Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年08月31日(日) オリジナリティ

大学で書こうと思っていたのだが、土曜日の日記を書いた時点でインターネットが死んでしまった。最近はずっとインターネットの調子が悪い。それにしても単調な生活だ。バイトを止めてしまったのでこれから毎日同じような生活になるだろう。休みもないので、一週間、まったく同じような生活を続けることになる。困ったことだ。

とにかくまったくやる気がしなかったので、のんびり調べ物をしていた。前日の日記にも書いたが、地味でも必要な作業なのだ。本来ならこんな時期にやるべき作業ではない。

序論くらいしか読んでいなかった論文を、初めから少しじっくりと読んでいった。…すると、知りたくなかった事実が判明。僕の研究内容、すでに似たようなことをやっている人が、かなりたくさんいるのだ。一冊の論文集に40本ほど載っていて、そのうち2,3本に似たような記述があるからかなりのヒット率だ。これが意味するところはつまり、そういう人たちよりも優れたことをしなければ、研究をする意味がないということだ。船舶のシミュレータなんて邪道だと思っていたが、最近ではそういうことをやる人も多いらしい。1997年までの論文しかないことも不安をあおる。まさか、最近の論文でもっといろいろ出ているのではないだろうな…?過去の論文を調べてみると、あとからあとから続々と出てくる。教授が言うことを丸飲みにしていたが、かなり危険な状況ではある。なんせ、コンセプトがほとんど同じシミュレータを開発している人もいるのだ。しかも、よりにもよって同じ大学である。さらにお偉いさんでもあるらしい。いやはや、困ったものだ…。ちなみに題目は「オブジェクト指向ツールによる船舶航行シミュレーションシステムの構築」である。僕の研究のそもそもの発想はオブジェクト指向言語で柔軟性のあるシミュレータを開発しようということだから、「ほとんど」ではなくて「まるで」同じと言っていい。目的を付加するか、用途を広げるか、何か考える必要がありそうだな…。



2003年08月30日(土) 惰眠をむさぼる

思う存分寝てから大学へ行こうと思っていた。いつもなんだかんだで寝るのが3時とかになってしまうので、今日は少し早めに寝ようと思った。

で、1時半くらいには寝た。普段は朝起きやすいようにカーテンを開けっ放しで寝ている。そうすると、朝になればまぶしくて放っておいても目が覚めるからだ。…夏限定の手段だが。冬場はこの程度のことでは起きられない。で、今日はじっくり寝ようと思って、カーテンを閉めて寝ていた。それでも、半分くらいは開けていたかもしれない。

そしてふと意識を取り戻した。で、おもむろにPHSのボタンを押す。僕のPHSはKX-HV200だ。正確にはKX-HV200-Aだが、まあ、それはどうでもいいだろう。で、この機種はワンタッチオープン機構というのがあって、ボタンを押すとパチッと開くのだ。初めて手に取ったときそれがとても気に入って、そのまま買ってしまったのだ。前に持っていた機種も悪くはなかったのだが。なんか話がどんどんそれているが、起きて、PHSを見てみると、表示されている時間は12時30分。何かがおかしい。1時30分に寝たのに、どうしてそんな時間を示しているのか。まさか、11時間も寝ていたと言うのか?

その時間から食事をして大学へ行くと3時。どんなに粘ったとしても5時過ぎには大学を出なければならないのでせいぜい2時間。いったいこんな時間で何ができると言うのか。ということで自主休講決定。疲れているときに目覚ましをセットしないで寝ると、際限なく寝るということが判明した。

作業をしようかとも思ったが、とてもそんな気分になれなかったので、自転車であたりをうろついてみた。毎年夏休みには、普段あまり見られない近所の様子を見て回っていたのだ。今年はそんなひまはなかったのだが…。とりあえず、近所の坂道を登りきれたのは安心した。まだそれほど体力は落ちていないらしい。と言っても、体調がよければ登れるし、悪ければ登れないのは昔から同じなのだが。高校生の頃は、この坂を登れるかどうかが体調のバロメーターだった。今は、大抵午前中だと登れない。午後にならないと目が覚めてこないらしい。完全に夜型人間になっているようだ…。

今日は今日でやる気がしない。もうすぐ夏休みが終わるから、いい加減発表の準備をしなければならないのだが…。仕方がないので過去の論文でも読もうかと思う。これはこれで必要な作業なのだ。本来、自分が専攻している分野の過去の論文を読んだこともないような人間は、研究者とは呼ばないのだ。正直、興味がないものは興味がないのだが。



2003年08月29日(金) 視野狭窄

というわけで今日からずっと研究室に入り浸りになるわけだ。

毎日通っても、そんなにたいしたことはできない気がするのだが…。来ればいいというものでもないし。と言うか、成果さえ出ていれば来ても来なくてもどっちでもいいと思うのだが、そのあたりの考え方はよく理解できない。

最近、本当に視野が狭くなったとつくづく感じる。もっと世の中を広く見なければならないと思うが、新聞を読んでいる時間も惜しい。休みの日がないから、空いている時間はなるべく有意義に過ごしたいと思ってしまうのだ。そして、新聞を読んでいるとどうも無駄に時間を過ごしている気になってしまう。テレビもそうなのだが。

とりあえず、もっと早起きをしたほうが良さそうだ。そして早めに帰ってしまえば、もっと余裕ができそうな気がする。そうなると犠牲になるのは睡眠時間か。それを犠牲にしないためには早く寝ることかな。結局、時間は変わらないのかもしれない。でも、早寝早起きのほうがいいとは思う。問題は、家のリズムかな。我が家はそういう早寝早起きの生活にまるで合っていない。そもそも夕食が8時過ぎとかだったりするから、結果としてすべてが後へ後へとずれ込む。かと言って母に文句を言うわけにもいかないから、どうしようもないとは言え、自分で何とかするしかないだろう。

ところで、ファイナルファンタジータクティクスアドバンスを買った。プレイステーション版が好きだったからなのだが、パッケージを見て、少々期待はずれの感を抱いた。まだ内容はわからないのでなんとも言えないが、ずいぶん子供向けになってしまったような印象を受ける。タクティクスオウガ外伝のほうはそうでもなかったのだが、こちらは21歳にもなった人間のやるゲームではないかな、という気がする。21歳にもなってそもそもゲームなんてするなよ、と思われるかもしれないが、よくできたゲームは何歳でも楽しめる、と僕は思う。どうせ電車の中のひまな時間でやるだけだし…。

もっとも、ちょっと前まで電車の中でブルーバックスを読んでいた。そのくらいの余裕はあったのだが、最近は電車の中でまでそんな頭を使っていると、疲れ果ててしまうのだ。これも余裕を失ってきたことの一つの表れかもしれない。

もう6時か。そろそろ帰るかな…。



2003年08月28日(木) 最後のバイトの日

この日は最後のバイトだった。「本当に最後なの?」とか言われて少し名残惜しかった。派遣の仕事なので、やめるとかいう連絡は派遣会社を通すことになる。だから、一緒に仕事をしていた人たちには十分情報が行き渡らなかったりするのだ。必要はなかったのだが、一応言ってはいた。でも、それを聞いていなかった人もいたらしい。うわさだと思ってた、とか言っていたが。

研究のほうが一段落つくのかどうか。それで今後のバイトが決まる。研究にすべてを費やしたくはないので、なんとか余裕がほしいものだが…。あと、作業がもう少し単純になってほしい。まず、何をするのか考えることからはじめるのはもううんざりだ。具体的な作業内容が決まってくれば、作業を単純化できるように計画を立てることもできようというものだが。

今回のバイトで、計10万くらいは稼げたようだ。これで減りつつあった貯金も少しは持ち直したことだろう。もともと僕はほとんどお金を使わないから、一度稼げばなかなか減らないのだ。それでも、お金と言うのは稼がない限りは必ず減るものだ。またなにか仕事を探さないと…。

バイトは止めたが、やめていないことにするのも一つの手だな。そうすれば週1回か2回は必ず休めることになる。それはそれでアリという気もする。夏休みが終わったら、休日を取れるようになるのだろうか。ずっとゲームを作りたいと思っていたのにまったく手をつけていない。ここらでやってみたいのだが、さすがにゲームを作るとなると、どんなに小さなものでもそれなりにまとまった時間がいる。研究室から帰った後の夜だけではなかなかに難しい。

飲み会に誘ってくれると言っていたが、果たしてメールは来るのだろうか。



2003年08月27日(水) 滞る作業

確かこの日は、まったく作業がはかどらなかったような…。日記すら書いていないと言うことは、ずっとしゃべっていたのだろう。やれやれだ。目標が見えないから、進んでいるのかいないのか、これでいいのか悪いのかさっぱり分からない。まあ、何とかやるしかないのだが。

今日は調子がそれほど良くない。早くも下り坂なのか、まだ何も作業をしていないから頭が寝ているのか…。とりあえず今日の分だけ書いたら適当に作業に入るかな。

と言っても書くことはないから、このくらいで…。



2003年08月26日(火) HTMLのお勉強

これを書いているのは金曜日。最近、ずっとまとめて書いてるなあ。バイトを止めて少しは時間ができるのかもしれないが。

なんだか頭が痛い。ただでさえあまり時間がないのに、夜遅くまでPCで遊んでいるから睡眠時間までない。まあ、調べ物は深夜が一番はかどるからそれはそれでいいのだが…。いろいろと勉強できてはいるのだが、それでどんどん体調を崩している。勉強なんてどうでもいいから寝るべきなのか。

ちょっと前までXHTMLなんて分かるか〜!と思っていたのに、こないだ試しにちょっと書いてみたらそれほど苦労はしなかった。定義されているタグをすべて使わなければならないわけではないのだから、適切なツールを使えばそれほど問題はないわけだ。個人的にはHTML Project2がお勧めだが、ちゃんと理解しているならメモ帳でも問題ないだろう。タグを開いたら必ず閉じること、決められた宣言を書くことだけ注意すれば簡単なようだ。

少々面倒なのが、UTF-8によるエンコードだ。これからの標準になっていくらしいのでなんとか使うようにしたいと思ったのだが、これがなかなか難しい。難しいと言うよりも、面倒だ。ツールが対応していなかったりするのだ。Windows 2000/XPのメモ帳であれば変換できるが、いちいちメモ帳で読み出して変換するのも面倒くさすぎる。まあ、これから先に変更の予定がないページを一つくらいUTF-8で書くくらいならいいかな、と思うが…。ちなみにこの日記のほうはエンコードを変更できないらしい。EUCらしいが…。まあ、たぶん問題は起きないだろう。良いとか悪いとか言ったって結局のところは些細なことで、他言語を扱ったりしない限り問題は起きないのだ。僕はほとんど日本語しか書かないし、それ以外で書く可能性があるのは英語くらいだ。



2003年08月25日(月) また研究室へ

二日の猶予も終わって、また研究室へ通う日々が始まる。8月でバイトも止めてしまうので、そうなるとますます本格的になる。だからこそさっさと終わらせるべきなのかもしれないが…。まあ、明日はバイトだからバイトをするとして、あさっては早めに大学に来るかな…。今日は昼に来ていたし。

気づけば、ずいぶん日記がたまっていた。どれほど遅れても一応毎日更新している。3月の日記を更新したのは、確か6月ごろだったが。まあ、そんなこともある…。

なんか教授がアメリカのお土産をくれた。めっちゃくちゃに甘いお菓子だ。さすがアメリカと言いたくなる。あまりデリケートさの感じられない甘さだ。ただ甘い。ひたすら甘い。とにかく甘い。アメリカは飯はまずいとか言うが、本当なのかもしれないと思ってしまう。日本人は、意外と食事にはこだわる民族なのだろうか。意外と、ではないか。これだけ毎日毎日食事についていろいろと情報が流れていれば…。外国ではどうなのだろう。アメリカでは脂肪ばかりに興味が集中しているのかもしれない。まあ、それは日本にしても、健康にばかり興味が集中しているとも言えるが。食事で一番重要なのはおいしいかどうかだと思うのだが、どうだろうか。若いからこそ言えることなのかもしれない。僕も歳を取ったら健康第一と言い張っているのかもしれないな。なるべく健康に気を使わずに済むように、今から節制したほうがいいのかもしれない。とは言え、あまりむちゃはしていないから、あとは積極的な努力か。運動は本当にしていないな。久しぶりに体操してみたら、異常に体が硬くなっていて驚いてしまった。体中の筋肉が硬直している。腰が痛いのも、久しぶりに動かしたせいかもしれない。まあ、まだ21歳だし、多少痛くても動かしておいたほうがいいだろうな。ああ、いつまで自分は若いと言っていられるのかな…。

最近、行き帰りにゲームボーイアドバンスをやっている。ソフトはタクティクスオウガしか持っていないので、ずーっと同じソフトを繰り返しやっているのだ。今まで結構ゲームはやってきたが、こんな風に何度も何度も繰り返し楽しめるゲームというのは多くない。それだけにいい選択をしたと思える。と言っても、さすがに10回ほどクリアするとほかのゲームにも手を出したくなる。飽きたわけではないのだが、多少は新鮮さがほしくなるのだ。無理にとは言わないのだが。ということで、バイトもしていたことだし、新しいゲームでも買おうかな、と思っている。この帰りでいいだろう。ということもあるから、さっさと帰ろう…。

でも、きょうはやたらと調子がいい。先週くらいからずっと同じ事を書いているが、今まで調子が悪かったのは本当になんだったのだろう。まあ、これだけ調子がよければ夏休みを棒に振ることもないだろう。あと2週間ほどしかないが。

大学の場合、夏休みは9月の上旬までだ。これでも早いほうで、私立だと9月いっぱいが夏休みというところも多い。国立でも試験が夏休み前の大学はそうなっている。なぜ試験を夏休み後にやるのか良く分からないが…。あえて日にちを空けることに、何かメリットでもあるのだろうか。前期だけ休みをたくさんとって勉強しろ、というのも変な気がするし。

研究室の同級生にも言われたが、この研究室のキーボードは実に使いやすくて、やたらと速く打てる。キーを叩く音を聞いていて気持ちよくなってくるほどだ。さすがにそれだけのスピードでずっと打ち続けるといい加減疲れてくるが。こんなことばかりしていたのでは、肩がこるのも当たり前かもしれない。にしても、今まで日記を書いてきたのは、キーを叩くのが好きだったからかもしれないと本気で思う。ただキーを叩いているだけで、なんだか楽しくなってくる。ついでに言うと、ペンで文字を書くのも好きだ。絵を描くのはあまり好きではないのだが。字を書いているだけで楽しいから、ノートを取るということを苦に感じたことはない。特に予備校にいたときはノンストップで書きまくっていたが、それはそれでいいと思っていた。ただし、そんなふうに書きつづけていたのでは、きっと頭に入っていなかったのだろうが。やはり、書くのと考えるのと半々くらいがちょうどいい。この日記も、ノンストップで書きまくっているから内容に脈絡がなくなるのかもしれない。まあ、自分が楽しければそれでいいので、あえて直そうとも思わないが。ちなみに、予備校と言っても現役予備校だ。僕は一応、ずっと現役でここまで来ている。浪人とか留年もいい経験なのかもしれないが…。でもまあ、現役のほうが両親には迷惑かけないのだろうな。大学院に行くと言ったのは初めてかける迷惑なのかもしれない。

さっきまで5時半だったのに、もう6時だ。まあ、ずっと書いていれば時間が過ぎるのは当たり前だが、それにしても早い。確か日記を書き始めたときは5時になっていなかったはずだが…。こんなのに1時間以上もかかるのか。本当に思うが、小学生くらいの頃と、時間の流れ方が違う。小学生の頃は、一日がものすごく長く感じたものだったが…。まあ、集中力がなかったのかもしれない。あちこちに興味が散って、いろいろなことをしていたから、一日がとても長く感じたのだろう。小学生はそれでいいと思う。

そう、気になるのが、小学生からやたら細かいことを教えようとすること。小学生なんてのは、概略を知っていればいいと思う。まあ、それで文部科学省もゆとり教育なんて言っているのかもしれないが。確かに小学生や幼稚園児くらいだといろいろなことに興味を持つ。だが、それと同じくらい大きな特徴は、興味が長く持続しないことだと思う。ほとんどの場合、どれほど興味を持っていてもすぐに忘れてほかのことに興味が行ってしまう。たぶん、悪いことではないだろう。少しでも多くの知識を吸収しなければならない年頃だし。そして、その歳ですでに集中できることを見つけたら幸せなのかもしれないが、しかし、それはほかの可能性を捨てることにもつながる。どちらがいいのかはなんとも言えない。これから先は専門性の高さが要求されるから早いうちから集中させたほうがいいとか言うかもしれないが、大抵の場合、そういう人ほど人間性の面で問題があったりするようだ。僕もそうなのかもしれないが…。まあまあ、いろいろなことに興味を持つほうではあるが、本気で好きなことは限られている。PCとかその関連分野ばかりだ。

ああ、肩がこってきた。さすがにこのくらいにしておくかな。



2003年08月24日(日) プリンタの購入

我ながら実にひねりのないタイトルだ。このくらいが分かりやすいのかもしれないが。

日曜日は、大学をサボって父と一緒にプリンタを買いに行った。今まで使っていたエプソンのPM-670Cはよくがんばってくれたが、ヘッドが詰まったようで、インクが出なくなってしまったのだ。で、下手に修理するとやたらお金がかかるばかりだと、新しいものを買うことにしたのだ。リサイクルの精神に反するような気もするが、この際、そんなことを言っている場合ではない。誰だって新しいほうがいいに決まっている。特に、我が家は父と僕が新しいものが好きなのだ。父は古いものもそこそこ好きだが…。僕は、古いものは懐古趣味につながる気がしてどうも好きになれない。もちろん、古いものには古いものの良さがあるが、その良さは認めるとして、古いからと言って、ただそれだけで認める気にはなれない。それを言うなら、新しいからと言ってそれだけで認めるのはどうかという話になるが、新しいものが古いものより機能的に劣ることはないだろう。この一点において新しいものはほとんどの場合、進歩しているのだ。

新しいプリンタは、HPの…えーっと。psc1200だったかな?よく覚えていないが…。添付のCD-ROMからドライバをインストールしたし、わざわざインターネットでドライバを探したりしなかったから名前の印象がいまいち…。たぶん合っていると思うが。一応4800dpiの複合機だ。印刷してみたら、確かにPM-670Cよりきれいだった。複合機というのは、プリンタだけでなく、コピー機とスキャナの機能もついたものだ。一台三役でお得なのだが、昔は動作にいろいろ問題があったらしい。今はもう、技術的にこなれてきて、あまり問題はない、と思いたいのだが。別に問題がなくなったと聞いたわけではない。複合機の購入を考えているのなら、ここではなく、もう少し正確な情報源を探すと良いだろう。僕は面倒なので探さなかったが。日ごろ、毎日研究室にいるのだから、休みの日くらいのんびりしたいのだ。昔はこの程度の情報収集を苦に感じることなどなかったのに。余裕があったのだろうな。

店は、ノジマに行くことにした。父がいいと言っていたからだが、要するに安いのだ。プリンタだったらそれほどサポートを気にすることもないだろうし、専門店で買ったからと言ってたいしたサポートは期待できない。ならば安い店へ、ということだ。ちなみに、店にとっていいことなのかどうかは分からないが、いつも空いていてゆっくり選べるというのも結構重要かもしれない。この日は日曜日だったから、さすがに少し混んでいたが…。

父はある程度下調べしていたようだが、結局、どれを買っても似たようなものだという結論に達したらしい。僕も同意見だ。だいたい、些細な違いを気にするほどプリンタにこだわりなどない。結局のところ、購入の決め手は見た目である。あとはサイズもあるが。確か、売り場にあった複合機の中で一番小さかったはずだ。きっと、こんな理由で買う人は多いのだろうな。1995年くらいからデザインに気を使っていれば、きっとそのメーカはほかに大きく差をつけられただろうに…。まあ、それでSONYのVAIOは一歩抜きん出たのかもしれないが。今ではその優位もほとんど差がなくなっているようだ。VAIOもなあ…。最近は知らないが、昔は使わないソフトがやたら入っていて、何もしていなくても常に重いという良く分からないパソコンだったからなあ。もっとも、今のスペックであれば、多少意味のないソフトが動いていても、それほど問題にはならないのかもしれないが。

で、家に帰って一通り設定してみた。箱から取り出すときに、箱とプリンタの間に指をはさんでとても痛かった。爪がひしゃげるかと思った。まさか紙の箱でそんな目に遭うとは。世の中いろいろである。小さく見せようとして、箱を小さくしすぎなのではないかと思った。それと、付属品の多くが、なんとプリンタの内部に入っていた。これは見つけるのに苦労した。まさかそんなところに入っているとは夢にも思わなかったから、散々探してしまった。付属のCD-ROMなんて言われてもどこにもないぞ、と。ほかに、接続用のケーブルなどもそこに入っていたから大変だった。まあ、みつけたあとはそれほど苦労しなかったのだが。それから、PCの後ろを整理していないので、ケーブルがこんがらがって大変だった。いつも面倒な思いをするのだが、そもそも本数自体が多すぎるのでどうしようもないのだ。ゲームパッドなどは使っていないから片付けてもいいのかもしれないが。ラグナロクもゲームパッドに対応してくれればなあ、と思う。まあ、ゲームパッドで操作できるようなゲームではないのだが…。実は、マウスの操作をゲームパッドに置き換えるソフト、というのを使って試したことがあるのだ。それなのにゲームパッドを使いたいなんて言っているのは、要するにもったいないからなのだが。

まだインターネットは死んでいるな…。今日はもう、復活しそうにない…。

その後、特に問題もなく、印刷もスキャンもコピーもすべて順調に動作した。机の下に置いているので使いづらいが、基本的にはかなり使いやすいインターフェースだ。印刷はWindowsの印刷なのでほかの印刷と同じだし、コピーとスキャンはボタン1個でOKだ。モノクロというボタンを押せばモノクロのコピーができるし、カラーというボタンを押せばカラーのコピーができる。そして、スキャンというボタンを押せば自動的にスキャンのプログラムが立ち上がってスキャンした画像を表示してくれる。まあ、そのための常駐ソフトがあるようなのだが…。これ、外してしまおうか。普段から、ゲームでPCのスペックをギリギリまで使っているからな…。ああ、この大学のPCでゲームをやってみたいものだ。CPUもPentium 4の2.53GHzとなかなかいいのだが、グラフィックボードもRADEONの9700というかなり上位の機種だ。上から数えて2番目というところだと思う。あ、RADEON 9700Proとかいうのもあるからもっと下かも知れないが。ちなみに余談ではあるが、インストールするときにミスってしまって、ドライバだけ入れてあって、設定ソフトのほうを入れていない。だから、ボードの調整は一切できない状態だ。きっと、画質を犠牲にすればもっと速くなるのだろうな。GeForceの場合はデフォルトでもっとも高画質になるように設定されているが、RADEONはどうなのだろうか。GeForceばかり使っていたのでこちらのほうは良く分からない。

なんだかよく分からないが腰が痛い。将来、腰痛で苦しむことにならなければいいと思うのだが…。座るときの姿勢が悪いのだろうか。まあ、ずっとキーボードを叩いているし、ゲームではファンクションキーばかり使うからずっと体を傾けている。これでは確かに体に良くなさそうだ。普通のキーはすべて文字入力に使うから、どうしてもファンクションキーを使わざるを得ないのだ。ツールを使えば変えることもできるのかもしれないが。



2003年08月23日(土) 夏風邪を引くのは停電の日

何日から書いていないのだろう。研究室はインターネットが不調で、日記を見に行けずに仕方なくメモ帳で書いているくらいなので、状況がまったくわからない。

とりあえず金曜日と言うことにしておこうか。今日が月曜日なので、それだけで4日である。土日は休んでいたのにずいぶんとまあ、間が空いたものだ。土日は忙しかったわけではないのだが、いつでもできることは休みの日にしたくないと言う気持ちが働いてしまったようだ。本来、こういう趣味のような日記を研究室で書いているのはおかしい気もするのだが…。

それで金曜日だが、昼から研究室に来て、のんびりノートに向かっていた気がする。明日は休みだ、とか思いながら…。休みなのは、大学が停電するからであって、ほかのどんな理由でもない。そういうどうしようもない理由がない限り、ずっと来ることになっていたのだ。実は教授自身がそれほど気にしていなかったと言うことが発覚したのだが…。

調子は悪くないが、なんせ書くことがない…。変化のない毎日を送っているからなあ…。

かと言って変化を望むのかと言われれば、そんなこともない気がする。

にしても、大学のインターネットは本当に調子が悪い。まともに動いていない。大学のホームページなどは普通に表示されるので、この研究室の問題ではなさそうだ。プロキシサーバまでは到達しているようなのだが、そこから先が遅いらしい。やはり停電の影響だろうか…。ちなみに、この停電で一号館のルータかスイッチかなんかが死んだらしい。交換しなければならないので、あさってにならないと復活しないそうだ。やれやれである。この研究室は一号館ではないが…。

インターネットに直結している端子があるので、そこにちょっとつないでみるか…?それでどんな状況になるのか予想もできないのだが。にしても、そういうことをやろうと思うと、なぜこの大学はDHCPサーバを置かないのかと思ってしまう。研究室ごとにIPを割り振るようになっているが、どうせそんなめちゃくちゃな使い方をする研究室などないだろう。DHCPでいいじゃないかと思う。まあ、僕の知らない問題がいろいろと起きるのかもしれないが。企業ではDHCPサーバを使っているのに…。やはり、単純に管理の問題なのかもしれない。普段、担当者が一人しかいないので、管理しきれないということなのだろう。

そう言えば、ふと思い出した。大学から提供されているホームページ用のスペース、使えるのだった。何かに使ってみようか…。HTMLやCSSについて、いろいろ書いてみるのもいいかもしれない。僕みたいな中途半端な知識だからこそ、分かりやすく書けるということもあるかもしれないし。ほとんどありえない気もするが。それに、リファレンスなら、とほほのWWW入門が非常に充実しているから、これ以外に必要とは思えないし…。

やはり最近は調子がいいな。風邪を引いてしまったからどうかと思っていたが。何も考えていないのにそれなりにスラスラ書ける。何も考えていない文章を読まされるほうはたまったものではないのかもしれないが。さっきまではエンピツのページを見ることができたのにもう見られなくなってしまった。どんどん調子が悪くなっていく。誰かがやたらと負荷をかけているのかもしれないと思ったが、今は夏休みで、そんなに多くの人がいるとは思えない。そう言えば、ネットワーク資源はどう配置しているのだろうか。この研究室が不利に扱われていたりしたらおもしろいと思う。…今のサーバってそういう設定できるのかな。早い者勝ちで、あとから使うとどんどん不利になるとかだったら笑える。

ああ、なんかインターネットの調子が悪いだけでやる気がうせる…。日記を書いて全部自宅に送って、今日はもう帰るかな…。こんなにインターネットの調子が悪い状態で、メールは届くのだろうか。メールと言うのがインターネットとどうかかわりがあるのか詳しいことは知らないし、この大学の今の不調の原因を知らないのだからそんなこと、分かるはずもないが。

土曜日。大学が停電していて休んだ日だ。父とプリンタを買いに行こうと思っていたのだが、父は会社に行くとかでいなかった。新聞記者には土日も祝日もないからな…。と書くと大変そうに見えるかもしれないが、平日に休んでいるので結局大差はない。

んで、昼に起きてずっとゲームをしていただけかな?まあ、なんにせよ、しばらく休んでいなかったのでちょうど良かった。そんなこんなで二日休んだあとの今日、なぜやる気がしないかと言えばそれはもう、風邪を引いたからである。そしてなぜ風邪を引いたのかと言えば、ずっとクーラーをかけてゲームをしていたからだと思われる。よく分からないが、どうも僕の部屋にあるクーラーは良くないらしい。まあ、僕が生まれたときからある、かなりの年代ものだし…。今でも動いているのが不思議なくらいだ。昔のものは本当に長く使える…。

それにしても、Windows 2000のメモ帳はutf-8の保存なんてできるのか。こんなもの、誰が使うのか、とも思うが。この日記はutf-8で保存しているが、どうせアップロードするときに変わってしまうからきっと意味はないだろう。エンピツのサーバにはUNIXのエンコード形式で保存されているようだ。

う〜ん。そこそこ調子がいいようで、実はかなり悪いようだ…。話につながりと脈絡がない。キーを叩いているだけで、意味をなしていない感じだ。書けたり書けなかったりというのはあったが、書いていても意味をなしていないというのは初めてかもしれない。まあ、普段からそうだと言えばそうなのだが。

ああ、日記を書くのも面倒だ。残りはまた今度にして帰るかな…。しかし、そんなことをやっていると日記がたまるばかりだし、やはりどうにかしよう。

土曜日はこれ以上書くことはないはずだ…。



2003年08月22日(金) 幸せは自分でつかむもの?

愛しき人よ、あなたは今、どうしていますか?

傷つき、悩んではいませんか?救いを求めてはいませんか?

私にできることはありますか?私は何ができるのですか?私にできることは何もないのですか?

日記を書いていてこんなにも気分が高揚するのは本当に久しぶりだ。久しく感じていなかった気分だ。どうしてこんなにも気分が盛り上がっているのだろう。燃え尽きる前のろうそくなのだろうか。

昔は、ずっとこんな感じだった。この調子で文字制限ギリギリまで、毎日書いていたものだ。いつから日記を書くことに冷めてしまったのだろう?どうしてそんなことになったのだろう。

今まで知らなかった不安に追われる生活、ようやく感じた欲望と、それを手に入れられなかった欲求不満。考えられる要素はいくつもある。では、今は何なのだろう。それはなくなったのか。そんなことはない。何も変わってはいないし、変えたいと願っていることも変わらない。

きっと、あきらめることができたのだろう。現状のまま生きていく決心ができたのだ。これから先、状況が悪くなる一方だってことは分かっていた。でも、それがこんなに早く訪れるなんて予想外だったんだ。

今の時代は、高校生がピークになるようにできている。スポーツをしていなければ体力的にも高校生がピークらしいから、ちょうどいいんだろうな。そこから先は、ひたすら下っていく一方なんだ。知っていた。気づいていた。分かっていた。でも、理解していなかった。感覚的な部分で、それを拒んでいたんだ。

ここから先は、自分の力で幸せをつかまなければ、幸せは遠くへ去ってしまう。親も周囲の人間も、だれも僕に幸せを与えてはくれない。ほしければ自分でつかむしかないんだ。でも、僕にはそんな力はない。なにかをほしいと思ったことがないから、ほしいものをつかむためにがんばったこともない。すべては与えられてきた。それで僕は満足していた。わざわざ自分で手を伸ばさなくても、必要なものはすべてそろっていた。それ以上ほしがるなんて、わがままだと思った。

今だって多くを失ってしまったけど、それでも何かをほしがるなんてわがままだと思う。僕は多少転がり落ちたけど、それでも僕より不幸な人なんて、世の中には腐るほどいるんだ。いや、今でも僕より幸せな人なんてそんなにいないだろう。物質的にも恵まれて、熱中できるものがあって、安全で、快適で。

精神的な部分は欠如しているかもしれないけど、物質的なものが欠如していなければ、自分の心次第でどうにでもなるものだ。貧すれば鈍すると言う。裏もまたしかりではないかと思う。

先人たちが作り上げてきた社会は、子どもには幸せを与えられるが、大人には与えられない。でも、大人なら自分の手で幸せをつかむことができる。歴史上、まれに見るほど幸せに恵まれた時代であることは間違いないのだ。そんなところに生まれてきたことを感謝しなければならないんだ。

神様なんて信じない。でも、今の僕の幸せは、偶然にしてはできすぎている。今、僕が触れているキーボード、使っているPC…。これ以上を探すのは難しいほどに高性能だ。何の不満もない。みんな多くの不満をもっているけど、僕は不満なんてほとんど感じてはいないんだ。今の環境に不満は感じるけど、きっとほかの人ならそれほど不満には思わないことなんだ。

こんな贅沢に慣れると、ここから先、下り落ちるだけの僕の人生はどうなってしまうんだろう。良い環境から悪い環境へと放り出されるなんて…。夏の暑さなんて本来は耐えられるはずなのに、クーラーの効いた部屋にいると、とても外気の暑さには耐えられない。僕は、社会の風に屈してしまうかもしれないな…。そうしたらどうするだろう。適当に犯罪を重ねて、首をつって人生を終えればいいかな。最後に愛する人を一目見れば、もう望むことなんて残りはしないだろう。…きっと。

それ以外に望むことのある人生を送れれば、それはもしかしたら、今よりも幸せな生活なのかもしれないな。期待はできないけどね。



2003年08月21日(木) これなら分かるモデル化の手法

バイトにもすっかり慣れた。なぜそれでやめなければならないのか。だいたい、土日も来いとか言っていた教授、「日曜日来るのか?」ってどういうことですか?あなたが来いと言ったのではないですか?

あらためて研究室の矛盾をいやと言うほど感じているが、僕はもともとプラス思考だ。あまり信じてはもらえないのだが。僕は、「どうしようもない」って考えることがマイナス思考だとは思わない。だって、どうしようもないものをどうしようもないと認識することは冷静な現状分析であって、それにプラスもマイナスもないはずだからだ。一度書いたが、重要なのはそこから先。「どうしようもない」時に、どうするかだ。

考えてみた。シミュレータプログラムなんて言うから分からなくなるのだと。だから、発想を転換してみた。僕はゲームを作るんだと。船が自動で動き回るゲームだ。ゲームであれば、中学生の頃からあれこれと考えてきた。まずはキャラクターのパラメータだ。いくつかの数値でキャラクターを特徴付ける。力、すばやさ、体力、賢さ…。こんな数字を並べるだけで、そのキャラクターがどんな雰囲気なのか、なんとなく分かる気がするものだ。船だから針路、速力、位置がパラメータかな。でも、船長のパラメータなんだから集中力とかの方がいいかもしれないな。

教授が満足するかどうかなんて知ったことではない。どうせ夏休みの成果を丸ごと捨ててしまったら、僕だけではなく教授だって困るのだ。どんなものを出したって、最終的には採用するしかないんだ。こんな風に、どうしようもないときに開き直れるのが、プラス思考なんじゃないかな、と思う。もちろん、シミュレータプログラムを書くのにゲームの作り方なんてやってるんじゃ、問題の解決にはならないが。まともに取り組んでもできないのであれば、あきらめるのも方法だと思う。

船を船のまま捕らえてしまっては、僕に理解することはできない。船を船でなく、あくまでもキャラクターだと割り切ってしまえば、僕の好きなゲームの世界になる。こうすれば、船をゲームの登場キャラクターとして扱えるから、若干楽になる。もちろん、そもそも捕らえ方として間違っているはずだからきちんとしたものはできないだろうが、何もできないということはないだろう。RPGのキャラクターだって、一つのモデルだ。人間を単純化して、いくつかの数字で表しているのだ。モデルなんてそんなものなのだ。



2003年08月20日(水) 自動車保険

今日は研究室に来ている。今日もと言うべきか。サボった日とバイトの日以外はずっとである。今度の土曜日は大学が停電するため、自動的に休みということになるが。

ただ、父の自動車保険がもうすぐ切れるということで、自動車保険の会社であるバイトをしている友達のところに相談に行った。かなり成績優秀らしく、知識が整理されていて非常に参考になった。まあ、その話を父が受け入れるかどうかは別問題だが。最近の保険会社は事故対応が整っているから、JAFはやめたほうがいいとか言っていたし。しかし、父は面倒くさがりそうだなあ。

それから少し近況を聞いた。彼の研究室は、大学院生と共同で研究をするらしい。そもそも大学院生がいないここの研究室から見ると、うらやましくて仕方がない。それに、助教授が普通に学生と一緒にタバコを吸っていたのを見ると、だいたいいつも一緒にいるようだ。話を聞こうにも所在すら不明なのとは大違いだ。研究なんて一人でできるものじゃないなと実感する。それはおそらく、どれほど優秀な人でも同じことではないだろうか。いや、優秀な人ほど人の力というのをうまく使えるはずだ。所詮人一人の力には限界があるが、二人、三人となればその力はとても大きくなる。誰かが知らないことでもほかの人なら知っていることがあるし、誰かが気づかないことでもほかの人なら気づくことだってある。誰かがひらめかないことでも、別の誰かならひらめくことだってあるのだ。あまりに多くなりすぎては統率が取れなくなることもあるだろうが、それにしたって一人というのは無謀に過ぎる。ただ、それを実感できたのは良かったのかもしれない。みんなでやったほうがうまくいくのは当然だから、たった一人ですべてをやり、苦労したという経験を持つ人は多くないかもしれない。となると、そういう経験を持っていることで、仲間の大切さを実感できるようになるかもしれないのだ。まあ、物事は何事も前向きに、ということで。

仲間に限ったことではないが、どんなものでも失ってみないとそのありがたみは実感できない。理屈では分かっても、なかなか感情的に理解することはできないものだ。親なんてその典型かもしれない。死んでしまったりしたらもっと親孝行すればよかったと多くの人が思うのだろうが、その気持ちは親が生きている間には決して理解できないのだと思う。

土曜日は大学が停電する。夏休み中で唯一、予定に入っている休みの日だ。父がプリンタがほしいと言っていたので、もし父がいればそれを見に行くことにしようか。新車を買ったとか言っていたが、いつ届くのだろうか。Legacy B4ってなんだか微妙な車ではある。友人はいまいちじゃないかというようなことを言っていたが、どうなのだろう。まあ、車なんてはっきり言ってどれを買ってもそれほど外れなんてないのだろうけど。

最近、調子がいいなあ。ずっと調子が悪かっただけに、なんだか嬉しくなってしまう。とっとと家に帰りたいのに、まだ日記を書きつづけたくもある。少しだけ複雑な気分だが、やはり帰りたいものは帰りたい。このくらいにしておこうか。6時43分。だいぶ遅くなったな。家に帰れるのは8時過ぎか…。



2003年08月19日(火)

アルバイト、ようやく慣れてきた。慣れてきたところなのに、やめなければならない。なんだか悲しいものだ。そうまでして卒論なんてやりたくなかったのになあ。本当に。仕方がないが…。

特に変わったことはなかったかな。彼女に似てる同僚の人とも、よく分からないブラジル系の上司の人とも、通り一遍の会話をしているくらいだ。ここのところ人とほとんど会話をしないせいか、スムーズなコミュニケーションができなくなってきている。円滑に言葉が出ないのだ。なんせ、まともにしゃべらない日なんてのもあるのだ。研究室に来てみたら誰もいなくて、そのまま一人で作業をして、そのまま帰ると。あまりに悲しい。バイト先のほうはバイト先の方で、だいぶ慣れてきたからわざわざ質問するほどのことはほとんどない。だからかえって、会話が減ってきてしまう。特に大きな仕事もないから、いろいろ説明を受けたりすることもないし。

変化を望む人の気持ちが、少し理解できる気がしてきた。代わり映えのしない毎日に変化がほしいと。しかし、代わり映えしなくても幸せだった生活を体験した身としては、それは少し違うと言いたい。変化がなくても満足できればそれでいいのだ。満足できないからこそ変化を望むのだ。本質は自分の満足であって、生活の変化ではないと思う。どれほど変化に富んでいても、それで満足できなければ大きな意味はない。

とにかく、今の生活は変化させたい。でも、おそらくはどうしようもない。だから、その範囲内で何とかすることを考えなければならないのだろう。



2003年08月18日(月) 自宅の日記

最近、大学で日記を書くことが多かった。自宅で書くのはなんだか久しぶりだ。自宅での時間はひどく貴重に感じて、大学でもできることはなるべく大学でやってしまおうと思っているのだ。本来ならば逆なのかも知れないが…。

今使っているキーボードは、何度か書いたがバイト先でもらってきたものだ。結構使いやすいのだが、研究室のPCよりは劣る。同じように叩いているつもりでも明らかに大学でやった方が速い。キーボードを変えるだけでそこまで違うのかと思うくらいに違いを感じる。ただこのキーボード、触り心地だとかはいいのだが、英語キーボードだからアメリカ人向けのサイズなのか、少々大きすぎる。だから遠いキーを叩くのが少し大変だ。まあ、小指や薬指も使ってキーを叩けばそれでいいという話ではあるのだが。

前もそうだったのだが、相変わらず研究室の同級生と話が弾む。今日は主にHTMLの論議だった。特に相手にとっては研究に直結する話だから無駄ではないと思うのだが、それでも、あまりそんなことばかりしているわけには行かないと思う。もちろん、ずっとしゃべっていたわけではないのだが…。最近、ようやくペースが上がってきて、先がまったく見えず、これからどうしていいのかもまったく分からないと言う状態からは抜けられそうな感じがしてきた。しかし、自分がいいと思っていても教授が納得しなければ意味がないのは変わっていない。この教授の場合、内容をあまり深く見ずに判断を下すから、内容を練り上げるよりも表現を工夫する方が大事になってくるだろう。

このように書くと本質的でない議論をしているようだが、僕は、表現や見た目の問題も重要だと思う。物事の核となる部分は重要になることが多いが、だからと言って、枝葉の部分がどうでもいいかと言えばそうではない。特に社会に出れば、仕事はきわめて短時間のうちに評価されることになるだろう。となると、内容を練り上げるよりも、むしろその内容を簡潔に伝えるほうが重要になることもあり得る。完全なシステムは大学の研究者がやればいいのであって、企業のやることではない。企業がやるのは、経済的な制約下で、もっとも低コストで高い効果を生み出す方法だ。例え内容が充実していても、理解するのに時間がかかるようでは使い勝手が悪く、時間的なコストが多くかかってしまう。

自分で言うのも変だが、この日記は読む気がしないのではなかろうか。それは、内容以前の問題である。これだけページいっぱいに字が広がっていたら、よほどいいディスプレイを持っていない限り、ジッと見る気にはなれないはずだ。スタイルシートで行間を空けたり文字の間隔を空けたりという調節はしているが、おそらくあまり効果を発揮していないだろう。それはなぜか。そう、見た目が問題なのだ。多くの企業のWebページは、HTMLの標準を無視してインターネットエクスプローラだけできちんと見られるように設計されている。それは、そうすることで見る側にきわめて見やすいページを提供できるからだ。人間の理解力には限界があり、特に最近は情報過多で、情報を取得するのにみんな苦しんでいる。だから、手に入りやすい情報は価値が高いのだ。そして、そのような情報の加工に効果的な一手段が、見やすくすることなのだ。だから、表現を工夫することも重要なのだ。

やはり自宅で書いていても調子がいいようだ。体調そのものがよくなったのか、前に書いたように髪を切ったことで視界をさえぎるものがなくなり、集中できるようになったのか…。髪のせいだとしたら、今まで無駄な苦労をしてきたことになる…。



2003年08月17日(日) 復調…?

最近、日記を書いていて調子がいいと思えるようになってきた。最近と言うか、昨日からなのだが。ここのところ不調が続いていたので、ようやくという感じではある。はっきりしないが、どうやらPCではなく、紙とシャーペンを持ってノートに向かうといいらしい。所詮、人間はPCを使うようにはできていないと言うことだろうか。ここ1年くらいPCに触れない日はない僕ですらそうなのだから、世の中一般の人にとっては、もっとPCは人間に合わない機械であるに違いない。

今日は、彼女の夢を見た。詳しい内容は覚えていないが、近況をゆっくりしゃべっていた気がする。あいかわらずそれだけで幸せな気分になってしまうのは何なのだろう。2ヶ月か3ヶ月か忘れたが、そのくらいの間、会っていない。何かあったとしても、誰も教えてくれなければ分からないだろう。2月とか3月とかの頃、こんな風になるんじゃないかと思っていたが、見事に予想が当たってしまった。まあ、いいか。結局のところ、多少距離が近づいても、やることは変わらないのだ。夢で見たように、普通に話ができればそれでいいと。たぶん、負け惜しみとかではないと思う。

やはり調子がいい。研究室の使いやすいキーボードが高速で走る感じだ。MS-IMEの変換はお世辞にもいいとは言えないが、慣れてきたからか変換もそれほど苦には感じない。「慣れてきた」というのが7番目に出てくるあたり、まだまだではあるが。この変換も使っていくうちに学習してくるのだろうか。



2003年08月16日(土) 高野豆腐

土曜日…。確か研究室に来て、作業をして、日記を書いていたかな。で、途中で友達から電話がきて、全部書けないうちに帰ったのだった。

ここに日曜日の話を書くのもおかしいが、ちょっとコーヒーを作ってみた。日曜日の日記は先に書いてしまったから、ここで書くしかないわけだ。差し替えればいいのかもしれないが面倒くさい。

で、それはいいのだが、ガスが使えなくて、どうしようかという話になった。結局水のまま入れてみたのだが、予想通りまずかった。一応、どこかで聞いたような気はしたが、実際に試したことはなかったのだ。何事も経験、なのだろうか…。ついでに同級生が、まるで古代から研究室に置いてあったかのようなクリープを使っていた。案の定、すさまじい味になっていた。「古いクリープ」としか表現しようのない、すさまじい味だ。結局、廃棄処分となってしまった…。まあ、仕方あるまい。

ああ、お腹がすいた。そろそろ帰るか…。コーヒーを作ってその同級生の作業を手伝って…、などとやっていたら6時半になってしまった。最近、妙に話が弾む…。お互い、毎日毎日同じ作業をしていてうんざりしているのかもしれない。

ところで、高野(こうや)豆腐というのは有名なのだろうか。豆腐を凍らせるだけの簡単料理らしいのだが、僕は今日、初めて知った。卵豆腐と違っておいしそうだ。僕はどうも卵豆腐だけはダメなのだ。

ああ、さすがにお腹が減ってくるとダメだ。隣の研究室に水くらいは用意してあったが、食べ物はないからなあ…。

まあ、どこかに出かけたりすることもないんだし、今、気軽に会える友達は研究室の同級生だけなのだから、そんな風に遊んでみてもいいのかもしれない。コーヒーを作っただけだからせいぜい30分くらいだが…。こんなことに30分もかかったのはなぜか、ということはお察しください…。

最近、なんか妙な気分になることが多い…。抑えきれなくなったらやばいなあ。道端に座り込んでいる人を見たりすると刺してやりたくなる。やはり余裕を失っているのは確かなのだろうな。これでゲームができなくなったりしたら、最後の余裕も失うなあ…。



2003年08月15日(金) 終戦の日

終戦の日。しかし、僕の生活は何ら変わりはしない。毎日毎日研究室に通って…。と思っていたのだが、この日は大雨。教授が顔を出しそうだが、まるでまとまっていない。とまあ、いろいろあって、サボってしまった。最大の目的は髪を切ることだったのだが。

昨日の日記にも書いたのだが、髪の長さはかなり異常で、まともに前が見えないほどになっていた。休みがなかったのだから、当然、髪を切る時間もない。で、そんな長さになるまで放っておく羽目になったわけだ。これは休んでも仕方あるまいと自分で勝手に決めて休むことにしたわけだ。

髪を切る前に作業をしていたのだが、驚くべきと言うべきか、やはりと言うべきか、家にいたほうが作業がはかどった。…まあ、やはりと言うべきだろう。研究室の利点は資料と性能のいいPCだけで、ほかの環境は自宅のほうが整っている。なにか食べたければだいたいなんかあるし、飲み物もすぐに用意できる。些細なことかもしれないが、結構気分は違うものだ。実際、効率がまったく違った。まあ、居心地の問題もあるかもしれないが。この研究室は外へ向いた窓がなく、いつも空気がこもっている。新しい部屋なのはいいが、妙な薬剤の匂いもする。そして、最低限のものしかない。PCと机と資料くらいだ。

一応、「行ってみないと分からない大学生活」なので記しておくが、普通の研究室は、こんなことにはなっていない。食べ物飲み物もある程度あるし、ちょっとした嗜好品くらいはそろえているのが普通だ。だが、この研究室はとにかく人がいないために、そんなものがそろってはいないのだ。しかも、僕がいるのは厳密に言えばコンピュータ室であり、そのようなものは置けないことになっているのだ。

本来の研究室には、さらに何もない。すべてこちらの部屋に運び込んでしまったからだ。こちらのほうが新しいからそれはいいのだが、もうちょっと何とかならないものだろうかと思ってしまう。まあ、いい加減な教授を選んだ自分のミスと言うことだろう。こういう納得のいかない生活を送るのもいいことかもしれない。社会に出るときにちゃんとした場所を選べば、たとえ仕事がきつくても、今までよりもずっといい環境になったと喜べるだろう。苦痛がなければ本当の幸せな気持ちは味わえないものだと思う。

今日は終戦の日か。いろいろイベントのようなことはしていたようだが、日本は何か変わったのだろうか。おそらくは変わっていまい。戦争の記憶は風化し、日に日に好戦的な人種が増えつつある。今でも、物事を乱暴に片付けようとする輩は多いのだ。殴らなければ分からないなんて言う奴はその典型だ。幸いにして、そんな奴といつも一緒に過ごす羽目に陥ったことはないが。でも、殴らなければ分からないと言うのは、裏返してみれば真理でもある。殴らなければ分からないと言う言葉の裏には、殴ってでも分からせたいという意図がある。つまり、相手の考えていることなどお構いなしに、自分の考えていることを押し付けたいのだ。この場合、論理的に正しいかどうかなどどうでもいいので、その手段としては説得よりも力が適する。

言うまでもなく、めちゃくちゃな理屈である。こんなことが通用する世の中にはなってほしくないものだ。もうすでに、なりつつある気がするのだが…。



2003年08月14日(木) 調子の波の原因は?

この日もバイトをしていた。セットアップと書類整理だったと思う。企業の内実を見られるのはいいが、特にスキルアップできるような仕事はしていないような気がするなあ。いい加減教授がキレそうだからバイトはやめることにしたのだが、それでよかったのかもしれない。本当は日記なんて書いてないで研究を進めるべきなのかもしれないが…。まあ、いい頭の体操になると思えば。半分休憩みたいなものだし。それにしても、ほんの数日前までまともに文章が書けなかったのに、急にどうしたのだろう?そう言えば、金曜日は久しぶりにサボったのだった。それが大きいのだろうか。…いや、もっと重大な問題があった。今まで、髪が伸びすぎていて前がまともに見えていなかったのだ。これはかなり大きかったに違いない。それが原因なのだろうか。また髪が伸びてきて、また調子が悪くなったらそれが原因だろう。

さすがに、伸びすぎていたからなあ。一ヶ月ほど前から髪を払わないと前が見えないという状態になっていた。ファッションだとかの以前の問題だ。いくらなんでも休みなしと言うのはひどすぎませんか、教授。…まあ、いい。これからも勝手に休ませてもらうことにしよう。父が、プリンタを買いたいから一緒に店に来いと言っている。その日も、自主休暇だ。



2003年08月13日(水) Multi-Vechile Simulator

今日は久しぶりに調子がいい。朝からゲームをやったからだろうか。どんなに研究をしていても目が覚めなくて、ゲームをやると目が覚めるとしたら悲劇だ。完全に興味がそちらへ向いているとしか思えない。まあ、実際そうなのだが。

プログラミングの作業に入ればまた違うのかもしれない。船長の仕事を調べるのなんて好きでもなんでもないが、プログラミングは一生の仕事にしたいと思っているからだ。でもまあ、プログラミングで食べていけるのは35歳までと言われているから、それまでにシステム構築のノウハウを身に付けなければならないだろう。今の苦労は無駄にはならない、と信じたい。

水曜日…。何をしたかな。大学に来ていたのは確かだが…。ああ、そうだ。またC++の勉強をしていたのだ。なんせVC++なんて扱ったこともないのに、いきなり大きなシステムにプログラムを組み込まないといけないからなあ…。技術情報は、慣れない人には暗号の羅列に見えるのではないだろうか。まあ、ちゃんと読んでみれば結構分かりやすく書いてあるのだが。ややこしいことに、ここに記載されている状態からこのシミュレータはさらにバージョンアップされていて、変更されている点が多いと言う問題がある。その辺の変更履歴などのドキュメントはないらしい。なんか外注したとか何とか。

とにかく、こいつを使って何とかするしかない。ちょっとくらい使いづらくても自分で開発するより100倍マシだ。船舶のシミュレーションをするのに海中のシミュレータを使うという矛盾点には目をつぶろう。わが大学には誇るべき操船シミュレータがあるが、その存在も目をつぶろう。ちなみに日本SGIとかいう会社にリンクを張っているが、これは、大学に操船シミュレータを紹介するページがないためである。なぜないのだろう…?



2003年08月12日(火) ペーパレスの必要性

むう、溜め込んでるな。思いっきり…。今日が土曜日だから、5日分か。忙しいのって嫌になるな…。まあ、ゲームの時間を削ればいいのかもしれないが、それはそれで嫌だし。一応、唯一のリフレッシュ策だから、それがなくなれば僕の生活はバイトと研究のみになる。ほかは何もなしだ。それはさすがにちょっと…。何より、ゲームは好きだし。

木曜日も同じなのだが、ずっとセットアップの仕事をしていた。あと、なんか書類のファイリングを頼まれた。どっかから送られてきた書類を種類別にファイルにとじるらしい。それほど難しい仕事ではないのだが。しかしこれ、とにかく量が多い。持って歩くだけで疲れてしまうような量だ。紙が20センチくらいつみあがっている。これが、無駄遣いの象徴(かどうかはしらないが)のオフィスの紙ってやつか…。こんな量の書類を毎日毎日扱っていたら、そりゃ、ペーパレス化を考えたくもなる。もともと企業のシステムと言うのは、そういうところから構築されてきたのだろう。それがなぜ、何億もかかる高額投資になるのかはまだいまいちピンと来ないものがあるが。

特に専門技術を学べなくても、やはり企業の中で働けることはきわめて大きいことだ。百聞は一見にしかず。どれほど調査を繰り返しても、実際身を置いてみないと分からないこともある。

にもかかわらず、卒論の進捗が悲惨な状況なので、このままバイトを続けるのは難しそうだ。まあ、そんなことは分かりきっていたことなのだが。上に挙げたように、システムの構築と言うのは高額投資であって、そのほとんどは人件費だ。人がPCのキーボードをたたくだけで何億とかかるのだ。僕はそういうシステムを構築しようとしているわけだから、その何億もかかるような仕事を一人でやっているに近いわけだ。もちろん、現実にそんなことをしようなんて考えるのもばかばかしいから、妥協を繰り返すわけだが。それにしたって難しいのは確かだし、妥協もうまくやらないと教授が満足してくれない。教授は、自分が無茶を言っていることが分かっているのだろうか。専門家ではないほかの教授すら言っていたのに。



2003年08月11日(月) 命とは

というテーマで朝日新聞に何か載っていた。ふと、このテーマで僕に何がかけるのだろう、と思った。

ちょっと考えて思いついたことを書いてみようと思う。とても朝日新聞の偉い人に出せるような内容ではないが…。

命は、概念である。漠然と生物全体が共有するものというのを一言で表したものだと思う。辞書によると

生物が生きている限り持続している肉体や精神の活動を支える根源の包括的な呼称。〔一瞬一瞬生きることの繰返しとして とらえられる緊張の持続であり、客観的には有限であるものが、主体的には無限の連続として受け取られる所に、その特徴が有る〕 Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition © Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

とのことだ。

さすがに辞書とは言え、命という言葉になると哲学的にならざるを得ないのだろう。そういう言葉なのだと思う。

しかし、僕は思う。命というのは、定められた寿命を持った人間が、その人生が価値あるものだと信じたいがために、意図的に作り上げた概念なのではないかと。人間がただそこにいても、それだけでは本来、何の価値もないはずだ。しかし、それが世界でたった一つの命を持っているということになれば、なんとなく価値があるような気がしてくる。そんな概念を作り上げてきたのではないだろうか。

なにもないところに価値を見出す。人間だけができる高度な知能なのかもしれないが、即物的に見れば、それは単なる思い込みである。何もないのだから、そこには価値もないのだ。何もしていなくても価値があるなんて、そんな都合のいい話はないのだ。

研究室にいるといつもボーっとしている。なんだかこれは、やる気以外の問題も関連しているような気がする。だいたい、日記なんて研究とは何の関連もないのに、それでも研究室にいるとなんとなくボーっとしている。なんなんだろうな…。



2003年08月10日(日) C++言語とは

とりあえず、シミュレータプログラムの基礎的な部分は何とか分かるようになった。後は、こいつを使ってどうやってモデルを表現するかと言うことと、なによりもどういうモデルにするか、ということだ…。

また、シミュレータはそもそも海中ロボットの表現をするものなので、それで船舶の表現をするのは結構大変だ。まあ、がんばるしかない、というところだが。さらに言えば、今までずっとJavaの勉強をしてきたのに、このプログラムはすべてC++言語で書かれている。つまり、プログラムの部分を一から勉強しなおさなければならないのだ。かなりやっていられないのだが…。まあ、これも仕方あるまい。Visual Studioをインストールしたので実はVisual Basicも一緒に入っている。ついでにこいつでも遊んでみようかと思っている。ほとんど時間はないと思うが…。



2003年08月09日(土) 荒れ狂う台風

今日は、台風が直撃した。朝、目が覚めてみたらかなりの暴風雨でびっくりした。そのまま調子に乗って窓を開けっ放しにしていたら部屋に雨水が大量に舞い込んで参った。…そのくらい予測できないのか、と思う。

そんな天気だし、僕が使っているのは荒天に弱い京葉線なので、大学はサボることにした。あまりやる気がない、というのもあるのだが…。ちなみに、京葉線はやっぱり止まっていたらしい。行っても使えなかったと言うことか。

ということでのんびりゲームをしていたのだが、やっていてしみじみ思った。…ゲームすら、集中できない。どうやら僕は、完全に夜型の生活になじんでしまったようだ。昼間はボーっとしているという習慣になってしまったようだ。人間は本当に昼間活動する生物なのだろうか?だいたい、夜のほうが落ち着くと思うのだが、どうだろうか。

昼間、ずっと尊敬していた人から電話があった。プロフィールにも載せている人だ。昔は、この人からの電話と言うとそれだけで緊張したものだ。好きだった人と同じ着信音にしていた。聞きなれない着信音が鳴って、何だろう、と思ったら、その人からの電話だった。突然のことではなく、いっしょにゲームをやっていたからそれほど驚きはしなかったのだが…。だが、かつての新鮮さが失われたことはショックだった。所詮、人間は変わりゆくもの。すべては仕方のないことだ。

今の時代、人生のピークは10代なのだろう。それが過ぎれば後は、坂を転げ落ちていくに過ぎない。先人たちは、子どもの幸せを願うばかりに、成人後の幸せまで考えられなかったのだろうか。それとも、子どものために大人が苦労すると言うことを美徳に感じたのだろうか。



2003年08月08日(金) シミュレータ

この日は…。何をしたかな。ああ、そうだ。ずっとシミュレータプログラムとにらめっこしていたな。なんかうまく動作しなかったが…。

だいたい操作は分かったのだが、もちろん、操作方法がわかっただけでは何もできない。中にどういうものを組み込むのか考えなければ…。

一通り設定をして、あとは動かすだけのはずだったのだが、なぜか不正終了…。何が原因なのだろう。どうせ後で見ることになるし、ソースコードをじっくり見ることにするか。でも、C++なんて分からないのに、ソースコードをにらんで分かるのだろうか。



2003年08月07日(木) 駆け抜ける時間

またまたたまってしまった…。こう忙しいと日記も書けない…。最低限、日記を書くくらいの生活の余裕はほしいのだが。

それでも、充実していればしょうがないし、本当に研究が進んでくれば、日記に費やす時間も惜しくなるだろう。しかし今は、ただ時間を浪費しているだけで、別に話が進んでいるわけではないのだ。時間さえかければできる、というほど研究ってのは簡単な話ではないようだ。まあ、それだったらあえて高い金かけて大学生を養成しなくてもいいわけだし…。高いレベルの教育があって初めて、研究と言うのは成立するわけだ。どうやって自習だけでやればいいのだろう。

時間はどんどん過ぎていく。しかし、研究は一向にはかどらない。さあ、どうすべきか…。



2003年08月06日(水) 忘却のかなたへ

思い切り寝坊してしまった。やる気がないなあ…。まあ、もう一ヶ月以上休みがないし、やる気なんてあるわけがないが。なくなっていく一方だ。やりたいと思えるようなことであれば話は別だが、そんなことまるで思わないし。

Operaもいいブラウザだと思っていたが、やはり細かい点では気になる点がある。例えば、ここで日記を書いていても、一番下まで行くと書いているところがスクロールされずに見えなくなったりする。まあ、仕方のないことだが。

今日は、シミュレータの開発環境が整った。これで本格的に動き始められるわけだ。今まで紙の上でひたすら作業を続けていたのだが、経験のない僕にはさっぱり分からなかった。しかし、実際にプログラムを見たり、ドキュメントを読んだりするのであれば、だいぶ先が見えてくる。つらいことに変わりはないが。

さて、6時半か。そろそろ帰りたいところだが、助教授がいるんだよな…。なんと言うだろうか…。

そう言えば、今日は広島の原爆記念日か。なんだか徐々に風化しそうな気がして恐ろしいが…。アメリカが正義を語るなら、真っ先に放棄すべきは核爆弾だと、僕は思うのだが。正義やあくなんて簡単に決められるものではないが、それでも核爆弾にどのような正義があると言うのだろう。きわめて分かりやすい悪そのものだと、僕は思うのだが。あえて唯一の長所を挙げるならば、それは人々の恐怖に訴えて、平和の大切さを語るところだろうか。



2003年08月05日(火) 仕事中にしていることとは

今日はバイトに行って、一日中セットアップの作業をしていた。セットアップの作業は、待ち時間が極めて多い。CDをセットして、数回クリックしたらファイルのコピーを待って、インストールが終了したらアプリケーションをコピーして…、となるからだ。操作している時間よりも待っている時間のほうが長いのが普通だ。

というわけで、サボってホームページを作っていた。内容が決まっていないのでなかなか苦労したが…。んで、見つかってしまったのだが、空いている時間は好きなことをしていていいといってくれた。要するに仕事さえしていればなんでもいいようだ。

そんな調子でやっていたのだが、帰る一時間くらい前になって、突然雨が降り出した。僕が仕事をしている部屋はとても窓が大きくて、外の様子がはっきりとわかる。まあ、PCを置いている部屋にそんなでかい窓があって、しかもブラインドもないのではモニタが見づらくてしょうがないかもしれないが、僕は光のあたらない席に席替えになったので文句はない。ということで外を見ていたのだが、雨だけでなく、雷光まで走るようになってきた。朝方は晴れていたので、僕は傘なんて持ってきてはいなかった。

それはそれとして、そのとき埼玉から来ていた人がいたのだが、8月5日の埼玉はおもしろいことになっていた。雷、洪水、大雨警報が出ていたのだ。注意報はよく聞くと思うが、警報は注意報よりも重大である。洪水注意報だったら川があふれるようなことはまずないが、洪水警報が出たりしたらあふれることもありうると思っていい。というわけで、注意報しか出ていなかった僕の家のことより、その人の家のことが気になっていた。

その人は先に帰り、結局最後は僕とあと一人、二人だけが残った。いくら忙しい職場とは言え、さすがに7時半までいる人は少ないようだ。と言うか、前から思っていたが、普通の会社なのに僕の契約時間が7時半までというのはどういうことなのだろうか。前から疑問には思っていたが、やはり不思議だ。

でもまあ、きついと言っても研究室よりはだいぶましかな…。



2003年08月04日(月) 心を浸食する現実

毎日毎日同じことばかりしている。まわりはすっかり夏休みを謳歌しているようだが、僕には関係がない。

どんなに忙しくても、気晴らしをしたり思い切り笑ったり騒いだりすれば気分は晴れるのだろう。しかし、そんな時間はないし、そんなことにつきあってくれる友人もいない。いや、いないわけではないが、彼らは僕以上に忙しいのだ。

話に聞く限り、世の中の多くの人がこのような生活を強いられているようだ。自分でこんな立場に陥ってみるまで、気を抜く時間もなく、毎日同じことを繰り返す生活がこれほどに苦痛を感じるとは思ってもみなかった。変化がないことは嫌いではない。だが、毎日賽の河原で石を積むような生活にはうんざりだ。時は流れ、年齢は確実に蓄積されるのだ。何かを成し遂げられなくてもいい。せめて、何かを学ばなければ。どうせできもしない仕事に、無駄に時間を費やしたくなどないのに。

専門外の人間ですら疑念を投げかけ、仕事を深く知る専門家ははっきりと無謀だと言いきる。それくらい、たった一人でシステムを構築するという仕事は無謀だ。実装段階ならまだしも、システム設計の根幹である要件定義や仕様決定は、それができればエリートの仲間入りができるほどの高いレベルのものだ。コンピュータ技術者など、今の世の中に腐るほどいる。しかし、システムを一から構築できる人間はあまりに少ないのだ。多くの人がその高度なスキルを習得しようと努力しているが、成功者はほんの一握りに過ぎない。

なぜそんなことを、僕がやらねばならないのだろう。僕に強い意志、確固たる目標があれば別だ。しかし、僕にとって大学院は時間稼ぎでしかない。最低限、社会に出て食べていけるだけの技術を身につけられればそれでいいのだ。死にものぐるいで勉強して、すべての時間を自分を高めることに使い、そのまま一生を終えるという人生はすばらしい。しかし、僕はそんな生き方に魅力を感じない。そんな生き方をしている人を尊敬するが、真似をしたくはない。

広く物事を眺めること、世間の事物に関心を寄せること、好奇心を持ち続けること。これらには、余裕が必要不可欠である。時間的、精神的な余裕があって初めて、物事の考察ができるというものだ。いつも仕事に追われ、それが終われば寝るだけの生活をしている限り、多くの事物を客観的に眺め、整理し、洞察することなどできはしない。多くの事物を客観的に眺めるなんて、そんなことになんの意味があるのかと感じるかも知れないが、僕は、たった1つのことにすべてを費やすよりもむしろ、そういう生き方に魅力を感じる。

歴史に名を残す必要などない。小市民で構わない。人間的な魅力は乏しいかも知れない。それでも、あらゆる事物に対して、人よりも少しだけ深く考えていたいのだ。



2003年08月03日(日) やっつけ仕事

なんだか日記がやっつけ仕事になってきた。そんな状況で日記を書くことに意味があるのだろうか。まあ、毎日続けてきたことだし、日記を書くくらいの余裕はなんとしても持ち続けたい。現在、すでにそんな余裕はないのだが、それでもなんとか確保し続けたいと思う。まあ、ゲームの時間を削ればいいのかも知れないが、今の人とふれあうことが極端に少ない生活の中で、オンラインゲームは貴重なコミュニケーションの手段なのだ。悲しいことかも知れないが、それが僕の現実である。

キーボードを叩く手が軽い。きっと、書きたいことは多くあるのだろう。実際、ある程度思いついたりした記憶はある。その中身までは覚えていないが…。日々日記のネタを探すのは楽しみだったのだが、単調な生活の中で、いつしかそんな楽しみも消え去ってしまった。行ってみないと分からない大学生活ということで忠告しておこう。忙しい研究室が充実しているとは限らない。もちろん、忙しくて充実している研究室もあるだろうが、それはイコールではない。十分に注意することだ。

研究ということには、あまりに分からないことが多い。前の年まで学生だった人間が突然研究をやるのだから、ある意味では当然のことだ。このときに、周りに人がいなかったり、教授に連絡が取りにくかったりする研究室は大きな問題になる。分からなくても誰にも聞けず、調べようにもどう調べていいのかすら分からない。そもそも、慣習だとか方法論だとかは、調べて分からないことも多い。人に聞けばすぐなのだが。人の力はきわめて大きい。インターネットが万能のように言われていても、時と場合によってはインターネットも書物もすべて無力であり、人に聞くのが唯一最大の解決法となることも多いのだ。



2003年08月02日(土) 以下同文…

昨日と特に代わり映えはしないような…。ああ、そうだ。サボって先輩のページを作っていたなあ。せっかくHTMLとCSSを勉強したのだからと、少しややこしいページを書き直してみたのだ。日曜日に完成した。ちなみに、オリジナルと比べてみても、ほとんど違いがないことが分かると思う。改善できる点はあるのかも知れないが、あえてそうしてみた。世の中では、そういう技術こそ必要とされている気がするからだ。僕の勝手な判断での改善と、会社や部、課の方針と、どちらを優先すべきかは分かり切った問題である。もちろん、すべてが上の判断でなされるわけではないから、その時は自分の判断が絶対に必要である。

CSSには、その点の柔軟性がある。一度完成したものに対して、改良を施すのが容易なのだ。複数の設定を同時に組み込める。Cascading Style Sheetというのが正式名称だが、Cascadeとはここで述べたように、複数を混ぜ合わせることを意味する。

ちなみにこの日記に対しても、段落の頭に1字開けたり、段落と段落の間に間隔を開けたりする基本設定の他に、背景色などの設定をするCSSも組み込んである。これは他の人のものなのだが…。改変は自由とのことなので使わせてもらった。今度は自分自身で作ってみようと考えている。



2003年08月01日(金) 仕事と、残りすべての脱落

昨日、先のことを考える余裕がないと書いたが、過去のことを振り返る余裕もやはりない。

これを書いているのは日曜日だが、もう金曜日のことなんてすっかり忘れてしまった。確か、PCのセットアップをしたはずだが…。そうだ。11時頃まで延々やっていたのだ。

研究室に新しいPCが来ていて、その準備をずっとやっていたのだ。

ああ、本当に過去が懐かしい。遊んでばかりだったが、それでもいろいろと学んでいた。プログラムも、何か課題があればみんな僕のところに聞きに来るくらいにはなった。HTMLも規格にきっちりしたがったものを扱えるようになった。CSSもマスターしたわけではないが、リファレンスがあれば困らないようになった。毎日少しずつだが確実な進歩が感じられた。

しかし、今は完全に停滞している。時間だけが過ぎていって、一歩も進んでいない感じがする。そして、たった1つのことにとらわれているうちに、いつの間にか多くのものをボロボロと取りこぼしてきている。思い出のような抽象的なことだけではなく、大学院の書類の日程だとか、大学院の合格発表の日付だとか派遣の仕事の勤務報告だとか、日々やらなければならないことも次々と取りこぼしている。

なにか社会に貢献しているか、大学生としてしっかり学んでいるかと問われたときに、今の日々の仕事に追われる生活よりは、過去、遊びながらもあれこれやっていたときの方が、ずっと社会人として、人間としての価値を高められたと思う。

社会人なら何か1つのことに取り組みながら、その他様々なものを取りこぼすのもある意味仕方のないことだろう。しかし、まだ社会に出てもいない学生が、社会に出る前に人間としていろいろなことを欠落させていくのは大きな問題だと思うのだが。現代の教育で、最低限必要なことを教えられていないことが問題視されているようだ。しかし、せっかく教えたことを次々に欠落させていくのも同じくらいに大きな問題ではなかろうか。だいたい、まともに人と話す時間もない状況の中でコミュニケーション能力を養うのは不可能だ。


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