singersong professor KMの日記

2002年06月25日(火) 先送り肯定論

 最近,ドラッカーの近著「ネクスト・ソサエティ」ダイヤモンド社,2002年を読んでいますが,大変ためになります。みんなに一読を薦めたいものです。ゼミでもその一部を読むことにしているが,近年の日本人の「常識」がいかに間違っているかを教えてくれます。 

 日本は自信喪失。これが一番いけない。ドラッカーの近著「ネクスト・ソサエティ」では,

  日本の官僚は強すぎるというが,どの国でもそうだ。官僚というエリートが指導することへの批判があるが,他に誰がいるのか。天下りはどこの国でもある。先送りは一概に悪いとはいえない。合理的な戦略である。

と,このように言っています。構造改革だと叫ぶ政治家の人気取りやマスコミに踊らされている馬鹿が多すぎると言うことでしょうね。



2002年06月23日(日) 大国・強国より豊かな国に

 先週は,いったい何をしていたのだろう。14,15,16日と証券経済学会で東京へ出張して,卒業生らと会ったことはすでに書いた。その前後に読んだ書物についても,「松村通信第44号」で書いた。そこで書いた,「漢字と日本人」「雑学・大江戸庶民事情」などで,日本人とは何かをつくづく考えさせられた。

 それにしても最近,日本,日本人を考えさせられることが多い。実は19日に内輪の研究会SCCJというNPOの研究会に参加して,ビル・トッテン氏の話を聞くことができた。そこでは,私が常々言っているように,グローバル・スタンダードは英米基準にすぎないこと,そんなのに追従してどうなる,今の日本はアメリカより豊かなのに,アメリカの真似をしてどうする,もっと日本人は自信を持て,と刺激的な話を聞いた。

 そこではっと思い出させてくれたのは,日本は豊かな国になることを目指しているのではなく,大国・強国になることを目指しているのではないか,という点だ。すでにアメリカより豊かな国であるとすれば,何をそんなに大騒ぎしているのか,それは大国・強国になろうとするから,騒いでいるのでしょう,そう言う指摘で,私自身分かっていながら,忘れかけていることを思い出させてくれた。

 かつて紹介した,ミアーズ「アメリカの鏡・日本」なども,戦前の日本軍国主義はアメリカの真似をしただけだと言っていたのを思い出した。金融ビッグバンに対する私の感じ方も同じである。ビッグバンに違和感を抱いたのは,東京マーケットを,ニューヨーク,ロンドンと並び立つものにしようという意図が明確に述べられていることである。ここには,豊かさより「大国」「強国」を目指そうという意図を感じ取った。「大国」「強国」になることを目指すか,豊かな国になることを目指すかと言うとき,私は一も二もなく豊かな国を目指すべきだと考える。そして現に今も豊かであると考える。今豊かでないのは,心であると考える。この国は,あと,心が豊かになれば,世界に誇れる国であることは間違いないと思う。ところが,西欧コンプレックスから,日本人の誇りを失った,またそれを狙ったのも戦後のアメリカの占領政策であったし,見事にそれは成功したと思う。日本が本当の意味で被占領国から脱するとき,本当に豊かな国になるのだと思う。今朝の新聞でも,ヨーロッパで,グローバリズムの裏返しとしてのナショナリズムが,近年強まっていると指摘されていたが,当然でもあると思う。

 先週月曜日,3回生のゼミ生とゼミ終了後生協で話したのだが,他国の軍事基地を許している「独立国」など存在しうるのか,それを不思議に思わないのか,この点は,寺島実郎氏も指摘している。そんな話をしていた翌日の18日に朝日新聞朝刊で,早野透氏が次のように言っていた。

 田中秀征氏は次のように述べたという。「ロンドンがヒトラーの爆撃を受けたとき,市民はチャーチルを信頼し自分たちで不発弾を処理して犠牲をいとわなかった。いざとなれば有事法制などあったってなくたって,国民と政府の信頼があれば国民は協力する」。今度の有事法制は自衛隊のことばかりで「国民」が眼中になく志が低すぎる。

 この指摘はよく分かる。有事法制論議なども,議論が些細なことばかりに拘泥していていやになる。どうも日本ではまだ被占領意識が抜けないようだ。



2002年06月18日(火) 新井君

 昨日,ゼミOB会「東京支部」懇親会を開いたという話を書いていて,誰か書き忘れていると思ったら,出席者の中に野村総合研究所へ行った,新井君が出席していたのを,書き忘れていました。

 やはり,飲み過ぎでしょうね。新井君には失礼しました。何せ大勢の参加でうれしい悲鳴と言うところです。東京パワー全開でした。今年度もまた,東京出張を何度かしなければならないと思います。

 今週末も出張ですが,これは千葉商科大学ですから,東京は素通りする予定です。ただ,秋(10月末か)にはファイナンス・インスティテュートの見学会で東京へ行くことになるでしょうし,1月にも経営学振興会の東京セミナーで東京オフィスに行くことになるでしょうね。そのほかにも出張の機会があるかもしれません。

 それにしても,出張も東京日帰りとなると結構忙しいものです。「松村通信」でも紹介した「雑学・大江戸庶民事情」でも,かつて東京から大阪への出張といえば,前日から出かけ,翌日仕事をし,その夜懇親会,そこでさらに1泊という具合に2泊3日で,ある種「役得」のようなものであったが,今日新幹線が開通して日帰りなどざらで,忙しすぎて疲れるばかりになったと書いてありましたが,全く同感です。だから,新幹線開通など科学の発達が生活の豊かさをもたらしているのかというと疑問です。豊かさを実感できる社会が望ましいとすれば,いわゆる科学の一面的な発達は豊かさとはずれているのが実態でしょうね。

 11月に北海道で学会がありますが,これは「役得」かもしれません。2日間の学会にしっかり出るには,少なくとも2泊しなければなりませんから,かえってゆっくりすると言うものです。こういう機会に「豊かさ」を実感したいものだと思っています。



2002年06月17日(月) ゼミOB会

 14日(金),W杯日本勝利の直後,東京で「松村ゼミOB会東京支部」懇親会だった。証券経済学会で毎年この時期東京出張があるので,その前日夜が懇親会を開くのが恒例となっている。

 今年は,W杯日本勝利,決勝T進出の試合直後と言うことで,大変盛り上がった。飛び入りも含めて10人を超えた。場所は東京駅2階「北の浜」。当日日本の試合を見ていた人が多く,仕事になっていたのだろうか。どうやらどこまかしこも仕事になっていなかった様子。だから,懇親会への集まりは大変よかった。

 東京オフォスからも上妻,中山両氏飛び入り,おまけに東京校友会広報担当の望月氏も飛び入り,さらには,日本証券業協会からJASDAQ出向中の熊田君(彼は経営学部出身で,かつ,私の後輩の子息でもある),日興コーディアル証券道本氏などの飛び入りがあった。

 そして,常連幹事上田八木短資の木村君,常連のAIU保険菱川君,エクサ新川君,新光証券田中君,久しぶりのみずほ証券大坪君,クレディスイスファーストボストン証券の寺田君,富国生命清水君,初めての出席の若手,ジャストシステムの上田君,PWCコンサルティングの山田さん(紅一点),新光証券高橋君と実に多彩であった。予約オーバーで席はぎゅうぎゅう詰め。

 で,2次会まで若手とつきあって酩酊。よく覚えていない。熊田君がホテルまで送ってくれたのは覚えている。翌朝,目が覚めたら,とにかくスーツは脱いでいたが,そのまま寝てしまっていた。

 今回の出張の本来の目的である「証券経済学会」は日大商学部(世田谷区砧)で,新宿からは小田急で行ける。ところが宿泊したホテルが高島屋の少し南。ここから小田急に乗るのには一苦労。初日,地下ホームから乗った。ここからは普通しかでない。急行などは上のホームから出る。それがよくわからなかった。

 夜新宿へ戻ってきたときも,道がわからない。ぐるっと遠回りして,ホテルへ戻った。新宿駅は迷路だ。さすが二日目の朝は,頭を働かせたが,未だに新宿駅の構造は頭に入っていない。

 この間に読んだ書物などに関連しては別の機会に書きたい。



2002年06月11日(火) 足指の骨にひびが

 昨日朝,我が家で足指をしたたかに打って,びっこをひきながら
大学へ行ったのはよいが,今朝になっても腫れがひかない。

 今朝,たまらず病院へ行ったら足指の骨にひびが入っているという。
痛いはずだ。一昨日,したたかに飲んで二日酔いの足取りで,足指
を柱にしたたかに打つ羽目になったわけだ。自業自得だと,我が奥様
に言われてしまいました。でも,痛いのは事実。歩きづらい。

 で,今日は2時間目の「卒業研究」は休ませてもらいました。午後
教授会ですが,これも休ませてもらいました。腫れさえひいたら,
なんと言うことはないと思います。

 病院でも,「よくあることです」の一言。幸い第4指でよかった。
これが第1指や第5指だったら大変だった。湿布をしているうちに,
なおるでしょうとのこと。1ヶ月から2ヶ月ほどでなおるでしょう,
とのこと。

 いやはや,何が起こるやら。最近はそんなことばかり。気をつけ
ましょう。



2002年06月09日(日) 今日のことを明日にする

 よく「今日できることは今日の内にしろ」といいますが,そのように心がけようとはするのですが,しばしば,今日できることを明日する,というか結局,かなり後になって,あわてて片づけることがよくあります。

 今日,自宅の書斎を片づけていて,何ともはや変なものばかり出てきました。何年も前のはがき・書類など,もっと早くに捨てていてしかるべきものがたくさんありました。ついつい,その場で捨てればよいものを,その瞬間には判断が付かず,後で,と思っているうち,何年もたって,何でこんなものがいつまでもあるのか,ということになってしまっていたのです。

 ですから,私の自宅の書斎はもちろん,私の大学の研究室も,そう言う調子ですから,ゴミの山になるわけです。もちろんはじめはゴミではないのですが,よく考えるとゴミであるというものが,結構あるはずです。そうするとこれを捨てるのにも,エネルギーを必要とするのです。で,放っておく。ますますゴミの山となる。悪循環です。

 こんな事を書いている時間があれば,片づければよいわけです。その通りです。今から片づけたいともいます。



2002年06月06日(木) 東京出張

 6月14,15,16日と東京へ主張です。で,掲示板の「そつぎょうせいもこうりゅうしたい」というスレッドに下記のように書いてあるのですが,
14日夜にゼミ卒業生を中心に集まろうという話になっている。その幹事役を八木上田短資の木村君にお願いしている。

>東京のきむら(a.kimura@uedayagi.co.jp)です。
>14日(金)東京駅の店を予約しました(18時30分〜)。
>関東在住・就職活動・出張のOB・学生の方々、
>集まってください。
>北の浜(03-3201-0706 東京駅名店街2階、Jフォンの上)
>http://www.tokyoinfo.com/shop/shop/kitahama/

 東京駅の中の「居酒屋」のようだ。実は,昨日はファイナンス・インスティテュート教員の懇親会を瀬田で開いた。また,今度の日曜日は職員の人と飲みに行く予定だ。好きだなと言われそう。そうです好きなのです。でもそれで円滑に仕事ができるようになると考えています。効用があると思います。とか何とか言ってまた飲むわけです。

 そうそう,今年卒業の人たちをはじめ,この日記を読んだ人は上記のことをメールしてあげてほしいのです。幹事役の木村さんに参加すると連絡してあげてほしいのです。そして,私に顔を見せてほしいのです。

 せっかくの「掲示板」の「そつぎょうせいもこうりゅうしたい」も今後とも活用してほしいものだ。



2002年06月02日(日) ほっとしました

 昨日,経営学振興会で一日中「大活躍」でした。午前中の役員会,昼休みのシンポジウム打ち合わせ,午後の総会,シンポジウム司会,夜は懇親交流会。そして,2次会は草津駅前「魚民」。結構安く上がりました。

 とにかく大過なく(?)終わり,ほっとしています。ご存じのように追悼号に掲載する論文もほぼ同時に仕上がりましたから,これでようやく一段落という感じです。もちろん次々と仕事はあるとしても,一つの山を一旦はこえたというのが実感です。

 これで次の研究にかかるゆとりができました。今私には研究に関して2つないし3つぐらいの関心事がある。一つは「NPOの会計とガバナンス」というテーマであり,二つ目は「現在の日本の銀行の財務分析」であり,三つ目に関心というより,やらなければならないのは「金融市場分析実習」用テキストづくりです。これは共著です。

 もちろん,それ以外にファイナンス・インスティテュート運営委員長としてやるべき仕事もありますし,経営学部40周年記念事業に関わった仕事,経営学振興会セミナーへ向けての仕事,などもあります。だがこれは研究教育という本業の部分ではなく,周辺部分と位置づけられるはずのものです。もちろんこれらの仕事といえども,しているうちに研究教育に関わる部分がいろいろと出てきます。ただ,さしあたりは行政的,雑用的な仕事ではあります。「転んでも只起きぬ」という気持ちで仕事をしていますから,これらが発展して,教育研究につながるようにしたいという気持ちもあります。

 若い自分は,雑用は無駄な仕事,研究教育を阻害する仕事としか考えられませんでしたが(事実かなりあたっていますが),今は,先ほどいいましたように,「転んでも只では起きない」という気持ちが強くて,そこからでもくみ取れるものがあればくみ取りたい,そう言う前向きの気持ちで仕事をしています。そう思うのは,そう言う気持ちを持っている方が,消耗感,疲労感が少なくなるという,自己防衛本能が働いているからかもしれません。

 ま,忙しさを「楽しみたい」ものです。その境地にはとても達しませんが。私の同期のHさんなどそう言う働き方をしていて,ある面うらやましく思うことがあります。見習いたいと常々思っています。


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singersong professor KM