,?だ。手数料自由化,ネット証券などの動きから考えて,こんな事で儲かるはずがない。利ザヤを上げる。それは結構なことだ。では,誰が金利を支払うのか。そんな簡単な話ではないはずだ。何をしているのだと言いたい。懇話会の学者先生も好きなこと言うよね,という感じ。

 アメリカにならうのはよいが,アメリカならぬ,日本でそれが出来るのかと言うこと。日本では日本風に儲けないと儲からないのではないかと思う。問題はBIS規制などで,枠がはめられて,日本の銀行は身動きできなくなっている。従来,日本の銀行はあまり儲からなくてもよかった。だから,企業も低金利で融資を受けられた。それでうまく回っていた。突然自己資本比率規制だ,といわれて,日本の銀行は動けなくなってしまった。そこへ,不良債権の山が出来て,その償却負担に耐えられなくなっている。

 一番儲かる投資銀行業務の力が弱いので,日本の銀行はすくんでいるように見える。株式の小売りなど儲からないだろう。もっともっと,投資銀行業務で力を付けないとだめだろう。ところがそう言う人材は外資に流れているようだ。そんなことはいってられないから,とにかく,儲かる投資銀行業務に力を入れるか,シティバンクのようにリテールで特色を出すか,そう言う選択が出来ていない。だからといって,日本的濃密な継続取引を強化するのかというと,それが及び腰。持ち合い崩れで,それもままならないかに見える。

 先の記事から判断すると,相変わらずの横並び。株式の販売で儲けよう,少しでも金利を上げよう,では儲かるはずがない。商品開発,新規顧客ルート開発,その他イノベーションが必要だろう。株式販売だとか金利引き上げ(その交渉に相当のコストがかかるうえ,中小企業の倒産を招いて新たな不良債権がでてくる)など,儲からないところへ一斉につっこむのは止めた方がよい。

 今日の日経新聞を読んで,悲しくなった。私の考えは間違っているのだろうか。



2002年07月01日(月) 道徳?

 学生諸君と話していて,「道徳」が話題になった。要は,「道」と「徳」を学ぶわけでしょう。「徳」を持っていないとリーダーシップを発揮できないというのが,日本古来の考え方でしょう。だから,「徳」を持つにはどうしたらよいのか。ある種の,日本的リーダーシップ論であるべきでしょう。こう話したら,これまで学校で習ってきた「道徳」はそんな代物ではなく,全然面白くなかった,とこういうのです。私の言うような「道徳」を教えられる先生が少ないのは事実でしょうが,教科書そのものがそうなっていないのが問題でしょうね。

 学生諸君に聞いてみると,「道徳」では弱者の問題や差別の問題,を教えられたという。それはそれで大事だろうけれども,どうも,「わくわくする」ような内容ではなかったようだ。法治主義か徳治主義かという大きなテーマを念頭に置いて,そこのバランスをとることは必要だとしても,少なくとも「徳」こそがリーダーにとって必要な資質であること,これこそが教えられるべきだと思う。そして,かつてはそれが当たり前だった。かつて,官僚が尊敬されたのも「徳」を積んでいたからだろう(少なくとも官僚にそれくらいの心構えがあっただろう)。だから信頼できたのだろう(すべてではないとしても)。

 最近の官僚の不祥事は,官僚にそういう「徳」を積む心がけが無くなったから生じているのだろう。そこで思い起こされるのは,学生諸君の言う「道徳」が面白くなかった,ということばだ。そう言えば,私も戦後教育を受けたわけで,まともに「道徳」は教えられなかった。小市民的教育(これを儒教では「小学」という)しか受けてこなかったように思う。ただ,かつての大学生が大言壮語していたことは事実である。そう言う意味ではまだまだ「大学」ではあった。

 儒教では,専門の経学のほか,高級の倫理説や政治論を講究する。これを「大学」で学ぶ。まさに,我々は「大学」で学ぶべき内容を講究しなければならないわけである。理想国家・理想社会への到達こそがそこで学ぶ目標なのである(竹内照夫「四書五経入門」平凡社,第7章)。そういう「大学」での政治学など考えてきただろうか。今日の日本の大学が「小学における理知教育」に終わっていないか。「徳」まで考えているのだろうか。世の中,志が低くなってしまっているように思う。自省しなければならない。


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