Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年07月31日(木) 大学院入試発表

今日は、大学院入試の合格発表があった。合格していたが…。なんか忙しくて、そんなのどうでもいいって感じだ。大学院入試は重要なはずなのだが、それよりも目先の問題を何とかしたい…。追いつめられてせっぱ詰まった生活って嫌なものだ。

しかし、考えてもみれば、世の中のほとんどの人がそういう生活を送っているわけだ。これでは、みんなが政治や経済に興味を持たないのも当たり前だ。そんな時間はないのだから。

バイト、ようやく感じがつかめてきた。学生がほいほい出かけていってやることなんてあるのか、と思ったが、簡単で手間のかかる仕事というのは、少なくともその職場にはいっぱいあった。その中でも、なんと言ってもPCのセットアップがダントツに手間がかかる。ルーチンワークできわめて単純な仕事なのだが、どんなに手際よくやっても、その会社で使う専用のソフトもあったりして、1時間はかかってしまう。

この日は、弟に連れて行ってもらった。バイクの2人乗りだ。1時間以上かかると弟は言っていたが、30分あまりで着いてしまった。近道が成功したのと、道があまり混んでいなかったのが大きかった。

やっているうちに慣れてくるかと思ったが、なんか一日ごとにどんどん余裕を失っていく感じがする。視野がどんどん狭くなって、一週間後どころか一日あとのこともろくに考えられない。前は世の中にある程度関心を持って、あれこれ調べたりいろいろな問題について考えたりしていたのだが…。教育問題にも一時期かなり関心があったのだが、今はもう、どうでもいいという感じがしてしまう。そんな余裕はない…。

僕はこれでいいとしても、他の大学生はどうなのだろう。こんなことでいいのだろうか。他のことは一切考えずに、ただ同じことだけをひたすらやり続ける。これでは、専門バカが大量に現れるのも当たり前である。T字型の人材なんて夢のまた夢だ。大学の改革が叫ばれているらしいが、その辺から何とかした方がいいのではないだろうか…。大学4年生は教養を身につけているという前提で話を進めているようだが、そのような事実はないだろうし、なによりも人間はものを忘れる生き物だ。



2003年07月30日(水) 眠い…

研究室に行って新しいPCのセットアップをした。

…そのくらいかな。睡眠不足で書こうという気になれない…。ぐぅ・・・。



2003年07月29日(火) パッチ実装の日

ゲームの話である。

ラグナロクオンラインというゲームをやっているのだが、そのゲームに新しい変更が加えられた。一ヶ月ごとに変化するなんて、今までのゲームではありえなかったことだ。賛否両論あるようだが、僕はおもしろいと思う。

だが、バイトをしていたのでしばらくプレイできなかった。今までと違って、変更直後からそれほど不調にはならなかったようだ。管理会社のガンホーはひどい管理体制だとか言って批判されることが多いが、ちゃんと成長しているのかもしれない。政府にしてもそうだが、評価すべき点はちゃんと評価しないと、良い点がどんどん消えていってしまう。その辺は覚えておくべきだと思う。



2003年07月28日(月) 毎週のゼミの日

それなりにがんばって資料を用意したのだが、時間がないとか言って見てもらえなかった。んで、教授が用意した紙をもらった。資料と言えるのかどうか…。一枚だけだったのだが。



2003年07月27日(日) 何をしていたかな

日曜日…。まったく記憶にない。何をしていただろう。研究室に来て月曜のために資料を作っていたのは覚えているが。

もうすぐ七月も終わりか…。



2003年07月26日(土) 10000hit

10000ヒットを超えました。どうもありがとうございます。

今日は研究室にはきていたが、特にこれと言ったことはしなかった…。まずいなあ。来たときに教授に会っていろいろ話を聞けたのだが。

最近、どうしても日記を書きたいと思えなくなってきた。前は、書いているだけで時間がたつのを忘れるくらいだったのに。いったい何が変わったと言うのだろう。

そう言えば、考察のたぐいを書いていない気がする…。どうでもいいようなことを考えているひまはないからなあ。まったく、研究にかかわりがあるだとかそんなことは関係なく、いろいろなことを考える時間があることこそ、大学生の特権だと思うのだが…。

隣にいる同級生が、キーボードをたたくスピードが速くて怖いとか言っている。自分でもなんだか不思議なくらい速くキーボードをたたいている。ほかのメーカは知らないが、少なくともこのDellのキーボードはとても使いやすい。マウスはそうでもないが。Microsoftのほうが上かもしれない。でも、感触が独特なので、評価が分かれるところかもしれない。

ここのところ、ずっと大学で日記を書いている。どうせなら使いやすいキーボードで長文を書きたいというのもあるが、何よりも、自宅での貴重な時間を日記に費やしたくないと思ってしまうのだ。だったら大学の時間は貴重じゃないのか、と思うが…。何なんだろう。自分でも混乱気味だ。

そう言えば、大学院入試の頃にギリシア神話の本を読んでいた。入試の直前にも読んでいた。だいたい僕は、プレッシャーのかかるようなときには、プレッシャーの元と関係ないことをして過ごすようにしている。多分そのほうが、プレッシャーがかからずに住むのではないだろうか。ともかく、その本は結構面白かった。実は、うちの大学の教授が書いた本なのだが。初心者用と銘打っていただけあって分かりやすかったし、学者が書いただけあって極めてよくまとまっていた。タイトルはずばり「ギリシア神話」だが、たぶん、普通の図書館などには置いていないだろう。うちの大学の図書館にも、本人の寄贈で置いてあったくらいだし。

読んでみて唖然としたのだが、ギリシア神話の物語はとにかく極端だ。僕は極端なのは嫌いではない。中途半端だと分かりづらいし、行くところまで行ってしまっていた方がすっきりする。でも、何か気に食わないとすぐ殺してしまうとか、とにかく命の価値が軽い。昔の人間はみんなそうだったのかもしれない。そういう精神もなかなかおもしろかった。

それ以外に、手塚治虫の書いた本というのも読んでみた。もしかしたら、手塚治虫が書いたのではないかもしれないが。最後のほうに虫プロダクションのなんとかとかいう人のコメントが出ていたりした。とにかく、それはそれでおもしろかった。漫画家だから文章は読みづらいのかと思ったら、下手な学者が書く文章よりもずっと読みやすい。やはり、ちゃんと物事を訴える能力がある人でないとマンガは描けないのかもしれない。



2003年07月25日(金) 進まない研究

あいかわらず研究に進展がない。どうしたものか…。

シミュレータを作るという話なのだが、プログラムのほうは自信がある。そもそも、単純作業だし…。

プログラムを書くのがなぜ単純作業になるのか、ということだが、それは設計があるためだ。つまり、プログラムを書く上で難しい部分はあらかじめやっておこうというわけだ。どんなエンジニアだって、プログラミング言語で書くよりも、日本語や図で描いたほうが分かりやすいに決まっているし。それは何とかやるしかないのだが…。

それより、昨日の送別会をやっていたとき、渋谷では通り魔が現れていたらしい。まったく、物騒なことだ。僕は二次会まで行っていて結局終電に乗りそびれたわけだが、一緒にその送別会に参加した人たちの中には、一次会だけ参加して帰った人や、一次会の途中までしかいなかった人もいた。新聞に被害者の名前が載っているのを見て、その人たちがいないかどうか探してしまった。いなかったのでよかったが…。

なんだか心配になってしまったのだ。一次会の途中で帰った人が二人と、二次会に参加しなかった人が一人いたのだが、僕はそのうち一人しか心配しなかった。ほかの二人のことは存在すら忘れていた。その人、なんだか彼女に似ていたのだ。初めて会ったときはそんな風に思わなかった。直接指示を受けたりすることはなかったから、顔もじっくり見ることはなかった。少なくとも、パッと見るだけで似ていると思うほど、似ているわけではない。

結局のところ、その人とじっくり話せたから、飲み会なんてのも悪くないかもしれない、と思ったのかもしれない。笑い方やしぐさはそれほど似ていないが、なんとなく似ていると思える部分もあった。去年の7月ごろは、まさかこんな風に思っているなんて想像もしていなかったが…。

あと、その席に部長も来ていた。企業の送別会というのがどういうものなのか知らないが、普通、部長が来るものなのだろうか?それも、次の日に仕事がある木曜日である。なんだか不思議に思ってしまった。んで、その部長が、とても陣内孝則に似ていた。顔はそうでもないが、声がなんとも似ていた。これはもう、会って第一声を聞いたときから思った。誰かに似ている、と思って、そうだ、陣内孝則だ!と思った瞬間、そうとしか聞こえなくなった。なんかもう、完全に三枚目に徹している部長だったが、もしかしたらその声のせいなのかもしれない。



2003年07月24日(木) 送別会

バイト先でお世話になった人がやめると言うので、送別会に行ってきた。

そもそも僕は、飲み会だとかいう、酒を飲む場は大嫌いだ。なのだが、これから社会人になるのにそんなことは言っていられないし、飲まされたときにどうなるかわからないのはかなり不安だ。ということで、ここらでちょっと挑戦してみようと思ったわけだ。少なくとも、その職場の人たちはいい人たちだし。

と言っても、結局全部合わせてビール4杯くらいだろうか。特に2次会は部長さんのおごりだったので、飲みまくるわけにもいかない。ちょっと酔ったかな、とは思ったが、たいしたことはなさそうだった。

んで、そっちはよかったのだが、終電を逃がしてしまった。目の前で置かれる、「終電は終わりました」の看板・・・。なんとも悲しいものだ。



2003年07月23日(水) 大学院入試

今日は、大学院入試があった。面接を受けたのだが、かなりしどろもどろになってしまった。自分の指導教授が試験官に混じっていたのでびっくりした。公平を期すためか、その教授からは特に質問されなかったし、後からも何も言われなかったのだが。

それにしても、いざ質問されてみると、案外答えられないものだ。僕は、こういう場では割と緊張しないほうだ。だいたい、そんなので緊張するくらいだったら、入試書類を遅れて出したりしない。割と冷静だったのに、答えられないというのは…。要するに理解不足か。

あと、考えてみれば当たり前だが、みんなスーツで来ていた。その辺のことを何も考えていなかった…。格好で合否が決まるわけではないのだから、どうでもいい事ではあるのだが。一応、大学院の入試なのだから、企業の面接とは違う。でもまあ、減点対象くらいにはなったかもしれない。

結局のところ、普通にやっていれば合格するのだ。おそらく、大学に受からない人でも、大学院には受かるだろう。と言うより、大学にいることそのものが重要な受験資格だったりするようだ。大学を卒業しなければ大学院の入試を受けることはできないのだから。

まあ、もう少し準備をしておけばよかったのかな、と思う一方で、準備なんてできやしないとも思う。事前に予想できるような質問であれば、困るとは思えないからだ。

みんな、かなりしつこく質問されたらしいが、僕はあっさりしていた。だいたいの場合、楽な面接というのは良くないものだ。会社の面接を考えればよく分かるが、自社にほしい人材にこそ、いろいろ聞くものだ。別にいらないと思うような人に対して、そんな熱心に質問をするとは思えない。とまあ、これはとある教授の話なのだが。企業にしてみれば、面接に落ちた人はすべてお客さまなのだから、そうそう乱暴には扱えない、らしい。

さて、帰るとするか…。研究結果、結局いまいちまとまらなかった…。果てさて、大学院の前に、卒論がどうなることやら。



2003年07月22日(火) セットアップ

バイトに行って、一日かけてノートPCのセットアップをした。これが大変だった。CD−ROMドライブから起動できないモデルで、FDから起動してえんえんインストールをしていたのだが、なぜか起動しなかった。どうやらパーティションの割り振りをミスっているらしいと気づき、FDISKを使用してパーティションの設定をやり直した。FDで起動するのは当然、DOSプロンプトの画面だ。今のPCユーザだと見たことのない方もいるかもしれない。PCを使うために、がしがしとキーボードをたたかなければならないのだ。昔はそれが常識だったのだが…。今はマウスで何でも操作できるのに、コンピュータのマニアと言うとものすごいスピードでキーボードをたたいているイメージがあるのは、これが原因だ。昔はマウスではなく、キーボードで命令を打ち込んでいたのだ。ちなみに、今のWindowsでも同じことができる。Windowsキー+Rで「ファイル名を指定して実行」というのが出るのだが、そこで"notepad"と打ち込んだりすると、ちゃんとメモ帳が起動するのだ。そのほか、"calc"で電卓、"write"でワードパッド、"wab"でアドレス帳、などなど、結構ある。

それでセットアップなのだが、ミスに気づいて最初からやり直し、すべてが終わったときは5時間ほど経過していた。バイトの時間は全部で6時間。つまり、このPC一台のセットアップに一日のほとんどを費やしたわけだ。ハードディスクをまっさらにしてインストールしたことのある方はご存知だと思うが、普通はこんなに時間はかからない。これだけの時間がかかった原因は、CD-ROMドライブの性能にある。HDDの性能も悪かったが…。とにかくファイルのコピーが異常に遅いのだ。

で、ようやく終わったと思って、その他のソフトのインストールを始めた。で、LANドライバをインストールしようと思ったら、どうしてもLANが見つからない。普通、Windowsの自動検索で見つかるはずなのだが、なぜかLANがないと言っている。これはどういうことかと思い、本体を詳細に眺めてみると、なんとそのマシンは、たまたまLANインターフェースが搭載されていない機種だった。企業で使う場合はネットワークへの参加が基本になる。できないと多くの業務が行えなくなってしまう。こうして、僕の一日の苦労は徒労に終わってしまったようなのだ。まあ、別の用途に使うと言っていたのでそれはそれでいいのだが。で、このあとは、ネットワークがつかえないので、別のPCでドライバなどのソフトウェアをダウンロードし、それをFDを使ってコピーした。FDと言っても分からない方がいるかもしれないが、これはフロッピーディスクの略である。いまどき、フロッピーディスクなんて使わないのだろうか。デスクトップ型のPCには今でもFDDが搭載されているようだが。

まあ、こんなこともある。このバイト先、木曜日にやめてしまう人がいるようで、送別会に誘われた。なかなか面白そうなことをやるものだ。でも、飲まされるのだろうか。アルコールは嫌いなのだが…。僕も21歳だし、そろそろそんなことを言っていられない歳なのかも知れない。



2003年07月21日(月) 毎日更新の意味

特に書くことはないかな…。

毎日更新すると決めたのは、やるからにはしっかりというのもあるが、毎日、何か日記に書けることをしよう、と言うのもあった。しかし、見事に書けることなど何もない。いや、ないわけではない。日がなボーっとしていたわけではないのだから…。要するにゲームをしていたわけだが、そういう話を日記に書く気になれないだけだ。ゲームの日記を書いている人は大勢いるし、それなりに読んでいておもしろいとは思うが…。

一体何をすればいいのか、いまだによく分からない。これからどうなるのか、暗やみに包まれたままだ。先が見えない。

なんだかよく分からない。これが、不安と言うものか。これほど長期間にわたる不安にさいなまれたのは生まれて初めてかも知れない。

余裕を失っているのが、自分でよく分かる。物事を見る視野が狭くなった。思考が短絡的になった。何をするにも、もっと落ち着いていたのに。時間がやたらと速く過ぎて行くように感じる。誰か、助けてくれ、と思う。誰かに助けてもらうようなことではないし、すべての原因は自分にあるのではないか、とも思うが。



2003年07月20日(日) 眠い…

昨日今日と、完全に遊んでいた。

まだやることは終わっていないのだが、そんなことはまるで気にしていなかった。完全にやる気0だな…。

やらなければならない理由が何一つとしてない。僕自身やりたいとも思わないし、誰かに望まれているわけでもない。教授だって、そんなに強く望んでいるようには見えない。

やはり、研究室を選ぶとき、適当な選び方をするとこうなってしまうものらしい…。



2003年07月19日(土) OD

OD…。ただそれだけなら、アルファベット二文字である。

見た瞬間、何を連想するだろうか?僕は、二つの言葉を連想した。

オークダンジョン、オーバードーズ…。オーバードーズはともかくとして、瞬間的にゲームの固有名詞が出てくるあたりはかなり危険である。

ACと聞いて公共広告機構と思うあなたは正常である。オートカウンターと思う僕はおかしい。

SCと聞いたら、仮にも流通を学んだ人間ならサプライチェーンをイメージするべきなのだろうが、ショートカットだと思ってしまう。まあ、この程度は問題ないかな…。

なんかこう、思考のかなりの部分を趣味的な部分が占めている気がする。自分の研究について考えることが少ない。もう少し自分を拘束すべきなのかもしれない。

さて、帰るかな…。最近、大学と家との往復がひどく苦痛に感じられるようになった。原因はおそらく、いつも一人だからだろう…。去年までは帰りに誰かいることが多かったし…。

そう言えば、大学で友人に会った。なんか先輩のPCを作るんだとか言っていた。なかなか大変なことである。

なんかこう、手順の定まった単純作業がとてもいいように思える。何をしていいのか、何がなんだかさっぱりわからないというのは嫌になる。

方法論を調べてみたが分からない。自分で考えるなんてことは最初から考えていない。僕が低レベルな知識を振り絞って考えるよりも、先人たちの知恵を探ったほうが100倍有意義であるに決まっているからだ。ただまあ、知恵のすべてが記録として残っているわけではないし、それを探し出す僕の能力に極めて大きな問題があるのだが。

明日から、図書館が使えない。これから先、どうやって調査をしようか…。だいたい、研究室にまともに資料がないようなテーマについて研究しようってこと自体が間違っていると思うが、これ以上不満を積み上げても仕方がないからあきらめよう。人間、あきらめが肝心である。

最近、目に負担をかけすぎている気がして、電車の中では本を読まずにメガネを外してボーっと外を眺めている。本を読めば知識になるが、一体どちらがよいのだろう。健康と知識と…。あと、やはり何もしていないというのはかなり苦痛だ…。

明日とあさっては家でがんばるかな。さすがに往復3時間を費やすのはもったいなさ過ぎる気がする。休日は大学も使いづらいし。



2003年07月18日(金) 語り明かす日々

今日は研究課題を片づけようと思っていたのだが、ずっと友達としゃべっていてほとんど何もしなかった。やれやれ。まあ、ここのところ1人でいることが多くて、ずっと寂しい思いをしていたから、そういうことがあってもいいかな。あまり根を詰めるとできるものもできないし。でも、休みの日には大学に行かないと。結局、そういうことをすると休みがつぶれるわけだ。きっと、三連休は全部ダメだろうな。ああ、いつになったら髪を切れるのだろう。1ヶ月くらい前から切りたいのに、まとまった時間がとれない…。半日あれば美容院に行けるのにその時間がないってことは、1ヶ月くらい、半日空いてたことがないということだろうか。そんなことはないかな…?忘れていたりしたこともあったのか。

9800番を踏んでしまった。10000人目の方、報告してもらえると嬉しいです。

果てさて、あいかわらずオンラインゲームをやっていて、なぜかいまだにギルドのマスターというのをやっているのだが、掲示板を作ると言ったきりまったく準備できていない。いい加減作らないとな〜。



2003年07月17日(木) 2つの生活

今日は、バイトをしてきた。それしかしていない。あとはまあ、ズボンを一着買ったが…。

普段は渋谷なのだが、今日はPCを担いでバスに乗り、渋谷から新宿に向かった。新宿にあるカスタマーサービスセンターというところに向かったのだ。先々週の土曜日、近くのバス停まで行っておきながら場所が分からずにたどり着けなかった、曰く付きの場所である。

社員の人と2人でバスから降りた。社員の人は、いきなり細い路地に入り、どんどん奥へと進んだ。…これは、知らなければ分かるはずがない。正確な場所を言わなかったこちらが悪い、なんて言われたが、どうやらそれは誇張ではなかったようだ。そんな変なところにカスタマーサービスセンターなんて呼べるような代物があるのか、と思うようなところに、プレハブ小屋が建っていた。

思わず目を疑った。しかしそれが正真正銘、渋谷の巨大なビル、セルリアンタワーに本社を構える企業のカスタマーサービスセンターらしい。だが、中に入ると意外ときれいなオフィスで驚いた。どうやら、金をかけずにきれいにできるところはしているようだ。工事は乱雑で、床下の配線がめちゃくちゃだったが…。大学の研究室もそうなので、なんだか妙な共通項があるなと感じてしまった。

そこで適当なセットアップをしていたが、なかなかうまく行かない。今どき、COBOLなんぞで動くシステムを初めて見た。そもそも、プリンタを使うときにWindowsのドライバを使わないそうだ。WindowsベースのPCでネットワークプリンタを使うとき、プリンタの共有をせずに、アプリケーション側から動かせるとは知らなかった。

それからプリンタのシールの貼り替えをして、ちょこちょこっとメンテナンスをして終わりである。一緒にいた人は二度と来たくないようだったが、その建物に入るためのセキュリティカードを渡されていたので、また来ることになるのだろう。

少し遠かったが、そこから新宿まで歩いた。やっぱり仕事をしている方が充実感を感じる気がする…。どうしたものか。

大学とバイトとの二重生活。派遣社員として働くことも、やはり得られるものが大きい。職場の雰囲気というのには、なかなか直に触れる機会はないし…。企業にもよるのだろうが、結構アットホームな雰囲気は印象的だ。よく考えれば行かなくても分かることだと思うが、オフィスには文房具がそろっている。はさみやカッターやガムテープ、などなど。これはつまり、ガムテープではりつけたりはさみで何かを切ったりという仕事があるということだ。ある意味で小学校に近い。勉強ばかりしている中学校よりも、やはり小学校に近い。

なんだか、おもしろいものだ。社会人と言っても、僕と変わらない人間である。やっていることは、それほど違わないということなのか。



2003年07月16日(水) 意外と時間がない日々

バイトを始めてみると、意外と多くの時間が拘束されると気づいた。軽くインターネットのページを見てるだけで、多くの時間が必要になる。ましてやページを作ったりするとなおさらだ。忙しいというのはこういう感覚なのだと、いまさら気づいた。ということで、日記を書く気分ではない。もっと余裕がほしい…。多少忙しくても、世の中にはもっと忙しくて、それでも日記を書いている人がいるのだから、慣れれば僕もそんな風にできるのだろうか。今の生活はあくせくしていて嫌なのだが…。



2003年07月15日(火) 例、例、とにかく例を!

例示は、意思伝達のおいてきわめて重要な手段である。何かを説明しようと思ったとき、例示はきわめて強力な手段になりうる。

僕も、いろいろな場面で例示を心がけてきた。たとえば、この日記でもそうだ。抽象的なことをいくら語ったところで、具体的なイメージを伴わなければ心には響かない。それだけならいいかも知れないが、こちらの意志が相手に伝わらないとなると問題だ。

これは何も僕だけの意見というわけではない。18世紀のイギリスの哲学者、Edmund Burkeは語る。

「例は人間の学びの場である。他の場所では学ばない。」

さらに、医師・哲学者・宗教家・音楽家であるAlbert Schweitzerは

「他者に影響を及ぼすものの中で例がその代表というわけではない。例のみが他者に影響を与えるのだ。」

と述べている。また、20世紀最大の理論物理学者、Albert Einsteinはこう言っている。

「例は物事を教えるときの数ある方法の1つではない。教える方法はこれしかないのである。」

例の重要性はあえて言うまでもなく、説明するとなると、ありとあらゆる分野で用いられる手段だ。たとえば数学の教科書も多くが例で構成されており、数学を学ぶ早道は例題を何度も解くことだといろいろな人から聞いた。それが真実かどうかはともかく、例題を多く解くことで数学を修得した人が多くいることは確かだ。

だが、例示を嫌う世界が存在する。あらゆる世界の中でもっとも人に理解を求め、また、人が理解することでもっとも知的な価値があると思われる世界である。

それは学会だ。と言っても、僕が知る限りだが。僕が知る限り、学術文書は多くの場合、例示を嫌う。「たとえば」や、「など」という言葉を禁忌として嫌う場合が少なくない。いや、まともな学者ならみんなそうだと言っていいかも知れない。何度も言うが、あくまでも僕が知る限りでは、だが。理由は明白だ。例示は、すべてを示さない。当たり前のことだ。抽象的なものから、具体的な一部分を取り出して説明するのが例なのだから。数学の公式について述べたあと、その公式を用いた例題を解く。例題は公式を用いているだけで、公式のすべてを語っているわけではない。1つの公式には多くの使い道があるし、そこからいろいろと発展する。例題は、その中からたった1つを選び出しているに過ぎない。このように、すべてを示さないから例を嫌うのだ。正確ではないとのことだが。

僕には、それが理解できない。学術文書は、難解なのが普通だろう。慣れた人だって、サッと読んですぐに理解するのは難しいに違いない。難解な文書こそ、例を使って分かりやすく示すべきである。人間は一度に全体を理解できない。まずは部分を取り出して、イメージを持たせなければならないはずだ。それが、最初に述べた先人たちの言葉の意図のはずである。

理解できないはずの学術文書の常識。これを理解したとき、僕はまた1つ、妥協を学ぶのだろう。



2003年07月14日(月) ストレスは解決されたか

とりあえず、教授と話をして、少しは疑問が解決した。

なんだか毎週言ってることが違う気もするが、今度こそ間違いはあるまい。

細かく書いても仕方がないので簡単に書くと、現在の船長の完成したモデルを作るのではなくて、船長が考えるさまざまな要素をリストアップして、位置付けを行うらしい。これは重要、これは重要じゃない、と言って分けていくのだ。

問題はその要素をどうするか。調べると言っても全部調べきれたかどうかなんて分からない。キリがないわけだ。

んで、今日はその話のあと、研究室のPCを開けてハードディスクランプがつかない原因を探していた。どうやら、ランプの位置がずれているだけのようだ。よく見ると光が見える。

なんかそういう作業をしていると、その間だけは細かいことを忘れられる。気を紛らわすというのも重要なのかもしれない。

結局のところ、これでストレスは解決するのだろうか。拘束されている感じは相変わらず否めないし、問題が起きたときに自分ひとりで解決しなければならない状況は何も変わっていないのだが…。

さすがに新しいPCだけあって、研究室のPCはずいぶんキーボードがたたきやすい。これ以上書くことなんてないのにまだまだ書きたくなってしまう。今日は早く帰りたいのだが…。

でもまあ、このくらいにしておくか。

2003.7.14 15:35



2003年07月13日(日) 方法論の重要性

人間、どんなにがんばっても、分からないことはできないものだ。

シミュレータ開発のために、船長をモデル化する、という作業をしている。

しかし、船長ってのが何をしてるのか、僕は何も知らない。だいたい、船長が何をすべきか、何をするのか、ということであれば調べられないこともないが、法律とかそういうことを抜きにして、実際に何をしているのかとなると、まったく分からない。

さらに、モデル化ということ自体が分からない。いや、概念自体は少しは分かる。要するに、物事を抽象化して、重要な部分だけで表現しようとするものだ。たとえば、原子のモデルというのは、陽子、中性子、電子のみで構成されて、電子の質量はないものとしていたりする。他にも、理想気体というモデルには質量がなかったりする。

だが、ここで分からないのは、「教授が求めるモデル」というものだ。一体教授が僕に、何をさせたいのか…。それが分からん。

どうすればできるのか。こういう方法論は重要だと、しみじみ思った。

今さらながら、就職した方が良かったのかもしれない。尊敬する先輩もそう言っていたし…。



2003年07月12日(土) ストレス

ストレスってのは、要するに自由にならない状態なのだな、と最近思った。

好きでもないことをやらされている。やりたくないのに片づけなければならない。

これは、確かに苦痛だ…。最近まで、僕はストレスとは無縁だと思っていたのに。やはり、残る人生は下り坂かな…。今までが良すぎただけなのだが。



2003年07月11日(金) 目がくらむ金曜日

金曜日はだいぶフラフラでした。

一応講義は受けましたが、かなり寝てました。

コーヒー飲めば半日は絶対寝ない僕にしては、異常な事態でした。

なんと言うか、眠気が違います。

普通、眠い時って、なんかボーっとしてきてそれからだんだん意識が飛ぶんですが、このときは、ちゃんと目が覚めて意識がはっきりしていたはずなのに、気づいたときには意識が飛んでいました。なんだか知りませんが、ノートにミミズみたいにシャーペンのあとが這っていました。

眠いなあ、という感覚はありませんでした。ただ、体が思うように動かなくて、上半身と下半身がバラバラに動いているように感じて、目の前がボヤッとしていただけでした。

研究計画書はひどい文面でした。書けば書くほど悪くなっていくだけのような気がしましたが、どうやら少しずつ良くなっていたらしいです。普通の文章と大学用の文章は違うのでしょう。前に、「だれにでも分かる文章で書こう」なんてがんばっていたら小学生のような文章になって、尊敬する人にバカにされたことがあります。その時のような文章でした。…まあ、バカにされたというのは大げさですが。

今後僕は、他人の研究をしなければなりません。

自分の研究をしたことがないのに、他人の研究をしなければならないのは無理がある気がします。

論文の一番重要で大変な部分であるテーマの決定を他人任せにできたのは楽だと思いましたが、そうでもないようです。

僕独りであれば、それなりのものを作る自信があります。ただ、それを学術用語で説明するのがひどく難しいのです。

論文の本質よりも、建前、見た目が難しいのです。

どの世界へ行っても、こんなものなのでしょうね。



2003年07月10日(木) 血を吐く木曜日

えー。テンパってました。

どうやらだれにも分からない文章を書いていたようで。

みなさん、研究室は慎重に選びましょう。

きついところって大抵指導は丁寧です。その逆もしかりです。

楽そうに見えても、本当に楽だとは限りません。

ちなみに、友人はそれほど苦労せずに研究計画書を書いたらしいですが、僕は徹夜でした。

何が違うって、教官の指導も違いますが、僕には手伝ってくれる人がいないってのが違います。

別の研究室の友人が手伝ってくれました。彼がいなかったら、僕は大学院には入れなかったでしょう。

世の中、分からないことだらけです。自分で調べるのは限界があります。

どんな選択をするにしろ、人がいるところにしましょう。



2003年07月09日(水) 大学院入試手続き

2003.07.09 (Wed) 23:23:28

Macintoshで見に来てくれた方がいるようだ。ちゃんと表示されているだろうか。アクセシビリティにはある程度配慮しているつもりだが。まあ、この色使いが見づらいとかそういう問題があるような気もするが。ちなみに、CSSの一般フォント、sans-serifでフォント指定しているから、MS UI GothicやMS Pゴシックがない環境でも一応、ゴシックっぽい字で表示されるはずだ。

大学院の出願、今週の金曜日までなのだが、油断していたら書類が全然準備できないままこんな時期になってしまった。卒業見込証明書とかがすぐに手に入らないというのは誤算だった。研究計画書と自己推薦書だけなんとかすればそれでいいとか思っていたが…。

必要な書類を列挙してみる。志願書、写真票、受験票、卒業見込証明書、成績証明書、研究計画書、自己推薦書、健康診断書、検定料領収証書及び原符、検定料(郵便普通為替で30000円)、あて名票、受験票返送用封筒…。まさか、自分のところの大学院に進学するだけでこんなに必要になるとは。さすが国立だ…。

ちなみにこのうち、卒業見込証明書、成績証明書、研究計画書、自己推薦書、健康診断書、検定料領収証書及び原符、検定料を準備できていない。細かいことを言えば、返送用封筒はあるが、それに貼る切手がない。つまり、まだ半分以上準備できていない。提出は金曜日なのに。

この中で一番危険なのは検定料領収証書だ。書類がまだ手元にない。どこで手に入るのかも分からない。調べたいところだが、もう11時半だ。帰ってきて食事をして、落ち着く時間がこんな時間とは…。やれやれだ。まあ今日は、その大きな原因は、大学院入試について友人と相談していたせいなので仕方がないとも言えるのだが。

大学院入試を知っている方からすれば、他の書類なんてどうでもいいから研究計画書だけしっかり書けよ、と思うだろう。それはもっともな指摘だ。普通の大学院であれば、そもそも研究するために行くのだから、研究計画書は最大の問題点となる。しかし、うちの大学の場合は、そもそもちゃんとした文章を書ける学生が少ないとかいう割と次元の低い問題があり、1000字程度を要求されているのみなのだ。また、設問なども特になく、自由記述だ。他大学の大学院などでは、研究に当たっての参考文献を示せ、などと言われるようだが、そんなことを言われても僕には示せない。文献に当たって研究内容を決めたわけではないからだ。ちゃんと「研究」を知っている人からすれば、「アホかお前は!!」と叫びたくなるところなのだろうな…。そのくらい非常識なことである。

そう言えば、この日記をマイエンピツに登録してくれている人の中にも、助手とか先生とか先生候補とかいう方がいらっしゃるようだ。…な、なんかえらそうに書いてるのがだんだん情けなくなってきたが…。しかし、これが僕の能力の限界である。それよりも何よりも、所属している研究室の教授の方針でもある。

さてさて…。手続き書類をなんとか片づけたら、ゼミの発表とヒューマンインターフェースの発表とニューメディア論のレポートを準備しなければ。

2003.07.09 (Wed) 23:43:41



2003年07月08日(火) 教授からのメール

2003.07.08 (Tue) 22:25:47

教授からメールが来た。月曜日のゼミ、内容が乏しくて考えが足りないのだそうだ。

ただそれだけの内容で、別に責められているわけでもなければ非難されているわけでもない。にもかかわらず、こんなにヘコむのはなぜだろう。僕は自分のことを、他人がどうこう言うからということに影響されない人間だと思っていたのだが。まさかこんなくだらないことで、こんなにショックを受けるとは。教授はある意味で僕を見放していて、そういう指摘をしてこないと油断していたのもあったが、警戒していなかったからと言って、ただこれだけのことでショックを受けるという自分の弱さに愕然とさせられる。

確かに僕は、目上の人間を恐れすぎるところがある。尊敬する人に対して礼儀を尽くしたりある程度慎重になるのはいいと思うのだが、どうもそれが過度になりすぎている。僕の今のテーマは船長をモデル化すること。実際はそんなのは無理だ。船長に限らず、人間を何らかのモデルで表せるのであればそれだけでノーベル賞ものだ。幾多の学者が、それが分からずに生涯を終えているのだ。

というわけで、重要な部分、必要な部分も含めてそぎ落とすことになる。たとえば、コンピュータで表現する場合は、人間の感情的な部分はすべて欠落することになる。プログラムを作る人間次第では表現できるのかも知れないが、それが僕にできるはずもない。

だから、どこまで妥協するかが焦点になる。できないことはできないと言って、自分に何ができるのかを探している友人とはずいぶん違う。できないことを、いかにできているようにごまかすか。言ってみれば、これが僕の研究の裏の焦点だ。

それが悪いとは思わない。できないことはできないと言っていてはブレイクスルーは生まれない。ただ、それは僕のような保守的な人間のやる仕事ではない。初めは教授のプログラムを変換するだけだったのに、ずいぶん大がかりな話になってきた…。

モデルを作るだけであれば、やってやれないことはない。教授自身も言っていたが、船長の仕事なんてのは、言ってみれば船を港から港まで、障害物にぶつけずに運ぶだけだ。出発地と到着地が港であるとは限らないが、そんな細かいことはどうでもいい。

考え方は幾通りもある。船長はフローチャートで描かれるようなアルゴリズムであるとすれば、まずは航海計画を立てて、その通りに船を運航する。水路やなんやらかんやらとあるが、そんなものは航海計画を立てる時点で考えているだろうから、運航時に考える必要はあるまい。いや、そこを考えないとすることで、モデルの簡略化を図るのだ。自分の視界に船などの障害物が見えたとき、その航海計画から外れるかどうかを検討する。これは、単純な条件分岐でいい。自分の針路方向から20度以上外れていれば衝突の危険はないと考える、などだ。このような条件分岐を繰り返して、自分の挙動を決定する。これは旧来の考え方であり、古いプログラミング言語になじみやすい考え方だ。だが、見てもらえれば分かるとおり、実際にこんな考え方をする船長がいるとは考えにくい。いつも同じ思考パターンで、それこそコンピュータのように考える船長などいるだろうか。

次の考え方は、イベントドリブンという考え方。これは、もともとはオブジェクト指向の考え方、のはずだ。よく知らないが。上に挙げたものとそう違うわけではないが、船長は基本的には何もしない。初めに航海計画を準備したら、状況が変わらない限りひたすら同じ速度で運航を続ける。

そこで、何かイベントが起こる。たとえば、運航計画から船が外れる、などでもいい。ただまっすぐ走っているだけなのだから、運航計画で航路が曲がっていれば、船は外れるに決まっている。すると、船長はアクションを起こす。計画の航路に船を乗せるよう、舵輪を回すのだ。正確には舵輪を回すように指示するわけだが、そんなのはこの際どうでもいい。

このように、イベントが起きたときに船長が何らかの反応を示す、というのを書き連ねても1つのモデルができる。ただ、条件分岐と考え方は同じような気はするが。ただ、実際そういうものではないだろうか。普通に目的地に向かって歩いているとき、何もなければまっすぐ歩き続けるものだ。なんら原因となる事象がないのに突然立ち止まったりする奴は変人だろう。そういう人間もいるが、そういうのを考慮に入れていたらキリがない。突然逆走する船長などいないのだから、表現する必要もない。本当は必要なのかも知れないが、そんなことやってやれるか。知ったことか。僕は妥協を繰り返すのだ。

ちなみに、船の動きを数式で記述するのが科学的なやりかたではないかと思われるかも知れないが、そもそも、そのやり方から脱却するシステムを構築しようとしているのだ。だから、あらかじめ数式で動きを記述するのは禁止だ。となると、やはり上記のように受動的なモデルになる気がするが…。ちなみにこのたぐいのモデルは、調べてみたがまったく見つからなかった。僕の調べ方が足りないのはあるだろうが、あまりこういうモデルを構築する人はいないのかも知れない。

余談だが、教授がもともと作っていたモデルは、上のどちらとも違う。とにかくまわりにいる船を近かろうが遠かろうが片っ端から調べ、その中で一番近い奴を決定する。そして、その一番近い奴との距離に応じて次の行動を決定するのだ。だから、なにもなくても船長は常にあたりを調べまくり、その中で衝突を避けるルートを考える。このルートの決定は、4つの力による。まずは目的地に向かう力。なにがあっても目的地には向かわなければならない。そして、衝突を回避する力。近くに船がいたら、逆方向に行かなければならない。次に、追従力。これは却下するかも知れないらしいが、前に船がいたら、そのあとに従おうとする力だ。前の船と同じルートをたどっていれば間違いない、と言う発想らしい。それが現実の船長を表現しているのかどうか、僕には分からない。そして、最後に群れの中心に行こうとする力。船は一種の群れになって行動する傾向があるから、その群れの中心に向かう力があるとしているのだ。僕は、そんなことがあるかい、と思うが、なんせ船のことなんて何も知らないので、そういうことがあってもおかしくないのかも知れない。

だいたい、船のことを知らないのに船長のモデルを作ろうとしていることからして間違っているのだ。そして、そんな中、妥協を少なくしてやり過ごそうとした僕が一番大きなミスを犯している。友人がどうやっていようと知ったことではないのだ。いかに日本語が不正確であろうが、質問されたときに返せないような根拠のないことを書き連ねていようが、とにかく形にしなければならないのだ。それでは意味がないが、意味がなくてもやらなければ論文は書けないのだ。

僕にはバイトもあるし、ゲームだってやめるつもりはない。ホームページだって作りたいし、ゲームだって作ってみたい。論文に全精力を費やすつもりなどないのだ。僕の目的はシステム構築とプログラムを学ぶことであって、船を知ることではないのだ。論文なんて、その目的のついでに過ぎない。書かなければ大学を卒業できないから書くだけだ。

これが、若さというものだろうか。目的をきっちり定めれば、論文にこだわることなんて無意味だと、もっと早く気づいたはずだ。とにかく妥協を繰り返し、なんでもいいから形にするのだ。プログラミングの段階まで持っていけば、あとは何とかする自信はある。例えそのシミュレータがシステムとしてきわめて貧弱で、拡張性に乏しく現実を反映していなかったとしても、それは能力のない僕にやらせた教授が悪いのだ。やりたければ自分でやれ。モデルなんぞ自分で作れ。そしたら僕がプログラムを書いてやるから…。

今さら言う間でもないが、卒論の目的はこの逆である。現実を反映するモデルを作り、それを正確に表現する、柔軟なシミュレータを開発することだ。まあ、本当にできれば3年をかけるに値する仕事だろう。できないと悟ってしまったが。

なぜできないか?その一番の原因は、具体的な教唆を示せる人間がいないことだ。教授や助教授は、概念ならいくらでも語れる。しかし、卑近で具体的な方法論を語るべき人間ではないのだ。そもそも、それを考えるような人間でもない。結局のところ「先輩」という存在は大きいのだ。だれにも尋ねられない以上、僕は1人で調べるか、でっち上げるかしかない。調べられないことは分かったので、あとはでっち上げるという選択肢のみだ。

やれやれ…。

2003.07.08 (Tue) 23:02:44



2003年07月07日(月) まとまらない研究

2003.7.7(Mon) 16:25

大学の研究室から、直接タグを打ち込んで日記を書いている。このような書き方も意外と悪くないものだ。考えてみれば、<p>タグで囲めばいいだけのことなのだ。

そのたびに変換を入力しなおさなければならないのが少々面倒ではあるが、たいしたことではないだろう。

新しいPCは実に速くて快適なのだが、日曜日からうちの大学のネットワークはいやに遅くなっている。いったい何があったのか知らないが、100kbps程度しか出ていないのだ。

サーバの調子が悪いのか、ネットワークに問題があるのか。ただ、ネットワークはSINETなのだから、そうそう問題は起きないのではないか、とは思う。ということは学内の問題なのだろうか。どちらにしても早く直ってもらえないと、まともにインターネットも使えない。

にしても、研究の道筋が見えてこない。いや、道筋はいいのだが、何をどうやって調べるかがわからない。教授の方針が二転三転しているというのもあるが、やはり、自分で考えがまとまっていないのだろう。大学院推薦入試のための研究計画書を書こうとして、ふと立ち止まってしまった。

新しいPCを使っているのは気分がいいが、ここにいつまでもいても仕方がない。とっとと帰ることにしようか…。

2003.7.7(Mon) 16:39



2003年07月06日(日) 考えることは正しいか

2003.07.06 (Sun) 22:12:49

世の中、絶対に正しいことなんてない。

物事をよく考えること。これだって正しいとは限らない。僕は、高校生くらいになってから、いろいろと考えてから行動するようになった。しかし、後悔はしないようになったが、人生がかなりつまらなくなった。何かをやろうと思ったとき、一段踏んで冷静になってしまうと、とたんにやる気が失せるのだ。もともと歳を取ったらそんなものなのかも知れないが。

前にも書いたが、人は世の中に、受動的であることを求められている。特に日本はそうだ。世の中にこれだけ受動的な人間があふれているのは、その証拠だろう。結局のところ、誰かの意志に従って動ける人間が一番便利なのだ。

やるべきことは、小学校の頃から無数にある。授業を受けなければならない。テストを受けなければならない。掃除をしなくてはならない。毎日学校に行かなければならない。大学まで進んでもそれは変わらない。ここで大事なのは、やることに疑問を抱かないことだ。ただ、言われたとおり忠実にやっていれば、それで幸せに生活できる。なぜそんなことをしなければならないのか、なんてよけいなことを考えるから、やることなすことをいちいち苦痛に感じるのだ。

今の世の中を冷静に考えて、それほど大きな不満があると言えるだろうか。僕たちは、歴史上まれに見るほどに恵まれた生活を送っているのではないか。少なくとも、物質的に恵まれているのは疑いようがない。18世紀くらいの王侯貴族と比べても、僕の方が上ではないかと思う。宝石なんてきれいなだけで何の価値もないが、今の世の中は、使って便利なものがいくらでもあるのだ。

であれば、今の環境に不満を言うべきではない。ただあるがままに受け入れればいいのだ。どうしても受け入れがたいほどに厳しい環境ではないはずだ。

いろいろ考えるから苦痛に思う。納得できないと思う。怒りを感じる。ストレスがたまる。何も考えなければいいのだ。僕は今21歳だが、もう少し上の世代、30歳以降くらいになれば、おそらくいちいち細かいことを考えてはいないだろう。彼らはきっと学んでいるのだ。何かあるたびにいちいち考えていても仕方がない。不満を抱くより前に、現状を受け入れてやることをやらなければならない。どうせ変わらないのだから、と。

よけいなことなんか考えるな。ふと思いついた結論だ。

ところで、昨日はバイトが入っていたのだが、正確な場所を確認していなかったのでたどり着けなかった。電話をかけたが出なかった。結果的に無断欠席という形になってしまったが、大丈夫だろうか。なんだか不安ではある。

今日は、月曜日までにまとめなければならない課題があったので、大学へ行っていた。しかし、船長のモデルを設計すると言っても、何をすればいいのか見当がつかない。本気でやろうと思えば操船技術を学ばなければならないが、これは、かつて東大生より優秀と言われたエリートが4年では足りないほどの修練を積んでようやく身につけるものだ。僕にどうにかできるとは思えない。

それでも、何とかしなければならない。概要を体系的にまとめた資料がほしいが、そんなものがそう簡単に見つかるはずもない。とりあえず、船の機器を手がかりにして当たってみることにしたが…。結局のところ船長の仕事は、機器から何かを読み取って判断し、機器を操作するのだ。だから、機器がどのような情報を発しているのか、そして、船長の操作に対して機器が何をするのか。これだけ分かれば、ある程度のシミュレートはできるのではないだろうか。もっとも、その機器が発する情報を船長がどのように処理をするのかという根本的な問題が未解決だが。

それから、大学院の推薦入試が近い。明日から始まって、金曜日には手続きが終わってしまう。それまでに何とかしなければならない。電車の中で資料を読んで、少し文面を考えることにするか…。

2003.07.06 (Sun) 22:27:46



2003年07月05日(土) 目的を見つけること

2003.07.06 (Sun) 21:49:52

日付は<div>タグを使ってインデントされないように調整していたが、面倒なのでやめることにする。おそらく、気にする人などいないだろう。

僕は、どうも目的を見つけることというのが嫌いだ。なんかの目的に向かって黙々と作業をするのも好きではない。

なぜ、目的を見つける、のだろう。何か問題があって、それを解決するための手法を考えるのではないか。このジレンマは、別の目的があることによるのだと思う。つまり、卒論を書かなければならないから、卒論のテーマを見つけなければならない。で、その第一歩として目的を見つけなければならないのだ。目的が手段になっているのだ。

でもまあ、仕方がない。世の中そういうものだ。おそらく、多くの論文がそうやって、手段のための目的によって書かれてきたのだろう。そしてきっと、多くの優秀な論文が、その中に埋もれているに違いない。それでも、僕は論文を書くことになるだろう。そうしなければ大学を卒業できないのだから仕方のないことだ。

僕は今、システムの開発がしたいわけではない。プログラムの勉強がしたいのだ。あえて露悪的に言えば、小手先の技術がほしいのだ。すべてを包括するような難解な意味論なんて、それほど興味はない。今の時代、そういうことを語れる人間は多くいるだろう。それでも少ないのかも知れないが、あえて僕が、頭が悪いにも関わらず、その道を目指す必然性などないのだ。僕は、そういう優秀な人間の下について働ければそれでいい。

そういえば、バイト先の人に、システムの保守管理の仕事がしたいと言ったら、それは目標としてはあまりふさわしくないと言われた。そのシステムの完成度にもよるが、基本的には単調なルーチンワークで、高度な技術を要するものでもない、とのことだ。なるほど。それは一理ある。しかし、僕はそれでも構わないと思う。誰かがやらなければならない仕事だし、これからどんどん需要が増してくるはずの仕事でもある。何より、開発の仕事に未来が見えない。他人と競争し、打ち負かし、先へ進んでいける人であれば、これからピークを越えるシステム開発の世界でもやっていけるだろう。鉄鋼や造船の仕事だって、斜陽と言われても稼ぐところは稼いでいる。規模が縮小するだけで、やっていけないことはないのだ。でも、僕はそうやって小さくなる世界でやっていく自信なんてない。また、なろうとも思わない。僕がそうやって生き残ることで、僕は幾多の人間を蹴落とさなければならないのだ。

はっきり言って、僕のせいで多くの人間が路頭に迷ったり自殺したり、様々な苦しみを抱えるとしても、そんなことは知ったことではない。ただ、そうなったときに、悪いのはその人たちで、勝った僕が正しい、という理屈がまかり通るのがいやなのだ。僕のせいで多くの人が苦しんだら、僕がどう思おうと、悪いのは僕のはずだ。例えそれは、僕が罪の意識を感じなかったとしても、いや、だとしたらなおさら、僕の罪は重いはずだ。にもかかわらず、多くの敗北者の上で嗤う僕は正義だ。世の中きれいごとではすまないが、こんなのは許せない。僕の力で世の中を変えられるとは思わないが、僕自身がそのシステムの中に組み込まれたいとは思わない。

だからこそ、これから小さくなる業界に身を投じるのは嫌だ。福祉の世界なら、収入は少なくとも、人材は常に不足しているから何とかなるだろう。しかし、僕は自分より弱い立場の人間に対して仕事をしたくない。本来は、お年寄りだからと言って僕より弱いなどと言ってはいけないのだろう。しかし、僕がそう思っているのだから、僕は現場に立つべきではないと思う。他人のために何かをするのは好きだが、それは、僕にできないことをするための手助けをするのが好きなのだ。僕より能力の劣る人が、僕にできることをするのを手伝うのは、あまり好きになれない。まるで自分がえらくなったような錯覚がしていやなのだ。

2003.07.06 (Sun) 22:11:04



2003年07月04日(金) 新機種導入

2003.07.05 (Sat) 2:48:08

研究室に新しいPCが入った。Dimension 8250だ。

…それはいいが、眠い。ダメだ、こりゃ。寝よう。

2003.07.05 (Sat) 2:48:39



2003年07月03日(木) サーバールーム

2003.07.05 (Sat) 1:57:22

木曜日。バイトをしてきた。

前半は何だったかな。なんだかよく分からないルーチンワークをしていた。キーボードの検査だったような。で、後半はサーバールームに入って、サーバのセットアップを手伝っていた。ほとんど見ていただけだったが。結構大規模なサーバで、見ていておもしろかった。ただ、温度が18度に設定されていて、長い時間いたら少し寒くなってしまったが。

そのあと、帰りに雨に降られた。RegnessemのYahoo!天気予報によれば雨は降らないはずだったが…。かなり激しく降っていたので、さすがにこれは、天気予報が外れたのではなく、僕の勘違いだったのかも知れない。

ああ、眠い。ずいぶん遅くなってしまった。今日はこのくらいで…。

2003.07.05 (Sat) 2:47:24



2003年07月02日(水) 幸せなとき

2003.07.03 (Thu) 1:53:58

4月頃、結構水曜日に話をしていた人と、久しぶりに話をした。相変わらず向こうが機関銃のようにしゃべって、こちらは聞いてばかりだったが。だがそれでも、ただ話をしているだけだったのに、それがとても楽しいと感じた。なんなんだろう。人とのコミュニケーションが不足していて、飢えているのだろうか。それが否定できないくらい、4年生になってから人と話す機会が少ない。ないわけではないのだが、まとまった時間、ずっと話していることがないのだ。

なんだか妙に眠い。生活のリズムが整ってきたのだろうか。考えてみれば、この時間であれば眠いのは当たり前だ。もしリズムが整ってきたのであればそのままで行きたいものだが。

ああ、もう寝よう。眠いのだから寝た方が賢明な気がする。時間が時間だし…。

2003.07.03 (Thu) 2:09:10



2003年07月01日(火) 自らを貫く刃

2003.07.01 (Tue) 22:26:10

今日は、バイトをしてきた。自分用のアカウントとメールアドレスを用意してもらった。ユーザサポートの研修もちょこっと受けたし、ようやく本格的になってきただろうか。まあ、思った通り、専門知識を学ぶことはできないようだが、ビジネスマナーだって同じくらい、いや、もしかしたら専門知識より重要かも知れない。どんなに勉強したって東大生やマニアには専門知識で太刀打ちできないが、それにビジネスマナーも加味した能力という意味では、十分勝負できる。パソコンばかりやってきたマニアでは、なかなかコミュニケーション能力を身につけることはできまい。…なんか、自分に突き刺さる刃のような言葉だが。

Accessの勉強を少ししてみた。と言っても、電車の中で本を読んでみただけだが。だが、前も書いた気がするが、研究室でPCに向かっているよりもよほど、電車の中で本を読んでいる方が集中できる。だが、結局今日は使わなかった。データベースを作ると言っていた担当者が出張でいなかったのだ。7時過ぎに帰ってきたが、なんか妙にハイテンションで、燃え尽きる前のろうそくのようだった。過労で倒れなければいいが。

で、ユーザサポートだ。

そもそも僕のやっているアルバイトは、ヘルプデスクという仕事だ。これは、名目上、PCを使う上でのサポートを行うのが建前だ。実際は雑用係なのだが、その中では、このユーザサポートという仕事は建前に近い内容になっている。

社内でなにかPC使用に関する問題が起きたとき、その場に出向いて解決を図るのが仕事だ。電話サポートと違って、その場に直接行けるのが大きい。友達がPCの調子が悪いと言って電話をかけてきたことがあるが、その時は本当に要領を得なかった。その友人は、決してPCの知識に疎いわけではない。仮にも情報工学を学んでいる人間なのだから。彼は、学部の4年生でありながら、その研究室では一番PC関連の知識があるらしい。

で、そのような人と話していても、要領を得ない。PCの話を電話でするというのは、それだけ無理があるのだ。よくPCの電話サポートというのがあるが、あんなの相手が素人だったら絶対に成立しない。どっかのプロバイダがやっていたが、直接人を派遣するくらいのことをしないと、本当に問題を解決することはできない。

と言っても、決して問題が難しいわけではない。伝えるのが難しいだけだ。

んで、そのユーザサポートの鉄則。「石橋を叩いて渡れ」だそうだ。PCの問題と言っても、その解決法はいろいろある。おおざっぱな例を挙げれば、ハードディスクの内容を全部引き上げて、ハードディスクの中身をすべて消し去ってきれいさっぱりやり直すというのがもっとも根本的でよい解決法だろう。もちろん、時間がかなりかかるが。

で、実際のところ、そんなことをやっているわけにはいかないから、どうしても抜本的な解決は無理だ。設定を変えるだとか、ファイルをコピーするとか、適当にしのぐことになる。ちなみに、それでどうにもならない場合は、ちゃんとまっさらにしてやり直すのだが…。6時間働いているが、それで4台か5台しか終わらない。やってられないのだ。

ここで問題になるのが、どこまでやるのか。Windowsには、レジストリと呼ばれる内部設定がある。アプリケーションごとの設定が記述されていたりする。詳しいことは知らないが。で、この設定を下手に変えると、アプリケーションが使えなくなったり、最悪、Windowsが起動しなくなったりする。このレジストリを操作する場合は、個人の場合でも細心の注意を要する。企業で責任問題になる場合は、こんな物騒な設定に手をつけないのは当然だろう。

だが、デバイスドライバだとどうだろう。PCのあらゆる機械は、デバイスドライバと呼ばれるソフトでその動作を記述されている。この記述にミスがあれば、キーボードが動かないとか、画面が映らないとか、あるいは、映っても処理が遅いとか、いろいろな問題が起こる。

このデバイスドライバに不良があれば、こいつを入れ直すことでPCを直すことができるわけだ。だが、上にも挙げたように、デバイスドライバは問題を引き起こす原因にもなる。個人だと、人間には感じられないような微妙なスピードアップのためにデバイスドライバを入れ替えたりするが、企業の場合はこの辺も禁止らしい。例えそれで直せると分かっていても、問題が起こりうる場合はダメなのだそうだ。

とにかく絶対に間違いのないことだけをやって、それでダメならあきらめてしまう。そんな鉄則があるようだ。さすが責任の社会。すごいものだ。

2003.07.01 (Tue) 22:46:54


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