どんぐり1号のときどき日記
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先日、量販店でデジカメを見ていた。もちろん一眼レフ・タイプである。 色々と熱心に見ていたから、当然のように販売員が寄ってきて、色々と説明を始めるのだが、悲しい事に私の方が詳しいのである。彼らの知識は、私にとっては何の役にも立たないし、そもそも古い。
そして致命的なのは、彼らはカメラを電子機器として扱っているので、ある重大な問題を見落としている。それは「レンズ」の存在だ。 そもそも普及タイプのデジタル一眼に何故17ミリというレンズが必要なのか、これが判っていない。おそらく写真というものを撮った事がないのだろう。デジタル用とフィルム用のレンズの違いも全然判っていない。 つまりカメラというシステムは、カメラ本体も大事だが、それ以上にレンズの方が重要だという事が全然判っていないのである。フィルムの時代には、カメラ本体が10万位でも、レンズ一本が15〜20万というのは普通で、それが何本か必要だったのである。レンズの方が金がかかるのは常識なのだが、それが何故なのかを知らない連中がカメラ本体を売っているのだ。 なんだか世も末だと感じる一瞬だ。
そんな仮の世紀末だが、ここしばらくアニメの「クレイモア」を見ている。 昨日までで15話まで見たが、思っていた以上に楽しめる作品だ。なんというか、殺戮と人情話のバランスが上手く、女だけで任侠物をやっているような感じである。これはうまく作れば結構ハマる構成だろう。ちょっと「武装錬金」を思わせる演出といえば判りやすいかもしれない。 で、この話の妖魔の設定についてどこかで聞いたような気がしていたが、ついさっき思い出した。「ウルフェン」である。 この「ウルフェン」は、太古より人間を捕食し人間社会の影で生きる「犬科オオカミ属サピエンス」。人間を越える知性と能力があり、独自の文化を持つ。対峙すれば圧倒的な恐怖を撒き散らし、とても人間が勝てるとは思えない存在。つまり本当の意味での人間の天敵である。現代で彼らに負けない唯一の方法は、彼らの存在を公にする事しかなく、そのための戦いが面白いのだ(原作は非常に面白いが、映画はイマイチだった)。
この辺の雰囲気が「クレイモア」前半の妖魔の雰囲気に似ている。原作者かスタッフの誰かは「ウルフェン」を知っていると思うのだ。もっともここまで見ていると、後半ではただのバケモノ退治の話になるのではないかという予感はするのだが、いずれ前半はなかなか良い雰囲気だ。
ちなみに「ウルフェン」は映画化されたが、同じ頃に上映されたのが「ハウリング」「狼男アメリカン」で、これらがあの「スリラー」につながっていく。ある意味良い時代だったのである。
| 2008年07月30日(水) |
ギララは行ってしまった |
今日は「クレイモア」の1巻目が届いた。ここには書けない物も届いた。
そんな今日は早く帰って「ギララの逆襲」を見たかったのだが、帰る直前になって多田建設が倒産したと言う情報が入った。有名な話だが、ここは会社更生法を申請するのは3回目なのである。それだけでも前代未聞なのだが。うちもグループ会社と合併した時に、色々あって簡単に切れなかった先なのだ。 早速ネットでHPを見るとコンテンツはすべて消えており、あるのはただ「会社更生申告のお知らせ」だけである。 そこからもう大騒ぎで、結局20時になってしまった。やはり20,000,000万近くが引っかかってしまった可能性が高いので、色々と調べる事があるのだ。
しかし最近の企業は計画倒産が多い。これだとなかなか兆候が見えず、被害が大きくなってしまうから、ある意味悪質ではある。それというのも銀行が融資を突然打ち切るようになったからだ。自分の資産を確保したら、あとはどうでもいいのである。もっとも銀行とは昔からそういうもので、何も変わってはいないのだが。 だから企業側にもある程度頭が回る奴がいれば、銀行がいつ融資を打ち切るかの予想がつくので、それにあわせて準備が出来るのである。
そんなこんなで結局「ギララの逆襲」は行けなかった。明日明後日は月末なので当然ムリだし、来週には日中1回になるのでこれまた無理だ。
ところで全然関係ないが。 先日、家の窓のすぐ近くでひぐらしが鳴いていた。ひぐらしと言えば夏の夕方に遠くで鳴くのが聞こえると物悲しさを誘う、まさにマスト・アイテムだろう。 だがこの時は違った。すぐ近くで鳴くのを聞いたのが実は初めてだったのだが、その音の大きさといったら信じられないほどの大きさだったのである。真面目に驚いてしまった程だ。こうなると物悲しさとは完全に無縁である。 そしてこの音量で聞く事で、なぜあの映画でこの音が使われたのかが判った。それは「Them!」、日本では「放射能X」で知られる作品だ。 確かに間近であの鳴き声を聞き、怪物に襲われたらトラウマになる事請け合いだ。スタッフはその辺が良く判っていたのだろうが、日本では物悲しさの代名詞でもあり、当時は不思議で仕方がなかったのだ。 映画を初めて見てから約40年にして、謎か解けたような感じがする。
最近はネットのニュースを見る方が多くなってきた。だがネットのものは表面の情報だけ、つまり概略の説明しかないのであまり役に立たないし、それは基本的に面白くもなければ勉強にもならないのである。
例えば「ライヴドアの堀江被告に実刑判決」というニュースがあったが、本当にそれだけなのだ。背景はもちろん、なぜ実刑判決が下りるかの説明がない。 ちなみに粉飾決算を行った責任者には、必ず実刑判決が下る。今の日本では例外はない。何故例外がないのかの説明などネットでは全くないが、この程度なら想像力があれば判るだろう。そうしないと株式というシステムが根底から覆され、ひいては日本の経済システムが崩壊してしまうからだ。株式というのは、実はかなり危ういシステムなので、運用は正直でないとダメなのである。 本来ならこういう背景も多少は説明してしかるべきなのに、これではニュースとしての価値がない。
あとはそろそろ始まる「裁判員制度」についても、あまりにニュースは少ない。 自分の会社でも、呆れてしまう度に皆無知だ。勉強しようという意志がないから当然なのだが、そんなバカに裁かれたいと誰が思うだろう。 今のままでは、裁判官制度自体が早い段階で崩壊するのが目に見えている。マスコミは一体何を考えていのだ。自分たちの存在意義が問われているのである。いい加減真面目に仕事をしてもらわなければ、社会が困るではないか。
そういえば飲酒運転に関してマスコミがおかしいと思うのは、飲酒運転を否定しない意見も載せている事だ。これは平等という意味を完璧に取り違えている。 ある記事で、飲酒運転をした公務員が免職になったが、多分自分たちにも心当たりがあるバカ同僚たちが嘆願運動をして結局クビをつないでやった。これは本当に愚かな行為なのだが、そこである弁護士が「たった一度の飲酒運転ごときで、30年真面目に働いた人の生活を潰していいのか」などと言っていたのである。 はっきり言うが、飲酒運転をする奴は人間ではない。以後生きる資格などない。このバカ弁護士は、飲酒運転の被害者の事を一体なんだと思っているのだろう。また公務員という社会も同じだ。あまりに常識からかけ離れている。
少なくとも飲酒運転の撲滅に関しては警察もやる気が全然ないから、これはもう法治国家というシステムを利用するしかない。飲酒運転は殺人と同じ扱いにするべきなのである。 そのためにも裁判員制度を活用しなければならないのだ。
| 2008年07月28日(月) |
サウンド・オブ・スカイ・クロラ |
「クレイモア」の残りは徐々に集まっているとの連絡があった。楽しみである事だよなぁ。
そんな今日、密林から「スカイ・クロラ」のサントラCDが届いた。 本当は「キース・エマーソン・バンド・フィーチャリング・マーク・ボニーラ」も一緒に頼んでいたのだが、どうもこちらは遅れているらしく、「スカイ・クロラ」単品で届いてしまった。ま、別に構わないが、やはり早くキース・エマーソンの新作も聞きたいものである。
その「スカイ・クロラ」のサントラだが、今回は川井憲次による、短いがライナー・ノーツが入っている。やはり川井作品はこうでなくてはいけない。作る音楽と書く文章のとんでもないギャップが楽しいのである。 最近はこのライナー・ノーツも、本人が忙しいのかあまり見られなくなったし、今回もどちらかといえば短い。それでもこれが入っているだけで、気分は全然違うのだ。 川井憲次という人は、人間的にはとてもいい人なのである。これだけのビッグ・ネームになったにもかかわらず、自分の失敗を面白おかしく書いてくれるのだから。
ちなみに昨日買った「スカイ・クロラ ナビゲーター」に書いてあったが、今回の音楽は「イノセンス」と方向性が正反対なのだそうだ。「イノセンス」はあくまで俯瞰の音楽との事で、言われて初めて納得する。今回はテーマが全然違うから俯瞰の音楽は使えないと判断したそうである。つまり押井作品には珍しい「普通のサントラ」になっている訳である。なるほど。 という事は、映画として見た時には素晴らしいだろうが、アルバムとして聞くと物足りない可能性もある。まあ押井監督と組んだ彼の作品には、必ず良い曲があるから別に構わないが、いずれ彼の作品で印象に残るのは「俯瞰域からの音楽が圧倒的に多い」という事かもしれない。多分これは正しいと思う。
という訳で「スカイ・クロラ」のサントラを聞き終わった第一印象は、「いい曲もあるしいかにも川井サウンドなのだが、なんだか少し物足りなかった」のであった。やはり俯瞰の音楽の方が良いのだろうなぁ。
さすがに今日は11時過ぎまで寝ていた。年甲斐もなく、一気に「クレイモア」なんかを10話以上見るからだ。
それでも最後のお中元の手配をするために出かけなければならないので、昼食を取って早々に外出する。確かすずめ踊りとかをやっているので町中は混むかもしれないが、仕方がない。 でも、あれだけガソリンの値段が上がって皆運転を控えているという報道があったのに、車の量は全然変わらないではないか。やはり仙台も所詮は地方都市のひとつだという証拠だ。車がないと何かと不便な町だという事である。
贈り物は、やはり相手の好みとこちらの好みを考えているとなかなか決まらないが、とりあえず自分の好みを多少優先させてとにかく送ってしまう。 本当は別のセットが送りたかった先もあるのだが、今年はそのセットがないとの事で焦る。仕方がないので箱に詰めてもらう事にしたが、箱のサイズで中身が決定したのがちょっとだけ悲しい。
ついでに本屋に寄る。 買ったのは「スカイ・クロラ ナビゲーター」「ストレンジ・デイズ 8/9号」「GUN 9月号」「世界の名機シリーズ F-22ラプター」である。これだけで5,000円というのもどうかと思うし、なかなかメチャクチャなセレクトに見えるかもしれないが、私とはしては必要な本である。
本当は新聞に載っていた「ゲバルト時代」(中野正夫 パジリコ 1890円)が欲しかったが見当たらない。 実は朝日新聞でこの評を書いていたのは唐沢俊一だった。だから欲しいという訳ではないのだが、どうも引っかかるものがあるのだ。 あの失敗した学生運動を起こした当時の学生たちに対して、あまりに考えが甘いのであくまで否定的な態度を取る私としては、この時代を当事者が書いた本はことごとく手前勝手な理想のみを語り、自分とあのムーブメントを正当化しているだけにしか見えない。だから学生運動の尻尾である押井守の書く本は、あまりにストレートであるがゆえに面白いのだ。彼もこの学生運動にいたく失望した一人なのである。 今回の「ゲバルト時代」は、方向性としては極めて押井作品に近いような予感がする。これについては唐沢の評を信用した訳ではないし、押井作品を例に出した部分はむしろ気に入らないのだが、それでもあえて出さざるを得なかったのだろうという気もするのだ。 こういうところは自分のカンを信じる。
そしてその押井守が「凡人として生きるということ」なる本を出す。これも明日発売なので置いてあるかと思ったが、さすがに見つからなかった。ちなみに幻冬舎新書というのが驚きだった。 しかしこの本の題名はなんなのだ。押井監督ほど凡人という言葉から遠い人も珍しいだろうに。一体どんな内容になっているのやら…。
押井監督といえば、リボルテックでケルベロスが出るという情報が、あかいメガネさんからもたらされた。 写真を見ると「紅い眼鏡」ヴァージョンなのだが、とにかく2,000円弱でこの出来は凄い。しかも良く動く。やはり凄い時代になったものだとつくづく思う。これなら3体買えそうだ。
なんだか色々とそわそわしてしまった日曜だった。本来なら明日も休んで町中に出たいところである。
今日もまたまた粗仕事。 しかも朝から、請求書を出していたプリンターがトラブって大騒ぎとなり、9時前に疲れ果ててしまった。
そんな事はともかく、として。 KCの情報によれぱ、「ブラックラグーン」の8巻では、あのシェンホアとソーヤーが活躍するらしい。という事はロットンも出るという事になりそうだが、現状での彼はコミック・リリーフにしかならないだろう。 それでもソーヤーはアニメ向きの演出がぴったりで、なによりゴスでチェーンソーなところがステキだし、シェンホアはあの街で一番優秀かつ冷静な殺し屋なので映画向きだし、アニメの3rdシーズンには期待大! だ。
夜に予定通り「クレイモア」を見始めたら、予定外な事にこれが止まらなくなってしまった。もっと早くから見ればよかったと思ったが、時すでに遅し。結局2時過ぎまでかかって、4〜15話まで見てしまう。つまり届いた全てを見てしまったのであった。おかげで「鉄腕バーディーDECODE」は見逃してしまったが、まあ良い。 この「クレイモア」はさすがに絵にはテレビ・アニメ特有の甘さがあるし、演出の軽さも多いが、殺伐とした殺戮話の間に濃厚な人情話が挿入され、なかなか面白い部分もある。あの「BLOOD+」よりははるかにマシな作品になっている。 これは続きが早く見たいものだ。もっとも最後の方は、ただのバケモノ退治がメインになってしまいそうだが…。
ただあのOPとEDは相変わらず日本のテレビ・アニメだ。とにかくひどい。なまじバック、特にベース・ラインが良かったりするので、ますますヴォーカルの情けなさが目立つ。本当に腰が砕けそうになってしまうのだ。 もっともここまでひどいと、見る時に何の躊躇もなくすっ飛ばせるので、時間のない社会人には逆に良いのだろう。
| 2008年07月25日(金) |
線香花火は国産に限る |
とあるルートから社内便で「クレイモア」の2〜5巻のDVDが届いた。 先週電話で話をした時に、「これって好きそうだと思いますが」と言われていたのだ。どうして皆、私の好きそうなものが判るのだろう。不思議である(全然不思議ではないという声が、あちこちから聞こえてきそうだが)。
そんな今日は、夕方から会社のある卸町で縁日という名のビア・パーティである。ビールは飲まないがとりあえず参加しておく。 予想通り半分は仕事の話や私には全然興味のない話ばかりだったので、若い連中と話す。ステッドラーとかヘッケラー&コッホなんてのは、うちの職場では意味不明用語なのである。あとは推して知るべし。
帰り際に気がついたのだが、この時の売店で、日本製の線香花火を売っていたのである。 やはり線香花火は純日本製でないと、きれいに最後まで到達しない。あの最後の火の玉が落ちてこそ線香花火なのだが、中国製ではこうはいかない。わびさびは日本人の専売特許なのであり、繊細な花火というものは日本人にしか作れないのだろう。 という訳で係のおねいさんにこの時点での在庫を確認してもらったら、二箱あるというので購入。 ちなみに25本入り一箱350円なので、つまりは50本で700円也。安くはないがこれも仕方がない。
帰宅後、押井作品が好きだという非常に変わった会社の人(お前が言うか、というのは却下だ)から借りた「ガッチャピン」を見た。 なんというか、ガッチャマンが好きでガチャピンも好きだというスタッフのノリがとても楽しい。特典映像の花屋敷秘密基地作戦も面白い。やはりバカバカしい作品はこうやって真面目な精神で作らなければならないのである。
ちなみに「クレイモア」を今日見なかったのは、嫌な予感がしたからである。明日は会社なので、徹夜は避けなければならないのだ。
| 2008年07月24日(木) |
地震は続くよ、どこまでも |
12時を回って30分もしないうち地震である。 またもかなり揺れたか、CDが落ちたくらいの被害ですんだ。もっともケースがちまちまと割れつつあるのが困りものではある。本体にキズが付いたら終わりなのだから。
速報で震源地は久慈の近くと判ったが、今回は特に大きな被害はなかったようだ。とりあえず震源地に一番近いのはいわさきさんだ。
しかし発生から10分もしないうちに霞目駐屯地からヘリが飛び立ち、対応の早さに感心するとともに、やはりうるさいと素直に思ってしまう。やはりここまで近いとヘリがフル・パワーかつ低空で飛んでいくので、非常にうるさいのだ。まあ災害時だから仕方がないし、いずれ来る宮城沖地震の時には、確実にお世話になるのだから、我慢するしかない。
直後からmixiなどで生存確認というほどオーヴァーではないが、仲間内の無事の確認作業が行われる。 予想通り特に大きな被害はなく、いわさきさん以外はほぼ無事が確認された。八戸からもライフラインも概ね無事との連絡があり、今回の揺れは物理的な災害が少なかったと判った。つまり振動の周期が短いという事だ。これが三陸はるか沖の時との大きな違いだ。 しかし最近は、東北全域が連鎖であちこち揺れているようだ。いくら地震のメカニズムが違うとはいっても、地面の歪が解放されて起こっているのだから、全然関係がないと思う方がおかしいだろう。
そして朝の7時、通勤途中で岩崎さんに電話して、生存は確認されたし、被害もないと判明した。一安心である。 ちなみに会社では、マンションの12階にいた人が朝のニュースを見るまで地震のあった事を知らずに寝ていたという。要は酔っ払っていたという事である。困ったものだ。 そして八戸でも三陸はるか沖と同じくらいの揺れだったというニュースに対して、「三陸はるか沖地震ってなんだっけ」という連中も多かった。50を過ぎている連中が、である。これまた困ったものだ。 ただあの時の地震は、それから1ヶ月後に阪神大震災が起こり、さらに3ヶ月後には「世界初の化学兵器テロ」が新宿で起きている。まあ当事者でなければ忘れているという事だ。
だがこれでは災害での体験を無駄にしているのと同じで、知識が全然蓄積されない。だから今回の地震では、慌てて怪我をするという、本来の震災とは無関係なものがほとんどなのである。 地震は慌てたら負けなのだが、この負けというのは、死をも意味する。少しは真面目に考えて欲しいものである。
会社の取引先で不幸事があり、香典を用意する事になった。 それはいいのだが、この時支店長は必ず中袋を入れろという。それが五千円でも一万円でもなので、これには非常に違和感を覚えてしまう。私の場合、通常の香典なら中袋は入れないと聞いてたし、実際私の周辺では、転勤前の職場ですら中袋を入れるというのを見た事はなかった。
そもそも香典は、何故薄墨で書くのかという事を考えれば、丁寧に手間隙かかった香典などナンセンスであり、相手に対して非礼だという事が判るはずだ。
それを考えなくとも、必ず中袋を入れると、もらった方は後でコミが増えて大変なのである。 やはりその人の狭いエリアでは常識でも、他のエリアでは非常識という事があるのだ。それを無視して常識ではなく自分の考えだけを押し付けるのは、やはり亡くなった人への無礼だと考える。 郷に入っては郷に従え、というのは、至極明言也。
一昨日の「課外授業へようこそ」で、押井監督が子供たちに目線の違い、日常と非日常の違いを説明するのに「パトレイバー2」の刑事たちの捜査シーンを使用していた。
ここで押井監督は、刑事たちの他に人が全然いない事で非日常感を表しているという内容の事を言っていたのだが、この時に最近のアマチュアが撮る廃墟写真に対して自分が抱いている違和感の正体が判った。人物だ。 押井監督が言うように、廃墟に人物は不要だ。これは優れた廃墟写真を見れば判るし、実際に廃墟に行けば人の存在が無意味だという事が良く判る。 つまり「廃墟は人が存在しないがゆえに廃墟たりえる」のであり、決して廃屋だから廃墟だというものではない。生活感が過去のものであり、それすらも消えていくのが廃墟なのである。ここに普通の人物が介在する意味はまったくない。
mixi内には廃墟写真のコミュもあるのだが、ここではほとんどが廃墟に人を配置して撮っている。ひどいのになると、廃墟にコスプレイヤーを配置したためにまったく意味不明になった写真も多い。つまりこれらは、廃墟を撮るのではなく、廃墟をスタジオの代用としているにすぎない。つまりただの勘違い写真だ。 もちろん中には、極々少数だが、人物すらも廃墟の一部と化している素晴らしい写真もある。ただしこういうのは例外中の例外で、よほどの才能がないと表現は不可能だ。 本来、廃墟に人物を配置するならそれなりの理由が必要となる。それがない写真はただのポートレートであり、少なくとも廃墟写真ではない。もっともこの手の写真は、ほとんどがポートレートとしても意味をなさないレヴェルのものばかりだ。そもそも廃墟という素晴らしいシチュエーションで、よりによってコスプレイヤーを撮るとは、本当に何を考えているのだろう。
繰り返すが、基本的に廃墟に人物は不要である。それが判っていない人が多すぎる。
またもお中元を選びに町へ出る。 今日は2件送り、これで4件終了。後の2件は来週まわしだ。しかし贈り物なのでちょっとばかり良いものを贈った訳だが、この価格では自分で買って食べてみるというものではない。でも食べてみたいものだ。
そろそろ眼鏡も作り変える必要があるので、眼鏡屋を回ってみる。 しかし仙台の老舗の店では、多分自分の要望どおり作るととんでもなく高くなるだろうし、これはなんとかミキも同じだ。そして何万円堂とかの価格が一定の店というのも、自分のようにきちんと見えるようにするためにはとんでもなく要求項目が多いという場合に、どうも信用できなくなる。 最近出来たなんたら市場という店にも行ってみたが、店員が皆若くフレームも流行のものが圧倒的に多い。確かに一定価格で安く売るためには、人件費を抑え、仕入れ価格を抑えるというこの戦略が最も簡単で確実だ。だがそこまで原価を押さえると考えた場合、果たして自分にあったレンズを選ぶという部分で時間をとらせてくれるのか、はなはだ疑問になってしまうし、そもそも検眼する人のレヴェルも疑いの眼差しになってしまうのは仕方がないだろう。 結局どこで作ったら良いのかさっぱり判らなくなる。もちろん金に糸目をつけないのなら迷わず老舗の店に行く。だがそれが出来ないから迷うのである。 なまじ高いレンズの方が良いというのが判っているだけに(カメラのレンズと同じなのだ)、ますます迷ってしまうのだった。
そして帰り際に別冊宝島の「押井守ワークス スカイ・クロラ」とブルーバックスの「今さら聞けない科学の常識」を買ってくる。前者は先週から探していたのだか、意外と置いていないものだ。やはり世間一般の大人は「ポニョ」にしか興味はないのだろう。いや「ポニョ」ではなく、「宮崎駿」にというのが正解か。私はもうこの人には何も期待していないのだが…。
ちなみに本当は「音盤考現学」と「音盤博物誌」が欲しかったのだが、見つからなかったのである。これは中を少し見てから買いたいのだが。やはり私が欲しい本は、あまりその辺には置いていないという事か。 そういえば国書刊行会の本は仙台では簡単に見つからないしなぁ。
あかいメガネさんからの情報で、「課外授業へようこそ」を見る。もちろん押井守が出るからだが、情報がなければ見逃すところだった。危ない、危ない。 今回のテーマで彼が子供たちに伝えたかった事はひとつ、「視点を変える事で物の見方が変わる」である。そのためにパトレイバー2でロケした隅田川を舟で移動し、逆に高層ビルから同じ場所を見下ろす場所に連れて行く。確かに小学生にこうやって系統立てて視点の移動を見せる事などそうそうないだろうから、小学生でなくとも楽しい経験になるだろう。羨ましい限りである。 そして視点が変わると自分の気持ちも変わるという部分まで教えていた。こういう部分は小学生のうちに教えておくべき事だろう。偉くなったと勘違いした人が、何故高層ビルを建てたがるのか、良く判ろうというものだ。 しかし本当にここ2〜3年で押井監督は変わった。劇的と言っても良いほどだ。
その後、何故か「アキラ」を見る。 実に久々だが、今見てもあの破壊描写は間違いなく一流だし、欧米のアニメーションでは絶対に真似が出来ないレヴェルのものだ。スタッフは実に素晴らしい仕事をしたと思う。 そしてこれを今見る事で、何故「童夢」の映像化が流れたのかが良く判る。その理由は明白で、「童夢」でやるべき事はすべて「アキラ」でやってしまっているのだ。だから現時点でどうしても「童夢」をやりたければ、まったく新しいアプローチが必要となるのだが、それはかなり難しい作業になる。イメージのインパクトを第一に置いた映像だから当然だろう。 そして「童夢」をやりたいと考えるほどの人なら、その大変さも充分に判るから、結局手を引くのである。
ところで今日は日本中が猛暑だったらしいが、ここ仙台は涼しかった。なにせ24度あるかないかで、しかもそこそこ風もあったので、本当に過ごしやすい一日であった。猛暑ってどこの国の話だろうと思ってしまったくらいである。 そして夕方にはヒグラシが鳴いていた。こう書くといかにも涼しげだが、実はかなり近くにいたらしく、そのあまりの鳴き声の大きさにちょっとばかりビビってしまう。鳴き声が物悲しさをイメージするのはそこそこ小さい鳴き声の場合であり、あまりに大きい鳴き声は物悲しさとは無縁だ。 だからヒグラシの鳴き声をちょっとだけ加工して利用した「放射能�勝廚忙匐,�トラウマになっているシーンがあるのだが、確かにすぐ近くであんな大きなヒグラシの鳴き声がしてTHEMに襲われたら、トラウマになるのも充分理解できる。
そんな事を考えつつ今度は「攻殻機動隊S.A.C.」をちょっとだけ見たら、またも止まらなくなってしまい、結局6話まで見てしまう。やはりこういう良い作品は何度見ても鑑賞に堪えるだけのパワーがある。 でも脚本一本に2ヶ月近くかけるというのは、他の作品では不可能だから、つまりこの作品を越えるものは今後絶対に出てこないという事でもある。悲しいものだ。
今日はお中元を求めて町へ出る。 先週町に出た時に目をつけていたものがあったのだが、今日改めて確認したら賞味期限が4日…。これではとても贈る訳にはいかないので、諦める。結局いいのが見つからず後日へ持ち越しとなった。
帰り際に「プルート」6巻目を買う。ゲジヒト刑事も倒れ、いよいよ最後はイプシロンだけとなり、物語りは佳境である。この作品の題名は「プルート」だというのが良く判る展開になってきた。 ただしどうにも気に入らない部分もある。国際社会を舞台にした最近の作品は、911テロに端を発した一連の紛争をあまりにストレートにトレースしすぎるのだ。こういうのはあまり露骨に描写しても仕方がない。いかに咀嚼し、自分の作品の中に溶かし込むかが大切だろう。 近年の星野之宣作品がつまらないのはこのためで、911以後のアメリカとヨーロッパを、あまりにもステレオタイプとして扱っているのだ。これではその辺の頭の悪いマスコミの記事と変わらない。ここには分析が欠落してしまっている。 だから「プルート」ではこの過ちを犯して欲しくない。せっかく傑作になろうとしている作品なのに、あまりにストレートにマスコミのロクに調べもしていない内容を利用するのでは、5年後10年後に恥をかくだけである。
そして「映画秘宝」と、久々の「キネマ旬報」を買う。 本当は「スカイ・クロラ」関連のムックを探しているのだか、なぜかどこにも置いていない。不思議だ。
| 2008年07月18日(金) |
床屋とポニョとギララ |
今日は楽天の試合があるとかで、20人以上がさっさと帰っていった。もっとも天気が悪く、果たして試合を行うかどうかは微妙なところだ。 という訳で、私もさっさと帰宅して床屋へ行く。気がつかなかったが、3ヶ月ぶりのようだ。うっかりすると2〜3ヶ月忘れてしまうのは、やはり年ともに月日の経過が早くなるからだろう(本当か?)。 そして床屋にいるとき、ニュースで野球の試合中止のアナウンスが流れていた。ご愁傷様、である。
明日からいよいよ宮崎監督の「崖の上のポニョ」が公開なので、メディアも大騒ぎである。 私はもともと観に行く気など全然ないし、そもそも現在の宮崎作品には何の期待もしていない。あそこまで脚本が破綻していては、映画作品として観る価値はないからだ。 でもその破綻している作品の方がヒットするというのも、日本映画界の異常さが現れているといえる。映画界にすれば売れれば勝ちだから、どうでもいい事なのだろう。
そういえば河崎監督の「ギララの逆襲」は、どうやら26日から利府という事が決定したらしい。できれば観に行きたいが、たけしの扮する役どころに大きな問題があるから、多分観ればがっかりするのは間違いない。この辺はどうも河崎監督との意見の相違だし、世の中の怪獣ファンは皆同じらしい。 私は怪獣映画に「怪獣プロレス」を望んでいない。むしろ「特撮映画」を観たくて仕方がないのだが、どうしてもそういう映画は作られない。昔の東宝映画には、ゴジラ・シリーズとは別の「特撮映画」があったのだが、ああいう作品はもう望むべくもないのだろう。 何故私の好みはいつも、マイナー扱いになるのだろうか。
| 2008年07月17日(木) |
案内と「ゼイラム2」 |
一昨日連絡のあった、小学校の同窓会の案内が来た。 中を見ると先生も来るというので、これは行った方がよさそうだ。こういうメンツで合える時間は限りがあるのだから。そもそも行方を不明している人も結構多いようで、はたしてどれだけの人か参加できるのだろうか。
しかし近況の写真も送って欲しいとの事で、これには困った。 最近撮った写真なんて、OB-CONやまさあきさんちへ行った時のものくらいしかない。新規で撮るのもなんとなく恥ずかしい。どうせなら1/200のサンダーバード2号と一緒に写るか?
唐突だが久々に「ゼイラム2」を見る。 やはりこういう時代を作った作品はたまに見ると面白い。主役の森山祐子は、スケバン刑事の南野陽子と同じく、かなりアクションでは頑張った作品で、その成長ぶりが良く判る作品でもある。 ただプロップ・ガンがリボルバー・タイプというのはちょっとばかり問題があった。イングラムも電気着火タイプなので反動がなく、多分実銃での射撃経験もなかっただろうから、アクションで頑張った森山祐子と言えども、反動がまったないメイン・ウエポンの反動再現には無理があったようだ。だがこれについては彼女の責任ではない。当時の日本なら仕方のない事なのだ。
だから押井監督は映画の「攻殻機動隊」を作る時、アニメーターまでをグアムへ連れて行き実弾射撃を慣行している。やはりこういうものは経験しないと判らないし、判らないものは映像化できないのだ。 押井監督の判断は非常に正しかったと言える。
| 2008年07月16日(水) |
youtubeでHighway Star |
今月から放映されているという「鉄腕バーディ」だが、KCからの情報で、深夜枠だがなんと東北放送でも放映されていたのだという。これは全然知らなかった。宣伝媒体が、我々のようなロートルは相手にしていないという事なのだろう。
そんな夜。youtubeでDream Theaterのライヴをいくつか見ていたら、例のHighway Starのカヴァーも見つかった。さすがはいつもの完コピ・シリーズの一曲だけあって、見事なまでのコピーである。 しかし完コピとは言え、やはり彼らは現在のトップ・バンドである。リードなどは、当時のリッチーを凌いでいるが、そうでなくては完コピする意味はないし、実際影響があったからわざわざアルバ1枚を完全コピーする訳で、ここまでやって初めてリスペクトと呼べるのだ。何より、見ていて楽しいのである。 なおこの曲で良く勘違いされるリードのソロ・プレイの速弾きだが、いくら速くても音がきれいに分離されていなければならない。イングヴェイのように、いくら速くても音が繋がってしまい分離されていないものはダメなのである。
そしてHighway Starつながりで見ていたら、桑田佳祐のライヴも出てきた。 我々の世代でロックを聞いていたら、Highway Starの影響は絶対に無視できないし、プロ級のテクニックが備わればやってみたくなるのも当然だろう。 だがライヴとは言え、やはり彼はあまり上手くない。基本的に彼の声では無理があるのだ。またバックもゆっくりで、比較するまでもなくdream theaterは本当に上手いと思う。
さらに言えば、Demon Kogure & Sex Machineguns によるBurn (つまり「紫の炎」だ)も素晴らしい。これはデーモン小暮によるものだが、さすがにオペラも出来るといわれる彼だけの事はあり、非常に心地良い。彼は桑田よりはるかにロックの聴かせ方見せ方が上だし、日本においてロックというものの本質を理解している、数少ないメジャー・シーンのミュージジャンなのである。
しかしジェイムズ・ラブリエは、発音が微妙になまっているが、いつまでも治らない。これはもうずっとこのままなのだろうなぁ。
取引先が倒産したという情報があった。直後に弁護士から手紙が来て、しかも社員は全員行方不明、会社自体はとっくに警備会社が警備の工事をしていた。つまり計画倒産である。 かなり優良な会社で、会社の審査部門ばかりか信用調査会社も銀行もまったくノーマークだった程である。イメージとしては、ソニーやホンダが突然計画倒産したようなものだ。 もっとも今になって考えればそれらしい兆候が一つあったというが、そんな事は関係ない。うちの会社は情報の共有、伝達が悪すぎるのだ。原因はひとえにそれである。その対策を立てない限り、何度も同じ間違いをするのは明白なのに、やはり情報の共有化には全然乗り気ではない。要は情報を独り占めしたいのである。それでいて自分が知っているから他の人も知っているものだと勝手に勘違いして、こういう事態になると怒り出す奴もいるのだ。 業績が伸びないのも当然だろう。
夜になって小学校の同級生から電話。 なんと8月16日に弘前で同窓会をするのだという。前回の同窓会からほぼ30年、卒業時から考えると40年近く会っていない人もいる事になる。早いものだ。 ちなみに私の小学校は、6年間クラス替えがなかった。つまりずっと同じクラスで、担任も特別な事情がなければ変わらなかったのである。後から聞くと、市内でもそう多くあるパターンではなかったらしい。らしいというのは同じ学年の資料がないからだが、知っている限りではあまり聞かない。もしかしたら、何らかのテストケースだったのかもしれない。
それはともかく、やはり昨年のOB-CONではないが、会えるチャンスがある時には会っておいた方が良い。次回はどうなるか判らないのだから。 という訳で、お盆の時期は忙しくなりそうだ。
朝に雨が降り、今日も涼しいかと思いきやめちゃくちゃ暑くなる。しかも湿度も上がって不快感のなんと充実した事が。 こんな時は「28度のクールビズ」という発想がいかに労働効率を下げているかが実感される。現在の都市化した状況での28度とアスファルトがない時代の28度では、快適さが全然違うのだ。
そして今日から社内監査だが、実は色々と問題がありまくりで、はたして無事に終わるのかどうか。まあ課題は大量に出てくるだろう。
そんな快適とはいえない今日、帰宅すると昨日注文した「The Future Was F.a.b.: The Art of Mike Trim」と「Century 21 FX」が届いていた。なんだか知らないが異様に早いではないか。普段からこのくらいテキパキと配達してもらえれば助かるのだが、物によってはメールが来てから実際に届くまでに2日以上かかる事もある。 こういう差がどこから来るのか判らないが、是非とも改善して欲しいところである。
そんなテキパキと届いた本を早速見た訳だが、これは価格に見合った内容だと言える。少なくとも届いた本を見てガッカリという事はなく、結構ワクワクしてしまう。 どちらも写真やイラストか多く、写真からフィードバックすればある程度の内容は判るし、特殊な特撮関係の用語も判るから、全部読むなどと考えなくても、それなりに内容は把握できるのだ。この辺は経験値の賜物だろう。
しかしこの手の本の写真の多さは、日本の出版界にはマネができない。文化の違いなのかも知れないが、資料を保存しておくという概念が乏しいので、結果として使える資料が乏しいのだ。やはり日本は滅びの文化の国なのだろうか、と考えてしまう。
もっとも日本の出版社には、こういう資料本を出すという概念自体が著しく欠落しているという問題もあるだろう。だからまとめ方もヘタなのである。 何故素直に学術論文の書き方を参考にしないのだろうか。何故重箱の隅をつつくような写真を採用しないのだろうか。なぜ多面的な捉え方をしないのだろうか。なぜ時系列を無視するのだろうか。 理由は実は判っている。こういう文化的書籍を作る側に理科系技術系の人間がいないからだ。だから文化的資料を伝える本の作り方が判らないのである。文科系だけでまとまったプロジェクトは、実は役に立たない事が圧倒的に多いというのが正解だろう。これは、現在のソニーだと言えば一番判りやすいかもしれない。 中間にチェック機能のない国の弱みだろう。
今日はここ数日に比べれば涼しい方だった。特に夜になって過ごしやすいのは助かる。やはり東北はこうでなければならない。 とかいいつつ、盆地は熱がたまる一方だから、東北といえど気温は下がりにくいのだが…。
そんな今日、またも密林に注文。 今回は、しばらく前に出ていて「注文すると品切れ」を繰り返していた書籍だが、メールで来たほどだから余っているのだろうと思ったのだった。ちなみにその書籍とはこれである。
「The Future Was F.a.b.: The Art of Mike Trim」\3,379 「Century 21 FX」\5,001
察しの通り洋書なのだが、英語を読める訳でもない。それでもこの手の特撮関係の本はついつい買ってしまうのである。どんなジャンルであっても、資料に関するものは欧米に日本は遠く及ばない。写真の質も違うが、そもそも資料としてどういうところを押さえれば良いのかが、日本の出版関係者は判っていない。だから翻訳本が出ても、攻勢がおかしかったり、ひどいのになると写真そのものがカットされる。余りにも意識の差が大きすぎる。 ただ、そんな洋書を見ていて語学能力が向上すれば買った甲斐もあるというものだが、いかんせん20年以上経っても進歩はまったくない。これはもう明確に怠け者だという証拠なのだろう。
この「The Future Was F.a.b.: The Art of Mike Trim」は、あのシャドーモービルやSIDをデザインしたという事でも有名なマイク・トリムのイラスト集で、彼は「サンダーバード」等での特撮現場でも仕事をしている。当然ジェリー・アンダーソン関係では有名な本である。 今回私が購入する一番大きな目的は、「Jeff Wayne's The War Of The Worlds」のアルバム・ジャケットや一連のイラストが載っているからである。なにせこのアルバム自体も名盤で30年来聞き続けているが、このジャケット、ライナーノーツのイラストは、宇宙戦争好きの私には宝であり、これこそが「私のマーシャンズ・ウォー・マシン」なのである。
ちなみに「Jeff Wayne」という言葉に反応したり、「ムーディ・ブルース」が好きな人なら、このアルバムを聴いて損はない。ロック・ミュージカルという言われ方をするアルバムでもあるが、本当によく出来ている。なお2007年にはロンドンでこれを丸々ライヴでやっている。
そして「Century 21 FX」は、デレク・メディングス達の遺してきたイギリス特撮界についての本である。 写真が多ければそれなりに内容は判るのだが、はたしてどういう構成の本なのか、相変わらず洋書は買ってみるまで判らないのだった。 それでも買ってしまうのは、今まで買ってきた経験時用、こういう本にあまり大きなハズレがなかったからだが、さて、今回はどうなるやら。
あいも変わらず粗仕事な日である。どうでもいいが。
ところで「スカイ・クロラ」公開をひかえた押井監督の、各メディアへの露出度は凄い。前作までの様子からは本当に考えられないほどだが、これは「イノセンス」で勝負に出た2004年のカンヌ映画祭がかなりこたえたためだろう。なにせ当時は現地入りしたとたん、マイケル・ムーア監督の「華氏911」の攻勢の嵐に呆然としたそうで、その瞬間これは負けたと悟ったらしい。 つまり、いくら良い作品であっても、話題を作らなければ商売には繋がらないという事を、いやというほど味わったのである。苦労をかけたスタッフのためにも賞を取りたかった押井監督としては、かなりショックだったろう。そしてこの経験は押井監督だけでなく、IGの石川氏も痛感したはずだ。IGには営業部がなく、「良い作品を作ればそれが名刺になる」という極めて真っ当な考え方をしているのだが、やはり賞を取るにはそれなりにタネをまく必要があるのも事実だ。 賞を与えるのは権威という物を持っている人間なのだから、真正面からの攻撃だけでは不充分なのである。
だから今回の「スカイ・クロラ」における彼の攻勢は、今までの押井監督のやり方からするとかなり異質なのだ。話題を作るために何でもやるといっている通り、いつものスタイルを捨て去っているのには驚く。 そして過去、彼の発言を見ていると絶対にやってはいけないという事がいくつかあるのだが、それを平気でやってしまっている。つまりこの作品で彼は、勝負に出たのだ。これがコケたら、メジャーな作家になるチャンスはもうないかも知れないのだ。 もっとも失敗してもプロデューサーや営業のテクニックは吸収するから、無駄になる事はないだろう。
ただ、いくら話題づくりとは言え、以前押井監督が否定していた若い俳優による声優初採用だけはどうかと思う。所詮シロートはシロートなのだ。 加瀬なんたらという俳優も、納得するまで17時間もアフレコをやったというが、それは周囲に対して仕事の邪魔をしているという事に気づいていない。スタッフはプロなのだから、こんな余計な仕事を増やせばそれだけ金が余分にかかってしまう。そういう事にも気づかないからシロートは困るのである。自分を納得させたいなら、事前に準備を重ねておくべきであって、スタッフの邪魔をするべきではない。
そして一番驚いたのは、押井監督がそれを許した事である。以前なら絶対に考えられない。そういう意味でも彼は変わってきた。願わくは、作品のレヴェルが落ちない事を祈る。
今日は会社で指定された検診で、某検診センターまで行かなければならない。 しかし検診を受けた後は、翌日くらいまでなんとなく気分が優れない。バリウムを飲むせいなのだが、これはなんとかならないものだろうか。ならないんですか。そうですか。
そして予想はしていたが、視力が著しく下がっていた。そろそろメガネも作り換えなければと思っているのだが、どこの店で買うべきか迷ってしまう。 まず視力の測定でどこまで信用出来るのかが判らない(眼科で測定すると、メガネ店を指定されるし…)。価格は少しずつ要望を出していくとどんどん高くなっていく。かといって例えば19,800円の均一価格というものの性能をどこまで信じて良いのやら…。悩みは尽きないのである。
関係ないが。 昨日は大嫌いなソフトバンクからiPhoneが発売になった、らしい。色々なメディアで肯定否定を含めて大騒ぎだ。もっともすぐに沈静化しそうな気はするが。 そんなニュースを見ていたら購入のために徹夜で並んでいた大ヴァカモンもいたと報道されていたが、ゲームなんかと違ってiPhoneは電話である。性能以前に電話としての諸条件、契約内容などをきちんと把握した上で並んだのだろうかと他人事ながら心配になる。もっともそんな事はろくに考えていないような気がするが。 私もiPhoneには興味があるが、電話としての条件が厳しすぎる。私は基本的に電話と音楽があればまずは事が足りる。その上でネットを楽に使えれば良いが、いかんせんこれは私にとっては高すぎる。 コアなネット・ユーザーにはむしろ安いのだろうが、たかが携帯でコアなネット・ユーザーというのもバカみたいである。そこまで必要な状況というのがどうにも想像できないし、理解もできない。もし本当に必要だというのなら、それは明らかに環境としての社会が狂っている。
社会が真っ当になれば、おそらくソフトバンクは傾く。業績が伸び続けるとしたら、それは社会がおかしいという証拠に他ならない。
マイミクのはかせ(仙台SFクラブのはかせ、ではない)の日記を読んでいたら、「ハロー・サマー・グッドバイ」が河出文庫から再刊されたと書かれていた。その昔、サンリオで出していたものだが、なんでも、SF史上に残る大どんでんがえしがあるというのだ。 これは興味があるので、どんぐり2号に頼んで買ってきてもらう事にした。
実は自分の経験上から、基本的にSFには本当に凄い大どんでん返しが成立しないのではないか、と考えている。 もちろんショートショートや短めの短編なら成立すると思うが、長編の場合はラストへ向けて目指すものを成立させる過程として、全体の非凡さが平均的に底上げされてしまい、ラストがいかに大どんでん返しであっても、読者に対するどインパクトはそれほど大きくならないのではないかと考えているのだ。 もしインパクトが大きい場合、それは日常の連続か、地続き感が大きい作品でなければならない。そうでなければ、どう考えても普通の人間がアッと驚くSFなど不可能だろう。
判りにくければ一連のクラークの長編を考えてみると良い。 彼の作品は確かにラストであっと驚くという感じの内容ではあるが、そこに至る過程がそもそも非凡なので、ラストでいくら大きな驚きがあっても、それに至る過程で「慣れ」が発生している可能性が高くなる(だからこそ、あんな作品を書き続けたクラークという人は凄いと思うのだ)。
もっともライトノベル全盛の現在、そういう高度な活字SFは減る一方だし、日常の延長にある作品の方が書きやすいのは事実だから、クラーク・タイプの才能を持つSF作家は、今後なかなか登場しない可能性が高い。 というか、活字媒体の衰退が著しい昨今、仮にそういう才能があっても芽が出ない時代になってしまっており、多分これは後戻りできない。悲しい事だが…。
来週、両親が東京へ行く。親戚の集まりがあるためだ。 ただ、東京へ行くのは今回が最期かもしれないと言っている。両親とも足腰が弱くなってきたし、特に母親は膝が悪く、階段の上り下りがかなり辛くなってきたのだ。だから東京は電車そのものでの移動は便利だが、肝心の駅構内での階段での移動がやっかいになってしまったというのである。 もともと両親は東京にいた時期もあるし、親戚、友人の関係でちょくちょく東京には出かけていた。だからこそ年とともに不便だと感じるのだろう。
確かに公共施設の設計というものは健常者がベースであり、それに障害者や高齢者のための設備を「付け加える」から、どうしても細かい部分では不便になるし、大体の設計・施工者は障害などないのだから、助言がない限り完全なものは作れないし、助言があったところで最後は予算や決定者の意見という障壁がある。 日本は一方向な考え方しかできない人間が多いから、まだまだ福祉には弱い国なのである。
一方向といえば、先日会社に警察からの安全運転のお達しがきた。 その中に「夜はハイビームで走る事」というのがあった。もちろんうちの会社はバカが多いし車が中心だからすぐに納得していたが(警察の決めた事が間違っているはずがないと言うのだ。冤罪という言葉を知らないらしいな)、私はこれは間違いだと断言する。 そもそもハイビームで走られたら、歩行者がどれだけ眩しい思いをするのか判っていない。かなり遠くから照射されるから、かなり長い時間にわたって「足元が全く見えなくなる」のだ。これで段差や穴があったら歩行者にとってはとんでもなく危険なのに、現在の警察はそういう事を完全に無視して、歩行者の事は一切お構いなしらしい。さすがは金になる運転者の見方だ。 こんな危険な考え方をする警察に、もはや交通課は不要だ。さっさと民営化してしまえばいい。どうせ警察には、交通事故を根絶させようなどという思想はないのだし。
| 2008年07月08日(火) |
地震予知にも程がある |
徐々に霧が発生していたが、会社に着く頃には凄まじい濃霧となった。なにせ100メートル先が全然見えないのである。それでも一時的なもので20分もしたら徐々に晴れてきたが、霧のロンドンというのはこんな感じなのだろうか。 町中でこういう濃霧というのはなかなか楽しくて好きなのだが、通勤途中では迷惑であろう。もちろん、しょせんは他人事だが。
そんな朝。 朝礼で、課長ともあろう人間が7月14日に地震が起こるなんて話を披露していた。大ヴァカである。 なんでも先日、飲んだ帰りのタクシーで運転手から聞いたというのだが、直前に乗った客が気象庁の人間でそういう話をしていたのだという。もうそれだけでウソだと判りそうなものだ。そもそも現在のレヴェルでは、何月何日に地震が来るなどという予知は無理である。そういう情報が聞こえたら、それはデマだと断定できる。 もちろん常に地震のための準備を怠らないというのは必要で、デマと判っていても心の準備をしていて損はないし、改めて危険な部分がないかをチェックする機会だと捉えれば、それなりに有効ではあろう。
だがそういうレヴェルのデマを信じるというのは非常に危険だし、そういうレヴェルの人間は本当に信用できない。なぜなら噂でコロコロと意見が変わるからだ。関東大震災の時のように、デマで人を殺すような事件は、こういう人間が起こすのである。 少しは頭を使って欲しいものだが、元々頭が悪い人間は、今さらどうしようもないのだろう。そして世の中はそういう人間で構築されているのも事実なのだ。良くなるはずもない。
朝からとにかく蒸し暑い。 こんな状態で夏になったら、一体どうなってしまうのだろうと心配になる。やはり季節は「春秋秋冬」なのが一番いい。
ところであるアンケートで、ガソリン価格が高騰したら車を手放すか、という質問をしていた。これによれば価格はともかく手放すと答えた人が半数近くなっていた。あえて言うが、どういう目的で乗っているにせよそういう人は初めから車など持つ資格はない。 まず趣味で載っているなら、簡単に止められるはずがない。ガソリンが高いから止めると言うのは、モータースポーツという概念を大幅に勘違いしているか、ただのバカである。
そして趣味ではなく、生活必需品とした場合は都会と違ってもっと切実だ。 地方都市では、東京と違って車以外の移動手段がないエリアもまだまだ多く、特に夜などは早々にバスや電車がなくなるから、職場から家に帰れなくなってしまう。 老人は老人で、病院が近くにないのは当たり前状態で、バスなど使おうものならとんでもなく遠回り、なんてのも普通である。遠回りでも行けばまだマシで、隣町あるいは隣の県まで行かないといけない人なども存在するのである。 だからそういう田舎では、いくら価格が高騰しようと車は必需込んだから手放せないのだ。 これはエコなどとは全く事件が違う問題なのである。
エコといえば。 洞爺湖サミットに反対する連中が騒ぎを起こしているのだが、どうも彼らの主張が見えてこない。彼らは何をしたいのだろうか。反対するメリットが全然判らないのだ。メディアもその辺をきちんと報道してくれれば、どちらがおかしいのかは自ずと見えてくるだが。 もしかしたらマスメディアの連中は、今回の洞爺湖サミットの内容を全然理解できていないだけなのかもしれないと思ってみたりする。いや、多分本当に理解できていないのだろう。今年のサミットは、昔のサミットとは全然方法論が違っているのだから。
そんな今日の天気では、天の川は全く見えないのだった。
| 2008年07月06日(日) |
「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」 |
今日は日曜だというのに、本当に粗仕事。 給水塔の点検清掃があるので、立会いである。難儀な事である事だよなぁ。もっとも昼で終わったけど。
帰宅してからは外出せず、ネットやDVDなど。 出かけるというどんぐり2号に高城高の文庫全集2「凍った太陽」を買ってきてもらう事にする。昨日の段階でまだ大量にあったから大丈夫だろう。 ちなみに「宇宙船」の復刊2号を昨日立ち読みしていたのだが、はっきり言ってもうだめだ。とても買う気にはなれない。好きなジャンルの本なのに、全く触手が動かないというのも珍しい。これは対象年齢を著しく下げたか、私の好みとは次元が異なるのだろう。復刊した努力は認めるが、とても付き合いきれない。
そんな訳で、という事でもないのだが、ここ2週間ほど「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」を見直していた(だから寝不足になるのだ)。 これは何度見ても面白い。シリーズ物でここまで硬派なアニメは極めて珍しいが、やはり脚本の段階できちんと練っただけの事はあるし(1本につき2ヶ月近くかけたのだという)、その成果がとても良く現れている。「攻殻機動隊 S.A.C.」とともに、日本で作られたアニメの中でもベスト10に入る傑作だろう。
しかもどちらのシリーズも、あんなにオチャラけたキャラクターのはずのタチコマが、最後にとても素晴らしい活躍をする。これも全体を通してタチコマの変化を見るからこそ感動するのだが、「S.A.C.」ではバトーを救うために自分の命を投げ出すし(これは15話が伏線になっている)、「S.A.C. 2nd GIG」では発射された核ミサイルを、少佐の命令を無視した上にタチコマ全員のAIを犠牲にしてまで破壊する。どちらの作品でも、本来は持っていないはずのゴーストの発現を示唆している。 もちろんこれだけなら脚本が良く出来ているという話なのだが、この部分は演出が実に上手い。「S.A.C.」ですらあれほど感動的だったのに、「S.A.C. 2nd GIG」に至っては文字通りに涙が出そうなくらい感動的なのである。自己を犠牲にしてでも行うべき事というのはこういう事なのである。決して特攻などではない。 しかも、一歩間違えばただのお笑いシーンになりかねなかったかなりきわどい演出だが、見事に成功している(脚本的にはガッチャマンの「明日なき宇宙船玲レオナ3号」の回に近いだろうが、演出で別物になっている)。神山監督の手腕を誉めたい。
とにかく未見の人は是非見て欲しいものだが、涙腺の弱くなった人には少々危険かもしれない。いずれロートルSFファンこそ楽しめる作品だ。
今日は休みだが、明日は出社である。 という訳で、町中に出る。スカイ・クロラの「カウントダウン1」が出ているはずなのだが、結局置いてあるのは一番町のHMVだけらしいのだ。実際あちこち回ってみたし、アニメショップも覗いてみたが、やはりどこにもない。多分どの店でも売れないと睨んでいるのだろう。まあ実際問題として、ネームバリューの点で正しいといわざるを得ないが。 という訳で、HMVで購入。
この時、そろそろポイントの有効期限が切れるというので、前から買おうと思っていたブルー・オイスター・カルトのライヴ・アルバム「暗黒の狂宴」を買う。定価4,410円だが、なんと2,980円になった。どれだけポイントがたまっていたのだろう。 この時、一瞬マウンテンのアルバムも買おうかと思ったが、「ナンタケット・スレイライド」以外は聞く事もないと思うので、諦める。やはり老い先短いのだから、現在持っていないアルバムや新しい作品を買いたいものである。
本屋では色々あったが、「鉄腕バーディ」の新刊とアーカイヴを買う。なんでもアニメ化されたので、過去の未収録作をまとめたらしい。もっともこの時期のバーディはずっと読んでいたので、別に目新しいものはなかったが。 そしてうっかり高城高の文庫を買い忘れてしまった。まあ明日あたりでも大丈夫だろう。
帰宅して、アップを怠けていた日記の方も、手を入れて少しずつアップする。 しかし足跡を見ると、スカイ・クロラや散香、震電の検索で訪れる人も多く、カウントはお正月でもないのにいつもより余計に回っている。まあこれについては一過性のものだろうから、あまり気にしない。 そもそもこんな日記をわざわざ検索して読みに来る人など、そう多くはない。過去役に立ったと思ったのは、高城高のセミナーの様子をアップした時に、札幌の古書店の方がリンクした事くらいだろうか。 まあこの日記なんて、そんなものだ。
なんと昨日、「笑っていいとも」に押井監督が出演していた。しかもテレホンショッキングのコーナーである。これは確かに大事件で、明らかに押井監督は変わってきた。 もちろん「スカイ・クロラ」の宣伝のためなのは明白で、前の日は菊池凛子なのだが、それでも少し前までには絶対に考えられない事だろう。特に「スカイ・クロラ」の製作には日テレが絡んでいるので、フジに出たというだけでも驚きではある。
そしてこんな時間のテレビなど見られるはずもないので、昨夜はYoutubeで探しまくり何とか見られたのだが、とにかく監督がオチャメだった。多分これでも監督はそうとう抑えていたと思うのだが、多分会場はドン引き状態だったと容易に想像がついてしまう。 実際問題としてタモリがマジメに相手をしたら少なくともこの番組は成立しない。「徹子の部屋」でも同じだ。この手の番組を製作する上では、まともに話が進む相手ではない。番組の質が違うのだ。
しかし今日になってもう一度見ようとしたらもう消されていた。どうせ宣伝なんだしジャニーズ系も出ていなかったのだから、別に消す事はないだろうに。やはりこのへんはいかにもフジの対応らしい。
等と能天気に考えていたら、会社で若い連中が「休みの日に何をして過ごすのか判らない」という。 本を読んだり音楽を聴いたり映画を見たりという事はしないらしく、せいぜいゲームをする程度らしい。そんな生活をしていたらただのワーカホリックになってしまうだろうに、なんだか哀れである。
若い頃は色々と試してみるだけの時間があるし、実際自分がそうだった。もちろん色々と試していたから全然お金もなかったし、貯めるだけの甲斐性もなかった。だがこの時期の自分の行動に対する後悔はない。それがすべて今の趣味や友人に繋がっているのだから。 会社に勤めてから自分探しなどして欲しくはないが、少なくとも自分が納得できるだけのものは得て欲しいと思う。
| 2008年07月03日(木) |
分割民営化はまだか? |
会社の人が、道路を横断中に車にはねられ(スピードは出ていなかったので、かすり傷ですんだ)、交通事故として当然ながら警察を呼んだ。
今回は横断歩道ではない場所を歩いていた時の事故なのだが、この時の警察の対応がまた素晴らしい。歩行者を保護せず、あくまで運転者を守ろうとしていたのである。もちろん加害者は運転者であるにも関わらず、である。 なにせ「どうしても事故にしたいというのであれば我々は受理せざるを得ないが、横断歩道でないところを渡ったあんたも悪いのだから」ときた。これにははっきり言って呆れる。喧嘩両成敗ならともかく、運転者の責任をまったく追及しようとせず、すべて歩行者の責任にしようとしていたのである。
確かに現在の警察は歩行者を保護しない傾向にある。あくまで運転者を保護する理由は単純で、歩行者は金にならないからだ。運転免許というものがある以上、その更新手続きは警察の年寄りどもの小遣い稼ぎの重要な財源担っている。だから運転者を保護するのだ。
そういえば一昨年、育英のウォークラリーの列に飲酒運転をしたバカが突っ込んで3人殺したが、この時に他の警察署では「あれだけ大きな車が暴走してきたのだから、歩行者は避けられたはずだ」という暴言を吐いている。だったらその発言者は避けられるというのだろうか。無理だと断言しておく。 このように現在の警察は歩行者の味方をしてくれない。というより敵になっている。そもそも交通事故では歩行者という弱者は病院に運ばれ、運転者の言葉のみで調書が作られる。後にこの内容に異議を唱えても修正はまず出来ない。そういうシステムだと警察は愚かにも決めつけているからだ。
いずれ近い将来、歩行者が事故にあっても「なぜ歩道を歩いていた。歩いていなければ事故は起きなかったのだ」と怒鳴られるようになるのだろう。 早いところ警察も分割民営化した方が良いような気がする。
| 2008年07月02日(水) |
メジャーではない音楽 |
やはり仙台の新天文台は昨日オープンしていた。 もちろんネットには早々に載っていたが、新聞記事は予想通り今日だったのである。まあそんなものだろう。それでもいずれ近いうちに行ってみたいものである。
ところで、マウンテンの紙ジャケが出ていたそうである。 まあ実際問題として今でも時々聞くのは「ナンタケット・スレイライド」(いわゆる「マウンテン3」)くらいのもので、他はまず聞く事はない(当然1985年の「風林火山」以降もだ)。だから、今回は諦めておく。最新のリマスターというのは魅力だが、そもそも「海底軍艦」などが出ると判っていて買える訳もないではないか。 だがこのアルバムのオープニングを飾る「ドント・ルック・アラウンド」は、いかにも70年代のハード・ロック然としていて、今でも好きな曲だ。やはり自分はこういう音が好きなのだが、このへんのアルバムなら人に勧める事が出来るレヴェルだろう。
ところで以前、やる気のないダースベーダーのマーチとして有名な作品があったが、その続きなのか「MATのテーマ」が出たようだ。しかし試聴すると、まるでアンプラグドの作品であるかのように、違和感がなく、ごく普通に聞けてしまう。つまりやる気が充分あるのだ。これではいけないと思う私は間違っているのだろうか。 ここはやはり、同じアルバムに入っている「BLACK DOG」のように、やる気のなさを強調しないといけないだろう。
仙台中心部から愛子に移動した新天文台が、今日オープンした、らしい。 らしい、と言うのは今朝の新聞には載っていなかったからだ。だがこの手のイヴェント記事には「常に終わったものを記事とする」という特徴がある。 なぜ新聞は事後報告しか載せないのだろう。事前に判っていれば是非とも行ったのに、というイヴェントも多い。それほど新聞紙や派イヴェントの片棒を担ぎたくないのだろうか。だったら終わっても記事にしなければ良い。そういう読者をなめきった記事を書くようなら潰れてもらっても良い。 そもそもネットがメインの社会となった現在、新聞の存在意義が問われている。確かに速報という点ではネットに負ける。負けるが前日に記事にしてもらえば充分という性格のものも多いのだ。
世の中にはネットに全く依存していない人もまだまだ多いのだから、そういう人を見捨てるような姿勢は、なんとして改めて欲しいものだ。 現時点でネットを普通に使っていても、情報の検索など一人で出来る量はたかが知れているし、そもそもネットというのは「現時点での情報」に特化されている。つまり過去や未来を検索項目では、的確な情報は得られないものなのである。現時点でもそろそろ難しくなっているのだが…。
もしかして現在のネット状況というのはそういうものなのだという認識をきちんと持っている人というのは、極めて少ないのかも知れないと、今気がついた。
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