| 2004年11月27日(土) |
チケット完売満員御礼! |
昨日日本音楽集団創立40周年記念定期演奏会がトリトン・ネット・ワーク/第一生命ホールでありました、約二週間前にはソウルド・アウトという僕にとっては初体験となりました、個人的にファンの皆様にはチケットが取れなくて申し訳のない事をしてしまいました。 あの東京オリンピックの年に集団が結成されました、当時東京、関西で行った演奏会には早い時刻からお客さんがホールを取り囲むぐらい並んだそうです、正にその時若かった創立メンバーが集い今日の快挙を成し遂げました。 まー皆様未だバリバリの現役なので演奏が溌剌ととして若々しかったです、練習の最中に若者達と一緒に顏は当時に戻っていたようです。
太棹三味線の坂井敏子、二十絃筝の野坂恵子、筝白根きぬ子、十七絃筝の宮本幸子、山内貴美子、砂崎知子、三味線杵屋五三吉、笛望月太八(敬称略)の方々の友情出演をいただきました。
僕は入団して二十数年になりましたが、創立メンバーも未だ団員として演奏されていた時に時間を共に出来た事、ヤンチャで生意気だった僕を暖かく微笑んで、辛抱強く育んでいただいた事に懐かしくありがたい思いで一杯です。
| 2004年11月24日(水) |
祝\(^O^)/ヘレンケラー音楽コンクール |
僕の教えている筑波大学附属盲学校の生徒がコンクールで入賞しました、素直に嬉しいです、彼彼女達、友人達の励みになればと思います。
ピアノ部門 3位大和真祐子(筑波大付属盲・専2) 独唱2部奨励賞=上田喬子(筑波大付属盲・高3)
同僚の吉澤先生はサリバン先生のような方です。
太鼓関係の友人の皆様、古武術を研究励んでいる皆様、盲聾の子供ー見えない聞こえない深海に沈んでいる子供を引揚げるのは、尊く又その人でなくては出来ない・・・何かがあるのでしょう。技の極意とはこういう事にもあるのではないでしょうか・・・。
東京大学先端科学技術研究センター助教授福島智さんも筑波大学附属盲学校の卒業生です。 1962年,兵庫県生まれ。9歳で失明し,18歳で失聴,全盲ろうとなる。… (福島[19971125]著者略歴より)
1981 失聴 1983 東京都立大学入学 (盲ろう者としての大学入学は日本ではじめて) 1991 東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程(教育学)単位取得満期退学 1991〜93 日本学術振興会特別研究員 199107 東京都立大学助手 199612 金沢大学助教授 200104 東京大学先端科学技術研究センター助教授
社会福祉法人全国盲ろう者協会理事
| 2004年11月22日(月) |
イッセー尾形「テアトル・イッセー」と火災 |
又ラジオに出ました、何時放送って事務所に聞いたんだけど、返事なし・・・面白かったのにナー。 ! あーあー既に終わってたせっかくイッセ−尾形さんと太鼓セッションしたのに(T_T) 【イッセー尾形「テアトル・イッセー」 11月21日(日) よる11時30分〜 】ラジオ番組より 今回は二人のゲストを迎えてスタジオライブをお送りする。スーパー歌舞伎の音楽やバレー音楽の担当、また小鼓奏者としてヨーロッパ各国で演奏するなど幅広い活動をする仙堂新太郎さん。そしてアフリカの打楽器ジャンベ奏者のマサさん。二人の世界各地でのエピソードと共に、イッセーをまじえ、打楽器セッションを繰り広げる。 【ゲスト】仙堂新太郎(邦楽打楽器奏者) マ サ(ジャンベ奏者 ヴォカリーズ) 残念聞けなかった。
それと昨日夜12時頃、ベランダで星を見ながら焼酎を飲んでいた、東京にしてはけっこう沢山星が出ていた、ちょっとつまみをと部屋に戻り空を見たら北西の方向に暗雲立ち込め今にも雷かと思っていたらウーウー消防車・・・下の道路を通り過ぎていく、ん!待てよと、北側のドアを開いたら、ちょっと先にでかい炎と真っ黒な煙が上がっているではないか・・・マンション超しに見えてたので、どこかのマンションが大火事にでもなったのかと思った・・・来るわ来るわ消防車、それで野次馬根性かな、やっぱり・・・梅干を買うついでに行った、そしたら火元からかなり離れているのに消防車が止まり水を送っていた、パトカーも道路を封鎖していた・・で裏道に入って・・・あ!角川さんちの撮影所、何時もの帰り道だ、凄い煙でまだ遠くから消防車が近づいてるようだ・・・で朝7時に起きたとき、まだ煙が出てた、撮影所だもんな、あのあたりはシンナーか、なんかの油みたいな臭いが何時もしてからなー、怪我人はなかったの事。あんなに燃えるんだね・・・。
やっと巴里のアクトサド社から届いた、LLIBRE VERMELL OF MONTSERRAT、 Hesperion XX(エスペリオンXX盤)のCDモンセラートの朱い本、中世のスペインで "朱い本"がこのように沸き立つリズムで自由奔放に歌われていたのかとイスラム教とキリスト教の攻防がこのように打楽器ウドやサズの伴奏が印象的で舞踊音楽とミサ曲が混在しているのは不思議だ。
スペイン、バルセローナ近郊のベネディクト会モンセラート修道院に伝わる14世紀頃のノート。この<朱い本>のネーミングの由来は、19世紀の終わりにこの写本の表紙につけられたビロードの色からきている。ラテン語の詩歌が多い。この修道院には1200年頃から伝えられている黒いマリア像があり、スペイン北西部のサン・チャゴ大聖堂と並んで当時も今も若者たちを惹きつける有名な巡礼所である。
黒いマリア像
13世紀のスペイン、レコンキスタのただ中に王位にあった賢王(エル・サビオ)と呼ばれるアルフォンソ10世が編纂した400曲あまりからなる、中世のマリア信仰による民衆宗教歌の数々。 当時、抒情詩に適するとされた中世ガリシア語で書かれている。 ガリシア語は殆どポルトガル語に近く、巡礼の本拠地であるサンチャゴ・デ・コンポステーラやビゴ、ラ・コルーニャなどでは今も話されている。 レコンキスタでセビージャをイスラム教徒から奪還したのが彼の父親が王位にあったときということからも分かるように、当時スペインの南はアラブ文化圏だった。 そこで、アラブとカトリックの文化融合が起こっていたはずであるということから、アラブ色を含めた演奏が増えている。
黒いマリア像��

筑波大学附属盲学校では今、定期演奏会も終わり試験も終わってなんだかのんびりしてます・・・ 甲野先生が桐朋学園バスケット部で教えている様子。
それで音楽科の生徒には重要な肩甲骨の使い方、これは桐朋学園のバスケット部監督金田伸夫監督さんが古武術の甲野先生の影響を受けて独自の研究をされて桐朋流ナンバ歩、走りを生み出されているのです、その他肩甲骨を柔軟に動かすストレッチというのがあります、これは僕が若い頃から一人実践していた事と全く同じ方法だったのです、見る視点が同じだったから僕も甲野先生の古武術に出会えたのだなーと思います。
【古武術の応用】サイト http://www3.nsknet.or.jp/~demachi/kobuzyutuouyou.htm
で盲学校の生徒にこのストレッチを教えました、勿論手取り足取り・・・足は取りませんが・・・まー若いのに硬い硬い・・・それだけ目が見えないというのは骨格や筋肉が縮こまっているのです、そういう状態で楽器を練習するというのは徒労に終わる可能性大です。 まず甲野先生の言うところの【肩の溶かし込み】よく「はい!肩の力を抜いて」と口で言いますが、では具体的にどうするのか?解っていて言っている人はそんなに多いとは思いません、肩の力を抜いても鎖骨や胸鎖関節の張りは取れないのです、アメリカの凄腕のドラマー スティーブ・ガッドは猫背でドラムをあのテクニックで叩いています、本来肩の力を抜くというのは【肩の溶かし込み】をするという事です、イメージとしては肩を体内から吸いこむように落とすという感じです、それから肩甲骨に意識を集中して独立させて回したりするのです。 これをやったらある生徒の一人は「あー楽になったこんなの初めて!」と言ってました。
| 2004年11月13日(土) |
古武術と名人テインパニ−奏者テーリヘン |
1970年代のカラヤン指揮ヴェルリンフィルのティンパニー奏者ヴェルナー・テーリヘンWerner Tharichen、諸氏よこの時代のレコード復刻盤CDを聞いてみたまえ、ブラームスの一番の冒頭の連打、ヴェート−ベン第九の�軍攵蓮∪┐泙犬げ擦�している。僕が一番ぶったまげたのは、ppの音なのにマレットは高位置から落とされるのだ、そしてそれはffのトレモロの時と振り下ろす位置が同じなのだ。 テーリヘン曰く「硬い音も柔らかい音も同じマレットで叩くのが理想だ」んー弘法筆を選ばずってか? でこの前太鼓の生徒の前でこの事を説明しながらやってみた、そしたら逆の事を発見したのだ、高位置から軽く撥を落として皮に当る瞬間足裏の垂直離陸と膝抜きの古武術を応用するとドーンと芯のある大きな音がする、皆吃驚してた。 でこれを仕事のリハーサルでやった、高位置から軽くしかもゆっくりと撥を落としてffの音をだすと皆(゚o゚)ってな顏をした 、そしてpの音の時も高位置から落とすと打楽器の同僚は(@_@)ってな顏をした、これは常識的予想を外した事による驚きなのだ。 甲野先生が言うところの膝を抜くことにより体重を0に近づける技で、まーこんなことをしなくてもppの時は小さく撥を上げて打てばいいのだけれども、あのテーリヘンを思うとやりたくなる、でも自然ではないですよね、ボールを高位置から落とすと高く跳ねるし低位置だと小さく跳ねる、これは物理的に不変ですよね、しかし【芸】というのはどう見せるか聞かせるかということだから、暫くは追求してみようと思う今日この頃なのです。
昨日、宮城合奏団の演奏会がありました、僕は故佐藤敏直さんが作曲された【ディベルティメント】で小鼓を担当しました、指揮は田村拓男氏、練習によって日に日に質がよくなって来ました、さすが皆さん東京芸大を出られて、古典宮城道雄作品、現代邦楽に取り組まれ研鑚されいるのだなあーと感動しました。
リーダー格の砂崎知子さんは僕が若いとき日本音楽集団に入った時、バリバリ箏を弾かれていました。まーゴットネーチャンという感じでそのパワーは今でも健在です・・・確か臨月まじかの時もコンサートに出られてました・・・宮城道雄作曲【虫の歌】は技巧に走らず(昔ははバリバリ弾きまくっていた)情感が漂ってくるようなある意味で宮城道雄の癒しとも言える音が発せられてました、そういう意味で演奏家が年輪を重ねるというのは良い事だなーと思いました。
筑波大学附属盲学校で教鞭をとられている吉澤先生(同僚)の演奏した宮城道雄作曲【四季の柳】が良かった!吉澤さんは三絃を担当されていました。 磯部艶子作詞の 春風に なびく柳は 乙女子の 振り分け髪よ 菅の根の長き 日ねもす 鶯が 長閑に歌ふ 毬歌の 手毬かけたか 朧月 夏の夕べの 洗ひ髪 風にとかせて たをや女が 待つは蛍か 月影か 絶えずささやく 川水の 行方見送る 柳腰
寂しき秋の 訪れに あわれ狂女の 乱れ髪 解けぬ思ひの もつれ髪 誘う嵐の 戯れに 落葉数へて 水鏡
雪の朝(あした)の 九十九(つくも)髪 憂き瀬を越えし 老いらくの 永き齢を 巻き込めて 千度八千度(ちたびやちたび) くりかへす 年の始めを 祝ふは柳 年の始めを 祝ふは柳
あー良い時代の詩と音楽、女性の人生を四季に寄せて歌った曲ですね。そー僕の母が娘時代宮城道雄さんと箏を合奏している写真があります、そして集合写真、16歳ぐらいというのですが、可愛い少女ですね、それをこの曲を聞いていて思い出しました。
桐朋流なんば歩き、走りというのがありますこれは桐朋高校のバスケット部を古武術の技を応用して全国大会にまで持っていった金田監督が言っているのです。
桐朋流というとやはり斎藤指揮法でしょう、弟子の小澤先生(僕の頃は斎藤先生最晩年で車椅子で指導してました主に小澤先生に扱かれました)何故古武術と指揮法なのかというと、技に言葉があるのです、これは柔道では国際的に同じ技名を言っているのと同じで指揮法も しゃくい、跳ね上げ、先入、叩き等、テクニックに名前を附けたのがトーサイ先生なのです、小澤さんはバークッシャー音楽祭での指揮教室で世界各国から集まる指揮者志望の若者に「タタキ、センニュー」等教えていました、斎藤先生は著書の中で指揮法が国際柔道のように共通の言葉で言える時代がくるだろうとおっしゃってました、正に今そうなのです。
柔道も指揮法も誰が見ても解る単語で名がつけられています、しかしながら古武術の技は傍から見ていても全く解らないのです、何故アメフトの選手が甲野先生の技にかかって潰されるのか?どうしたらそうなるのか?
甲野先生が【井桁崩し、足裏の垂直離陸、浪之上、浪之下、柾目返、後両手持たせ、切込入身、体勢の崩しあい】など名をつけた事と桐朋の金田監督のバスケットへの応用が現在のように一般に知られる事になったのだと思います。
幕末から明治に初期にかけての体育の歴史の本を読んでいるうちに、強制されて身につけたものは、平均的、画一的なレベルの人間は作れても、達人のレベルは自主的な興味と取り組みが不可欠です。その発想の助けになるのが単語です、そこからその人独自の技を創造していくのが修行というより実は普通の日常に転がっている事だと思います。特別な事ではないのです、箸を持つとき、歩く時、料理を作る時等々、結局美意識に繋がっていくのだと考えています。
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