どんぐり1号のときどき日記
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2008年08月31日(日) 雨の日曜日

 CD-Rに何曲かいれて車用にと思ったのだが、どうもうまくいかない。
 結局この手のライティング・ソフトというものは、アルバム丸ごとなら簡単だが、セレクトするととたんに面倒になるという事か。テスト用に少なくやったら何故か成功したので、とりあえず今日はこれで我慢する事にした。
 ただ、最近の高密度で録音されている曲は、CD-Rに落とすとかなり音質の低下が見られるようだ。以前はこんなに変わらなかったのだが…。ちなみに自分の持っているCDで急に密度が変わったと感じたのは「イノセンス」のサントラだった。このアルバムの密度は凄まじいものがあると当時感じたものである。

 午後になって、子どんぐりが行ってみたいというのでTamTamへ連れて行く。
 ここはノダヤのようなマニア対象の店ではなく、ひたすら小売店に徹しているという感じの店だ。だから価格も市内の店では一番安いのではないだろうか。リボルテック・シリーズはノダヤより明らかに安いし、輸入品になるとかなり差がついている(宇宙家族ロビンソンのチャリオットを買おうか悩んでしまう)。
 ただしモデルガンはさすがにほとんどないし、手軽に見せてくれる感じでもない。この辺はノダヤのようにマニア相手と小売店のようなガキ相手の違いだろう。
 確かに私でもガキ相手にモデルガンだのエアガンは簡単に触らせてたいとは思わない。壊すとかいう以前に危険なのだ。スライドで目など潰された日には、店が潰れてしまう。もちろんガキだけではなく、ドシロートの大人とて同じだ。
 そういう意味では、行くと気軽に試射させてくれるノダヤという存在自体が貴重なのかもしれない。ここはモデルガンも普通に置いてあるし。

 ところで「ウルトラヴァイオレット:044」の一話をyoutubeで見つけたのだが、やはりいかにも出崎監督の演出だった。一言で言えば、残念だが古いのである。いや、古過ぎるのだ。そして新しい試みが何もない。何もかもがどこかで見たような映像であり、演出である。「コプラ」の頃(彼のは「スペース・コブラ」だったか)と何も変わっていないのである。これは非常に残念だ。
 映像に関わるものなら、何らかの新しい試みが必要だろうし、それがないとしても徐々に進歩していなければ困る。職人芸の世界ではないのだ。
 ただ、音楽に映画のサントラ(オリジナルかどうかは良く判らなかった)が使われていたので、これが世に出る事を期待する。少なくとも映画版のオープニングがサントラに入ってくれれば、私は買う。

 ちなみに044の声は、「クレイモア」のテレサと同じ人だった。境遇が似たキャラだから、イメージがダブってしまうなぁ。


2008年08月30日(土) またも散財

 午前中は例によっての粗仕事。
 途中で携帯に2件電話が入る。一件は実家の雨漏りで、こちらは会社経由で修理を依頼する。トタン屋根なので古い部分と新しい部分の境目から雨が入っているらしいのだが、そういうのも含めてきちんと作るのがプロではないのか? まあ仕事柄、現在の住宅関係は短期間で壊れてくれないと金が稼げないのは判っているから、本当の意味でのプロは存在しないのも充分理解はしている。結局日本というのは金がないと成長しない社会だし、そもそも金のない個人は最終的には暮らしていけなくなるのだ。

 もう一件は、突然CDをまったく受け付けなくなったカーオーディオの修理見積もりを頼んでいた件での回答だったのだが、なんと37,000円というふざけた価格である。あれだけ調子が悪くて修理を依頼しても原因不明と言われ続け、挙句にこれである。もちろん修理などせず廃棄させる。安い新品を装備すると決めたのだ。
 という訳で夕方になってからイエローハットへ行き、パイオニアの20,000円強の機械を買いセットしてもらう。とりあえずはこれで充分だ。そもそも今の車があと10年も持つ訳がないのだし。
 しかしスパルは車両自体の性能に不満は全くなく、内装系の弱さも気にならないのだが、こうした電装品が不調になるのは困る。大概が原因不明で片付けられるからだ。
 なおここで、スバルのオプションにあるマッキントッシュは簡単に外せないという話を聞いた。特殊な音響設計や交換するスペースの問題で、外すのも簡単ではないのだと言う。この辺は昔からスバル特有の工具が必要と言うパーツがあったから頷ける。
 壊れたら修理するしかないオーディオというのも困りものだが、いずれ高くて買えない製品だから私には関係ないのだが。

 そしてカー・オーディオのコーナーを見ながら店員と話をしていて、やはり時代は完全に変わってしまっていたのだと感じた。
 もちろん今更カセットがあるとは思っていなかったが、なんとiPod専用に作られた機種が普通に売られているのだ。またCD-Rはもとより、PCや携帯のあらゆる音楽形式に対応している機種も多い。いずれPC等のデジタル対応が普通になっていたのである。

 ちなみに自分が今まで使っていた物はCD6連装の機械だったのだが、最近はディスク・チェンジャー・タイプは、少なくとも廉価版では全くないのだという。理由は単純で、チェンジャーではトラブルがあると傷がついたり取り出せなくなるが、CDをレンタルで済ます人が多いので、そういうトラブルでの苦情を防ぐためらしい。確かに傷が付く事はあるが、だからCD-Rを作るのではないか。ちょっとメーカーも考え方がおかしくなっているようだが、それ以上に使う方の人間にもメカというものの常識がないという事なのだろう。

 いずれ今月もとんでもなくお金が飛んでいってしまったなぁ。


2008年08月29日(金) かみなり

 今日は会社の関係部署による歓送迎会である。
 ただ単に人の移動なのだが、とにかく皆酒が好きだから宴会になってしまう。形だけとはいえ歓送迎会という名目なので理由もなく休む訳にもいかない。月末なのにな。
 宴会自体はいつものように淡々と進む。こういう酒だけがメインの宴会は好きではないので、やはり疲れる。自分の感覚での話をしても、誰もついてこられないからだ。つまり考え方を誰も理解できないのである。だからついつい本音が出てしまう危険を避けるため、私はこの職場ではあまり話をしないようにしている。

 宴会が終了した21時30分頃から雷が断続的に鳴り始め、家に着いたあたりからこれが連続になり1時間ほど途切れず鳴り続けていた。結構近くだし、瞬間的に電圧が落ちたりするので、電気製品は当然全てオフ、PCの利用などもってのほかである。近くに落ちたら一気に壊れてしまいそうな勢いだった。

 しかしこれだけ連続して鳴り続ける雷というのも、嵐の海や山を経験しているのに、本当に珍しい。しかも町中でこれだけ鳴り続けるなど、前代未聞だろう。これはもう「F4がアフターバーナーを点火しながら飛び続けている」ような感じだ(いや、これは比喩でも何でもなく、実際に離れた所で聞くF4の音は雷なのである。1時間もアフターバーナーを利用するのは無理だが)。
 思わず途中まで読んでいた「ハペリオン」の炎精林のシーンに戻って読み直したが、内容にぴったりで実に臨場感溢れる読書になってしまった。ほとんど本気で怖くなってしまうほどにこのシーンにぴったりなのである。満足、満足。
 と、非日常である雷を楽しんでしまったのだった。

 0時を過ぎて雷が治まったと思い、ちょっとネットに接続したら、なんと「伊武雅刀/伊武のすべて」なる2枚組みCDが9/17に発売予定との情報が目に入った。これはスネークマン・ショーの一件もあるし予約しておいた方がよさそうだ。
 と思っていたらまた雷が鳴り始めたので、またもやPCの電源を切る。忙しい事である。


2008年08月28日(木) EOS50D発表

 いわさきさんからサンマが届く。相変わらず新鮮である事だよなぁ。
 こうしてみると、仙台という所は新鮮な魚が安く手に入る環境ではない。これについては八戸の方がまだマシだったと言える。これは仙台が、東北というエリアにおいてはあまりに中途半端なサイズの都市になったせいだ。

 そんな今日、様々なメディアのニュースで、キャノンのEOSシリーズ最新ヴァージョンが来月下旬に出るとの公式発表があった。
 今回は「EOS50D」で、もちろん40Dの後継機だ。40Dをどう越えるのか非常に楽しみでもあるのだが、実際問題として40Dというのは、この価格帯においてはほぼ完成体に近い。それを同じ価格で越えるのはかなり難しいのではないだろうか。

 そして同時に発売されて、セットにも組み込まれるレンズ「EF–S18–200mm F3.5–5.6 IS」にも興味がわく。
 トータルとしては確かに安くはないが、カメラとレンズというものは自分が納得できなければ写真を撮るという気分になりにくい。もちろんどんなカメラで撮ってもそれなりの写真にはなるが、モチベーションをキープできるかどうか、そして被写体に熱中できるかどうかは、自分の選んだカメラ次第なのである。
 だから当然ケータイのカメラなど使う気にもならないし、そのへんのコンパクト・デジカメも同じだ。こんな粗末な液晶画面を見ながらでは、カメラ本体を固定できないし、そもそも被写体が掴めない。
 いずれ買うなら一眼レフ・タイプでなければ、私は納得できない。弘法は筆を選ばないというが、ある一定のレヴェル以上のセンスとテクニックを持っていれば、良い物を使った方が作品の質は間違いなく上がる。それは事実だ。

 自分が今まで使った感じでは、使い勝手に関してはキャノンが一番だと思っている。実際問題としてマン・インターフェイスや人間工学をきちんと考えて設計していたのは、当初はキャノンだけだったのだ。だから私はキャノンを使い続ける。
 もちろん使いたいレンズがあれば他機種の利用も考えるが、少なくともメイン機種はキャノンであり続けるだろう。


2008年08月27日(水) 「家」はゲット

 という訳で、今日町に出たどんぐり2号に頼んでいた「家」のCDは、なんとかゲットできた。ラッキー。

 このアルバムは1976年の作品だが、やはり山下も筒井もノリにノッていた時期であり、かなり面白いアルバムになっている。どこかで聞いた事のあるフレーズも多いが、楽しめるアルバムなのは間違いはない。マイク・オールドフィールドのフレーズには笑ってしまうが…。

 こうなるとLPでは持っている「文明」(こちらは1978年のアルバムだ)も、CDで買っておいた方が良いのかもしれない。今のところネット上で見る限りまだ在庫があるようだし、いずれこのアルバムも名作なのだ。当時、本当に楽しんで聞いたものである。
 そういえば小松左京の「宇宙に逝く」もLPでは持っているが、CDにはなっていないのだろうか。いかにも小松の短編であり、当時は死ぬほど聞いたものである。日下武史の声は少し軽めの演技になっているのが物足りない感じもするが、やはり上手いのだ。
 ちなみにほぼ同じ時期にこの人はパブロンか何かのかぜ薬のテレビCMに出ていたが、顔がパーカーにそっくりだった。もちろんサンダーバードの、である。そんな事も思い出してしまった。

 それはともかく、この「家」はパルコのタワー・レコードに2枚残っていたという状況だったので、いずれなくなるのは目に見えている。
 だがそれより驚いたのは、フォーラスのタワー・レコードがパルコに移動したという形になってしまった事だ。フォーラスには新たにパラダイス・レコードが入ったと言うから、これはこれで良いけれど、やはりHMVとタワー・レコードがほとんど隣同士という状況は、私のような人種にはかなり便利なのである。
 もっとも一般人には何のメリットもないかもしれないのは良く判っている。だからパルコ側へ移動したのだろうから。

 なんだかパルコの登場とともに、仙台のファッション系の店は激動の時代になったのかもしれない。もちろん私には何の関係もないが。


2008年08月26日(火) 「家」はどうなる

 KCからメールが来てDVDを返してもらう。わざわざ夕方に会社へ寄ってくれたのだが、実は「ブラックラグーン」をいわさきさんへ貸す予定だったので、ちょっと催促したのだった。すまぬ。
 その代わりという訳でもないが、「クレイモア」と実相時の「シルバー假面」を貸す。
 この辺はどういう感想になるか、ちょっと楽しみでもある。特に「シルバー假面」はかなり変な作品だし、破綻しかけているが、ドグラ・マグラがやりたかったのだと誰でも考えるだろう作りなので、雰囲気は面白い作品である。
 「クレイモア」は、綺麗なおねいさんキャラクターが醜く変貌して戦うというあたりをどう感じるのか、ちょっと興味がある。

 ところで9月の連休中に高寺家へ遊びに行く予定だが、13日の土曜日は当初予定していた管理課長が用事で出られなくなり、私が代わりに出なければならなくなった。なにせ若い連中ばかりで、マトモな奴が誰もいないので、私に出てくれと依頼が来たのである。
 そこで会社からJamanyaに電話して14日の予定を確認して、OKの返事をもらった。これで一安心である。
 その場で、友達の奥さんからOKをもらったと管理課長に伝えたところ、「君たちはどういう関係なんだ?」と少しばかり怪訝な顔をされた。それほど年は違わない人なのだが、そんなに不思議な事なのだろうか。
 まあ青森にいた頃は、亡くなった市村が面白がっていたが。

 帰宅後、はかせのところを読んで、22日に「家」のCDが出ていたという事を知る。
 これはもちろん山下洋輔、筒井康隆によるあの作品で、タモリ等も出ているからそこそこ有名かもしれない。今回はうっかり予約を忘れていたのでちょっとネットで調べたら、ほぼ在庫切れだった。これは少しばかりヤヴァい事態かもしれない。
 明日、どんぐり2号が町中に出ると言うので、探してもらう事にする。

 そういえばパルコにタワー・レコードが入ったが、こうなるとフォーラスのタワー・レコードはどうなるのだろう。こんな近距離に2軒は過剰だから、パルコだけになる可能性が高いのだが、一番町のHMVとタワー・レコートはほぼ向かいに位置するので、探し物をしている時や輸入盤の価格を比較する時などは非常に便利なのである。
 移動すると少し不便になるのだが…。


2008年08月25日(月) 「Wishmaster」がいっぱい

 夜にいわさきさんから電話。
 今日は「ダークナイト」と「スカイ・クロ」の話で盛り上がってしまい、結局50分近く話してしまった。やはり今回の「スカイ・クロラ」は何度見ても発見があって楽しいし、色々と語れる映画だ。本当に数人でじっくりと語りたいものだ。
 「ダークナイト」も観に行きたいが、とにかく皆が不幸になるのだという。それでこそバットマンというキャラクターの世界だと思う。そして今回唯一幸福になるのは、なんとジョーカーらしいが、これはなんとなく判るような気がする。

 ところで19日に、Nightwishというフィンランドのロック・グループのCDが届いたと書いた。彼らは活動歴もそこそこある連中なので、知っている人は知っているのだろうが、私は全然知らなかったグループだった。
 彼らを知ったきっかけは、以前「ウルトラヴァイオレット」から「エヴァネッセンス」を知ったのと同じくyoutubeなのだが、もう少しだけ書いておく。
 今回は友人から送られてきたDVD、アニメの「クレイモア」が元になった。つまりOPとEDのフル・ヴァージョンがどういうものか聞くために調べていたら、OPに「Wishmaster」をかぶせたものが見つかった訳である。

 ↓「クレイモア」on「Wishmaster」
http://jp.youtube.com/watch?v=jOLv-D-eSYY

 聞いた途端に気になって調べたら、「Nightwish」の2005年のライヴが見つかり色々聞いてみたところ、これがかなり上手い。ヴォーカル・スタイルもあまりないパターンで結構好みである。

 ↓2005年ライヴ
http://jp.youtube.com/watch?v=fRwz0RoJcJE

 という経緯で、結局密林のボタンをポチッと押してしまったのだった。
 youtubeで色々知る事が出来るのはいいが、ほいほい買ってしまえるのも問題である(だからビンボなのだ)。もちろん問題なのは私だが。

 ちなみにこの曲を映画にかぶせたものもあり、これがなかなか面白い。やはりリーダーが映画音楽風の曲が好きだという事だからだろう。結構燃えるのである。

 ↓「パール・ハーバー」
http://jp.youtube.com/watch?v=G9mEIA_UMTQ

 ↓「ヴァン・ヘルシング」
http://jp.youtube.com/watch?v=w4mwob42H84

 しかしこんな事をしているから、時間があっという間に経ってしまうし目も疲れてしまうのである。真面目に「休観日」が必要かも知れない。


2008年08月24日(日) 時代は変わる

 今日は朝からスバルへ行く。「お客様感謝デー」なる恒例のイヴェントで、オイル交換などが安くなる日だからだ。
 実は3月の車検時にそろそろ交換時期と言われていたので、ATFの交換に行ったのである。なにせ半額だし、10月からOILも値上げすると言うので、時期的にもちょうど良いというところだ。
 ただ今回チェックしてもらったら、バッテリーもそろそろ限界だと言われる。これも車検時に言われていたので、一緒に交換する。本当はもう少し後にしたかったが、現在の車はバッテリーが死ぬと全く動かなくなるので仕方がない。
 こうして考えると、1980年位までの車は楽だったと思ってしまう。バイクなどはバッテリーがなくても、押しがけでエンジンをかけてしまえば後は何とかなったのだ。ワイルドだかメンテが自分で何とかなったから、あまり不安がなかった時代である。

 それはともかく、オイル交換が半額で10項目無料点検もあって、スバルは実に混んでいた。9時前に入庫したので早く始まり、それでも終わって11時を過ぎていたが、もう店内は人でびっしりだった。それほど狭い店ではないのにと驚いてしまう。
 ちなみにこの時はハイペリオンを持っていったので、ノンビリと読めた。まだまだ先は長いぞ…。

 ところで昨日買った「空の戦争史」もちょっとずつ拾い読みしている。
 そもそも戦争というものは航空機の登場により戦略レヴェルで劇的に変わった。ただし戦闘機同士のドッグ・ファイトのような戦闘概念ではなく(これは騎馬による1対1の決闘と似ている)、それまでなかったのは戦術戦略レヴェルでの概念としての空爆である。これは航空機の登場によって爆弾の大量投下が可能になって初めて導入された考え方だ。
 その歴史や考え方をある程度まとめてある本が欲しかったのだが、講談社現代新書という手頃なものだったので買ってみた訳である。この程度なら、多少ハズレでも許せるだろう。
 ちなみにこの本に書いてある事で、無差別爆撃というものは存在しないという部分はうなずけた。これはいわゆる無差別爆撃の標的となるエリアに、基本的に軍人は存在していないからだ。例えば工場などは一般人が動員されるのが普通だし、都市の爆撃時に軍隊はいないのが普通で、正確な意味での軍隊、軍人などは軍事基地以外に集合している事はない。
 つまり空爆で標的となるのは一般人だけであり、これは一般人のみを標的とした差別爆撃である、という事なのだ。

 こうして考えると、マスコミが使用する言葉では本質が見失われている可能性は高くなり、だから例えば、自爆テロリストは貧困で無教養な人間が行うものだと信じている人が、未だに多く存在する事になる。
 世界はそんな単純に出来てはいないのだ。


2008年08月23日(土) 絵コンテ集購入

 スカイ・クロラの絵コンテ集を買いに駅前まで出る。これを買えば、今回の押井ラッシュでの本とムックは全て揃う事になる(ただし現時点でだが)。
 フライング以来見かけなかったが、正式には今日が発売だから書店には山と積んであった。なぜかポニョ関係の一角だが…。とにかく迷わず購入である。
 しかしこの本は読んで判ったが、後書きが決定的なほどに面白い。押井監督は自分の手の内を毎回毎回丁寧に晒しているのだが、やはり今回もいくつか新発見があった。映像業界はあまり参考にしていないようだが、本当にもったいない。宝の山なのに。

 ちなみに今回は短期間で大量の本が出た訳だが、面白いのは全ての本を読む事で、今回の映画制作全体の流れが、そして押井監督の狙い、変化が明確になる。つまり内容が極端に重複していないのである。これはある意味すごい戦略だ。出版社がすべて違うから押井本人の戦略なのだろうが、良くまあこれだけの内容を別々に、それでいて綺麗にまとめられたものだと感心する。

 そしてこれが「イノセンス」の時とは違う点だ。
 今回はニュー押井守として変わった監督だが、おかげでその製作理論は極めて普遍的な参考書になったと言える。見事なまでに参考書となりえている。
 すべてを自分でコントロールするのではなく、必要な部分は人に任せる。これこそが本来の監督であり、管理職である。そしてそれでもなお自分のカラーが出るから、押井監督なのである。

 ところで映画秘宝を買いそびれた。その代わりといってはなんだが、「空の戦争史」を買ったのだった。


2008年08月22日(金) ヴォーカル交代

 先日買ったナイトウィッシュだが、現在はお気に入りだったヴォーカルのターヤが交代していた。理由はネットで見ても今ひとつはっきりしないが、音楽性の違いとかではなく、生活態度とかダンナの介入という私生活の部分が問題だったらしい。これが事実なら実に残念である。

 初代のターヤ・トゥルネン(本名はTarja Soile Susanna Turunen Cabuliだが、そもそも正確な発音は良く判らない)は、その独特のオペラ的歌い方が、正規の教育を受けている者だから出来る技であり、特に高音部の伸びは素晴らしい。ソロになってからはオペラなどにも出ているそうだから、やはり本物である。
 ロックの世界はこうした正規の教育を受けた者とその辺の下層階級から出て来る者が渾然一体するから面白いのだ。クラシックやジャズが停滞するのは、なかなか下層階級の人間が入れなくなっているからではないのだろうか。

 そして交代した二代目のアネット・オルゾン(Anette Olzon)は、ライヴで見ると高音部が全然出ていない(特に「wishmaster」で明確だ)。ただし彼女も正規の音楽教育を受けているので、要は曲の声域が違うという事になるが、やはりそのグループの音楽に合うヴォーカリストは必要だろう。この辺はオーディションを行った結果だというから、彼女の責任ではないのだが。
 ちなみに彼女の方がターヤより6つも年上だとは驚いた。ライヴ映像で見る限りターヤの方が大人っぽいのだ(ちょっとベラを連想させるが…)。

 しかしターヤの時代にナイトウィッシュは一度日本に来ているのだという(2005年)。あのヴォーカルをライヴで見てみたかったものだ。


2008年08月21日(木) 何のための試験

 会社で、本日終了した昇格試験を受けた5人全員が合格確定らしいと連絡が来た。という訳で、支店長以下、関係者15名が急遽飲みに出かけのである。夕方17時過ぎに突然決めて、だ。バカか、こいつら。

 そもそもこの試験のために支店長以下どれだけの人が仕事を投げて原稿作りや発表練習に関わっていたのか自覚しているのだろうか。試験に関係ない人は、全然仕事が進まず(承認者が全員いない、懸案事項が進まない、その他もろもろ)、本当に困っていたのだ。
 しかも試験対象者も自分では原稿を作らず発表も手取り足取りなのに(そもそもテーマすら、合格しやすいように人に決めてもらっているのだ)、それでいて自分の仕事は投げ出している状態だった。本当に一日中試験の事ばかりで、しかも仕事の事を話すと露骨にイラついているのでは、本当に手の付けようがない。大体たかがこんな試験で何故そこまで悩むのか、私にはさっぱり理解できない。あんなものは2〜3日あれば充分だし、発表だって私はぶっつけ本番だったのだ。そもそも私はすべて一人でやったし、周囲もそうだったのである。ここまで視点全員で協力するなど、異常としか思えない。
 だから別室にこもって発表練習を連日、延々4時間以上平気でやっているて、酷い時には丸々一日、対象者も上司もその他の承認権限のある人も、誰もいなくなるのだ。こんな状況は、到底私には理解できない。
 今月の売り上げが全然伸びていないのは当然なのである。

 そしてこうして過剰なバックアップ、というより過保護では本人の試験にはなっていないので、結局将来の役に立たないのは間違いない。つまり本人は何もしていないから、将来部下が出来た時に適切な指導が出来るはずもなく、人任せになるのは確実なのだ。
 一体何のための昇格試験なのだろう。本当にバカバカしいお祭りである。結局この会社の質がどんどん落ちているのも当然だ。


2008年08月20日(水) 絵コンテ集

 初日に映画館で見て以来全く見かけない「スカイ・クロラ」の絵コンテ集だが、なんと8月23日の発売なのだそうだ。
 つまり映画館でみかけたのはフライングだったのである。翌日にはなかったし、どこを探しても見当たらなかったのも当然だった訳だが、本のフライングというのはあまり記憶にない。しかもそう売れるとは思えない「スカイ・クロラ」の絵コンテである。
 通常こういうフライングは、売れると確実に判っている本で起こる事であり(映像も同じだ)、誰がどう考えてもそれほど売れるとは思えない本で起こる事ではない。不思議である。

 ところで今日、会社の近所の模型屋を覗いたのだが、ちょっと面白いミニカーがあった。ミニカーと言っても1/18の大型モデルだが、ピンクの「キャデラックの1959年エルドラド・ビアリッツ」である。
 これだけではピンと来ない人も多いだろうが、要は「スカイ・クロラ」でクスミ達が乗っている車のベースである。ベースと言ってもほとんどそのままと言ってもいい程にそっくりなのだが。
 もっとも水素の乗るポルシェ・タルガトップも実物とほとんど変わらないから、むしろ実物をほんのちょっとだけアレンジして映画で使ったというところだろうから、一見するとほとんど変わらないように見えてしまう。
 一瞬買おうかと真剣に思ったが、値段もそこそこ良いので諦めた。むしろ草薙の乗る911タルガトップの方がはるかに好みなので、そちらがあったらやばかったかもしれない。
 ただし、今回を逃したら二度と目にする事はないだろうと言う気もするが、趣味の世界とはそうしたものだ。この場合は記憶だけで我慢するとしよう。


2008年08月19日(火) CD届く

 今日は密林からブツが届く。

 まずは待望のCD、「キース・エマーソン・バンド・フィーチャリング・マーク・ボラーニ」。
 音を聞けば誰が聞いてもキース・エマーソンだが、決してEL&Pには聞こえず、なかなか面白いアルバムに仕上がっている。長年のキース・エマーソンのファンであれば、これはマーク・ボラーニの功績だとすぐに判る。このアルバムで、ようやく彼も自分のアルバムを作れたのだと感じる。コピーに「実質的ファースト・ソロ・アルバム」とか書かれている意味が、聞けば判るだろう。
 こうなると10月のライヴには行きたくなる。チケットを入手しておけば良かった…。
 ちなみにDVDが付いているのは限定盤だそうだ。だいぶ前に予約した時にはそんな事は気にもしていなかったが、ラッキーだったという事か。

 続いてナイトウィッシュの「ウィッシュマスター」。これは別々に頼んでいたものだが、たまたま重なってしまったのである。
このグループはフィンランドのグループで、実は先日まで全然知らなかった。最初に聞いた「Wishmaster」は曲自体がサントラのような構成で、女性ヴォーカルはオペラに近いなかなかユニークな曲だ。一瞬クイーンのフォロワーかとも思ったが、良く聞けば全く違うアプローチだと判る。
 もっともアルバム全体でのトータル性は低いから、そういう意味でもクイーンとは別物だ。ただし実力はかなりのものだというのは、youtubeなどでライヴ・ヴァージョンを聞けば明白で、ヴォーカルも実に見事である。
 ちなみにこのグループを知ったきっかけは、「クレイモア」のOPに「Wishmaster」をかぶせたMADがあったのだが、これが妙に気になってしまったのである。早速youtubeでいろいろ聞いてみたところ、それなりに面白そうだと判断されたので買ってみたのだ(つまりyoutubeに載るから売り上げが落ちる訳ではない。売れないのはつまらないからだ)。

 そしてついでに頼んでいたKOTOKOの「Re-Sublimity」と、小坂りゆの「断罪の花」のシングルCDも届く。困ったものだ。


2008年08月18日(月) 縮小するポストホビー

 仙台のパルコがそろそろオープンする。これで駅の周辺はファッション・テナントの戦国時代になりそうだ。
 だがこのパルコにはポストホビーがない。あくまでファッション・テナントをメインとするらしい。確かにイービーンズがエンドーチェーンとしての会社を復活させるほどになったのは、単にテナント料の力なのである。
 だが、私のイメージとしてはポストホビーがないパルコなどパルコではない。文化にファッション・ブティックなどそんなに必要ないだろう。

 等と思ってポストホビーを久々に検索したら、なんと池袋店が5月で閉店していたのだという。東京に出入りしていた頃にはここを一番利用していたのでかなり驚いた。本当に全然知らなかったのである。
 もしやと思ってポストホビーのホームページを見ると、パルコからどんどん撤退しているではないか。直近では松本も9月で撤退するというし、やはりバブルの崩壊ともに景気の後退は徐々に進んでいたのが、ここに来て限界を迎えたという事か。なんだか東京も自分の知らない街に変貌していると実感する瞬間だ。

 ちなみに私の中で東京の最初の変化は「テアトル東京」の閉館で、田舎に育った自分にとって、テアトル東京というのはカルチャー・ショックに等しいものだった。本当にここには映画を観に行くという楽しみがあった。
 そしてその途中で必ず寄っていたイエナもなくなり、行きつけだったギーガー・バーもなくなると、自分が描いていた東京のイメージが加速度的に変化していったのである。

 これも単に自分が年を取っていったという証拠なのかもしれないが、もう自分の立ち入る余地はないような感じがしてしまうのだ。例えば秋葉原の文化は、どうも自分とはベクトルが違うし、それまでお気に入りだった店に限ってなくなってしまうというのが、自分と一般的嗜好の方向性の違いを明白に物語っている。

 果たして次に東京が変化する時に、自分の好みが残っているのだろうか。なんとなくだが、ほとんど残っていないような気がする。


2008年08月17日(日) 帰還

 帰りの時間まで、町中をぶらつく。今日は少し暑いが、苦痛になるほどではない。
 町中の新刊書店は紀伊国屋書店と宮脇書店だけとなったが、意外と売っている物がかぶっていない。それでいて探している本が見つからないというのも不思議だが、要は絶対的な本の量が減っているという事だ。それでもこのレヴェルの書店が2件あるというのは文化的に良い事ではある。
 ただし土手町は本当に廃れてしまっている。お盆という事もあるが、やはり大館と同じような印象を受けてしまった。

 予定通り15時の高速バスに乗る。しかし少し前の盛岡行きに乗る人は凄い数だ。大型バス2台が満席である。それがあの狭いバス乗り場にいるのだから、もう訳が判らない。
 いずれ今日はただの移動なので、お土産を少し買って終わりである。高速道路は途中のサービス・エリアが信じられないほど混んでいたが、それ以外は特別混雑もなく、ほぼ予定通り仙台に着いた。

 帰宅後、同級生の写真をどんぐり2号に見せたら、もしかしたら前の職場で一緒に働いていた人かもしれないという。もしそうなら、弘前という町は狭いという事だが、昨日の会話でも、実際狭い町だとは感じていた。あまりに接点が多すぎるのだ。それがこういう地方の町のいい点でもあり、悪い点でもある。

 こんな日記の下書きをしながらyoutubeでいくつか音楽を聞いていたが、「クレイモア」のMADでNightwishの「Wishmaster」を使っているのがあった。ちょっと面白いと思いオリジナルを聞くとこれがなかなか良い。バックに映画「ヴァン・ヘルシング」を使ったものがあったが、全く違和感がない。まるでサントラである。ライヴ・ヴァージョンを聞いてみたが、これがまた上手い。かなりの実力だと判る。
 という訳で、この曲が入っているアルバムを密林に頼んでしまった。こういう時、ネットは便利と言うかヤヴァイというか…。

 今日の日記はこれだけである。


2008年08月16日(土) クラス会 in 弘前

 朝のバスで一路弘前へ。小学校のクラス会に参加するためである。
 いつもなら車にするのだが、一人だと不経済なのと、翌日の渋滞を考えるとバスの方が賢明なのだ。
 しかしこのバスはなんだかサスの調子が変な感じだったが、途中でエア・サスの調整をしていた。確か車のエア・サスはすぐに調子が悪くなって、乗用車ではスバル以外は全て撤退していたはずだ。バスも高速道路ではあまり乗り心地が良いとはいえないようだ。

 弘前に着いてチェックイン後、小学校の周りをうろつく。今日は結構涼しいので歩くのも楽だ。
 だが驚いた事に、ここ1年という短いスパンですら周囲は大幅に変わっていた。38年前の状況など現存しないのも当然である。道路も拡張されているし、同級生の家がなくなっているのも当然だ。

 会場は宮川3丁目の「カルティエ」で、館山君がオーナー・シェフとして経営している店だ。お嬢さんも働いているのだが、従業員も多く、これはたいしたものである。地元新聞にも時々取り上げられているのだという。他にも何件かあるというから、立派だ。
 着いてすぐに工藤先生も到着。本日の参加は17人。会社の役員になった人、合併したら同級生が上司になって驚いた人、独立した人、離婚した人、再婚した人、独身の人等々本当に人生の縮図である。今のところ亡くなった人という情報はないようだが、音信不通が10名以上いるというから、これは判らない。ちなみに当時の先生は、工藤先生と田沢先生を除いて皆他界したそうだ。これは年を考えれば仕方がないところか。
 在日朝鮮人だったみよ子さんは、卒業後に仙台の朝鮮学校へ入ったはずだが、2度先生へ手紙が来た後は消息が全く不明だとの事。まあ本国に帰ってしまったら、手紙を出す事すら難しくなってしまうだろうし、それは今となっては良く判る事情だ。おそらく今後もよほどの事がない限り、会えないだろう。

 ちなみに先生は今日が77歳の誕生日である。たまたま今日欠席の好子さんが商品券を送ってよこしていたので、これで急遽ケーキを作って誕生日のお祝いをする事になった。こういう時オーナー・シェフの店だと助かる。
 ちなみに彼女はちょっと大きな病気をして退院したばかりであり参加できないとの事だったが、元々細い人だったから、体力的には心配してしまう。

 意外だったのは、自分が当時から少し変わっていたと2人から言われた事だ。クラスの中で唯一、他の人とは少し違った存在に見えたというのだ。さすがに当時そんな自覚はなかったが、今でもちょっと信じにくい。
 さとみさんには当時やたらと妹の事を可愛いのだと自慢していたと言われたが、それも記憶にない。7つ離れているから、本当に赤ちゃんの頃の事で純粋に可愛いと言っていたのだろうが、全然記憶になかったりする。そういうのは女性陣は良く覚えているものだと感心してしまった。
 にじ子さんは家庭に憧れて早々ら結婚したが、離婚したそうである。子供2人を引き取り家まで建てたというから、生活力と言う意味でたいしたものである。随分と涙もろくなったようだが…。

 だいぶ長い時間そこにいたが、二次会は14人で鍛治町にある川端君の店へ行く事になった。息子さんも手伝っていた。さすがにこの辺になると酔いも手伝って半分眠っている人も出てくるが、まあそれなりに年なのだろう。なにせ皆50〜51歳である。
 でもさとみさんが衆議院の手伝いをしていると言うだけあって、身なりは一番若く見える。この辺になるとちょっと50歳には見えないだろう。他の女性人はそれなりに年をとってはいるが、それでも比較的若く見える人が多い。という事は単に自分も年を取っているという証拠なのだが。

 いずれ今回は企画を立てて動いてくれた板垣君に感謝である。こういうのは誰かが中心になって動かないとなかなか開けないのである。先生の年を考えるとタイミング的にもいい時期だったのではないだろうか。そして連絡を取っていた岩平君にも感謝だ。このメンツで唯一連絡が取れていたのだから。
 しかし今回のメンバー以外にも何人か会いたかった人もいたが、仕事があったりして来られないという人も多く、これは仕方のない事だろう。いずれ何らかのつながりが復活したという事に意義があるのだから。

 結局時間が足りなくて、全員と話せなかったが、こうやって現在の皆の姿と状況を見る事で、なんだか色々なものが吹っ切れて、弘前に対する幼少の頃の懐かしさというものを薄める事が出来たように思う。これで弘前は、過去の姿ではなく現在の弘前として認識できるようになったという事だ。


2008年08月15日(金) 今日は少し涼しい

 今日はチャウチャウが家族と仙台に来ているとの事なので、昼前に合流し、その後まっちゃんと合流。もちろん家族は駅前に捨ててきたのだ。
 この時まっちゃんからは「スカイ・クロラ 押井守のメッセージ」を受け取とったが、これは非常に助かる。実はこの時期に、一般大衆を対象にしてテレビで流すにしては明らかに早すぎる映像の解説があったのだが、現時点での私にはこれが必要なのだ。

 それはともかく、まずは近所の利久で昼食。ただここは昼は混んでしまうとゆっくり出来ないので早々に退散し、紫山のキャスロンに行く。着いてしばらくノンビリとダベリング。しかしいつも思うが、チャウチャウの情報量と記憶力は恐ろしいものがある。絶対腹の中に補助記憶装置があるはずだ。
 なお今回は、ブラッドオレンジを飲んでみる。非常にすっきりとした嫌味のない酸味がなかなか良い。ただしかなり高いのが欠点で、私にとってはちょっとしたランチ並である。

 帰りにTamTamに寄る。まっちゃんからの情報ではかなり品揃えは充実しているという事だったのだが、これは確かにその通りだった。さすがにモデルガンは全くないが、エア・ガン、プラモ、鉄道模型、ラジコン、食玩と本来の模型屋としての役割を充分に果たしている。ノダヤはある種専門分野に特化するという方向でやっているが、こちらはまさに町の模型屋だろう。だから当然の事だが、どちらも必要なのである。
 模型つながりで、名取のトイザらスを覗きにいく。今月一杯で閉店となるからだが、実は名取りんくうタウンへ移転するらしい。もっともこれではますます人が行かなくなるのではないだろうか。町中からはあまりに遠すぎるのだ。

 さて、明日はいよいよ弘前でクラス会である。朝に高速バスで出かけるのだが、はたして向こうの気温はいかに。
 いや、そんな事より皆どう変わったのか、それが楽しみである。


2008年08月14日(木) アニメの音楽

 今日も生活雑貨の買い物。意外と時間をとられるものだ。
 ついでに子どんぐりの携帯電話の電池交換。1年半で2回である。どうもこの機種は電池の膨らみ方が激しいが、ネット上でも異常だと書かれているから、多分構造欠陥なのだろう。
 あとは実家にアリが入り込んでいるので、対策用に殺虫剤など。そしてユニクロでジーパンなど。ユニクロではサンデーとマガジンのコラボ・シャツなるものが売っていた。噂のラム対タイガーマスクのもあったが、電撃ポーズをとっているから、あれではラムの勝ちだろう。目玉オヤジのは欲しかったが、ラメが付いていたから洗えないではないか。

 帰宅して、youtubeで偶然「クレイモア」のサントラを見つけたので、一通り聞いてみる。
 アニメの方を見ていて気がついたし、ほとんどの曲が1分前後というのは判っていたので予想はしていたが、テレビの映像に合わせて作ったというより、イメージから先行して曲を作ったのはまず間違いない。だからアルバムとして聞いた時、当初予想していた以上につまらない。全体に「銀眼の魔女」や「大きな剣」程度のレヴェルが保たれていれば悪くはないのだろうが、やはり全体的にレヴェルは低い。つまりわざわざアルバムを買うようなものではないという事だ。
 ただしこれは、自分が川井憲次や菅野よう子の曲を聞きなれてしまったためというのもある。彼らの曲は長い物に良い曲が多く、また自分にはそういう曲合っている。つまり1970年代からプログレを聞いたのと同じ感覚だ。アニメのサントラであっても重く長い方が好きなのである。もちろんそんなのは少ないが。
 ちなみに「クレイモア」でも、例えば「斬り裂く者たち」のように、いかにも1980年代に流行ったテクノ寄りのロックもどきが意外と多いのには驚く。そういう世代が音楽界の中心になっているという事なのだろう。

 そういえばこのサントラを聞いている時に偶然聞いてしまった「Re-sublimity」にも驚いた。アニメ自体は「神無月の巫女」とかいう作品のオープニングらしいが、全然知らない作品だ。それの何に驚いたかといえば、ものの見事に1980年代初期のテクノポップが融合されていたのである。なんというか、冒頭でほとんど懐かしさを覚えてしまうほどである。
 同じく挿入歌の「Suppuration core」は1980年代のメタルだし、こうしてみると、現在のアニメの音楽というのは結構好き勝手にやっているようだ。それでも商売になってしまうのは、例えばこの曲はジェネオン(パイオニアLDCを電通が引き取った、電通100%出資の子会社)だし「クレイモア」などはエイベックスだ。つまり売れないような商売は絶対にしない連中で、元々市場を操作するのが仕事の連中だから、これはむしろ音楽を作っている連中が上手く世の中を利用しているという事なのだろう。
 ちなみに「神無月の巫女」のエンディングは、極々平凡でつまらなかったが、今時珍しく、打ち込みが多い。

 しかしこの流れでいくつかyoutubeでMADを見たが、もう何のパロデイなのか判らなくなっている。
 元々の作品が判らないというのが大きいが、絵を多少変えたりしていると完全にお手上げだ。初音ミクなど、ネギを持っているからミクだと判るという程度のものすらある。この辺になると自己満足でしかないように思うのだが。

 それとyoutubeには、高音質ステレオというか、256kbp/s仕様でアップされているものがある。これは確かに音も広がりも全然違うのだが、実はアップの仕方がどう異なるのか良く判らない。単に容量が大きくなるだけなのか、特別な仕様なのか、その辺が判らないのである。もっとも見るだけだから気にはならないが。


2008年08月13日(水) 押井のインタビュー等

 今回のお盆も、どんぐり2号が弘前日帰りとなる。今年はいろいろあるから仕方がない。自分は自分で靴を買ったり、旅行の準備をしたりで結構時間がとられる。

 とか言いつつ、ネットで押井関係のインタビュー等を探す。
 氷川竜介の最新インタビューがなかなか参考になる。これを読むと押井監督が目指すものは宮崎監督とは正反対だというのが、本当に良く判る。どちらが良いとか悪いとか言うのではないが、実は日本のアニメというのは末期状態だという認識があれば、押井監督の姿勢が正しいというのはすぐに理解できる。
 要はアニメーターがいないのだ。以前は世界でも稀なほどに優秀なアニメーターが大勢いたが、彼らも40代50代に突入して監督になったりしているのに、後続の若手が育っていない。

 本来アニメーターというのは体力勝負の部分がある。年を取って経験値が上がるという事よりも、年とともに体力と持続力、精神力が落ちてくるのをカヴァーできなくなる方が大きい。だから若手の優秀な人材が必要になるのだが、実際はどんどん減っている。
 実際、今回の「スカイ・クロラ」では必要なアニメーターの半分も集められなかったそうである。よもや押井本人が生きているうちにこんな事態になるとは考えていなかったそうだ。だからデジタルというテーブルの活用も今後は必要なのだが、デジタルはあくまでテーブルであって、本当に必要なのは優秀なアニメーターだというのが、どうも理解されていないらしくアニメーターの不足は業界の構造的問題になってしまっている。そもそもデジタルはあくまで道具であり、宣伝の材料でしかないのだから、デジタルだから何とかなるという話ではないのだ。それでは「映画」は作れない。

 そんな、アニメーターが今後も減っていくという事実を視野に入れ、「攻殻機動隊 2.0」ではあえて素子を3Dに置き換えてみたらしい。彼の意見ではモーション・キャプチャーでは創造力に限界があり、アニメーションの手助けにはならないので、今回の素子の違和感は織り込み済みの上で実験してみたというところか。

 そして若手アニメーターの育成は、そのトップに君臨する宮崎監督が残念ながらそれほど熱心ではない。彼の作品を作るため人材は作っているようだが、「優秀な若手」を育てていないのである。
 これは絵が描けない押井監督には出来ない事だと押井本人も言っているし、やはりここらで宮崎監督は引退するべきなのだ。もし本当に本のアニメの将来を考えているのなら、だが。もっもと映画会社が彼の引退を許さないのだろう。それは容易に想像できる。

 それから最近は、押井監督の映画の作り方で第一に優先されるのは「世界観」だと良く書いている。
 これはハリウッドの製作姿勢とは反対で、彼らは「キャラクター」から入る。つまり「まずスーパーマンというキャラクターがいたら、次にハデに活躍するストーリーを作り、最後にそれが成立する世界観を作る」というものだ。結局今のハリウッド映画が何故つまらないかが、これで明白になる。これでは世界観の統一がないし、そもそも脚本の変更によって世界観が崩れてしまうからだ。
 そしてこれが同じようにアニメ版の「ドラゴンボール」や「クレイモア」が後半つまらなくなっていく理由であり、ジャンプの方法論が間違っている理由でもある。後半どんどん強くなっていくキャラクターが、それを成立させている世界観からはみ出していくからなのだ。
 こういったインタビューを読んでいると、つまらない作品の理論的裏づけもはっきりしてくるのは楽しい。

 ちなみにこの中でも言及していたが、最近のアニメ作品は彩度をわざと落としているのだという。確かに言われてみれば、最近自分で見た作品はすべて彩度が低いという事に気がつく。「パトレイバー」等のリニューアルDVD版もそうだ。実は彩度を下げると全体の色調が整って見えやすくなるからだ。
 実際自分もこういうカラーが好きなのだが、考えてみればこれは写真の世界で普通に使われていたテクニックであり、私には馴染みがある。意外と写真の世界のカラーは参考にされているようだ。


2008年08月12日(火) 頑張れ、カート・ウィマー

 とりあえず会社は明日から休みなので、皆浮き足立っている。
 そんなにヒマならさっさと帰って、こちらの邪魔をしないで欲しいものだが、こういうところで営業の、さらには人間としての資質を問われるという事に全然気づいていないという事か。結局こちらはいつものように18時過ぎまでなにも片付かないのだった。

 ま、そんな事はさておき。
 ヴァラエティの情報によれば、トム・クルーズ主演作品としてプロジェクトが進んでいた映画の主演交渉が決裂して、代役はアンジェリーナ・ジョリーに決定しそうだという。題名は「Edwin A. Salt」で、脚本は主人公の性別を変更して書き直す事になったらしい。
 別にトム・クルーズがアンジェリーナ・ジョリーに変更したなどという情報自体は気にならないのだが、なんとこの脚本を担当しているのがあのカート・ウィマーなのである。表記では脚本家となっているが、「リベリオン」や「ウルトラヴァイオレット」の監督を務めたカート・ウィマー本人だ。

 実際彼が他の監督のために書いた脚本というのは、綺麗にまとまって評判が良いらしいので、この映画も実はかなり期待できるのではないだろうか。しかし素晴らしい世界観を作ったり、他人のための脚本が上手かったり、映像的にユニークだったりと、なんだか押井監督に似ている人種のようだ。

 いずれ世間一般的な評価としては「ウルトラヴァイオレット」で滑ってしまったのでしばらくは監督の話がないような気がするが、やはり「リベリオン」という稀代の傑作B級映画を作った人である。今後の動向には常に注目していたいものだ。


2008年08月11日(月) もうすぐクラス会

 今月の16日に小学校の同窓会が弘前で開かれるのだが、今日になってようやく参加表明する。今回はなかなか日程的にきついものがあるのだ。参加表明したからには、ホテルも予約しなければならないので、ネットで探して電話で予約した。
 そして会場はクラスメートのやっている店で、これが結構立派で少しずつ違うタイプの店まである。たいしたものだ。

 しかし前にも書いた事があるが、私のいた小学校は4クラスあって、6年間一度もクラス替えがなかった。市内に従兄弟がいたからクラス替えというものが他の学校にある事は知っていたが、当時は自分たちの学校が特別だったなどとは思わなかったし今でも不思議だとは思っていない。実にうまく機能していたからだ。
 だがもしかしたら、弘前でもこのシステムは珍しかったのかもしれない。なにせ弘前出身の人に聞いても同じ経験をしたという話を聞かないのだ。

 同様な例で、弘前では「津軽ジャンケン」と呼ばれる、「負けるが勝ち」のジャンケンがデフォルトであった。某フジテレビでも一度取り上げられたから最近でも使われているのは判ったが、私の小学校では掛け声が「エット」だった。この掛け声がどこまでデフォルトだったのか、今となっては良く判らない。少なくとも学区が多少クロスする町内でも普通に使われていたから、極端に狭いエリアではないと考えられる。いずれ今回のクラス会の時に聞いてみよう。
 ちなみにこのジャケンのシステムでは回転が異様に速くなり、続けて勝つにはかなり頭を使う。なにせふつうのジャンケンも必要なら使うのだ。津軽ジャンケンだけ使われる訳ではないので、臨機応変に勝ち負けが逆転する世界に入り込まなければならないのである。
 子供心にもこれは楽しかった。もしかしたら世界感が逆転するという快感は物心付いた時の「津軽ジャンケン」がきっかけだった、などというのはオーヴァーだろうか。

 いずれ今回は担任だった先生も来るというので、菅田の遺言と我々が勝手に解釈している「会える時に会っておけ」を実践するのである。必ずしも自分より年上の人が先に死ぬとは限らないのだから。

 しかしなんだか今年のお盆はとんでもなく慌しい感じだ。これだけ慌しいと、安比に行くのは無理そうだ。もう若くはないのだし…。


2008年08月10日(日) リンゴが変

 今日は「スカイ・クロラ」の絵コンテ集を探して駅前へでる。
 だが書店を全て回ったが見当たらない。代わりといってはなんだが、リンゴ・スターの「リンゴ」を買う。高校の頃に結構聞いていた好きなアルバムである。ビートルズ解散後のリンゴのソロとしては最高傑作だろう。

 帰宅してしばらくすると、携帯に着信の跡が。音を消していたので気づかなかったが、いわさきさんからであった。
 こちらからかけて、ちょっとした用事の後で20分ほど話す。今日いわさきさんも観た「スカイ・クロラ」のネタである。やはり押井作品としては珍しく、映画として見事にまとまっていた、という部分で意見が一致。
 間違いなく押井監督は変わった。なにせ私が押井作品を続けて2回観に行きたいと心底思った作品は、これが初めてなのだ。映画としてはヨーロッパの雰囲気で、草薙もそのへんをイメージした演技になっている。

 ただ相変わらずというか我々SFファンは皆同じなのだが、SF的な部分は共通言語として何ら説明をしない傾向がある。わざわざ説明する必要性が、へたをすると理解できないのだ。
 今回の「スカイ・クロラ」は、それ以外では本当に判りやすいし映画として実に綺麗にまとめてあるのだが、そういう部分に関してはいつもと同じだ。つまりSFファンには常識で合っても、一般人には判らないのである。
 そこが押井作品が「日本で受けない」理由の一つだ。ヒットする要因である現在の日本の一般大衆は、何も考えようとはせず、すべて与えられるのを待っている。だから画面だけで説明しようとしても理解できないし、SFの有名なガジェットを出してもさっぱり判ろうとしない。
 多分こういう部分は、欧米の方が真面目に作品と向かい合っているような気がする。だから押井作品は日本より欧米での評価の方が先だったのだ。「パトレイバー2」や「攻殻機動隊」の頃の一般的欧米人に日本の侘寂びなど理解できるはずもない。それでも押井作品が評価されていたのだから、一般大衆のレヴェルが高かったのだろう。
 昔は日本人の一般大衆レヴェルというのは高い事で有名だったのだが…。

 電話の後、色々と調べる事もあり、とりあえずPC環境で「リンゴ」を聞く。
 聞きながらネットを見たり書き物をしていたら、何かとんでもない違和感がする。改めて確認すると、1曲だけ知らない曲が入っている。ボーナス・トラックではなく、本当に途中に入っているのだ。違和感の原因はこれだった。
 ライナー・ノーツを読むと、1990年代のCD化の時にボートラとして入れた曲だとの事だが、何故これをアルバムの途中に入れるのだろう。これは由々しき問題だ。この曲のせいで、最高傑作だと思っていたアルバムの評価が一気に下がってしまうではないか。 
 しかもPC環境だったのでWindows Media Playerで曲を確認したら、この曲はボートラ扱いで最後になっている。つまり実際にかかっている曲と記述がずれているのだ。
 元々PCやネット関係は100%信用するものではないというのが常識だが、こんな酷い間違いが平気で表記されるようではどうしようもない。音楽産業もPC産業も完璧に消費者をなめてかかっているという事だ。
 そしてCDショップなどの若い連中は、こうした間違いに多分一生気づかないだろう。我々の世代はリアルタイムの情報を知っているから間違いに気づくのだが、若い世代は元を知らないから気づきようがない。
 悲惨なものだ。


2008年08月09日(土) ロンドンが楽しみ

 例によっての粗仕事。
 しかし今日はここ数日に比べて涼しく感じる。湿度も低くなったようだし、秋が近いと一瞬思ってしまう。

 帰りに本屋へ行き、スカイ・クロラ関係の書籍を探す。だが絵コンテ集は相変わらず、ない。こんな物を喜んで買う奴の数などたかが知れているからは本的名発行部数は少ないはずだ。一瞬でなくなってしまった可能性もある。
 でもなくなるほど買う奴が、仙台にいるとは思えないのだが…。

 ネット上では、ロンドン・オリンピックに絡んで「モンティ・パイソン」コミュが実に楽しい展開をしている。
 「開会式の冒頭、白馬にまたがったデニス・ムーアが颯爽と登場!」「開会宣言はバカ歩き省大臣」「入場行進はシリー・ウォーク」「レストランではスパムしか出ない」「ルール違反をするとスペイン宗教裁判が開かれる」「一人レスリングが正式種目になる」「入場行進曲は、The Liberty Bell」「マスコットキャラクターには、死んだオウム」「実況中継は手旗信号」「ボクシングにはもちろんケン・クリーン・エア・システム」「客席にはごっつい体格のアルバトロス売り」「外国人向けのガイドブックには当然ウソ英語」等々…。
 いや、どれをやっても似合いそうで怖い。

 パイソン・ファンなら、何の疑問も抱かずにオリンピックを見ている事だろうし、多分期待しているだろう。
 少なくとも、開会式と閉会式は注目だ。


2008年08月08日(金) 2回目の「スカイ・クロラ」

 2回目の「スカイ・クロラ」である。
 本当は富谷に行きたかったが、昇格試験を控えた連中の原稿があまりにしょぼく、上司から各課長、支店長まで動員して発表用原稿の書き直しをしている。船頭多くして船進まずという言葉を知らないのだろう。私に言わせれば、こんなもの、そこまで時間をかけなくてもまとまるのだが。
 そして結局それらの大量の仕事のパックアップにこちらが時間をとられてしまうのだ。

 それはともかく、結局は名取のワーナー・マイカルでやる21時30分にしか間に合わないと判明し、そちらへ走る。富谷と名取では方向が正反対なのだ。
 始まってすぐ、最初からこっちに来れば良かったというほど、カスのコロナとは音響が違う。もう違うなどという生易しいレヴェルの問題ではない。全くの別物だ。冒頭の空戦の迫力がまず違うし、ワイン・グラスを置くような繊細な音も別物だった。太い音も細い音も、また色々と混じっている音も、かなりきれいに聞き取れた。
 気になっていたガヴァメントの発砲音も、閉鎖空間で爆発音が圧縮されて金属音に近くなるあの音が、ちゃんと再現されて聞こえたので満足した。やはり押井監督は、音に関しても全然手を抜いていなかった。さすがである。
 しかし効果音にしっかりと「アヴァロンのキーボード」とかが使われており、ちょっと笑ってしまった。戦略地図の効果音にも何気なくアヴァロンを使っていたが、これらはスカイウォーカーにもなかったのだろう。確かにあのキーボードの音は「アヴァロン」の時、イメージに合う音がなく自前で作ったはずだが、結構良い感じの音なのだ。実際に使えるようなソフトを出してくれないだろうか。

 いくつか発見だったのは、ラスト・バトルで優一のセリフ字幕が「ティーチャーを墜とす」になっていたが、言葉では「I kill my father」だった。これで神話時代から現代まで脈々と続く父親殺しのテーマが明確になっていた訳である。
 またこの時の優一とティーチャーのドッグ・ファイトが、明らかに航空工学を無視しているのが判った。優一は背後に付いたティーチャーをかわすため、散香でコブラの機動をかける。だがやり過ごすはずのティーチャーがいない。横を向くと機種をまっすぐこちらへ向けたスカイリィがいる。そして機種を散香に向け距離が一定のまま周囲を回っているのである。これはありえない機動だが、本にはラストは物理的にありえない機動をさせていると書いてあり、これの事だと納得する。ただし意図はよく判らないが。

 ちなみに今回の観客は30人ほどだったが、エンドロールが始まっても誰も席を立たず、全員きちんとラストの映像まで見ていたのだった。よしよし。
 こうしてまた満足して席を立ったのだが、終わって0時近いのにいい加減ポニョの歌ほ流すのはやめて欲しい。あの鬱陶しさは、もう犯罪一歩手前だろう。

 いずれ、「ウルトラヴァイオレット」の時にも比較して感じていたが、コロナの音響はどうしようもないほど劣悪だと確認できた。あそこは以後、絶対に行かないと心に決めたのだった。

 そして今日も絵コンテ集は入手できなかった。


2008年08月07日(木) ついにラスト

 今日も「クレイモア」が届く。ラストの2話だ。
 このラスト・バトルである「対プリシラ戦」は、予想どおり某「ドラゴンボール」と同じ演出、構成になってしまっていた。さすがはジャンプ系だと呆れるほどに同じである。
 そもそもここに至る過程で相手となった連中も人間とは思えない程のパワーと技術を持っており、それ以上の存在である妖魔というものは、もはやストーリーに組み入れられないものになってしまう。また戦う者同士が人間の領域をはるかに超えてしまった場合、剣の材質、戦う場所の強度も勝負を左右するのだが、そういう事はすべて無視されている。
 やはり生身の戦いである以上、物理法則から著しく離れてしまうのはどうかと思う。

 それとは別に、ラキの存在が冗談抜きでうざったい。この少年の介入では、全員殺されていてもおかしくない。またクレアも暴走する必要性なのかもしれないが、「殺す」というセリフが多すぎる。というかこれしか発していない。
 これではせっかくのジーンの活躍が、命を落とすような事ではなかったのではないかと思えてくる。まあ、それもこれもジャンプ系では仕方のない事なのだろうが、前半の雰囲気が非常に良かっただけに惜しまれる。

 こうして見ている合間にもちまちまと「スカイ・クロラ」関係の書籍を買っている。
 その中のある書籍で音響に関しての解説があったのだが、コロナの音響でそれが聞こえなかった。これではいくらなんでもコロナの音響は悪すぎるし、せっかくのスカイウォーカー・サウンドの意味が全くなくなるのでは、詐欺だと言われても仕方がないだろう。
 元々この映画は押井作品としては非常に良く出来ているというのもあるが、この辺の再確認のために、明日もう一度映画館へ観に行く事にした。こんなに短期間でもう一度映画館に行きたくなる押井作品というのも珍しい。これはおそらく映画として非常に上手くまとまったからだろう。
 本当は富谷に行きたいが、時間を考えると、富谷か名取の二者択一になりそうだ。


2008年08月06日(水) ようやく「1941」

 会社では、相変わらずトラブルが続く。
 結局狭い範囲の自分の仕事しか知らない奴が多すぎるので、これではいつまで経っても業務全体の改善など不可能だ。それでいて人の話を聞こうともしないからタチが悪い。こういう人は何を考えているのか、全く理解できないのだが、おそらく人種が違うのだろう。

 そんな時は帰ってから色々な映画などをチマチマ拾い見するのが一番だ。
 そういえば思い出したが、「1941」がようやく出る。今まで日本だけで出なかったのだから、これはスピルバーグの問題ではなく、作品内部の版権の問題だろう。もしかしたら「ダンボ」かも知れない。
 こういう例は他にもたくさんあり、日本でのみ出せないもの、一部をカットして出したものなど、とにかく色々とあるが、これは海外と日本国内での版権の所有者が異なるから起きる。意外なところでは、大好きな「フライング・ハイ2」の最初のギャグが版権の都合でカットされていた。個人的にはかなり好きなシーンだったので、本当に悲しい。
 いずれこの「1941」は、映画としてみた場合に名作にも傑作にもならない、言ってしまえばスピルバーグの失敗作だ。
 それは否定しないどころか、公開当時、本当にがっかりしたものである。だが、ワン・シーンだけを切り取るとなかなか良い所も何箇所かある。そのためにも買っておいてもいいのだが、いかんせん今は(いつも?)金がないので、簡単に買えなかったりする。残念だ。

 ところでネットのニュースを見ていたら、ドイツで新型の「防弾ブラジャー」が完成したそうだ。今までの物では衝撃を吸収しきれず身体に損傷を与えてしまったらしいが、それが改善されたらしい。確かに防弾ベストの材質、性質を少しでも知っていれば、防弾ブラジャーに高エネルギーの弾丸が当たった状況は、容易に想像できる。もちろんかなり酷い状況になる、という事だ。
 ただ不覚にも、防弾ブラという物が実際にあったという事を今まで知らなかったのだが、これで「東京爆発娘」のラストにリアリティが出てくるというものだ(ほんとか?)。


2008年08月05日(火) もう少しで「クレイモア」も終わり

 今日届いた「クレイモア」を見る。これで24話まで見た事になり、残りは2話となった。
 途中から気づいたが、このアニメは女性による任侠物だ。原作者が男性で作品の世界観が女性だらけだと、百合っぽい傾向が出てもおかしくないのだが、この作品にはそれか微塵も感じられない。単に女性の書き分けが出来ていないからだという気もしないでもないが、いずれ任侠物だと考えれば納得できる。

 しかしこの辺になって覚醒者だらけになってくると、某「ドラゴンボール」の演出のように間を持ちすぎるのが気にかかる。もっとストレートに話を進めるべきだし、初めからそうなるように設計しておくべきだ。26話と決まっているのだから。
 さらにプリシラはこれらを越える、言ってみれば想像を絶するバケモノ状態だと判っているので、結局某「ドラゴンボール」のように、なんだか知らないが主人公はパワーアップするという事になってしまうのだろうが(そうしないと、絶対に勝てない)、これはジャンプ系マンガの欠点だ。
 この状況では、最終的に光速を越えた動きをしなければならなくなり、物理法則を完璧に無視しなければ成立しなくなる。そういう意味で、某「ドラゴンボール」と同じ欠点を抱いてしまったのが惜しまれる。まあジャンプという母体を考えると違うストーリーには出ないだろうから、ある意味どうしようもない。つまりこれは原作者と出版社の責任だという事だ。

 あと、ラキの存在が本当にうざったい。あそこまで肉体的、精神的に弱いのはアニメのキャラクターとしてどうかと思うし、そもそも主人公たちの邪魔でしかない。この世界観ならラキ抜きで充分ストーリーは作れるのだから、あのまま生き別れでよかったのだが。


2008年08月04日(月) 花火と押井

 苦竹の自衛隊で花火があった。会社からそう遠くないので寄ってみる。
 しかし毎年思うのだが、何故事前通告がないのだろう。毎年同じ日に開催されるからかも知れないが、あまりに不親切ではないだろうか。そもそも税金を使っているのだから、周辺住民には案内を出してしかるべきだろう。そしてこれは霞目駐屯地も同じである。少しは三沢基地の状況を見習うべきだ。
 でも花火は間近で見られたので、堪能できた。花火たるもの、多少スケールが小さくても、間近でゆっくり見られるというのは重要だ。それでこそ楽しめるのだから。
 しかし正門ルートでの車の量は凄かった。出るなら横のゲートから出るべきだろう。

 そして帰宅後、某準国営放送の「映画監督・押井守のメッセージ〜新作密着ドキュメント〜」を見る。
 私のように古くから押井作品のファンをしている人間には親切といえるかもしれないラストの構成の説明などは、普段映画を見ないようなタイプの人種には早すぎた情報だろう。
 だがいずれかなり役に立つ内容が含まれていた。録画しておくべきだったか。

 実は映画を見た直後、ネット上である人のところに私は「ラストは恋の戦闘開始」だと書いた。
 このセリフだけだと甘い言葉のように感じるが、この場合の恋愛とは、生死をかけた戦争である。映画の世界観から導き出されるのは、「目的のために生きろ、何のために死ぬのか考えろ」という事だ。
 だから映画では、草薙と優一の行動の意味が、誰でも判るような意味を持ってくる。本当に押井監督は判りやすい映画を作ってくれた思う。
 ただその判りやすさが、監督としての立場からは恥ずかしいのだろう。だからエンド・ロールの後にあえてああいう映像を付けるというフォームを取ったのだと思う。DVDが出たらどうせ買うから、ラストをカットして見るのも一興だ。多分イメージはかなり変わるだろう。これはこれで楽しみである。

 ところで今回の事前DVD、各種解説本、押井守の著書をずっと見ていると、情報量自体は多くないのに各々に載っている内容が少しずつ異なるという、いってみればある種の悪徳商法に近い。この程度なら自身の著書2冊、解説本2冊、絵コンテ1冊で事足りる。
 つまりはっきり言って、出す本が多すぎるのだ。もちろん大人の事情は良く判っている。だが観客である我々の財布からは無限にお金が出てくる訳ではないのである。この辺をもう少し考えて欲しいものだ。


2008年08月03日(日) 「スカイ・クロラ」

 昨夜は「スカイ・クロラ」を観てきた訳である。22時45分で40人弱。
 結果から言うと、非常に面白かった。原作ファンからはどう見えるのか判らないが、相変わらずの押井作品に仕上がっている。封印したのは食事シーンだけだろう。これは「アヴァロン」の時にメジャーを狙うならカットするべきだととんでもなく不評だった事からも判るように、押井作品の食事シーンは非常に危険なのである。

 オープニングの監督の文字が滑走路に近づくと影が写り、文字が飛んでいるように見えるのだが、これは何かの映画で使われていたはずだ。なんだったのか思い出せないが。

 しかし戦闘機のシーンは予告編から想像していた以上の素晴らしい出来だ。これは「邦画での劇場公開を前提とした予算編成での映画」としては、現時点での最高峰だろう。もちろん現在の技術なら金に糸目をつけなければ実写と全く同じクオリティの映像は作れるかもしれない。だが経済効果を考えた映画というシステムで、しかもほぼ海外配給が考えられない邦画のレヴェルでは、多分押井監督以外には作れない。当然宮崎、大友でも不可能だ。理由は単純で、技術面だけではなく、納期、予算の枠まで考えないと製作は不可能だからだ。
 それ以外にも、カメラ位置の問題やセンスの問題で、やはり簡単に作れる映像ではない。好きだからこそ作れる映像なのだ。

 だが人物については、「人狼」のような割と平面な感じで少し違和感があったが、これは全体が映画として上手く構成されているので違和感はなくなる。映画を見るというのはそういう事なのだ。そもそも押井監督は、CGIによる人物描写はまだ不完全で、人間による作画の方がマシだと言っている。結局どれだけリアルにCGIで作っても、最終的にはデスマスクから脱する事ができないのだ。
 そしてこの絵なのに、草薙のしぐさが予想以上に色っぽく見えてくるあたり、さすがは押井監督である。伊達に年は取っていない。というか、この人の感覚が往年のヨーロッパ映画によって磨かれてきたのは周知の事実だが、我々の世代は多かれ少なかれそういう映画を多く見てきたのだから、押井監督の女性の描き方を一番理解しているのも我々なのかもしれない。

 しかし今回の映画で、何故ワルサーPPKのハンマーをコッキングしたままにするのか理解できなかった。シグナルピンの描写があるから、デコッキングしておくべきだろうに。仮に誰でも判るようにというのなら、PPKを使う意味はないように思うのだが。

 さて、ここからネタバレである。
 私は基本的に映画のネタバレは大歓迎である。それをしなければまともな批評、感想など書けないからだ。だからネタバレが嫌いという人は、以下を読まない事。

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 今回の押井監督からのメッセージは、「人生とはいかに死ぬかという目的に向かって努力する事だ。何もしなければ無味乾燥のエンドレスが続くのだから、それを楽しむ術を得よ。それが人生である。」だと私は受け取った。

 ラストのティーチャーとのドッグ・ファイトで優一は戦死する。草薙に生きる意義を悟らせ(これが死亡フラグだ)、コクピットに直撃を受け風貌が真っ赤になる。そして機体が未帰還で終わるから、戦死は間違いない。ここで映画は終わりエンドロールとなるのだが、「監督 押井守」の後に続きの映像がある。

 散香が飛来し、優一に良く似たパイロットが降りてくる。名前は別だ。だがここで草薙が「待っていました」と微笑み、またうっすらと口紅も付けている。つまりこのパイロットは優一のコピー、クローンだと思われるのだ。ここで草薙は彼に対して「恋愛の宣戦布告」をしたのである。優一は前任者「ジンロー」のクローンの可能性が高い。だから草薙はあれほどまでに悩んでいたのだ。だが優一により生きる目的を理解し、短い間であってもそれを謳歌すべきだと悟ったのだ。例えそれがクローンであっても、だ。押井監督が立派に活動している秋葉の人間を認めるのは、その人が社会とまともに対峙しているからなのだ。社会と対峙している人間に対しては、その対象を問う意味はないのである。

 映画の中で、瑞樹は草薙の娘だといわれる。父親はティーチャーだという噂だがそれは判らない。だが少なくとも娘だというのは正解だ。だからこそ草薙にはパートナーが必要なのだ。それは人生に絶望していた彼女にとって恋人なのである。それが優一という存在だ。
 これは整備の責任者である笹倉が女性だという点からも明白だ。彼女は基地で母親としての存在なのである。つまり父親がいて母親がいて子供がいたら、あと必要なのは夫婦または恋人である。押井監督の意図は明白だ。

 多分押井監督の当初の構想では、このラストはなかったと思う。だが若者にストレートに生きる意義を提示したいと考えた場合、このエンドロール後の話が必要だと考えたのだろう。
 押井監督が好きなヨーロッパ映画なら、ここは全くの無駄だ。なくても良いというより余計なお世話だろう。だが現在の若者にはそこまでしないと意図が通じないだろうし、それは若いスタッフなどと仕事をしていて彼も身にしみて判っているはずだ。
 だが彼は監督でもある。このラストを映画としてどうするか、散々悩み、その打開策がこのエンドロール後の映像なのではないだろうか。つまり職業監督としてのセンスを取るか、若者へのメッセージを取るか、この映像はその妥協案なのだ(そう考えた場合、エンドロールが終わる前に立ち去った人は、押井監督のヨーロッパ・テイストの映画を観たという事になるかもしれない)。

 今までの彼の作品は、10年経っても映画として立派に残り、その時々にその時代の人に語りかければ良いというスタンスだったが、今回は今劇場で観ている、今の日本に生きる若い観客へ語りかけたいという想いがある。
 これが映画「スカイ・クロラ」における、今までの押井監督と違う最大の点だ、と思う。


2008年08月02日(土) そろそろ行くぞ

 またも組仕事。土曜が休みの人が羨ましい。

 予定では「スカイ・クロラ」を早めに観に行くつもりだったのだが、予定外の仕事があちこちで起こり、その余波を食らって遅くなってしまったのである。行き当たりばったりは、会社としてダメだろう。

 そんな訳で、今日届いた「クレイモア」の7巻目を先に見る。
 しかしこのあたりになると、敵の絶対的強さを強調するためなのだろうが、余りにも死亡フラグが立ちすぎる。そして死亡フラグが立ったからにはもう少し切なさなんかを出してから死んで欲しいのだが、これがもう瞬殺である。あまりにもったいない。もちろん演出上での時間稼ぎをする必要などないが、まったく意味がない死に方が多すぎる。この辺は原作に則っているので、原作者の責任ではある。
 そもそも24人もの人間を出してしまったら、作者としても制御は難しい。結局こういう安易な手法に頼る事になってしまうのである。やはり原作者は己の力量に合った展開を、きちんと構築してから描くべきなのだ。

 というところで我慢も限界になったので、22時45分からの「スカイ・クロラ」を見る事にした。
 時間の都合で「仙台コロナワールド」に行くのだが、ここは映画館の施設としては良くない。以前、「ウルトラヴァイオレット」を観た時、あまりに変だと思い「109シネマズ富谷」まで再度観に行き、画面、音響ともに納得してきた。コロナは設備面もスタッフもレヴェルは著しく低い。所詮はパチンコ屋だ。

 ただ、うちから近いというのが問題なのだ。
 富谷はちょっとばかり遠い。おいそれと行ける距離ではないのだが、シネコンの設備としてはマトモだ。この辺は腐っても東急という事か。


2008年08月01日(金) 金のエンゼル

 もう8月である。4ヶ月もすれば冬だ。半年もすれば春である(アホか)。

 先日買った押井守の「凡人として生きるということ」をちょっと読んでみたら、これがあっという間に読み終わってしまった。根本的な構成としては活字が大きいし行間も広い。速読が出来る人なら20分でおつりが来る程度の密度だといえる。
 内容も今まで彼があちこちで言っている事を再構成したという感じの内容なのだが、やはり目新しさがないので、1時間程で読み終わるほど、自分にとっては中身がないのだ。今回はちょっとばかり期待はずれの本だ。
 というか、押井監督としての仕事の戦略については、もう「イノセンス」の時に出し尽くしているのである。ビジネス・モデルとしての話も、実は全て出し切っているし、プロダクションIGの事も、ちゃんと石川本人の本が出ている。
 つまり、ビジネスでの戦略に関する押井の本は、我々にはもう古い内容なので何の役にも立たない。もちろん、今になって初めて押井監督の存在を知った人にはいいかもしれないが、それだと彼の歴史を知らないから内容の重みが判らないと思う。
 ちなみに今回も、映画にかこつけて鬼のように関連の本が出る。押井守名義とアニメ関連だけで現在判っているだけでも10冊を越えているのだ。まったくお布施を出す方の身にもなってもらいたいものである。

 そんな事を考えながら日記を書いていた訳だが。
 実は今日、初めて「金のエンゼル」の実物を見た。もちろんチョコボールのアレである。
 今まで「銀のエンゼル」は何度も引いたし、実際子供の頃に私も妹も、そして子どんぐりも「おもちゃの缶詰」はゲットしている。だんだんと変化していったのは面白かったが、いずれも銀のエンゼル5枚での応募だった。
 それが今日、しばらく前に買ってあったチョコボールを開けたら、なんと金のエンゼルが付いていたのである。実在したんだと本当に驚いたし、まさかうちで当たるとも思っていなかったから、なんとなく嬉しいものである。


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