どんぐり1号のときどき日記
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2009年01月31日(土) 色々とお買い物

 朝、パソコンを起動したとたん、かなり大きな異音がする。
 一瞬ハードディスクが壊れたかと焦ったが何事もなく立ち上がり、中を開けてみるとどうもファンのようだ。結局グラフィック・ボードに取り付けられている冷却ファンからの音だと判ったのだが、このボードについているストッパーだけが特殊な形状で、隙間がない事もあってどうしてもはずせない。仕方がないので明日ショップへ持ち込む事にする。

 何故すぐに持ち込まなかったかといえば、とりあえず「人間椅子」のチケットを購入するためである。
 仙台MACANAで3月6日にライヴがあるのだが、このチケット発売が今日からだと乙戸さんからの情報があったのだ。公式にはオール・スタンディングで250名というハコなので、多分チケットもそのくらいの枚数が出るのだろうし当日券もありそうだが、やはりここは押さえておきたい。
 という訳で、チケットは無事ゲット。オール・スタンディングなので体力的にはきついかもしれないが、まずは一安心である。 しかしここ、どう見ても100人くらいしか入らないと思うのだが…。

 そして長年待っていた「大陸横断超特急」のDVDも購入する。これには広川太一郎の吹き替えも入っているので、実に楽しみである。コメディにしては異様に金がかかっている、当時としては大作映画だというのが妙におかしい。
 ついでに「アンダーワールド:エポリューション」と「ニキータ」も買う。映像を見ながら色々と調べたい事とがあるのだ。
 なお、KOTOKOの2006年横浜アリーナのライヴがあったのだが、実はこれを買ってはいけない。何故かこのライヴでは声が全然出ていないのである。やはり彼女は2004年冬のライヴが最高だ。歌もかなり上手いし、実はちょっと欲しいと思っているアイテムなのである。

 そんな合間に会社にも行く。実に忙しい事である。いや、会社での用事がなければ、それほど慌しくなかったのだが…。

 夜は夜で「大陸横断超特急」の吹き替えヴァージョンを見る。やはり面白い。元は映画館で見ているのだが、全盛期の広川太一郎だけあって、きちんと演技しているのだ。
 その勢いで「アンダーワールド:エポリューション」を見て、さらに「ニキータ」も見る。やはり女性が射撃をするシーンは良いものだが、「マトリックス」といい「ウルトラヴァイオレット」といい、クールな映像に仕上げられ、さらにきちんと訓練された成果が出ていれば、尚更感動する。最近はマシン・ピストルが多用されるようになったが、これが意外と絵になるのである。


2009年01月30日(金) 時間調整

 またまたはかせのところに書いたネタなのだが、昔結構好きだったのに、今読み返すとなんだかつまらない、というよりどうしてこれが面白かったのだろうかと悩む事がある。
 実は山田正紀の「神狩り2」が出た時、あまりに酷いと思ったので口直しに「神狩り」を読み直したところ、これが実につまらなかった。この作品が発表された当時は日本中のSFファンが驚愕し、私も一撃でやられてしまい、これ以後かなり長い間彼のファンをしていたくらいだ。だから読み返して何故こんなにつまらないのだろうと本気で悩んでしまったものである。
 ちなみに神林長平も同じパターンで、「戦闘妖精・雪風」を読んだ時に気に入り、これをきっかけにほぼ全ての作品を読み、現在でも買い続けている作家の一人だ。彼の「グッドラック 戦闘妖精・雪風」が出た時に「戦闘妖精・雪風」を読み返したときは、依然読んだ時と同じように充分感動的で面白かった。それだけになおさら山田正紀に騙されたという感じがしてしまったのである。

 ところで、松本の県立高校生が転落死した事故で、インフルエンザ治療薬の「リレンザ」を処方されていたというのが、わざわざニュースになっていた。
 いつも思うのだが、タミフルでもリレンザでもなく、インフルエンザそのものが異常行動の原因だとは誰も考えないのだろうか。もちろん薬との相乗効果によるケースもあるだろうが、やはりインフルエンザなどで異常行動に走りやすくなるのはそれほど珍しい事ではないだろう。私自身も酷い風邪などの時は、あの独特の嫌な感覚になる事がある。なんというか世界が急激にスピードアップして回り始め、本当に走り出したくなる感覚だ。そうしないと治まらないという脅迫観念に近いものがある。飛び出さないのは、単に体力が落ちて動けないというただそれだけの理由だ。
 自分でそういう感覚を体験しているから、薬だけのせいにするのはおかしいと思うのである。

 そんなニュースを見ながら時間調節して「タモリ倶楽部スペシャル」を見る。
 たかだか50分の編成では本当に物足りないが、改めてこの番組の面白さと凄さを実感する。こうして見ると、我々SFファンが集まって色々な規格をして遊ぶ感覚に一番近いような気がする。SFファンといって趣味の守備範囲は異様に広いのだ。結局のところ、タモリ倶楽部と我々SFファンの違いは、資金があるかどうかだけといってもいいだろう。
 世の中、そんなものだ。


2009年01月29日(木) レモンのキッス

 ネットのニュースで、梶井基次郎の「檸檬」で主人公がレモンを買った店のモデルである京都市中京区榎木町の果物店「八百卯(やおう)」が、閉店したと知った。さらにこの記事によれば、レモンを画集の上に置く場面に登場した「丸善」も2005年に閉店していたという。

 この記事ではさらに「小説の世界をしのぶ場所がまた一つ消えた」と続くのだが、今時「檸檬」を読んでいる若い読者がどれだけいるのだろう。私の世代ならまだ常識の崖っぷちにかろうじて引っかかっているが、もう常識というレヴェルからは消え去っているのは間違いない。

 ちなみに私に言わせれば、純文学を読む場合に、本人の性格や行動パターンを知る事は大事かも知れないが、その場所を偲んでも実は仕方がないのである。そんなものに郷愁を持っていたところで、実は小説の実態に迫れるケースは少ない。なぜなら小説はそれを読む事で理解しなければならないメディアであり、本人の性格などは、ファンになった後で研究する時に初めて必要条件となるだけなのだ。普通は純粋にその小説だけを読んで感動するのであり、そのモデルを当初から念頭に置く必要などないし、普通の読者にとって実際には不可能な事だ。これは私が私小説を結構好きだから、断言するのである。

 つまりその場所を偲ぶのは関係者や熱烈なファンだけで充分であり、小説というくくりの中では無視して良いのである。
 そうでなければ、他の地方の人間はその小説を楽しめないという事になり、それは極めて他的なものになってしまう。そしてそれは文学の衰退を招く一番の原因になり、実際そういう傾向があるのが現在の小説離れという状況なのかもしれない。

 ちなみに、今日の題名に深い意味はない。


2009年01月28日(水) 押井監督、語る

 コミック・リュウを立読み。といっても見るところが実はほとんどない。

 ただ、押井監督がエッセイの連載を持っているので、時々立読みする。
 今月はこの雑誌の読者は多分ほとんどが知らないであろうタルコフスキーを何故か取り上げている。押井監督自身が「何故、今頃になって彼を取り上げるんだ?」といっているのだが、これがまた異様に面白い内容だった。もしかしたらヘタな解説本を読むより、このたった3ページを読んだ方が、タルコフスキーの本質が見えてくるかもしれないし、また同時に押井監督がタルコフスキーに傾倒していたのに何故見限ったのかという疑問もある程度判る。

 押井監督はタルコフスキー監督の最高作は「鏡」だといっているが、あの「サクリファイス」は痛々しくて見ていられないのだという。なぜなら結局彼はロシアという故郷を捨てられない人間だというのを露呈しているから、というのがその理由なのだが、元々タルコフスキーというのはそういう映像作家なのではないだろうか。
 どこで故郷を捨てる事が出来るかで自分の立ち位置は大きく変わるのだが、問題はその時期である。タルコフスキー監督がもう少し長生きすれば、あるいは捨て去る事が出来た可能性がないでもないが、結局のところ亡命してしまっては(それが映画を撮りたいというただそれだけの理由であれば尚更)、故郷への郷愁を捨て去る事は難しいだろう。しかも彼の郷愁には家族というものが含まれているだけに尚更厄介である。

 今月はこの3ページのために買うべきだろうかと悩むのだが、これはどうしても昔の押井監督の書く物がそのまま埋もれてしまうのを見てきたために、はたしてこれが本にまとまるか一抹の不安があるのだ。そして悩むほどに面白い内容だったという事だ。

 あとは伊藤伸平の「大正野球娘。」だけ読んでおく。
 原作物であり、当初は大した内容ではないと感じていたが、先月あたりからいかにもこの人らしい内容になってきた。もしかしたら私好みの作品に化ける可能性もあるので、しばらくは注目しておきたい。


2009年01月27日(火) ブラックラグーン号

 近所の模型屋へ行ったら、ハセガワからブラックラグーン号が出ていた。もちろんあの「ブラックラグーン」で主人公達が使用している高速魚雷艇だ。
 プラモは、大昔にレベルから出ていたPT-103をベースに、レジン製のパーツを付けてマンガ版にアレンジした魚雷艇らしい。らしいというのは、シュリンク・パックしてあり中が見られないのである。ちなみにPT-109はあのケネディが乗っていた事でも有名だ。

 しかしこのプラモ、価格が\7,140とはふざけている。この店では割り引いてあるが、それでも\5,000以上という価格設定では、とても買おうという気になれない。
 オリジナルが古い金型の模型だし追加パーツはレジン製なので、パッケージにも上級者向けと明記してあるとおり、作るのは難しいだろう。そもそもマンガでもアニメでも、とにかく「ブラックラグーン」のファンを名乗る人間のうち何パーセントがこの船を作ろうと考えるだろうか。しかもこの値段である。はたしてどれだけの人間が作れるのか心配になる。ハセガワも変なものに手を出してしまったという事か…。

 このパッケージが最初からシュリンクしてあり、中が見られないようになっているのは、おそらく見たら誰も買わないだろうという自覚があるからなのかもしれない。意味のない確信犯だな…。
 ハセガワも、ウルトラ警備隊のメカやマクロスのヴァルキリーという、ある程度売れるのが見込める物を出しているうちは心配はないが、こんな物を出すと次が続かなくなるのではないだろうか。

 今の時代にほぼプロップどおりのウルトラホーク1号が買えるという事は、もはや普通の光景になったからあまり感じないかもしれないが、実はとても素晴らしい事なのである。昔こういうプラモが欲しかったが、望むべくもなかったのだから。
 だからこそ、ハセガワにはあまり極端なイロモノには向かわないで欲しいのだ。イロモノを出すメーカーは他にいくらでもあるし、イロモノは売るテクニックがあり、ハセガワはそういうのが得意なメーカーではない。だからこそ、本当にかっこいいSFメカを出して欲しいのである。
 今ブラックラグーン号を出すくらいなら、同じ値段で「α号と黒鮫号」のセットを出して欲しいと心底思う。


2009年01月26日(月) 「パール・ハーバー」のメイキング

 昨日買った「パール・ハーバー」のコレクターズ・エディションの特典映像をちまちまと見る。
 13時間以上あると書いてあるが、明らかにムダな映像もあり、この辺にも「パール・ハーバー」という作品の本質が現れていると思う。いずれこの映画、作品としては本当にカスなのだが、戦闘シーンについては今時の映像なので、ビハインド・シーンがそれなりに見たくなるのである。最近のハリウッドの作り方という意味で、多少は参考になるだろう。
 もちろんケイト・ベッキンセイルが好きだから、中古とはいえこの作品を買ってしまったという部分は確かにあるのだが…。

 しかし本編を見た時にはてっきりCGIのみでの処理だと思っていたシーンが、実は実際に人間をワイヤー・ワークで飛ばしていたりして驚く。もしかしたらハリウッドといえども、自分が考えているよりCGIの利用は少ないのかも知れない。やはりCGIだけでは処理が難しい部分がまだまだあるのだろうし、予算や時間の問題の方もある。そもそもCGIの部分は、映画館では判らなくてもソフト化されて自宅の小さい画面で見ると、違和感が明確になる。
 どれだけ精密になっても、人物のように現時点ではどうやっても馴染めないもの、メカニックの処理は素晴らしくても演出がおかしいから一目で実物ではないと判るもの、根本的に動きがおかしいもの、といろいろあるが、やはり画面が小さくなるとストレートに違和感がはっきりしてくる。
 そういう意味でも、実物とCGIを一緒に使う事で、コストも手間も抑えられる部分があると推察できる。

 なお「パール・ハーバー」の制作費は1億3,000万ドル強だが、そのうちILMに支払ったのは3,000万ドルだそうだ。もちろんほぼポスト・プロダクトの部分であり、それに映画一本作れるだけの金が投入されているのだから、あらためてとんでもない金額のカス映画だという思いが強くなる。それでもヒットしたのだから、観客の質も問われるのは当然だ。
 どうも最近は結果が全てという風潮が強いが、こんないいかげんな映画がヒットしてしまうのは、異常な事態だ。そんな結果を導く連中はどうかしている。それでいて日本では「ダークナイト」がヒットしないのだから、やはり今の日本には映画を観る事が出来る人間が減りつつあるという証拠だろう。

 ちなみにあの「リベリオン」は、制作費が2,000万ドルだ。カート・ウイマー監督は、とにかく金がなかったので望みどおりのセッティングで出来なかった部分もあるし、最終的には時間との戦いになったと語っている。やはり金は、かなりの部分の問題を解決してくれるのである。
 しかしどうしてマイケル・ベイが100億ドルものカス映画を作れて、カート・ウイマーには2,000万ドルしか与えられないのだろう。世の中上手くいかないものだとつくづく思う。マイケル・ベイという人のスタイルは、明らかに映画向きではない。どう見てもテレビのシリーズ物の編集版にしか見えないのである。しかもなんというか一本筋が通っていない。もしかしたら庵野なんかと同じタイプなのかもしれない、と思ってみたりする。


2009年01月25日(日) お買い物

 駅前に出る。本とCDを探すためだ。

 ヴォーカルがターヤからアネットに代わった、ナイトウィッシュの「ダーク・パッション・プレイ」を購入。期間限定1,470円なのである。ちなみに隣のSHM-CDコーナーでは、同じアルバムが2,500円だ。こんなもの、ある程度の音質なら安い方が良いに決まっている。ロックは数を聞く必要があるのだから。
 そしてそのSHM-CDコーナーにあった「これがSHM-CDだ!3」も購入。
 今回は「エマーソン・レイク&パウエル」から「タッチ・アンド・ゴー」も収録されているが、これは音が良くて当たり前だ。当時LPを買ったが、その後出たCDは恐ろしく音が悪かったのである。やはり1980年代前半のCDは技術的に未熟すぎた。だからSHM-CDでなくとも、現在のCDなら当時より音が良くて当たり前であり、別に驚く事ではない。
 なおこのシリーズにはクラシックやジャズのヴァージョンもあるが、ジャズ盤にジョン・ケージの「4分33秒」が入っていたら色々な意味で面白いのだが、このメーカーにそこまで判っている人はいないようだ。

 その後、探しいてるCDが中古屋にないかと行ってみたが、こちらはすべて空振り。意外と仙台の中古屋も弾数が少くなりつつあるようだ。八戸で良く行っていた中古屋は、目ぼしい作品は首都圏へ出していると言っていたが、仙台も似たような状況になってきたのかもしれない。
 代わりに、DVDで「テルマ&ルイーズ」と「パール・ハーバー」を購入。
 「テルマ&ルイーズ」は探していたリドリー・スコット監督による音声解説付きヴァージョンで980円。これは即、買いである。
 「パール・ハーバー」は、コレクターズ・エディションの3枚組限定盤が1,000円だった。作品として考えたらこれでもまだ高いと思うが、先日「トラ・トラ・トラ」のスペシャル・エディションを買った事だし、撮影の裏側を見たくなったのだ。まあ特典映像が13時間以上あるというから、1,000円なら諦めもつく。でも全部見られるのだろうか。
 強調しておくが、マイケル・ベイ監督の映画は、映画としてダメである。だが戦闘シーンのように、見せ場の迫力だけは凄い。本当に、ただそれだけの監督だ。

 そして帰る直前に、人間椅子の「人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤(2枚組)」が出ている事に気がついた。ただし3,900円なので、今日は買えなかった。
 実は今回のCD発売に合わせ、「狂ひ咲き〜二十周年記念ベスト盤発売ツアー〜」が行われるのだが、それがなんと仙台でも開催されるのだという。2009年3月6日(金)、一番町の「仙台MACANA」である。これは是非行きたい!
 だが仙台MACANAはチケット発売が一ヶ月前からだというので、詳細が良く判らない。早いところ情報が欲しいところだ。

 帰宅してから「ダーク・パッション・プレイ」を聞く。
 やはり「ワンス」程の感動はない。これはヴォーカルがターヤでなくなったのが大きい。アネットも決してヘタではないのだが、これでは他の女性ヴォーカルのグループとあまり代わらないのである。ターヤのヴォーカルであの音楽というのが面白かったのだとつくづく思う。
 まあ悪いアルバムではない。それだけは彼らの名誉のために書いておこう。


2009年01月24日(土) 久々の「リベリオン」

 例によって粗仕事である。
 本当に一日がムダだと思う。ほとんどの人間が遊んでいるのだ。ムカつくくらいに…。

 そんな夜、久々に「リベリオン」の音声解説を見る(良く考えれば、変な表現だ)。
 この作品は制作費2,000万ドルで、出演者やスタッフの諸経費を考えると、とんでもなく低予算で作られている。しかも俳優や設備のスケジュールから時間との戦いでもあった。だから音声解説ではその辺の話が面白い。
 やはりカート・ウイマー監督は、自分の弱点をきちんと理解しているし、実にマニアックなこだわりを持っている。だから「この部分が不満なのだが、自分の力量ではこれ以上時間をかけても絵にならないから諦めざるを得なかった」という部分と「ここはもう少し時間をかければいける」という見極めがしっかりしている。後はもう少し経験値を上げれば、かなり面白い作品を作れるだろう。

 現在はどうしても脚本家としての仕事の方が多い。もちろん脚本家としては有能だと、誰もが認識しているからだ。だが経験値を上げるために、もう少し監督としての仕事を増やして欲しいものだ。


 ところで、アカデミー賞のノミネート作品が発表になった。
 残念ながら押井監督の「スカイ・クロラ」は、候補に残る事ができなかった。まあ多分ダメだろうというのは薄々感じていたが、アカデミー賞というのは、やはり事前の運動がかなり大変なのだ。

 しかしこれだけの作品を基本的に手描きで作るというのは、そろそろ不可能になりつつある。みんな戦闘シーンのCGIでごまかされているが、人物の動きについて、実はかなりとんでもない事をやっているのだ。この部分か出来るのは今のベテランだけで、若い世代では最早不可能になりつつあるのだ。ベテランも肉体的な限界が来つつあるし、日本が一時期誇ったアニメーションは、コレから徐々に衰退していく丈であろう。
 そういう意味でも手描きの商業アニメーションがアカデミーを取れる、最後のチャンスかもしれなかったのである。それほどに今の日本のアニメ界は人材不足なのだ。


2009年01月23日(金) 歓送迎会だぞ

 支店長の思いつきで、会社の歓送迎会となる。
 しかし今年度の親睦会はあまりに手際が悪すぎて不愉快だ。そもそも親睦会というものの運営ができないような連中ばかりなのである。本当にここまでいい加減な親睦会で成立するのだから驚くが、それも若い奴らに押し付けてしまうからダメなのだ。そして運営も支店長が中心でやっているから、誰も頭を使わない。それで金を取るのだから、我々にとっては意味のない搾取である。
 要は酒が飲めればいいという連中がほとんどだからこそ、こんな布陣で成立しているのだ。

 という訳で、今回も手際が悪い。歓送迎会なのだから、別に面白くする必要はないが、手際よく会を運営するのが仕事だろう。自分たちが飲んで食べてどうするのだ。そもそも事前の連絡すらなし、会場の設定からしてメチャクチャだ。愚かとしか言いようがない。

 例によって昔MGCに勤め、陸自に転職、上司とけんかになりうちの会社へ、という経歴の人としばらくダベリング。
 MGC時代にはコバさんとの職場が違っていたが、やはりGM7には興味かあるとの事だ。私より2歳年上だが、やはりリアル・タイムでモデルガン業界にいた人の話は面白い。私もそれなりに詳しいので、話が弾む。
 後で他の人から、「××さんも楽しそうに話していて良かった」と言われたから、まあ楽しかったのは間違いないだろう。
 ちなみに彼は坊主頭で、見た目はちょっとヤクザっぽいため、どうも酒の席では避ける人が多いらしい。だか私は意外と一目でその人の本質が判る事が多く、他の人の第一印象と私の第一印象が大きく異なるケースが実に多い。そして大概は私の方が正しい。

 やはり「仕事一筋、それだけの人」と「趣味もきちんとこなしている人」は、そんな内容の話でなくとも少し話せば大体判る。多分その人の知性と教養の部分を感じ取っているのだろう。


2009年01月22日(木) イギリスのテレビ番組

 夜に「映画秘宝」と「英国テレビの大逆襲」を買う。

 「英国テレビの大逆襲」については、1960年代というイギリス・テレビ黄金時代の作品が多く掲載され、どうしようかと立読みしつつ悩んだのだが、結局「秘密指令S」と「魔法使いキャットウィーズル」がきちんと載っていたので買ってしまった。
 特に後者についてはまともに記事にした本を、私は知らない。実は好きな作品の一つなので、これは素直に楽しめてしまった。この番組は子供向けなのだが、もし魔術師マーリンが現代のイギリスにタイムスリップして一人の少年と仲良くなったら、という感じの作品である。なお最終回は、当時の私には実にドライに映ったものである。でも自分の時代に帰れるとなったら、それがむしろ普通だろう。今になって納得してしまうのだった。

 そして「秘密指令S」も大好きな作品で、全話ソフト化を待ちつつもう40年になるのだが(本当はLDを買ってからだから、25年というのが正しい)、日本ではソフト化はもう絶望的なのだろう。あの吹替えも絶妙だったのだが、知らない人がほとんどのまま日本人の記憶から消えてしまうのかもしれない。
 それはともかくこの作品、実はスピンオフ作品として「作家探偵ジェイソン・キング」なる番組が作られたのは、ファンの間では常識レヴェルだが、実は「秘密指令S」と「作家探偵ジェイソン・キング」の間に「特命捜査官キング」という番組も存在していた。残念ながら私はこれを見ていないので「秘密指令S」との関係が判らなかったのだが、今回買った本にその辺の状況が載っていたのである。
 これによれば、「秘密指令S」は全28話のうち18話で一旦中止され、その後日本テレビの番組編成の都合から(どういう理屈か私にはさっぱり理解できない)、後半10話を「特命捜査官キング」という題名で放映したのだそうだ。つまり「作家探偵ジェイソン・キング」と違って、中身は純粋に「秘密指令S」なのである。納得。

 後は当然のように「サンダーバード」「モンティ・パイソン」「プリズナー�癸供廖崙罎留瀏廝妝藤蓮廖屮疋�ター・フー」といった定番が並ぶが、もちろん「電撃スパイ作戦」といった怪作、「プロテクター電光石火」といった通向けなど、黄金時代のしかもほぼリアル・タイムで見ていた作品ばかりなので、実はかなり楽しめてしまった本である。
 そして数ページだが、カラー写真がきれいである。特に「決死圏SOS宇宙船」の写真は美しい。

 結局\1,500という価格は、それほど悪くはないだろう。少なくとも私にとっては、だが。


2009年01月21日(水) 円周率は永遠に

 食事の時に子どんぐりが、円周率を小数点以下20桁まで言えると威張っていたので、試しに言わせてみた。
 そして私は一言、「17桁目が違う」…。なんだか大人気ないとは思うが、こういう覚えていても意味がない事は、間違ってはいけないのである。そういうものだ。
 ちなみに私が覚えているのは、小数点以下25桁までの「3.1415926535897932384726433」だ。覚えているからといって何かの役に立つ事は、多分これからもないだろう。


 ところで会社ではそろそろ人事異動の時期だが、こちらからも3人が出て行く事となった。
 という訳で、週末には支店全体の歓送迎会があるのに、関係する部署が合同で送別会を開いてしまった。気持ちは判るが、一次会二次会とも飲み放題でやるというのは頭がおかしくないか? なにせ参加した20数人の男女のほとんど全員、記憶が欠落しているという。
 それで翌日仕事にならないのだから、こういう時は一言、ヴァッカか、お前ら。


2009年01月20日(火) イスラエルはメルカバ

 イスラエルとガザの戦闘について、日本国内はガザ側に付いた論調が多いようだ。
 もちろん火力が圧倒的に強いイスラエルの攻撃で民間人に死傷者が出ているからだが、ではガザ側のゲリラとしてのテロ活動を見過ごして良いのだろうか。そもそもガザ側は、イスラエルに武力では敵わないと百も承知だから、住宅密集地から攻撃を繰り返している訳で、これはアメリカがもっとも嫌うテロ行為そのものである。
 アメリカ側は今回、イスラエルの肩を持つ形になったが、これはテロを撲滅するという方向で活動しているから、嫌でも仕方がないのである。国民がどう考えようが、実際に軍を展開している政府としては、簡単に意見を変える訳は行かない。だから政府内部ですら見解の相違が起きるのも当然で、それはむしろ正常な政府だという証拠であろう。

 そもそも民間の住宅街から攻撃を繰り返しているという事は、敵対する国からすれば、あの周囲の住民はテロに協力していると考えざるを得なくなる訳である。もちろん国連関係の施設があり、一部軍も駐留しているし、実際問題として住民が揃ってテロを支援しているとは考え難い。つまり全域がテロの支援をしている訳ではないのは明白なのだが、だからといってイスラエルが100%悪いと断定してしまっては、それこそテロリストの思うツボだ。
 戦闘状態に入った場合、どちらかが絶対正しいというケースは、現在ではほとんどないし、ましてや宗教と領土問題となっては、どちらかが正しいという状況は絶対にありえない。戦闘の根拠があまりにあいまいだからだ。つまり宗教が絡むと論理的な解決は不可能なのである。
 不思議な事に、唯一絶対神を崇める宗教は神という根本部分が共通なのに、キリストやマホメッドといった神からの言葉を民衆に伝える役目を負った預言者の存在によって、どんどん分裂して互いに反目するようになっていったのである。実に愚かだといわざるを得ない。

 だから本来は国連のような組織がまともに機能しなければいけないのだが、現在の国連は第二次大戦の戦勝国というあまりにいい加減な部分が母体なので、まともな組織であっても根本的な解決は不可能なのに、こんないい加減な状態の組織では、それが一時的なものであっても停戦まで持っていくのは至難の業だ。

 いずれかなり複雑な歴史が背景にある宗教戦争だという事を、日本人のデモ隊が理解しているとは到底思えない。おそらくは子供達がかわいそうだという気持ちだけで動いているのだろう。もちろんそれは大事な感覚だが、そんな感傷だけでは宗教戦争をなんとかできるはずがない。つまり、最終的には無意味なまま終わる可能性が非常に高いのである。


2009年01月19日(月) サンダーバーズが来る?

 航空雑誌を立読みしていたら、ある情報を見落としていた事に気づき愕然とする。
 なんと、アメリカ空軍のサンダーバーズが、今年の秋頃に日本でエア・ショーを開くかもしれないというのだ。西太平洋ツアーの一環だというから、予定通り開催なら日本へ来る事はまず間違いない。ただし一度見て実感したが、あれだけの機動を行うのだから、三沢か沖縄くらいしかショーが出来る場所はないような気がする。そうなれば、陸続きの三沢の方が行きやすいのは確かだ。

 その一度見たサンダーバーズは、1994年8月10日の三沢におけるショーだ。F16Cによるとんでもない機動を目の当たりにして、当日行われた航空自衛隊のブルー・インパルスは事故を気にして危険な演技を避けているかが良く判った。もちろんT2によるブルー・インパルスの演技が簡単だと言うのではなく、あくまで比較の問題ではあるが、その迫力の差は凄まじいものだ。やはりアメリカというのはエンターテナーの国なのだと本気で思ったものだ。
 なにせサンダーバーズの機体間隔が1メートルも離れていないし、超低空(多分高度は10メールもないだろう)を信じられないスピードでパスしていく(爆音が後から来るのだ!)。あの危険と隣り合わせの迫力はとんでもないもので、老人など心臓が止まるのではないかと心配になってしまうし、子供たちは泣き出していた位だ。しかしこの危険と隣合わせのショーが快感なのも確かなのである。

 そして2001年の9月中頃、西太平洋ツアーの一環で来日が予定されていたが、アメリカ同時多発テロ事件の影響により中止された。本当に一週間前の中止となったわけで、これは本当に悔しい。だから私はテロリストを憎むのだ。

 もし三沢で開催されたら、当然観に行くが、そうなるとカメラを買い換える必要がある。現在使っているのは、ゴムダンパーの経年劣化によるシャッター開閉不良という構造欠陥をもっており、信頼性が著しく低くなってしまったのである。
 EOS50Dはまだ高いからEOS40Dを買うべきなのかもしれないが、実はサンダーバーズは基本的に高度は関係なくすべてが高速機動なので、ハンパな腕では捉えきれない。前回撮ったのは100枚位だが、その中でまともな写真は10枚もなかったのである。他は追いきれずピントが合わなかったという恥ずかしい結果になったのである。
 過去、三沢で撮ったブルー・インパルスでは、構図はともかくピントを外した事は一度もなかったのだが。

 本当に来てくれると良いなぁ。


2009年01月18日(日) もう14年経つ

 昨日書いた「北国の帝王」だが、現在の原題は「Emperor of the North」と、そのままである。何を意味しているのか、私には判らなかった。だが、だべささんから貴重な情報が入り、氷解する。
 元々の題名は「Emperor of the North Pole」(北極の帝王)で、二度目の上映から短くなったのだという。この言葉が意味するのは、「乞食の帝王」みたいな感じなるそうで、そういわれれば、ラストのリー・マーヴィンの立ち位置が明確になる。要はこの映画、「いい年した大人が陣取りゲームで殺しあう」というただそれだけの内容なのだ。だから名誉や金といったものは何ら関係なく、自己満足が動機でしかない。いや、動機すらないのかもしれないが、だからこそ最初の原題が効いてくるのだ。
 もしかしたら題名の変更は、どこかから横槍が入ったのかもしれないなぁ。

 ところで昨日は、阪神大震災から14年目の日だった。つまり三陸はるか沖地震からも14年、地下鉄サリン事件からも14年という事だ。
 亡くなった人たちには気の毒だが、阪神大震災の死者のうち、半分くらいは犬死である。断言するが、地震が来ないと思い込んでいた人たちによる人災の色合いが濃いのだ。だから死ななくてもすんだはずの人が沢山いるはずなのである。
 そもそもすぐ隣の静岡県は、早くから高速道路や新幹線の効果、トンネルの危険性を指摘していた。それだけ危機感が強かったのである。だが当時の国鉄や改変後のJRも、あるいは当時の道路公団も、絶対に壊れないと言い切っていたのである。それがあのザマだ。これを人災といわずして何というのだ? だから犬死だというのである。後悔するのはバカでも出来るし、起きてしまったのなら必要ではあるが、危険を予見して対策を練るのは、組織のトップの義務だ。
 静岡県があれだけ警告していたのに、それを無視し続けた当時の鉄道、道路関係のトップは、バカの集まりだったという明白な証拠である。

 夕方になって、昨日ノダヤから買ってきた「GUN DVD Vol.4 マシンピストルの世界」を見る。これはどこも品薄で、ノダヤも出版社に依頼して直接送るようにしてもらったそうである。この時は例によって色々と、あまり表に書けないような話をしてきた。
 それはともかく、今回のマシンピストルというのは、民間の所持が規制されているので、こうして映像をまとめて見られるのは助かる。Youtubeでも探せば色々見つかるが、やはりきちんとしたテストという構成の方が本来の性能が判るので、こういうソフトが必要になるのである。
 しかしもし自分で使う事になったらと思うと、やはり少し恐ろしい。銃口が暴れ回るのを制御できるのかどうか、あの映像を見ると自信はないのだ。M93Rならフォア・グリップがあるからなんとかなりそうだが、他の銃では、もし左手が滑ったら指を吹き飛ばしかねない。
 また映像の方には入っていなかったが、モーゼルC96系の欠点として、ボルト内のスプリングがヘタってくると、最終的にボルトを破損し、射手に向かって吹き飛んでしまう可能性があるという。それは横から見れば変形しているからすぐに判るようだが、やはり恐ろしい事に変わりはない。昔アメリカ軍が制式銃のトライアル中、スライドが割れて射手の顔面を直撃する事故があったが、それがどれだけのケガになるのかは、容易に想像できる。
 今回のソフトは、銃というものを甘く見てはいけない、というのを改めて考えさせる映像だった。

 そして「007 カジノ・ロワイヤル」を見直して、今度の「慰めの報酬」のために復習しておく。
 この「カジノ・ロワイヤル」は、見直すとやはり良く出来た映画だと思う。経験値を積んでいくボンドという側面もうまく表現しているし、銃もサイレンサーを装着し、影で行動しているという部分を強調する事に成功している。そもそも脚本、演出がうまいのだ。
 はたして今回の「慰めの報酬」の出来はどうなのか。監督が変わっただけに、期待と不安の両方がある。はてさて。


2009年01月17日(土) 「北国の帝王」も出る

 ついにDVDで「北国の帝王」(1973)が出るとアナウンスがあった。
 公開時に映画館で観てから35年、ようやくのソフト化だ(と思うが、VHSのテープで出ていたかどうかは曖昧だ)。発売は3月6日の予定になっている。

 知っての通り、ストーリーは「列車にタダ乗りしようとする失業者(ホーボー)と、それを見つけては殺してしまう鬼車掌の、列車上での死闘」という、要はそれだけの話である。それだけで2時間を持たせている訳である。だがこれを映画館で見た時のインパクトは凄かった。斧だのハンマーだので殺しあうから、痛みが想像できてしまうし、後味はそれほど良くないし、人によっては嫌な映画になるだろう(私にとっては「ディア・ハンター」(1978)のロシアン・ルーレットがそうだ。この映画はもう見たくない)。
 でもホーボーの代表者がリー・マーヴィン、鬼車掌がアーネスト・ボーグナインという布陣がもうタダモノではない。彼らが知力、体力の限りを尽くして一対一の決闘のように戦うのだから、少なくとも映画館で観た時の迫力は凄かった。タダ乗りと言っても、もはや金の問題ではなく、男の意地なのである。相手をいかに欺くか、あるいはいかに叩き落すか、ただそれだけなのである。それで相手が死ぬかどうかすらも関係ない。
 はたしてこの迫力が、映画館ではなくソフトで再現できるのか、その部分が非常に楽しみではある。

 なおこの映画、元々はペキンパーが作るはずだったらしく、彼自身が脚本も手がけている。だが最終的に他の人間に渡ってしまい、こういう映画になったのである。これはこれで凄い映画だが、ペキンパーが撮ったらどうなっていたのか、もはや望むべくもないが、それも興味がある。

 ちなみにアーネスト・ボーグナインという役者を意識したのは、中学の時に観に行った「ウイラード」(1971)が最初で、次にこの映画となれば、とにかく恐ろしく嫌な奴の演技をさせたらが右に出るものはいないのではないかと当時は容易に信じられた。だからその後名画座で「ワイルドバンチ」(1969)を観た時に、意外といい奴の演技も出来るんだと感心したものである(順序が逆である)。
 さすがに「超音速攻撃ヘリ エアーウルフ」(1984〜)での好々爺はちょっと馴染めなかったが、もしかして途中で化けるのかもしれないと期待していたら、結局最後まで変わらなかった。ただし時々、往年の悪役の目つきになる事はあった。その辺はさすがで、やはりただの好々爺ではないのだ。

 今年は「大陸横断超特急」(1976)と「北国の帝王」という長年待っていた作品がソフト化されるので、とても楽しみである。長生きはするもんだなぁ…。


2009年01月16日(金) 今度は福田繁雄

 福田繁雄氏が亡くなったそうである。
 くも膜下出血で76歳という事は、もうしばらくは活躍できた可能性があったという事で、非常に残念である。二戸で福田繁雄展を見たのが、懐かしくなる。
 やはり騙し絵というジャンルの解説をして我々を楽しませ、また自身も色々と製作して驚かせてくれる。知的好奇心の部分を満足させてくれる、貴重な人だった。
 しかし最近は、様々なジャンルで本当に馴染みのある人が次々と亡くなっていく。そろそろ自分と同年代の人が亡くなっていくのだろう。

 会社では、ようやく監査法人の監査が終わる。
 要求される資料を出したりして結構時間がとられるが、それなりの規模の会社としては仕方のない事である。仕方がないが、やはりうっとうしいのも事実だ。
 結局のところ、会社では不正をする連中が非常に多く、それは経営者でも同じだという事の裏返しでもある訳だ。また、税法と商法が別だというのも厄介事の元なのである。ミスがあるのは別に普通だが、見解の相違というのが困るのだ。
 通常は会計士の指示で処理していたのに、税務署がそれは違うというケースが、実は非常に多いのである。いってみればダブル・スタンダードが普通に行われているのだから、トラブルが絶対になくならないのも当然だろう。
 そんな状況で、よくまあ資本主義社会が成り立っているものだと、感心するやら呆れるやら…。


2009年01月15日(木) 「�癸供彁犁�

 以前は成人の日だったはずだが。

 パトリック・マッグーハンが亡くなったそうである。享年80歳。
 代表作の「プリズナー�癸供廚浪薪戮皹撚莢修力辰�出ていたが、とうの昔に本人が出る事など期待はしていなかったし、製作に関わるという部分でも同じだ。だが、少なくともこれでカメオ出演の可能性すらなくなったのは悲しい。
 映画化の話は今でもいろいろと進行しているから、ちょっとだけ顔を出すというのもアリなのだが、その可能性がまったくなくなったというのは、改めて考えればやはり寂しいものだ。

 しかし死亡記事を見ると、「プリズナー�癸供廚茲蝓峽沙�コロンボ」への出演という扱いの方が大きい。朝日新聞などの新聞記事ではオリジナルの配信記事から「プリズナー�癸供廚良�分をわざわざ削除している。絶対変だ。BBCの記事など、ほとんどが「プリズナー�癸供廛優燭砲覆辰討い襪箸いΔ里法�
 やはり日本では「プリズナー�癸供廚鬚�ちんと理解している人は少ないのだろう。これだけ世界中にファンがいて、日本における最初の放映はNHKだというのに、肝心のマスコミが扱わないという事は、日本にはファンが少ないという証拠になってしまっているのだ。

 彼は、もうすぐDVDが出る「大陸横断超特急」でも活躍する(もちろん主人公の敵側だ)から、出たらそれを見て懐かしむとしよう。
 なにせ「プリズナー�癸供彈�体は、LDもDVDも持っていて時々見ているから、別に改まって今見る必要がないのである。テレビ放映もリアルタイムで見たし、ソフトもあれば、作品を忘れた事もない。それ以外の作品で懐かしむしかないのである。

 しかし一度で良いから、ロケ地のポートメイリオンに行ってみたいものである。多分行ける可能性は、ほぼゼロだろうが…。


2009年01月14日(水) 悪い音が判る

 正月にBOSEのin-ear headphonesを買い、それから毎日最低でも1時間、多い時には6時間以上使用している。そろそろ音もこなれてきたように感じるのは単に慣れてきただけかもしれないが、とりあえず良い音源の物ばかり使っているので、なかなか気持ちが良い。

 そんな今日はシカゴのファースト「CHICAGO TRANIT AUTHORITY」を聞いてみた。音質が良くなる直前のかなり古いCDであり、当然だがリマスターなどされてはいないアルバムだ。もちろん以前はそれほど気にならずに聞けたものなのだが、BOSEのin-ear headphonesを使ったら、音の悪さがはっきりと判ってしまったのである。たぶんリマスター盤を聞けばもっとまともな音に聞こえるのだろうが、このCDがこんなに音が悪いとは思わなかった。かなり意外である。
 これではスケバン刑事のメモリアル・アルバムなど聞けたものではないかもしれない、って、それはどうでも良い事か…。

 それはともかく、創元から「十の罪業Red」「十の罪業Black」なる本が出るという。
 これはなんと、エド・マクベインの最後の編集本なのである。この本を出すにあたり、マクベインが各作家へ出した条件は『「広義のミステリ」である「中編小説」を書くこと』だけだったそうだ。彼の短編も入っているというし、これはおもしろそうである。

 だが早いところ、87分署シリーズの単行本未収録の短編をまとめて欲しいものだ。
 プレイボーイやその他の雑誌にちまちまと短編が発表されていたが、それらは未収録のままなのが多いのだ。クリングなど、その短編の中ですらずっと悲惨な運命のままである。
 おそらく版権の関係なのだろうが、早川はそのへんをクリアして何とかして欲しいものだ。


2009年01月13日(火) 懐古か否か

 先日、ちょっとはかせのところで話題になったガンダム・ネタに関して書き込んだのだが、基本的に飲み屋で初代ガンダムを絶対視する連中が語るのは、戦争体験者が当時を懐かしんだり軍歌を歌うのと同じ心理であり、それはつまりまともな内容の話なんかしている訳はないと思うのだ。
 今では有名だが、初代ガンダムの正放映時は散々な視聴率で打ち切り同然の扱いだったのだが(これはヤマトも同じだ)、初代が良かったと懐かしむ年配の人ほど、実は正放映時には見ておらず、世間の評価が定まってから見ているというパターンが圧倒的に多い。さらに困った事にそれ以後のシリーズも見ておらず、一体何と比較しているのか判らないという人も多いのである。
 そういう訳で、初代を絶対視するにしても、自分の評価なのか他人の評価なのか、結構いい加減な人が多いのは確かだ。そもそも遠い昔の出来事ほど、自分の記憶の中では美化されて行くのだから、少なくとも作品を語りたいのなら、それなりの準備、または筋の通った自分のポリシーを持っていないと困る。それがないのなら、それはただのジジイの戯言でしかない。それは断言しておく。

 しかしこれがロックになると少し話が変わってくる。
 これは渋谷陽一氏も指摘しているが、現在飲み屋でロックを熱く語る年齢層は、かなり高い。なぜなら現在の若い層はそろそろ洋楽のロックをあまり聴かないし少数派なので、そんな連中が飲み屋でロックを熱く語る事などないのである。もはや共通言語ではないのだ。
 だが1965年から1975年という本物のロックの黄金時代に青春時代を過ごしロックに熱中した人間は、本当にロックがこびりついている。そして語るべき事が各自たくさんあるのだ。しかもあの時代は間違いなく洋楽が音楽の中心だったので、実はかなり共通言語として機能している。

 当時のロックをリアルタイムで聞いた人間の多くは、ロックのビッグバンゆえ、他人の評価ではなく、自分の評価基準を持っている事が多い。同じ名盤を語るにしても、皆切り口が違うのである。それがアニメ・ファンなんかとは違う点だ。
 ロックはアニメと違って、あまりテレビで流れる事はなかったし、レコードを一枚買うのも大変だったのだ。だから本当に熱心に情報を仕入れ、アルバムを買ったり借りたりしたら、本当に熱心に聞いたものである。

 しかも世の教育者はロックは不良化の元とばかりに拒否しており、ずっと聞き続けた人間というのは、それなりに根性があったと言えるのだ。なにせ1970年代ですら、ビートルズを否定する教師はまだまだ存在したのだ。そういう時代に多感な青春期を過ごせば、熱中したものをどれだけ体内に取り込めるかは、容易に想像がつこうというものだ。

 かくして、同じ昔は良かったにしても、自己主張できるかどうかが飲み屋でまともに議論できるかどうかの分かれ目となる訳である。


2009年01月12日(月) ヴィジランティズムではない

 実家で頼まれた物を探してホームセンターを回るも、空振り。

 帰宅後は、ネットを徘徊しながらひたすら音楽を聴く。
 キャラヴァンはいつ聞いても良い。特に「グレイとピンクの地」と「夜ごと太る女のために」は彼らのベストだろう(ベストと言いながら2枚というのも変な話だが)。不思議だったのは、ダリル・ウェイがウルフ名義で出した3枚のアルバムが、当時あれほど好きだったにもかかわらず、今日聞くとあまり感動しない。おそらく気分がウルフのようなジャズ・ロックに向かっていないのだろう。最近はナイトウイッシュの「ワンス」ばかり聞いているからなぁ…。
 まあ「危機」にしろ「クリムザン・キングの宮殿」にしろ、毎日聞いて感動するという事は、もうない。だが日によって感動したり、どうでも良かったりする。これはまあ当然だろう。毎日同じ気分の人間などありえないのだから。いずれ言えるのは、良いアルバムとそうでないアルバムの違いくらいは判った方が楽しい。
 しかし「ストラトヴァリウス」って、こんなに軽かったっけ? やはりベース・ラインやリズムは、「ナイトウイッシュ」や「ドリーム・シアター」の方が複雑だし、そもそも感覚として好きだ。

 等と言いつつ、またも「ダークナイト」を見てしまう。もちろん劇場で観たが、DVDでは3回目だ。
 この映画の面白いところは、「狼よさらば」や「ロサンゼルス」といった一連のDeath Wishシリーズのテーマを換骨奪胎してアップ・グレードした上で、アンチ・テーゼとして再構築してある部分かもしれない。
 「狼よさらば」で、あのポール・カージーがニューヨークのチンピラ達を無差別に殺していくというのは、映画的な見せ場という点では単純に快感となってしまうが、法治国家において正義というものを考えた場合、この自警団というのは非常に危険なのである。法治国家は法で全てを治めなければならない。そうでなければ、それは国内的にも対外的にも、法治国家ではないからだ。
 だからバットマンは悩むのである。彼の立ち位置は極めて危険であり、それを表わしているのが冒頭のバットマンのマネをしている連中なのである。つまり想像以上にこの「ダークナイト」という映画は奥が深い問題を抱えているのであり、それゆえラストでバットマンは汚名を着なければならないのである。
 これこそが自警団を正当化してはいけないという、ノーラン監督の真意を表わしている部分だろう。傑作である。

 それとは全然関係ないが、「ダークナイト」にはウイリアム・フィクトナー(正しい表記はウイリアム・フィクナーらしい)が冒頭の銀行襲撃時の支店長役で出ていた。この人、どこかで見た顔だと思ったら、「リベリオン」にも「ウルトラヴァイオレット」にも結構重要な役で出演している。ちょっと調べたら「ヒート」にも出ているという。意外と、映画館で観た好きな映画に出ていたという事だ。

 ゆったりと映画を見ると、見落としていた発見があるし、色々と考えられるものだ。


2009年01月11日(日) 平和である

 本を読んだり、ネット見たりダラダラ過ごす。

 警視庁のホームページを見たら、『警察相談専用電話「#9110」って、知っていますか?』と載っていた。
 なんでも緊急度の高いものは「110」、緊急殿低いものは「#9110」なのだそうだ。後者は警視庁総合相談センターの管轄らしいが、はて、いつからそんなシステムになったのだろう。そもそもそんな告知など見た事も聞いた事もない。しかも受け付ける時間制限もあるようで、平日の08:30〜17:15だという。これでは一般的な人間にとって何の役にも立たないのは明白だ。結局何かあれば「110」にかけるしかないと思うのは、はたして私だけだろうか。
 いつもいつも思う事だが、どうも警察という組織はこういう広報がヘタだ。根本的な部分で、一般に知らせようと言う意欲が完全に欠落しているのだ。例のダガーナイフに関する法令変更も、広報を見る限りでは、どうも内容が良く判らない。一般のナイフも同じ扱いになっているようにも違うようにも読める。
 マニュアル作りの失敗例に良くある「作った人間は理解しているが、その当人が作ったマニュアルを他人が読むと理解できない内容になる」というパターンそのままだ。

 ところで。
 マイミクのJ.Rさんが、日記で0011ナポレオン・ソロの話題から、アンクル・スペシャルの話を出していた。
 実はマルゼンが、エア・ガンとはいえP38のアンクル・スペシャルを出したのである。しかも後々スコープやストックも出す予定だと言うから驚くし、今時、ここまで若者を置き去りにした企画も珍しいと思う。
 しかし我々の世代はMGCのアンクル・スペシャルに慣れているので、マルゼンのP38のグリップ感は、それがどんなに正しいサイズであっても違うのである。これはもう小学校の頃のなすりこまれた記憶だから仕方がない。だがこのご時世にアンクル・スペシャルを出してしまうする然の勇気は賞賛に値する。今は変えないが、フル・セットが出た日にはかなり気持ちが揺らぐ事だろう。
 ついでに、ナポレオン・ソロのソフトを出して、欠損部分の吹替えを矢島正明氏に頼むなら、そろそろタイム・リミットだろう。野沢那智氏はまだ良いが、矢島氏はいつ声が出なくなっても不思議ではないのだから。ちなみに一昨年の「クレイモア」で司祭の役でゲスト出演した限りでは、まだいける。もちろん全盛期の声ではないが、まだなんとかカヴァーできる範囲だろう。ナポレオン・ソロのDVD化は急いで欲しいものだ。

 モデルガンついでに。
 コクサイのABSは結局原材料の比率を変え、表面をキレイにする方向を選んだようだ。そしてこれは正解だろう。少しポリッシュする事で、金属との違和感がなくなっているのだ。これは今後の再生産製品に期待できる。この表面なら、遊んでも良いし、飾っていても良い。もちろんモデルガンだから、火薬で撃って遊べる事が大前提であり、そういう意味でもこの成分比率は良い結果を出している。
 コクサイもまだまだ捨てたものではない。

 不況の時代こそ、それまでの下積みの研究成果が現れるのだ。今活発な企業は、これまで色々と資金活用を下積みに図って来た結果であり、突然降って沸いたような企画などないのである。
 それが全然判っていない経営者、社会人が多いから、頑張れば景気は上向くなどという妄想ばかりを口にするのだ。


2009年01月10日(土) 「Ultraviolet code 044」の欠点

 どんぐり2号が東京へ行くので、早くから出かけた。

 送り出した後、なんとなく起きてしまいyoutubeで「Ultraviolet code 044」の後半部分を見てしまう。
 実はyoutubeに載ってすぐ第一話を見たのだが、出崎演出と脚本が異様に古臭く感じられて、とても見ていられず、そのまま放っておいたのだ。
 今回後半を見て改めて思ったのだが、間違いなく演出が古い(「スペース・コブラ」の頃と何も変わっていない)。これでは映画のウルトラヴァイオレットの世界観すら破壊してしまっている。しかも脚本がその場しのぎで、辻褄が合わないご都合主義になっている。週に一回見ていればともかく、続けてみると「???」となってしまうのだ。最終回に至っては、足が動かず寝込んでいる44がいきなり走り出すが、その説明もないし、あまりに不合理だ。
 その上内容は完全に任侠の世界で、多分滅びの美学を描きたかったのだろうが、完全に失敗している。また叫ぶキャラクターが多く非常にうるさい。まだ「ウルトラヴァイオレット」の名前がなければ、それなりに見られたのかもしれないが、これではダメだ。いくらラストに映画版のヴァイオレットが出てきても意味は全くないし、いろいろと科学的にもおかしすぎる。

 それでもここまでなら出崎監督のアニメだと割り切れば見られない事もないのかもしれないが、最悪なのは、製作側がGUN-KATAを全く理解していない事だ。
 確かに映画版の「ウルトラヴァイオレット」で、正式にはGUN-KATAと言うものは使われない。だが映画を観れば判るとおり、別解釈のGUN-KATAが使われている。つまりGUN-KATAを進化させるために、守りの理屈付けを強化したのである。これにより、攻守揃ったGUN-KATAの理屈付けが大体まとまった事になる。
 GUN-KATAとはカート・ウイマー監督が作り上げた、本当に独自のアクションなのだから、「リベリオン」に続いて「ウルトラヴァイオレット」でも使われ進化するのは当然と言えば当然だろう。いずれカート・ウイマー監督には「GUN-KATA」というそれを主題にした映画を作ってもらいたいものだ。

 とにかく「Ultraviolet code 044」の最大の欠点は、誰もGUN-KATAを理解しておらず、そのシーンがまったくないという事に尽きる。これは小説版と全く同じ欠点だ。なにせ小説版ではただのカンフー扱いなのである。やはりGUN-KATAというアクションは、今までのアクションにはない全く独自のものなので、きちんと理解できた人間はそう多くはないらしく、おそらく一般的メディアでは「荒唐無稽」の一言で片付けられ、真面目に考えた人間は少ないのだろう。
 こうして考えれば判るとおり、結局はアニメにした意味が全くないのである。少なくとも今の出崎に監督を依頼した奴は、アホウ以外の何者でもない。これは出崎監督の責任よりは、企画者の責任の方が大きいだろう。実にもったいない。

 でもここまでやったのだから、サントラは出して欲しい。アニメでは一部で映画の音楽が使われているのだが、「ウルトラヴァイオレット」の正規版はもとより海賊版すら出ていないのだ。「リベリオン」は海賊版のみが出ているが、やはり正規版が欲しいではないか。


2009年01月09日(金) 連休前だ

 自民党の渡辺喜美・元行政改革相の造反は、小泉が首相時代行ってきた事を過小評価している。本人はおそらく、二世議員だからと簡単に考えているのかもしれないが、小泉首相時代に自民党は根本部分を破壊されているのだ。それが判らないから、今回のような展望のない、有体に言って訳の判らない造反劇を起こしてしまうのだろう。これでは政治生命も長くはないのではないか。
 もっとも今の首相が麻生だから、と軽く考えているのかもしれない。小泉時代だったらあっという間に表舞台から消されていたところだが、麻生と言う人は、時代が変わりつつあるのが判っていない古いタイプの政治家だ。だから旧体制が破壊された自民党内で意見をまとめる事ができないのである。
 別に漫画が好きだからというのではなく、政治家としては最後の旧タイプなので、結果として今の自民党を引っ張る事ができないのだ。
 実は小泉というのはとんでもないやり手だったのだが、構造改革はまだ途中だったので、それを継いだ首相は皆失敗しているのである。
 能力的に無理だという事だ。

 ところで今日は会社で取引しているメインバンクの新年会だった。
 別に参加したくもないし、出ても無駄なのだが、本来行くべき人たちがいけなくなったので代わりに参加した訳である。もっとも結果としては、銀行の人と色々話せてあっという間に時間が立ってしまったから、これはこれで良かったのだろう。
 ただ、一緒に行った少し若い奴は、自分の経験地の範囲内でしか話をしないし、理解もできないので、銀行の人が話した内容を理解出来ていないようだ。若いといってももう40近いのだから、これは致命的だ。世間の情報をかなり舐めているとしか思えない。だからこの支店はダメなのだ。ただただ呆れるばかりである。

 そんな今日、なんと人間椅子のベスト盤が出たと言う情報を得る。しかも3月6日に仙台MACANAでライヴをやる予定らしい。
 これは是非行きたいのだが、金曜日である。高城高の講演会の時のように、また休むしかないのだろうか。いずれ人間椅子は津軽出身で、イカ天から出たグループとしては唯一生き残っている、マトモなグループだ。ちなみに彼らの「人間失格」は結構お気に入りのアルバムだったりする。


2009年01月08日(木) ずっとデフレ

 最近のニュースで「モノの値段が下がり始め、デフレが再びやってくる」という感じの表現を見る。
 だがこれは間違いで、ずっとデフレは続いていたのである。価格が上がったからと言ってそれがすぐデフレになったと言うのは間違いであり、一時的であっても世界情勢はインフレになっておらず、つねにデフレ状態だったのである。そもそも原油の高騰はただ単に投機市場が動いた結果であり、それが証拠にインフレになる経済的要因は皆無である。投機市場が動けばものの値段も上下するが、それはあくまで一時的な上下動であり、それが固定化される動きは全くなかったし、今でも同じだ。

 もう世界的な規模でデフレ・スパイラルから抜け出す事は不可能だろう。もしあったように見えたとすれば、それはバブルに他ならない。ただしバブルはうまく立ち回れば大もうけできるのだが、いずれはじける事が判っているので、それで長期計画を立てる事は非常に危険なのである。
 少なくとも日本の経済は、他の国より銀行が安定している。小泉政権時代の強権的不良債権処理がかなりうまく機能したからだ。したがって今後、多少景気が上向く事はあるかもしれないが、いずれ世界中の経済がデフレなのだから、一気に景気が上昇する事はありえない。
 繰り返すが、それが起こればバブルでしかないし、原油価格は投機の動きでしかない。何かのニュースで見た「原油をはじめとした原材料価格がインフレ基調の先導役だった」という考えは明らかな間違いなのである。

 ところで。
 会社に「松川だるまが手に入らないか」という問い合わせが来た。うちの業態を考えれば、筋違いも甚だしいものなのだが、とりあえず断るにも状況を知らないといけないと騒ぐので、ちょっと調べてみた。
 なんでも正月に「秘密のケンミンSHOW」とかいう番組で紹介され、それを見た愚かな視聴者からの問い合わせが殺到したのだが、元々作っている数が少ないので入手が困難な状態になっているという事だ。なんだかこういうマスコミに踊らされるのは、本当にバカバカしいと思う。
 そもそもこのだるま、旧仙台と言う狭いエリアでしか売られていない物で、元は仙台張子と言うものらしいが、いずにせよこんなだるまはマイナーもマイナー、知っている方が不思議と言うレヴェルだろう。
 こういうのは、マスコミの紹介で爆発的に売れたりするが、ブームの去るのも早いし、買った人のほとんどはゴミとして捨ててしまうのではないだろうか。


2009年01月07日(水) 「ナチスと映画」

 まだまだ休みの会社も多いので、営業はヒマそうにしている奴も多い。

 そんな日の夜、中公新書の「ナチスと映画」(飯田道子)を読み始めた。映画に関する事ばかりではなく、ナチスの発展の歴史を客観的に書いており、これが意外と面白い。
 最近はこういった、ナチスの行った事を単なる独裁政権の残虐行為だとするのではなく、それに至った過程、国情、世界情勢あるいは人間の心理などから突き詰めていく書物や映画が増えた。やはりこういうものは客観的描写で追及する方が良い。あまり感情が入りすぎると、真実が見えてこなくなる恐れがあるからだ。
 そもそもナチスの残虐行為にしても、近年の日本でオウム真理教(現アレフ)が行ってきた行為と考え方においては何も変わらない。何かを求める時の人間の群集心理は、今も昔も全く変わらないという事なのだ。
 それは現在の日本で、不景気と言う言葉に踊らされている民衆とも変わらない。元々ナチスが人心を掌握できたのは、絶望的なほどの大不況から、経済対策が驚異的なまでに成功したからだ。ナチスが政権を把握した当初は、別に独裁政治を行ったのではなく、経済対策により民衆の絶大なる支持を得たからに他ならない。もちろんヒトラーやゲッベルスのように宣伝に対する天才的手腕を発揮できた人間がいたというのは大きいが、元々はどこの国にでもあるように、一つの政党が民衆の絶大な支持を得る事に成功したと言う、ただそれだけの事なのである。
 そういう群集心理が判らないと、オウムを初めとするカルト集団、あるいは暴力団における服従は理解できない。少なくとも事件になった時の責任の所在は、当事者ではなくその組織にあるという事が理解できなくなる。

 もっともそんな事は現在の日本人なら普通に考える事だが、この本が面白いのは、やはり映画に関しての内容だ。
 当時のナチスは、政治のプロパガンダとしての映画という使い方を発展させ、実際にそういう使い方をメインにしていたのは確かだが、それとは別に娯楽としての映画も重視していたのだと言う。
 彼らはプロパガンダとして押し付ける映画だけでは、民衆の支持は得られなくなると、当初から看破していたのである。それが戦争末期にもなると、初心の大切な事項をすっかり忘れてしまった訳だが、少なくとも戦争初期までは、非常に冷静な人心掌握術が行われており、民衆の娯楽と言う物も重要視していた訳である。
 だからナチスは政党として支持を維持し続ける事ができた訳で、これは現在の普通の政党とやっている事は何ら変わらない。実はそれが一番恐ろしいのであって、世界中のどんな政党であっても、独裁政治に走る事は可能だと言う事を証明しているのである。
 それが判っているからアメリカと言う国は独裁政権を非常に恐れ、少なくとも自国では絶対に独裁政権が機能しないように様々な仕組みを作っている。この部分はもっと日本も見習っても良いだろう。人間とは、簡単に堕落する生き物なのだから。

 いずれナチスというのは、ある種天才の集まりだったのは間違いない。当初はそれがかなりまともに機能していて、ドイツを立て直そうと言う姿勢は本物であり、それはヒトラーが一番重視していた事項だ。それがどんどんおかしな方向に向かう過程は、実は異常ではなく、どこの国のどんな権力者でも陥る可能性がある普遍的な事柄なのである。
 ゆえにナチスをまともに勉強しておく必要があるのだ。


2009年01月06日(火) 年賀状の整理

 今年の年賀状は、結局2通が宛先不明で帰ってきた。
 一通はさぐわさん、何を間違ったかなぁ…。そしてもう一通は先日電話で話をしていた荒。おかしい…。やはり住所は何らかの方法でチェックしていないといけないようだ。来年の年賀状はもう少し住所録を整備しておかないといけないなぁ。

 その過程で、そろそろ会社関係は切っていくつもりだ。友人なら何年も会えなくても年賀状を送る意味や楽しさがあるが、会社関係にはそんなものはない。そもそも仕事だけのつながりなど、会社から離れてしまえば何の意味もなくなると考えている人間が圧倒的なのである。つまり私が会社を去ればそれっきりになるだろう。
 だから会社でのつながりで楽しいと思える人は、趣味の一部がクロスしたり考え方が似たりという、仕事以外の部分でのつながりがあるからこそ楽しいという人ばかりである。
 そういう意味でも仕事だけのつながりなど何の役にも立たないし、そもそも楽しみがない。あとは基本的に義理だけなのだ。

 等と書きながら、ナイトウイッシュの「ワンス」を毎日聞いている。やはりこのアルバムは良くできている。ただしアルバムとして傑作かというとそれには首を傾げてしまうが、楽しめるアルバムなのは間違いない。少なくともオープニングを飾る曲だけをみれば、傑作だ。
 要は彼らの場合、楽しめるアルバムというところが重要なのである。


2009年01月05日(月) 今日から粗仕事

 今日から会社なのだが、どうも皆ヒマそうにしている。おかしい。
 だからという訳で、夕方から新年会である。でもこれは準備が手間だし、別に面白いものでもない。はっきり言ってしまえば、皆タダ酒が飲めるから参加しているという感じに見える。つまり本当に飲み会以外の何物でもない。話す内容も、仕事がメインなのだが、かといって参考になるほど深い経験値を持っている人間はいない。傍で聞いていると呆れるような話を、得々とかつ延々と話しているだけだ。
 そして趣味の話と言えば競馬、パチンコであり、あとはプロ野球かJリーグがいいところである。
 所詮はマイナスイオンを信じ、血液型性格判断を絶対視しているような連中が多いので、どちらかといえば時間の無駄であるとしか思えない。つまり自分にとって、仕事でも趣味でもとにかくどんな事でもいいが、有益だと思える話が皆無なのである。

 ところで。
 坂本哲志総務政務官が、日比谷に開設されていた「年越し派遣村」について、「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという疑問がした」と述べたそうである。例によって、こういう立場の人は思っていても口にするべきではない内容で、どうしてこういう連中は基本的に頭が悪いのだろうと思ってしまう。
 だがそれとは別に、この「年越し派遣村」の主旨が「仕事と住まいを失った派遣労働者らを支援するため」という部分に引っかかる。なぜならあまりに付け焼刃であり、その先に何を行おうとしているのかが全く見えないからだ。つまり長期的視野が完璧に欠落しているとしか思えないのである。選挙対策の票稼ぎというものがあるが、そういうレヴェルの内容でしかないように感じてしまうのだ。
 だからこの施策の後に何が控えているのか、結局どう繋げてどういう形にしたかったのか、私はそこを詳しく知りたいのだが、マスコミはそういう重要な部分は全く報道しない。

 そもそもどのマスコミも与党が嫌いだから、正確に報道する気など最初からないのだろうし、また本当に長期的視野がないのかもしれない。まあどっちもどっちという状況なのだろう。


2009年01月04日(日) 休みの最後

 今日で休みも終わりである。あっという間だった。という訳で何となくダラダラ過ごした一日である。
 ちょっと近くの模型屋にGUN誌のDVDを探しに行ったが、残念ながら空振りに終わる。こうなると、あとはノダヤしかないが、あそこも売り切れるのが早いから難しそうだ。
 戻ってからはネットを徘徊したり、CDを聞いたりDVDを見たり…。年末にかけて急にソフトが溜まったので、早いところ片付けていかないといけないのだ。

 ちなみに「ダークナイト」のメイキングはそこそこ面白かった。やはりクリストファー・ノーランという人はマニアックな監督である。
 なんだか押井監督と非常に似た人なのではないかと思ってしまう。ただし押井監督との違いは、表面上は世界に通用するエンターテナー作品に仕立て上げているところだろう。これは日本とアメリカにおける映画産業の違いだから仕方がないが、それでもクリストファー・ノーランという人の才能は半端ではないと判る。ここ10年のハリウッドにおいて、トップ・レヴェルの監督なのは間違いない。
 ピーター・ジャクソンも優秀なフィルム・メーカーだが、彼はどちらかというとマニアックなジャンルの人だ。ここが恐らくノーラン監督とは決定的に違っていると思う。

 ところで今月のGUN誌は、結局買ってしまった。サウンド・サプレッサーの記事はゆっくりと読んでおきたかったのである。
 やはりサウンド・サプレッサーも時代の変化というか要望によって進化しているし、材質の進化により改良されているのだが、実はこれほど人を殺す事に特化した製品というのも、当然ではあるが、他にはない。通常の銃やナイフは他の使用方法があるし、核兵器ですら使わない事で抑止力とする事も可能だが、サウンド・サプレッサーは純粋に人を静かに殺すためだけに存在して、それ以外の使用方法が、抑止効果すらない限定製品だ。だからアメリカでも所持は厳しく制限されている。
 それでもそんな製品のニュー・モデルの概要が、極東の島国で発行されている月刊誌で読めるのである。これはオープンに取材した結果であり、独自の調査ではない。もちろん概要が判ったからといっても肝心の部分は隠しているし同等の材料を入手できないので、読んだ業者が高性能のサウンド・サプレッサーが作れる訳ではないからこそ、取材が許可されている訳だが、そういう部分がいかにもアメリカンな考え方だと思ってしまうのだった。


2009年01月03日(土) 仙台一周

 昼に竜男さん、チャウチャウと会う。
 チャウチャウたっての希望で、623ちゃんや絵利他さんたち女性陣が行った「オルト・アンド・ケー」に行く。ランチ・ビュッフェという形式で90分1,500円というのだが、まあ内容は価格相応というところだ。例のチョコレート・フォンデュというかチョコレートかけのチョコレートは、流れが異様に速く3人とも驚いてしまった。
 それでもこの内容ならこの価格は高くないだろう。また何かで利用したいところだ。

 そこを出てApple Storeに寄り、iPhone等を見る。何かと評判の悪いiPhoneだが、そう悪いものでもなさそうだ。5月に携帯を買い換えるかどうかだが、その時の選択肢に入れても良いだろう。これと昨日入手したBOSEのイアホンをセットで使えば、結構楽しめそうである。
 もっともあの画面操作は、慣れるのが大変そうな気がするのも確かだが。

 Apple Storeを出て歩いていたら、いきなりパンダに声をかけられる。なんと天下一ラーメンの宣伝をしているこむらさきの千田さんだった。社長自ら着ぐるみで宣伝をしていたので、かなり驚く。向こうはチャウチャウにすぐ気がついたそうである。
 ちょっとコーヒーでも、というので近くの店に入ったが、当然のように千田さんはその格好のままである。もちろん周囲の人たちは笑っていた。それでも30分くらいは話しただろうか。変なパンダの格好をしていたが、話す内容は経営に関する真面目な話で、なかなか楽しかった。
 ちなみに後で知ったが、別れるところを絵利他さんに見られていたらしい。

 その後、長町のモールに行き、さらに泉のアウトレットまで行く。
 モールはもう何年も行っていなかったが、こんなに大きくなっていたとは知らなかった。客が集まる訳だ。ただ紀伊国屋以外に行くところがなさそうなのは、昔と同じだが…。
 アウトレットは意外と面白そうな店もあるから、そのうちゆっくり来てみたい。こういうショッピング・モールは人が多すぎると結局何も見られないのだ。駐車場も混むだろうから、やはりちょっと遊びに、という感じでもなさそうだ。
 ここで竜男さんは私が買ったBOSEのイアホンをチェックし、結局買ってしまう。またチャウチャウはサムソナイトのカバンが安かったので、買ってしまった。やはりキケンなエリアか?
 こうして閉店の20時までいたのだった。

 そして向かいのキャスロンへ移動して夕食。カレーは思ったより辛口だった。
 ここで閉店の22時までいたが、色々と面白い話ができた。某評論家の内容も、結構正確だったという後付けだが証拠も得られたりしたし、竜男さんには去年見た映画やアニメで、これはというものを勧めておいた。
 結局閉店の22時までいた訳だが、本当にあっという間だった。

 なんだかんだとあちこち見ながらもダベリングし続けた訳で、実に充実していた。ただ、あまりにあちこち動き回ったので、まっちゃんに連絡する機会を逸してしまった。それだけが心残りである。


2009年01月02日(金) 小さなBOSE

 駅前まで出る。さすがに初売りなので、混んでいる。
 まずは本屋で立読み。某GUN誌でのサウンド・サプレッサーの記事が面白かった。やはりこの分野での進歩も素晴らしいものがある。私の知識など古すぎて使えないし、ちょっと前には想像もできないくらいだろう。特に新素材プラスチックの性能がここまで来ていたとは、本当に知らなかった。やはり立読みはするものだ。

 本屋を覗いた後であちこち見ていたら、DVDソフト3枚で25%オフというのがあったので、以前から買うつもりでいた「コンドル」「プロデューサーズ」「ダークナイト」を買った。実に見事なバラバラ・セレクションである。本当は一番欲しかった「テルマ&ルイーズ」が売り切れていたのが悲しい…。

 ところで今日は、T寺氏の協力で、OUTLETのBOSE専門店から、in-ear headphonesを8,000円で入手できた。もちろん初売り商品で、元が結構な価格なので、これは嬉しい。まあ実体は、この定価15,540円の製品が、改良版として新価格12,600円になるので、在庫処分であろう。もっともそれでも私には充分お買い得だ。

 夜になってT寺家へ引き取りに行く途中、チュウジさんに貸していた「ホット・ファズ」を引き取り、その足で持って行きそのまま貸したのだった。広げよう「ホット・ファズ」の輪!
 T寺家へ着くと彼の母親がおり、久々だと思ったが、ほぼ30年ぶりくらいなるので、本当に久々だ。まだまだ元気そうでなによりだ。ちょっと皆と話をして、お茶を飲んで引き上げた。

 帰宅後、早速携帯に接続して音楽を聞いてみたところ、このサイズからは信じられない冗談のような重低音で、しかも比較的上品な音だし分解能も当然のように高い。さすがに価格だけの事はある。判ってはいるが、やはりこの手の商品は性能と価格が見事なまでに正比例しているのだ。

 もちろん普通のヘッドフォンと比べたら、どうしてもサイズや形状から無理に音を引き出している分で音質が劣るのは間違いないが、サイズを考えたらこれは充分以上だ。ただし、もうこれより安い物は使えないという事でもあるのだが…。
 つまり今まで使っていた携帯用のインナータイプのイヤホンは、もう絶対に使えないという事だ。ふう…。


2009年01月01日(木) あけました

 2009年が始まったのだった。
 朝に揃って実家へ年始の挨拶。予想通り地面が凍っており、歩くとバリバリうるさい。

 昨夜、T寺家よりお誘いのメールが来ていたので、午後訪問する。今年は安比ではなくこちらで過ごすそうだ。
 急遽、どんぐり2号がお茶用にロール・ケーキを作る。さすがである。ついでなので、海底軍艦と電動走行メーサー車を持っていく。文字通り、めでたい奴である。まあこういう物も持っている人はあまり多くないようだし、見たいという人には見せるべきであろう。
 道路は空いていた。さすがは元日。これが明日の初売りになると、大渋滞になるのだから恐ろしい。

 着いて早速海底軍艦などを見せたが、はたして子供達はどう思っていたのだろうか。
 例えばガンダムなんかだと、知らなくてもガンダムっぽいと感じるだろうが、海底軍艦とメーサー車である。知らなければ「何これ?」の世界だろう。実際のところ彼らにとっては全然知らないメカである。 
 まあ呆れる部分の方が多いかもしれない。

 しかし子供達がそろってパソコンの画面を見ながら笑っている姿を見ていると、何故か小学生のように見えてしまう。3人とも高校生なのだが、やはり文字通り赤ちゃんの時から見ているからそう感じてしまうのだろうか。まあ微笑ましいからいいか。

 予定では夕方帰るはずだったが、何となく夕御飯まで食べてしまい、結局帰宅は10時になった。いつもと同じになってしまったなぁ。

 帰宅後ニュースを見ていたら、八戸で断水騒ぎがあり、9万世帯に影響が出ているという。原因は地下8メートルにある道水管の老朽化によるとの事だが、三陸はるか沖地震の時も正月に断水したのだった。嫌な時期に断水するものだ。
 というか、三陸はるか沖地震の時に破断した管を復旧する際、当時の法律では現状復帰でなければ国からの援助金が出なかったからこういう事になるのだ。財源の乏しい地方では老朽化して設備が多いし、東北地方は特に地震が多い地区なのだから、耐震管に変えるようにするべきだったのであり、実際阪神の時にはあまりの惨状にこの法律は改正されたのだ。地震がないと住人が信じているほど地震が少ない地区なのに、である。
 やはり国のやる事は、常にどこか抜けている。


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