新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2004年10月23日(土) 古武術と太鼓操法の気付き4

【イチロウ選手に見る支点の移動】
 先日NHKでインタビューに答えてましたね「背骨を意識したらバットが寝たんです。」これ凄く大事な事を言ったと思う。振り子打法は大リーグに移ってかなり変化しているように思える、初期の頃は股が合って両足が閉じていた(これは甲野善紀先生が桐朋のバスケット部に教えた瞬間移動の術理によく似ている。

 現在の打法は左足から右足に移動しながら、回転運動ではなく古武術で言うところの【骨を割る】という術理理のように見える、ただしこれは甲野先生の術受けたり研究者と共に稽古してみないと外から見ていても一切解らないと思う。この足の移動が【足裏の垂直離陸】という術にかなり近いと思えるのだ、そして彼の言う「背骨を意識して」というのは腰の回転運動ではなく、背骨と肋骨、肩甲骨、鎖骨を順番に割っているという術理で解説できるのではなかろうか?

 そして、これは太鼓奏法にも言えるのだけれども【空中支点】なるものが自在に移動しているのではないかと思った。術理としての【井桁崩し】から言うと、支点が移動しているようで実は瞬間全支点が動いた結果ではなかろうかと気がついたのだ(指の関節も含め)。

 これは太鼓操法(操法と書いた時は古武術を応用した奏法のこと)でも言える、足は踏ん張らない肩より後方の撥を持った腕で溜めないそして身体を捻らないという【3要素】と捻るにというのは故障の元、最近甲野先生が言っている追い越し禁止は上腕が前腕を追い越して(肩を支点にした結果)など太鼓操法にも当てはまる、そしてこの事に何時気がついたかは次回に書きます。





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2004年10月10日(日) トスカ

 NHKBS-hiでオペラ【トスカ】をやっている。
このオペラは'70年代巴里オペラ座(ガルニエ)と'80年代アムステルダムのオペラ座で見た、もうお涙お涙で僕はこの時から芝居好きというかオペラ好きになった、このトスカのような作品を泣きのオペラと言っている。
 作品は簡単に言うと画家カヴァラドッシと恋人で有名な歌手トスカの物語である。画家は脱獄した政治囚の逃亡を助けたために死刑宣告される。トスカは彼を救おうと警視総監スカルピアを殺すが、スカルピアの計略で画家は処刑され、トスカも彼の後を追って自殺する。
 作品中に有名な第ニ幕の何故このような過酷な運命を与えたのかと神に助けを求めて祈る(歌に生き、恋に生き)
第三幕看守に指輪を与えてトスカに伝言を渡すよう頼む。別れの手紙を書き始めるが、自らの死と恋人との別れを想うと絶望して無き崩れる( 星はきらめき)
 泣けるではないか淑女紳士の皆様。
そして日本ではなじみのないヴィゼー作曲の【アルルの女】これ可哀想なストーリなのです、村の旧家の長男フレデリ、もー単純な純愛で一方的で・・・劇中にはアルルの女は登場しないのです、だから想いだけが募って・・・せっかく密かに愛していてくれた村の娘がいたのに・・・最後あの名曲に乗って投身自殺で終わる・・・これも泣きのオペラ、いやーオペラっていいですねー。
 
 あの頃まじにヨーロッパの田舎のオペラ劇場オーケストラに就職して一生オペラの仕事に携わりたいと真剣に思っていた・・・。
 後年この芝居好きオペラ好きが嵩じて仕事としてのまーオペラではないけれども
新春長谷川一夫歌舞伎でオケピットでの一小間、何度も同じ場面で泣きながら・・・たしかマリンバ、グロッケン、ティンパニーをやっていて、一月公演なわけで、長谷川一夫さんがオケピットから登場という場面があった、どうやら舞台からグシュン、グシュンやっている僕に気付いたそうで「君は芝居が好きなんだねー、でもしっかり頼むよ」と言われてしまった。たしか鼠小僧の扮装だったっけ。

 そして市川染五郎(現松本幸四郎)の【ラマンチャの男】の時芝居に見とれて合図のゴングを鳴らすのを忘れた・・・後で楽屋に呼ばれ「あれが鳴らないと出れないんだよ、集中してくれ!」と叱られたっけ。

 ご存知杉良太郎の遠山の金さん、この時は邦楽囃子・・・杉さんには迷惑はかけなかったけれども毎日同じ場面で泣いている鼓打ちがいるという情報が伝わり「毎日かよーありがとョ」なんて言われた。

 番外編
 これは東京宝塚劇場での事、宝塚歌劇東京公演、NなつこAれい主演の「シンドバットの冒険」でオケピットにいた僕は彼女達がピットの僕の近くに近づいてくるたびにエッチな写真(巴里土産ー時効?)を(もちろん客席からは見えないのだ)置いて、瞬間表情が変わるのを見て喜んでいた・・・ある時うら若き乙女から「何時何分に何所其処で・・・」というラブコール??をもらった。
 深夜の六本木・・・いたのは・・・二十人ぐらいの宝ジェンヌ!いやこっぴどく怒られ飲まされ「あんた、どんな神経してんの?えーかげんにせーへんと、ピットに水かけるよ」
「どうぞそうして下さい」「わからんガキやなー、ちょっとみんなヤキ入れたって!」「かんにん、かんにん」
 でどうなった?ここでは書けません、この喋り誰やと思います・・・あー恐かった・・・今は時めく舞台女優の・・・さんと暴れん坊将軍の元奥方?





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2004年10月08日(金) 古武術と太鼓操法の気付き3

甲野善紀先生の随感録に上腕の進みについて書いてありました。
。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 引用開始 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。
今回の動きの進展の元は、先週の27日に気がついた身体各部の「追い越し禁止」の交通規制を始めたからである。これは非常口に殺到すると、うまく人が流れない例でも分かるが、アソビをつくらず流れるように動けという『願立剣術物語』の教えとも重なる。この事の"たとえ"としては、糸電話は引っ張りすぎたら切れるし、弛んだら音がうまく伝わらないというものも何かピッタリくる。
 この"たとえ"は、つい最近思いついたが、以前にも似た事は言っていたかも知れない。「追い越し禁止」の言葉を思いついたのも、何年か前、信州の江崎氏から、打剣方法で「逆走禁止」「追い越し禁止」という言葉を使った稽古研究の近況報告の手紙をもらった記憶があり、多分意識の奥に、この印象的フレーズが残っていたからのように思う。したがって、もっと早めにこの術理を思いついていても良かったような気もするが、単に言葉の上と感覚として備わるというのは別の事なのだろう。
 今回の「追い越し禁止」に関連して、「細い竹竿でもかなり大きな岩も支えられる。但し、撓まぬように絶えず方向を整えていれば…」というたとえも使っているが、これはかなり前に私が思いついたもので、昔の私の本の中のどこかに書いてあったと思う。しかし、これを書いた時は、現在のような「追い越し禁止」の感覚による上腕部の解放は見つけられなかった。尤も、上腕部の解放の重要さについては10年以上も前から、しばしば語ってきたので憶えている方々も少なくはないと思う。ただ、この上腕部位のなかでも、特にぎこちなさが浮き出てくる三角筋の具体的解放方法が分からなかった。
。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 引用終了 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。

 この「追い越し禁止」について、野球のピッチャーの投球をスローモーションで見ると、肘が先に進みボールを持った手はかなり遅れて投げているが、体重が一旦肘に集中してそれから鞭のように投球するというものだ、これでは肘に負担が架かり肘関節と筋肉はたまったもんではない、だから投手に肘の手術をする人が多くなるのだ。
 これは太鼓の奏法にも言えるのです、大きい音を出すためとかっこいい形を作るため、体重を乗せるという事と身体を鞭のようにバネにして肘が上腕より先に動くことは甲野先生の言う「追い越し禁止」の如くやがて肘や上肢骨 (肩帯(肢帯))三角筋が披露して故障します。

 「井桁崩し」の術理のように、骨格を割り支点が複数生じて、ためや遊びがなく、スピードも加わって太鼓の面に当ると芯のある遠鳴りのする音が出るのです。
 イチロウ選手が柔らかい筋肉にしたいと特別なメニューに取り組んでいるというのは、骨を保護するためにウエイトトレーニングで筋肉増強に取り組むのは通説なんだけれども針の穴を通すような・・・太鼓で言うとpp(ピアニシモ、かなり弱く)で叩く繊細な技術は大きな筋肉では邪魔になるのです。
 ピアニストの手、指は筋肉で覆われてますか?
 「身体で叩け!」と太鼓の指導者はしょっちゅう言うのだが、具体的にそのことを教える事の出来る人は少ない、肘、肩、腰、膝、アキレス腱を痛める太鼓打ちが多く、そのために辞めていくのは残念で惜しい、だから古の古武術が伝える技を参考にして欲しい。
●三角筋とは
鎖骨の外側部・肩峰・肩甲棘から起こり、筋束は前・外・後側から肩関節を包みながら外下方へ集中し、上腕骨体の外側面の三角筋粗面に着く三角形の強大な筋肉です。運動動作においては主に肩関節を外転させる作用を持っています。また、三角筋前部は上腕を前方に上げ、内旋し、後部は後方に上げ、外旋といった動作にも関与します。





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2004年10月01日(金) ヨーヨー・マとの思いで

 日本音楽集団の定期演奏会が終わった、コンポーザーズシリーズとして間宮芳生先生の作品だった。
 現代作曲家の中でも日本の伝統音楽や民話、伝説などを合唱曲や管弦楽曲に創作されて、比較的親しみやすい音楽だと思う。

 僕は【難蔵物語】で演奏しました、江戸時代、信濃国から東北、蝦夷地を旅して歩いた菅江真澄。の残した浄瑠璃だ。三味線の蓑田司郎(杵屋五司郎)が語りと唄で皆から蓑太夫(みのだゆう)なんて言われていた、彼も今回は相当苦労したみたいだった、五線譜から縦譜に直して練習し、勇んで練習に来たのだけれども、縦譜ではスコア−での全体像が解らないので両方見なければいけないという困難な作業を強いられたようだ、しかしそこは長唄三味線奏者の根性で全体像を暗譜した、打ち上げでは是非出雲地方でこの曲をやりたいと言っていた。

 僕は間宮先生の作品では過去に【タクシム】と【日本のうた】をやっている、そのうち【日本のうた】ではレコーディングだった、今回の譜面には小鼓のパートはなかったけれども録音時ではヨーヨー・マさんのチェロと僕の小鼓でアドリブ合戦をやている、たしか彼はチェロのボディーを叩いていた、僕がヨー・ヨーと掛け声をかけると彼はマ!っと言ってチェロを叩いた。





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